九州大学キャンパスに眠る
九州大学キャンパスに眠る
埋蔵文化財
埋蔵文化財
九州大学埋蔵文化財調査室
九州大学埋蔵文化財調査室
学術研究員
学術研究員
田尻義了
田尻義了
平成22年度 貴重文物講習会 101217ー
ー
元寇防塁を中心にー
元寇防塁を中心にー
はじめに
はじめに
1
1
.
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埋蔵文化財調査室の紹介
埋蔵文化財調査室の紹介
2.
2.
各キャンパスにおける埋蔵文化財資料の紹介
各キャンパスにおける埋蔵文化財資料の紹介
a.
a.
筑紫キャンパス
筑紫キャンパス
b
b
.
.
伊都キャンパス
伊都キャンパス
c
c
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その他の九州大学用地
その他の九州大学用地
3.
3.
元寇防塁が眠る3つのキャンパス
元寇防塁が眠る3つのキャンパス
d
d
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.
元寇防塁とは
元寇防塁とは
e
e
.
.
生の松原演習林
生の松原演習林
f.
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箱崎キャンパス
箱崎キャンパス
g.
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馬出キャンパス
馬出キャンパス
1
1
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埋蔵文化財調査室の紹介
埋蔵文化財調査室の紹介
九州大学埋蔵文化財調査室の由来
1972(昭和47)年 米軍春日原基地が日本側に返還 1977(昭和52)年 基地の跡地利用の1つに九州大学用地決定 同年 九州大学池田総長が九州大学統合移転計画発表 学生運動の激しい時期→地元住民などの反対から頓挫 学部学生ではなく、研究施設や大学院として利用春日原基地は以前から
遺物
(弥生土器や須恵器な
ど
)
が表採でき、遺跡の存在が予測
される
1978(昭和53)年 九州大学春日原地区埋蔵文化財調査室の発足1
1
.
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埋蔵文化財調査室の紹介
埋蔵文化財調査室の紹介
春日原地区埋蔵文化財調査室
春日原地区(筑紫キャンパス)において、九州大学の諸 施設の建設にともなって、50次以上の発掘調査を実施2000(平成12)年
九州大学埋蔵文化財調査室
九州大学埋蔵文化財調査室
と改称
筑紫キャンパス以外の九州大学の全用地に対応するため2007(平成19)年
出土品の整理・学術資料化のため、
新体制発足
新体制発足
キャンパス出土資料の収蔵状況
パンケース 約
4,000箱
箱崎キャンパス内に収蔵室
3箇所
九州大学の埋蔵文化財についての取り組み
大学独自
文化財の保存・保護
VS開発
文化財の保存・保護+開発=あらたなキャンパスの特徴
1.現地をそのまま保存するか、学内外に展示公開するため復元・ 整備する。 2.土盛りなどによってキャンパスとして利用するが、遺構の部分に ついては位置関係と構造を正確に復元して展示公開する。 3.土盛りなどによって、遺構を破壊しないかたちでキャンパスとし て利用する。 4.記録保存した後造成し、キャンパスとして利用する。2.
2.
各キャンパスにおける埋蔵文化財
各キャンパスにおける埋蔵文化財
資料について
資料について
a.筑紫キャンパス
JR大野城駅弥生時代
古墳時代
古代
弥生時代①
筑紫キャンパスの正門近くの土壙より出土 筑紫キャンパスの正門近くの土壙より出土 弥生時代中期の祭祀土器群 弥生時代中期の祭祀土器群 赤色顔料が塗られた土器や筒形器台など 赤色顔料が塗られた土器や筒形器台など弥生時代②
産学連携センター付近より出土 産学連携センター付近より出土青銅器の巴形銅器鋳型
青銅器の巴形銅器鋳型
全国で2例目弥生時代②
筑紫キャンパス出土鋳型で製作した巴形銅器が、 筑紫キャンパス出土鋳型で製作した巴形銅器が、弥生時代弥生時代にに 瀬戸内東部の 瀬戸内東部の香川県まで運ばれていた香川県まで運ばれていた
弥生時代の青銅器うち、銅鐸以外で
弥生時代の青銅器うち、銅鐸以外で
鋳型と製品が一
鋳型と製品が一
致したのは初めて
致したのは初めて
弥生時代②
古墳時代①
応用力研究所付近より出土 応用力研究所付近より出土石釧
石釧
(
(
いしくしろ
いしくしろ
)
)
腕輪形石製品:通常は前方後円墳の 腕輪形石製品:通常は前方後円墳の副葬品副葬品 集落内からの出土珍しい・九州でも少ない 集落内からの出土珍しい・九州でも少ない古墳時代②
須恵器製作用の木製具 須恵器製作用の木製具 3 3点セットで出土したのは点セットで出土したのは国内初国内初 付近に須恵器製作工房の存在が推定 付近に須恵器製作工房の存在が推定 総理工 総理工HH棟付近より出土棟付近より出土古代①
古代官道(水城西門ルート)
古代官道(水城西門ルート)
鴻臚館と大宰府を結ぶ官道
古代②
総理工 総理工GG・・DD棟付近より出土棟付近より出土 墨書土器「寺」 墨書土器「寺」 白玉帯 白玉帯 丸鞆丸鞆 平瓦 平瓦 軒丸瓦軒丸瓦寺院
寺院
の存在を推定
の存在を推定
成果発表・中間報告
成果発表・中間報告
九州大学総合研究博物館 平成20年度公開展示九州国立博物館
2009年1月1日~2月8日観覧者数
4万超
『奴国の南
-九大筑紫地区の埋蔵文化財-』 開催
2.
