• 検索結果がありません。

国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法 「立法」の論理(1)

 佐 藤 晋 一

(1995年10月13日受理)

       Logic of Legislation(1)

Concern with National Diet Library Law, Giinhouseikyokuhou,

         Naikakuhouseikyoku−settihou

Shinichi SATo**

(Received October 13,1995)

1.はじめに

 中井正一は「集団主体の論理学」を構想し,論理そのものが個人レベルの思惟・判断に根拠する のみではなくして,集団主体のレベルにおける思惟・判断に根拠するものにまで展開・発展するも のであることを探ろうとした。言い換えれば,論理学は個人の思惟・判断によって基本的に規定さ れる適用範囲を乗り越え,さらに集団的思惟・判断によって規定される適用範囲を獲得することに よって,論理学それ自体の存在理由を拡充するのであることを探ろうとした。それはr委員会の論 理』において,まず〈一つの草稿として〉,展開されたのである。中井が,論理学それ自体の歴史 的展開とそれがいかなる実践行動によって支えられてきたか,の両面を内在的に関連させて相関的 に捉えようとしたことは,非常な卓見であった。ただ,残念なことに,思惟形態の発展過程を根底 において条件づけている人間の実践行動の歴史的・構造的展開に関しての論証は,とりわけ日本に おいてのそれらの問題に関しての論証は,十分に説得的であり得たかというとそうではなかったよ うに思われる。一般に指摘される中井の実践的経験には,r世界文化』・r土曜日』に拠る反ファシズ ム運動,京都家庭消費組合運動,そして出生時の体験である帝王切開,の3点がある。

 確かに中井の生きた時代を歴史的にみれば,中井の思惟・判断の形成に関してはそれらの経験が 重要なものであったと言えるだろう。ここに映画の製作活動を加えても1),わずかにそれしか為し得 なかったとも言い得るのではあるが,逆に,1868年から1945年までの「主権在君」時代に,いわ ゆる〈r世界文化』事件〉で治安維持法違反に問われて逮捕されてしまった(1937年)のであった が,そのことが,人間の思惟・判断にとっての最大の問題が,したがって実践にとっての最大の問 題が,根本的には何であるかを中井に対して明確に示したのではないか。

*茨城大学教育学部学校教育講座教育学教室(〒310 茨城県水戸市文京2丁目1−1).

(2)

 中井は,「死ぬまでに,三冊の本を書きたい,ひとつは自叙伝,ひとつは論理学,ひとつは図書館 学だ」2),と言っていたそうであるが,それらは,はからずも1936年に書かれたr委員会の論理』に 対するく補完〉となるものではなかったか。殊に,図書館学と言っていることは重要である。国立 国会図書館・副館長としてさまざまな苦悩を経験した中井であるからこの言葉は重いのである。中 井の言う図書館学とは,国立国会図書館法に明確に規定されているように,主権者である国民の立 法権を実質的に支える機構・組織に関する学問なのである。3)敢えて言うならば,いわば「立法の 論理学」が,中井の言うく集団主体の論理学〉としての図書館学なのである。即ちそれが,r委員会 の論理』の拡充なのである。〈委員会の論理〉を実現するのは,本来的には主権者としての「国民」

一その確立は1945年以降になったのであるが一でなければならなかったのである。「主権在民」と は立法権の所在がどこにあるのかを示す言葉であるのである。唯一の審議機関であり最高の議決機 関こそが,立法府すなわち国会なのである。ここにこそ中井の依拠すべき根拠があったのである。あ る意味で,日本においてこのことが現実化したのは,まさに中井が求めてやまなかった「集団の論 理」の実体化が,曲がりなりにも実現したからであったと言えるであろう。

 そこで本稿では,中井が自己の経験それ自体の根本的変革を自覚して,その上で求めたまったく 新しい「立法の論理学」としての図書館学構想を,中井が戦後に書いた図書館学に関する論文及び 活動と,立法権に直接にかかわる三つの法律,国立国会図書館法,議院法制局法,法制局設置法(現 在は内閣法制局設置法)の成立過程とを関連させて検討することによって,明らかにしたい。

II.国立国会図書館法

II−1.国会法と国立国会図書館法

 国会法(1947年5月3日施行)はその当初,第130条において,「議員の調査研究に資するため に,国会に国会図書館を置く。国会図書館は,一般にこれを利用させることができる。」と規定して いた。これを受けて,1948年2月9日国立国会図書館法が成立した。同法第2条は「国立国会図書 館は,図書及びその他の図書館資料を収集し,国会議員の職務の遂行に資すると共に,行政及び司 法の各部門に対し,更に日本国民に対し,この法律に規定する図書館奉仕を提供するすることを目 的とする。」と,その目的を明確に述べた。初代の国立国会図書館館長は金森徳次郎,副館長は中井 正一であった。国立国会図書館法が成立したため,国会法の第二次改正(1948年7月5日)の際に,

第130条は現行のように「議員の調査研究に資するため,別に定める法律により,国会に国立国会 図書館を置く。」と改正された。

 国立国会図書館法は,まさに主権者の立法権を実質的に保証するために作られた法律であった。こ のことがはっきりするのは,1947年3月25日に「国会図書館法案」が提出されて,28日衆議院,30

日に貴族院を通過。同年法律第84号として成立していたのであったが,その国会図書館法の全面的

な変更を求める動きにおいてである。国会図書館法は,全7か条の簡単なもので,第1条では「国会

図書館は,内外の図書記録の類を収集保存し,議員の調査研究に資する所とする。国会図書館は,別

に定める規定に従い,一般にこれを利用させることができる」と規定しているのみであった。この

国会図書館法は国立国会図書館法の成立にともない,廃止された。これに対しては,すでに,大日

(3)

本帝国憲法下での議会活動に関する反省からも批判が出ていたのであるが何よりも,国会法の基本 的目的にそぐわないのである。

 そもそも,帝国議会に関しては議院法4)のみがあり,〈国会法〉に相当するものがなかったという ことが,1945年までのく政府機構〉の実態を明らかにしているのであるが,1947年に国会法が,紆 余曲折を経て成立した。しかし,現行の国会法に至るまでが問題なのである。なぜなら国会法は,当 初から現行のような内容を持った「国会法」として提案されたのではなかったのである。r議会制度 百年史・議会制度編』によって,その経過をたどろう。帝国憲法の改正にともない,「帝国憲法附属 の重要法典である議院法も当然改正しなければならなくなった」ところから,まずは議院法の改正 が審議されたのである。1946年6月18日衆議院にく議院法規調査委員会〉が設置され,7月4日委 員を選任し,8月9日から30日の間に三回会議を開き「国会法案の要綱として」r新憲法に基づき国 会法に規定する事項』を決定して公表した。これに基づいて衆議院事務局によって法案起草が開始

されたのである。10月31日第一次案決定,「その後内閣法制局とも打合わせを行」う。(後に詳しく 見るように,この時点では現行の内閣法制局は存在していないのであり,この〈内閣法制局〉とい

う記述は不正確である。r内閣法制局史』1974年,はこの点は正しく記述している)。ところが,11 月4日,新憲法の公布の翌日連合軍最高司令官総司令部から国会法の制定に関して,〈示唆〉があり,

