『高慢 と偏見』 における男 と女
―一 ヒロインの成長 と父性主義の原理――
* 英米文学教室 日 ∬ 日 I ジェイ ン・ オーステ ィン(Jane Austen)の 『高慢 と偏 見』(Pttd3 α%″D巧
笏肪ら 1813)に 対 す る態 度 には,二律背反 的な ところが見 られるようだ。1813年 1月29日 付の姉 カッサンドラ(Cassandra Austen) に宛 てた手紙 の中で,オ
ー ステ ィンはその女主人公 エ リザベ ス・ベ ネ ッ ト(Elizabeth Bennet)に 関 し て こんな ことを書 いてい る。I rnust confess that l ttlink her [Elizabeth] aS denghtful a creature as ever appeared in print,and how l shall be able to tolerate those who do not like her at least l do nOt
know.(132)(1)
オー ステ ィンはエ リザベ スのキ ャラクター について は大変満足 が いつてい るようで あ る。 しか しな が ら
,そ
の作 品 に関 して は彼女 はち ょっ と違 った態度 を見せ る。最初 の手紙 を書 いた直後,同
じ く カ ッサ ン ドラに宛 てた1813年 2月 4日付 の手紙 にお いて,彼
女 はその作風 につ いて は こ う述懐 して い る。The work[PttdC
αη″P巧
%″ケθι]iS rather too light,and bright,and sparkling,it wantsshade;it wants to be stretched out here and there with a long chapter of sense,if it could
be had; if not, of solemn specious nonsense, about something unconnected with the story,¨
.[emphasis mine](134)
オー ステ ィンは『高慢 と偏見』 に は陰影 が欠 けてい る と言 う。明 る く快活 で感 受性豊 か なエ リザベ スの行動 によ り
,作
品 としての 『高慢 と偏 見』 は充 実 した もの とな って い るで あ ろ う。 しか しオー ステ ィンはその世界 は明 る過 ぎ,何
か言 い足 りな くて,付
け足 すべ きものが あ る と言 う。『高慢 と偏 見』 の内容 は中・ 上 流 階級 に属 す る片 田舎 の数組 の男 女が結婚 に至 る交 流 の物 語 で あ る。 この こ と か ら推 して,オ
ー ステ ィンはこの小説 において,18世
紀後 半 の男女 関係 の理 想 的姿 を描 きたか つた ので はないだ ろうか。 しか し,そ
れ はあ くまで も理想 で しか なか った。 す なわ ち ヒロイ ンのエ リザ ベ ス とフィツウィ リアム・ ダー シー(Fitzwilliam Darcy)の 結婚 はあ り得 ない,ご
都 合 主義 的 な もの で しか ない,と 批判 す る こ とは可能 だ ろう。ダー シー は豊 かなダー ビー シャー(Derbyshire)の ペ ンバ リー(Pemberley)に 大荘 園 をもち,年
に1万
ポ ン ドの収入 はあ る と言われ てい る。それ に較 べ て,エ
リザベ ス はハ ー トフ ォー ドシャー(Hertfordshire)の 河ヽ村 ロ ンボー ン(Longbourn)に住 み,父 親 のベ ネ ッ ト氏 は5人
の娘 を養育 す る必要 が あ る上 に,年 に2千
ポ ン ド くらいの上 が りの土地 しか もたない。奉"h/1en andヽVomen in Pia9,″″ 物 ク誠C2:The Heroine's Growth and the Principles of Paternalism,"The Department Of English and Arnerican Literature,lTottori tJniversity,A/1amoru Kadota
エ リザベスの母方の祖父 はメ リトン(Meryton)で 弁護士 をしてお り,同じ く母方の叔父 はロンドンで 商人 をしている。社会的身分 の点か らも
,彼
らの結婚 は不合理であろう。オーステ ィンの言 う「陰 影の欠乏」 とは当時の中・上流階級 の抱 えた社会・ 経済的問題や,
とりわ けその階層の女性 たちが 蒙 つていた二重規範(dOuble standard〉りとぃぅ胡 を無視 して,ヒロインをシンデレラ的結婚に導いて しまったことへの後 ろめたさを含んでいたのであろう。 ところが,そ
うしたオースティンの女性問題 に関す る後進性 を見直す動 きが起 こって きた。当時 の女性が行 える仕事 はガヴァネスか専業主婦でしかなかった。結婚 してか らも彼 らは法的人格 を認 め られず,経
済的活動や夫婦間の財産権 の行使 もで きなかった。彼 らは夫 の財産 の一部で しかなか ったのである。ちいかに保守的なオースティンであって も,こ うした事情 に目をつむった とは考 えら れ難 い。最近 のフェ ミニス ト・ ク リティシズムの動 きに目を向ければ,そ
れ は一 目了然であろう。た とえばギルバー ト(Sandra M.Gilbert)と グーバー(Susan Gubar)は オースティンが女性の圧迫 さ
れた経済的
,社
会的,そ
して政治的な状態 について言及 をしないのは,か
えって女性が沈黙 を続 け な くて はならない父権的な支配構造への暗黙のプロテス トとなっていると言 う “屹プーヴィー(Mary
Poovey)は ベネ ッ ト氏 を攻撃 し,彼は娘 たちの希望 ある将来のために何 も行動せず,社会的には無責 任で,道
徳的には空虚 な人間であると主張する0。 エヴァンズ(Mary Evans)は 逆 にベネッ ト夫人 を 擁護 し,彼
女 はやがて結婚す る娘 たちの将来や身の安定のために,親
たるものの責任 を真摯 に引 き 受 けた女性 と述べ る。ち ジ ョンソン(Claudia L.Johnson)は オースティンのイヽ説 にお ける結婚 の価値 を重視 し,彼
女のヒロインたちに とって結婚 とは精一杯 の女性の道徳的愛情表現であった と言 う0。 私 はこうしたフェ ミニズムの視点が作品の多様 な読 みを提供 し,豊
かな成果 を挙 げて きた と思 う。 しか しなが ら,彼
らの論点の全 てが受 け容れ られ るわ けではな く,そ
れ らには重要 な批評上 の盲 目 点が見出され ることがある。 た とえばギルバー トとグーバーの主張 はオーステ ィンの女主人公たち が常 に虐 げられて不 自由な状態 にあることを託つばか りであ り,彼
らがそうい う状態か ら成長 して い くことについては盲 目であるようだ。プーブィーはオースティンの女主人公たちの父親が概ね無 力あるいは不在である原理 について は見抜いていないようである。私 はヒロイ ンたちの父親 に構造 的に力が少ないことには理 由があって,それ は彼女たちが父親 に理想 の若い世代 の男性像 をかぶせ, そこか ら新 たな家庭 の建設 に向か うためであると考 える。父親が前面 に出て こな くて も,そ
の影響 力 は決 して少な くはない。エヴァンズがベネ ッ ト夫人 を擁護するのはよ くわか るが,そ
れで はオー スティンは何故 この母親 を長女のジェイン(Jane)や末娘 の リディア(Lydia)を嫁がせ る際 に,あ
れほ ど愚鈍 に書かねばな らなかったのだ ろうか。エヴァンズはオースティンが明 らかにベネッ ト夫人 を 悪 く書 き,娘
の結婚談義 において父親 と対立 させていった ことを説明 していない。 ジ ョンソンの主 張 はまさしくその とお りであるが,結
婚 に際す るヒロインたちの成長 と情愛,す
なわち愛す ること を学ぶ という内的なプロセスについて は深 く考 えず,結
婚 という静的な状態が彼女 たちに対 して も つ意味合いにのみ重点 を置いているようである。 フェミニス トたちの主張には補 うべ き点が多いの である。 オースティンの作品を読解する際 に,フ
ェ ミニス トたちがその足掛か りとす るの は家父長制 ある いは父権制(patriarchy)へ の批判 の態度であろう。ところがその批評的スタンスの最大 の問題点 は, オースティンのテキス トには父権 の否定的面 はほ とん ど現れてこない ことである。 もちろん父権が 圧制的側面 を見せ ることはあるにはある。た とえば『ノーサ ンガー僧院』(ハlθrttηgιγ 4うう31818)
で はヒロインのキャサ リン・モーラン ド(Catherine Morland)は,実
家が貧困であるとい う誤報が恋鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第43巻 第
