れに 及ん で) 泣く 声は
︑( 哀切 悲憤 な泣 き声 で知 られ てい る) 杜鵠 のそ れを かき 乱す ほど のも ので あっ た
︒
コ(追放されて行く道中の)街道は風に砂塵が舞って︑雲が立ち込めたように四方は煙っていた
︒
冨(追放されて行く道々の)野原には(春光を浴びて)草があたり一面に生い繁っていた
︒
E
(
道中の)駅舎では新たにあてがわれる馬とてなく(今まで乗り続けてきた)蹄を傷め︑疲れ果てた馬を見送る しか なか った
︒
N O (道 中の )港 では 船尾 がこ われ かか った 船が (私 たち を) 迎え るの みで あっ た
︒
巴太宰府までの宿駅は五十余り(泊りを重ね)
NN
太宰府までの行程は千五百里であった
︒
お( やっ と着 いた )太 宰府 南楼 のも とで
︑( 今ま での 行程 を伴 にし た) 疲馬 を解 放し 匡(私のこれからの住み家となる官舎のある)右郭のほとりで下車した
︒
N印
(車 から 降り 立っ て) 小閣 (く ぐり 戸) を開 いて みる と 民好奇心に満ちた人々が南北の道にあふれで見つめているのがはっきりみえた
︒
ミ気 分︑ が悪 くな り︑ 吐い てし まっ たが
︑そ れで も胸 はま だむ かつ きが おさ まら なか った
︒
包体は疲労のため衰弱してしまった上に︑脚までもがかがまってしまう始末
︒
(か つて 丸々 と) 肥っ てい た肌 には 苦労 によ るし わが
︑我 先き を競 うか のよ うに 深く 刻み 込ま れ︑
内UEO
' "
<D
包精 神と 気塊 も︑ とも に( 墨を 磨る よう に) ほと んど 擦り 減っ てし まっ た
︒
巴とりあえず仮の宿舎に二泊したが︑所詮は旅先の気分で落ち着くことができない︒
お気分が勝れずぼうぜんとした今の心境は︑まさに逆さ吊りされたような非常な苦しみである
(宿 に) 村の 老人 がや って きて
︑昔 話を 語っ てく れる と︑ (こ の大 宰府 に) 留め 置か れて いる わが 身の 辛さ を( 片時 だけ でも )忘 れさ せて くれ る
︒
(わ が身 にふ りか かっ た) この 苛酷 な災 いを
︑ど うし てさ けた らい いの だろ うか (避 ける こと はも はや 無理 であ る)
︒
w w
む3
"
' "
む3 巳n
包し かし (謀 反の 罪を 着せ られ た私 の) 悪い 評判 だけ は︑ 何と して も晴 らし たい
0
2
いま だか つて
︑邪 は正 に勝 った ため しは ない とい うが
︑
ω∞
こと によ って は( 今の 私の よう に) 誠心 誠意 で行 って きた こと も︑ すべ て謀 略と みな され てし まう
︒
包人 気の ない 寂し いひ っそ りと した 官舎 に移 り︑
さ朽ち果てた粗末な建物(住居)の修理をする ︒
企(官舎
の周 囲は 人気 も無 く) 荒れ はて て︑ 官舎 に至 る道 も迷 って 見失 うあ りさ まだ し︑ お( 官舎 の) 敷地 は︑ 一畝 半に 少し 足り ない くら いの 狭さ だ︒ 色井 戸は ふさ がっ てい たの で︑ (そ のふ さい でい る) 砂を 掘り 出し て盛 り上 げ︑ (改 めて )畿 (い しだ た) みし なお して 使え るよ うに し︑ 主まがきは破れてまばらになっていた
ので
︑竹 を割 って 編み 直し た︒ (う ち捨 てら れた 畑に は) 冬葵 の古 い根 が一 畝残 り︑
‑51‑
品口、
怠ま だら に蘇 (こ け) の生 えた こぶ し大 の石 が︑
一つ
ころ
がっ
てい
た
︒
当( 官舎 の) この 有様 は︑ 長く 空き 家だ った ころ のま まで (殺 伐と して 品∞ 私が 住む よう にな って も︑ (官 舎の
︑こ の殺 伐と した 風景 は) 変わ るこ とは なか った
o
s
時折
︑た まら なく やり きれ なく なる こと もあ るが
︑ 目︒ なん とか 心身 を落 ちつ かせ 安ら ごう とし てい る︒ 巴同病相憐れもうと思って同じような悩みを持った友を(古典籍に)求める
︒
巴憂 い( 左遷 され
︑流 され てき た苦 しみ )を (少 しで も) 軽く した いと 思っ て︑ そう いう 目に あっ た先 人の あと を尋
ねる
︒
包才能などは(かえって)時運に不利であり結局何の役にも立たない
︒
宮富貴の身とかいうものは︑元来行き悩んで困難にあうものだ ︒
ふ が ん ら え っ