それからの進展は急展開を見せることになる。その〈示唆〉の中には,議員及び議会の立法に関す

る基本的な補助機関としての国会図書館の設置,法制局と資料提供部門の設置,両議院による法制

協議会の設置,5)などがあった。11月16日第二次案を決定。更に12月4日第三次案,9日に第四次

案,14日に最終案として第五次案を決定(ただし11月29日に総司令部民政局に提出している)。こ

のような経過をたどる原因は,「第一次案から第五次案の決定に至る間,総司令部と案の内容につい

て数次にわたり折衝を重ね」たからであるのだが,ここにはっきりしているのは日本側の原案が全

面的に改定になっていることであろう。少なくとも,国会図書館と法制局に関しては日本側から提

案されてはいないのである。12月16日第五次案に対して「総司令部から了解が与えられた。」かく

して,法案は1946年11月26日から12月25日までの第91回帝国議会(臨時会)に提出された。「本

案は,新憲法の制定にともない,現行議院法を抜本的に改めるものであり,衆議院の各党各派を網

羅した議院法規調査委員会で立案の上提出されたものである。」というのが提案理由である。12月18

日衆議院で進歩党の田中萬逸は,国会法の提案理由において,まず,「新憲法の下で国会が国権の最

高機関になる以上,新しい国会法,それも国会自らの手で作成された国会法が必要である。」「この

最も重要な法案が,衆議院議員によって作成された事は画期的であり,立憲政治の将来に対して深

甚な影響を与えよう。」「革命的な考え方が導入され,強力な常任委員会制度と重要案件については

公聴会を開くという条項が設けられた。」「国会法の制定がもっぱらねらいとしている事は,国会を

強化する事にある」6)とした上で,「今や国会が国権の最高機関となるとき,現在のごとき貧弱な図

書館,否,図書室では,われわれが欲望をとうてい充たすわけにはまいりません。われわれは動く

図書館をどうしてももたなければなりません。この意味において,本法中に特に図書館に関する規

定を設けました。この図書館は,単なる書庫ではありません。」「この図書館に完全なる人的要素を

配置し,各種の調査研究に専門的に従事せしめ,図書館というよりむしろ調査局,研究所としたい

熱望を持っておる。」と述べた。丁国立国会図書館三十年史』。大池 真衆議院書記官長は,国会法改

正を審議する衆議院特別委員会で12月19日rGHQの民政局はあらゆる援助をおしまず」,「委員会

(4)

が真に民主的な国会法を作成するように督励し,再三にわたって一国の議会としての権威を高める ための提案を寄せてくれた。」そのことに大変感謝すると述べた。7)

 12月21日衆議院本会議では全会一致で可決。しかし,22日の貴族院では,第一読会が開かれ「① なぜ政府みずからが国会法を立案しなかったか,②次の通常議会で十分審議すべきでないかなどの 質疑の後,委員会の審査に移されたが,審議未了のまま会期を終わった。」(r議会制度百年史・議会 制度編』)だが,わずか3日後の28日から1947年3月31日までの第92帝国議会(通常会)には,

その審議未了のものと同一内容の国会法案が提案された。衆議院は2月21日全会一致で可決。貴族 院では,いくつかの修正意見が出された。その主要なものは,法律案に関する両院協議会について であり,参議院は衆議院の回付案に同意しなかった場合,両院協議会を求めることができる旨の規 定を設けることであった。採決の結果修正案は可決され,3月18日の本会議では委員会修正のとお

り議決された。衆議院は19日に回付案に関して同意した。25日には枢密院に諮詞され,4月2日そ の審査委員会に対して政府から説明があり,審査の結果,9日の枢密院会議において可決され,28日 に裁可。30日法律第79号をもって公布され,附則でくこの法律は,日本国憲法施行の日から,これ を施行する〉と明記されたとおりに,5月3日から施行されたのである。なお,議院法の改正という 当初のもくろみが現行の「国会法」の提案に至るまでのいきさつ及びそれにともなう貴族院と衆議 院とのやり取りに関しては,ジャスティン・ウィリアムズrマッカーサーの政治改革』(市 雄貴・

星 健一訳,朝日新聞社,1989)が詳しい。というより唯一の文献ではないか。そもそも国会法に 関する研究書といわれるものは黒田 覚r国会法』有斐閣,1958,以外にあるのだろうか。これは,

いわば解説書であり,本格的な研究書とは言えまい。議院法改正の問題と国会法の提案とは,論理 的にいって,本質的に連続する問題ではなくして,異なる論理に基づく問題ではないのだろうか。<

1945年8月15日〉とは,そこで真に問題とされるべきであったのは何であるかの解明は,実は国会 法の研究から始められなければならないのではないだろうか。

 国会法(基本的には,立法府法とでも言うべきものである)の最大の眼目は,立法権を天皇から

「国民」へ明確に移すこと,立法権を国民にのみ存するものとしたこと,天皇の立法権の否定であっ た。従って,立法府は,主権者である国民によってのみ構成されるのであり,天皇が立法権に関係 することは拒否されたのである。三権は主権者である国民のコントロールに直接に属するものであ り,そうすることによって制度的に主権在民の形式を保証しようとしたのである。言うまでもなく,

立候補権と投票権は国民に固有の権利であるとされ,三権分立に関与し,責任を持つのは国民のみ

であることが明確にされたことにより,主権在民の内実が確定されたのである。制度と内実がこう

して「国民」に収敏した形で,相互に関連性を持って運用されることになったのである。行政府が

立法府の意志に反した政治を行った場合は,法治主義に反するのであり,法治国家とは言えないの

であるから,内閣は議会によって不信任されることがあるのである。内閣は立法府に対して責任を

持つのである。むろん立法府といえども,憲法つまり国民の意志・合意に反した立法を行うことは

できないのである。だから,憲法に反した政治を行政府が行うことは,国民に対する背信行為なの

である。J.ウィリアムズは,国会法のポイントが,常任委員会制度の導入と国立国会図書館の立法考

査局の設置にあったと記してる。この常任委員会の一つに衆議院・参議院の両院の図書館運営委員

会があったのである。1955年の国会法改正で,廃止となり,現在は図書館運営小委員会となってい

る。「この二つの制度を欠いていれば,立法府が行政府に対抗することはほとんどおぼつかなかった

(5)

はずである。」「国立国会図書館の立法及び考査局の助けを借りて,両院の16の常任委員会は組織的 に日本の状況に適応し」ていると,上に挙げた書物の中でウィリアムズは評価している。言うまで もなく,この常任委員会である図書館運営委員会が,国立国会図書館の館長・副館長の人選を行っ たのである。1948年2月25日,副館長の人選は未定のままで館長が金森徳次郎に決定。それから約 2か月後の4月16日中井正一が副館長に任命されたのであった。8)

 国会法130条は,国民の立法権を如何に確定するかに関して,より具体的に立法府(国会)に,つ まり議会に図書館を附属させたのである。いわゆる文部省支配の図書館ではなくして,立法府であ る国会,すなわち両議院の,だから議会の支配する図書館を構想したのである。国会法の当初の規 定は,上記の国会図書館法の規定とほとんど変わらないのであるが,国立国会図書館法第2条は明確

にその違いを謳っている。それを受けて,国会法も改正されて,国会に国立国会図書館が属すると 明記されたのである。この構想が,その源泉をどこに持つかに関しては十分に明確になっているの であろうか。後に触れるように,1945年までにもいくつかの構想があったという。しかし,最大の 問題点は,立法権の所在に関する認識であろう。この点を十分に踏まえた解明が極めて重要であろ

う。単なる連続的展開であったというのではないはずである。

II−2.国立国会図書館法の基本構想とその構造

 国立国会図書館法は,法律としては異例の前文を持っている。「国立国会図書館は,真理が我らを 自由にするという確信に立って,憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命

としてここに設立される。(The National Diet Library is hereby established as a result of the firm conviction that truth makes us free and with the subject of contributing to international peace and the

democratization of Japan as promised in our Constitution)」国立国会図書館法がこの前文を持つに至っ た経過に関しては,すでに拙著『中井正一・「図書館」の論理学』において,触れているのでここで は触れない。なお,前文を持つ法律がもうひとつある。憲法の施行以前の1947年3月31日に公布・

