奈良教育大学学術リポジトリNEAR
時代のイメージを子どものものに―ダブルスクール 下における子どもと歴史学習―(「大昔の人々のく らし」の実践をもとに)
著者 櫻本 豊己
雑誌名 高円史学
巻 16
ページ 33‑51
発行年 2000‑10‑01
その他のタイトル Letting Children Have Their Own Images of the Times ― Children under the Double School System and Historical Learning
URL http://hdl.handle.net/10105/8776
時 代 の イ メ ー ジ を 子 ど も の も の に
− ダブルスクール下における子どもと歴史学習 −
︵ ﹁
大 昔
の 人
々 の
く ら
し ﹂
の
実 践
を も
と に
︶ 模
本 豊 己
一 はじめに
臨時教育審議会が答申︵一九八四〜八七年︶で公教育の解体・教育の私事化の方向を打ち出して以来︑子ども・親の進学
競争はますます激化した︒私の学校でも低学年のときから塾通いする子どもが増え︑高学年になるとクラスの四分の三以上
の子どもたちが塾に通うようになっている︒付属中学校に入学するためには入試があることに加え︑六年一貫の私学を目指
して︑学校が終わったらすぐに塾に向かう子どもの姿がある︒そのことによって子どもたちはじっくりと学ぶということが
できなくなり︑健康面においても不安が多くなっている︒いわゆるダブルスクール下において︑子どもたちは塾で歴史の用
語ばかりをつめこまれるために︑学ぶことのねうちをつかめないであえいでいる︒そんな子どもたちに学校でこそ何を学ば
せなければならないのかが今問われている︒歴史学習もまた子どもたちにとってどんな意味があるのか︑塾で覚えさせられ
る歴史の用語が歴史のなかでどんなねうちのあることなのかを︑実感をともなってとらえられるような授業づくりが望まれ
ー33−
ている︒その課題に基づいて行った授業づくりの一端を報告する︒なお︑この実践は一九九七年度のものである︒
二 子どもたちの学びの状況
六年生になり︑入学してきた一年生を﹁相棒﹂として迎え︑児童会活動でも中心になっていくことに楽しみと不安をもち
つつ︑四月・五月を終えた︒六年生としての学習や児童会活動が軌道に乗りかけたころ︑子どもたちのくらしがどんな様子
なのかを知るために﹁自分を見つめて﹂という作文を書かせることにした︒六年生が︑自分のくらしと向き合いさまざまな
矛盾に立ち向かっていく姿勢をもっていくことは大事なことだ︒
高学年になると︑塾通いの子どもが増える︒私のクラスでも進学塾をはじめ何らかの学習塾に通う子はクラスで半数以上
いた︒三十五人のうち︑作文で学習のことを書いた子が十二人︵内︑受験については十一人︶︑なかまのことで悩んでいる
子は七人︑その他は家庭のことや自分自身のこと︑また︑担任らへの批判を書いた子もいる︒学習のことを書いた子どもは︑
学校と塾の生活の両立がたいへんであることや︑なぜ塾にまで行って学ばねばならないのかを綴っている︒
−34−
勉強はたいへん
私は︑家に帰って︵あそびたいなあ︶と思うけど︑学校の宿題やじゅくの宿題がけっこうあるから︑遊ぶのをやめて
しまう︒じゆくがあるときなんかとくにたいへん︒お母さんによく言われることは︑
﹁ 時 間 短 い ね ん か ら ︑ が ん ば り や ︒ ﹂
だ︒私だって︑いっしょうけん命がんばってる︒だから︑ちょっといやなときもある︒それに休んだら︑宿題たまるし︑
むずかしいから︑だいぶ時間がかかる︒じゆくから帰ってきてから︑やろうと思っても︑ご飯食べたり︑学校の宿題も
