印度學佛敎學硏究第六十六巻第一号 平成二十九年十二月
説話の創出
︱
鎮源﹃法華験記﹄第二話﹁行基菩﹂注記
︱
岡
田
文
弘
一
はじめに
鎮 源﹃法 華 験 記﹄ ︵長 久 年 間 一 〇 四 〇 ︱ 一 〇 四 四 年 成 立、 以 下 ﹃験 記﹄ ︶ に は、 行 基 菩 の 伝 記 が 収 め ら れ て い る ︵第 二 話﹁行 基菩﹂ ︶ 。同話には、以下のような注記が付されている。 ﹁抑 此 験 記、 不 入 行 基 菩 。 其 所 以 者、 見 其 別 伝、 於 此 経 不 見 読 誦・ 書 写・ 流 通・ 供 養。 是 故 所 不 奉 入 也。 然 夢 有 宿 老、 襴 杉 姿 取 此 験 記、 従 外 至 奥 両 三 反 被 見。 畢 作 言、 行 基 菩 日 本 第 一 法 花 持 者 也。 既 過 去 二 万 億 日 月 燈 明 仏 時、 妙 光 法 師 受 持 法 華 経。 是 故 無 量 阿 僧 劫 以 前 持 者。 驚 此 夢 告 後、 所 奉 入 之 矣﹂ ︵﹃日 思﹄ 五 一 四 頁 上 ︱ 下︶ 元 々、 こ の﹃験 記﹄ に は 行 基 伝 を ︵﹃法 華 経﹄ の 行 業 と の 関 連 が 見 ら れ な い た め に︶ 収 録 し て い な か っ た。 し か し 夢 に 宿 老 が 現 れ、 ﹁行 基 は 法 華 持 者 で あ る。 過 去 に 妙 光 法 師 と し て﹃法 華経﹄を受持していたのだから﹂と告げたので追加した、と の 意 で あ る。 妙 光 法 師 ︵妙 光 菩 ︶ と は﹃法 華 経﹄ 序 品 に 説 か れ る 文 殊 の 前 身 で あ る ︵大 正 九、 四 上 一 八 ︱ 中 一 八・ 五 上 七 ︱ 中 一 七 参 照︶ 。 従 っ て こ の 文 は、 行 基 の 文 殊 化 身 説 1 を 援 用 し、 行 基 ︵= 文 殊︶ = 妙 光 法 師 と し て 彼 を 法 華 持 者 と 位 置 付 け た ものであ る 2 。 こ の 注 記 は、 ﹃験 記﹄ の 典 拠 の 一 で あ る 慶 滋 保 胤﹃日 本 往 生 極 楽 記 3 ﹄ ︵以 下、 ﹃極 楽 記﹄ ︶ の 第 一 話﹁聖 徳 太 子﹂ ・ 第 二 話 ﹁行基菩﹂ に付された注記と類似している。 ﹁仏 子 寂 心 在 俗 之 時、 草 此 記 及 序 等、 既 成 巻 軸 了。 出 家 之 後、 ⋮⋮ 便 属 中 書 大 王、 令 加 入 記 中。 ⋮⋮ 大 王 夢、 此 記 中 可 奉 載 聖 徳 太 子 行 基 菩 。 此 間 大 王 忽 風 痾、 不 能 記 畢 ⋮⋮ 寂 心 感 彼 夢 想、 自 被 国 史 及 別伝等、抽入二菩応迹之事焉﹂ ︵﹃日思﹄五〇二頁下︶ 寂 心 ︵保 胤︶ は 在 家 だ っ た 時 に こ の﹃極 楽 記﹄ を 書 き 終 え、 出家後は中書大 王 4 にその増補を任せていた。ある時、中書大 王は﹁この﹃極楽記﹄に聖徳太子伝と行基伝を載せよ﹂との説話の創出︵岡 田︶ 夢告を得た。しかし中書大王は病を得てしまったので、保胤 自らがこれらを追加した⋮⋮という経緯が記されている。 こ れ ら 両 注 記 の 類 似 ︵お よ び 書 承 関 係 の 想 定︶ は 佐 々 木 一 九 六 一 ︵四 頁 下︶ を 初 め と し て 指 摘 さ れ て き た が、 爾 来、 そ の 内 容 に つ い て 仔 細 な 検 討 は な さ れ て こ な か っ た と 言 え る。 