施行された教育基本法である。この前文は立法権の問題を考えるうえにも重要なので,ここに掲げ

よう。

 「われらは,さきに日本国憲法を確定し,民主的で文化的な国家を建設して,世界の平和的と人類 の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきもの である。

 われらは,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに,普遍的に してしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここに,日本国憲法の精神に則り,教育の目的を明示して,新しい日本の教育の基本を確立する たぬこの法律を制定する。」〈真理が我らを自由にする〉という言葉の基本的な意味は,それをく 教育の力〉と結びつけることによってハッキリするであろう。

 国立国会図書館の基本的構想に関しては,r三十年史』は,国立国会図書館が「国会の図書館であ るとともに,国の中央図書館としての任務を同時に課せられている」ので,「この意味において,国 立国会図書館については二つの源流が挙げられる」と言う。rひとつは帝国議会両議院の図書館であ

り,他の一つとして,帝国図書館」があると言う。また,r議会制度七十年史・資料編』は「国会の

図書館であるとともに,行政司法各部門の機関の図書館としての,また国の中央図書館としての任

(6)

務を課せられている。この意味において,国立国会図書館の源流は,一つは帝国議会両議院の図書 館及び両議院の調査部に,一つは帝国図書館に,これを求めることができる。」とし,r議会制度百 年史・資料編』は国立国会図書館の「目的は,第二次大戦後国権の最高機関となった国会が,国政 審議の場として遺憾なくその機能を発揮できるよう万全の図書館奉仕で,補佐することである。同 時に行政・司法の各部門の機関の図書館及び国の中央図書館としての任務を課せられており,従来 の我が国になかった新しい図書館である。しかし,帝国議会における議会図書館設立の動き,組織 の変遷,受け継いだ蔵書を考慮すると,その源流を,ひとつは帝国議会両議院の図書館及び両議院 調査部に,もうひとつは帝国図書館に求めることができる。」としている。この三様の記述に関して

は,それぞれ疑問があるのではないか。

II ・一 2 一一 1.まず,両議院図書館について見てみよう。「帝国議会の衆議院における図書館は,明治 23年(1900年)衆議院事務局が設置され,9月編纂課が設けられて図書に関する事務を担当するこ

とになったときに」,貴族院における図書館は「同年10月事務局に編纂課が設置され,図書の購入,

管理にあたることとなったときにはじまる」のだそうである。明治23年の議事堂仮建築が完成した が,24年1月これが焼失。2月に,議事堂再建(4月着工,10月第二次仮議事堂竣工)に当たり,貴 族院書記官長・金子堅太郎が,長文の「議院建築意見」(全文はr国立国会図書館三十年史 資料編』)

を発表。そこで金子は衆議院と貴族院とに別々にではなく,「図書館ハ必ス議院ノ中央二建築シ,上 下両院各々之ヲ共用スルナラン,現二米国ノ図書館rコングレショナル,ライブラリー』ハ両院之

ヲ共同使用シ,懊国ノ図書館モ亦上下両院ノ共通ナリ」としていた。金子は,「按ズルニ欧州各国ノ 議会ノ起源ハ,大概千八百四十八年ノ革命後ニアリ」,「或ハ帝王ヲ廃シ,或ハ貴族ヲ逐ヒ,又ハ政 府ヲ倒シ,或ハ官吏ヲ鐵シ,以テ人民参政ノ権利ヲ得タルモノナリ」と言い,フランス,イギリス,

アメリカ,ドイツ,オーストリアの議会建築について記している。ところが,議会の全体の建築が

「革命戦乱ノ際,一時在来ノ建物ヲ適用シタルモノ」であるから,議会としての機能を十分に備えた 建築が必要だということが主眼なのであり,図書館に関しての言及もその文脈の中でのことであり,

しかも言及はこの一節のみである。

 9月17日金子は衆議院書記官長曾禰荒助と連名で「帝国議会図書館設置ノ件」(全文はr三十年史 資料編』)を内閣に稟議,そこでは「議会二図書館ヲ設クルノ必要ハ各議員ヲシテ立法ノ事務二参与

シ併セテ行政監督ノ責ヲ全フセシムルカ為」であるとして,〈議案ノ起草及調査等〉,法令のく審 査考量〉のために「議会ニーノ独立図書館」「議院所属ノ図書館」「議院独立ノ図書館」が必要であ ると主張したのである。資料の収集,「浩溝図書ノ取扱」「整頓保管」「閲覧貸附」に遺憾無きを期す べしというのである。10月9日許可を得る。25年6月貴族院書記官4名,衆議院書記官4名が〈図 書館設置協議委員〉を命じられた。11月15日報告書作成。両院書記官長はその報告書に基づき「図 書館新築及図書購入ノ件」を上申。設置に要する経費96,000円を松方正義・内閣総理大臣に稟請し

たが,採決に至らず実現しなかった。 しかし,金子の考え方は,「帝国議会図書館和漢図書目録明治 二十七年六月」,同「追加第一 明治二十八年九月」の編纂刊行物に生かされているという。つまり,

その編纂には,貴族院と衆議院の事務局があたり,附録としてのせられている「図書借覧規則」第

一・

には,「本院ノ図書ハ貴族院及衆議院並二両院職員二限リ借覧スルコトヲ得」と明記されている

からであると言う。しかし,借覧には借覧証に記名捺印しなければならなかったし,借覧中でもく返

(7)

納セシムル〉ことがあり,議院が閉院するか停会の場合は「借覧期限中ト難モー時図書ヲ返納スベ シ」というのであった(全文は,r三十年史 資料編』)。31年年11月には前記の図書目録に増加図 書を加え,両院事務局の共同作成になる新たな「帝国議会図書館和漢図書目録」が刊行された。こ の目録は第一門から第十八門までに分類されていて,「議会専門図書館としての運営方針が,関係者 の間にはっきり認識されていたとことがうかがわれる」と,r三十年史』は書いている。明治33年

「衆議院図書館」が設置された。衆議院書記官・林田亀太郎が明治38年12月「衆議院図書館和漢図 書目録 序文」に「明治二十三年帝国議会ノ始メテ開設セラルルヤ,我衆議院二於テハ編纂課ノ下 二図書ノ保管ヲ為シタルモ,当時尚微々タル有様ナリキ,然ルニ爾後毎歳購入寄贈ノ書籍少ナカラ ズ,遂二明治三十三年二至リ図書館ヲ設置シ,以テ今日二及ベリ」と記しているのである。貴族院 でも,明治32年10月から図書に関する事務は,編纂課ではなく庶務部が担当することになった。

 ここで,国会議事堂の建築に関する経過を見ておこう。意外なことがわかる。この間,明治27年 8月の日清戦争のために,政治・軍事の中心は大本営の置かれた広島に移る。議会も広島に移った。

10月15日第7回帝国議会は広島に召集された。広島仮議事堂は10月14日完成。本議事堂建築計画 は30年に議院建築計画委員会,32年議院建築調査会が発足して進行するかに見えたが,日清・日露 戦争のたあ中止。39年改めて衆議院に「帝国議会議事堂建築に関する建議案」が提出され,43年大 蔵省に議院建築準備委員会が発足。2年後には,しかしながら廃止。大逆事件,南北朝正閨問題,45 年7月明治天皇逝去などがあった。やっと大正6年(1917年)議院建築調査会が設置されて,7年 臨時議院建築局の新設,9年1月着工。ところが今度は関東大震災。この時は倒壊を免れ,火災も起 こさないですみ,避難所となったのであったが設計図等が失われた。13年改修工事が始まる。だが,