やらないといけないからだ︒私は︑お母さんに︑
﹁学校の宿題だけは︑ちゃんとやりや︒﹂
と言われてるから︑やらないといけない︒私も学校の宿題は︑毎日出してるから︑わすれたくはない︒だから︑夜︑お
そくまでやる︒それにしても︑朝ははやくいかないといけないし︑一年生もつれていってあげないといけない︒ねむた
いけど︑がんばらないといけないからだ︒じゆくの宿題で︑わからないところをお母さんに聞いて︑教えてもらってわ
からなかっただけで︑おこられる︒わからないのは︑だれにだってあると思う︒わからないのに︑おこらないではしい︒一
︵ ち
ひ ろ
︶
3 5
じゅけんをするか
ぼくははっきり言って︑じゆけんをするかわからない︒ぼくはすると言っているが︑心の中はわからない︒ロだけな
らだれでも言える︒別に校区に行っていいじゃないか︒でも︑じゆけんをしたい︒なんで校区じゃなくて︑じゆけんを
するか︑ぼくにはまだわからない︒なんでこんなべん強してまで︑はかの中学に行きたいかわからない︒一つはっきり
している︒もし校区に行ったら︑じゆう道をしなさゃならない︒こんな単じゅんなことで︑じゆけんをするなんて︑ぼ
くはおかしい︒じゆけんする理由ははかにあるかと心の中で考えたが︑見当たらない︒なぜじゅけんをするんだろう︒
友だちがじゅけんするから︑ぼくもすると言う考えなのかもしれない︒じゆくにまで行っておこられたりまでして︑な
ぜじゅけんをしなさゃいけないのかはっきりしない︒はやく真実を見つけて︑決心したい︒
︵ か
ね ひ
ろ ︶
家庭での様子
私は︑五年になってから家庭の様子が変わった︒塾は7時から9時半になって︑夜食を食べるのは10時ごろだ︒今は
もうなれたけれど︑そこから︑お風呂に入って︑また勉強する︒私の中学志望校は︑同志社女子中と女子大だけれど︑
そのためにねるのは︑1時ぐらいになってしまう︒お母さんが横にいてくれて勉強をみてくれてるけど︑日曜日はだい
たい10時間は勉強している︒でも︑時々いやになってさぼりたくなるときがある︒でも︑今はやっぱり志望校に行きた
いので︑勉強しようと患う︒それと母さんがせっかく勉強を見てくれていっしょにがんばってくれているので︑私の志
望校に入りたいからです︒
︵ あ
き よ
︶
ー36−
六年生になる前の春休み︑塾で歴史を習ったまさゆきは︑歴史はたくさんのことを覚えないといけないからたいへんだと
いう意味のことを日記に書いていた︒ほとんどの塾では問題集を利用した問題解きを中心にしているわけだから︑歴史は覚
えることが多すぎるという印象をもったわけだ︒時代のイメージをつかめないまま用語を丸暗記させられている︒これでは
歴史嫌いを助長するし︑学びそのものからの逃避が起こっても不思議ではない︒
子どもが歴史の用語をたくさん知っていることを否定するつもりは全くない︒ただ意味をつかめないまま用語を覚えるこ
とに窮している姿に大きな問題を感じるのである︒
このような状況におかれている子どもたちに︑歴史を学ぶことが楽しいと言えるような授業をつくっていくことが必要で
ある︒これこそが学校教育の本当の意味での課題であろう︒すなわち︑ダブルスクール下の子どもたちを前にして︑学校の
教科教育の果たす役割がある意味ではよりはっきりしてきたのではないかとも言える︒
三 時代のイメージを子どものものにする歴史の授業づく日ソ
﹁大昔の人々のくらし﹂を例にとって実践を紹介する︒授業の具体的な発言や討論の様子は詳しく示すことはできないた
め︑おおまかな展開と子どもたちの感想を示して︑授業づくりで大事にしたことを焦点化させたい︒
教材の構成︵全六時間︶と授業の重点
㈱歴史は何のために学ぶのか︵1時間︶
初めて学ぶ歴史学習のオリエンテーションになる︒六年社会科は歴史を勉強するのがあたり前という子どもの意識に対し
