実業家・子爵澁澤敬三と、その私塾「アチック・ミ ューゼアム」
著者 近藤 雅樹
図書名 日本不動産研究所50年史. 日本不動産研究所50年史 編纂委員会編.
開始ページ 225
終了ページ 243
出版年月日 2009‑03‑02
URL http://hdl.handle.net/10502/00009305
実 業 家 ・子爵 澁 澤 敬 三 と 、 そ の 私 塾 「ア チ ッ ク ・ミュ ー ゼ ア ム 」
近藤雅樹
大学共同利用機 関法人 人間文化研究機構 国 立民族学 博物館民族文化研究部 教授 国立大学 法人 総合研究 大学院大学 文化科学研究科 教授(併任)
転機 一 若き後継者
澁 澤 敬 三(1896‑1963)は 、 明 治 時 代 の 初 期 以 来 、 日本 の 経 済 基 盤 を 確 立 す る た め に 多 くの 功 績 を 残 し た 澁 澤 栄 一(1840‑1931)の 嫡 孫 で あ る。 民 間 出 身 初 の 日 本 銀 行 総 裁 、 幣 原 喜 重 郎 内 閣 の 大 蔵 大 臣 を歴 任 し た 財 界 人 で あ る 。 同 時 に 、 民 俗 学 ・民 族 学 に 造 詣 が 深 く水 産 史 料 研 究 に も 携 わ る な ど、 自 ら研 究 者 と し て 研 鐙 に 励 む 一 方 、 戦 前 戦 後 を 通 じ て さ ま ざ ま な 博 物 館 建 設 に 関 与 し 、 巨 額 の 私 財 を 投 じ て 数 多 く の 研 究 者 を 支 援 し続 け た 。
旧 制 高 校 受 験 を 控 え て い た あ る 日、 敬 三 は 、 祖 父 栄 一 の 訪 問 を 受 け た 。 祖 父 は 、 羽 織 袴 姿 の 正 装 だ っ た 。 そ し て 、19歳 の 孫 の 面 前 に 端 座 し 、 平 伏 して 懇 願 した 。
「後 継 者 に な っ て い た だ き た い 、 頼 む 」
栄 一 は 、 写 真 に 凝 り、 歌 舞 音 曲 の 方 面 で は 玄 人 も舌 を 巻 く ほ ど技 芸 に 秀 で て い た 長 男 の 篤 二(1872‑1932)を 、 「後 継 者 の 器 で は な い 」 と 見 限 り廃 嫡 し て い た 。 そ し て 、 嫡 孫 の 敬 三 に 早 くか ら望 み を 託 し て い た 。 少 年 時 代 の 敬 三 は 、 邸 内 玄 関 脇 に あ っ た 厩 車 の 屋 根 裏 部 屋 に 仲 の よ い 友 だ ち(注1)を 誘 い 入 れ て は 、 瞳 を 輝 か せ て 「博 物 館 ご っ こ 」 を 楽 し
ん で い た 。
「大 き くな っ た ら 、 生 物 学 者 に な りた い 」
そ ん な 孫 の 夢 を 、 栄 一 が 知 ら な い は ず が な か っ た 。 以 心 伝 心 と い うべ きか 。 互 い に 、 つ ら く て 苦 し い 心 の 内 が 、 透 け て 見 え る よ う に わ か っ て い た は ず だ 。
敬 三 は 、 生 物 学 者 に な る 夢 を 断 ち 、 祖 父 の 懇 願 を 受 け 入 れ た 。 1915年 、 敬 三 の 旧 制 二 高 英 法 科 進 学 を 期 に 、 栄 一 は 、 澁 澤 同 族 株 式 会 社 を 設 立 し、 敬 三 を 社 長 に 任 命 し た 。 こ の 時 点 で 、 敬 三 は 、 対 外 的 に も 正 式 に 栄 一 の 後 継 者 と な っ た の で あ る 。 しか し、 こ の 一 件 が 伏 線 と な っ て 、 敬 三 の 生 涯 は 、 思 い もか け な い 方 向 へ と 導 か れ て い く の で あ る 。 二 高 を 卒 業 して 仙 台 か ら帰 京 した 敬 三 は 、 東 京 帝 国 大 学 法 科 経 済 科 に
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(写真1)「 鯉 を据 へ る小 児 」 と して登 録 され た堤 人 形(標 本 番 号H13276国 立 民 族 学 博物 館 蔵)。
こ の土 人 形 は、 底 縁 部 の 内 側 に 「新 婚 記 念 」"K&TSHIBUSAWA"と 記 さ れ て い る。
入 学 、1921年 に 卒 業 し た 。 そ し て 、 祖 父 が 設 立 し た 第 一 銀 行 に で は な く
「他 人 の 飯 を 食 う 」 と い う建 前 で 、 横 浜 正 金 銀 行(注2)に 入 行 し た 。 も っ と も、 実 業 界 の 大 御 所 で 華 族(注3)で あ る 澁 澤 栄 一 の 孫 な の だ か
ら 、 実 際 は 「御 曹 司 様 を(客 分 と し て)丁 重 に お 迎 え い た し ま す 」 と い う の が 、 横 浜 正 金 銀 行 側 の 本 音 で あ っ た だ ろ う こ と は 想 像 に 難 くな い 。 翌 年 、 敬 三 は ロ ン ド ン 支 店 勤 務 を命 じ ら れ 、 数 年 間 を 海 外 で 過 ご す こ と
に な る 。 新 婚 ま も な い 妻 の 登 紀 子 も遅 れ て 渡 欧 し た 。
あ こが れ て い た 生 物 学 者 に な る 夢 を捨 て て 実 業 界 に 身 を投 じ た 。 旧 制 中 学 以 来 の 友 人 た ち が 相 次 ぎ 大 学 に 奉 職 し、 少 壮 学 者 と し て 活 躍 し 始 め る 姿 を 横 眼 に 、 敬 三 は 、 悔 し い 思 い を抱 い た こ と が 一 度 な ら ず あ っ た か も し れ な い 。 そ れ で も 、 敬 三 に は 、 実 業 界 に 身 を投 じ た 後 の 人 生 設 計 を 描 き直 す た め に 忍 耐 し続 け る気 骨 が あ っ た 。 学 問 へ の 情 熱 は 失 せ ず 、 決 し て あ き ら め る こ と は な か っ た 。 そ の 点 で 、 ロ ン ド ン赴 任 は 、 敬 三 に と っ て 願 っ て も な い 好 機 の 到 来 と な っ た 。 赴 任 中 は 、 休 暇 や 出 張 が あ る た び に 、 欧 州 各 地 の 美 術 館 ・博 物 館 ・野 外 博 物 館 、 ま た 今 日 の 世 界 遺 産 に 登 録 さ れ て い る 遺 跡 な ど を歴 訪 し て い る 。
