︻ 学位申請論文題目 ︼
焼 山
贋
士山
菅原道真研究 j
﹃菅家後集﹄所載の作品論と編纂事情考(注釈を通して
)j
︻ 論文目次 ︼
序[論文概要 ]
第一部
[ 作 品 論 ]
﹁
1
太宰府諦居一期 .
﹁ 叙 意
一百
韻 ﹂
﹁ 秋 夜 ﹂
﹁突 奥州 藤使 君﹂
﹁讃開元詔書﹂
﹁慰 少男 女﹂
﹁
2
太宰府諦居 期
二.
﹁ 東
山
小雪﹂﹁雪 夜思 家竹﹂
﹁ 梅 花 ﹂
昌 泰 四 年 ( 九
O
一) 春 5 延
喜元 年 ( 九
O
ニ 秋
﹂ 延 喜
元 年 ( 九 O ニ初冬 1 延
喜二
年 ( 九
O
二) 早
春 ﹂
﹁
3
太宰府諦居三期
.
延喜 二年 (九
O
二)
春
1
延喜 二年 (九
O
二) 冬
﹂
﹁官 舎幽 趣﹂
﹁ 偶 作 ﹂
第二部
[ 編 纂 事 情 考 ]
第三部
初 出論文一覧
後 集
﹄ ︻ 注 釈
︼ 関
連 論
文 一
覧 ]
序[論文概要]
qu
︻ 論文概要
︼
f
口 問
今回︑研究対象とした﹃菅家後集﹄の概略として︑小島憲之氏の言及を以下に引用する
︒
﹁醍 醐天 皇の 代に なっ て五 年目
︑昌 泰( しよ うた い)
︑四 年(
九
O
一) 正月 二十 五日
︑五 十七 歳の 道真 は突 然罪 を問 われ
︑ 太宰 権帥 (だ ざい のご んの そち )に 左遷 され て都 を追 われ た
︒上
流貴 族を 流罪 にす る時 は左 遷の 形を とる こと にな って おり
︑ 道真は事実上大宰府に流されたのである
︒﹃扶桑略記﹄によれば︑道真を重用した宇多上皇はこの知らせを聞いて急ぎ参
内し天皇を諌止しようとしたが︑警備にはばまれて門内に入ることもできなかったという
︒運命を一変させたこのできご
とか ら約 二年 の後
︑延 喜三 年(
九
O
三)二 月二 十五 日︑ 道真 は配 所で の苦 しい 生活 の末 に死 を迎 える が︑ その 聞の 詩集 は
﹃菅 家後 集﹄ とい う名 の詩 集と なっ て今 に伝 わっ てい る
︒﹃
菅家 後集
﹄は
︑そ の奥 書に よれ ば︑ もと
﹃西 府新 詩﹄ (﹁ 西府
﹂は 都 から西方にあたる大宰府)と題され︑死に臨んだ道真から封印して紀長谷雄に送られたという
︒﹂
(日 本漢 詩人 選集
﹃菅 原道 真﹄
一四 一
1
一四二頁)
‑4‑
と説 明さ れて いる のが 本稿 で取 り上 げる 作品 群で ある
︒ この﹃菅家後集﹄中太宰府諦居時代に詠作された﹁五言自詠﹂から﹁諦居春雪﹂までの作品三十九首の注釈作業を
通して︑作品の内容から大きく以下の三
期に分類し︑菅原道真の詠作姿勢を探る試みをした
︒
﹁
1 .
太宰府諦居一期﹁
2 .
太宰府諦居二期
﹁
3 .
太宰府諦居
三期
昌泰 四年 (九
O
ニ春
1
延喜 元年 (九
O
ニ秋
﹂ 延喜 元年 (九
O
ニ初冬
1
延喜二
年 (
九
O
二) 早
春 ﹂
延喜二
年 (
九
O
二) 春
1
延喜二年 (
九
O
二) 冬
﹂
この分類に属する主要作品を具体的に考察しその作品論を通してその期の菅原道真の詠作姿勢の特色を概観する ︒
1
昌 期
九
O
九
O
一 )
秋 ﹂
この自泰四年は七月十五日に﹁昌泰﹂が﹁延喜﹂に改元されている
︒(﹃日本紀略﹄醍醐天皇︐昌泰四年七月十五日の
条に︑﹁改昌泰四年為延喜元年﹂とある
.)
この 年に は﹁ 絞意
一百韻﹂を始めとする﹁詠楽天北窓三
友詩
﹂﹁ 央奥 州藤 使君
﹂
等二十韻以上の長編の大作が矢継早に詠作されている.いずれも秋までに詠まれたものだと考えられる ︒右大臣の地位
から突
如として職を解かれ︑太宰府に左選させられたその現実を直視出来るだけの精神的余裕を持ち得ず︑それをど
う受け入れれば良いのかに苦悩する︑その痛々しいほどの心の葛藤が作品の根底に流れているものが︑この期のものと考 えられる
︒ 5
ここ では
' 一
百 韻
﹂
て作品論を展開する ︒ ﹂の長編
二大
作及 び寸
刺割
引
'‑
﹁尉
州期
刻﹂
の三首を取り上げ
2
O
九 延初冬
1 E
二期
O
九この 期の 作品 とし ては
﹁東 山小 雪﹂ から
﹁梅 花﹂ あた りの もの を想 定し てい る
︒この時期︑延喜元年の冬を迎える頃か
ら道真の詩風に変化の兆しが見えて来るように思う︒具体的なこの期の道真の詩の傾向として次の二点を指摘するこ とが出来る
︒﹁1
.