て︑歴史学習の意味を考えさせる︒
㈲ヒトの誕生︵1時間︶
歴史をつくってきたヒトの特徴はどこにあるのかを考えさせたい︒
伺ナウマンゾウがいた時代︵1時間︶
考古学的な事実をどうとらえることが合理的なのかを考えあう授業にしたい︒
37
仙土器ができるようになった時代︵1時間︶
土器が発明されることで人間のくらしはどう変化していく可能性があるのかを考える︒
㈱米づくりが始まった時代︵2時間︶
米づくりが始まることで人間のくらしがどう変わるのかを考え︑定住によってできてきたムラの意味を考える︒
授業のパターンは︑
①歴史的な事実の確かめ
②その事実をどう考えるのかを出し合う
⑨討論 の三段階を通常としている︒
︵1︶歴史は何のために学ぶのか
この問いは︑歴史学習をなぜ学ぶのかを意識させて設定したものである︒六年生になれば社会科は歴史を習うことを当た
り前のことと思っている子どもたちに改めてそのことの意味を考えさせるのである︒学校教育における歴史学習は趣味では
ない︑根本的には︑自分たちが主人公となって生きていくこれからの世の中に学んだことを生かしていくことが大事なのだ
というところに思いをいたらせたい︒
︻ 展
開 ︼
1一人ひとりが考えたあと︑班の話し合いにうつり︑それを発表しあう︒
A 昔と今の使っているもののちがいを知る
B 昔の人やことがらを知る
C いろいろな発達を知る
D 大昔にどんなことがあったかを知る
E 昔の人の生活を今の生活に生かしていく
F これからあとの時代の人のために伝える
G 昔のあやまちをくりかえさないようにする
2 出された意見について討論をする︒
︒討論のなかでは﹁知る﹂・﹁伝える﹂・﹁生かす﹂ということばがキーワードとなっていた︒
︻子どもの社会科ノートから︼
私の考えは︑﹁昔どんなことが起こっていたのかを知って日本のことがわかるようにする﹂で︑班の人もこれでいい
と言ってくれたので︑発表しました︒
すると︑﹁知ってどうすんねん﹂というぎ問を言われたので︑私は︑知って︑生かして︑伝えていくという考えがう
かんでいました︒でも︑伝える︑生かすと言っても︑知らないと︑できないのとちがうかなと思っていた︒知ることに
よって︑生かしたりできるのとちがうのかな︒
39
でも︑やっぱり︑何でも知ってても︑生かす︑伝えなければ︑意味はありません︒役にも立ちません︒この3つが大
事なことだと思います︒
もう一つ﹁生かしてどうすんねん﹂というのもありました︒これは︑役に立つ物を作っていくために︑知ったり伝え
たりして︑昔のことを考えてやっていく大事なことだと思います︒
しゅみによって︑楽しむ人もいるけど︑正しくは︑こんなこと︵知る︑伝える︑生かす︶をするためと思います︒
歴史って︑めんどくさくていらんなーと思ったりしてたのに︑歴史って︑大事なことを習うんだなと思うようになり
ました︒ ︵りょうこ︶
︵2︶ヒトの誕生
この教材は理科の学習ともふれあうところがあり︑どの程度歴史学習でおさえるかについては迷いがあるが︑手が自由に
なって道具をつくることができるようになることや脳の発達で感情や知恵が出てくることを中心に考えさせることにした︒
︻ 展
開 ︼
1 人類の誕生と地球の誕生を︑何年前かで比べる︒
︒地球の誕生は四十六億年前︑人類の誕生は二百万年前︑みんなが生きてきたのはおよそ一〇年︒これらの時間の長さを
距離のちがいにおきかえてみた︒
2 ヒトとゴリラの骨を見て︑ちがいを調べる︒
︒腰骨の発達と背骨がまっすぐになる︒
3 腰骨の発達と背骨がまっすぐに伸びてくることによって︑ヒトはどんなことができるようになったかを考える︒
︒そのことで二本足で歩けるようになる︒