14年9月18日再び火災により焼失。(12月木造の第3次仮議事堂完成)。昭和2年上棟式。昭和11 年11月7日国会議事堂完成。議事堂の建築は,政治的な動きと無関係ではないのである。

 次に1945年までの議会図書館設置に関する動向を見よう。大正7年,議事堂の本建築が日程にの ぼると「議員の関心は議員事務室と完備した議会図書館の設置」に向けられたという。これは衆議 院を中心とした動きである。「貴族院においては,議員の間に図書館設置についての,直接の動きは 見られなかった」のだが,「衆議院の動向に対する深甚な理解と共感」を示し,「既設の貴族院図書 館の充実整備」の努力は続けられていたと,r三十年史』は述べている。

 (1)大正12年2月22日,北井波治目他2名(41名の賛成者)が,「新議院内二議員事務室設置二   関スル建議案」提出。議事堂構内に「多数ノ議員事務室ヲ設ケ,之ヲ各議員二給シ,且完備ナ   ル図書館ヲ附設スルハ,議員ノ職務遂行上極メテ有用ノ措置ナリト認ム」とする建議である。

  そして,〈同建議案理由書〉では「時運ノ進展二伴ヒ,立法    ロシ  計 ト共二膨張   シ之カ  ノ ニ ル1ロノ  主・・重キヲロフ。」にも拘らず議院の設備が空疎であり,調   査研究の機関がほとんど欠如しているのは,極めて遺憾である。特に地方在住の議員が召集さ   れて上京しても,宿舎はもとより,調査研究にも支障を来す状態にある。だから,議院内に議   員事務室を設け,設備を整え,「附スルニ完全ナル図書館ヲ以テシ,有用ナル参考書類ヲ充実   セハ,具二政務ヲ調査シ,議案ヲ研究シ」職責を全うし得るというのである。アンダーライン   の箇所に注意すべきであろう。r三十年史』

 (2)大正15年3月18日山口政二他4名,事務室設置と図書館拡張に関しての決議案提出。

 (3)昭和2年3月11日斉藤隆夫他8名が,「議院建築速成並附属設備ノ計画促進二関スル建議案」提

(8)

 出。ほぼ全員の416名の賛成を得た。

(4)昭和4年3月19日高橋光威他5名,rr議院法』r出版法』及びr新聞紙法』の一部改正法律案」

 提出。これらの改正案は,3月22日の議院会議で可決され,同日貴族院に送付されたが貴族院  では議題に上らなかった。

  この案は「帝国議会図書館は,政府出版物の収集につとめるとともに,国内出版物のすべて  を網羅的に収集し保管する,いわゆる納本図書館でなければならないとするものであった。」22  日の衆議院本会議で星島二郎は趣旨説明演説を行った。一番必要なことは,議員の「研究資料   トスベキ図書ノ充実デ」あり,「貴衆両院共用ノ図書館ヲ設ケマシテ,之二相当ノ費用ヲ国庫  カラ仰ギマシテ,平素二於キマシテ,政府ノ図書ヲ成ルベク統一シテソレニ集メル,政府二於  テ色々調査シタル所ノ資料ヲ能ク整理シテ置イテ置クトカ,尚ホ現在出版法,或ハ新聞紙法二  依リマシテ,御互ハニ部宛ハ必ズ新ク出版シマシタ場合ニハ,之ヲ内務省二届出ヅルノデアリ  マスルガ」これを議院図書館に「今一部ヲ加ヘマシテ,所謂議会図書館ニー部ヲ必ズ納付セシ  メルト云フノガ,本案ノ骨子」である。アメリカの「所謂『コングレス・ライブラリー』ノ如  クニハ,俄二経費ノ関係上望ムコトハムズカシイト思ヒマスケレドモ」新しい議院が建築され  るのだから,出来てしまう前に議院法を改正して,「ソレガ出来ルヤウニシタイ」というのが  提案理由だという。(昭和4年3月23日 第56回帝国議会衆議院議事速記録第39号議院法中  改正法律案外二件第一読会)r三十年史』

  この提案理由に対して,田渕豊吉の質問がある。田渕は,アメリカに行き議院図書館を見学  した,そこにはおびただしい雑誌・図書があった,そればかりか「是ハ公開ニナッテ居ルヤウ  デアリマシタ」と言い,まず「之ヲ公開ニナサル御積リデアルカドウカ,或ハ半分公開ニシテ,

 議員ノ紹介トカ,其他ノ特殊(ママ)ノ人々二見セル積リデアルカ」,金額はどのぐらいを考  えているのか,「ドノ位ノ図書ヲ寄セル」のか,資料の翻訳の必要,「英吉利ノ議会ハドウナッ  テ居ル,亜米利加ノ議会ハ斯ウナッテ居ル,斯ウ云フヤウナ問題二付テ,ドウ云ウコトニナッ  テ居ルカト云フコトヲ調べテ貰ヒタイト云フ時二,ソレニ応ズル翻訳官ガ居ッテ,之ヲバ十分  二整理スルト云フコトニスルノナラバ,五十万ヤ百万ノ予算ヲ使ッテモ,吾々ノ利益ニナル」

 のである。ところが,政友党も民政党も調査部を持ちながら,調査はしていないし,調査した

 資料も貧弱である。これでは「如何ニモ日本ノ『パーリアメント』ノ活動ガ鈍クナル」のは当

 然である,人員を増やすこと,出版物の納付,「或ハ秘密二亙ルヤウナモノデモ,議院二備付

 ケ得ルト云フヤウナ権利ヲ議院ガ持ッテ行クト云フコトモ,必要デハナカラウカト思フノデア

 リマス」,現在は「経済上,科学上,二十世紀二適当ナル所ノ設備機関ガナイ,故二非常ナ保

 守的ナ,古イ間違ッタ思想ヲ持ッテ居ル」というように「此日進月歩ノ科学的ノ社会ヲ導カウ

  トスル原動力ニナリ,政治ノ中心トナラントスル所ノ此議会ガ,時代遅レデアルト云フコトヲ

 私ハ悲ムノデアル,非常ニイケナイ」,「委員会ガ成ッテ居ナイヤウナ状態ト」言わざるを得な

 いのである,それ故にこそこのような議院に「科学的ノ知識ヲ吹込ミ,各国ノ議会ノ状態等ノ

 知識ヲ吹込ム所ガ即チ図書館デアル,其ノ図書館二於テ出版物二依リ,或ハ特別二各国ノ政府

 及議院カラ貰ッテ来タモノヲ翻訳セシメテ,必要ナ時ニソレヲ調べサシテ,吾々二自由二聞カ

 セ,見サスト云フ機関ヲ造ッタナラバ,日本ノ議会モ非常二進歩スルモノデハナイカト思フノ

 デアル」,議会にはこのような機関がないけれども日本でも「三菱ノ調査部トカ,三井ノ調査

(9)

 部ナドハ十万モニ十万モ出シテ,其日々々ノ新聞ノ切貼リマデチヤント出来テ居ル」ではない  か,「一国ノ産業及生活,思想ノ全体ヨリ,最モ根本的ノ研究ヲスベキ所ノ議会二,何等此設  備ガナイト云フコトハ,如何二帝国議会ガ遅レテ居ルカ,却ッテ資本家ガ十分ニソレヲ利用シ  テ居ルヤウナ状態デハナカラウカ」,この如く議員が世界的知識を応用する点で非常に欠ける  のである,従って「此ノ小サイ試ガ,鰭テハ大キナ計画ニナルト云フコトヲ私ハ非常二望ンデ  居ル」,田渕は出身の村に図書館を作ることに尽力して来たと言い,更に「巡回図書館ヲ置イ  テ,教育機関ト相侯ッテ,労働者モ働キツ々段々其知識ヲ得テ,サウシテ職務上ノ重要ナル知  識,重要ナ才能ヲ発揮スルヤウニ,日本帝国二大ナル図書館ノ整備ガ必要デアル」とも述べ,