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圧的な将軍 によって即座 にノーサ ンガー僧院か ら叩 き出 されて しまう。以前 にモーラン ド家 には莫
大な資産があるとい う峰が将軍 の耳 に入 っていたか ら
,な
おさらキャサ リンは手酷 い扱いを受 けてしまうのだ。『マ ンスフィール ド・ パーク』御ねη乾
"虎
花 1814)ではヒロインの貰い子 のファニー・プライス(Fanny Price)は
,引
き取 られた家庭 の主人サー・ トーマス・バー トラム(Sir ThomasBertram)が 西イン ド諸島へ商用で留守中に
,バ
ー トラム家 の秩序 の乱れを経験する。これ は父権 の 秩序がそのバー トラム家 を覆 っていた ことを表わす ものであろう。 ところが,こ
うした事実 はオー スティンが父権 を否定的に捉 えていた ことの直接的な証左 とはな らない。何故な ら『ノーサ ンガー 僧院』で はキャサ リンが追放 された後 にヘ ンリー は彼女の後 を追 いかけ,彼
女に求婚 して受 け容 れ られ,キ
ャサ リンの実家 も普通の資産があることが判明 し,二
人の結婚 は晴れて将軍 に許 され るの だか ら。 また『マ ンスフィール ド・パーク』 において もファニー はサー・ トーマスの留守 中に一人, 主人 の代わ りのように敢然 と倫理 の乱れに立 ち向かい,あ
たか も父権 を守 るかのように振舞 うのだ か ら。 そ うしたファニーが結局恋人エ ドマ ン ド(Edmund)の心 を得て,バ
ー トラムの「家」。)の中心 に位置す るようになるのである。 こうして見れば,父
権 の濫用 による秩序の一時的攪舌しは最終 的に は秩序 をよ り堅固な もの とし,そ
れを維持 してい く働 きをしていると言わねばなるまい。 オースティンが父権 を否定 していないのならば,彼
女の作品の男 と女の関係 を論 じるのには,別
の概念 を導入 しなければな らないであろう。そ こで私 はロバーツ(Da d Roberts)の唱 える父性主義 (paternity/patemalism)と ぃ ぅ概念 を議論 の準拠枠 として採用 したい。ロバーツによれ は,父性主義 的態度がヴィク トリア朝初期小説で は支配的であった と言 う°ちさらに彼 に従 えば,父 性主義 は二つ の対抗勢力である"the economists'vision of a laissez faire society,the evangelicals'hope of an expandillg philanthropy,and the utilitarians'behef in a refornling government"(85)の どヤιよ りも優勢であった。要す るにパ ターニテ ィとは社会 をあたか も家族 のようにみなし
,法
や組織 の変更に拠 ってで はな く
,集
団の成員 による相互 の絆や集団の長への自発的な敬意 によって共同体 をまとめあげる態度である。 それ は"the Smaller sphere of the landed estate,the parish,and the mill
and the known authority of the squire,parson,and millowner''(85)を その理想的な共同体 とす
る
,保
守的な社会観であった。 本稿で は,私
はこの父性主義 に依拠 して『高慢 と偏見』をい くつかの場面 に分 けて読 み解 きたい。 そうすることによって,オ
ースティンの父権制 を批判す るような姿勢の下 に実 は父性主義への愛着 が息づいていることを示 したい。そうした批評姿勢 の方がオースティンの女主人公 の内的成長 の過 程 をよ り綿密 に説明 し,
この作家の人間理解の本質 に接近で きるであろうか ら。 I『高慢 と偏見』イま"It is a truth universaHy acknowledged,that a single man in possession of a good fortune,must be in want of a wife."(1)(1り とい う明澄 な定義か ら始 まる。 この小説 の展開 の主眼点が全てコンパ ク トに含み込 まれた書 き出 しである。すなわち物語のプロッ トは結婚への画 策か ら始 ま り
,そ
の成就で終わ るのである。か くして娘 の売 り込みをめ ぐってベネ ッ ト夫妻 の対立 が始 まる。ネザ フィール ド(Netherfield)に新 し く家 を借 りたビング リー(Bittley)の兄妹 との交際が その対立 の発端である。 このネザ フィール ドの「家」 とロンボー ンの「家」の交流のい くつかの場 面か ら議論 を始めよう。 ベネ ッ ト夫妻による娘たちの結婚市場への売 り込みは,オ
ースティンの「母性」 と「父性」 に関する基本姿勢 を反映 している。母親 はあ くまで愚かな人間 として描かれ
,父
親 はその消極性 の裏 に 理性 の働 きを宿 しているように提示 されている。ベ ネ ッ ト夫人 の一生の仕事 とは娘 たちを嫁がせ る ことだけで,そ
の楽 しみ とは他家 を訪問 した り,ゴ
シップの伝播 に耽 けることであった。彼女 の願 いは金銭や社会的地位 を含んだ娘たちの物質的な繁栄である。それが大いにベネッ ト夫人 自身 にフ ィー ド・ バ ックされる繁栄であることは,忘
れ られてな らない。彼女の目標 とはきわめて表層的で あ り,幸
福 のための条件整備 に過 ぎないのである。 また,彼
女の性格 は『分別 と多感』(膨%Sια%″ 膨%sゲうゲ″貌1811)におけるダ ッシュウッ ド夫人(Mrs Dashwood)の それ と似 ている。『高慢 と偏見』は 1797年 8月 に脱稿 しているが,そ
のす ぐ後11月に『分別 と多感』の執筆が開始 された こともこれに 影響 しているのであろう(11屹 それ は両夫人 ともに感情 に流 されやす く,理
性的な判断力 に欠 けると いう点である。ダッシュウッド夫人 は次女のメアリアン(Marianne)と プレイボーイのウィロビー(Willough― by)とのロマ ンテックな恋愛 を夢中になって推奨 した。それ と同 じように,ベ
ネ ッ ト夫人 も10万ポン ドとも言われ る父親 の遺産 を相続 した ビング リーに,彼
の人格 を確かめることもな く娘 の一人 を躍 起 になって嫁がせ ようとしている。ベネ ッ ト夫人 の方が経済感覚 に富んでいることを除いて,彼
女 たちはともに愚かな母親像 を示 している。 父親 のベネ ッ ト氏 は,こ の妻 とは対照的な性格や働 きを示す。彼 の小説の中での機能 については, その地味 な′隆格のために,批
評 の前面 に現れて くることはめったにない。 そこで父性 としての彼 の 働 きを検討 してみたい。ベネ ッ ト氏 は感情 に流 されて,娘
を結婚市場 に売 りに出そうとはしない。 ところが,これ は彼が娘 の結婚 に対 して道徳的責任 を回避 していることを示 しているわけで はない。 彼 は誰 に言われ ることな く,一
人で ビング リーに会 いに行 く。それ は彼が娘の幸せ を願 っているこ とを示 しているのであろうし,ま
た自制 を欠 く妻が勝手 にビング リー家 と交際を始 めようとして失 態 を犯すのを制 しているようにも思われる。彼 は妻や娘 たちによって ビング リーの容貌 について し つ こ く問われ るが,それには一切答 えない。彼 は感情的に第一印象で人間把握 をしようとはしない。 相手 に関す る事実 に基づ く情報 を積 み上 げることによって,初
めてその相手の人格が把握 され るの である。人間性 の理解 には必然的 に時間がかか るものなのである。彼が ビング リーの品定 めに優柔 不断の態度 をとるのは,事
実 に基づいて時間をかけた相手 の観察が未だ不足 しているか らなのであ る。ベネ ッ ト夫人 は近隣の住人であるロング夫人(Mrs Long)を 介 して,ビ
ング リーに接近 しようと す る。だがロング夫人で さえ,よ くビング リーを知 らない。ここでベネ ッ ト氏の言 う"A fortnighぱs acquaintance is certainly very little. One cannot know what a man reany is by the end of afortnight"(5)と い う言葉が活 きて くる。たった二週間ほどの付 き合いの間柄ではロング夫人 はビン グ リーについてよ く知 っているはずがな く
,よ
って彼 をベ ネ ッ ト家 の娘たちに引 き合わせ ることは で きないであろう。 ここで はベネ ッ ト夫妻の間で人間 を「知 る」 ことについての,認
識論的懸隔が 露呈 している。夫人 の方が社会的 コンテキス トで相手 を紹介す ることがで きる程度 に人間 を「知 る」 と言 っているのに対 して,夫
は相手の内実 まで間違 いな く把握するとい う意味で人間 を「知 るJと
