国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法 「立法」の論理(1)
佐 藤 晋 一
(1995年10月13日受理)
Logic of Legislation(1)
Concern with National Diet Library Law, Giinhouseikyokuhou,
Naikakuhouseikyoku−settihou
Shinichi SATo**
(Received October 13,1995)
1.はじめに
中井正一は「集団主体の論理学」を構想し,論理そのものが個人レベルの思惟・判断に根拠する のみではなくして,集団主体のレベルにおける思惟・判断に根拠するものにまで展開・発展するも のであることを探ろうとした。言い換えれば,論理学は個人の思惟・判断によって基本的に規定さ れる適用範囲を乗り越え,さらに集団的思惟・判断によって規定される適用範囲を獲得することに よって,論理学それ自体の存在理由を拡充するのであることを探ろうとした。それはr委員会の論 理』において,まず〈一つの草稿として〉,展開されたのである。中井が,論理学それ自体の歴史 的展開とそれがいかなる実践行動によって支えられてきたか,の両面を内在的に関連させて相関的 に捉えようとしたことは,非常な卓見であった。ただ,残念なことに,思惟形態の発展過程を根底 において条件づけている人間の実践行動の歴史的・構造的展開に関しての論証は,とりわけ日本に おいてのそれらの問題に関しての論証は,十分に説得的であり得たかというとそうではなかったよ うに思われる。一般に指摘される中井の実践的経験には,r世界文化』・r土曜日』に拠る反ファシズ ム運動,京都家庭消費組合運動,そして出生時の体験である帝王切開,の3点がある。
確かに中井の生きた時代を歴史的にみれば,中井の思惟・判断の形成に関してはそれらの経験が 重要なものであったと言えるだろう。ここに映画の製作活動を加えても1),わずかにそれしか為し得 なかったとも言い得るのではあるが,逆に,1868年から1945年までの「主権在君」時代に,いわ ゆる〈r世界文化』事件〉で治安維持法違反に問われて逮捕されてしまった(1937年)のであった が,そのことが,人間の思惟・判断にとっての最大の問題が,したがって実践にとっての最大の問 題が,根本的には何であるかを中井に対して明確に示したのではないか。
*茨城大学教育学部学校教育講座教育学教室(〒310 茨城県水戸市文京2丁目1−1).
中井は,「死ぬまでに,三冊の本を書きたい,ひとつは自叙伝,ひとつは論理学,ひとつは図書館 学だ」2),と言っていたそうであるが,それらは,はからずも1936年に書かれたr委員会の論理』に 対するく補完〉となるものではなかったか。殊に,図書館学と言っていることは重要である。国立 国会図書館・副館長としてさまざまな苦悩を経験した中井であるからこの言葉は重いのである。中 井の言う図書館学とは,国立国会図書館法に明確に規定されているように,主権者である国民の立 法権を実質的に支える機構・組織に関する学問なのである。3)敢えて言うならば,いわば「立法の 論理学」が,中井の言うく集団主体の論理学〉としての図書館学なのである。即ちそれが,r委員会 の論理』の拡充なのである。〈委員会の論理〉を実現するのは,本来的には主権者としての「国民」
一その確立は1945年以降になったのであるが一でなければならなかったのである。「主権在民」と は立法権の所在がどこにあるのかを示す言葉であるのである。唯一の審議機関であり最高の議決機 関こそが,立法府すなわち国会なのである。ここにこそ中井の依拠すべき根拠があったのである。あ る意味で,日本においてこのことが現実化したのは,まさに中井が求めてやまなかった「集団の論 理」の実体化が,曲がりなりにも実現したからであったと言えるであろう。
そこで本稿では,中井が自己の経験それ自体の根本的変革を自覚して,その上で求めたまったく 新しい「立法の論理学」としての図書館学構想を,中井が戦後に書いた図書館学に関する論文及び 活動と,立法権に直接にかかわる三つの法律,国立国会図書館法,議院法制局法,法制局設置法(現 在は内閣法制局設置法)の成立過程とを関連させて検討することによって,明らかにしたい。
II.国立国会図書館法