し か し、 こ れ ら 両 注 記 を 比 較 す れ ば、 ﹃験 記﹄ の 記 述 の 独 自 性 が 明 確 と な る と 筆 者 は 考 え て い る。 そ こ で 本 研 究 で は、 ﹃極 楽 記﹄ 注 記 と﹃験 記﹄ 第 二 話 注 記 を 比 較 検 討 す る こ とからはじめて、 ﹃験記﹄ の特質の一端を考察する。
二
両注記の差異
両注記の主な相違点としては、以下の三点が挙げられる。 ①夢告の内容は、 ﹃極楽記﹄は最小限の情報を要約して提示。 ﹃験 記﹄ で は、 視 覚 的 な 描 写 ︵宿 老 が、 調 巻 し 終 え た﹃験 記﹄ を手に取る様子など︶ もまじえて詳 述 5 。 ②﹃験 記﹄ で は、 行 基 を 妙 光 法 師 の 因 縁 譚 と 関 連 付 け、 そ の 伝 の 編 入 の 必 然 性 を 説 明 ︵﹃極 楽 記﹄ に は、 こ の よ う な 根 拠 づ け・説明は無し︶ 。 ③﹃極 楽 記﹄ の 夢 告 は、 他 者 ︵編 者・ 保 胤 以 外 の 人 物 で あ る 中 書 大 王︶ か ら の 伝 聞。 対 し て﹃験 記﹄ の そ れ は、 他 者 か ら の 伝聞ではない。 これらの相違点から﹃験記﹄の独自性を抽出し、次項より 検討に入りたい。三
新たな法華夢告譚の創出と、
その意味
第 二 項 の ① で 示 し た よ う に、 ﹃極 楽 記﹄ 注 記 に お い て は、 夢告の内容は要約して述べられるのみで、その具体的描写は 一切なされない。これに対し﹃験記﹄の注記は、その夢告の 一 部 始 終 を 詳 し く 述 べ て い る。 こ の 叙 述 方 法 は、 ﹃験 記﹄ に 数多く見られる夢告譚⋮⋮すなわち︽夢中に高貴な老人が出 現し、因縁や忠告を説示する︾という説話類 型 6 と一致するも のである。 このように﹃験記﹄第二話注記は、単なる﹁注記﹂に留ま らない、夢告譚としての骨子を備えた文章⋮⋮つまり、鎮源 によって新たに創出された新作の﹁説話﹂として見なすこと が で き る。 夢 告 譚 を 多 く 採 集 し た 鎮 源 は、 ﹃極 楽 記﹄ 注 記 の 夢告にも着目することとなり、これを素材として新しい夢告 譚 ︵すなわち、本注記︶ を創出したと推察される。 更に、その夢告譚としての﹃験記﹄第二話注記中で明かさ れ る 因 縁 は、 行 基= 妙 光 法 師 の 再 誕 と い う 説 で あ る ︵第 二 項 ② 参 照︶ 。 こ こ で 妙 光 法 師 の 名 を 挙 げ る か ら こ そ、 ﹃験 記﹄ の 主題である法華信仰と行基が結びつけ得ることに殊更着目さ れたい。行基の本地とされる文殊は﹃法華経﹄に登場こそす れ、 周 知 の こ と な が ら 諸 大 乗 経 典 に も 頻 出 す る 菩 で あ り、説話の創出︵岡 田︶ 同経に限定される菩ではない。したがって、文殊というモ チーフだけでは、未だ行基と﹃法華経﹄を結びつけるには弱 い。そこで鎮源は妙光法師に言及するのである。文殊の前身 たる妙光法師、および、その妙光法師による日月燈明仏供養 の因縁譚は﹃法華経﹄独自のモチーフであり、これに言及す る こ と で、 は じ め て 文 殊 化 身 説 を 援 用 し て の 行 基 と﹃法 華 経﹄の関連付けが果たされる。