2.
各キャンパスにおける埋蔵文化財
各キャンパスにおける埋蔵文化財
資料について
資料について
b.伊都キャンパス
弥生時代
古墳時代
古代
福岡市教育委員会による発掘調査 福岡市教育委員会による発掘調査 現在も調査中の多量の土器溜・集落が検出 前方後円墳7基・円墳75基を含む古墳群 豊富な副葬品(太刀や馬具など) 製鉄遺構(約50基)や木簡資料の出土キャンパス
弥生時代集落 弥生時代集落 古墳 古墳 山城 山城
伊都キャンパス 比文研究棟前の看板
キャンパス内の埋蔵文化財の位置を明示
2.
2.
各キャンパスにおける埋蔵文化財
各キャンパスにおける埋蔵文化財
資料の紹介
資料の紹介
C
.その他の九州大学用地
【 【演習林演習林】】 管理部局管理部局 農学部農学部 ・北海道演習林 北海道足寄郡足寄町 ・宮崎演習林 宮崎県東臼杵郡椎葉村 ・福岡演習林 福岡県糟屋郡篠栗町 鬼ヶ浦古墳鬼ヶ浦古墳 カンカン石古墳カンカン石古墳 鬼ヶ鼻遺跡鬼ヶ鼻遺跡 ・早良演習林(生の松原) 福岡市 元寇防塁元寇防塁 生の松原遺跡生の松原遺跡 【 【農場農場】】管理部局管理部局 農学部農学部 ・原町農場 福岡県糟屋郡粕屋町 九大農場遺跡九大農場遺跡 ・篠栗農場 福岡県糟屋郡篠栗町 鬼ヶ浦古墳鬼ヶ浦古墳 カンカン石古墳カンカン石古墳 鬼ヶ鼻遺跡鬼ヶ鼻遺跡 ・高原農業実験実習場 大分県竹田市久住町 【 【観測実験施設観測実験施設】】管理部局管理部局 理学部理学部 ・地震火山観測センター 長崎県島原市 ・天草臨海実験所 熊本県天草郡苓北町 富岡城富岡城 【 【実験施設実験施設】】管理部局管理部局 農学部農学部 ・生物資源環境科学府附属水産実験所 福津市津屋崎 ・彦山生物学実験施設 添田町 彦山修験道遺跡彦山修験道遺跡3
3
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元寇防塁が眠る3つのキャンパス
元寇防塁が眠る3つのキャンパス
蒙古襲来絵詞より(生の松原付近) 生の松原演習林 箱崎キャンパス・馬出キャンパス・生の松原演習林
蒙古襲来
文永・弘安の役文永
11年(1274)10月
高麗の合浦より4万人弘安
4年(1281)5~7月
東路軍(高麗の合浦より4万人) 江南軍(10万人)元寇防塁
(石築地)の築造
建治
2年(1276)3~8月
d
.元寇防塁とは
文永
11年(1274)10月
10月5日 対馬 10月14日 壱岐 10月19日 博多湾侵入 10月20日 今津・百道に上陸 鳥飼付近での戦闘 水城まで撤退担当:薩摩
建治
2年(1276)3~8月
元寇防塁
(石築地)の築造
弘安
4年(1281)5~7月
5月3日 東路軍 合浦を出発6月6日 博多湾侵入・志賀島・能古島占領 壱岐へ撤退
6月18日 江南軍 慶元(浙江省 寧波)を出発 7月 五島・平戸に到着 東路軍 と合流 7月下旬 鷹島へ移動 7月30日 暴風雨により壊滅 的打撃
元軍の侵攻ルート
f.箱崎キャンパス
昭和十四年十二月建立
九州帝国大學農學部
元寇防塁の碑の場所
農学部の正門を出て
左手
(貝塚方面へ)約50M
現状では高さ約
1m・幅
10mほどの
土盛り
が確
認できる
箱崎キャンパスに
残る元寇防塁の碑
中央図書館
福岡市教育委員会によ
る元寇防塁推定ライン
中山平次郎 九州大学医学部教授 命名
元寇防塁 大正2年(1913) 今津の防塁調査 福岡日日新聞主催
九州大学医学部教授 中山平次郎 『箱崎の石塁』大正2年(1913)6月12日~20日まで福岡日日新聞連載
「
千代の松原の
千代の松原の
医科大学の裏境に沿うて
医科大学の裏境に沿うて
、
、
一の
一の
低き凸地
低き凸地
があり、又、箱崎網屋の墓
があり、又、箱崎網屋の墓
地より、工科大学構内を貫いて、地蔵松
地より、工科大学構内を貫いて、地蔵松
原墓地に達する一の低き凸地がある。
原墓地に達する一の低き凸地がある。」
資料1文献資料に残るキャンパス内の元寇防塁について
「博多湾の海岸線」昭和元年(1925)雑誌『地球』掲載