言 ってい るのである。妻 は楽天的な感情人であ り,夫
は理性的な人間性 の観察者なのである。 『高慢 と偏見』が もともと『第一印象』(局密チ物ψ7ιSS力%S)と い うタイ トル を与 えられていた こと は,この点で意味のあることである。バ トラー(Marilyn Butler)は,ォースティンは人間の本能や感情 を過度 に良 きもの として受 け容れ るシャフツベ リー(Earl of Sha■ esbury)やスコッ トラン ドにお
ける彼 の思想 の継承者ハ ッチスン(Francis Hutcheson)ら の楽天主義 を排 し,理性的な人間把握 の立
場 を取 った と言 う(1分。登場人物 の挫折や有頂天 といった感情 の流れが『高慢 と偏見』の面 白味の源
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人間の瑚眼 とを対比 させ,後
者 を優位 に書 き進 めたことは『ノーサ ンガー僧院』のキャサ リンとヘ ンリー,『分別 と多感』のメア リアンとブラン ドン大佐(C010nel Brandolllのカップル に見 えるよう に明 らかである。ベネ ッ ト夫妻の対立 もこの系列で理解 され るべ きであって,夫
は正 し くものを見 る理性人なのである。 ベネ ッ ト氏 はエ リザベス と理性主義 という共通項 をもつ。彼が一歩下がって家庭内の事情 を見 る の と同 じく,エ
リザベス も家族か らデ ィタッチメン トを保 って,そ
の結婚市場 に参加 しようとする愚行 を眺めている(14ち ベ ネ ッ ト氏 はエ リザベスを可愛が り
,唯
一娘たちの中で彼女 を"I must throwin a good覇〆ord for my little Lizzy… .Lizzy has something more of quickness than her sisters." (3)と推奨 している。帽子 の手入れ をしているエ リザベスに
,彼
は"I hOpe Mr.Bingley will hke it Lizzy,"(4)と 優 しい声 をかけてやる。 この後,彼
が ビング リーに面会 に行 くことか ら推 して,父
親 が ビング リー と交際の引金 を起 こすのはエ リザベスの紹介のためなのである。 か くしてメ リトンでの舞踏会 にネザフィール ドの「家」 に関連す る人間たちが呼ばれ ることにな る。 ここの場面か ら物語の語 りの視点 はエ リザベスに集 中 して展開 してい く(15ち ェ リザベスの目を 通 して登場人物 たちの個性が色分 けされてい き,逆
に彼女 自身の ものの見方 も明瞭 になる。彼女の 視点の特徴 は対象 をア ピアレンス とリア リテ ィに分 けて眺める態度である。パーティーに来 たのは ビング リー と彼 の姉妹;姉
娘 の主人ハース ト氏(Mr HurSt),そしてダーシーであった。ダーシーは ビングリーとの会話で,エリザベスの耳に聞 こえる距離であるにも拘 らず"She[Elizabeth]iS t01erablqbut not handsome enough to temptタ タ99,and l aln in no humour at present to give consequence to young ladies who are slighted by other men."(9)と 無礼な台詞 を言 って しまう。せっか くの舞
踏会で もハース ト夫人 とミス・ ビング リー としか踊 らず
,娘
を傷 つけることを平気で言 うダーシー にベネ ッ ト夫人 はすっか り腹 を立 てて しまうが,当
のエ リザベスはダーシーに馬鹿 にされた ことを かえって嬉 しがっている。彼女 は皆 に面 白そうに舞踏会での経験 を話 している。 これ は何故であろ うか。その理 由は,エ
リザベ スは何事 もあ りのままに見 ようとす る女性 だか らである。お淑やかで 美人 のジェインに較べて,活
発 なエ リザベスはどうして も見劣 りして しまう。ダーシー はベ ネッ ト 家の どの娘 とも踊 らない,す
なわち親密な関係 を結ぶ ことを拒否 しているのだか ら,エ
リザベスに のみ拒否反応 を示 しているわ けで はない。ダー シーのパーテ ィーでの評価 は出席者 の誰 に も"HiS character was decided. IIe was the proudest,mOst disagreeable man in the world, and every body hoped that he would never come there again"(8)と い う最低 の ものであったので,い
っそう彼 は公平な女性評価 をしていることになる。このあ りのままの姿 を見 ようとす る誠実 さによって,
エ リザベス とダー シー は互 いに引 き合 うようになるのである。
舞踏会の後のエ リザベス とダー シーの反応 は驚 くほど似か よってい る。エ リザベスは
,ジ
ェインが誰 に対 して も愛想が良 くて
,人
の欠点 をなるだけ見 ないようにすることを批半Jして,こ
う諭す。With your good sense, to be so honestly blind to the follies and nOnsense of othersI
Affection Of candour is common enough;一 one meets it every where. But to be candid
without osterltation or design一 to take the good of every body's character and make it sill better, and say nothing of the bad一一belongs to you alone, And so, you like this
man亀
[Bingley`]siSters too,do you?[emphasis mine](11-12)
人間 はあ くまで他者 の愚行 や性格 の悪 さに盲 目になって はな らないので あ る。 ジェイ ンに もビング リー姉妹 の俗 悪 さや見 え透 いた社 交界 の虚礼が見 えてい るのか もしれ ない。 しか し彼 女 はそれ に目 をつぶ ろう とす る。 こうした ジェイ ンの態度 は結婚市場 に出てい く彼 女 の優 等生 ぶ りを裏書 きす る
ものである。 ジェイ ンはベネ ッ ト夫人 の自慢 の娘であ り
,娘
たちの中で最 も結婚 に近い存在であつ た。エヴァンズは結婚 とは18-19世
紀とこおいては女性 にとって経済行為であり,端的に言って"marriageis a social and material c6ntract"(46)(lω なのだ と主張す る。ショーウォーター(Elaine Showalter)
はヴィク トリア朝 において は規範 を外れ る女性 は狂女 としてみなされ,女性性(femininity)と狂気(in_ sanity)は連動 して捉 えられる概念であった と言 う(10。 オースティンは時代 的には少 し前だが
,ジ
ェ インのキャラクタ リゼーシ ョンに社会規範 の圧力 を加味 しているのか もしれない。いずれにしても 結婚市場の倫理 に無頓着で独立 した見方 に固執す るエ リザベスは,女
性 に期待 される社会的 ノーム か ら逸脱 している。彼女 は一歩間違 えば,へ
そまが りの偏屈女 と見 られて しまう危険 を冒 している のである。オースティンが 『高慢 と偏見』 には「陰影」が足 りない と言 うのは,こ
うした圧迫 され た女性 の事情 を軽 く見て しまった ことを反映 しているのであろう。 しか しなが らエ リザベス は自分 の視点 を守って,ビ
ング リー姉妹 の慇懃ぶ りを受 け容れ ることを拒否す るのである。 ダーシー もエ リザベス と同 じ く,あ
りのままの人間の姿 を見 ようとす る。彼 のベネ ッ ト家 の娘た ちへの態度 は,ビ
ング リーのそれ とほば正反対である。Darcy,on the contrary,had seen a conection of people in whoni there was little beauty
and no fashion, for none of 、vhom he had felt the smallest interest, and from none
received either attention or pleasure,WIiss Bennet he acknowledged to be pretty,but she
smiled too much.(13)
18世紀イギ リスの慣習で は長女 (あるいは次女 を含 めることもあるが)のみが社交界 に送 り出され,
その下の娘たちは概 ね家庭 に とどめ られていた とい う(10。 そうしてみれば
,ベ