生 来 の 魚 好 きが 嵩 じて か 、 敬 三 は 、 優 れ て 生 態 学 的 な 観 察 眼 の 持 ち 主 だ っ た 。 そ の 観 察 眼 を 、 無 名 の 民 衆 が 保 持 し て い る 基 層 文 化 研 究 に 適 用 し、 単 な る 民 族 学 に は と ど ま ら な い 独 自 の 研 究 領 域 を切 り拓 い て い くの だ が 、 滞 欧 中 に 周 辺 諸 国 を 旅 行 し て 得 た さ ま ざ ま な 体 験 は 、 後 の 敬 三 の 学 問 形 成 に 大 き な 影 響 を 与 え 、 有 意 義 に 作 用 し た の だ っ た 。
ふ たつ の経 済 復 興 祖 父 か らの バ トン リレー
世界 的 な大 恐 慌 と両 度 の 世 界 大 戦 下 にお け る 軍 部 主 導 の独 裁 体 制 の も とで 、 日本 経 済 は急 速 に、 また極 度 に疲 弊 した 。 あ げ く、 敗 戦 に よ って そ の 機 能 を停 止 した 。
第二 次 世 界 大 戦 中 の1942年 、敬 三 は 、46歳 とい う異 例 の 若 さで 日本 銀 行 副 総 裁 に任 命 され た。 翌 々年 に は総 裁 に就 任 、 続 い て戦 後 間 もな い10 月 に発 足 した 幣原 喜 重 郎 内 閣 で は大 蔵 大 臣 を歴 任 した 。壊 滅 的 な打 撃 を 蒙 っ た 日本 経 済 の復 興 に尽 くす こ とに な っ た敬 三 の立 場 は、 奇 し く も、
発 足 間 もな い 明治 政 府 か ら嘱 望 され た祖 父 栄 一 の 立 場 と、 見事 な ほ ど に 重 な って み え る。
内 乱 に よ り疲 弊 して い た明 治 維 新 当時 の 国家 財 政 は、 債 務超 過 に陥 り 事 実 上 破 綻 して い た。 地 方 分 権 的 な領 国支 配 を前提 に して い た幕藩 体 制 か ら、神 格 化 され た天 皇 を頂 点 とす る 中央 集 権 国 家建 設へ の移 行 は、 円 滑 に は進 ま なか っ た。 士 族 授 産 も実 効 が あ が ら ない 。 各 地 で禄 を失 った 不 満 士 族 た ちの 蜂 起 が 相 次 ぐ内 乱 の 時 代 にあ って 、新 国 家建 設 に不 可 欠 な財 政 基 盤 を速 や か に確 立 させ る必 要 が あ った 。 そ の よ うな 中、 経 済復 興 の 陣頭 に 立 ち、 遠 か らず 日本 を欧 米 列 強 に も比 肩 し得 る近 代 資本 主 義 国家 となすべ き人 物 と して抜 擢 され たの が、 若 き 日の澁 澤 栄一 だ った。
旧幕 時代 の 栄 一 は、 討 幕 運動 に荷 担 して い た 。 そ れが 発 覚 して 逃 れ た 京 で 、 数奇 な 巡 り合 わ せ か ら、 皮 肉 に も、 一橋 家 の家 臣 に救 われ て 仕 え る 身 とな っ た 。 ほ どな く、 頭 角 を顕 して 重用 され 、 一橋 家 の 当主 とな る 昭武 の渡 仏 に 際 して は 、 主 計担 当 の任 務 を帯 び て 随行 した。 そ して 、産 業 革 命 を経 た ヨー ロ ッパ の 資 本 主 義経 済 社 会 に お け る資 金 運 用 の 実情 を 実 際 に体 験 す る機 会 を得 た 。帰 国後 の 栄 一 が抜 擢 され た所 以 で あ る。
新 政 府 の も とで、 栄 一 は 、 そ の大 任 に よ く耐 え た。 国立 銀 行 制 度 を発 足 させ て 「太 政 官 札 」 な ど、 新 政 府 が発 給 した不 換 紙 幣 に対 す る信 用 の 失 墜 と混 乱 の収 拾 に 当 た っ た。 そ して 、 わず か な 間 に こ の問 題 を収 束 さ せ て新 政 府 を窮 地 か ら救 い だ した の で あ る。 株 式 会 社 制 度 な ど、先 進 諸 国 が 採 用 して い る企 業 経 営 方 法 の移 植 と確 立 に も、 持 て る知 識 と経 験 を 活 か して存 分 に経 営 手 腕 を発 揮 した。 郵 船 事 業 や製 紙 業 な ど、 殖 産興 業 政 策 を掲 げ て 諸 種 の 産 業 を牽 引 す る た め に 官 が 主 導 した重 要 な会 社 の
ほ とん どの 設 立 に 関与 し、 資金 面 で も主 要 な株 主 とな っ て運 営 に携 わ っ た。 栄 一 が設 立 に 関 与 した 会 社 の 数 は 、 生 涯 を通 じて500余 に 達 した と い う。 行 き詰 っ て い た青 森 県 の三 本 木 原 野 の 開発 を軌 道 に乗 せ る た め 、 澁 澤 農 場 を経 営 す る な ど、 国土 開発 に も尽 力 した。
日本 が 近 代 資 本 主 義 国 家 と して の基 盤 を確 立 す る 上 で 、 明 治 ・大 正 両 時 代 を通 じ、一 貫 して重 要 な役 割 を果 た した栄 一 は、 その 功 績 に よ り華 族 に列 せ られ た。
世 界 的規 模 の金 融 恐 慌 の さ なか 、1931年 に満 州 事 変 が 勃 発 。 そ の年 に 栄 一 は没 した。 揺 藍 期 以 来 、 半 世 紀 余 をか けて 育 ん で きた 日本 の経 済 力 が 絶 頂 を迎 え た、 ま さ にそ の 時 期 に生 涯 を閉 じた 。 享 年91歳 。
喜寿 を機 に財 界 を引 退 した 後 は、 婦 女 子教 育 や 各種 慈 善 事 業 に力 を注 い だ。 軍 部 の大 陸 や 南 方 侵 出 に よ り険 悪化 して い た 欧 米 諸 国 との 関 係 修 復 、 親 善 交 流 に も積 極 的 に か か わ っ た。 日米 人 形 親 善 大 使 、 い わ ゆ る
「青 い 目の人 形 」 の 功 績 は 、 今 もな お 、 多 くの 人 た ちの 記 憶 に残 っ てい るはず で あ る。
日米 戦 争 の 勃 発 を強 く危惧 して い た 栄 一 が 、 どの よ うな 結 末 を予 想 し て い た か。 そ れ を推 し測 る すべ は な い。 た だ 、 関東 大 震 災 の 後 にい ち早
く復 興 を とげ た この 国 の底 力 を実 際 に 目撃 して い る こ と、加 え て 当 時 の 近代 兵 器 の水 準 を鑑 み る な ら、霧 しい数 の焼 夷 弾 と最 新 兵 器 の 原 子爆 弾 に よって 無残 な焦 土 と化 した 国土 の姿 ま で は想 像 で きな か っ た だ ろ う。
しか も、 一 敗 地 に塗 れ た 占領 下 か らの復 興 を、 孫 の敬 三 が担 う こ とに な る な どと も。