︒自由になった前足でどんなことができるようになったのか︒
︒脳の大きさのちがいからヒトはどんなところを発達させてきたのか︒1道具をつくる︒足ではできないことで手ででき
ることを考える︵日本語の動詞で考えてみる︶︒感情の発達︒
︻子どもの社会科ノートから︼
きょうの社会はヒトという題でした︒歴史の勉強でもあるけど︑理科にもにてた︒まず︑地球は何億年前にできたか
をききました︒46億年前に地球はできたのでした︒︵うわー︑すんげ昔にできててんなー︶と思った︒いまぼくたちの
年︵約10才︶を1皿にして︑16億年は何血になるかを計算した︒すると︑棚血で大阪から東京ぐらいまでときいたので
びっくりしました︒ぼくは畑血のうちの1mしかいきてないのかと思ったら︑地球はずいぶん前からできていたとわかっ
た︒そして︑人類はたった訓万年前に誕生したぽっかりでした︒人はサルから進化したのでした︒いちばん進化した部
分はこしでした︒こしが発達しないと立てないことがわかりました︒そして︑かんぜんに立って直立二足歩行ができる
ようになったのでした︒もう一つの発達は脳でした︒頭がい骨も昔とくらべるとだいぶ右上の方がでかくなっていた︒
だから︑脳が大きくなったのでした︒そして︑臓物にはあまりない感情とかを表せるとわかりました︒今日の社会はすく
昔の話だけどおもしろくて歴史をもっと学びたいと恩いました︒ ︵りょう︶
ー41−
︵3︶ナウマンゾウかいた時代
この教材を教えるにあたって絵本﹃新版 野尻湖のぞう﹄︵井尻正二著・福音館書店︶を読んでみた︒この絵本は野尻湖
の発掘調査でわかってきたことを当時の考古学者がどのように推理を展開したかについて興味深く書かれていたので︑この
手法を授業でも展開してみようと思った︒
みんなで次のような問題を考えた︒考古学者になったつもりでなぞときに挑戦をさせてみたわけである︒︵この授業は実
際には二時間をかけた︒︶
︻ 展
開 ︼
1 中国で発見されたナウマンゾウの化石が日本でも見つかった︒これから何がわかるか?
︒日本列島は昔︑大陸と陸続きであった︒
2一九四八年︑野尻湖付近の旅館の主人がナウマンゾウの化石を湖の底で見つけた︒では︑陸にすむナウマンゾウがなぜ
湖の底から出てきたのか︒
︵ 子
ど も
の 仮
説 ︶
A 人が湖までナウマンゾウを追って︑そこでナウマンゾウを湖に落とした︒
B 周りの山で死んだナウマンゾウの骨が川の水に流されて︑湖まできた︒
C 当時の野尻湖には水がなかった︒など
3一九六二年の第一回発掘調査でナウマンゾウとオオツノシカの化石がそろって発見された︒暑い地方にすんでいるはず
のゾウの化石と寒い地方にすんでいるオオツノシカ化石がいっしょに発見されたというのはいったいどう考えたらいいの
ー42−
だ ろ
う ︒
︒当時の花粉の化石を調べてみると︑寒い地方の植物ばかりで︑当時の野尻湖付近の気候は今よりもずっと寒かった︒お
よそ︑いまよりも10度ぐらい低かった︒︵氷河時代︶したがって︑ナウマンゾウは寒い地方にすむゾウだと考えざるを
えない︒そこから︑ナウマンゾウの体表は長い毛でおおわれていたと考えられる︒
一九六三年の第二回発掘調査で発見された化石はナウマンゾウとオオツノシカのものばかりで︑小さな動物の化石は全
く発見されなかった︒これはどう考えたらいいか︒
︒当時の野尻湖付近は湖ではないとすると︑小さな動物の化石も発見されてよいはず︒発見されないということは陸上で
はなかったということになる︒したがって︑Cの仮説はだめということになる︒人骨の化石が発見されれば仮説Aが正
しいということになるのだが⁝︒
一九六四年の第三回発掘調査で︑ナウマンゾウの化石にまじって︑大昔の人が石器をつくる時にできた石のかけらが見
つ か