 「此議会二科学的知識,道徳的知識,是等ノ重要ナル根幹トナル所ノ図書館ヲ整備スルト云フ  ヤウナ案ニハ,私ハ隻手ヲ挙ゲテ賛成シタイ」,「政府ガ如何ナル覚悟ヲ持ッテ居ルカ,議員ガ  如何ナル覚悟ヲ以テ之二当ラントスルカ」を国民とともに聞きたい,「此図書館ガ十分二発展  シ,サウシテ吾々二実用的知識ト道徳トヲ与ヘルヤウナコトニシテ戴ケレバ,非常二結構デア  ル」と述べたのである。9)

  r三十年史』は,星島と田渕の論は「現在の国立国会図書館の機能,活動を予見した当時の関  係議員の識見の高遭さと論議の的確さとを示したものといえよう」と評価している(だが,立  法権の所在に関して厳密な議論をしないという意味でなら幸田露伴の図書館論「鯨力のある人々  に」新版r幸田露伴全集』第30巻,岩波書店,1979,も注目されていい。初出は「大阪朝日  新聞」,大正6年1月26日号から2月8日号まで。露伴はそこで知識の体系化に関して驚くべ  き分析を示し,内閣図書館に関しても短くではあるが,言及している)。

(5)昭和9年3月6日,篠原義政・星島二郎提出の「帝国議会図書館並議員事務室設置二関スル建  議案」3月15日の建議委員会で星島委員長が演説。24日満場一致で可決。ここでも星島は昭  和4年の提案とほぼ同じことを繰り返している。コングレス・ライブラリーのようなものは急  には望あないが,今よりも広い場所と設備を希望すること,予算のこと,政府所有の図書を一・

 カ所に集めて政府も議員も議会閉会中も利用できるようにしてもらいたい,と。r三十年史』は,

 「今日の国立国会図書館の行政及び司法の各部門支部図書館組織の構想が,その端を発したも  のとして,わが国図書館史の上から云っても,注目に値する演説であったということができる」

 と,最高の評価をしている。

  政府は度重なる建議等を受けて,10年1月に三か年継続事業として,建設予算50万円を計  上したが,これでは問題にならないとして次のような建議案が提出された。

(6)昭和10年3月5日蔭山貞吉外3名,「帝国議会図書館並議員事務室完備二関スル建議案」

(7)同日鈴木富士弥外2名,同文の建議案

(8)同3月7日野田文一郎外4名,同文の建議案

(9)同3月22日安藤正純外61名,「帝国議会図書館並事務室完備二関スル決議案」

   これらはいずれも可決された。

(10)昭和11年5月19日小泉又次郎外57名,「帝国議会図書館並事務室完備二関スル建議案」,賛

 成議員374名,5月24日議院会議で可決。建議の理由は,昭和14年が憲法発布満50年に当た

 り,15年は皇紀2,600年式典が予定されているのだから,記念事業として,外観のみならず内

 部の設備も完成しなければならないという点にある。議事堂は,11月9日に完成する。

(10)

 昭和12年1月,広田内閣は,4か年の継続事業として250万円の予算を計上したが,23日広田内 閣は浜田国松と寺内陸相との間に生じた「切腹問答」により崩壊,2月「宇垣内閣」の流産で誕生し た林銑十郎内閣は,2か年の継続事業,予算を30万円とした。ところが林内閣は5月31日総辞職。

この後は,「臨戦体制確立」でまっしぐらの侵略戦争。これ以後議会図書館設置運動のごときは,途 絶えてしまい,もはやかえりみられなかった。

 では,1945年敗戦の後には,議会図書館に関してどのような動きが生じたのであろうか。

 r三十年史』は言う。「明治憲法による帝国議会から日本国憲法による国会へと,議会そのものの 性格が一変することと相まって」議会図書館設置に関する運動は進展する。「徹底した議院内閣制が

とられ,国会が国権の最高機関であり,国の唯一の立法機関である」が故に,「国会が強力な調査機 能をそなえた議会図書館を持つことの必要性」が痛感された。r議会制度七十年史・資料編』は,「議 会の民主化」と平行して議会図書館設置の動きが現れたとし,「議会そのものの性格が一変したこと

に対応して,日本国憲法に示されたわが国の新しい進路に適合するような構想と性格」が求められ たとしている。r議会制度百年史・資料編』は,「主権在民の新憲法のもとに」これらの動きが展開 されたとしている。三者の記述をすべて総合して見れば,〈主権在民〉とは即ち〈立法権の所在〉

の問題であるということを前提とする議会図書館設置の動きであることがはっきりするだろう。「主 権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する」と,憲法前文が謳ったのには,あるいは謳 わざるを得なかったのには,実に深い意味があるのである。

 (1)昭和21年7月31日 大内兵衛外3名「議会図書館設置ノ請願」を衆議院に提出,紹介は衆議   院議員森戸辰男,趣旨は「政府ハ速二米国二於ケルrライブラリ・オブ・コングレス』ヲ範ト   スル」議会図書館ヲ設置セラレタシ」ということであった。

   9月13日貴族院請願委員会で,北小路三郎議員が説明。「議会図書館ハ衆議院及ビ貴族院議長   ノ直接指揮監督ノ下二置キ」,その運営は運営会議が行う。「運営会議ノ構成員ハ右両院議長ノ   外,各政党交渉団体カラ選出セラレマシタ若干名ノ両院議員及ビ若干名ノ学識経験者」とする,

  「議会二於テ論議セラルベキ各般ノ事項ノ立案,審議二必要ナル内外ノ文献ヲ網羅」して,「議   会図書館トシテ完壁ヲ期ス」こととし,さしあたりは「議事堂内二附設セラルベキ」だとして   も,将来は「一大図書館ヲ建設スル必要ガアル」,経費は議会費として考える,収書,整理,館   員の待遇・養成に配慮する,公開も研究者には広汎に,という説明であった。

   9月17日貴族院本会議で,姉崎議員が紹介者として提案をした。現在の両議院の図書館では   「立法ノ参考ニスル,材料ニスルト云フヤウナコトハ到底出来ナイ」のであるが,今後議会の機   能が重視されるにしたがって「此ノ方面ガ重要ニナル⊥そこで「議会図書館ヲ中枢トシテ,サ   ウシテ国立図書館ノ設備ヲ整へ,帝国図書館其ノ他ヲ併セテ,堂々タル図書館ニシテ,唯単二   議会ノ為デナ久国ノ為ノ図書館」とせよ,また業務として著作権登録の機能も持つようにせ   よ,更に,「コングレス・ライブラリー」が,ユニオン・カタログを作成し国内のみならず全世   界への配布をしていることに触れ,「之ヲ我ガ国ダケデモドウシタッテシナケレバナラヌ」,「此   ノ聯合目録ノ製作」,「各国トノ図書ノ交換」が,今後ますます重要になることを述べた。10月   11日採択となる。

 (2)昭和21年8月1日 大内兵衛等貴族院に「議会図書館設置二関スル件」を請願,紹介は姉崎

  正治,9月17日採択

(11)