II−1.国会法と国立国会図書館法
国会法(1947年5月3日施行)はその当初,第130条において,「議員の調査研究に資するため に,国会に国会図書館を置く。国会図書館は,一般にこれを利用させることができる。」と規定して いた。これを受けて,1948年2月9日国立国会図書館法が成立した。同法第2条は「国立国会図書 館は,図書及びその他の図書館資料を収集し,国会議員の職務の遂行に資すると共に,行政及び司 法の各部門に対し,更に日本国民に対し,この法律に規定する図書館奉仕を提供するすることを目 的とする。」と,その目的を明確に述べた。初代の国立国会図書館館長は金森徳次郎,副館長は中井 正一であった。国立国会図書館法が成立したため,国会法の第二次改正(1948年7月5日)の際に,
第130条は現行のように「議員の調査研究に資するため,別に定める法律により,国会に国立国会 図書館を置く。」と改正された。
国立国会図書館法は,まさに主権者の立法権を実質的に保証するために作られた法律であった。こ のことがはっきりするのは,1947年3月25日に「国会図書館法案」が提出されて,28日衆議院,30
日に貴族院を通過。同年法律第84号として成立していたのであったが,その国会図書館法の全面的
な変更を求める動きにおいてである。国会図書館法は,全7か条の簡単なもので,第1条では「国会
図書館は,内外の図書記録の類を収集保存し,議員の調査研究に資する所とする。国会図書館は,別
に定める規定に従い,一般にこれを利用させることができる」と規定しているのみであった。この
国会図書館法は国立国会図書館法の成立にともない,廃止された。これに対しては,すでに,大日
本帝国憲法下での議会活動に関する反省からも批判が出ていたのであるが何よりも,国会法の基本 的目的にそぐわないのである。
そもそも,帝国議会に関しては議院法4)のみがあり,〈国会法〉に相当するものがなかったという ことが,1945年までのく政府機構〉の実態を明らかにしているのであるが,1947年に国会法が,紆 余曲折を経て成立した。しかし,現行の国会法に至るまでが問題なのである。なぜなら国会法は,当 初から現行のような内容を持った「国会法」として提案されたのではなかったのである。r議会制度 百年史・議会制度編』によって,その経過をたどろう。帝国憲法の改正にともない,「帝国憲法附属 の重要法典である議院法も当然改正しなければならなくなった」ところから,まずは議院法の改正 が審議されたのである。1946年6月18日衆議院にく議院法規調査委員会〉が設置され,7月4日委 員を選任し,8月9日から30日の間に三回会議を開き「国会法案の要綱として」r新憲法に基づき国 会法に規定する事項』を決定して公表した。これに基づいて衆議院事務局によって法案起草が開始
されたのである。10月31日第一次案決定,「その後内閣法制局とも打合わせを行」う。(後に詳しく 見るように,この時点では現行の内閣法制局は存在していないのであり,この〈内閣法制局〉とい
う記述は不正確である。r内閣法制局史』1974年,はこの点は正しく記述している)。ところが,11 月4日,新憲法の公布の翌日連合軍最高司令官総司令部から国会法の制定に関して,〈示唆〉があり,
それからの進展は急展開を見せることになる。その〈示唆〉の中には,議員及び議会の立法に関す
る基本的な補助機関としての国会図書館の設置,法制局と資料提供部門の設置,両議院による法制
協議会の設置,5)などがあった。11月16日第二次案を決定。更に12月4日第三次案,9日に第四次
案,14日に最終案として第五次案を決定(ただし11月29日に総司令部民政局に提出している)。こ
のような経過をたどる原因は,「第一次案から第五次案の決定に至る間,総司令部と案の内容につい
て数次にわたり折衝を重ね」たからであるのだが,ここにはっきりしているのは日本側の原案が全
面的に改定になっていることであろう。少なくとも,国会図書館と法制局に関しては日本側から提
案されてはいないのである。12月16日第五次案に対して「総司令部から了解が与えられた。」かく
して,法案は1946年11月26日から12月25日までの第91回帝国議会(臨時会)に提出された。「本
案は,新憲法の制定にともない,現行議院法を抜本的に改めるものであり,衆議院の各党各派を網
