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金融機関の不動産管理 と牧羊業の構造変化

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(1)

金融機関の不動産管理 と牧羊業の構造変化

石 田 高 生

は じめに

19世紀後半 オース トラ リア牧羊業 は, 「パ ス トラル ・パ ラダイス」 とい う言 葉 にあるよ うにきわめて楽観的 な収益 に対す る期待 を動機 と しなが ら, イギ リ

ス資本 の流入 と国内の貯蓄 の増加 による資金面 でのバ ック ・ア ップを支えに外 延的な拡大 を見 た。1)この牧羊業 の拡大 とともにパ ス トラル ・フ ァイナ ンスは,

1860年代 に入 って拡大 し, その後 20年間銀行 と牧羊金融会社 の貸付総額 の最 大部分 を占めるにいた ったが,1893年金融恐慌 とそれにつず く長期干魅 (1895

‑1903年) によ って後退 を余儀 な くされた。 その後 オース トラ リア金融市場 の 再建 と整備 をめ ぐって,統一的発券制度 の確立,州立銀行 の設立,農 ・牧金融 の拡充 を求 める動 きが表面化 したが2), この再編過程 を解明す るうえで,19 紀後半 のオース トラ リア牧羊業 の生産 ・財務構造 の展開 と金融機関の果 した役 割 を検討 してお くことは,不可欠 の課題 と思われ る。

オース トラ リアのパ ス トラル ・ファイナ ンスを整理 す るにあた って, N.G.

Butlinの諸研究 は,資料上 の点 か らもまた本論 の課題 において も,避 けて通 る

1) イギリスのオーストラリア投資については,とりあえず以下のものを参照されよo N.G.Butlin,AustrlalianDomesticPr10duct,InvestmentandForeignBorrowl ing,1861‑1938/9,Cambridge University Press(Cambridge,1962);A.R. Hall,TheLondon CapitalMarketand Australia,1870‑1914,Cambridge University Press(Cambridge,1963).

2) .Gollan,CommonwealthBankofAustralia,AustralianNationalUniversi tyPress(Canberra,1968),pp.20‑83;L.C.Jauncey,Australia'sGovemment Bank,Cranley&Day(London,1934),pp.46‑59.

〔81

(2)

ことので きないものである。Butlinは,N.S.W.の牧羊借地権 の登記 を経営 主体別 に分類 し,1866年か ら1896‑7年 までの変化 を分析す ることによ りオー

ス トラ リア牧羊業 における会社形式 (特 に金融機関)の経営支配 を否定 し,個 人経営 の自立性 を強調す ることによ り個人経営をオース トラリア牧羊業 の典型 と結論 した。 3)彼 は,この見解をその後積極的 に展開す るにいた らなか ったが, Butlinが同論文で批判 した B.Fitzpatrickは, 金融機関の牧羊支配 とオース

トラ リア牧羊業 における典型的経営形態 としての株式会社 の経営 を強調す る見 解を発表 していた。19世紀末 オース トラ リアの金融機関 と牧羊業の関係 は,一 つの論争問題 であ った。 4)だが,Butlinの研究 は,その後 「羊数の分布 の変化

1860‑1957年」

,

牧羊資本の拡大,1860‑1890年」

,

パス トラル ・ファイナ ン ス と資本需要 の動 向等 によ って豊富化 され るとと もに 5),"Investmentin AushlalianEconomicDevelo7hent:1860‑1900''に集約 され6),最近 も彼の先

の見解 を補強す る内容 の研究が発表 されている。 7)

3) N.G.Butlin,tCompany Ownership'ofN.S.W.PastoralStations,1865‑

1900,HistoricalStudiesAustraliaandNew Zealand,Vol.4,No.19 (MAY, 1950),pp.89‑90,110‑111.

4) B.Fitzpatorick,Noteon tCompany Ownership'ofN.S.W.PastoralSta‑

tion,1865‑1900,HistoricalStudiesAustraliaandNew Zealand,Vol.4No.19 (May,19'50),p.111;Do.,TheBritishEmpireinAustrlalia,MelbourneUniver SityPress(Melbourne,1941),pp.380‑388;N.Cain,CompaniesandSquatt ing in theWestern Division ofNew South Wales,A.Barnard (ed.),The SimpleFleece,MelbourneUniversity,Press(Melbourne,1962).