(3)昭和21年8月5日 三浦義覚「国会法制局並国会大図書館設置ノ請願」を,衆議院議員坂  東幸太郎の紹介で衆議院に提出,10月11日採択

(4)昭和21年8月15日 衆議院議員笠井重治外10名 「国立国会図書館並に議員会館建設に関す  る建議案」

(5)昭和21年10月8日 貴族院議員姉崎正治「議会図書館ノ設立ト国立図書館ノ拡充二関スル建  議案⊥10月9日可決(姉崎は後に,貴族院からの候補者として国立国会図書館の館長候補者に  名が挙がる)

(6)昭和21年10月9日衆議院に,森戸辰男外10名「国会図書館設置に関する決議案」提出「国  会がil国権の最高機関』であることは,それが国政の向上に対する最高の責任者であることを  意味する。然るにわが国政の重大な欠陥の一つは,政治の非科学性にあると言われている。」こ  のために国会図書館が必要。「この図書館は単に広汎にわたる図書資料の蒐集に止まらず,研究  調査の設備,専門的な相談係,行き届いた索引等を備へた,国政のための実効あるr働く図書  館』でなければならぬ。」このような図書館こそが「国会が付託された国政上の任務遂行のため  の必須な条件であるばかりでなく,…最も喫緊な文化的使命」である。

  更に10月11日の本会議における趣旨説明で森戸は「国会ガ,徒ラナ喧喋ト策謀ト暴力ノ支  配ヲ斥ケ,真実ヲ尊重シ,正理ヲ聴従スル所トナリ,愚衆ノ政治ノ府デナク,衆智ノ政治ノ府  トナリ,斯クテ新議会ノ品位ヲ高メ,新政治二科学性ヲ加へ」るものとなることを期したいと  述べた。全会一致で可決。r三十年史』

II−2−2.国立国会図書館のもう一つの源流といわれる,帝国図書館系列の図書館について,簡単 にみてみよう。明治5年「書籍館」,明治8年東京書籍館(以上は,基本的に文部省管轄)が明治10 年東京府書籍館となる。明治13年再び文部省管轄東京図書館となる。明治30年4月27日官制公布 により帝国図書館(館長田中稲城)となる,そして,昭和22年12月4日に「国立図書館」と改称さ れ,昭和24年3月31日閉庁式に至るまでの変遷がある。詳細に関しては,r国立国会図書館三十年 史』r上野図書館八十年略史』などに譲る。

 帝国図書館には,図書館講習所が附設されているが,それは,大正10年図書館員教習所が東京美 術学校構内に開設されたものが,大正11年帝国図書館の管轄になり,大正14年図書館講習所と名 称変更になったものである。昭和10年12月1日帝国図書館構内に講習所が新設される。昭和20年 3月10日閉鎖,22年5月15日帝国図書館附属図書館職員養成所が開所される。8月29日舟木重彦 が所長に任ぜられる。1°}昭和24年4月1日,国立図書館附属職員養成所は文部省の管轄となる。

 ところが,「国立国会図書館設立の構想は,国立図書館側にとってみれば寝耳に水の事であった。」

と言う。このことに関して,当時の館長・岡田 温は1948年の「一月八日文部省に呼び出された。

そして前年の暮れにアメリカから日本の国会図書館創設のために来日していたクラップ,ブラウン

の両図書館使節からのリコメンデーションなるものの日本訳を見せられた。」と書いている。『三十

年史』。国立図書館側が国立国会図書館創設の構想を〈寝耳に水〉的に受け止めた事は事実のようで

あるが,むしろその点にこそ問題があるのではないかと思われる。この事は,図書館関係者が,憲

法の改正の最大の論点がどこのあると考えていたのかを,図書館側としてそれをどのように受け止

めていたのかを,図らずも示すことになっているのではないだろうか。この構想に関する図書館側

(12)

の対応については,中井正一のく館長起用〉問題に際して示された帝国図書館側の反応とあわせて,

若干の考察をしておいた(拙著r中井正一・「図書館」の論理学』を参照されたい)。また,1949年 になってからのエピソードがある。同年7月,国立国会図書館で翻訳・謄写印刷されたr文匪報』掲 載の記事の抜粋を出版することを国立国会図書館が許可したという事をめぐり,GHQからクレー一一一ム がついた。その文書は,将来,両院の外務委員会のみの用に供するために,官庁の許可を得て刊行 されたのであるが,それがGHQに漏れたのである。遺漏に関して調査をした結果,ある事がらに関 する「中傷と陰謀の実行者と見られて誠首され,そのことに恨みを抱いている二人の元国会図書館 員をつきとめた。」この他,国会議員も関与していた。この騒動は,「自由で独立した図書館に反対 する反動分子によって引き起こされたものであると(金森館長は)信じていた。」11}国立国会図書館 の職員(館長までをも含む職員という意味である)に対しては何の措置も取られなかった。このく 中傷と陰謀〉がなんであるかを,ウィリアムズは具体的には書いていないが,国立国会図書館の館 長・副館長の人事に無関係ではないようである。

 先にも触れたようにこの時点で,つまり,民政局からの「示唆」があった後の昭和22年3月25日,

一方から言えば当然の事なのであろうが,全7か条の「国会図書館法」の提案があったのである。3 月28日衆議院での提案理由は言う。「国政に寄与し,かつ一般文化の向上に重大なる関連ある国会 図書館の完成は,我々の責務である。」この法案の「意図するところは,これによる国会図書館の構 成を規定し」「館長及び図書館運営委員会の,自由にして活発なる企画及び運営を期待する」ところ にあり,「館長は両議院の議長が協議して任免すること」としたのは,「国会図書館の館長以下職員 は,政争より離れ,政党的色彩を帯びることなく,独立公平に,かつ恒久的に事務に慣熟せしむる ことを意図した」からである。この法案は,28日可決,30日貴族院でも可決。31日衆議院解散。国 会図書館法は4月30日公布,5月3日施行。

 国立図書館の構想(国会法が成立した後は・A 圭 一:の _に  すると 一応 えたとして も)があったようにも見えるが,果たしてそうだろうか。上に見た建議案などではこの区別がはっ きりしているのかどうか,それぞれについて詳細な検討をする事は今はできないのであるが,問題 になるだろう。どうも構想というか内容に関しては入り乱れているように思われる。ところが,あ らかじめ言っておけば,国立国会図書館に関しては,国立でしかも国会図書館というのはおかしい という批判があるのである。では,歴史的に見て,それぞれに関する構想があったのかという事に なるが,少なくとも,1945年以後の時点にはどうもそれははっきりとした形では打ち出されなかっ たのではないか,と思われる。国立図書館の構想といい,国会図書館のそれといい,「議会」に関係 するという点では共通するのだろうが,明確に国民の立法権との関連を踏まえているかというと,肝 心のその点で曖昧さがあるように思うのである。それまでの帝国図書館の存在が,なぜ,国立国会 図書館の構想とズレるか,ここが基本的な問題点ではないか。中野重治は,短編「司書の死」を書 いて,戦後の図書館構想は紅葉山文庫から帝国図書館,そして国立図書館あるいは議会図書館とい う展開を,占領軍のもとで日本の支配階級は画策してきているのではないか,国民の目の届かない ところで,国民にかくしてそうしているのではないか,と疑問を述べている。それはこのような事 情もあったのかもしれない。中野は,1947年4月の総選挙(全国区)で共産党の議員として当選し,

1950年6月に落選するまで,3年の参議院議員をしているのである。

 ところが,1947年5月20日第一回国会が召集され,6月3日には衆議院・参議院の図書館運営委

(13)