羅した議院法規調査委員会で立案の上提出されたものである。」というのが提案理由である。12月18
日衆議院で進歩党の田中萬逸は,国会法の提案理由において,まず,「新憲法の下で国会が国権の最
高機関になる以上,新しい国会法,それも国会自らの手で作成された国会法が必要である。」「この
最も重要な法案が,衆議院議員によって作成された事は画期的であり,立憲政治の将来に対して深
甚な影響を与えよう。」「革命的な考え方が導入され,強力な常任委員会制度と重要案件については
公聴会を開くという条項が設けられた。」「国会法の制定がもっぱらねらいとしている事は,国会を
強化する事にある」6)とした上で,「今や国会が国権の最高機関となるとき,現在のごとき貧弱な図
書館,否,図書室では,われわれが欲望をとうてい充たすわけにはまいりません。われわれは動く
図書館をどうしてももたなければなりません。この意味において,本法中に特に図書館に関する規
定を設けました。この図書館は,単なる書庫ではありません。」「この図書館に完全なる人的要素を
配置し,各種の調査研究に専門的に従事せしめ,図書館というよりむしろ調査局,研究所としたい
熱望を持っておる。」と述べた。丁国立国会図書館三十年史』。大池 真衆議院書記官長は,国会法改
正を審議する衆議院特別委員会で12月19日rGHQの民政局はあらゆる援助をおしまず」,「委員会
が真に民主的な国会法を作成するように督励し,再三にわたって一国の議会としての権威を高める ための提案を寄せてくれた。」そのことに大変感謝すると述べた。7)
12月21日衆議院本会議では全会一致で可決。しかし,22日の貴族院では,第一読会が開かれ「① なぜ政府みずからが国会法を立案しなかったか,②次の通常議会で十分審議すべきでないかなどの 質疑の後,委員会の審査に移されたが,審議未了のまま会期を終わった。」(r議会制度百年史・議会 制度編』)だが,わずか3日後の28日から1947年3月31日までの第92帝国議会(通常会)には,
その審議未了のものと同一内容の国会法案が提案された。衆議院は2月21日全会一致で可決。貴族 院では,いくつかの修正意見が出された。その主要なものは,法律案に関する両院協議会について であり,参議院は衆議院の回付案に同意しなかった場合,両院協議会を求めることができる旨の規 定を設けることであった。採決の結果修正案は可決され,3月18日の本会議では委員会修正のとお
り議決された。衆議院は19日に回付案に関して同意した。25日には枢密院に諮詞され,4月2日そ の審査委員会に対して政府から説明があり,審査の結果,9日の枢密院会議において可決され,28日 に裁可。30日法律第79号をもって公布され,附則でくこの法律は,日本国憲法施行の日から,これ を施行する〉と明記されたとおりに,5月3日から施行されたのである。なお,議院法の改正という 当初のもくろみが現行の「国会法」の提案に至るまでのいきさつ及びそれにともなう貴族院と衆議 院とのやり取りに関しては,ジャスティン・ウィリアムズrマッカーサーの政治改革』(市 雄貴・
星 健一訳,朝日新聞社,1989)が詳しい。というより唯一の文献ではないか。そもそも国会法に 関する研究書といわれるものは黒田 覚r国会法』有斐閣,1958,以外にあるのだろうか。これは,
いわば解説書であり,本格的な研究書とは言えまい。議院法改正の問題と国会法の提案とは,論理 的にいって,本質的に連続する問題ではなくして,異なる論理に基づく問題ではないのだろうか。<
1945年8月15日〉とは,そこで真に問題とされるべきであったのは何であるかの解明は,実は国会 法の研究から始められなければならないのではないだろうか。
国会法(基本的には,立法府法とでも言うべきものである)の最大の眼目は,立法権を天皇から
「国民」へ明確に移すこと,立法権を国民にのみ存するものとしたこと,天皇の立法権の否定であっ た。従って,立法府は,主権者である国民によってのみ構成されるのであり,天皇が立法権に関係 することは拒否されたのである。三権は主権者である国民のコントロールに直接に属するものであ り,そうすることによって制度的に主権在民の形式を保証しようとしたのである。言うまでもなく,
立候補権と投票権は国民に固有の権利であるとされ,三権分立に関与し,責任を持つのは国民のみ