5) N.G.Butlin,Distribution oftheSheep Population:Preiliminary ofthe StatisticalPicture,1860‑1957;Do.,TheGrowth ofRuralCapital,1860‑

1890;N.G.Butlin.,& A.Barnard,PastoralFinanceandCapitalRequire ment,1860‑1960,以上の三論文は,いずれもA.Barnard(ed.),op.°it.,に所収

されている。

6) N.G.Butlin,InvestmentinAustralianEconomicDevelopment:1860‑1900,

CambridgeUniversityPress(Cambridge,1964).

7) H.M.Boot,Debts,DroughtandForeclosure:WooトProductionsinQueens 1and and New South Wales,1870‑1905,Australian Economic Histoyy Review,No.28(Sep.,1988).

(3)

金融機関の不動産管理と牧羊業の構造変化 83 しか しこれまでのパ ス トラル ・ファイナ ンスをめ ぐる研究対象 は,牧羊金融 会社 の経営 と公有地借地権 (PastralLeases)に重点 が置かれ8),銀行 の不動産 抵 当貸付 の形態 と不動産担保管理 さ らに土地所有 (Freehold)につ いて ほとん ど考察 されて こなか った。 そ こで,本稿 では,銀行 の不動産担保管理 と流動化 に関す るい くつかの資料 を整理す るために 9), その背景 とな る19世紀後半 の オース トラ リア牧羊業 の構造変化 とこれに対す る金融機関の役割 を明 らかに し よ うとす るものである。

1 牧羊業の生産 ・財務構造

日) 土地政策の変化 と土地投資の動向

オース トラ リアの土地制度 は,1825年 の総督府 の下付 および1831年 の公開 入札 (PublicAuction)の開始 によ ってわずか な私有地が認 め られた ものの基 本的には公有地制 であったが10),イギ リス毛織物工業 の需要拡大 を背景 に1830

年代以降,N.S.W.の東部入植地 を越 えて牧羊地 の不法 占有運動 (Squatting Movment) が展開 された。ll)その後,1847年 にはこの占有地 は公認 され るに いた り, この時期 に土地 の大土地 占有 が形成 され, そ こでは,土地 の改良投資 を ともなわない粗放的な放牧 が支配的であ った。12)

8) N.G.Butlin,A.Barnard,N.Cain,およびH.M.Bootの諸研究は,オース トラ リア国立大学(AustralianNationalUniversity)BusinessArchivesの諸牧羊 金融会社の資料に依拠 している。

9) TheBank ofNew South Wales,StationsBankProperty,1850‑70,1877‑

1907;TheBank ofAustralasia,Superintendent'sOffice,Secretary Con‑

fidential,Vol.9,10,1906,1908;TheNationalBankofAustralasia,Alexan‑

draBranch,ReportonLiabilitiesofCustomers,1893.

10)T.A.Coghlan,The Wealthand ProgressofNew South Wales,1889‑90, Turner& Henderson(Sydney,1890),pp.224‑225.

ll) S.H.Roberts,The Squatting Age in Australia,1835‑1847,Melbourne UniversityPress(London,1935).

12) 19世紀オース トラリアの土地制度に関するわが国の研究は,岡倉古志郎 『豪州の 社会と経済』電通出版部,1943,65‑94頁,市川泰治郎 『豪州経済史研究』象 山闇,1944,105‑192頁。

(4)

だが1850年代 の金の発見 とその後 の人 口と経済 の急速 な拡大 は,失業 と農 産物の輸入増加を もたらし,政治上の問題 として,スコッター (Squatter)一に

よる粗放的な土地利用に対する批判 を表面化 させた。 13)1861年の土地法 は,N.

S.W.首相J.Robertsonが法案を上程 し,上院の強硬 な反対 を押 し切 って成 立 した。同法 は,公有地売却法 と公有地 占有法によって構成 されてお り,一般 に入植者 に対 して土地の購入を認めっっ もこれまでのスコッターの土地 占有を

も認 める\とい う妥協的な性格 を もっていた。 14) 公有地売却法 (Alienation of LandAct)は,従来の土地制度 に比べて2つの制度上 の特質を もち,農業生産 の拡大 を目的 としていた。

