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価値重視の病院経営の台頭とその意味

はじめに 第1節

前章では、RVU法のほか、TDABCやUVA法を取り上げることで時間ベースの病院原 価計算の適応可能性について考察を加えてきた。

しかしながら、病院経営において医療サービス提供者である医師は、単に患者に対し処置を 施せばよいのではなく、患者を治療し健康な身体にすることが目的とされなければならない。つまり、

診療報酬は、提供された医療サービスに対し支払われているが、患者は医療サービスを受けた結 果得られる「健康」に対し対価を支払っているのである。

このように医療分野では、人間の生命や安全を取り扱うため、他の産業以上に公共性・社 会性を有することが求められることになるが、病院原価計算は、そうした医療の質的側面 をフォローすることが困難な状況に置かれたまま、病院経営に用いられてきた。敷衍すれ ば、原価と品質のバランスの取り方が医療分野の主要な問題とされているのである。この 原価と品質を巡る議論は米国でも盛んになされているが、当該議論の背景には医療の利害 関係者間で生じる様々な対立関係が存在していると考えられている。例えば、下記の図表 6-1は、ロス=フェンスター(Ross, A. and F. L. Fenster [1995])が指摘する医療業界で 生じる対立やテンションを項目別にまとめたものであるが、医師の役割ひとつをみた場合 にも様々なコンフリクトが生じていることがわかる。

そこで、医療における様々な利害関係者のコンフリクトを解消するために1990年代より 議論されているのが、価値重視の病院経営である1)。本章では、この価値重視の病院経営が 何を意味するのかを明らかにしている。

1) 本研究の価値重視の病院経営における価値の意味は、患者に焦点をあてた原価管理と品質管理のバラン スを図る経営手法を意味するため、企業価値(株主価値)とは異なる。また、本章と次章は足立[2007] 足立[2009a]、足立[2009c]の研究に基づいたものである。

図表6-1 医療業界で生じる対立やテンション

(出所)Ross, A. and F. L. Fenster [1995], p. 19をもとに引用者が作成。

このために、本章では以下の構成をとっている。第 2 節では、価値重視の病院経営が必 要とされる背景を明らかにする。第3節では、第2 節で明らかにした価値重視の病院経営 を手がかりに、個々の論者が提案するそれぞれのモデルを取り上げ、その共通点や相違点 をまとめることで、価値重視の病院経営の内実をさらに検討していく。最後の第 4 節では 全体を総括する。

価値重視の病院経営登場の背景 第2節

アメリカで医療システムに弊害が生じ、それが表面化したのは1990年代になってからで ある。これは、主に HMO 型のマネジドケア保険会社への米国市民の不満を原因としたも のであり、マネジドケア・バックラッシュ(大きな反発)と呼ばれている2)。HMO型医療

2) マネジドケア型保険には、HMO型保険とPOS型保険、それにPPO型保険の3種類が存在する。医療

保険の問題パターンとしては、①事前の許諾を受けていないことを理由に、医療費支払い を拒否するケース、②未だ実験段階の治療、処置あるいは手術、投薬だといって受療を不 許可とするケース、③費用の嵩む治療を回避しようとするケース、に分類することができ る3)。いずれにせよHMO型の医療保険に加入している患者は、こうした医師や病院へのア クセスの制限が厳しいことを嫌って、多少なりとも選択肢の広いPPO型やPOS型の医療 保険に加入するケースが増えている4)

しかしながら、こうしたマネジドケア・バックラッシュにみられる弊害は、それ自体を 問題として捉えるべきではなく、その背景にある市場原理に基づくアメリカ医療システム のあり方が引き起こしている可能性も考慮しなければならない。例えば、ポーター=テイ スバーグが、競争形態の議論から「医療における競争は、誰かが儲けると他の誰かが損を するようなゼロ・サム競争へと引き寄せられている」5)と指摘しているように、近年の病院 経営のあり方について詳細に検討していく必要がある。

本節では、このポーター=テイスバーグの指摘するゼロ・サム競争という捉え方を手が かりに、競争原理の側面からアメリカ医療改革の阻害要因について考察していくことにし よう。

1. ポーター=テイスバーグのゼロ・サム競争論

1990年代に入るとアメリカ医療システムは、患者の健康状態改善を第一義的に考えず、

原価を保険者から被保険者へ、病院から医師へ、そして医師から患者へと安易なたらい回 しを繰り返してきたと指摘されることがある6)。ポーター=テイスバーグは、この状態を「ゼ ロ・サム競争」と呼んでいる。つまり、アメリカ医療システムは、根本的に原価を低減さ サービスへのアクセス制限が高い順に並べた場合、HMOPOSPPOとなるため、保険料は逆に、PPO POSHMOの順番になる。詳細は、伊原[2004a]51-53頁;伊原・荒木[2004]を参照されたい。

3) 西田[2001]102-104頁。

4) 伊原[2004a]57-58頁。

5) Porter, M. E. and E. O. Teisberg [2006], p. 4(邦訳5頁).