太宰府諦居一
期﹂時に詠まれている作品群に比して道真自身が︑精神的に或る種の安定が見られる よう にな った こと が大 きい と恩 われ るが
︑﹁ 自然 の事 物﹂ を﹁ 事物
﹂と して 見つ める こと が出 来る よう にな り︑ その
﹁事 物﹂ に﹁ 自己 の感 情移 入﹂ を図 る作 品が 目立 つよ うに なる 点が
︑ま ず
一点目である
︒そ
して その
﹁自 己の 感情
﹂と は︑ 主に
﹁望 京の 念﹂ と換
言し
ても よい
︒
そし て二 点目 は︑ 道真 の得 意と する
﹁見 立て
﹂の 技法 を駆 使す る作 品が 目立 つ点 であ る
︒こ
れは 道真 の﹁ 詩人
﹂と して の 自負︑執念なるものが或る種の精神の安定期を迎え︑表出した事象とも言い換えられる
︒
ここ では
﹂寸 糊相 刊
の三首を取り上げ考察をする ︒
‑6‑
三期
延
円 九
O 一 d
円 九
O
~
'‑
この 期の 作品 とし ては
﹁奉 央吏 部王
﹂か ら﹁ 偶作
﹂を 想定 して いる
︒こ
の期 の作 品群 の特 質と して 次の
二点
を指 摘し たい
︒
そ の 一 つ は︑
﹁仏 教へ の傾 倒﹂ であ る
︒死
期の 近い 事を 悟り つつ ある 道真 にと って 死後 の世 界に 心の 安泰 を求 めよ うと
︑ 仏教 に心 の支えを得んとする姿勢がより鮮明になり︑仏教用語が詩語として多用されているのがこの期の作品の特徴 とう つる
︒
そして二点目は一点目と深く関わるが︑死期の近い事を自覚しつつ︑我が日々の諦居生活に何の好転も見出せないこ とから来る諦念︑もしくは意識的にそうしようとする﹁則天去私﹂とも言うべき心情に裏打ちされた詠作姿勢が見ら れる 点で ある
︒大曽根章介氏の
昔 因 わ れる﹁現世の苦悩を払拭し超俗悟脱の境地に近づこうと真撃な努力をしながらも 遂に果すことの出来ぬ弱い人間の姿が現れている
︒﹂や﹁心情を率直にしかも平明流麗な語句で表現した晩年の詩篇は
至純 最高 の詩 境に 到達 した もの とい えよ う﹂ と指 摘さ れて いる 事が 主に この 期の 作品 を指 して いる もの と思 われ る︒
、 、
ここ
では
寸 倒 桐 山 二作品を取り上げ作品論を展開する︒
菅原道真の太宰府諦居時代に詠作された作品は巻頭の﹁自詠﹂から巻尾の﹁摘居春
雪
﹂ ま
で
三
十九首残されている
︒
それらの作品は今までほぼ制作時順に配列されていると考えられて来た
︒
‑7‑
今回取り上げて考察を試みた作品以外を含む全作品の注釈をし終えて見えて来たのは︑概ね︑制作時順に配列の 方針 を取 りつ つも
︑そ こに 菅原 道真 の後 世に 自己 の生 き様 を託 そう とす る意 図の 基に この
﹃菅 家後 集﹄ が編 纂さ れて いる
ので
はな
いか
とい
う事
であ
る
︒と
りわ け巻 尾の 寸剰 周割
雪山
にそれが顕著であるように思う
︒
今ま
でこ
の詩
を辞
世の
句だ
とい
うと
らえ
方が
定説
のよ
うに
なっ
てい
る
︒ところが︑太宰府調居中に詠まれた作品の注
釈を
施す
作業
を続
ける
なか
で︑
この
巻尾
に置
かれ
てい
る﹁
調居
春雪
﹂は
本当
は辞
世の
詩で
はな
いの
では
ない
かと
いう
疑問
が生
じて
来た
︒本稿でその疑問に対する筆者の見解を提起し︑更には太宰府の地より︑盟友紀長谷雄に託した﹃菅家後
集﹄
の編
纂事
情の
一端を考察した
︒
矧 ヨ 剖
l
初 出 論 文 一
覧 質 例閣﹃菅家後集﹄︻注翠関連
論文
一 覧
]
本文 考察 に挙 げる 作品 群は
︑以 下の
﹁凡 例﹂ にな らう
︒
凡 例
‑"8‑
一︑底本には︑川口久雄氏が岩波古典大系本に採られている︑﹁前田家尊経閣所蔵本﹂を用いた
︒
一︑
原詩 のみ 正字 で載 せ︑ 語釈
・
通釈等は現代かなづかいを用いた︒
一︑注釈にあたり︑菅原道真の﹃菅家後集﹄の作品番号は︑川口久雄校注︑岩波日本古典文学大系本のそれにならい︑参
考として引用した嶋田忠臣の﹃田氏家集﹄の作品番号は︑内田順子編﹃田氏家集索引﹄に拠り︑紀長谷雄の漢詩文の作 品番号は︑三木雅博編﹃紀長谷雄漢詩文集並びに漢字索引﹄に拠った
︒又白居易の﹃白氏文集﹄の作品番号は花房英
樹著
﹃白 氏文 集の 批判 的研 究﹄ のそ れに なら った
︒
第一部
[ 作 品 論 ]
﹁
1
太宰府調居一期 .
﹁ 紋 意
一 百
韻 ﹂
﹁ 秋 夜 ﹂
﹁ 央 奥 州 藤 使 君 ﹂
﹁ 讃 開 元 詔 書
﹂
﹁ 慰 少 男 女 ﹂
昌 泰 四 年 ( 九
O 一 )
春 i
延 喜 元 年 ( 九
O 一 )
秋 ﹂
‑9‑
ここ では
﹁紋 意一
E
嗣 ﹂上げて作品論を展開する ︒
の長 編
二大
作及 び↓ 刺剖 日
﹂の 三首 を取
‑10‑
この 昌泰 四年 は七 月十 五日 に﹁ 昌泰
﹂が
﹁延 喜﹂ に改 元さ れて いる
︒(
﹃日 本紀 略﹄ 醍醐 天皇
︐昌 泰四 年七 月十 五日 の条 に︑
﹁改 昌泰 四年 為延 喜元 年﹂ とあ る. )こ の年 には
﹁叙 意
一百
韻﹂ を始 めと する
﹁詠 楽天 北窓 三友 詩﹂
﹁央奥州藤使君﹂等二十韻以上の長編の大作が矢継早に詠作されている.いずれも秋までに詠まれたものだと 考えられる
︒右大臣の地位から突如として職を解かれ︑太宰府に左遷させられたその現実を直視出来るだけ
の精神的余裕を持ち得ず︑それをどう受け入れれば良いのかに苦悩する︑その痛々しいほどの心の葛藤が作品 の根 底に 流れ てい るも のが
︑こ の期 のも のと 考え られ る
︒
り
‑ 菅原道
真
の太宰府時代の漢詩﹁絞意
一 百韻﹂の構成論考
│ │
﹁
銭 意一百
韻 ﹂ の 重 層構造についての考察 一
試論
│
│
{ 注
1
} {
注5
)
先の拙稿で筆者は谷口孝介氏の著﹃菅原道真の詩と学問﹄の中の一文を引用しながら次のような見解を提起した ︒
‑[[ .o