従来,公有地 の売却は,申請者 の選定 と土地局の測量後 に競売 に附 されるも のであって,その際測量過程の煩雑 さと競争価格の上昇 により一般入植者の土 地の購入 はきわめて困難であった。 同法 は, 「自由選択の原則(Free Selec‑

tion)を採用 し, そこでスコッターによって占有 された土地でさえも測量の前 に土地 の選定を認 め,かつ1エーカーあた り20シリングの固定価格で売却す ることとした。 また農地 として土地の改良を促すために条件付購入制 (Con‑

ditionalPurchase)導入 していた。この方法によって,指定地域以外の非所有 地 は誰で も401320ェ‑カーの範囲で土地 を購入す ることが可能 とな った。た だ し購入地 は耕作者 の居住 と柵等 の土地改良支出エーカー20シリングの投資 を義務づけ られた。そ して購入時に購入価格 の25%を払 い込み,残額 は,3 の分轄払 いとされ,払 い込 みの終了をもって土地所有権が確定 した。 15)

公有地 占有法」 (Occupation ofLand Act)は;スコッターに自己の占有 地 に対 す る先買権 を認 め るとと もに1847年 の枢密院規定 (Privy Council

13)B.Fiztpatorick,op.°it.,pp.139‑140.

14)C.M.H.Clark,A HistoryofAust71alia,Vol.,,MelbourneUniversityPress (Melbourne,1978),pp.140‑143.

15) ロバー トソン法については,Ibid.,pp.165‑168;T.A.Coghlan,The Wealth and Pr10grleSS Of New South Wales,190001,TheGovernmentofNew SouthWales(Sydney,1902),pp.434‑435.参照 されよ。

(5)

金融機関の不動産管理と牧羊業の構造変化 85 verdict)に従 って公有地借地契約 (PastoralLeases)の更新 と占有の継続を 保証 した。ただ し借地期間を改め開拓の進んだ東部第一級開拓地 については1

年 に限定 し,中部および西部地区については5年 と定め,それぞれ更新できる ものとした。 16)

ビク トリアでは,1862年の通称 ダフィー法 (DuffyAct)によ?て,「自由選 択の原則」が,採用 されたが,N.S.W.と異 なっていたのは,政府 によるあ ら か じめ測量調査 された土地を売却の対象 とした点 にある。 そのためN.S.W.

にみるセクター (Selector)とスコッターとの間の闘争 は生 じなか った。 また

1884年の土地法によって,売却地を制限す るために公有地 の賃貸制度を広 く採 用 したことである。 17)クインズラン ドでは,1869年 にN.S.W.の ロバー トソ

ン法 と同 じ制度 を導入 したが, はるかに広大 な面積 とわずかな人 口のために1

人当 りの所有 ・占有面積 は,広大な ものとなった18)

1870年代以降,N.S.W.ダー リング (Darling River)以西の西部地区‑の 牧羊開拓の外延的拡大 とその地域での牧羊借地契約 (PastoralLeases)の増加 は, ロバー トソン法がその 目的を十分 に達成 しえなか った ことを示す ととら に,穀物輸入 も減少 しなか った ことを見 ると,土地政策の失敗 は明かであ っ 。19)この再検討 において最 も重要な土地制度上の串正 は,1884年 の土地法の 成立である。

同法の骨子 は,一層の土地改良を促進す るために, スコッターの占有地 の半 分を政府が回収 し, この回収 した土地を各種の改良条件の基 に再 び貸 し出すか 売却す ることにあった。同法 によれば,中 ・東部地域 において 「自由選択の原

16)T,A,Cogh 1an,TheWealthandHogressofNew SouthWales,1889‑90,p, 226.

17)T.A.Cogh lan,A StatisticalAccountofAustraliaandNew Zealand,19031 4,Authority oftheGovernmentofNew South Walesand oftheCom‑

monwealthofAustralia(Sydney,1904),pp.298‑299.

18)Ibid.,pp.314‑315.

19)B.Fitzpatrick,op.°it.,p.200.