GHQは 、 矢 継 ぎ早 に さ ま ざ ま な戦 後 政 策 を打 ち 出 した 。 武 装 解 除 は も とよ り、 治 安維 持 法 の廃 止 、 労 働 組 合 法 の制 定 、 民 主 主 義 的 な平 和 憲 法 の制 定 に 向 け た 策 定 調 査 、 婦 人参 政権 ・公 職 選 挙 法 の 導 入 な ど を相 次 ぎ実 施 した 。 当然 、 そ の改 革 は経 済 面 に も及 ん だ。 何 よ り もまず 、 第一 次 世 界 大 戦後 の状 況 を教 訓 に、 早 急 に急 激 な イ ンフ レの 発 生 に対 応 す る
必要 が あ っ た。 い ち早 く手 を打 った 預金 封鎖 はそ の対 策 の ひ とつ だ った。
農地 解 放 と財 閥解 体 は、GHQの 指令 が な け れ ば実 現 しな か っ た だ ろ う。
そ れ で もな お 、 敗 戦 国 官 僚 の 抵 抗 は根 強 く、 さ し ものGHQも 、 天 皇 制 の廃 止 は断 念せ ざ る を得 なか っ た。 目立 た ない が、 所得 税 法 の改 革で も、
GHQが 強 く反 対 して い た 「勤 労 者 に 源 泉 徴 収 を課 す 」 とい う姑 息 な間 接 納 税 手 続 きの導 入 も阻止 で きな か っ た。 す で に、 予 期 して い た急 激 な イ ン フ レの 嵐 が 焦 土 の 闇 市 を 中 心 に 吹 き荒 れ て い た 。 敬 三 は 、祖 父 が 奮 闘 した と き とは 比 べ よ うが な い混 乱 の きわ み に あ っ た 状 況 下 で 発 足 した敗 戦 処理 内閣 の もとで、 至極 困難 な大任 を押 しつ け られた ので あ る。
財 政 破綻 は、 敬 三が 日本銀 行 副総 裁 に任 命 された 時点 で露 見 してい た。
最 初 は戦 費 補 充 の ため の紙 幣 乱 発 と赤 字 国 債 の 発 行 、 後 に は敗 戦 後 の 経 済 再 建 計 画 策 定 を見 越 しての 起 用 だ っ たの だが 、 当 時 の 心境 を、 敬 三 は 次 の よ う に語 り残 して い る。
「あ りゃあ ね 、 東 条 英 機 に強 姦 され た よ う な もの で す よ。 サ ーベ ル を ね 、 こ う、 ガチ ャ ガチ ャや られ て ね え」(注4)
そ の東 条 内 閣 が倒 れ た 。 も はや 遅 き に失 して い た が、 戦 争 終 結 に向 け た 交 渉 が 水 面 下 で 進 み 始 め た 。 だ が 、 陸 海 軍 出 身 の 小 磯 国 昭 ・鈴 木貫 太 郎 両 内 閣 が もた つ く問 に、 原 子 爆 弾 の投 下 とい う人類 史上 初 に して 未曾 有 の大 惨 事 を 味 わ った 。 そ して 、 ソ ビエ ト軍 の参 戦 …。 「終 戦 の 詔 勅」
い わ ゆ る 玉 音 放 送 が 流 れ て 、 よ うや く空 襲 警 報 に お び え る こ との な い 8月15日 の夜 が 訪 れ た。
翌 々 日、 鈴 木 内 閣 に代 わ る東 久 麹 宮 稔 彦(な る ひ ご)王 内 閣が 成 立 し て速 や か に終 戦 処 理 が 進 む か に 見 え た。 と ころ が 、10月9日 、 急 遽 大 阪 財 界 出 身 の 文 官 ・幣 原 喜 重 郎 が 総 理 大 臣 に指 名 され 、 新 内 閣が 発 足 す る こ とに な った。 幣 原 内 閣は、 天 皇 が重 臣 に諮 問 す る慣 例 を破 って誕 生 し、
GHQの 意 を受 け て 海 軍 大 臣 を差 し替 え る な ど して い る。 天 皇 が 就 任 を 要 請 した 総 理 大 臣 な が ら、 実 質 は、GHQが 日本 の 非 武 装 化 と民 主 化 を
推 進 す る た め に 必 用 と し た傀儡 政 府 だ っ た 。 翌 日、 天 皇 に よ る 認 証 式 が 行 な わ れ た 。
幣 原 か ら直 接 「大 蔵 大 臣 に 」 と切 望 さ れ た こ と は 、 敬 三 の 経 歴 を 考 え れ ば 当 然 過 ぎ る ほ ど筋 が 通 っ て い た 。 しか し、 敬 三 は 、 最 初 こ れ を 断 っ て い る 。 栄 一 も、 発 足 直 後 の 大 蔵 省 か ら の 招 請 を 一 度 は 拒 ん だ 。 しか し、
翻 意 し た 後 は 、 両 者 と も に 困 難 な 局 面 を 打 開 す べ く職 責 を 遂 行 し た 経 緯 も よ く似 て い る 。
夢と現実の交差 敬 三の 生 い立 ち
澁 澤 敬 三 と い え ば 、 民 族 学 を は じめ 、 諸 分 野 の 学 問 に 対 して 展 開 した バ トロ ネ ー ジ が 挙 げ られ る の が 常 で あ る 。 確 か に 、 学 問 に 理 解 が 篤 く、
無 私 で 開 明 的 な 資 産 家 だ っ た 敬 三 は 、 私 財 を投 じ て 多 くの 研 究 者 を 支 援 し続 け た 。 敬 三 の 支 援 が な け れ ば 、 金 田 一 京 助 も 、 柳 田 國 男 も 、 岡 正 雄 も、 宮 本 常 一 も、 自 らの 学 問 に よ っ て 今 日 の 名 望 を成 す こ と は 、 必 ず し も 容 易 で は な っ た だ ろ う 。 し か し 、 傑 出 し た 経 済 的 支 援 を も っ て 第 一 の 功 績 と み な す の は 、 間 違 い で あ る 。 敬 三 自 身 が 秀 で た 能 力 を も つ 研 究 者 だ っ た 。 そ し て 、 逆 境 を 顧 み ず 理 想 の 実 現 を め ざ し て 燃 焼 し 尽 く し た 、 近 代 日本 に お け る 稀 有 な 啓 蒙 家 で も あ っ た 。(注5)
彼 が 三 田 綱 町 の 邸 内 に 建 設 し た ア チ ッ ク ・ミュ ー ゼ ア ム(写 真2)に は 、 全 国 各 地 か ら 実 に 多 くの 篤 学 者 た ち 、 少 壮 気 鋭 の 学 徒 た ち が 参 集 し た 。 そ の 多 く は 、 ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム の 同 人 と し て 処 遇 さ れ 、 階 下 に 設 け られ た 和 室 に は 、 宿 泊 し て い く遠 来 の 客 が 絶 え な か っ た と い う。 宿 代 無 用 で 食 事 つ き と あ れ ば 、 そ れ も 当 然 だ ろ う 。 併 設 さ れ て い た 囲 炉 裏 の 問 で の 談 論 風 発 。 そ こ に は 、 主 の 敬 三 は も と よ り、 澁 澤 邸 内 に 起 居 す る 書 生 た ち の 姿 も あ っ た 。 ほ ど な く、 隣i接 して 水 産 史 研 究 室(写 真3)の 建 物 も落 慶 。 そ し て 、 こ う した 人 た ち の 調 査 研 究 活 動 の 成 果 が 、 徐 々 に敬 三 の