、
﹁そ れは
J﹂
の﹁ 絞意 一百韻﹂の詩句内容が重層構造になっているのではないかHという点である ︒ つまり︑この﹁絞意一百韻﹂は︑道真の意に反して僻地の太宰の地に左遷された﹁天涯孤独﹂の絶望的な状況 の中で詠まれた作品である ︒従って︑道真の心を慰むものは同境遇の人々の生き方に倣うしかなかったのでは ないか
︒しかもそれらの人々は道真の置かれている状況から考えて中国古典籍の中にしか求め得なかったはずで
ある
︒故にこの作品中には︑多くの古人の事例が散りばめられている ︒この点からいえば︑この﹁絞意一百韻﹂
は︑道真の博学多識な事を︑改めて読むものに印象付ける作品ともなっている ︒こうした詩句の中に込められた 中国古典籍の故事・逸話・事例を丹念に読み解く作業を通してこの作品の意図するものを表出させるやり方が求 められる一方で︑先に引用した谷口氏の指摘されている︑白居易・元積の﹁東南行一百韻﹂﹁酬楽天東南行詩一
百韻﹂両詩からの投影を念頭においた︑道真の詩句内容の深層的なところの分析も求められる ︒そうしたものを
重層させて考察した中から初めてこの﹁紋意一百韻﹂で道真の言わんとするものが見えてくるのではないかとい
う考え方である
︒ ﹂
(菅原道真研究││﹃菅家後集﹄全注釈(十四
)1
三O
頁1
三十二頁1 )
そこで筆者は︑この﹁紋意一百韻﹂を複数回に分けて︑前者の分析方法である﹁字句﹂そのものに込められている
( 注 2 )
中国古典籍からの投影の指摘を主眼に注釈を進めて来た︒
このことを踏まえて今回︑改めて本詩に採られている出典の分析及び︑全体の構成・全編に流れる詩情等の分析を
試み︑更に深層に秘められているものを探りたいと思う ︒
2
まず︑この作品を字句の考察を主眼に読み解き︑改めてこの作品の構成を考察してみると︑判制倒のゴ刊閥剖で︑
構築されているという結論に達した ︒以下︑そのことを一段落ずつ例示して行きたい ︒
この
OO
句全篇は︑道真自身の京から突如太宰の地への左遷が決行された二二月から︑この詩の制作されたと想定される秋の九月まで︑季節で言うと︑春・夏・秋の道真自身が目にした実景を通し︑それを基軸として︑時折々の心
象風景を︑布をつむぐように織り込んでいく句作りがなされているように思える ︒そこには中国の古典籍を効果的に
織り込みながら詩空間を拡げつつ鰍密な構想のもとで句作りがなされており︑決して感情のおもむくまま激情を紙に
書きなぐったような類の作品ではない事を以下に実証してみる︒
この冒頭十句では︑太宰府左遷が決行された事情・事態が説明されている
︒この段は一
0 0 0 0
十段﹂と呼応をなす構成と考える
︒ ︻一段︼
一句
カら
一
︒
句の﹁
二
一句自の﹁生涯定地無し﹂二句自の﹁運命皇天に在り﹂は︑一九七句﹁分は
糾纏 に交はるを知る﹂一九八句﹁命は誼ぞ産等に質さん﹂と対崎させることで道真の一言わんとしていることがより鮮明と なる構成法を意図していると考える
︒
生涯無定地
無 し 生 涯
定地
2
運命在皇天
運 命 皇天に在り 3
職出
旦圃
西府
職
一13
宣 西府を岡んや 4
名何替左遷何ぞ
左遷に替らんや 名 5
反降軽自芥
庇降せらるること
芥より軽し 6
駈放急如弦
駈放せらるること
弦より急なり 7
換殻顔愈厚換綴して
愈いよ
厚 し 顔 8
章狂鍾不旋章狂して
腫 施らさず 9
牛神
円皆
培葬
士自 穿 牛 湾 皆 10
鳥路惣鷹鴫
鳥路
惣 て 鷹 鴎
︻二 段
︼
この十句では︑﹁春﹂
の時候を基軸にして左遷先である太宰府への道中の心情
・情 景 の 概 観 を 詠 う
︒
十三句白から 十六句目で﹁太宰府に着くまで︑
とりわけここでは︑京での別離の情景と心情﹂を︑萄の猿の故事と︑同じく萄の 望帝の化身であると騰の故事を響かせて︑それがいかに非情で︑過酪なものであったのかを言外に込めた詠いぶりと なっている 11
老僕長扶杖 12
疲鯵 数曲 目鞭 13
臨岐腸易断 14
望闘眼終穿 15
落涙欺朝露 16
時叩 撃飢 杜鴎 17
街衝塵霧寡 18
原野草竿竿 19
侍送蹄傷馬 20
江迎尾損船
老 僕 疲 鯵
数しば 長
岐に臨みて 闘を望みて
杖に扶けらる 腸 鞭を費す
断へ易し
‑14‑ 限
将に穿んとす 落涙︑朝露を欺く 時
重華
街衡に塵 停は送る 原野に
江は迎ふ
杜鴎を乱す 草 寡霧たり
竿芋たり 蹄の傷める馬 尾の損する
︻三段︼
︻ 四 段︼
この 十句 では
︑ 二段に続いて左遷先の太宰府までの道中の懐古と太宰府に到着した直後の心情を赤裸々に詠う
︒
21
郵亭
徐五十
五十に余れり 郵 亭 22
程里半
三千
程 里 三千に半なり 23
税駕商機下
南棲の下 駕を税す 24
観み宛
f
車る 然
f
を者 た 停 り む
E υ
停車右郭漫
右郭の漫 25
宛然開小閣
精t 肥虚~ p匝
瞬
f t
膚 努f
吐はーは.し し
幾
1
争E
て てど内ひ、脚 胸 退か 磨まて 且か猶な肝
f
小研
1
刻;つ ほ に 閣鍍
f
賂 逆. 3
満みをす め ら つ 開 り ひ る け を ば 26
観者満還肝 27
幅吐胸猶逆 28
虚発脚
E
熔 29肥膚争刻鐙 30
精暁幾磨研 この十句では︑太宰府到着後︑諭居に移るまでの状況を記す
︒三 十一句・三十二
旬 ︑
三十三
句・
三
十四句の詩内容 は︑いずれも太宰の地での到着から諦居に移るまでの状況︑つまり太宰の地に着
いて仮に与えられた宿所から数日を
経て荒れ果てた︑これからの宿舎となる官舎に移る︑
その心情を詠んでいるものと浬解したい
︒
︻
五 段︼
31 信宿常務泊村 低ご信
i
翁 迷
f
宿与往 は は〈
事 即 常 を ち に 談
t
倒i
爵きり 懸
1
泊f l
て 32
低迷即倒懸 33
村翁談往事
34 客館忘留連
悪 妖
f
客名 害?::館 は 何 留 遂 に 連 に 因 を 錫
2
り 忘 か て る ん かと 避 欲 け す む
35
妖筈何回避 36
悪名遂欲錫 37
未曽邪勝正