(6)

則」に従 って,条件付購入制 の もとで16歳以上 の誰で もこの回収地 を40‑640

エーカーの範囲で購入 で きた。購入 の条件 は,入植者 が,入植地 に5年間居住 す ること,約定 日か ら2年以 内に境界線 に柵 を作 ることであ った。20)この条件 ,1861年法 に比 べて さ らに厳 しい ものであった。入植者 は,以前 よ りも広 い 土地 を購入で きるが, エーカーあた り1ポ ン ドの統一価格 を支払 い, その支払 方法 は, エーカーあた り2シ リングを預託 し,残額 は, エーカーあた り 1シ′

ングの年分轄払 いと し,4% の利子 を課 した。 21)西部地域 について は,ホーム ステ ッ ド借地契約 (Homestead Leases)を もうけ,牧羊 のために広大 な土地 の占有 を認 めた。 また残 る未回収地 は,借地人 に引 き続 き牧羊借地契約 の規定 に したが って占有す ることを認 めた。 22)

だが,同法の基本的性格 は,次 の点 にあ った。牧羊借地契約 の適用地 につい ては,借地人の権利 を保証す るために,政府 が一方的 に借地権 を取 り消す こと がで きないこと,さ らに借地期間 について も西部地域 では21年 に延長 され,7

年毎 に土地利用 についての査定 が行われ るよ うに した。 もし土地 の利用が不十 分 であれば,政府 は,借地契約 を取 り消す ことも可能 であ った。中部地域 の借 地期間につ いて は,10年,東部地域 について は,5年 と定 め られた。また回収 された土地 の うち借 り手 の いない土地 につ いて は,元 の借地 人 に占有認可状 (Occupation Licence)を発行 し,引 き続 き占有 を認 めたが, この認可状 は毎

20)T.A.Cogh 1an,TheWealthandProgrleSSOfNew SouthWales,1889‑90,pp.

228‑229.

21) P.N.Lamb,CrownLandPolicyandGovernmentFinanceinNew South Wales,1856‑1900,AustrlalianEconomicHistoryReview,Vol.7,No.1(March, 1967),pp.61‑62.

22)西部地区は,農業に不適であったために,「自由選択の原則」から除かれた代わり に回収された土地については,ホームステッド借地権を認めた。ホームステッド借 地権は,最大貸与面積が,10,240エーカーで,借地人は,毎年6カ月以上,その土 地に居住 しなければならなかった。また15年後には,改良投資に対する何等の政 府の補償なしにその借地を政府が一方的に回収することが可能であった (T.A. Coghlan,TheWealthandProgressofNew South Wales,1889‑90,pp.232 233)

(7)

金融機関の不動産管理 と牧羊業の構造変化 β7 年 更新 され,政 府 は認可 料 と して 640エー カー に対 して2ポ ン ドを徴収 し

。23)以上,同法の性格 は,牧羊借地契約 に永続性 を付加す ることによ って, 牧羊地 の改良 を促進 し,最大 の輸 出産業であ る牧羊業 の生産力 を強化す ること

にあ った。それ故 に,1884年法 は,農業生産力の育成 を目指 した ロバ ー トソン 法 とその意図 と内容 において著 しく異 なるものであ った。 さらに同法 は,土地 売却価格 と牧羊借地 の地代お よび認可料 の引 き上 げによって,農 ・牧用地 のた

1 N.S.W.の土地歳入 と牧羊新設備投資の変化 (1856‑1900)

(単位 百万 ポ ン ド)

l l

の売と賃貸 歳入

f f

牧羊 設備投資

t

′ 一■ / t I J

■▲

′ 一J I 1

‑■.

l l l

2109876543210111

1856 1860 1870 188(1 1890 1900 症) 土地歳入の目盛 りは左側, 牧羊新設備投資の目盛 りは右側 の細かい目盛 りで

ある。

資料)土地歳入 については,P.N.Lamb,op.cit.,p.42,牧羊設備投資 については, N.G.Butlin,InvestmentinAustllalianEconomicDevelopment,p.114より 作製。

23)Ibid.,p.232.

(8)

めの売却予定地 の潤渇 による土地歳入の減少を補 い, これによって鉄道および その他公共事業を従来通 り継続することを も目的 としていた。24)

1は,N.S.W.の公有地売却 ・賃貸による政府の土地歳入の動向 と牧羊 新設備投資の動向を示 した ものである。1861年の ロバー トソン法の成立直後の

10年間に土地売却 ・賃貸 は,ともに進 まなか ったが,気候の良好 な条件 ・羊毛 価格の上昇 ・イ ギ リス資本の流入 によって,1871年か ら1877年 には急増 し,