ここに鎮源の﹃法華経﹄理解 と、説話形成にあたっての周到さが示されてい る 7 。 以上を鑑みると、本注記は先述のように一個の夢告譚とし ての骨子をそなえた﹁説話﹂と呼ぶべきものであり、更にそ こ に 法 華 由 来 の 特 異 モ チ ー フ ︵妙 光 法 師、 日 月 燈 明 仏︶ が 含 ま れるということは、本注記そのものが﹁法華説話﹂であると 見なせる。加えて、本注記は本来、法華信仰色の見られない 行 基 ︵鎮 源 自 身 の 言 を 借 り れ ば﹁於 此 経 不 見 読 誦・ 書 写・ 流 通・ 供 養﹂ ︶ の 伝 記 で あ る 第 二 話 を、 本 書 に 収 載 す る 必 然 性 の あ る ﹁法 華 説 話﹂ と し て 意 義 付 け す べ く、 ま さ に﹁注 記 と し て﹂ 付 さ れ た も の で あ る。 つ ま り、 本 注 記 一 編 の 付 加 に よ っ て、 二 種 の 新 し い 法 華 説 話 が 生 ま れ た ︵本 注 記 に よ っ て 法 華 説 話 化 し た 行 基 伝 本 文 と、 本 注 記 そ れ 自 体︶ と 言 え る。 本 注 記 は こ の よ うなまさに﹁一石二鳥﹂の意味を持ったものだったと考えら れる。
四
鎮源、
﹃験記﹄編纂を語る
前項では第二話注記が法華夢告譚としての骨子をそなえた ﹁新 作 説 話﹂ と 意 義 づ け ら れ る 点 に つ い て 確 認 し た。 こ こ で 更 に 着 目 す べ き は、 こ の﹁新 説 話﹂ た る 本 注 記 が、 ﹃験 記﹄ の編纂行為を語っている点である。 本 注 記 は ︵設 定 上 と は 言 え︶ ﹃験 記﹄ 編 纂 完 了 後 に 付 さ れ た という体裁であり、いわば本書の最終話に当たる。その最終 話たる第二話注記において、彼の説話筆録のいとなみは霊験 に通じる特別な行為として表現されてい る 8 。すなわち、聖な る宿老は、調巻された﹃験記﹄に触れ、手に取って目を通す ︵第 二 項 ① 参 照︶ ⋮⋮ こ こ で の﹃験 記﹄ は 単 な る 記 録 媒 体 で は なく、それ自体が霊妙な小道具・モチーフとして話中に登場 している。また第二項③から、編者・鎮源自身が夢告の受け 手 と し て の 役 割 ︵= 夢 告 譚 の 主 人 公 役︶ を 担 っ て い る こ と が 分 かる。 かくして、法華霊験譚を集めて﹃験記﹄を編纂してきた鎮 源は、その行為自体をも霊験譚として書き留めることで、同 書 ︵および、 その編纂作業︶ の総括としたと言え る 9 。五
結論
本 稿 で は﹃験 記﹄ 第 二 話 注 記 に つ い て、 ﹃極 楽 記﹄ 注 記 と説話の創出︵岡 田︶ の比較を緒にしつつ、その独自性について考察した。その結 果、以下の知見を得た。 本注記は、夢告譚としての骨子と、法華由来の特異モチー フをそなえた、新しい﹁法華説話﹂と呼べる記述となってい た。本注記は本来、行基伝の本文を法華説話として意義付け すべく付されたものだが、本注記それ自体もまた法華説話と 呼べるものなので、いわば本注記一編の付加によって、二種 の新しい法華説話が同時に創出される﹁一石二鳥﹂の意義を 持っていた。