っ た
︒
︒この時代に人がすんでいたということになる︒
第三回目の調査で︑丸太のような木の両端をけずってわりばしのように平らにした8・5mもある木の棒がみつかった︒こ
れはいったい何につかわれたのだろうか︒
︵ 子
ど も
の 考
え ︶
A やりのようにして使った︒
B いすのようにして使った︒
ー43−
︻子どもの社会科ノートから︼
少しの物の発見でいろいろなことがわかり︑いろいろなせつを作ることができるんだなあと患った︒昔はアジア大り
くの一部が日本だった︒こんなすごいことがちがうばしょでみつかった2つの化石でわかるというのがおどろいた︒で
も︑そう考えるしかない︒そして︑野じりこのそこにナウマンゾウの化石があった︒そして︑しかととなりあわせだっ
た︒しかは寒い地方にすみ︑ゾウはあたたかい所にすむのに︑となりということはすごくおかしいことになる︒今はゾ
ウに毛がはえていたことになってるけど︑じつさいはわからない︒ぼくはいろいろなちょうさでむかしのことをそうぞ
うすることができるけど︑それはそうぞうでじっさいのことをしるにはドラエモンにでもたのまないとわからないのだ
な と
思 っ
た ︒
︵ と し き
︶
︵−︶土器ができるようになった時代
この授業で考えさせる主な点は﹁土器ができるようになるとくらしがどう変わるか﹂である︒この時代の特徴である土器
の発明は歴史的にみてどんな意味があるのかを考えさせてみる︒このような活動をとおして歴史の進歩の一端をつかませる
ことができると思う︒
︻ 展
開 ︼
1 貝塚について知っていることを発表する︒
︒貝塚はどこで見つかったか︑貝塚には何があったのかを確かめる︒
2 土器が員塚から出てきたことから︑﹁土器が作られるようになると︑人々の生活はどんな点で便利になるか︑どう生活
が変わるのか﹂を考える︒
︻ 子
ど も
の 意
見 ︼
A なべがわりになる︒
B 魚などを焼くことができる︒
C 水をためて︑いつでも飲める︒
D ものをにることができる︒食べられる物の種類が増える︒食べられる物の量が増える︒
E 水などをいっぱい運べる︒
3 このような生活に変わってくると︑この時代の人々の住居はどうであったのか︒家をつくって定住生活だったのか︑そ
れとも移住生活だったのか︒︵これはゆきさんから出された疑問︶ −この問題については考える時間が足りなく家庭学
習 と
し た
︒
︻子どもの社会科ノートから︼
今日は縄文時代についての勉強をした︒1万2千年前ごろから︑3千年前のくらしはどんなものかは︑何となくでき
た︒でも︑生活の様子だけだ︒大昔の人のゴ︑︑︑捨て場は︑﹁貝塚﹂というそうで︑食べ物では︑員がら︑魚の骨︑クリ
のかわなど︒でも資料集を見ると︑アザラシまでとって食べていたそうだ︒そう簡単には手に入るものじゃないと思っ
てたのに︑ふつうの食生活にはいったということは︑ごく身近なところにいるんだな︒昔も数は多かっただろう︒道具
もある︒石器︵矢じり︶などだ︒昔の入って︑道具をつくるのに︑ずいぶん考えただろう︒でも︑考えたから︑矢じり
や︑つりぼりなんかができてきたのだろう︒土器もだ︒このころの土器は︑縄文土器という︒それは︑土でつくった土
−45一
器がやわらかいうちに︑縄目の模様をつけたのだ︒よくそんなことを思いついたもんだな︒なぜ︑そんなことをしよう
と考えたのかな︒
この土器が作られるようになると︑人々のくらしに︑どんな便利なことになるというのが今日の問題だ︒わたしは食
べ物をにたりできるで︑食べる量も多くなるのではないか︑と考えた︒発表の時間には5つか6つの意見が出た︒はん
ろんや疑問のとき︑私はBいけんにはんろんした︒﹁魚などを焼くことができる﹂といういけんだったんだけれど︑土