1870年代末の干魅期 に大幅に減少 したものの, 再 び1881‑82年 に急増 した。

この売却面積 の増減 に比例 して政府の土地歳入 は増減 したが,土地歳入の動向 は,牧羊業の土地の購入 と地代の支払を含むために,牧羊業の土地投資の動向 を示す と考え られる。N.S.W.の地方土地の売却歳入か ら推測 される牧羊業 の土地投資は,1871年 より増加 し,1877年 に ピークに達 し,干魅後の1882 に再 び ピークに達す る。 25) これにともな って牧羊新設備投資 も1871年 より増 加 し,同 じく1877年 に ピークに達 し,再 び1881年 に ピークに達 した。 26)この

1871‑1881年 の間に, 牧羊新設備投資は, 土地の大規模 な売却 とそれにとも なう新開拓牧場での新 しい牧場設備の建設 としての内容を もっ ものと推測 され これに対 して1886‑1891年の牧場新設備投資 は,土地の売却面積が,高 水準でなか ったにもかかわ らず,著 しく高 い水準を長期 に示 したo土地 の売却 面積 を見 ると,18812.3百万 エーカー,1882 2.4百万 エーカーに対 して

24) 1883年 の突然の土地歳入の低下 を直接 の契機 として, ロン ドンで以前 に発行 した 公債の決済が迫 っていたので,議会では予算上の問題が論争 されたが,新税の導入 あるいは鉄道建設等 の政府支出の削減 も一致 を得 ることがで きなか った。 そ こで 大多数 の意見 は,土地改良 を促進す るために賃貸 された土地 の半分を回収 し,彼 ら

の所有地 にさ らに安定 した借地権 を与え る代わ りに,高 い借地料を支払 わせよう とした (P.N.Lamb,op.°it.,p.60)

25)売却 された土地が,牧 ・農業のために利用 されたとは限 らない。政府 は,売却地 に 関 して利用別分類を していないので,土地歳入 は,都市 ・郊外の土地売却 を含んで

いるために,牧羊投資を意味す るものと考えることはで きない。 しか しN.S.W.

政府 は,都市部の土地 と地方 の土地 とに分 けて売却歳入を報告 している (ibid.,p・

59)0

26)Ibid.,p.52.

(9)

金融機関 の不動産管理 と牧羊業の構造変化 89

1886 0.9百万 エーカー,1887 0.8百万 エーカーにす ぎなか った。27)しか し 売却面積 が,減少 したに もかかわ らず政府 の土地歳入 が高 い水準 を示 したの

は,前述 したよ うに売却価格 と地代の引 き上げによるものであ り,売却面積が 少 なか ったとい う事実 か ら1886‑91年 の牧羊新設備投資 は,既存牧場 での設 備改良的投資の色彩を もつ もの と推測 される。だが政府 の土地 の歳入分のどの 程度が,牧羊投資の水準 を示す ものであるかば, この歳入が都市 における土地 の売却 も含んでいるために判然 としないが,牧羊地の購入 は,牧羊設備投資を 導 き, さ らに羊毛 の増産 にともな う,営業費用の増加 を もた らしたことを考え ると牧羊業全体の投資動向を決定する要因であ ったと言える 牧羊新設備投資 の動向 と営業費用の動向については後節で考察す ることにす る。

公有地売却政策 の結果, 1903年 にオース トラ リアでは, 土地の総面積の う ,45.30%が,公有地 として売却 されずに残 っていた。残 りの54.70%は,す でに売却 されるか,賃貸 された土地であ った。 なかで もN.S.W.,88.89%

の土地が,売却 (24.57%)されるか賃貸 (64.32%)されてお り,残 りの11.11%

が公有地 として残 って いるにす ぎなか った。次 に公有地 の残存面積 が多いの は,クイ ンズラン ドの31.15%であるが,ここでは売却 された土地 は,3.97% す ぎず,売却面積 でみて も1903年末 においてN.S.W.49百万 エーカーに 対 して17百万 エーカーだけで28),土地 のほとんどが賃貸 された土地であ った。

この事実 は, この地域の牧羊業 の土地投資を軽減 したという意味において注 目 される。 ビク トリアの公有地 と して残 っていたのは,3948%で,売却 された土 地が,43.60%で,面積 にす るとN.S.W.についで大 きい。両植民地 の売却面 積 は,オース トラ リアの売却総面積 の6割 に達す る あえて ここで強調 したい ことは, クイ ンズラン ドの土地売却が きわめて少 なか ったことが, この地域 の

27)T・A・Cogh lan,TheWealthandPrlDgreSSOfNew South Wales,1900‑01,p.