移ぅ或 未
徒つは だ る 質 曽 は を て 以 邪 て は 権
Z
正に に 帰 勝 す た れざ ど 38
或以寅帰権 39
移徒空官舎
朽
ち 空た し
る き 采
t
官 橡Z
舎‑16‑
40
修管朽采橡
修管す この十句では︑四段より続いて︑太宰府調居の描写とその心境を詠う
︒
41 荒涼多失道
鍛主井 康j荒 枯き委主表す涼
』
7 T
が 塵:と? つ に し そ てい盈みて 肋 沙主つ 多 立 を;る く
通堆 1
こ 道h くかと を
そ し 少 失 帽 ていし ふ
苦手
42 庚表少盈腫 43
井墾堆沙楚 44
鱗疎割竹編
45 陳根葵一
一畝
斑日陳
E
蘇
t
根i
の の .石 葵
5
孤ニー 拳
1
畝よ46 斑蘇石孤拳 48
入居就不俊
己 時 人 物 を にι 居 色 恕
2
随E
留し ひ"就 っ て て い て
檎Z編
2
てあ奮安 切
1
俊2
に便 な らまのよ
な り ず る
り と
~/Ê も
47 物色留の奮 49
随時雄編切 知 恕 己 梢 安 使
︻六
段
︼
この十句では︑太宰府諦居での生活においての精神状況を詠む
︒
太宰の地に着いて荒れ果てたこれからの宿舎とな る官舎に移る︑
その時から新たに始まる精神的苦痛︑孤独感︑疎外感︑寂参感︑そして何よりも辛かったのは︑こう
17
した厳しい現実を︑現実のものとして受け入れなければなかった苛酷な現状ではなかったのか
︒
その道真が心の支え として得ょうとしたものは︑この今の苛酷な現状と類似した体験を持つ︑過去の偉人たちであった
︒
そして︑それに 倣い︑追体験をする以外に︑今の自分を鼓舞できるものは存在しなかった所に︑この詩を創作しようとした時に発想 を得たと思われる白居易らのそれとは全く異なる︑﹁道真の筆舌に尽し難い孤独感があったこと﹂を改めて想起する 必要があるのではないだろうか
︒
引句﹁同病求朋友﹂や兄句﹁助憂問古先﹂は︑日句﹁停築綴漫綱﹂に込められた﹁侍説﹂
の故事の出典である﹃史
記﹄等の一文の内容であり︑﹃孟子﹄﹁告子章句下﹂
の一文の内容に他ならない
︒とりわけこの﹃孟子﹄の一
文 が 道 真 をどれほど勇気付けたものであったか︑想像に難くない
︒そして更に︑
日句の﹁沼舟湖上扇﹂に込められた﹁市議﹂
の故事を理解すれば︑権力者の圏外に自分の身を置くことの出来なかった我が身の無念さが︑一層際立ってくるので ある ︒そしてこの道真の︑古人に求めるものは︑
幻句の﹁長沙沙卑潟﹂に込められた買誼の故事や見句目の﹁湘水水 務漆﹂に込められた屈原の故事の世界なのである ︒ 句内容と呼応しているものであり︑同じくM句目の﹁富貴本漣遭﹂
あわ せて
︑ 日句の﹁才能終楚剥﹂の意味するものは︑﹁侍説﹂の故事が理解できれば︑日句自の﹁侍築巌漫縞﹂
の
の意味するものは︑%句目の﹁誼舟湖上扇﹂
句の
内容である﹁沼議﹂
の故事と見事に呼応している句作りになっていることも見逃してはならないと思う
︒
51 同病求朋友病を同じくして朋友を求め 52
助憂問古先
湘ら長:沼日侍e 富 才 憂
うが が 貴 能 を
tk
t
沙さ舟 築 本 終 助Z Z z 詰晶通i 量 1 1
爾工卑 上 浸
2
遺ん剥7
古j祭
f
湿 に に 先扇
2
縞; をな し 問
り ふ
‑18‑
53
才能終楚剥
54
富貴本通運
55
侍築巌漫縞
56
活舟湖上扇
57
長沙沙卑湿
58
湖水水務漆
59
我を爵して空しく品を崇くす
爵我 空崇 口問 60
誰をか官としてか只︑員に備ふ官誰只備員
︻七 段
︼
この十句では︑春から初夏への季節の移行を基軸に︑太宰府調居の生活における精神状況を描写する
︒
ここ では
︑ 気持ちの転換をはかるべく︑太宰の風土に自分自身を順応させようと努めたことを強調する
︒
それが﹁八段﹂以降 で全て裏切られる状況であったことの伏線として機能している句作りである
︒
六 十 一旬
︑ 六 十
二句の﹁故人﹂﹁親族﹂
はいずれも実在の人物を想起した詩語ではなく比喰表現として使用されているものと理解した
︒
61 故人分食噸
親 族 は 衣 食
を を
把と分
つ け て て
満
f
母校i
ふ は
し め 故 人 62
親族把衣揃 63
既慰生之苦
‑19‑ 65
春掻由造化
荏
I
付Z
春主何 既蒋
f
度?融4
ぞ にと は 古 い 嫌 生 し 陶
1
1 t は のて 耳
1 程 内 苦
青 L H
陽 委
t
に 死 み議 す
P
の をく 旬 遇
Z
慰や む か な ら ざ る と を 64
何嫌死不遇 66
付度委陶瓢 67
荏蒋育陽登 68
清和朱景折
習 土 清 俗 風 和
相a
須 ; さ
沿ぷ く五京4
ん込漸
f
がf i
と 漬L なL
擬Y な り
す り 69
土風須漸漬 70
習俗擬相沿
︻八 段
︼
この十句では︑﹁七段﹂を受けて太宰府諦居の生活描写︑とりわけ太宰の地の風俗を︑徳化の及ばぬ無法地帯化し
(注
3}
ている悲惨な様として︑実風景を通して詠う
︒
この句には︑既に川口久雄氏や金原理氏に指摘があるように白居易が︑
﹁東 南行 一百韻﹂で︑江州司馬に隠されその江南地方の風俗を描いている句内容の投影が強く窺える
︒
71 苦味塩焼木
邪
E
苦鳳
t
味の の 布 塩銭ぜ 、
に
に 木 賞ぁを つ 焼 き 72
邪一 厩布 骨田 銭 73
殺傷軽下手
殺傷軽しく手を下し 74
牽盗穏差肩
76 筒肝 筆換 叩舷
飽守行
i
貧f
算ご魚f
牽爆し濫
Z
童書t
箪t f
持t
盗方
3
官 販 舷Z出足穏に 綿 米 色目し ゃ
臭 と を 1 て か
を し 輿 ノ 釣 に叩 遺 て し
λ
を 肩し 貢 晶 垂 を
す 守 れ 差
。 す
‑20‑
75
魚袋出垂釣
77
貧禁輿販米
78
行濫貢官綿
79 飽時 昨方 遺臭 80
琴聾未だ絃を改めず 琴聞 耳未 改絃
巳上十旬︑傷習俗不可移(刊本により補う)己上の十旬︑習俗の移すべから︑ざるを傷む
︻ 九 段 ︼