であることが明確にされたことにより,主権在民の内実が確定されたのである。制度と内実がこう
して「国民」に収敏した形で,相互に関連性を持って運用されることになったのである。行政府が
立法府の意志に反した政治を行った場合は,法治主義に反するのであり,法治国家とは言えないの
であるから,内閣は議会によって不信任されることがあるのである。内閣は立法府に対して責任を
持つのである。むろん立法府といえども,憲法つまり国民の意志・合意に反した立法を行うことは
できないのである。だから,憲法に反した政治を行政府が行うことは,国民に対する背信行為なの
である。J.ウィリアムズは,国会法のポイントが,常任委員会制度の導入と国立国会図書館の立法考
査局の設置にあったと記してる。この常任委員会の一つに衆議院・参議院の両院の図書館運営委員
会があったのである。1955年の国会法改正で,廃止となり,現在は図書館運営小委員会となってい
る。「この二つの制度を欠いていれば,立法府が行政府に対抗することはほとんどおぼつかなかった
はずである。」「国立国会図書館の立法及び考査局の助けを借りて,両院の16の常任委員会は組織的 に日本の状況に適応し」ていると,上に挙げた書物の中でウィリアムズは評価している。言うまで もなく,この常任委員会である図書館運営委員会が,国立国会図書館の館長・副館長の人選を行っ たのである。1948年2月25日,副館長の人選は未定のままで館長が金森徳次郎に決定。それから約 2か月後の4月16日中井正一が副館長に任命されたのであった。8)
国会法130条は,国民の立法権を如何に確定するかに関して,より具体的に立法府(国会)に,つ まり議会に図書館を附属させたのである。いわゆる文部省支配の図書館ではなくして,立法府であ る国会,すなわち両議院の,だから議会の支配する図書館を構想したのである。国会法の当初の規 定は,上記の国会図書館法の規定とほとんど変わらないのであるが,国立国会図書館法第2条は明確
にその違いを謳っている。それを受けて,国会法も改正されて,国会に国立国会図書館が属すると 明記されたのである。この構想が,その源泉をどこに持つかに関しては十分に明確になっているの であろうか。後に触れるように,1945年までにもいくつかの構想があったという。しかし,最大の 問題点は,立法権の所在に関する認識であろう。この点を十分に踏まえた解明が極めて重要であろ
う。単なる連続的展開であったというのではないはずである。
II−2.国立国会図書館法の基本構想とその構造
国立国会図書館法は,法律としては異例の前文を持っている。「国立国会図書館は,真理が我らを 自由にするという確信に立って,憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命
としてここに設立される。(The National Diet Library is hereby established as a result of the firm conviction that truth makes us free and with the subject of contributing to international peace and the
democratization of Japan as promised in our Constitution)」国立国会図書館法がこの前文を持つに至っ た経過に関しては,すでに拙著『中井正一・「図書館」の論理学』において,触れているのでここで は触れない。なお,前文を持つ法律がもうひとつある。憲法の施行以前の1947年3月31日に公布・
施行された教育基本法である。この前文は立法権の問題を考えるうえにも重要なので,ここに掲げ
よう。
「われらは,さきに日本国憲法を確定し,民主的で文化的な国家を建設して,世界の平和的と人類 の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきもの である。
われらは,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに,普遍的に してしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに,日本国憲法の精神に則り,教育の目的を明示して,新しい日本の教育の基本を確立する たぬこの法律を制定する。」〈真理が我らを自由にする〉という言葉の基本的な意味は,それをく 教育の力〉と結びつけることによってハッキリするであろう。