員会が開催される。衆議院は当初は松田正一,7月8日から中村嘉寿(ただし23年5月7日まで),

参議院は羽仁五郎が委員長(23年10月12日からの第三国会では金子洋文が委員長)。7月12日両 院議長は,両院図書館運営委員会合同懇談会の決定に基づいて,国会図書館設立準備顧問としてア メリカ議会図書館その他から,専門家を招聴したいということを,GHQに正式に要請。「米国図書館 専門家派遣依頼書簡」は両院議長及び両院図書館運営委員長の名前で出されたのである。その書簡

は,言う。「国立国会図書館創設のための努力を」しているが,「当面する問題は単に,その新設機 関の建築計画にとどまらず,機能全般にわたるものであり」,「将来の国立国会図書館の計画を丹念 かつ完壁に仕上げるために」助言を賜りたい,と。12月14日米国図書館使節団としてヴァーナー・

W・クラップ(Verner W.Clapp)とチャールズ・H・ブラウン(Charles・H.Brown)が来日。一方,第 一回国会の開催の前から,衆議院と参議院の調査部はさまざまな調査研究資料を作成し刊行した。衆 議院は21年10月に「米国立法機能増進法案訳」を公にした。その後,22年5月20日には衆議院が

「国会図書館準備資料 第一集・国立図書館としてのアメリカ国会図書館」を,参議院が「国会図書 館に関する調査資料 第一輯・調査研究とアメリカ国会図書館,他」を刊行し,23年2月10日参議 院が刊行した「国会図書館に関する資料第三輯(活版)」に至るまでである。このうち,23年1月20

日に参議院が刊行した「国会図書館に関する資料 第三輯(謄写)」と「同(活版)」の目録を挙げ よう。まず,第三輯(謄写)。

 「       目録

 一 自昭和22年12月17日至昭和23年1月6日 議事経過概要  二 附属目録一覚書

  (一)12月19日   (二)12月20日   (三)12月20日   (四)12月20日   (五)12月22日   (六)12月26日   (七)(八)略   (九)1月6日 次に,第三輯(活版)。

  「目次・第一   /第四

  する資料/第七   /附録」

国会図書館の機能(第一項)

a国会図書館の組織(第二項a範囲)

b上野国立図書館 c合衆国法典の抜粋

d国会図書館の組織(第二項b総括的管理c図書館長)

e国会図書館の組織(第二項d機構及び第三項管理事務の一部)

国会図書館の立法

  国立国会図書館法/第二 国立国会図書館建築委員会法/第三 覚書(訳文)

覚書(英文)/第五 北米合衆国法典の抜粋/第六 国立国会図書館法の審議に関     アメリカ図書館使節団に対する感謝晩餐会における松平参議院議長の挨拶

 参議院側の調査部には酒井 悌氏がいた。その酒井氏の回想にもあるように参議院側が主導的に

活動したのである。ここには表面上は出てこないが,創設される新しい国立国会図書館の館長問題

がすでに進行しているのである。羽仁委員長は,委員長就任直後から,当時は尾道市立図書館館長

であった中井正一を館長候補に擬して交渉を進めるのである。12}クラップとブラウンが到着してか

ら,国立国会図書館法が成立する23年2月4日(公布は2月9日)までの3か月は衆議院図書館運

営委員長も頻繁に使節と交渉を持つ。22年12月17日から,23年1月6日まで13回に及んだ交渉

(14)

の記録は上に挙げた参議院の調査部資料(謄写),23年1月21日の衆議院調査部作成「国会図書館 準備資料 第六集・rアメリカ図書館使節覚書集』⊥第二回国会参議院図書館運営委員会会議録第一 号(23年1月22日)に記載されている。r三十年史』

 なお,ここに出てくる衆議院・参議院の調査部に関して念のために記しておこう。貴族院事務局 には昭和12年から調査課(17年には調査部となり,三課があった),衆議院事務局には昭和9年か ら調査課(12年からは調査部,四課があった,17年調査課,22年新憲法のもとで調査部)があっ た。第92回帝国議会(21年12月27日〜22年3月31日)で,議院事務局法成立。施行は新憲法の それと同じ日。調査部,法制部のいずれもが両院事務局にある。r三十年史』は,22年11月1日付 けの「参議院調査部事業概要」にはリファレンスサービス,基礎的調査研究,常任委員会活動の補 助,国政研究会の世話,の四項目が掲げられていることを示し,「国立国会図書館に設けられた調査 及び立法考査局は,この衆・参両議院の調査部を母体としたものであり,前記の調査業務をほとん どそのまま受け継いで発足した。」両院の職員は「そのほとんどが館の職員となったが,その際,参 議院の職員は主として調査及び立法考査局に回った。」と記している。

 しかし,クラップとブラウンは,来日直後の12月17日の両院図書館運営委員会合同打合会で,す でに言っている。「国立図書館は結局は国民全体のものでなければならない。」「第一には,議員のた めの図書館」でなければならない。図書館は「事実及び情報を獲得する手段」であり,「立法府の参 考の仕事」である。「調査及び参考(業務)」は「すべての議員の政策決定の基礎」である。第二に

「政府の方々,例えば閣僚その他各省の職員というものにも,この文献,これらの事実,材料を利用 させる」こと。第三にこの図書館は「全国にある図書館を通じまして国民一般に利用せられる。」第 四は「国立図書館の貸し出し」は,原本でなくコピーでする。第五はユニオン・カタログの利用。第 六は出版総合目録作成と納本制度。第七は国際的な図書の交換(ネット・ワーク)。それから,議会 図書館の指導性に関して,「その指導的地位というものは各図書館と協力してやっていくという意味」

で,他に対して「さしでがましいことを言う」のではない。「アメリカの議会図書館というものは非 常に独立した地位を持って,そうして各図書館との間に十分協力してやっていくというような立場」

にある。最後に「議会図書館の創設に当たりまして,これは組織を非常に理想的なものにしなけれ ばならぬという点を強調したいと思います。これは,非常に重要なことであって,たとえばクラシ フィケーションの問題等につきましても,いろいろな図書館がやはり議会図書館のまねをしていく というようなこともありましょうし,また議会図書館の組織を利用するということもありましょう。

この場合に,最初にでき上がるもの,しかも中枢的地位を持つべき議会図書館というものが非常に 理想的なものでなければならないということは非常に重要な点であって,この点を特に強調したい

と思います。」r三十年史 資料編』

 次いで,12月19日の「覚書」を皮切りに1948年1月6日のドラフト提示まで,9編の覚書を発 表する。最初の12月19日の覚書で,「全議員のためのrリファレンス及び調査』」と「日本国政府 の各省のためのr文献的調査及びリファレンス』」について指摘。12月20日には国会図書館と「東 京にある他の政府図書館との関係」について,「最高裁判所の図書館を国会図書館の支部とすること

もできよう。」これと同様な措置は「政府及びその他の部局の図書館についても取り極めることがで きる」が,「あらゆる政府の図書館を分離した単位として,お互いに全く独立したものとしておく」

という代案もある。これに対して22日にいわゆる支部図書館制度の実現を,「最も緊要と認められ

(15)

る」,「これが実現には諸障碍を伴うことが予期せられるをもって,早急に内閣及び最高裁判所とも 協議し,これが実現を計るよう努力する。」また,「現行の国会図書館法を改正し」,「1.行政諸機関 及び最高裁判所に,国会図書館の分室の性格を有する図書館を新設する。2.右第一項の館長は,当 該行政諸機関の長官或は最高裁判所長官の推薦により,国会図書館長が任命または罷免する。3.国 会図書館は各行政機関及び最高裁判所よりの申し出たる図書を購入し,目録を作成して,図書はこ れを当該行政機関或は最高裁判所にこれを使用保管せしめ,同目録は複写してこれを保有せしめる。」