この十句では︑﹁初夏から梅雨﹂の時候を基軸に︑﹁太宰府諦居の生活の実景描写﹂がなされている ︒
八十九句
・九
O
句には︑白居易・元穏の句内容からの投影が強く窺える
︒
{十
段
︼
野ゐ蛙ぁ魚
f
農t
欝3
唯2
誰竪
L
児L
観土炊t
蒸5
濁 とた4 り 輿
i
り 肱?に
陰工を か 霧
l
曲 口の げ を
雨 て 開 眠 き る て 説 か
む 飢 痩
ゑ せ て で
は はめ薄
l f
雛
1
雌会館Z
を をりを 嚇 失 作 す ふ る 鳶 鶴
』こ』こ
類?同
へ じ
り
81
輿誰関口説
疏そ階?:竃
f
煙菜
t
瓢Z
釜4・をを に治に 断
イ
共 括
5
生な絶す しする す
‑21‑
8 2
唯濁曲肱眠
この十句では︑﹁梅雨の合い聞の晴天﹂の実景を基軸に︑
その実景と呼応するかのように気持ちの転換をはかるべ
83
欝蒸陰霧雨
く﹁老荘の世界﹂に身を置こうとする心象風景を描く
︒
84 農炊断絶煙 85
魚観生竃釜
86
蛙児精階瓢
87
野賢供読菜
88
防児作薄飽
慨し
児じ
89
痩同失雌鶴
90
飢類嚇雛鳶
︻十一段︼
91
壁堕防奔溜
渥 堕
3
に れ し て
て 奔
2
濁?溜
1
1
局1
を を 防 導 ぎく 壁
92 庭埋導濁渦
庭 93
紅輪晴後縛
晴 後
饗
i :
縛ぐ じ 紅 輪
9 4
翠幕晩来饗
晩 来 翠 幕 95
遇境虚生白
境 過しミ
て は
暗2:
く 虚 玄:自 に を 入 生 る じ 96
遊談暗入玄
老 遊 君 談
迩
f
しを て 垂 は
る と 淡
なり
97 老君垂迩淡 98
荘受慮身偏
荘受身を慮すること偏なり 100 99
性莫訴常道
性は常道に議(そむ)くこと莫し
宗管任自然
宗は嘗に自然に任すべし
‑22‑
に我が身を置くことに飽き足らず︑﹁儒家として作詩への執着﹂を詠う ︒ここには︑﹁何 北窓三友詩﹂の中でも繰り返しうたわれているように︑﹁詩は志の之く所なり
︒
心に
在る
を士
山と
為し
︑一
言口
に発
し て詩 この十句では︑老荘の世
と為る﹂という
﹃ 詩
経﹄
﹁大 序﹂ の
一文を拠り所として︑為政者に詩という詠作を通し︑調諌する使命を持つ﹁儒家﹂
としての道真自身の我が身の再認識
・衿持が込められている
︒
単なる風流風雅をめでる心情を詠んでいるのではない
︒
101
殿動費物論
殿勤たり斉物論
︻ 十 二 段
︼ 110 109 108 107 106 105 104 103 102
治恰寓言篇
治恰たり寓言篇 景致幽於夢
風 景 情 致 の 夢 癖 よ未 り 疫ゃ幽だ も
ま か ず な り 風情癖未径
文筆何慮落
文華
何れの慮にか落つる 感緒此間牽 慰志憐鴻街
憂 志 禿
t
柑2
錆付慰を を す む し め 此る は て てひの
は 忌 仲 } 馬
f
間 重量そ誇 宣 街土に
癒
Z
に を を 牽に 触 羨 憐 か 迷 る む れ れ
え れ む た
ば ば り
な な り り
感 緒 鈴憂羨仲宣
調紺絹忌誇
調 筆禿迷負癒
筆
23‑
この十句では︑﹁儒家﹂としての持持も意味をなさない太宰の諦居生活で︑我が身の苦悩の離脱を試みようとして
﹁仏教への思い﹂を詠う ︒
そこには太宰の地で道真自身が初めて味わう長雨の続くうっとうしい梅雨から真夏の猛暑 の時候の中に身を置くことで生じた心象風景が描かれているのである
︒
113 112 III
恩?句 草
将
5
は はて 人 誰 は の に
紙 共 相 t
~'- t:'" 1ラ詰め
臨 聯 2
す み ぬ る 写 る こ す ァ と 無 得正を
し ん 草得誰相視 句無人共聯 思将臨紙写
︻十三段︼
120 119 118 117 116 115 114
よ み
つ
詠取ては燈に著けて燃す 詠取著燈燃 反覆何遺恨
漸
f
微 辛上反漸
f
々 酸i
覆輩
i
愛 是 す腹
Z
楽 れ 何を を ゐ 宿 ぞ 謝 助?縁 遣
す ち 恨
辛酸是宿縁
微々ぬ愛楽
漸漸謝輩腫
合準帰依仏
合掌して仏に帰依す
廻心学習禅
廻心して機を学習す
この十句では︑﹁盛夏から初秋﹂
‑24‑
の時候を基軸に︑﹁太宰府諦居の今の心象風景﹂を詠う ︒
具体的には仏教の世界を 希求することにより己の煩悩を排除しようと試みる
︒
そこには太宰の地の夜空に浮かぶ月と蓬の花の開花の情景に触 発されてのそれであると思う
︒
125 124 123 122 121
嘗
t
開?:岐i
恭〈厭E
弘ぐ敷ふ潔
2
敬f
離り し す た すうす て き 妙 り 古 今証;法 空 の の
語ごの 観 真上罪
無 蓮 の 筆
Z
網 く 月厭離今罪網 恭敬古真筆
鮫潔空観月
開敷妙法蓮
誓弘無誼語
︻十四段
︼
130 129 128 127 126
涼 熱 福 気 悩 厚 の の く 序 煩 し 愈事しにて
つま縫
f
唐1
こ に"摘
2
と 減 せ 岡 & し ず
し
福厚不唐掲 熱悩煩縫滅 涼気序岡懲
灰飛推律候
斗 灰 建 飛 し び て て 星
t
律瞳
Z
候を を 指 推 す す
斗建指星捜 この十句では︑﹁酷暑が去り︑仲秋を迎えた時候の心象風景﹂を詠う
︒百三
十八句で﹁九見桂華固﹂と詠むように︑
陰暦九月︑仲秋の名月を鑑賞する時候を迎えたのである
︒
こうした本格的秋の気配︑秋の事物に触れるにつけ︑今の
‑25‑
自分自身の置かれている事態の悲惨さ︑
そしてその事態の打破には︑京に戻るしかないのに︑
それがままならぬ心情︑
望郷の念に︑潜安仁の﹃秋興賦﹄の詩情を投影させ︑それを背景に切なく詠う
︒
136 135 134 133 132 131
へど い よ い よ せ
ま
世 路 間 た り て 禰 陸 し 世路間嫡院
家書絶不侍
鏡 帯 家 照 寛
2
書 し び 絶 て て え 華 か 紫 て 顛Z
の 停を 製品は
嘆 る ら く る ず
泣 く
帯寛泣紫毅 鏡照嘆肇顛 旅思排雲雁
寒 旅 吟 の は,思 撲
B
ひを は
抱 雲 く を 蝉 排 す 雁る 然︑ 吟抱 撲蝉
︻
十 五段︼
1 4 0 1 3 9 1 3 8 1 3 7