投 資 した 血 と汗 と 資 金 の 結 晶 で あ る 何 十 冊 に も及 ぶ 彙 報 そ の 他 の 刊 行 物 、 映 像 記 録 、 民 具 の コ レ ク シ ョ ン と して 蓄 積 さ れ て い っ た 。
(写 真2) 『柏 葉 拾 遺 』 (中 山 正 則 編 1956年 柏 窓 会 ・非 売 品) に 収 録 され て い る 「旧 民 具研 究 室 」 と題 さ れ た 写 真 。 往 年 の ア チ ッ ク ・ ミ ュ ー ゼ ア ム は 現 存 して い な い 。 同 書 に は、 外 観 を伝 え る 別 の 写 真 も あ り、 建 物 の 形 態 は 改 築 に よ り か な り変化 して い る こ とが わ か る。
南 側 に 張 り 出 し た建 物 の2階 部 分 の 東 と南 に 面 した 壁 面 は 、 白 く塗 り こ め ら れ て い て 窓 が な い が 、 建 築 当 初 は 魚 好 きの 敬 三 ら し く、 熱 帯 魚 の 飼 育 室 だ っ た た め 、 大 き な 窓 が 設 け ら れ て い た。
(写 真3)同 じ く 『柏 葉 拾 遺 』 に 収 録 さ れて い る 「旧水 産 史研 究室 」 と題 さ れ た 写 真 。 大 蔵 大 臣 の 要 職 に あ っ た 当 時 、 財 産 税 の 導 入 に 伴 い 率 先 して 広 大 な 敷 地 と大 邸 宅 を 物 納 し た後 の 敬 三 は、 一 時 期 、 古 川 に面 した 崖 下 の 使 用 人 が 使 っ て い た小 家 に 移 り住 ん だ。 そ の 後 、 も と の 水 産 史 研 究 室 を 改 造 して 寓 居 と し、 晩 年 ま で 過 ご した 。
敬 三 は 、 実 直 に 働 く人 た ち が 好 き だ っ た 。 翻 っ て 、 自 らが 奉 職 せ ざ る を 得 な か っ た 銀 行 の 仕 事 は 大 嫌 い だ っ た 。 週 末 、 上 野 駅 か ら夜 行 列 車 に 乗 り込 ん だ と き、 見 送 り に 来 た 人 た ち に 向 か っ て 、 笑 い な が ら 「ざ ま あ 見 ろ 」 と 言 っ た と い う。 そ ん な エ ピ ソ ー ド も残 る 彼 の 週 末 旅 行 は 枚 挙 に 暇 が な い 。 業 務 に 支 障 が な い よ う 、 月 曜 日の 朝 に 帰 京 す る 夜 行 列 車 で の
旅 が 常 だ っ た 。 宿 は 、 降 り立 っ た 地 の 農 家 な ど だ っ た 。 そ こ で 、 炉 端 で くつ ろ ぎ な が ら 主 の 話 を 聞 い た 。 敬 三 は 、 村 人 た ち の 信 望 が 篤 く て 民 俗 知 に 長 け た 人 た ち に 、 深 い 親 愛 の 情 を 抱 い て い た 。 そ の 根 源 を 探 索 す る た め に は 、 彼 の 出 自 を 繕 く必 要 が あ る か も しれ な い 。 な ぜ な ら、 彼 の 実 家 も農 業 を営 ん で い た か らで あ る 。
幼 い 頃 の 敬 三 は 、 栄 一 が 新 築 し た 深 川 邸 で 過 ご して い た 。 栄 一 は 王 子 の 飛 鳥 山 に 別 邸 を 築 い て 移 り住 ん で い た が 、 業 務 の 増 大 に 伴 い 、 さ ら に 兜 町 に新 築 し た 洋 館 に 転 じた 。 実 業 家 と し て の 手 腕 を 発 揮 し て い た が 、 生 家 は 武 蔵 国 八 基 村(埼 玉 県 深 谷 市)の 平 凡 な 農 家 だ っ た 。 そ れ が 、 同 族 か ら迎 え た 養 子 が 藍 玉 商 い で 巨 富 を 得 て 、 質 ・貸 金 業 に も進 出 し 、 一 代 で 名 主 見 習 に 取 り立 て られ る まで に な っ た 。 そ の 二 代 目 が 栄 一 で あ る 。 十 数 家 に 分 か れ て い た 澁 澤 一 族 の 歴 代 当 主 に は 、 時 宣 に 敏 な 起 業 家 が 多 か っ た 。 一 方 で は 数 奇 者 も 多 く、 文 人 墨 客 は も と よ り、 江 戸 か ら呼 び 寄 せ た 遊 芸 の 輩 も時 に は 出 入 り し て い た と い う 。 評 論 家 の 澁 澤 秀 雄 、 フ ラ ン ス 文 学 者 の 澁 澤 龍 彦 も 、 こ の 一 族 の末裔 で あ る。
こ う し て み る と 、 放 蕩 者 呼 ば わ り さ れ て 廃 嫡 の 憂 き 目 を み た 篤 二 は 気 の 毒 で あ る 。 彼 は 写 真 に 凝 っ た 。 そ の 写 真 術 は プ ロ の 域 に 達 す る も の が あ っ た と い う。 『瞬 間 の 累 積 』 と題 さ れ た 写 真 集 を み れ ば 、 そ の 技 量 の ほ ど が 判 明 す る 。(注6)
篤 二 が 残 した 数 々 の 写 真 は 、 澁 澤 家 の 人 た ち と、 そ の 血 縁 に 連 な る 人 た ち の 成 長 記 録 で もあ っ た 。 澁 澤 家 の 総 領 と して 、 自 ら の 責 務 を 自覚 し、
生 物 学 者 に な る 夢 を 断 念 し た 敬 三 は 、 父 が 成 し遂 げ よ う と し て 果 た せ な か っ た 想 い 、 無 念 さ を 、 痛 切 に 感 じ て い た の だ と思 う。 元 来 、 誠 実 で 温 厚 な 敬 三 を 、 学 問 の バ トロ ネ ー ジ へ と 向 か わ せ た 背 景 に は 、 こ の よ う な 彼 自 身 の 生 い 立 ち が あ る 。
敬 三 は 、 祖 父 の 業 績 を 後 世 に 伝 え る 膨 大 な 資 料 集 の 編 纂 も怠 ら な か っ た 。 『澁 澤 栄 一 伝 記 資 料 』(注7)で あ る 。 後 述 す る 「実 業 史 博 物 館 」 の
建 設 に も精 力 を注 い だ。 これ らふ たつ の事 業 は、 栄 一 の も とで書 生 時 代 を過 ごす な ど、 栄 一 を敬 慕 す る 人 た ちが 設 立 した 「龍 門 社 」 に 資金 管 理 を委 ね て進 め られ た。
アチ ック ・ミュー ゼ アムの 創 設 一 学 問の組 織者 が誕生 した小 部屋