「箱崎方面に於ては、我医学部構内から、
工学部及農学部の構内を貫いて、昔の
多々良潟の岸に達する
土堤の痕跡
があ
り、その終点には先年私が内務省の久
松信正氏と共に発掘した石垣の残余が
ある。又、工、農両学部に於る痕跡から
も、
塁石が見出され
、その或ものは今日
なお保存されている。」
資料2昭和6年(1931) 弘安の役650年記念会 国指定史跡へ 昭和6年(1931)3月30日指定 弘安4年(1281) 弘安の役から650年にあたる昭和6年を期して、関係 殉難将士の英霊を奉慰する祭典を挙行し、それらを通じ て国民精神を作興せん。 前年に靖国神社社務所にて会の趣意書作成 大正11年(1922)から内務省により、指定範囲確認のための実地調査を実施 福岡市地行以東は大正12年(1923)・13年(1924)に実施
糟屋郡地蔵松原 大部は工学部農学部内にあり 位置 一光寺裏より防塁線は大学工学部の構内松林の内縁に 沿って北進し、運動場を経過して農学部との境に於いて、著しき 隆起線あり、農学部に入りて、尚隆起線を連続しそれより消えて 農学部の動植物教室、農学教室を経過し右折して東北にむかい 柵外に出て、箱崎町共同墓地に於いて約4間(1間=1.818m・約 7.2m)発掘せられて築石の露出せるを見たり。 長さ 工学部構内 約276間(約501m) うち隆起線 約16間(約8.8m) 農学部構内 約143間(約259m) うち隆起線 約32間(約58m) 農学部構外より墓地の終端まで 約57間(103m) 高さ 農学部構内隆起線 10間を隔てて西方より測れば高さ4尺(約1.2m) 6間を隔てて東方より測れば高さ3尺(約0.9m) 『元寇史蹟(地之巻)』昭和16年(1941) 福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告書第14輯 資料3
昭和16年の航空写真
箱崎キャンパスに松林が残る
中世段階の砂丘列で防塁の痕跡
戦後の箱崎キャンパスの様々
な施設を建設時に
破壊?
g.馬出キャンパス
元寇防塁
元寇防塁
が存在したはず
が存在したはず
「
千代の松原の
千代の松原の
医科大学の裏境に沿うて
医科大学の裏境に沿うて
、
、
一の
一の
低き凸地
低き凸地
があり、又、箱崎網屋の墓
があり、又、箱崎網屋の墓
地より、工科大学構内を貫いて、地蔵松
地より、工科大学構内を貫いて、地蔵松
原墓地に達する一の低き凸地がある。
原墓地に達する一の低き凸地がある。」
『元寇史蹟(地之巻)』昭和16年 福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告書第14輯 筑紫郡千代松原 糟屋郡箱崎松原 本防塁線の位置は明確ならず。 現今九州帝國大学医学部の構内裏西方松林石祠(火葬場の横納骨堂)付近より起り多 少の隆起あり、構外に出でて所在不明となる。 医学部構内の長さ 364間(約661m) 箱崎宮浜往還の両側箱崎小学校の西方一帯南北に連なる隆起線あり、起点と終点は不 明なり、小学校裏の隆起線50間(約90m)あり。 箱崎宮浜鳥居の西方海岸へ数十間を隔てて一帯の高地の広がりと思われる所あり。 その他にも隆起の跡と認められるものあれども、1つも連続せるものなし。 網屋町にも明瞭なる隆起線なし。 一光寺の墓地は明らかに高地たるを認め得るも、この間は50間(約90m)に過ぎずして 不明である。 資料3
中央図書館
2010年より箱崎キャン
パス内での元寇防塁所
在確認調査を実施
3.
3.
最近の埋蔵文化財調査室の活動
最近の埋蔵文化財調査室の活動
筑紫キャンパス出土遺物の
整理・学術資料化
学内埋蔵文化財に関する
基礎データの収集
関係機関との連携 九州国立博物館・福岡市埋蔵文化財センター 福岡県教育委員会・福岡市教育委員会・大野城市教育委員 会・春日市教育委員会・粕屋町教育委員会など 比文基礎構造講座・地球変動講座・人文考古学研究室・ 総合研究博物館 筑紫図書館 常設パネル展示施設の設置 保存処理・分析など先日の試掘調査で発見された資料