一逢
蘭気
敗
一たび蘭気の敗るに逢ひ
九見桂華圏九たび桂華の固なるを見る
掃室安懸磐室を掃ひて懸磐に安んず
扇門
網棚
脱鍵
門を属して脱鍵に慨し
この十句では︑秋の風物に触発されている﹁心象風景﹂を詠う ︒ここには︑わが身を百四十一・百四十二句で﹁被
鮮重有繁(披鮮重ねて繁有り)癒雀更加筆(癒雀
更に筆を加ふごと詠むように
A7
の太宰の我が身の姿を﹁披鮮﹂
﹁癒雀﹂と自虐的に形容する ︒
そこには老齢に加え心身ともに苛酷さを増す太宰の諭居生活から来る我が身の衰えと
共に︑かつて要職を拝したときに︑辞退したい旨の文書を作成した中で使った︑我が身を卑下する文言が︑今︑この
‑26‑
太宰の地で現実のものとなっていることのやりきれなさが切々と句裏より読み手に伝わってくる ︒そして昨秋は京の
地でこの秋の風物を味わっていた我が身を想起するに︑
詠う ︒ 一一層の望郷の念と現状への悲惨さが拡張されてしまう心情を
1 4 4 1 4 3 1 4 2 1 4 1
披鮮重有繁
披 鮮
重ねて繁有り
箔雀更加筆
癒 雀
更に筆を加ふ
強望垣嫡外強いて望む垣臓の外
像行戸煽前倫かに行く戸臓の前
︻十 六段
︼
150 149 148 147 146 145 山看遥練緑 水憶遠湯浅 俄頃鳳身健 等閑残命延 形馳魂侃侃 回想沸漣漣
水 山 は に 遠 は く 遥 し か て に 湯
Z
し 渓よてたん漂る 緑 を な 億 る ふ を 看 る 俄頃蔽身健やかに
等閑残命延ぶ 形馳せて魂侃々たり 目想いて沸漣々たり この十句では︑京都のことを思い出し︑官途についてからの半生を振り返り︑績堅
研
微し祖業を受け継いだ儒家
と
して︑また祖業は﹁儒林﹂
たとの自負を述べる
︒
156 155 154 153 152 151
京圏蹄
何回
故圏来幾年 却尋初管仕 追計昔鎖堅 射毎占正鵠 烹寧壊
小鮮
‑27‑
で人々の聞に高くそびえていると誇
っ
ている
︒
讃岐の国守としても立派に治め功績を挙げ 京国に帰らんこと
何
れの日ぞ 故園に来ること幾年ぞ
烹に射 迫 却
て て ひ つ は は て て 寧
2
毎 計s 1
尋 ぞL に ふ ぬ小;正
f
昔 初鮮
f
鵠f堅 めを を き て 壊
3
占 を 仕ら む 鎖きを
ん り重量
や し み
こ し と こ を と を
︻十 七段
}
160 159 158 157
州 祖 南 東 功 業 海 堂
吏り儒 百
t
一日部可林 崎
4
枝L鐙
2
宝章2
雲い折 る くぴτ
るす 東堂 一枝折 南海百城専 祖業儒林袋 州巧吏部鐙 この十句では︑分不相応に︑矢継ぎ早に︑重責の任を与えられ栄進を重ねていったことを詠う
︒
そして細心の意を
用いて帝の補佐をして来たと︑
その心情を吐露する
︒
169 168 167 166 165 164 163 162 161
臨 責 組そ光
む は 楓日策
こ 千
f
は はと 鈎
t
競 頻は の ひ にL
万
f
石 て 照1
初
l
よ 策t
耀f
の り 纏
Z
す淵 も す よ 重 もり し
深し
‑28‑
光栄頻照耀 組編 州競 策纏 責重千鈎石 臨深万初淵 具謄兼将相
余
Z
異〈日 陪
Z
ム 〈 将 i
蛮ん相
I
Z
んを母ね
兼と、 たる
と を
余日紋勲賢
試製嫌傷錦
や﹄銅
製を試みては錦を傷るを嫌ひ 操万慎絞鉛
万を操りては鉛を紋くことを慎しむ 競競馴鳳展
おそれ戒めて慎みながら︑帝の後ろの扉風に馴れるようにした
︻十八段
︼ (慎み慎みて帝に従ったものである) ︒
170
懐懐撫龍泉
危ぶみおそれながら宝剣を撫でていたのである
(おそるおそる帝に寄り添い補佐してきた) ︒
この十句では︑ますます栄進を重ね︑公私ともに政に身を置くようになったこと︑
それに対し︑不才ながらも誠
実にそして精一杯帝に仕えてきたこと ︒
又 ︑ その帝への恩に報いることが出来ないまま︑この太宰の地に流されてし
まったこと ︒
そしてこの地で終駕を迎えることになるかもしれないことへのやりきれなさと無念さを詠う
︒この辛い
心情を慰撫するものとして︑百七十九旬︑百八十句で︑潜岳・張衡の二
人の事例を﹃文選﹄の賦作品より持ち出して
‑29一
いる
︒そしてそこに表出している古人︑二
人の心情を我が身になぞらえ︑時を得ないまま︑終わりを迎えざるを得な
かった者への同情と世の不条理に一
層のやりきれなさと憤りを内在させて︑次の﹁十九段﹂に続ける内容となってい 174 173 172 171 る
履を脱ぐ黄挨の俗
脱履黄挨俗
交襟紫府仙
襟を交ふ紫府の
仙
桜花通夜宴
桜花通夜の宴
菊酒後朝鑑
菊酒後朝の娃
禁中密宴︑余毎預之禁中密宴︑余毎に之に預かる
︻十 九段
︼
180 179 178 177 176 175
号
舟 器; 守 :
.~しし て て 曲ほ巨 霊
2
引言 《
i L
わ承2
たけ器拙承豊津
舟頑済巨
川
園家恩未報
張
5
潜t
溝i
図鑑
1
岳z 1
墾T
家翠 i
宅 先 の 回にを ず j恩 を 忘 填争未 廃 る ま だ せ る ら 報ι に ん い
ネ 非 こ さ ず と る を に 恐
る 溝盤恐先填
潜岳非忘宅
張衡宣廃田
この十句では︑左遷されるに到った状況の分析とそのことに対する心情を吐露する ︒
才あるが為に却って災いに遭 う﹃文選﹄や﹃荘子
﹄ の故事を踏まえて︑自分自身の高位に登ったことが︑この今の状況を生んだと悔やむ ︒またそ
‑30‑
の災いが我が身のみならず家族︑菅家一門に苛酷なまでに及び︑今まで誠心誠意務めて来たことが却ってあだと
なっ たことを嘆き︑憤るその憤怒の念が横溢する内容となっている ︒ 185 184 183 182 181
巣 胡?有半燈 風
を 潟干し 滅きに 覆 れ く え 催主
し ぞ も て 怠 け て 腔:!営 膏
E
て椴
1 々 日 々
のヮ木ø~z とと煎い の
を し し ら 秀 僧 て て る つ
み 全 止 る る
か ま に に ら る 異 同 む べ な じ
し り
風援向木秀