祖 父 の 後 継 者 と な る 意 思 を 固 め て 後 も 、 学 問 へ の あ こ が れ は 払 拭 で き な か っ た 。 仙 台 か ら戻 っ た 敬 三 は 、 再 び 邸 内 に あ っ た 付 属 舎 の 屋 根 裏 部 屋 に 着 目 し た 。 そ し て 、 こ の 屋 根 裏 部 屋 を 「ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム 」 と名 付 け て 陳 列 室 と し た 。4坪 た らず の 小 さ な 博 物 館 だ っ た 。 し か し、
こ こ を 拠 点 に し て 学 術 同 好 会 の 結 成 を は か り、 新 た な 標 本 資 料 の 収 集 と 調 査 研 究 の 実 践 に 向 か い 始 め た 。
こ の 同 好 会 は 、 大 学 卒 業 を 間 近 に し た1921年2月 に 発 足 し た 。 初 会 合 に は7人 が 参 集 し た 。 内 山 敏 、 清 水 正 雄 、 鈴 木 醇 、 田 中 薫 、 中 山 正 則 、 宮 本 璋 、 そ し て 敬 三 で あ る 。 こ の 同 好 会 は 「ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム ・ソ サ エ テ ィ ー 」 と命 名 さ れ た 。 そ し て 、 自分 た ち の 干 支 に ち な ん だ 玩 具 や 縁 起 物 類 を 中 心 に 、 玩 具 の 収 集 調 査 を 共 同 研 究 テ ー マ に 掲 げ て 活 動 し始 め る 。 も っ と も、 す ぐ に 休 眠 状 態 に 陥 っ た 。 翌 年 に 敬 三 が 渡 欧 し、 会 員 た ち も そ れ ぞ れ 就 職 す る な ど し た た め で あ る 。 し か し 、1925年8月 に 敬 三 が 帰 国 す る と、 本 格 的 な 活 動 が 再 開 さ れ る 。
同 年12月 の 復 興 第 一 回 会 合 に は 、 鈴 木 醇 、 田 中薫 、 宮 本 璋 、 澁 澤 敬 三 、 江 木 盛 雄 、 小 林 正 美 、 佐 藤 富 冶 、 佐 藤 弘 、 渡 辺 尚 一 の9人 が 集 ま っ た 。 初 会 合 の 時 と は 若 干 顔 ぶ れ が 異 な っ て い る 。 ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム の 後 身 で あ る 神 奈 川 大 学 日本 常 民 文 化 研 究 所 に 、 往 年 の 資 料 台 帳 が2冊 保 存 さ れ て い る 。 『お も ち ゃ 箱 原 簿 』 と題 さ れ た そ の 第1冊 目 の 中 扉 に は
「同 人 」 と し て10人 の 名 前 が 連 記 さ れ て い る 。 内 山 敏 、 江 木 盛 雄 、 佐 藤 富 冶 、 佐 藤 弘 、 澁 澤 敬 三 、 鈴 木 醇 、 田 中 薫 、 小 林 正 美 、 宮 本 璋 、 渡 辺
尚一 で あ る。 中 山正 則 と清 水 正 雄 の名 前 は な い。
狭 い屋 根 裏 部屋 に集 ま っ て、 彼 らは どの よ う な議 論 を展 開 して い た の だ ろ う。 後世 に大 学 教 授 や 文 学 者 な ど と して 活 躍 す る こ とに な る人 た ち の名 前 をみ て い る と、 学 問へ の 絶 ちが た い思 い を抱 い て いた 敬 三 の心 情 が わか る気 がす る。 ま た、 私 設 博 物 館 兼研 究 所 と同好 会 を発 足 させ た 当 初 か ら、 共 同研 究 を意 図 して い た こ と は注 目 に値 す る。 敬 三 は、 敗 戦 の 翌 年 に 日本 民 族 学協 会 会 長 に就 任 す る と、 直 ち に 「六 学 会 連 合 」(注8) を組 織 し、 離 島 を 中 心 に 学 際 的 な 総 合 調 査 を何 度 も実 現 させ た。 そ の ビ ジ ョンがす で に芽 生 えて い るか らで あ る。
最 初 に取 り組 んだ 玩 具研 究 を推 進 す る た め に、敬 三 は、 澁 澤 家 に寄 宿 して いた藤 木喜 久磨 を アチ ック ・ミュ ーゼ アム の初 代 管 理 人 に任 命 した 。 そ して 、 資料 整 理 にあ た らせ る と と もに 、全 国 各 地 の 郷 土 玩 具 を収 集 す るた め、 寺 社 の 縁 日や 祭礼 の場 に 派 遣 した 。現 在 確 認 で きる 藤 木 収 集 の 玩 具 は500点 を超 え て い る 。 台 帳 に記 載 され た 地 名 か ら、 藤 木 は 数 年 間 に青森 県 か ら沖 縄 県 まで 、29府 県 を経 巡 っ た こ とが わ か る 。 藤 木 は、 玩 具 以 外 に も、 伊 豆 諸 島 に特 徴 的 な衣 食 住 に 関 す る 道 具 もか な りの 数 を もた ら した。
玩 具 研 究 は、 しか し、1930年 頃 に ほ ぼ収 束 す る。 芳 しい 成果 を挙 げ ら れ な か った か らだ が 、 これ よ り少 し以 前 か ら、 新 た に加 わ っ た早 川 孝 太 郎 、 宮 本 馨 太郎 、 高橋 文 太 郎 た ち を 中心 に、 藤 木 が 収 集 して きた よ うな 日常 生 活 とか か わ りの 深 い 道 具 の 比 較 研 究 に 関 心 が 移 行 した た め で も あ っ た。 以後 、 ア チ ック ・ミュ ー ゼ ア ムで は、 敬 三 が 「民 具 」 と命 名 し たこれ らの資料 の本格 的な収 集 と調査研究 に向かって動 き出す。 (写真4、5) 1930年 に は 、屋 根 裏 の 小 部 屋 を 出 て 、 新 築 され た木 造 二 階 建 て の 建 物 に引 っ越 した。
﹁・ひ ﹂
・ ・ 魂
.唱.■プ■
﹂剛 睦
(写 真4)病 気 治 癒 祈 願 の小 絵 馬(標 本 番 号H19354 国 立 民族 学 博 物 館 蔵)地 元 で 「イボ ガ ミ」 と 称 して い た こ と か ら、疣(吹 出物)が 治 ま る よ う に と疣 神 に奉 納祈 願 した もの だ っ た こ と が わ か る。
1937年5月 、 燧 灘 に 浮 か ぶ 魚 島(愛 媛 県)で 採 集 さ れ た。
(写 真5)石 造 地 蔵 尊(標 本 番 号H15711 国 立 民 族 学 博 物 館 蔵)1931年6月 の 津 軽 半 島 調 査 の 折 に 採 集 され た も の 。 地 元 で は 「ケ サ コ」 と呼 ば れ て い た。