ネッ ト家 の娘 たちは社会的因習を無視 して まで結婚市場 に参加す る醜 さを晒 しているのである。 あるいは
,そ
の「家」の教育 の無 さを露呈 していると言 って もよか ろう(19ち ダーシーがベネ ッ ト家 の俗悪ぶ りに嫌気 を覚
えるのは自然な反応であろう。 ビング リーは対照的 にベネ ッ ト家の どの娘 も感 じが良 く
,特
にジェインに対 しては"he[Bingley]COuld not conceive an angel more beautiful''(13)と 言 うまで,
惚れ込んで しまう。アウエルバ ッハ(Nina Auerbach)は 理想的な妻 をエ ンジェル として形容すること はヴィク トリア朝 の慣習であったが
,そ
れ は同時 に彼女 を家庭 とい う避難所 あるいは監獄へ と閉 じ 込めることであった と言 う。0。 ビング リー とジェインの関係 は,身
分的関係 はさてお き両者 の心情 的関係 としては,18-19世
紀 イギ リスの中 。上流階級の男女の典型的な結 びつ き方 を示 しているの である。そして,ダ
ー シー とエ リザベスのカ ップル は社会的慣習か らの逸脱 と言わねばな らない。 ダーシー とエ リザベスの関係 は,人
間性 に対する理知的観察態度 に基づ く共通 の心理的基盤 を獲得することによって進展 してい く。両者の関係 はマンセルの言 う"SOme subterranean changes"(97)01)
を経て
,お
互いに相手 の真 の価値 を発見 し,人
格的成長 を遂 げるとい う論理的構成 を成す。彼 らの 心理的接近の過程 は微妙で見出 しに くいが,精
読すればそれがアイロニーの言語 によって実現 され ているのがわかる。 さらに大事 なことは恋愛の主導権 はダー シーの側 にあって,エ
リザベスは受 け 身の状態 にあることである。ダーシー はェ リザベスに歩み寄 って,父
性的な見地か ら彼女 を最適の パー トナー として認 め,ま
たそうなるように導いてい く。社会的身分 の点で もダーシーがエ リザベ スを恋人 として認 めるのは,大
変な地位 の下落であった。ダー シー は父親が娘 に対 してす るように, エ リザベスを救い上げてやるのである。 エ リザベスの理知主義 はこのように現れる。それ はエ リザベスが彼女の友人 シャーロッ ト・ルー カス(Char10tte Lucas)と 行 な う,ビ
ング リー とジェインの関係 をめ ぐっての会話 の中である。エ リ ザベ スはビング リーが姉 を好 きなことは知 っているが,彼
が率直 に愛情 を姉 に打 ち明けないのは不鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 43巻 第
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可解だ と思 う。エ リザベスの恋愛観 の理知的態度が明瞭 になる。エ リザベスは姉が内気 な性格 で, 内面 をめったにあ らわにしない ことは認 める。 だが もしオロ手 の男が姉 を好 きな らば,彼
女 の僅 かな 心の動 きの中に彼女 の愛情 を認 めるのが当然であるともエ リザベスは考 えている。エ リザベ ス自身 にさえ姉 の気持 ちがわか るのだか ら,ビ
ング リーが ジェインの心の中を察 してや らないの は,実
は ビング リーの愛情が不確かなものなので はないだろうか,
と彼女 は気付 くのである。 またシャーロ ッ トが恋人が相手の心 を研究す るのは無益で,結
婚 に際 して は相手の欠点 を知 らない方が良いのだ と主張す る時,エ
リザベスは真 っ向か らそれ を否定す る。彼女 は物事 をあ りのままに見て,歪
んだ 人間観 を憎むのである。彼女 は一つ一つ相手 に関す る内面的かつ外面的なデータを積 み重ねて,や
っと相手 を理解で きるとい う,経
験主義的な恋愛観 をもっているのである。 エ リザベスは感受性 に富んではいたが,ダ
ーシーが密か に自分 に関心 を向 けていることには全 く 盲 目であった。 ダーシー は恋愛 におけるア ッパー・ ハ ン ドをもち,エ
リザベスを評価 してい く。 そ の視点 は分析的で,見
せかけと誠実 を峻別 してい くものである。エ リザベスには確かに欠点がある。 彼女 は身 のこな しが軽 くて も,
とて も社交界 向 きとは言 えず,粗
野な田舎娘 に過 ぎなかった。 しか し彼 はその欠点 を埋 め合わせ るような魅力 を,彼
女の中に見出 してい く。サー・ ウィリアム・ ルーカス(Sir william Lucas)邸でのパーテ ィーでエ リザベス とメア リー はピアノを弾 く。 メア リー は才
能 も趣味 もな く
,虚
栄心が丸見 えの演奏 しかで きなかった。それに較べてエ リザベス はメア リーの 半分 の腕前 しかなかったが,自
然でいか にも気 どりのない演奏 を行 なった。メア リー は気 どりのた めに自分 の弾 ける技術力 を台無 しにし,エ
リザベスは内面 の ピュアな誠実 さをそのまま面 に出 した だけである。見せか けと誠実の対立 は明瞭だろう。 ダンスの場面でのダー シー とエ リザベスの対応 は興味深い。サー・ ウィリアムがダンスの楽 しさ を社交文旬 として讃 える。ダーシー はそれに同意す るが,そ
の理 由は世界中の どの下賤 な集団で も ダンス は流行 っているのだか らと述べ る。 また彼 は,そ
ういえば野蛮人 だって踊れるだ ろうか らと 辛辣 に言 を継 ぐ。ダーシーは見せかけの価値 に反発 しているのだ。その後でダーシー はエ リザベス にダンスを申 し込 むが,あ
っさ りと断わ られて しまう。依然 メ リトンの舞踏会で彼がエ リザベスの 容貌 を貶 した ことや直前の彼のダンス嫌 いの態度か ら,エ
リザベ スが この申 し出 を断わ るの は当然であると思われ る。 その断わ り方で
,エ
リザベス は"Mr Darcy is all politeness."(22)と 微笑 みなが ら言 う。決 してダーシーはポライ トな どで はない。エ リザベス はアイロニーの言語で 自 らの不満 の意 を伝 えるとともに
,ダ
ーシーに彼 の行動 の不適切 さのシグナルを送 っているのである。エ リザ ベスはち ょっとはにかんでダーシーの差 し出 した手 を避 け,茶
目っ気 を込めてそっぽを向いただけ である。 この拒絶 は何故かダーシーに彼女の印象 を貶 めるもので はなかった。ダー シー 自身彼女 に 振 られた ことで,逆
にある満足感 を抱いたのである。 この辺 のアイロニカルな事情 をオーステ ィン はこのように書いている。Ehzabeth looked archly,and turned away.]■er resistance had not ilaJured her、vith the
gentleman [Darcy],and he was thinking of her with some complacency,…
[emphasis
mine](22)
ダーシーほどの地位 も財産 もある人間な ら,簡
単 に人前で田舎屋敷 の娘 に振 られて身分的 に不快感 を蒙 らないはずがない と考 えるのが普通であろう。 この場合ダー シーがむ しろ爽やかな感情 をエ リ ザベスに抱いたの は,身
分関係 を越 えた愛情 を彼がエ リザベスに対 して育み始 めた ことを表わ して いるのである。 それ はパーティ‐の空虚 さや身分上 の障碍 といった表層的問題 を無視 し,真
の人間 関係 を渇望す る態度が両者 の間にあった ことを意味 している。 ミス・ ビング リーがパーテ ィー は退屈で しょうとダーシーに切 り出す と
,彼
は"Your colaiecture is totally wrong,I assure you.My mind was more agreeably engaged."(23)と 答 える。通常舞踏会 を愛好 しているミス・ ビング リーとダンス嫌いのダーシーのアイロニカルな意見の交差が見 られ る。 こうして
,ダ
ーシー とエ リザベ スは共通 の心理的基盤 を もつ ようになるのである。 ただ し,こ
うした ことの一切 にエ リザベス は気 付いていない。エ リザベ スがダーシーの父性的愛情 に相応 しい相手 として認知 されてい くの は,次
節で も詳 しく見 られ るだ ろう。 II ここまでの『高慢 と偏 見』 のプ ロ ッ トを牽 引 してい くの は表層的 に はビング リー とジェイ ンの関 係 で あ る。 た だ しその関係 が危殆 に瀕 してい る こ とを,わ
れ われ は既 にエ リザベ スの澄 んだ観 察眼 に よって暗示 され てい るので あ るが。 ジェイ ンは ミス・ ビング リーの手紙 でネザ フィール ド屋敷 へ 招待 され,雲
行 きの怪 しい天気 の中,馬
に乗 つて出か けて行 く。 ジェイ ンの出発 をめ ぐり,