という図書館運営委員会の回答が出た。

 12月22日の覚書は,最高管理は両院の図書館運営委員会が合同委員会として行うこと,「国会は,

中核であり,要石である国会図書館と官庁図書館との間に可能な一大調整体系を確立することを考 慮すべきである」こと,館長は「両議院の議長が協議して任命するものであり」,「図書管理者の職 の高遠な理想と近代図書館のためにせねばならぬサービスとに十分理解をもっていなければならぬ」

のであり,「国会図書館の管理のみならず,結局全日本国民に及ぶことになる図書館サービスの助成 上最も重大な職責を持つ人となる。」館長は,「立法者,政府の役人,大学の総長,工業農業労動方 面の指導者或はその他全国を通じ図書館のサービスを理想的なものに築き上げようと興味を持つ人々 に相談を受ける。」と指摘した。更に26日には「政府の各分野で役立つ適当な図書館サービスが各 省各部で蒐集された図書によって確実に利用できるようにする。」「各省各部におけるもので一時的 に必要な図書は若し人的に可能な場合は図書館間の貸出によって直ちに利用できるようにする。資 料,事実に基く諸情報及び報告書は要求があれば如何なる政府の部局にも入手し得るようにする。ま た政府各省の図書館は当該関係各省に対し可能な最高のサービスをなし得る如く図書館を管理し,政 府のすべての分野における諸図書館が統一的準則及び組織によって目録を作成したり整理する」,「館 長は国会が必要とする,すべての図書は直ちに購入する」ことを指摘。国会図書館の機構として,調 査及び立法リファレンス局,一般リファレンス局,支部図書館局等を掲げた。管理事務として,「図 書館長は日本の諸法律及び両院の図書館運営委員会及び連絡調整委員会によって定められた政策に 従って国会図書館その部局及び支部運営の全般的監督を行う。(館長は各部の機能を尊重して)政府 の立法,司法及び行政各部の構成員に提供すべきサービスをできる限り理想的であるように特別の 注意を払う。」としている。

 1948年1月2日の覚書。「三,管理事務 C 調査及び立法リファレンス局の局長は図書館長の指 示の下に図書から得られる現実の資料を提供して国会議員の援助をなすべき責任を有する。また,議 員の関心を有する資料は,いかなる国,いかなる題目に関する出版たるを問わず,これを提供すべ きである。彼はまた出版物及び諸雑誌中の論説について真実,かつ,公正なる梗概または紹介をも すべきである。さらにまた世界中のあらゆる政府,またはその政府の主なる部局によって制定され た法律の所在を知り且つ議員の用に供すべきである。」この部局には「法律及び政治,議案起草サー ビス,経済,社会福祉,労働」のセクションが必要であり,各々のセクションの「部長並びに専門 家は立法に当るものの要求を察知し,できうるかぎり,あらかじめ資料を用意すべきであろう。」組 織が完備した後は「その本来の任務に抵触しない限り,政府の他の部局へもそのサービスが拡張で きることを期待する。」

 rF整理局 局長はすべての支部図書館を含む図書館のカタログの整備を監督すべきである。局

長は支部図書館の館長と協力して東京にある政府図書館の一切の書籍の総合的著者目録及び件名目

(16)

録を整備すべきである。この目録は結局国会図書館及びその支部図書館の目録となる。」「局長はで きるだけ早く合衆国を訪問し,調査図書館の目録及び分類法,また国会図書館のカード分配部門と を研究すべきである。」

 rG 支部図書館 支部図書館はその主要なる義務として政府の司法及び行政各部門に対して迅速 かつ有効なサービスが行われるように監督する義務がある。国会図書館の他の局と協力して,司法 及び行政部門の各部課に恒常的に保管さるべき図書ができるだけ速やかに購入されそして直ちに役 に立つよう監督せねばならぬ。」「司法及び行政各部門の職員に購入してほしい図書の推薦を求めね ばならぬ。司法及び行政部門の必要とする図書を明らかにし,またかかる必要を予測しようとしな ければならない。行政及び司法各部の図書館員とともに図書館の連絡員であるだろう。局長は図書 部の方針に従って,他の種々の支部図書館及びその図書館員との連絡を密にしておかなければなら

ない。」

 図書館員の養成に関して。現在は「専門的資格を有する図書館員が不足しているので,暫く国会 図書館員の任用のための専門的資格を引き下げることが必要である。しかしながら,かかる任用は すべて在職者が,相当な期間の後に十分の資格を充足することができるということを条件としてい るものであることは言うまでもない。(使節は後日国会図書館の職員が米国において研究することが できるように取り運ばれることを希望しているが,更にまた,後日技術的サービスの構成に関して 助言するために,専門家が日本へ派遣されるようになることを望む。)」

 資料蒐集に関して。rA 蒐集の範囲 国会図書館の資料蒐集の範囲は第一に資料の使用者の必要 により,第二に納本として自動的に受け入れられた出版物により,更に第三には国会図書館の蒐集 活動が他の図書館と調整連絡される限度によって決定される。」「使用者の要求によって決定される 蒐集の範囲」はra国会 資料蒐集は国会議員の公的義務の遂行上の必要をできるかぎり完全に役 立たせることができるように進めるべきである。(一)日本自体に関する諸資料の蒐集は国内たると 国外刊行物たるとを問はず包括的であるべきこと (四)世界各国の法律書の蒐集は特に注意を払う べきこと (五)政治及び行政,国際法及び国際関係並びに各国政府及び国際的機関の活動,さらに は重要立法に関係あると思われる経済,統計及び社会の諸問題に関するものを広範囲に蒐集すべき こと」rb その他の政府諸機関 蒐集は日本政府の中央図書館として奉仕するように展開さるべき である。政府の要求する図書はすべてどこかで容易に手に這入るし,同時に政府の各省が最も必要 とする図書はそのr生きた図書館』で利用できることを保証するのが国会図書館の仕事でもある。」

 図書館人の教育に関して。rc将来に対する計画 図書館人たるべき男女の教育に対する一定の計 画が,1948年中に概示さるべきである。図書館学校は,(東京以外の)日本の他の都市にも開設さ れねばならない。高い教育を受け,またよく訓練された図書館員が日本で不足してきた原因のひと つは,おそらく…給料が,従来低かったことにあるのであろう」から,「フェローシップを与えよ。」

(敢えて言えば,図書館そのものが国民のものでなかったからであろう。)

 予算に関して。予算との関係で,支部図書館の発展が疎外されてはならない。「裁判所や行政諸官 庁の図書館及び上野の図書館は分館となるので,これらの分館の活動のための資金が必要であろう。」

「資金が現在の主務官庁から移管される」が,「これらの図書館が現在以上にもっと効果のある働き をするためには,資金をある程度増加することは確かに必要である。」

 そうして,最後に1月6日に「国立国会図書館の組織に関する立法」を「覚書第9」として「交付」

参照

関連したドキュメント

3 諸外国の法規制等 (1)アメリカ ア 法規制 ・歯ブラシは法律上「医療器具」と見なされ、連邦厚生省食品医薬品局(Food and

第1条

あった︒しかし︑それは︑すでに職業 9

[r]

これに対し,議員提出の税関係の法律案は,営業税法廃止案(2グループ

理事長 CEO CO O CMO CFO 協定委員会 二法人の協定に関する事項. 法人リーダー会議 管理指標に基づく目標の進捗管理

翌 1968 年には「大気汚染防止法」、 「騒音規制法」が制定された。 1970 年は「公

今回のわが国の臓器移植法制定の国会論議をふるかぎり,只,脳死体から