最 初 は 、 模 索 し な が ら 脈 絡 の な い 収 集 が 行 わ れ て い た が 、 ま も な く、
敬 三 の 発 案 に よ り、 特 定 資 料 の 研 究 に 着 手 す る よ う に な っ て 、 組 織 的 ・ 計 画 的 な 収 集 が は か ら れ た 。 そ の 結 果 、 ア シ ナ カ(足 半 草 履)や 、 ウ ケ (筌)、 背 負 運 搬 具 な ど の 研 究 が 進 ん だ 。 中 で も ア シ ナ カ 研 究 は 、 宮 本 馨 太 郎 ら、 若 い 同 人 た ち が 著 し た 『所 謂 足 中(あ し な か)に 就 い て(豫 報)』(注9)に よ っ て 、 学 史 上 に 特 筆 さ れ る 成 果 を あ げ た 。 ウ ケ の 研 究 は 大 里 雄 吉 が 中 心 と な り 、 運 搬 具 は 礒 貝 勇 ら が 研 究 に 携 わ っ た 。 し
か し 、 大 陸 部 で の 戦 況 が 深 刻 化 す る 中 、 ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム の 活 動 を 維 持 す る こ と は 困 難 と な り、 研 究 は 中 断 す る 。
敬 三 が 主 宰 し た ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム は 、 民 具 の 研 究 以 外 に も、 民 間 の 習 俗 に 関 す る 調 査 報 告 書 も 数 多 く刊 行 し た 。 そ の 中 に は 、 敬 三 の 発 案 を 機 に 調 査 に 着 手 し た 結 果 で あ る も の が 少 な く な い 。 『塩 俗 問 答 集 』 (注10)は そ の 一 例 で あ る 。 ま た 、 敬 三 は 、 生 活 者 自 身 に よ る 生 活 記 録
の 刊 行 に も 強 い 関 心 を示 して い た 。 吉 田 三 郎 の 『男 鹿 寒 風 山 麓 農 民 日録 』 (注11)、 進 藤 松 司 の 『安 芸 三 津 漁 民 手 記 』(注12)な ど は 、 敬 三 と い う 開 明 的 な 研 究 者 ・庇 護者 が い な け れ ば 世 に 出 る こ と は な か っ た 。 敬 三 に 促 され て 、 生 活 者 自 身 が 描 出 し た 民 俗 誌 で あ る 。
敬 三 の 学 問 に 対 す る 考 え方 は 、 当 時 と し て は型 破 りだ っ た 部 分 が あ る。
し か し、 資 料 ・史 料 に 忠 実 で あ る べ き こ と の 重 大 さ を 、 敬 三 は 知 悉 し て い た 。 だ か ら こ そ 、 博 物 館 を 研 究 基 盤 と して 位 置 付 け た の で あ る 。 現 地 に お け る 収 集 調 査 に よ り得 ら れ た 資 料 を 標 本 と し て 保 存 ・公 開 す る こ と に よ り、 誰 に で も平 等 な 研 究 機 会 を 与 え る こ とが 可 能 な 施 設 が 博 物 館 だ か らで あ る。 敬 三 の博 物 館 に 対 す る思 い の 深 さ は 、 ひ と しお で は な か っ た 。 1932年 、 敬 三 は 、 ア チ ッ ク ・ミュ ー ゼ ア ム に 隣 接 し て 水 産 史 研 究 室 を 新 築 した 。 木 造 平 屋 造 り の 建 物 だ っ た 。 そ して 、 祝 宮 静 を リ ー ダ ー 格 と して 招 き 、 桜 田 勝 徳 、 山 口 和 雄 ら大 学 を 卒 業 した ば か りの 若 い 研 究 者 た ち を 迎 え て 所 員 と し、 水 産 史 科 や 漁 民 史 科 の 研 究 に も着 手 し た 。 水 産 史 研 究 室 の 設 置 は 、 療 養 中 の 伊 豆 内 浦 で 、 同 地 の 網 元 に 伝 え ら れ て い た
「大 川 家 文 書 」 に 出 会 っ た こ と が 契 機 に な っ て い た 。 当 時 、 漁 民 の 事 績 に 関 す る 、 い わ ゆ る 浦 方 文 書 の 調 査 研 究 は 、 ほ と ん ど 未 着 手 の 状 態 だ っ た 。 敬 三 は 「大 川 家 文 書 」 の 翻 刻 と刊 行 に は 、 ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム に 集 う研 究 者 た ち だ け で は 無 理 だ と判 断 し た の で あ る 。5年 後 、 こ の 文 書 の 全 容 は 『豆 州 内 浦 漁 民 史 料 』(注13)と し て 公 刊 さ れ た 。
戦 中 戦 後 と い う 未 曾 有 の 激 動 期 に 、 日銀 総 裁 や 大 蔵 大 臣 を歴 任 して い た 時 期 に あ っ て も 、 多 忙 な 公 務 の 間 を縫 っ て 、 生 涯 、 学 術 的 な研 究 に い そ し ん だ 敬 三 の 熾 烈 な 思 い が 、 そ の 後 ど の よ う に 結 実 し 、 評 価 さ れ て き た か 。 戦 後 も 「ミ ナ カ タ ・ソ サ エ テ ィ ー 」 を 設 立 し て 『南 方 熊 楠 全 集 』 全12巻(注14)を 刊 行 す る な ど 、 学 術 振 興 に 果 た し た 功 績 に は 、 余 人 の
追 随 を 許 さ な い 幅 広 さ と奥 行 き が あ る 。
澁澤敬 三と博物館 見果てぬ夢
最 後 に 、 澁 澤 敬 三 と博 物 館 を め ぐ る 事 柄 を も う 少 し書 き留 め て お く。
敬 三 が 設 立 に 関 与 し た 博 物 館 が 少 な く な い か らで あ る 。
ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム の コ レ ク シ ョ ン は 、1938年 に 日 本 民 族 学 会 附 属 民 族 学 博 物 館 に 寄 贈 さ れ た 。 そ の 資 料 総 数 は 約10,000点 だ っ た 。 こ の 民 族 学 博 物 館 は 、 野 外 博 物 館 の 一 部 と して 構 想 さ れ て い た も の で 、 学 会 附 属 民 族 学 研 究 所 と と も に 設 置 さ れ た 。 敬 三 が 、 資 料 ば か りか 、 土 地 と 建 物 を 手 配 し 、 宮 本 馨 太 郎 や 小 川 徹 な ど 、 ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム の 若