また本注記は、鎮源が自身の﹃験記﹄編纂=霊 験譚蒐集という営みについて、それ自体をも霊験譚として書 き留めたものであり、これをもって同書は総括されていると 言える。 1 ﹃験 記﹄ 第 二 話 本 文 に も﹁行 基 菩 是 文 殊 化 身﹂ ︵﹃日 思﹄ 五一四頁上︶ と見える。 2 名 畑 一 九 六 四︵二 八 頁 下 ︱ 二 九 頁 下︶ 、 華 園 一 九 九 〇︵三 〇 頁︶ 、金二〇〇一︵一三一頁︶等参照。 3 ﹃日思﹄ 七二一頁。 4 兼 明 親 王︵ 九 一 四 ︱ 九 八 七︶ 。 醍 醐 天 皇 の 子。 中 務 ︵唐 名 は﹁中 書 令﹂ ︶ を 長 く 務 め た た め、 こ の よ う に 呼 ば れ た︵ ﹃日 思﹄三九六頁下︶ 。 5 ﹁﹃験 記﹄ の 夢 告 は、 ﹃極 楽 記﹄ の そ れ よ り も す こ ぶ る あ ざ や かな形でのべられており﹂ ︵堀一九六三、八一頁︶ 。 6 ﹃験 記﹄ 収 載 の 夢 告 譚 の 中 で も、 特 に 本 注 記 に 類 似 す る も の は 第 一 七・ 一 九・ 二 〇・ 三 〇・ 三 一・ 三 六・ 五 〇・ 五 三・ 五 六・ 七 八・ 九 一・ 一 〇 二 話。 類 似 例 に は、 夢 中 と の 明 示 が な い 第 二 七・ 九 二 話、 ま た 宿 老 以 外 が 現 れ る 第 一 二・ 一 八・ 七 七・ 八 三・ 八 八・ 一 二 二 話︵ ﹁老﹂ と は 明 示 さ れ な い 僧︶ 、 第 六 四・ 八 〇・ 八 九・ 一 一 七 話︵菩 。 こ の 他、 身 代 わ り と な っ て 苦 を 受 け る と い う 特 殊 な 因 縁 を 明 か す も の に 第 七 二・ 一 一 四・ 一 一 五 話︶ 、 第 二 四・ 三 五・ 四 三・ 八 三 話︵声 の み︶ 、 第 九 九 話︵阿 弥 陀 仏︶ 、 第 五 八 話︵天 童︶ 、 第 六 話︵四 品 朝 服 の 貴 人︶ 、 第 二 三 話︵丈 夫︶ 、 第 八 二 話︵賢 者︶ 、 第 二 六 話︵貴 人 の女︶ 、第九三話︵夜︶ など。 7 こ の 鎮 源 の 態 度 と は 対 照 的 に、 ﹃極 楽 記﹄ は 太 子 伝・ 行 基 伝 付加の必然性を根拠づけ得なかった ︵第二項②参照︶ 。 8 な お、 こ う し て 鎮 源 が、 説 話 筆 録 を 特 別 な 宗 教 的 営 み と し て 捉 え、 そ の 意 義 を 強 調 せ ん と し た こ と は、 本 書 序 文 の 記 述︵説 話 集 編 纂 の 先 例 と し て、 雪 山 童 子 の 施 身 聞 偈 の 故 事 と 章 安 灌 頂 の﹃摩 訶 止 観﹄ 筆 録 の 逸 話 を 引 く。 ﹁往 古 童 子 銘 半 偈 於 雪 嶺 之 樹 石、 昔 時 大 師 全 聞 於 江 陵 之 竹 帛。 ﹂﹃日 思﹄ 五 一 〇 頁 下。 こ の 記 述 に つ い て は 岡 田 二 〇 一 六 で 論 じ た︶ に も 通 ず る も の で あ ることを、 ここで付言しておきたい。 9 付 言 す れ ば、 ﹃験 記﹄ の 関 連 文 献︵ ﹃日 思﹄ 七 二 〇 ︱ 七 二 三 頁 等 参 考︶ 中 に も、 こ の よ う な 趣 向 の 類 例 を 見 出 し 得 る。 た と え ば ﹃日本霊異記﹄ ︵以下、 ﹃霊異記﹄ ︶下巻第三十八縁の、編者・ 景戒が夢中で沙弥から ﹃諸教要集﹄ ︵原文ママ︶ を受け取り、 そ の 書 写 を 命 じ ら れ る と い う 挿 話︵ ﹁彼 乞 者 ⋮⋮ 立 出 書 巻、 授 景 戒 言、 此 書 写 取、 度 人 勝 書。 景 戒 見 之、 諸 教 要 集 也﹂ ﹃新 大 系﹄