452.

28)T.A.Cogh lan,A StatisticalAccountofAustylaliaandNew Zealand,1903‑

4,p.342.

(10)

牧羊投資を比較的低水準 に導 いた ことであ り, この点 は,後 にクイ ンズラン ド 牧羊業 の性格 を特徴付 けることにな った と考え られ る。29)

(2)牧羊地帯の分布 と牧羊生産額

オース トラ リアの羊毛生産地域 は,南緯 20度か ら南緯44度すなわち南回帰 線 の ほとん ど南 に位置 して いる 東部 オース トラ リアで は,東 は分水嶺山派 (GreatDividing)の高原 によって,西 は乾燥 ステ ップによって挟 まれ る地域 である クイ ンズランドの羊毛生産地域 は,内陸の草原地帯 に横 たわ り,N.S.

W.とビク トリアでは,分水嶺山派の西斜面 と高原で生産 されてお り, この地 域がオース トラ リア最大 の生産高 を誇 っている。南 オース トラ リアと西 オース

ト̲ラ リアで は,海岸 と内陸の乾燥 した半砂漠 ステ ップによ って制限 されてい る。一般 にこれ らの地域 は,温暖湿潤気候 ・西岸海洋性気候 ・ステ ップ気候 に 位置 し, これ らの気候の植生 は,熱帯の半乾燥 ・半湿潤の植生 よりも牧羊 に適

している30)

2は,東部オース トラ リア3州 の羊数 の変化 を示 した ものであるが, これ によ ると1830,40年代 の ス コッティ ング時代 の急増 を別 とすれば,1860

70・80年代の30年間に飛躍的な増加を示 した。だが,1890年代 の後退期 には ぼ半減 し,一応 の回復を見 るのは1910年代 に入 ってか らで,その後 も不安定な 変化 を示 し, 安定 した推移を示すのは, 1930年代 に入 ってか らの ことであっ

。 31)

19世紀後半 の牧羊業 の分布 と生産規模 の変化 につ いて,Butlinの東部3 の羊数 の統計 を基 に検討す ることにす る。 32)1862‑1892年 の30年間 に羊数 は,

29)Butlinによれば,牧羊投資は,基本的には資本 と土地 の結合を確立 し,牧羊業者 の 社会 ・経済的地位を変え,人間関係や不動産経営の基本的諸変化,地方経済 におけ る労働諸関係の新 しい形を生み出 した。これ とともに牧羊投資 は,貯蓄 とイギ リス 資本の牧羊設備への流入 によって牧羊業者 と金融諸機関 との諸関係 に特殊 な形態 を もた らした (N.G.Butlin,TheGrowthofRuralCopital,pp.322‑323)0

30)R.J.Williams,RegionalDifferencesinClimateandHerbageProduction,A.

Barnarrd(ed.),op.°it.,p.161.

31)N.G.Butlin,DistributionofSheepPopulation,pp.300‑307.

(11)

金融機関の不動産管理と牧羊業の構造変化

2 東部オーストラリア3州の羊数の変化 (1860‑1957年)

(単位 百万頭) 91

1860 1870 1880 1890 1900 1910 1920 1930 1940 1950 1960 資料)N.G.Butlin,InvestmentinAustralianEconomicDevelopment,p.65.

17百万頭 か ら90百万頭‑5倍以上増加 したが, その分布 も同時 に変化 した。

その分布 の主要 な変化 は, ビク トリアが相対的 に停滞 した結果, その地位が第

3位 に低下 した こと, これに対しN.S.W. 1860年代以降急速 に拡大 し,東 部 オース トラ リアの羊 の3分 の2を 占め るにいた り, クイ ンズ ラン ドが 1880

年代 に入 って急速 に拡大 し,1892年 にその4分 の1に達 した ことで あ った。

1860年代初頭 まで,牧羊業 は,緑 の多 い多雨地帯 に依存 していたが,その後 こ の河川地帯 か らN.S.W.の西部 ・北西部 の広大 な半乾燥地帯 とクイ ンズラン

ド中西部へ広が った。 33)

3は,東部 オース トラ リアの牧羊地帯 の分布 を示 した ものである。以下,

32)Ibid..

33)Ibid.,pp.284‑286.