く て 有 望 な 同 人 た ち を研 究 員 と して 提 供 し、 よ う や く開 館 に こ ぎ つ け た 。 1939年 の こ と だ っ た 。 ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム は 敬 三 の プ ラ イ ベ ー ト・
ミ ュ ー ジ ア ム だ っ た が 、 こ れ に よ り、 そ の コ レ ク シ ョ ン は 公 共 の も の と な り、 公 開 さ れ た 。 民 族 学 博 物 館 に 関 し て は 、 敬 三 は 、 そ の 設 立 を 国 に も は た ら き か け て き た 。 そ の 努 力 は 、 死 後 十 数 年 を 経 て よ う や く 報 わ れ た 。 そ れ が 、 今 日 の 国 立 民 族 学 博 物 館 で あ る 。(写 真6、7)し か し … 。
敬 三 の 構 想 で は 、 そ れ は 、 野 外 博 物 館 と一 体 化 して い た 。 今 和 次 郎 に そ の 全 体 計 画 を 描 か せ た 図 面 が 残 っ て い る 。(写 真8)広 い 敷 地 内 に は 、 大 型 の 民 家 を 含 め て50棟 近 い 建 物 が 配 さ れ て い る 。 そ の 一 部 は 実 現 して い た 。 北 海 道 か ら 呼 び 寄 せ た 二 谷 兄 弟 に よ っ て ア イ ヌ の 民 家(チ セ)が 建 設 さ れ た 他 、 奄 美 大 島 の 穀 倉 や 、 武 蔵 野 の 民 家 な ど が 移 築 さ れ た 情 景 写 真 も残 さ れ て い る。(写 真9)
(写 真6)国 立 民 族 学 博 物 館(大 阪 府 吹 田 市 の 万 博 公 園 内)。1977年 に 開 館 し た。
(写 真7>国 立 民 族 学 博 物 館 の 常 設 展 示 場 内 「日 本 の 文 化 」 コ ー ナ ー に 陳 列 され て い る ア チ ッ ク ・
ミュ ー ゼ ア ム 旧 蔵 資 料 か ら、 背 負 い運 搬 具 コ レ ク シ ョ ン(国 指 定 重 要 有 形 民 俗 文 化 財)の 一 部 、
(写真8) 「日本 民 族 博 物館 全 景 」 と題 さ れ た鳥瞰 図 。1940年 以 後 に 今 和 次 郎 に よ っ て描 か れ た 完 成 予 想 図 。 東 側 の も っ と も 大 型 の 建 物 が 本 館(民 具 陳 列 室 ・収 蔵 室)、L字 形 に 伸 び る 建 物 の 一 部 が 研 究 棟 。 屋 外 部 を含 め た 総 敷 地 面 積 は約3,500坪 。 国 に 設 立 を は た ら き か け る 資 料 と して 作 成 さ れ た と 考 え ら れ る 。 しか し、
実 際 に 開 館 し た 時 に は 、 当 初 計 画 し て い た 面 積 よ り は る か に 縮 小 し た た め 、 大 幅 な 変 更 を余 儀 な く さ れ た 。 な お 、 本 図 は 下高 橋 文 太 郎 の 真 実 と 民 族 博 物 館 一 埋 も れ た 国 立 民 族 学 博 物 館 前 史 一 』 (2008年 西 東 京 市 ・高 橋 文 太 郎 の 軌 跡 を 学 ぶ 会 代 表:高 田 賢)か ら、 発 行 者 の 了 解 を 得 て 転 載 した もの で あ る。
(写 真9)公 開 され て い た 当 時 の 野 外 部 。 奄 美 大 島 の 穀 倉 とア イ ヌ の 民 家(チ セ)の 姿 を認 め る こ とが で き る。 他 に 絵 馬 堂 、 水 車 小 屋 、 竪 穴 式 住 居 な ど が あ っ た(写 真 提 供:西 東 京 市 中 央 図 書 館)。
大 阪 府 豊 中市 の服 部 緑 地 公 園 内 に(財)日 本 民 家 集 落博 物 館 が 開設 し た 際 に も、 敬 三 は名 を連 ね てい た。 野 外 博 物 館 兼 民 族 学(民 俗 学)博 物 館 へ の こだ わ りは、 彼 自身 の 生 態 学 的 な思 考 を前提 と して い るが 、 赴任 先 の ロ ン ドン滞 在 中 に訪 れ た ス トッ ク ホ ル ム の 「ス カ ンセ ン」 が モデ ル に な って い る。
も と澁 澤 家 の執 事 だ っ た杉 本行 夫 が 、 三 沢市 内 に小 川 原湖 民 俗‑博物 館 を開 設 した と き に も、 同 じ く杉 本 が尽 力 した 十和 田湖 科 学 博 物 館 の 開館 に あ た っ て も、敬 三 は協 力 を惜 し まな か っ た。 この他 、 敬 三 は、 実業 史 博 物 館 建 設 の準 備 も着 々 と進 め て い た。 これ は、 先 にふ れ た 『渋 沢栄 一 伝 記 資 料 』 の刊 行 と表 裏 一 体 の事 業 だ っ た。 日本 の実 業 発 展 に貢 献 した 祖 父 の顕 彰 を主 眼 と し なが ら、 近 世 以 来 の 商 業 ・流 通 関 係 資 料 を網 羅 す る 内 容 で 、 資 料 の 多 くは 道 具 商 を動 員 して収 集 に つ とめ て い た 。 しか し、 実 業 史博 物 館 は、 地 鎮 祭 を済 ませ た もの の 、 戦 況 の 悪 化 に よ って 建 設 が 頓挫 し、 つ い に実 現 しなか っ た。
生 物 学 者 にあ こが れ て い た敬 三 は、 中で も魚 類 に明 る く、釣 りが 趣 味 で もあ っ た 。 そ の よ う な こ とか ら 『日本 魚 名 集 覧』 (注15)や 『日本釣 魚 技 術 史小 考』 (注16)な ど も著 した 。 関 連 して 「延喜 式 」 に記 載 され た御 餉物 をは じめ とす る諸 国 の 朝 貢 物 の研 究 に も没 頭 して い た。 そ して
「延 喜 式 」 に 著 され た 、 水 産 物 を は じめ とす る食物 加 工 技 術 な どを再現 し、 平 安 時代 の暮 ら しぶ りを示 す た め の 「延 喜 式博 物 館 」 を建 設 で きな い もの だ ろ うか と、 晩 年 まで真 剣 に考 え て い た 。
澁 澤 敬 三 の学 問 とバ トロ ネ ー ジ は 、常 に庶 民 生 活 の調 査 研 究 と博 物 館 建 設 に結 び つ い て い た。 アチ ック ・ミュー ゼ ア ム を拠 点 に始 め た活 動 は、
その 出発 点 だ っ た。 澁 澤 同族 株 式 会 社 社 長 と して の配 当金 、 複 数 の銀 行 と企 業 か ら得 た役 員 報 酬 な ど、 生 涯 を通 じて得 た収 入 の ほ とん ど を、 学 術 活 動 を継 続 し、 支 援 す る た め に投 じ続 け た。