説話の創出︵岡 田︶ 二 九 三 頁。 こ の 挿 話 は、 多 田 二 〇 〇 一︵八 七 頁︶ を は じ め と し て 指 摘 さ れ て き た よ う に、 景 戒 自 身 の﹃霊 異 記﹄ 執 筆 を 暗 示 し て い る と 言 え る。 ︶、 ﹃延 暦 寺 首 楞 厳 院 源 信 僧 都 伝﹄ ︵以 下、 ﹃僧 都 伝﹄ ︶ 末 尾 の、 筆 者 が 夢 告 に よ り 源 信 伝 を 書 く よ う 要 請 さ れ る 挿 話︵ ﹁一 夜 夢 有 僧、 命 云、 汝 若 作 横 川 僧 都 伝 歟。 答 詞 未 陳、 眠 覚 天 明。 由 是 不 顧 孱 慧、 握 筆 叙 之﹂ ︵﹃恵 全﹄ 六 六 七 頁︶ 等 で ある。 し か し﹃霊 異 記﹄ の 記 述 は あ く ま で 暗 示 で あ り、 具 体 的 に ﹃霊異記﹄ の編纂について述べたものではない。また、 ﹃僧都伝﹄ の 記 述 は 単 な る 一 挿 話 で あ り、 第 二 話 注 記 の よ う に 一 編 の 独 立 し た 説 話 と し て の 骨 子 を 持 ち 得 る よ う な も の で は な い。 こ の よ う に 他 の 類 例 と 比 較 し た 場 合 も、 先 述 し た 第 二 話 注 記 の 特 異 性 は際立っていると言える。 ︿一次文献﹀句読点は筆者の読解により一部改めた ﹃験 記﹄ ﹃極 楽 記﹄ 井 上 光 貞・ 大 曽 根 章 介﹃日 本 思 想 大 系 七 往 生伝 法華験記﹄ ︵岩波書店、一九七四︶↓﹃日思﹄ ﹃霊 異 記﹄ 出 雲 路 修 校 注﹃新 日 本 古 典 文 学 大 系 三 〇 日 本 霊 異 記﹄ ︵岩波書店、一九六六︶↓﹃新大系﹄ ﹃僧 都 伝﹄ 比 叡 山 専 修 院・ 叡 山 学 院 編﹃恵 心 僧 都 全 集﹄ 第 五 巻 ︵思文閣、一九七一︶↓﹃恵全﹄ ︿二次文献﹀ 岡 田 文 弘﹁説 話 集 は な ぜ 編 ま れ た の か︵ ﹃法 華 験 記﹄ と そ の 関 連 文 献︶ ﹂︵全 南 大 学・ 東 京 大 学 大 学 院 生 学 術 交 流 シ ン ポ ジ ウ ム テ ー マ﹁自 己 と 世 界・ こ と ば と 真 理・ 普 遍 と 多 元﹂ 配 布 資 料、 東京大学、二〇一六年二月二〇日︶二〇一六 金 敬 姫﹁ 大 日 本 国 法 華 経 験 記 の 成 立 と 特 質﹂ ︵東 京 大 学 提 出 課 程博士論文︶ 、二〇〇一 佐 々 木 一 雄﹁法 華 験 記 成 立 考︵そ の 二︶ ﹂、 ﹃日 吉 論 文 集﹄ 第 八 号、 一九六一 多田伊織﹃日本霊異記と仏教東漸﹄法藏館、二〇〇一 名 畑 崇﹁平 安 朝 時 代 の 法 華 経 信 仰 そ の 一 視 点﹂ ﹃大 谷 学 報﹄ 第 四四巻第二号、一九六四 華 園 聰 麿﹁鎮 源 述﹃本 朝 法 華 験 記﹄ に お け る 法 華 信 仰 の 諸 相﹂ ﹃日本文化研究所研究報告﹄第二六号、一九九〇 堀一郎﹃空也﹄吉川弘文館、一九六三 ︿キーワード﹀ 法華験記 日本往生極楽記 行基 ︵東京大学大学院︶