自縛巌の野で停説は罪人に交じって土木工事に従事していた(不遇の時代があったして
はん
れい
包活姦は扇舟(小舟)に乗って玉湖から揚子江に浮かんで去り行方を
く
らま し( わが 身の 保身 をは かっ た)
命g
印吋長沙の地は低地で湿気が多い
︒(
この 地は 前漢 の貿 誼が 若く して 博士 に任
︒せられ
一年の聞に太中大夫まで出
世し︑そして天子は彼を公卿の位に就けようとしたが︑その事を妬まれ卑湿の地︑長沙王の太停に左遷させ られ たと ころ であ る)
︒
回∞ 湘水 は深 くひ ろび ろと よど みな く流 れて いる
︒( この 川は 屈原 が懐 王の 左徒 とし て王 の寵 愛が 厚か った が︑ 上官
大夫がこれを妬み諌言したので江南に短められ︑その後︑石を抱いて泊羅の川に身を投じて死んだ所であ
る)
︒
‑52‑
一方 の私 は下 降直 前( 正月 七日 )に
︑位 は従 二位 に叙 せら れた けれ ど︑ それ も空 しい 昇進 だっ た
︒
g
ただ数を揃えるために︑一体誰を︑私の後釜の右大臣の官に任じたことであろう(実は大納言源光を右大臣 に任 じた ので ある
) ︒
E
ありがたい事に(こうして故人の事蹟を訪ねているとて旧いなじみの友人が貧しい中から自分の食事を分けて 私に 食べ させ てく れる (よ うな 気持 ちに なる して
母親族の者達が私の汚れた衣服をつかんで洗ってく
れて いる よう な心 持に なる ので ある
︒
8
これ らの 故人 の生 き様 を知 るに つけ それ によ って 私の 生き る苦 悩を 慰め られ てい るの であ る
0
2
だか ら︑ 何故 早く 死な ぬの かと 呪う ほど のこ とも ない
︒
︒日 (た とえ 貧し くて 乏し い) 食事 を日 々に 口に する 事が でき る
のは
︑天 地自 然ま た︑ 万物 を創 造化 育す るこ との
︑ また その 神々 のお 恵み によ るも の
︒
g
周り の人 たち が( 私の こと を) 憶測 で何 を取 りざ たし ょう が︑ 自然 の成 り行 きに 任せ るほ かは ない
0
2
悲しくて苦しい毎日を嘆いている間に温陽な春をやり過ごしていた
︒
由∞私の暗い心をよそに︑穏やかに晴れた初夏︑日の光に明るく新緑も映えて世の中も治まっていて︑おだやかな
日々
︒
CJ1 ミD
‑53‑
S
この 土地 の風 俗︑ 風習 には 当然 なが ら次 第に なじ むよ うに した いし
︑ 弓それぞれの習慣にもしきたりのままに従いたいと思っている
︒
(と ころ が︑ この 太宰 の地 とい った ら京 との 余り の違 いに 驚
くば
かり で︑ 例え ば) こ
の土
地の 塩が 苦味 強い のは
︑ ただ木か炭で海水を炊くだけの塩だからだ
︒(
古川 辺り の藻 塩は 風味 があ
った
) ︒
. . . .
,
H
‑.:J ト3
(一 方周 りに は) あく どい 取引 で手 に入 れた 布を
︑高 く売 りつ けて 儲け てい る商 人た ちが (う よう よ) いる
0
3(
この 地の 人聞 は) 人の 殺生 を自 らの 手で 気軽 に行 い 足群盗も落ち着き払って我がもの顔に肩を並べて歩いている
︒
ぴ
︿
司(役人はだらしないことに)魚袋を魚縫に見立てて腰にさげ︑釣り糸を垂らしている有様だし 話粁箪を(用途を違えて)舷を叩きながら唄を歌う時に使うものとして代用している コ( 商人 たち は) 米の 商売 を始 めて
︑あ くど く儲 け︑ 斗∞ また
︑に せも のな のに 良質 の筑 紫綿 (絹 )と 偽っ て︑ 官の 綿と して 献上 する
︒
忍この地では︑塩魚を売る庖は大変な臭気を発しているし き調 子の 狂っ た琴 は糸 を張 り替 える 必要 があ るの に︑ この 地で はそ れ︑ が未 だな され てい ない
︒
以上の十句︑この土地の慣わしがまだ改変するに至らず︑野蛮の地であることを悲しみ傷んだ句である
0
2
誰か と共 に( 荒れ 果て たこ の地 で) 語り 合え たら どん なに 心が 慰め られ るこ とか
︒
∞N
そ(
んな 話相 手も いな いの で) 一人 さび しく 肱を 枕に して 眠る
︒
∞ω
毎日
︑降 り続 く長 雨の 梅雨 は蒸 し蒸 しし てう っと うし い
︒
定( 官舎 は雨 漏り もひ どく )朝 ごは んを 炊く こと もで きな いで
︑炊 事の 煙も 絶え てし まっ てい る
0
2
長
(
い間
︑ご 飯が 炊け ない ので )か まど や釜 の中 に水 がた ま