6) Porter, M. E. and E. O. Teisberg [2004], p. 66.

せる形態ではなく、単に原価を移転させるという状態に置かれていたのである。ここでは、

彼らのゼロ・サム競争の特徴を、①原価移転形態、②価格交渉、③情報公開の側面から説 明し、アメリカ医療改革の失敗の原因がどこにあったのかを整理していくことにしよう。

第一のゼロ・サム競争の特徴は、医療を巡る利害関係者(病院、保険者、企業)が採用 することになった原価移転形態から説明することができる。例えば、病院は1983年のメデ ィケア患者に対する DRG/PPS の導入により、従来に比べ償還水準が低くなったために、

償還額の不足分を民間医療保険の加入者に負担させて採算性を維持してきた7)。次に、マネ ジドケアにみられる、保険会社が行ってきた健常者に限定して保険加入を認める行為は、

保険会社の最も確実で簡単な原価削減方法であるが、これは保険会社が本来負担すべき原 価を保険未加入者に移転しているだけであった。さらに企業は、高額の医療費がかかる従 業員を職場復帰させると企業全体の保険料が上がってしまうことを理由に、職場への復帰 を拒否する傾向がみられている8)

例えば、従業員を巡る企業とマネジドケアの関係について、アメリカの医療問題に詳し い李啓充氏は以下のように説明している。「雇用主が中小企業の場合には、「免疫抗生剤」

などで高額の医療費がかかる人が戻ってくると企業全体の保険料が上がってしまうため、

職場への復帰を拒否されることが当たり前となっている」9)。このように、市場原理に基づ いて保険契約条件が取り決められると、高額の医療費負担が予想される従業員は企業から 排除されてしまう結果となる。ゆえに、病院・保険者・企業が採用する短期的な原価削減 は、医療システム全体の原価の削減には結びつかず、単に保険会社や企業などの仲介者の 負担を軽くしているだけなのである10)

次に、ゼロ・サム競争の第二の特徴は、医療関係者が規模拡大を行うことで強い価格交 渉力を得ようとする傾向から説明することができる。例えば、病院間で合併が繰り返され

7) 伊原[2004a]15頁。

8) [2000]129頁。

9) [2000]129頁。

10) Porter, M. E. and E. O. Teisberg [2004], p. 67.

てきた経緯について、ポーター=テイスバーグは次のような解釈を行っている。「ほとん どの病院は、保険会社との交渉を有利にするために総合病院の形態をとっていて、自院の 強みである専門分野を持たない傾向がある。1996年から 2000 年までの間に盛んに行われ た医療機関のM&Aにより、取り扱う診療サービスの幅が増えたことで品質改善がなされた という証明は皆無である。いわゆる、病院間の水平合併は何の効率性をもたらさないので ある」11)。それゆえ、彼らは、「医療関係者は規模を拡大するために合併を繰り返してい るが、合併から得られる効果性や効率性は全くといっていいほど考慮していない」12)と評 価しているのである。こうした医療機関同士の合併により規模拡大を行い、価格交渉力を 強めたとしても、維持・管理コストがかえってかかるようになり、医療費の削減効果はみ られなかったのである。加えて、病院側の訴訟行為を恐れた過剰診療は、効果性のない医 療サービスの提供と膨大な書類記入につながることから医療費増加の原因の一つとしてあ げられている。

一方で、規模拡大のメリットを享受できない病院は、保険会社との価格交渉に応じなけ ればならないことになる。実際、メディケアにDRG/PPSが導入されてから、100床以下の 中小病院がアメリカ国内に単独で存在するのは困難な状況となっていることから 13)、病院 は多大な患者人口を抱える保険会社や企業と契約を行うために大幅な値下げを行うことで、

保険会社のネットワークに加わる戦略を採用することになる 14)。しかしながら、病院が患 者を増加させるために大幅な値下げ交渉を進めることは、単に収益を保険会社や企業に移 転させただけである 15)。例えば、保険会社との価格交渉に応じた病院グループは、その保 険会社が HMO 型の医療保険を取り扱うマネジドケアである場合、そのマネジドケアの意 向に従わなければ採算が合わず、診察原価や診察時間を削減する努力が求められている。

11) Porter, M. E. and E. O. Teisberg [2004], p. 70.

12) Porter, M. E. and E. O. Teisberg [2004], p. 66.

13) 石川[2007]78頁。

14) Porter, M. E. and E. O. Teisberg [2004], p. 68.

15) Porter, M. E. and E. O. Teisberg [2004], p. 68.

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