器ができたからといて︑土器の中で︑魚は焼けないと思う︑と言ったら︑けっこう納得してくれた︒また︑食べる量が
増えるということは栄養がたくさんとれることがわかり︑食生活が豊かになることがわかった︒こんなことから縄文時
代の人は︑移住してたんじゃないかな︑と思った︒だって︑季節や年によって︑食糧のしゅうかくもちがう︒少なかっ
たら︑食べ物の多そうな山らへんに行くとか︑海辺に行くとかしないと︑生活がなりたっていかないと思ったからだ︒
これからも︑いろいろ考えたりしていきたいです︒ ︵あきよ︶
46
︵5︶米づくりか始まった時代
次の時代の特徴を米づくりの始まりととらえた︒米づくりができるようになってきたことの意義を確かめさせたい︒発間
は﹁米づくりができるようになると︑どんな良い点があるか︒また︑どのようにくらしが変わるか﹂である︒
︻ 展
開 ︼
1 二〇〇〇年から二五〇〇年はど前に米づくりが始められたということであるが︑そのころは今日本人が食べているジャ
ポニカ米の他︑長粒種のインディカ米もあった︒
︒赤米はノギが長い︒それぞれのもみをとると︑色が赤い︑黒い皮︵ぬか︶でおおわれている︒
当時︑米づくりをしていたということは︑どんなことからわかるのかを考える︒
︻ 子
ど も
の 意
見 ︼
・田んぼのあと
・道具− 田げた・すき⁚えぶり・石ぽうちょう︵穂首刈りをしていた︶
・土器−縄文土器よりも高い温度で焼き︑より固くなった弥生土器を使うようになる︒﹁弥生﹂ということばは︑東
京都文京区弥生町からこの時代の土器が初めて発掘されたので︑そんな名前がついた︒
・遺跡−唐古︵奈良県田原本町︶・登呂︵静岡県︶・吉野ヶ里︵佐賀県︶
米づくりができるようになると︑どんな良い点があるか︒また︑どのようにくらしがかわるかを考える︒
︻ 子
ど も
の 意
見 ︼
A 秋になると米がとれるから︑けものなどをとりに行かなくてもよい︒
B 食生活が安定する︒
C 定住生活になる︒
D 新しい道具ができる︒
E 身分の差ができる︒
出された意見について討論をする︒特にE意見についてはわかりにくいという人が多く︑考えを交流しあう︒
47
︻子どもの社会科ノートから︼
米づくりが始まった時代について考えました︒
﹃米づくりが始まると︑どんな便利なことがあるか? どんなふうに︑くらしが変わるか﹄ということについて︑意
見を出しました︒私の考えは︑食べ物が豊かで︑あまりえものを追わなくてもよくなって︑お米の量などで︑身分の差
が で き る で す ︒
同じようなのもあって︑食生活が安定する︑定住生活になる︑新しい道具がでていました︒
米ができたから︑えものはあまり追わないでよくなったから︑食生活が安定して︑それで︑定住生活になったという
こ と が わ か り ま し た
︒ 新 し い 道 具 は
︑ 生 活 に よ り
︑ 便 利 な 道 具 へ 改 良 さ れ て
︑ で き ま し た
︒ 一
例えば︑米づくりをしているから︑それに便利な物︑田げたは︑田に︑体がしずまないようにするため︑石ぽうちょ 亜
う は
︑ い ね の
︑ は 首 刈
︒ の た め
︑ そ の 他
︑ え ぶ り
︑ す さ な ど が あ り ま す
︒
−
身分の差は︑今のように︑お金で︑できるのではなく︑米の作り方でできます︒
こんなふうになって︑こめづくりがさかんになりました︒
どうして︑米づくりをやっていたとわかったかは︑田のあと︵いせき︶が見つかったからです︒いせきには︑唐古
︵田原本︶︑登呂︵静岡︶︑吉野ヶ里︵佐賀︶があります︒
そして︑このころ︑米づくりがさかんになったわけは︑木の実とくらべて︑おいしく︑長持ちして︑6ケ月でできて︑
地面を歩いて取れるからです︒