国立国会図書館の基本的構想に関しては,r三十年史』は,国立国会図書館が「国会の図書館であ るとともに,国の中央図書館としての任務を同時に課せられている」ので,「この意味において,国 立国会図書館については二つの源流が挙げられる」と言う。rひとつは帝国議会両議院の図書館であ
り,他の一つとして,帝国図書館」があると言う。また,r議会制度七十年史・資料編』は「国会の
図書館であるとともに,行政司法各部門の機関の図書館としての,また国の中央図書館としての任
務を課せられている。この意味において,国立国会図書館の源流は,一つは帝国議会両議院の図書 館及び両議院の調査部に,一つは帝国図書館に,これを求めることができる。」とし,r議会制度百 年史・資料編』は国立国会図書館の「目的は,第二次大戦後国権の最高機関となった国会が,国政 審議の場として遺憾なくその機能を発揮できるよう万全の図書館奉仕で,補佐することである。同 時に行政・司法の各部門の機関の図書館及び国の中央図書館としての任務を課せられており,従来 の我が国になかった新しい図書館である。しかし,帝国議会における議会図書館設立の動き,組織 の変遷,受け継いだ蔵書を考慮すると,その源流を,ひとつは帝国議会両議院の図書館及び両議院 調査部に,もうひとつは帝国図書館に求めることができる。」としている。この三様の記述に関して
は,それぞれ疑問があるのではないか。
II ・一 2 一一 1.まず,両議院図書館について見てみよう。「帝国議会の衆議院における図書館は,明治 23年(1900年)衆議院事務局が設置され,9月編纂課が設けられて図書に関する事務を担当するこ
とになったときに」,貴族院における図書館は「同年10月事務局に編纂課が設置され,図書の購入,
管理にあたることとなったときにはじまる」のだそうである。明治23年の議事堂仮建築が完成した が,24年1月これが焼失。2月に,議事堂再建(4月着工,10月第二次仮議事堂竣工)に当たり,貴 族院書記官長・金子堅太郎が,長文の「議院建築意見」(全文はr国立国会図書館三十年史 資料編』)
を発表。そこで金子は衆議院と貴族院とに別々にではなく,「図書館ハ必ス議院ノ中央二建築シ,上 下両院各々之ヲ共用スルナラン,現二米国ノ図書館rコングレショナル,ライブラリー』ハ両院之
ヲ共同使用シ,懊国ノ図書館モ亦上下両院ノ共通ナリ」としていた。金子は,「按ズルニ欧州各国ノ 議会ノ起源ハ,大概千八百四十八年ノ革命後ニアリ」,「或ハ帝王ヲ廃シ,或ハ貴族ヲ逐ヒ,又ハ政 府ヲ倒シ,或ハ官吏ヲ鐵シ,以テ人民参政ノ権利ヲ得タルモノナリ」と言い,フランス,イギリス,
アメリカ,ドイツ,オーストリアの議会建築について記している。ところが,議会の全体の建築が
「革命戦乱ノ際,一時在来ノ建物ヲ適用シタルモノ」であるから,議会としての機能を十分に備えた 建築が必要だということが主眼なのであり,図書館に関しての言及もその文脈の中でのことであり,
しかも言及はこの一節のみである。
9月17日金子は衆議院書記官長曾禰荒助と連名で「帝国議会図書館設置ノ件」(全文はr三十年史 資料編』)を内閣に稟議,そこでは「議会二図書館ヲ設クルノ必要ハ各議員ヲシテ立法ノ事務二参与
シ併セテ行政監督ノ責ヲ全フセシムルカ為」であるとして,〈議案ノ起草及調査等〉,法令のく審 査考量〉のために「議会ニーノ独立図書館」「議院所属ノ図書館」「議院独立ノ図書館」が必要であ ると主張したのである。資料の収集,「浩溝図書ノ取扱」「整頓保管」「閲覧貸附」に遺憾無きを期す べしというのである。10月9日許可を得る。25年6月貴族院書記官4名,衆議院書記官4名が〈図 書館設置協議委員〉を命じられた。11月15日報告書作成。両院書記官長はその報告書に基づき「図 書館新築及図書購入ノ件」を上申。設置に要する経費96,000円を松方正義・内閣総理大臣に稟請し
たが,採決に至らず実現しなかった。 しかし,金子の考え方は,「帝国議会図書館和漢図書目録明治 二十七年六月」,同「追加第一 明治二十八年九月」の編纂刊行物に生かされているという。つまり,
その編纂には,貴族院と衆議院の事務局があたり,附録としてのせられている「図書借覧規則」第
一・