って
︑ぼ うふ らな どが 泳い でい る
︒
∞∞ 蛙た ちが
︑き ざは し( 階段 )の 敷き 五の とこ ろで
︑ま るで まじ ない の呪 文を とな える かの よう にや かま しく 鳴い てい る
︒
‑54‑
ロD
‑.:J
(こ んな 私に 同情 して か) 田舎 (農 家) の子 供が
︑野 菜を 持っ てき てく れる し
∞∞ 炊事 のお 手伝 いが
︑う す粥 を作 って くれ たり もす る
∞ @
︿今
の私 は
﹀(
夫婦 仲睦 まじ い) 鶴が 雌鳥 を失 った とき と同 じよ うに 痩せ 衰え てし まっ た
︒
えんオ
う 伊
︿ ろ
‑ 一
う
由︒ 空腹 のた め︑ 鵡雛 を襲 う鳶 ( H 鴎) のよ うに 卑し くな った
︒
記崩 れ溶 ちた (建 物の )壁 一は
︑( 屋根 を伝
って)激しく滴り落ちてくる雨水をせきとめではくれるが(大きな水溜
りを
つく
って
いる
︒)
思庭 土は ぬか るみ にな って
︑( いた ると ころ に) 濁り 水が 流れ 込ん でき てい る
︒
忠一方で(長く降り続いた雨もようやく上がり)晴れた空には赤い太陽が照り輝き︑
定夕方になって日が沈みかけると︑あおみどり色の幕をかかげたように太宰府の周辺の山々は︑清清しい
︒
担折に触れてこうした境遇に出会うと︑心をむなしくすれば ︑
(何
もな
くがらんとした部屋に日の光が差し込
むよ うに )︑ 自然 に気 も晴 れて くる
︒
虫自由気ままに(書の世界に没頭して故人と語り合う中に︑奥深い心境になることもある0
2
老子は︑無為自然に淡々と生きたし
︒∞荘子は︑名利など望まない偏屈な生き方をした
︒
活人間の本性は不変不易の常道に背いてはいけないし
5 0
人生 の根 本は
︑本 来の まま に︑ あり のま まに 振る 舞う べき だ
︒
(荘 子の )﹁ 斉物 論が 説く 万物 はみ なひ とし い﹂ とい う考 え方 は︑ 今の 私に とっ て心 に熱 く伝 わっ てく る
一言
葉で
ある
︒
‑55‑
同{︺日H
ON
また (荘 子の )寓 言篇 のな かの 話は
︑私 の気 分を しっ とり と和 らい だ気 分に して くれ る
︒
5ω しか しな がら (初 夏の )景 色は 老荘 のい う夢 より も奥 深 くみ え︑ 呂品 自然 の趣 を愛 でる とい う( 詩人 とし ての )私 の性 癖は
︑ま だな お って はい ない
︒( 悟り きっ てい ない ので ある )︒
呂町私の創作し得た詩文は ︑
いっ たい どこ に散 り落 ちて いく のだ ろう か
︒
H O∞ 私の 今の 感情
・情
感は どう して も眼 前の 風物 に引 き止 めら れて しま うの であ る︒
‑O
斗(それを押し止めるべく)大志を抱いていても認められず郷里に帰り不遇でありながら節を曲げなかった後漢 の鴻 桁を 憐れ み︑ 我が 身を 慰め よう とし たり
︑
呂∞
(同 じく )文 人と して 秀で た才 能を 持ち つつ 不遇 をか こっ てい た王 祭が
︑そ の想 いを 綿々 とつ づっ て︑ 己れ の
﹁憂
い﹂ を消 そう とし たそ の文 才に 羨望 の念 を抱 いた りも した
︒
呂申
(し
かし
なが
ら今
の私
は︑
と 雪守 えば )私 の一 言が 忌誇 に 触れ るこ とを 恐れ て( その 想い を形 にす るこ とす らは ばか られ るの が現 状で ある
) ︒
=0 (そ れを 押し て) 胸中 の押 し止 めよ うも ない 衝動 につ き動 かさ れて 書きなぐるものだから︑筆先は擦り切れて しま った
︒
= 円 これ らの 草稿 とも いう べき 推蔽 の不 十分 な詩 文は
︑い った い誰 に見 せる とい うの か
︒
=N
(今 の私 には )こ の私 の書 きな ぐり の句 に︐ 唱和 して くれ る詩 友と て︑ 誰一 人と して 存在 しな い︒
=ω心
に浮 かん だ詩 を思 いの たけ
︑紙 に取 り書 き写 して みて は
H H A
それ を詠 じた とこ ろで
︑誰
かに 聞い ても らう こと も見 せる こと もな いの で行 灯の 火で 燃や す
︒
=叩こ
うし たこ とを 何度 も繰 り返 して いる ので
︑恨 む思 いは 煙と とも に薄 れて しま う
︒
日 目 白 こ んな に辛 いこ とも
︑前 世か らの 因縁 であ ろう かと あき らめ の思 いに なる .
‑56‑