木の実は︑数年かかってでき︑木にのぼらないと取れません︒だから︑米の方がいいので︑さかんになりました︒
このころの米は︑赤米︑黒米の長粒種でした︒
この時代は︑弥生時代といいます︒このころの土器は︑弥生土器と言って︑縄文土器より高温で焼いたため︑うす手
で じ
ょ う
ぶ で
す ︒
人間は︑いろいろなことを工夫したりして︑より便利な物を次々とつくっていっているんだなと思いました︒
︵りょうこ︶
︵ 6
︶ 米
づ く
日 ソ
の ム
ラ
この時代で考えさせたい第二の点は︑階級社会の出現である︒支配する者と支配される者︑持てる者と持てない者の存在
が出てきたことに気づかせていく︒階級の出現は米づくりができるようになったことと合わせてとりあげる︒吉野ヶ里遺跡
のイラストを教材にした︒
︻ 展
開 ︼
1 さくで囲まれたムラ・物見やぐらこれらは何のためにあるのだろう︒
︻ 子
ど も
の 意
見 ︼
A 外部の人間がムラに入らないように
B 敵からムラを守る
C 害のある動物が入ってこないように
D 身分の差がわかりやすいように
−49−
E だれが入ったかわかるように F ムラとムラの境目をはっきりさせる 2 討論をする
︒F意見の﹁境目﹂をめぐって討論があった︒
3 ﹁ムラを守る﹂というが︑ムラの何を守るのかを考える︒
︒身分の高い人という意見が出た︒それ以外に︑縄文時代と比べてコメが大切になっている時代ということから︑田んぼ
の監視をしているということも確かめられた︒
︻子どもの社会科ノートから︼
今日は︑米づくりの村ということについて勉強しました︒さくで囲まれたムラは︑何のためか? という問題を︑先
生は出しました︒私の考えは︑みんなの村を守ると書いた︒班の仲間は︑てきが来ないようにすると︑いう意見が出ま
した︒はかの班の意見を聞きました︒外部からの人間がムラに入れないようにとか︑てきから村を守る︑というふうな
意見が出ました︒私は︑みんなの出した意見になっとくしました︒最後に村の何を守るかという問題で︑私は︑み分の
高い人を守るんちゃうんと思った︒そして︑米と田んぼが出た︒昔の人は︑み分の高い人いがいに︑米と田んぼも昔の
−50−
人は大切だと思いました︒昔の人のみはりはすごいと思った︒
︵ し お り
︶
四 おわ日ソに
子どもたちは授業で行った歴史の謎解きに興味をもった︒人間のくらしのありようを︑発掘されたものから考古学者のよ
うに解いていく楽しさがある︒新しく作られるようになった土器の名前をただ覚えるだけではなく︑土器が発明されたり︑
米づくりが始まることで︑人間のくらしがどのように変化するのかを考えてみる楽しさがある︒討論ではどれだけの説得力
をもって説明できるかが課題になる︒
ただ︑子どものノートを読むと理解の不十分なところも多々ある︒例えば︑土器の発明の授業では︑﹁資料集を見ると︑
アザラシまでとって食べていたそうだ︒そう簡単には手に入るものじゃないと思ってたのに︑ふつうの食生活にはいったと
いうことは︑ごく身近なところにいるんだな︒﹂と書いているが︑アザラシを獲るのはそれほど日常的であるとは思えない︒
資料集を見て自分が思ったことなのだが︑このような不十分な理解はきっとたくさんあるだろう︒だからと言って︑より多
くの事実をより正確にを最優先にして事実ばかりを教えることだけに時間を使ってしまいたくない︒子どもが歴史を考える
ことの意義を大事にしたいからである︒
子どもの学びの喪失が大きな課題になっている今日の教育の状況のなかで︑自分なりに取り組んでみたことをまとめてみ
たが︑不十分な実践と︑紙数の関係で資料をていねいに示すことができなかったことをお詫びします︒
︵奈良教育大付属小学校︶
一51−