また母 性 と父性 は対 立 す る。ベ ネ ッ ト夫人 は雨 にな りそ うなの をか えって喜 び,そ
の ままジェイ ンが ネザ フ ィール ド屋敷 に宿泊 し,ビ
ング リー との関係 を深 め る ことを望 んでい る。 それ に対 しベ ネ ッ ト氏 はジ ェイ ンの意 向の とお り馬車 を出 してや りたか ったのだが,妻
に言 い くるめ られ て しまい,そ
の ま まジ ェイ ンを馬 に乗 せ て送 り出す。予想 され た よ うに土砂 降 りの雨 になる と,ベ
ネ ッ ト夫人 は大 喜 びで あ る。彼女 はジェイ ンの体 の ことな ど心配 せず に,"This was a lucky idea of mine,indeed!"(26)と 自画 自賛 す る。母親 の愚鈍 さ と父親 の力 の無 さが浮 かび上 が って くる。 ジェイ ンは案 の定風 邪 を こじ らせ
,ネ
ザ フ ィール ド屋敷 か ら帰 れ な くな って しまう。ジ ェイ ンが病気 になって も,父親 と母親 の対 立 は続 く。父親 はジェイ ンの病気 の手紙 を受 け取 り,
こう言 う。
Well,my dear,.中 if yOur daughter [Jane] ShOuld have a dangerOus fit of inness,if she should die,it would be a comfort to know that it was all in pursuit of Attr.I〕 ingley,and under your orders (27)
それ に対 す る母親 の受 け答 えは
,何
ともそっけない。OhI I am not at an afraid of her dyingo People do nOt die of little trifhng colds.She win be taken good care of.As long as she stays there,it is aH very well.I would go and see her,if l could have the carriage。 (27)
大事 な ことは
,こ
う した性格 の色分 けには父親 が情愛 に基 づ く感情 主義,母
親 が合 理 に基 づ く功 利 主義 の人格 を与 え られてい るこ とであ る。 この二 つの性格 は畢党,概
念史派批評 のバ イ ブル 的存 在 で あ るD〃肋%αゅ げ 励ι脇 カヮ げ レ 器 (196874)がヴ ィク トリア朝精神 の光 と影 の よ うに し て挙 げた,福音 主義 lEvangelicalism)と 功利 主義思想 の対立 を反映 してい るので あ ろう。この大著 はこう言 う。少 し長 くな るが
,引
用 しよ う。The rnaior eXternal pressures、 vere an expanding population,spreading industriahzation, greater cOncentration of people in large urban areas, and an increase in wealth which
was diffused among growing nunlbers of people.The conscious Victorian response to these external changes and values was in large measure deter■lined by attitudes and
values inherited from the past, the most important of which、vere Evangehcansm in religion and utilitarianism in philosophy.The coalescence of these external pressures and
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(1992) 137
internal attitudes created a social structure and cultural pattern,centering in the middle class and characterized by a distinctive rnode of thinking and feeling,that gave stabihty to Enghsh society for approxilnately fifty years. [emphaSiS Inine] (4,217)(22)
そして福音主義 は情愛
,
とりわけ愛他主義 によって内面的に家族 の中に浸透 していったのに対 し,功利主義 は主 に公共 の問題 の合理的解決 の点か ら外面的に家族 の中に入 っていつたのである。ヴィ ク トリア朝メ、に とって''While their Evangelical religion told Victorians to love their neighbor, their utilitarian economic principles told theni that the deepest instinct of man覇 /as to defraud his neigltboゴ'(4.221)なのであった。 こうした原理で『高慢 と偏見』のベ ネッ ト夫妻 を眺めると
,ど
うなるであろうか。決 して表立 っ てはいないが,ベ
ネ ッ ト氏 は情愛豊かに娘 を愛 している。彼 のお気 に入 りのエ リザベスは泥道 を3 マイルほども歩いて病気の姉 の看病 に行 くのだか ら,こ
れ は愛他主義の典型 と言わねばならない。 ベネ ッ ト夫人 は結婚市場への参入 を目指す経済原理至上主義の塊である。その道具 とされるジェイ ンは母親 の欲得 のための犠牲 となるのである。母性 は実利主義 と結びつ き,子
供 の精神的成長 を歪 める傾向があるのである。 小説の舞台 はネザ フィール ド屋敷 に移 り,エ
リザベス とダー シーはさらに共通 の心理的基盤 を堅 固な もの としてい く。泥 もつれになって到着 したエ リザベスをダー シー は最初 はそこまで しな くて もと考 え,ただ運動で上気 した顔色 の良 さの美 しさに見 とれ るだけである。だが部屋 の中の会話で, ダーシー はます ますエ リザベスの魅力 に気が付 くようになる。 ただし,エ
リザベス当人 はその動 き には無意識的であるようだ。 会話 は理想 の女性論 に及ぶ。ダーシー は女性一般 に共通 の才能 は認 め られず,真
の教養 を身に付 けた女性 は6人
とは知 らない と言 う。 ミス・ ビング リー はその真 の教養 を身 に付 けた女性の条件 を さらに上乗せ し,理
想 の女性 は音楽 も歌 も絵 も舞踊 も完全 にど得 し,あ
まつさえ近代語 に通 じてい なければならない と言 う。ダーシー もこの意見 に賛同 しているようだ。 ところが これ に対 し,エ
リザベスはとこわかに"r never saw such a woman. r never saw such capacity, and taste, and application,and elegance,as you[Darcy]described,united."(34)と 反駁す る。オースティン
の小説で は登場人物 の会話 は非常 に繊細 な感情の交錯 を表わすが
,こ
こで もその最たる例が見 られる。ダーシー はもともと完全 な女性 の存在 をとて も少な く見積 っている。 ミス・ ビング リーがそう
した女性の条件 をさらに厳 し くす るのは
,女
性一般 の才能 の弁護 あるい は女性 の能力への見栄 を張るために言っているのである。 とんで もない女性 の能力のインフレーシ ョンに
,ダ
ー シーが さらにもう一つ"to all this she[a woman]muSt yet add somethitt more substantial,in the imprOve― ment of her mind by extensive reading"(34)と いう条件 を付 け足すのは
,
ミス・ ビング リーの非現実的な見栄 つ張 りを椰楡す る効果 を帯 びる。 とい うことは
,ダ
ーシー は世 の中には理想的な教養 を備 えた女性 な どはほ とん どいないのだ と考 えていると言 える。常識的に考 えて,そ
んな高い条件 をクリアで きる女性 は数少ないであろう。 そこでダーシー はエ リザベスに自分 との意見 の一致 を見 出すのだ。 ミス・ ビング リーやハース ト夫人 といった,
とりつ くろった虚栄 に満 ちた女性 たちの中 で,ダ
ーシー はエ リザベスに唯―の心理的共通基盤 を発見するのである。 さらにここで はエ リザベ スは自らの理性主義が命ず るままに見せか けの女性論 を排 し,そ
んな完璧な女性が存在 しない こと を訴 えているのである。そこには,彼