ち な み に 、 敬 三 は 、 アチ ック ・ミ ュー ゼ ア ム の 経 理 は複 式 簿 記 で 処理
させ て い た 。 さ す が 、 銀 行 マ ン ら し い 。 そ し て 、 大 枚 の 小 切 手 を ポ ン と 手 渡 す よ う な こ と が あ っ た 反 面 、 経 理 の 合 理 的 な 運 用 に は 細 や か な 注 意 を 払 っ て い た 。 ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム が 発 行 し て い た 『ア チ ッ ク マ ン ス リ ー 』 を 子 細 に 読 む と 、 敬 三 の 週 末 旅 行 に は 、 宮 本 馨 太 郎 や 小 川 徹 な ど 、 若 い 在 京 の 同 人 た ち が よ く同 行 し て い た こ と が わ か る 。 子 爵 の 敬 三 は 別 と して 、 彼 ら は 皆 、 寝 台 車 を 使 う こ と は な か っ た 。 研 究 支 援 に 注 ぎ 込 む 資 金 を 浪 費 し な い よ う、 締 め る べ き と こ ろ は 締 め て い た 。 ア チ ッ ク ・ミ ュ ー ゼ ア ム の 同 人 た ち は 、 決 して 甘 や か され て い た の で は な か っ た 。 敬 三 が 学 問 の バ トロ ネ ー ジ に 注 ぎ込 ん だ ポ ケ ッ トマ ネ ー の 総 額 は 、 本 当 は は か り知 れ な い 。 た だ 、 ひ とつ の 目安 を 与 え て く れ る 晩 年 の エ ピ
ソ ー ドが あ る 。
九 州 を 旅 行 中 に 倒 れ 、 病 床 に あ っ た 彼 を 見 舞 い に 来 た あ る 人 が 、
「先 生 は 、 こ れ ま で に どれ ほ どの 援 助 を し て こ ら れ た の で し ょ う か 」 と、
尋 ね た とい う の だ 。 問 わ れ た 敬 三 が 言 っ た 。
「さ あ ね 、10億 か な 」
私 に は 、 こ の 金 額 が 決 し て 誇 張 さ れ た も の だ と は 思 え な い 。 何 ご と に つ け て も、 謙 虚 で 温 厚 な 彼 の 性 格 か らす れ ば 、 む し ろ 、 控 え め な 回 答 で
は な か っ た か と さ え 、 思 う の で あ る 。
1963年10月25日 。 敬 三 は 還 ら ぬ 人 と な っ た 。 享 年63歳 。 世 間 の 人 た ち は 、 こ ぞ っ て 「三 種 の 神 器 」 を 買 い 求 め 、 翌 年 に 開 催 さ れ る 東 京 オ リ ン ピ ッ ク 特 需 に 沸 き か え っ て い た 。 敬 三 が 、 大 蔵 大 臣 と し て 大 錠 を振 る っ て 活 路 を 拓 き 、 焦 土 に 撒 い た 経 済 復 興 の 種 が 稔 り始 め て い た 。
写 真 提 供 ・協 力
西 東 京 市 ・高 橋 文 太 郎 の 軌 跡 を 学 ぶ 会 代 表:高 田 賢(写 真8) 西 東 京 市 中 央 図 書 館(写 真9)
渋 沢 史 料 館(写 真2、3)
国 立 民 族 学 博 物 館(写 真1、4、5、6、7)
(注1)鈴 木 醇 と 宮 本 璋 。 旧 制 中 学 以 来 の 友 人 だ っ た ふ た りは 、 と も に 大 学 で 教 鞭 を 執 っ た 。
(注2)今 日 、 そ の 建 物 は 神 奈 川 県 立 歴 史 博 物 館(旧 館)と し て 機 能 して い る 。
(注3)1900年 男 爵 、1920年 子 爵 。
(注4)「 昭 和 財 界 史 」(NHK教 育 テ レ ビ 教 養 特 集 「日 本 回 顧 録 』1963年 1月14日 放 送)
(注5)『 澁 澤 敬 三 著 作 集 』 全5巻(1992〜93年 平 凡 社)に は 、 ア チ ッ ク ・ ミ ュ ー ゼ ア ム の 同 人 た ち を 伴 っ て 民 俗 資 料 の 探 訪 調 査 を 実 施 し た と き の 記 録 や 、 水 産 史 料 に 関 す る 論 文 、 国 内 外 各 地 を 歴 訪 し た 際 の 随 筆 、 身 近 な 人 た ち や 事 象 に 関 す る 折 に 触 れ て の 随 筆 な ど 、 彼 の 主 要 な 著 作 が 網 羅 さ れ て い る 。
(注6)『 瞬 間 の 累 積 澁 澤 篤 二 明 治 後 期 撮 影 写 真 集 』(澁 澤 敬 三 編 1963 年 非 売 品)篤 二 が 遺 し た 多 く の 写 真 は 、 敬 三 に よ り編 集 ・刊 行 さ れ た 。 父 の 三 十 三 回 忌 供 養 の た め に 企 画 さ れ た も の だ が 、 同 時 に 、 敬 三 に と っ て は 死 出 の 旅 路 へ の 土 産 と な っ た 。
(注7)「 渋 沢 栄 一 伝 記 資 料 』 全68巻(渋 沢 青 淵 記 念 財 団 竜 門 社 編 1955 〜60年 渋 沢 栄 一 伝 記 資 料 刊 行 会)
(注8)そ の 後 、1951年 に は 九 学 会 連 合 と な っ た 。
(注9)「 所 謂 足 中(あ し な か)に 就 い て(豫 報)』(ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 編 1936年)
(注10)『 塩 俗 問 答 集 』(ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 編 1939年)
(注11)「 男 鹿 寒 風 山 麓 農 民 日録 』(ア チ ッ ク ミュ ー ゼ ア ム 編 1938年) (注12)『 安 芸 三 津 漁 民 手 記 』(ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 編 1937年) (注13)「 豆 州 内 浦 漁 民 史 料 』 全3巻(ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 編 1937 〜39年)同 書 の 刊 行 に よ り、 敬 三 は1940年 に 日本 農 学 会 の 農 学 賞 を 受 賞 し た 。
(注14)「 南 方 熊 楠 全 集 』 全12巻(澁 澤 敬 三 編 1951〜53年 乾 元 社) (注15)『 日 本 魚 名 集 覧 』(第1部 1942年 、 第2部 1944年 ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム)
(注16)『 日本 釣 魚 技 術 史 小 考 』(1962年 角 川 書 店)