燈滅異膏煎
萄可営々止
胡矯腔々全
覆巣憎
椴卵
︻二十段
︼
1 9 0 1 8 9 1 8 8 1 8 7 1 8 6
ら
えん
穴を捜して抵嫁を叱す 捜穴叱抵嫁
金科
鱗ほ結
る び
法酪金科結
法︑酷して 功休石柱鱗
功︑休して
石 柱
侮忠成甲胃
前 忠の の
文
L
甲鍵
f
宵よ と り 成 も ら 痛 ん
き ここ と
と を を 悔
悲 いし
む 悲罰痛文挺 この結末の十句では︑﹃音書
﹄
の﹁羊枯侍﹂にある故事を踏まえて︑京に戻ることもかなわず自分自身が太宰の地 で命を落とすであろう予感にどこにも怒りを吐露することも出来ない無念さと︑現状の非情さにおののきっつ︑
、' ー
‑31ー
れも己れの宿命だと諦念する心情が流れる
︒
これは︑先に指摘したように︑﹁
一段﹂と対崎させればより鮮明になる
︒
ここにも道真の見事な作品構成への配慮がなされていることを再確認できる
︒
そして︑この句の
一九
九旬
︑ 二
OO
句こそがこの作品の主題となっている
︒
つま
り
白 居 易
)1j
穏 等 の の 唱 叫・和び・詩 で の あ 内
容を二万で対比させれば︑そうした心を許し合える友を持ちえぬ︑道真の﹁天涯孤独の底知れぬ心の闇﹂
1 9 3 1 9 2 1 9 1
る磯f
磯f
た
り
碧
2
賞V
海 ? : ; 茅 T
のIlの
嬬
t
屋瑚味 醐喋 賞茅 屋 荒荒碧海嬬
荒荒たり 吾慮能足失
吾が鹿は能く足りぬ
[構
成論 200 199 198 197 196 195 194
縦ぞ此使らの
魂 地
はヰ
信 ;
終 駕 な ら ん 此地信終駕 縦使魂思幌
腕を恩ふとも 其如骨葬燕
命 分 骨 は はきの
誼
E
糾f
燕ぞ 纏
Z
に箆ごに 葬
簿
Z
交 らに は る
質
2
る るさ を を
ん 知 其
r
る 昔日工
せ
ん
分知交糾纏
命誼質箆等 紋意千
言裏
何 意 人 を か 紋 一三ぶ に 千 憐 言
べっ
む の き ち裏 何人 一可憐
総括]
以上ニ
O O
句を刊矧毎︑﹁二十段﹂に分けながら構成を考察して来た
︒
ここで総括をしてみる
︒この﹁紋意一百韻﹂
‑32
は︑五言二
百句からなる排律という定型で構成され︑しかも︑全篇に
E
り下平声﹁先﹂韻による
一韻到底が貫かれて いる
︒
又︑全篇︑奇数句と偶数句とが対をなすという徹底した構成の統
一美
が実践されていることにまず注目すべき である ︒
そうした中で︑句内容についても同様に︑道真の意識的な構築がなされていると考えた
︒
( 注 4 )
については既に先学によりさまざまな考え方が提起されて来ている
︒ 一
方︑この句構成 筆者が全篇をあえて﹁均ごに﹁十句毎﹂に区分することを提起した大きな根拠は︑八
O
句﹁琴聾未改絃﹂の句の あとに︑﹁己上十旬︑傷習俗不可移﹂の分注が見られる(一部の写本や刊本金本)点である︒傍線を引いたようにこ れを︑十句を
一まとまりのものとして構築していることを示唆する道真自身による分注と考えたからである
︒
詩全篇 に敷延して考察すると︑十句毎に
二
十段に区切ることで見事に︑構成の統
一がはかられていることが︑先の具体的詩
句の例示で実証できたと思う ︒
つまり︑この構成一つをとっても徹底的にその統一性にこだわる道真の性向とも換言できるものを指摘できるよう
に 岡
山 う
︒道真の美意識がそこから垣間見られるのである ︒
そして︑この作品の構成を考える時︑見逃してはならないのは︑﹁季節の推移﹂を基軸としていることである ︒
﹁ 春 ﹂
から﹁初夏﹂﹁梅雨﹂﹁盛夏﹂(﹁残暑﹂)﹁初秋﹂﹁仲秋﹂という京から太宰の地に我が身を移しながら︑その我が身の
周辺の事を季節の推移に触発されながら詠っているという一貫した詠作姿勢を押さえておく必要がある ︒一見︑道真
の心情が︑あるいは志向するものが︑その時々によって大きく変わっていく様が︑そこに詠作上の一貫性を欠く詠み
ぶりの証左とも考えられるが︑これを﹁季節の推移﹂を基軸として︑とらえ直すとその季節感が読者に共有されてい
れば道真の心情の変化が無理なく読み手に伝わることが理解できるのである︒
‑33‑
[出典の分析(そのこ
S
表層部分の投影考察ら]この章では︑﹁紋意
一百
韻﹂
( 訂 2)
の注釈を複数回に分けて公にして来たものを︑﹁出山
内の考察﹂に絞り論を進める︒
ここでは﹁紋意一
百韻
﹂
の詩句に道真自身が中国古典籍からの引用を明言しているもの︑あるいは︑それを明確に
指摘できるものに特定して主なものを以下に例示した ︒
V①二句自潤
A m
在劃珂
﹂
の
劃珂﹂に込めら判ている中国
この﹁皇天﹂については︑既に﹃書経﹄﹃楚辞﹄等に用例が見えることは言及した ︒そして更には﹁宋玉﹂
の﹁九
鰐五首﹂からの投影を通して考察すべきものではないかと考える ︒この作者である宋玉が屈原に仮託して︑楚の懐王
を想う心情を︑道真に移すと︑左遷の宣命を出した醍醐天皇︑
それを阻止しようとした宇多法王を想うそれと酷似し ていることに気付く ︒
不本意な太宰府左遷︑無実の心情を伝える術のない絶望的状況にあったであろう道真に︑この
宋玉の﹁九鰭五首﹂は︑どれほど心の支えになったか想像に難くない︑まさしく道真自身の今の心情の代弁ともなっ
ているこの作品を
﹁ 皇 天 ﹂
という共通の詩語を使って︑この道真の詩を読むものに想起させるという構造になってい
る所を見逃してはなるまい ︒
O
﹃世 説新 語﹄
﹁齢 的免
﹂の
一文 ︒
‑34‑
V E
十六句目館﹂の事│
O
﹃文選﹄ ﹁ 萄都賦﹂の﹁碧出蓑弘之血︑鳥生杜字之瞬﹂の注の
一文
④
v
十
E
句目
侍築巌遁﹂の句に込めらについて
O
﹃史記﹄巻三・ ﹁般本紀﹂第三の一文O
﹃孟子﹄巻第十二﹁告子章句下﹂の一文v
⑤ 六句目湖上扇﹂の句に込めら
につ いて
O
﹃史記﹄巻一二九﹁貸殖列侍第六十九﹂の一文O
﹃蒙 求﹄
﹁
沼議泥湖﹂の一文
V
⑥E
七句目
事について
O
﹃ 史記﹄﹁ 屈原