女のダーシーヘの恋慕 は見出せない。ところが思わず'Tに
強 勢を置いて発言す るエ リザベスは,意
識せずにダーシーにラブ・コールを送 って しまったのである。 ハイ・ ソサイアティーの中で一人取 り残 されているエ リザベスは,理
想的な教養 を欠 く女性 の一人である。 ミス・ ビング リー は資産家 のダー シーに取 り入 ろうとしている。 このことを考 え併せ
,さ
らにもし理想 の条件 を満 たす女性がほ とん どいなければ,エ
リザベ スにして も同 じこと,ダ
ーシー ヘの求愛競争 に参力日する資格があることになるのである。 さらにもしダーシーがェ リザベス と同意 見であるな らば,
ミス・ ビング リーの顔 は丸潰れで,彼
女 は虚栄心 に満ちた女性のレッテルをあま んじて受 けなければな らない ことになるのである。エ リザベスは知 らず知 らずのうちにミス・ ビン グ リー よりも,ダ
ーシーに本目応 しい女'性となるのだ。 ダーシーはほのか にエ リザベ スに愛着 を寄せていることを示 している。 というのは, この場面 は 病状の思わ しくないジェインの看護 に気の滅入 ったエ リザベスが,ビ
ング リーの蔵書の中か ら選ん だ本 を読 もうとしている設定 だか らである。エ リザベスは読書 しているところをミス・ ビング リー たちのお喋 りに牙「魔 され,い
やいやその会話 に付 き合わされ るのである。 ミス・ ビング リーたちは 読書 よ りも,
トランプの好 きな連中である。エ リザベスは本 を持つか,お
そ らくはその傍 らに置い ているのであろう。 そうい う状態で女性 は読書 による,ち
ゃん とした矢日識 を身 に付 けなければな ら ない と言われた らどうであろうか。彼女 はダーシーによって推奨 されているのであろう。 また,そ
の場面の前で ミス・ ビング リー はダーシーの蔵書 を"What a delightfullibrary you haveat Pemberley,Mr.Darcy!"(32)と
誉 め讃 えている。ダーシー は家庭 における蔵書 の精神的価値 を重視 しているもの と思われ る。彼 は図書 を無視する傾向を"I Cannot cOmprehend the neglect of a farnily library in such days as these,''(32)と 批半Jしているか らである。 ところ力S, この''neglect'' の意味合いは ミス・ ビング リーによって完全 に誤解 されてしまう。彼女 はす ぐさま兄のチャールズ
(Charles)に, こうい う屋敷 を建 てるように勧 めるか らである。
NeglectI I am sure you neglect nothing that can add to the beauties of the noble place. Charles,when you build your house,I Ivish it rnay be half as dehghtful as Pemberley.(32) "delightful"とぃ ぅ言葉が再 び使われていることに
,注
目されたい。蔵書 とは彼女 に とって地所 の美 しさを増すための飾 りで しかないのである。"neglect"と はそぅした表層的な美 しさを加 えることを 「無視」するとい う意味 にず らされているのである。そうした図書 も質のよくない通俗小説であっ たのか もしれない。 いずれにして も,ダ
ー シー はミス・ ビング リーの通俗性 に気付 いているのであ ろう。 ダーシーがエ リザベスを恋人 として認知 していることは,彼
女の退室後 の彼の対応 にも認 められ る。 ミス・ ビング リー とハース ト夫人 は,エ
リザベスの女性観 には一様 に反対 している。エ リザベ スがいな くなると,
ミス・ ビング リー はこう彼女 を貶 めようとす る。Eliza Bennet,¨ is one of those young ladies、 vho seek to recommend themselves to the other sex,by undervaluing their own,and with many men,I dare say,it succeeds.But,
in my Opinion,it is a paltry device,a very mean art.(34)
これにす ぐに応 じて
,ダ
ーシー はこう答 える。Undoubtedly,.… there is lneanness in,〃 the arts which ladies sometilnes condescend to emp10y for captivation.Whatever bears affinity to cunnil■ g is despicable。 (34)
ここには
,ア
イロニーの言語 を用いてエ リザベスを擁護 しようとす るダーシーの態度がある。簡単に言って
,こ
うい う完全な女性がいるのだ と主張 している女性 たち こそが最 も理想か らほど遠い位置にあるとい うことである。 ダーシーが 物〃"に強勢 を置いて受 け答 えているのは
,
ミス・ ビング リーのダーシー攻略の手練手管 をも"meanness"の中に力日えようとする意思の現れ とも受 け取 られる。
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な らない。ダー シー は自分 の使 うアイ ロニー の意味 を理解 してい ると思 われ る。その後 で"Cunning" で ある ことは最 も"despicabば'なこ となのです,と彼 は述 べ るか らで あ る。実 は"Cunning"なの は当 の,日
の前 にい る二人 の女性 なのだか ら,ダ
ー シー はエ リザベ スの弁護 をアイ ロニ カル に行 なって い るはずなので あ る。 ベ ネ ッ ト夫人 がや っ とネザ フィール ドに来 てか らも,ダ
ー シー はます ますエ リザベ スに愛着 を深 めてい く。 その きっか けはベ ネ ッ ト夫人 の愚行 で あ る。ベ ネ ッ ト夫人 は相変 わ らず悪 し様 に描 かれ てい る。彼女 の ここでの役割 はジェイ ンを売 り込 み に来 る,た
だのセール ス・ レイ デ ィのそれで あ る。彼女 とこ拠れ ばジェインは"the greatest patience in the world"(36)を もち,"the SWeetest temperl ever met with"(36)にも恵 まれ た女性 で
,他
の娘 たち よ りも群 を抜 いて優 れ てい る との ことで あ る。 また彼女 はジェイ ンに言 い寄 った男 を挙 げて,
こう言 う。When she[」
ane]waS Only fifteen,there was a gentleman at my brother Gardiner's in town,so much in love with her,that my sisterin■ a、v was sure he would make her anoffer before we came away.(38)
つ ま り
,早
くしない とジ ェイ ンは売 れて しまう と言 いたいので あ ろう。女性 は結婚 しな けれ ば暮 ら して い けなか った とい うフェ ミニ ス トたちの説 を考慮 に入 れて も,ベ
ネ ッ ト夫人 は悪 く描 かれ過 ぎ てい る と思 う。 もしもオーステ ィンの意 図が女性 の社会的,経
済 的立場 のプ ロテス トで あ ったの な らば,彼
女 は もっ とス トレー トにそ う書 けば よか った はずで あ ろう。 オ ー ステ ィンの意 図 は もっ と 別 の ところにあ り,彼
女 はベ ネ ッ ト夫人 を通 じて誤 った女性観 を暴露 して いた ので あ る。 悪 しき母親 はジェイ ンを讃 えた,美
しい詩 が残 って い る と言 う。 その詩 を残 して,相
手 の男 の ジ ェイ ンヘ の思 い は立 消 えにな って しまったのだ。母親 はその恋が真摯 な もので あった と言 いたいの で あ ろうが,ダ
ー シー はそれ を疑 ってい る。彼 は詩 は恋 の滋養 になるべ きものだ と考 えてい るのだ。 エ リザベ ス はそのダー シーの説 を受 けて,ほ
とん ど彼 の言 いたい ことを代弁 してや る。Of a fine,stout,healthy love it rnay.Every thing nourishes what is strong already.But if it be only a slight,thin sort of inclination,I am convinced that one good sonnet will starve it entirely a、vay (39)
これ を聞 いたダー シー は"Darcy only smiled."(39)とい う反応 しか示 さないが