(12)

3 牧羊地帯 の分布

荏) 斜線部分が主要 な牧羊地帯 である。

資料)N.G.Butlin,InvestmentinAustllalianEconomicDevelopment,p・64・

(13)

金融機関 の不動産管理 と牧羊業の構造変化 93

少 し詳細 に各地域 め牧羊地帯 の分布 を考察 してみることにす る。N.S.W. は古 い開拓地である東部地区,中部地区,西部地区に分 けられ るが,東部地区 (Ⅰ) は最初の15年間に半減 し,1880年代 にN.S.W.羊総数 に占めるシェ アーは低下 した。中部地区 は急成長 し,1875年 までにN.S.W.め半分の シェ アーに達 し,1880年 に68%に達 した。この地域 は,さ らに3つの地域 に分 け ら れ,北部 (Ⅳ)は多雨な冬 と年間平均 した雨量 を持っ地域であるが 34),長期干 魅以前 ・以後安定 した増加 を示 した。中部 (Ⅲ)1870年代以降拡大 しN.S.

W.で最 も羊 の多 い地 域 で あ る。 南部 (Ⅱ) は南 は ビク トリアの リベ リナ (Riverina)に隣接 し35),夏 に雨が少 な く冬 に1‑7カ月雨期があ り,植生 はあ か しや ・低木のステ ップによって構成 されてお り36),1870年代以降後退 した。

西部地区 (Ⅴ,Ⅵ)の牧羊業 は,1860‑70年代 に急速 な拡大をみ,1880年代 の

始めに3分 の 1に達 した。 37)

クイ ンズラン ドでは,ブ リスベ ン西 ・北部のダウンズ(Downs),コスクール (coastal)地区は38),牧草 の生育 に適 した暖かい冬 と高温の夏があり39),1870

年代以降減少 し, この地域の西部 の ミッチェル (Mitchell), ワ レゴ (Warre‑

go),マ ラノア (Maranoa)(Ⅶ),1870年代以降拡大 した。結果 として,1879

年 までにコスタール地区 は, クイ ンズラン ドの羊総数の過半か ら5分 の2に減

少 し, ミッチェル ・ワレゴ ・マ ラノア地区は,全体の過半 に達 した。 40)

ビク トリア牧羊業 はポーラン ド(Portland)‑ ミル トン(Hamilton)の北部

34)R.∫.Williams,op.°it.,pp.165.

35) リベ リナ地域 の牧羊業につ いては次の研究がある。 0.B.Williams,Riverina andItsPastoralIndustry,1860‑1869,A.Barnard(ed.),op.cit

36)R.∫.Williams,op.°it.,p.164.

37)N.G.Butlin,DistributionoftheSheepPopulation.,p.287.

38) ダ ウ ンズ地 域 の牧 羊 業 に関 して は次 の研 究 を参 照 され よ。D.B.Waterson,

Squatter,Selectors,and Stwekeeper,Sydney University Press (Sydney, 1968).

39) R.∫.Williams,op.°it.,p.167.

40)N.G.Butlin,DistributionoftheSheepPopulation,p.291.

図 2 東部オーストラリア 3 州の羊数の変化 ( 1 860‑1 957 年)
図 3 牧羊地帯 の分布
表 1 牧羊業の収益動向と投資動向 ( 1 8 6 1 ‑9 2 年) ( 単位 百万 ポ ン ド) N. S. W. の 外部 資金 土 地売 却 依 存 度 ( Ⅹ) Ⅸ/Ⅶ( %)髭㈲新形畜場仰家増益Ⅵ純一利Ⅴ冊子払叩利支羊毛家畜屠営 業営 業経 常収益殺収益収 益費 用利 益(I)(Ⅱ)(Ⅱ)I+Ⅱ(Ⅳ)(Ⅴ)Ⅲ‑Ⅳ 紗 製 霧 Bg O 剖 替 掛 澗 描 t 好 朝 練 8 義 和 槻 Jt: b iF.7.2.5.5.3.9一.4.7.77679363533135310241107001321
表 3 は, TheBankofNew Sout hWal e s( N.S.W.Bank) の牧場所有権 の移動状況を示 した ものであ るが, これによると 1 8 7 9 年 と 1 8 8 2 年 に所有権の 移動が増加 した 。1 8 7 9 年 の R .H.Shaf f e の For tCont ant i ne 牧場 は,銀行 の 同意の基 で商人 の抵当権行使 により売却 され, F
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参照

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