・買生列伝二十四﹂にある︑文帝に仕えていた買誼が長沙王の太侍に左遷させられた故事を響か
せている
︒
そしてこれに続く
﹃史 記﹄ の次 の 一文および︑後述の﹃文選﹄の一文が︑この五十七句の詩語の措辞となっている ︒ 買生長沙王太侍三年︑有鵠飛入貰生舎︑止子坐隅 ︒楚人命
‑35一 鵠臼服 ︒買生既以諦居長沙 ︒長沙卑湿︑自以為寿不得長︑傷悼之 ︒乃矯賦以自廃 ︒ この 故事 は︑
﹃漢 書列 伝 十八
﹄及び
﹃蒙 求﹄
﹁買 誼思 鵬﹂にも載せる ︒又︑右に引用した一文は﹃文選﹄の﹁鵬鳥 賦一首
弁序﹂(頁誼作)にも載る
︒
V
⑦五十/句目湘J剖綱相﹂の
事について
O
﹃史記﹄﹁屈原・買生列伝二十四﹂にある︑失意のうちに泊(ベき)羅(ら)の川に入水自殺した屈原の故事を 響かせている ︒そしてこれに続く﹃史記
﹄の 一文 が︑ この五十八句の詩語の措辞となっていると思われる ︒
句 自 魚
O
﹃蒙 求﹄
﹁活
再生塵﹂にある︑清貧質素な人の話を踏まえる ︒
句 自 痩 同
賦鶴﹂の句に凶めら
てい る
﹂についての
実
O
﹃文 選﹄ 司馬
相如﹁長門賦一首﹂の中の﹁白鶴搬以哀競令孤雌跨於枯楊﹂の二句の用例 ︒
O
﹃慈文類集﹄﹁巻九十︑鳥部上︑鶴﹂の項の一文 ︒
O
﹃白氏
文集
﹄
﹁ま
g
代書詩一百韻寄微之﹂にある﹁劃醐擢風閥(割倒風闘を催き)﹂と︑江州刺史に左遷さ せられた元積を案じている句内容 ︒‑36‑
︒﹃ 荘子
﹄﹁ 秋水
﹂の
一文 ︒
O
元積﹁酬楽天東南行一 百
韻﹂にある﹁鮪鷺鳥方求侶︑醐瑚己酬鮒﹂(傍線筆者)の句内容︒
⑪
v
荘受﹂について
O
﹃史 記﹄
﹁老 子
・韓非列伝第=ごの一文 ︒
V ⑫ ﹂
! G
七句目綱初について
O
求﹃ 蒙
﹄﹁ 鴻街 帰里
﹂の
一文 ︒
V⑬
α /
斗句目仲宣について
O
文選﹄
﹁登
楼賦
一首﹂の内容を踏まえる ︒
﹂ コ ニ
‑ E
句風桝 劃艇
﹂
コ ヨ ハ 句
減﹂に投影さ
ている出
道真が太宰の諦居で初めて味わった梅雨・酷暑に悩まされながら︑どれほど涼気の漂う秋の到来を心待ちにしたか︑
想像に難くない ︒
その
一方で︑秋は万物の凋落を象徴する時候でもある ︒
それ は
﹃楚辞﹄を始めとして古くから中国
の文人たちが︑多く詠んできたことでもある ︒
筆者は︑道真のこの
一 三
六句の﹁寒吟抱撲蝉﹂に﹃
文選
﹄所収の潜安仁の﹁秋興賦井序﹂中の﹁蝉喧喧而寒吟今﹂
の句の投影があることを既に言及したが︑改めて︑この﹁秋興賦﹂全文を吟味してみると︑道真がこの賦の主題・詩
‑37‑
情を強く意識し︑投影させたものとなっていることに気
付く
︒
V⑮ ー一七/句目
溝
i
問先填﹂の満室﹂についての考察
O
﹃春
秋左
氏侍
﹄﹁
昭公
十
三年﹂の一文 ︒
O
﹃孟
子
﹄
﹁勝
文公
下﹂
の 一文 ︒
島ゅんらゆんてん
O
また
一七八句目﹁潜整﹂および五十四句目﹁泡遭﹂の
二語
の用 例と して
︑
﹃文選﹄に左思(左大沖)の﹁詠史
う ず ま 色
ゅうてん詩八首﹂の七首自に︑﹁憂在填淵劉/英雄有制選(憂ひは溝墾に︑填るに在りしなり/英雄も屯遣する有り)﹂の句
が見え︑この道真の詩への投影が窺える ︒
V
⑮
↓
u u
割﹂
につ
いて
の考
智︑
O
この
一旬は﹃文選﹄巻第十六志下﹁閑居賦一首﹂︑賢臣であったが時運を得なかった潜岳の﹁賦﹂を踏まえてい
る ︒この賦の最後に︑﹁退求己而自省︑信用薄而才劣 ︒奉周任之格‑ZR敢陳カ而就列 ︒幾細身之不保 ︒尚袋擬於明
哲 ︒仰衆妙而絶息︑終優遊以養拙﹂の一文が載る︒一七九句にはこうした詩情が投影されている ︒
⑫ V
' 初
出旦
劇団
﹂に
つい
ての
考司
︑
O
この一句は︑張衡(張平子)の﹁帰国賦
一首﹂を踏まえている ︒
そしてこの賦の最後に︑﹁有縦心於物外︑安知栄辱之所知﹂の一文が載る ︒一八
O
句にも︑こうした詩情が投影されて いる
︒
‑38‑
⑮ V
/ 句
目
秀﹂についての場創
O
この句には次の故事の投影がある ︒﹃文
選
﹄
﹁運
命論
一首︑李粛遠﹂
の次
の 一文 ︒
﹁劃
ポ秀
一 一 品 川 林
一 ︑風必催レ之︑堆出
一 一 於岸
町 ︑流必潟レ 之︑行高ニ 於
人
二
衆必
非レ
之
︒﹂
(傍
線筆
者)
︒
O
﹃白氏文集﹄d a
g
代書詩一百韻︑寄微之﹂の﹁︑蘭芳遇鍍萎﹂(傍線筆者)
の句
︒
V
⑮﹂
句目/二劃膏煎﹂についての弔慰︑
O
﹃荘子﹄﹁内篇人間世第四﹂に次の一文を載せる
︒
﹁山木自冠也︑閣刈副刺也︒
﹂(傍線筆者)
︒
@ V
E
句1
﹂ ハ 句 目
O
﹃晋
書﹄
巻
三十四﹁羊枯侍﹂および﹃蒙求﹄﹁臼羊枯識環﹂の故事を踏まえる ︒
以上︑出典の明らかなものを主に例示してみた ︒
本稿
︑
一章で既に論じたところであるが︑この作品が太宰の地に
突如左遷され全てから隔絶された﹁天涯孤独﹂の中で詠作されたものであるだけに︑
その中に詠み込まれている道真 の心の支えとなるものは︑周りには見出せず︑道真の脳裏の中に素養として生き続けている中国古典籍の中の不遇の 中で命を落としていった古人たちの事蹟しか存在しなかったものと恩われる
︒こうした古典籍の典故を一つ一つひも
‑39‑
解く中で︑道真の太宰の地での心象風景が鮮明に浮きぼりにされてくる
︒
まさしく道真による︑漢籍の素養のあるも
のが読めば︑必ず伝わるメッセージである ︒筆者はこれを﹁表層部分の投影箇所﹂
と便宜的に呼称する
︒それは又は
からずも︑道真自身の漢籍への造詣の深さと摂取の傾向を改めて読み手に強く印象付けるものになっている
︒
換言すれば︑道真の漢詩文につとに投影関係が指摘されて来た白居易の﹃白氏文集﹄を始めとする唐代の漢詩文か
らの投影は︑この﹁絞意一
百韻﹂の詩句の﹁表層部分﹂においてはなりをひそめ︑先に例示したように大半が﹁四書
五経
﹂﹁
正史
﹂
﹃文選﹄等の典故に拠っていることを大きな特徴とする
︒これは道真自身の漢籍受容の根底に﹁儒家﹂
としての持持があることを認識すれば納得出来ることである
︒