,彼
が エ リザベ スの 意見 に同意 してい る ことは明 らかで あ る。 ダー シー とい う人 間が少 な くとも公共 の場 で は大袈裟 な 言動 を しない こ とを考慮 すれ ば,こ
の静 か な微笑 み はエ リザベ スが彼 の眼 にか なった女性 で あ る こ とを表わ してい るので あ ろう。 ひ弱 な恋心 な らば詩 を一 つ書 くくらいで そのエネルギ ー を消費 しき って しまうものだか らだ。エ リザベ ス は理性 的 な思考法 と,一
度人 を愛 した らその人 に とこ とん付 き合 うべ きとい う強 い情念 を もった女性 で あつたのだ。 ダー シーが この ような女性 を受 け容 れ たの は当然 で あ ろう。 メ リ トン とサー・ ウィ リアム・ ルー カス邸 で の舞踏会,さ
らにネザ フィール ドで の滞在 を通 して, エ リザベ ス は次第 にダー シー と心理 的基盤 を共有 す るようになった。 しか し,エ
リザ ベ ス は この こ とに何 ら気付 いて はいない。 ダー シーが素直 に 自分 の欠点 をI have faults enough,but they are not,I hope,of understandillg.A/1y temper l dare not vouch for.――It is l believe too little yielding――certainly too little for the convenience of the world,I cannOt forget the follies and vices of others so soon as l ought,nor their offences agailttt myself.(50)
彼 女 の即応 は こうだ。
T力αナis a failillg indeedI.¨ Implacable resentment ケs a shade in a character. But you
have chosen yOur fault wen,一 ―I reany laugh at it.You are safe frOnl me (51)
エ リザベ ス は知 らない うちに結婚市場 に出て しまい,ダ ー シー に受 け容れ られて しまったのである。 その無意識 の行動 はジェイ ンに先 ん じる とい うアイ ロニカル な結果 を生 んで しまった。エ リザベ ス の行動 を追 うプロ ッ トとは裏腹 に
,心
理 的 に はダー シーが全 ての出来事 を知 り,上
か ら見 お ろす形 になってい るので あ る。ベ ネ ッ ト夫妻 と違 い,こ
の恋人 たち は虚偽 を憎 む理性主義 に基 づ く,同
一 の心理 的地平 に立 ってい る。 ダー シーの父性 的 な眼差 しは,情
愛 に よって結 ばれ た新 しい夫婦 関係 へ とエ リザベ ス を導 くのであ る。 III エ リザベス は父性主義によって救われるべ き二つの苦難 に陥る,と
言 えよう。その一つ はコ リン ズ氏(Mr c01lins)に よる限定相続(entail)の ためにベ ネ ッ ト家が経済的危機 に瀕 し,彼女が この教 区牧 師に求婚 されることである。もう一つ はメ リ トンで会 ったウィカム(Wickham)と い うダーシー家の 元執事 の息子 に踊 され,あ
まつさえ彼 に恋 して しまうことである。彼女 は最初 の危機か ら父親 によ って,次
の危機か らダーシーによって救われ る。母親 は常 にあてにな らず,む
しろ彼女 を結婚市場 の犠牲者 にしようとす るのである。 ここで は父親がエ リザベスを救 う場合 を考 えてみよう。 コリンズ氏 は功利主義 を地でい くような人物である。彼 はベネ ット氏の従兄弟であるが,遠
い親 戚であってベネ ッ ト家 とはほ とん ど付 き合 いがない。たまたま後見人のキャサ リン・ ド・ バーグ夫 人(Lady Catherine de Bourg14)という,ダ
ー シーの叔母 の恩願 でロンボーンの教 区牧師に抜櫂 され,彼 は限定相続人 としてベネ ッ ト家 に乗 り込 んで来 る。限定相続 とはその「家」 に男 の相続人がいな い場合
,一
番血 の繋が りの近 い親類 の男子が財産 を継 ぐことになる民事制度である。彼 はベ ネ ッ ト 家の人間 にも資産がい きわたるように, 5人
娘 の うち誰か を嫁 に貰 う魂胆 なのである。た また まジ ェインが ビング リー と婚約 にな りそうだ という事情があったので,コ
リンズ氏 は次 にエ リザベ スに標的を絞ってくる。そこには何の愛情の流れもなく
,損
得勘定と肉体的セクシュアリティの原理し
か ないのだ。 コ リンズのエ リザベ スヘ の接近 は実 に抜 け目のないプラ ンに裏打ちされてい る。 まず はネザ フィ ール ドの舞踏会 で最初 の2度
一緒 に踊 るように約束 させ,次
は母親 に根 回 しして婚 約 を承 諾 させ るとい う もので あ る。正式 に求婚 した コ リンズ は"One thOusand pounds in the 4 per cents,which
wiH not be yours till after your mother's decease,is an that you may ever be entitled to"(96) と
,自
分 と結婚 しなけれ ば年 に4分
の公債 しか貰 えないのだ としつ こ く迫 る。彼 は自分 たちの結婚 の不J点 として"It dOes not appear to me that my hand is unwOrthy your acceptance,or that the establishment l can Offer wOuld be any other than higmy desirable."(97)と 裁査 的 か つ経1斉的 な外 的条件 しか挙 げない。そ して まさ し く外 的条件 として は,こ の結婚 は何 の問題 もない。 ところが,
それ にエ リザベ ス は抗 ってい く。0。
危機 に陥ったェ リザベスが真 っ先 に頼 りとするのは父親 である90。彼女 は何 の躊躇 い もな く"to apply
to her father,、vhose negative might be uttered in such a manner as must be decisive,and whose behaviour at least could not be n staken fOr the affection and coquetry of an elegant female"
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が,瓢
々 としたベネ ッ ト氏 も自分 の権威 を放棄 しているわ けで はな く,エ
リザベスの期待 に相応 し い行為 をす るのである。 エ リザベスの結婚問題 の本質 はか くして母親 と父親 を巻 き込 んだ,母
性 と父性 の対立の構図に収 敏 してい く。父親 の書斎 の中,エ
リザベスの日の前で,母
親 と父親が対立す る。ベネッ ト夫人 は夫 に書斎か ら出て来て,エ
リザベスを説得するように,こ
のように切 り出す。Ohl h/fr.Bennet,you are wanted inllnediately,we are an in an uproar.You rnust come
and rnake Lizzy marry 笙r.Collins,for she vows she、 vill not have hirn,and if you do not
make haste he win change his lnind and not have力 ι佐 (100)
この場合"have力ιγ"とい う語旬 にいかほど所有 のイメージが詰 まっているのか定かで はないが
,結
婚が物質的利便が前提 の契約関係 に過 ぎないことは間違いあるまい。ベネ ッ ト氏 はこう言われて も, 決 して書斎か らは出ない。いや,も し部屋か ら出た とすれ ば,お
そ らく彼の負 けであつたであろう。 彼の書斎 には父性主義 とい う別 の空気が流れているように思われ る。 ここだけはベネ ッ ト家で も父 親中心の秩序が保 たれている空間なのだ。そして,エ
リザベスが父親 の書斎 に入れば落ち着いた気 分になれ,本
来 の自己 を開陳す ることも忘れてはな らない。エ リザベスがプロポーズを受諸す るか 否かについて,彼
はきっぱ りとこう言 う。An unhappy alternative is before you,I'lizabeth.Frorn this day you rnust be a stranger to one of your parents.一 Your rnother will never see you again if you do知 ナrnarry Mr.
conins,and l win never see you again if youガ θ (100)
エ リザベスは父親が示 した期待通 りの
,母
親への厳 しい受 け答 えに思わず微笑 んで しまう。エ リザベスの結婚騒 ぎはこの後次第 に治 まってしまうのだか ら
,父
親 は彼女 に とって まさに救世主であったのだ。
rミ舅くッ ト丁氏は"I shall be glad to have the library to rnyself as soon as lnay be."(101)と 下三い,
す ぐさま書斎 に籠 ることを所望す る。書斎 に重 きを置 くとい う点で
,ダ
ーシー はベネ ッ ト氏 と共通 点をもつ。ダー シーが立派な書斎 をもつ ことは,ネ
ザ フィール ドの家 の会話で既 に明 らかになって いる。また ミス・ビング リーのような嫌 な話相手か ら逃れ るために読書 を使 う点(1.11)でも,彼
はベ ネッ ト氏 に似ている。 これ はベ ネ ッ ト氏が妻の狂気 じみた娘 の売 り込みを敬遠す ることと符合 して いる。両者 ともに父性 の代表であるし,エ
リザベスの教育 はベ ネッ ト氏か らダー シーに引 き継がれ ると考 えるのが,自
然であろう。 ベネ ッ ト氏 の書斎で もそうであるが,オ
ースティンの小説で は部屋が重要 な働 きをす るようだ。 それは小 さな閉 じられた世界で はあるが,ポ
ジティヴな機能 を果 たす。 この点でオースティンの部 屋 はアウエルバ ッハ の言 う,ロ
マ ン的閉 じ込 めの空間99とは異質な様相 を呈す る。部屋 は立ち聞 き や手紙 の朗読が行 なわれる空間である。ダーシーがエ リザベスの品定 めをす るの も部屋 だし,『説得』 (脆欝%鉢力%,1818)に おいてウエ ン トワース大佐(Colonel Wentworth)が 元恋人 のアン・ エ リオ ッ ト(Anne Elliot)と彼 の友人 のキャプテン・ハーブィル(Captain Harville)の 女性論 を聞 くのも部屋であ
る。 これ らは河ヽ説 のプロッ ト展開に重要な働 きをす る。前者 はダーシー とエ リザベスの互 いに反 目 しつつ も惹かれ るアイロニカルな関係 を
,後
者 はアンとウエ ン トワース大佐 とのハ ッピー・ エ ンデ ィングをもた らすか らである。部屋 とはプライブァシィーのある程度 の危機 をもた らしつつ も,人
と人 とを繋 ぐオープンな場所 なのである∇0。 この点で,オ
ースティンの部屋 はロマ ン的閉 じ込めの トポスの様相 は帯 ぴない。 部屋 に限 らず,オ
ースティンの空間処理 は閉 じられているが,奇
妙 な ことに開かれている機能 も示 している。大 きな屋敷
,開
かれた眺望の庭,波
打つ芝生,豊
かな森林 は空間的には開かれているが
,部
屋 と同様 に閉 じ込 め られた登場人物 たちの交流のための場 となるのである。『高慢 と偏見』においては
,た
とえばエ リ′ザベスがダーシー,ハ
ース ト夫人,
ミス・ ビング リー と一緒 にS字
曲線 のネザフィール ド屋敷 の庭 を散歩す るのを断わる場面 は(1.10)は,空間的 に開かれているが実 は会話の
ための場 とな り
,部
屋 とほ とん ど機能的差異 はない。 この際"The picturesque would be spoilt byadmitting a fourth."(46)と 言 ってエ リザベスが会話か ら抜 けるのは
,後
に述べ る彼女のピクチ ャ レスク・ ツアーの回避 と結び付いて興味深い。 またエ リザベスがペ ンバ リー屋敷の広大な庭 をダー シーやガーディナー夫妻 と散策するのは,彼
らの会話 とエ リザベスがダー シーの人間性 を探 るため の場 とな り,そ
れ は部屋 と同様 の機能 を果たすのである。いわばオースティンの空間 は心理が交錯 するための,人
間化 された空間 と言 ってよいのであるC7ち ベネ ッ ト氏の書斎でのエ リザベスの救出 には,こ
のようにオースティンの人間化 された空間意識がその背後 にあったのである。そして父の 書斎での安 らぎとペ ンバ リー屋敷でのそれが同様 の ものであるな らば,エ
リザベスの居所の移動 は 彼女の成長 と父性 の受 け容れが平行 していることの証 となるに違いない。 エ リザベスの父親 には彼女への真摯 な愛情があったのである。 自分の財産の維持や管理の問題 を 考 え併せれば,限
定相続 による被害 を最 も酷 く蒙 るのは母親 よ りもむ しろ父親 の方であろう。当然 エ リザベスにコ リンズ氏 との結婚 を迫 るのは,利
害的には父親 の方 に相応 しい行動であった。父親 はエ リザベスの ことを思い,こ
れ をしないのである。限定相続 や結婚市場 に関する件 は『高慢 と偏 見』の作品の本質 を形成 してお らず(29,ぉ そらくその本質 はヒロインを中心 とした人間の成長であ ろう。だが限定相続 にまつわ る事件 は父性愛 を強調する機能をもつ。エ リザベスが駄 目ならば,母
親 はメア リーで もコ リンズ氏 に くっつけようとする。 コ リンズ氏 はエ リザベスを諦 めると,今
度 は シャーロッ ト・ ルーカスに求婚する。彼 は三 日間で二人 に求婚 したのである。 シャーロットはこん な男で もあっさ りと受 け容れて しまい,ハ
ンズフォー ド(Hunsford)の 家に納 まって しまう。女′性に 対す る深刻な社会的圧力が こうした動 きの背景 にあるのは明確 であろう。『高慢 と偏見』の世界 は社 会的奥行 きのある世界 なのだ。ベネ ッ ト氏 はエ リザベスを社会体制か ら保護 した と言ってもよいの である。 Ⅳ ダーシーのエ リザベスヘの保護 は引確 に父性的教育の要素 を強 くもつ。エ リザベスはウィカムに 踊 され,ダ
ーシーの人間性 を見誤 る。彼女 には感覚的に,つ
ま り瞬時 に人 の性格 を見抜 く能力 はあ って も,深
い人間性 を時間 をか けて判断する洞察力 には疎い ところがあった。それ は正 されなけれ ばな らない彼女のパーセプシ ョンヘの信頼 であった。エ リザベスは他の五人の姉妹たちと連れだっ てコ リンズ氏 と一緒 にメ リ トンの舞踏会 に出かけ,ウ
ィカム と会 う。 ウィカムは案外 に率直な人間 で,彼
は自分 の欠点 を包 み隠さずエ リザベスに打ち明けている。彼 は本質的には嘘 をつきとおす偽 善者で はない。だか らエ リザベスがウィカムを受 け容れたのは自分 自身の過失なのである。エ リザ ベスは一度 は自分で失敗 を犯 し,挫
折感 を味わった後でダー シーの保護 を求 めねばな らないのだ。 それ はあたか も父親が子供 を教育する姿 に似ている。ダーシーのエ リザベスヘの求愛 も,実
はエ リ ザベスの自己反省 を促す父性的教育であった。 ウィカムの話術 はエ リザベスの偏見 にうまく取 り入 って,彼
女が 自分か ら迷妄 の世界へ と踏 み込 んでい くようにさせ るものである。 ウィカムはまず自分が子供 の頃か らダーシー家 と親交があ り,鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 43巻 第
2号
(1992) 143
ダーシーに関 しては自分 ほ ど確かな判断ので きる人間 はいない と言 う。エ リザベスの最初 の贋 きは 自ケ}から''I have spent four days in the same house ttrith hiln,and l think hirn very disagreeable" (68)と ダーシーヘの不快感 を吐露 した ことである。"He is not at all liked in Hertfordshire."(69)
とダーシーを中傷す る時 には
,既
にエ リザベスは自己の弱み とも言 うべ き偏見的態度 をウィカムに 悟 られて しまっている。その後 ウィカムのすることは,ダ
ーシーに関す る悪 い表層的データをエ リ ザベスに与 え,彼
女が誤 った推測 をす るのを許すだけである。『マ ンスフィール ド・パーク』 におけ る牧師の義理の息子ヘ ンリー・クロフォー ド(Henry Crawford)よ ろし く,ウ
ィカム は女た らしであ るが,エ
リザベスには不思議 と彼女が身 を持ち崩す ほどの誘惑 はしない。それ はウィカムの働 きが エ リザベスの教育 に向けられてい るの と同時 に,エ
リザベス自身がそ こまでウィカム に入れ込 むほ ど愚鈍で はないためであろう。 ウィカムの語 ることはことごとく自分 の都合のよいように作 られた言説である。 ウィカムの父親 はダーシー家の地所 の管理 をしていたが,先
代 のペ ンバ リー屋敷 の当主,つ
ま リダー シーの父親か らは手厚い保護 を受 けていた。 自分 は先代か ら続 いた援助 をダーシー家か ら受 ける権利 をall奪され たのだ とウィカムは言 うけれ ども,彼
はその理由を詳細 には説明 していない。逆 に一方的 に相手 の 側の約束不履行 ばか り非難す るのである。彼の性格 の胡散臭 さが何や ら伝わつて くる。彼 はダー シ ーの地位や財産 を一方的 に妬 んでいる。先代 のダーシー家の家長 は優れた人物 で,自
分の親 にも自 分 自身 に も大変 よ くして くれた。 ウィカム はその行いをひたす ら誉 め讃 えるが,そ
の効果 は現在 の 当主ダーシーの卑劣 さを強調す ることに向けられていることを忘れてはな らない。彼 は自分が保護 を受 けられ ることを既成事実化 しているのである。だが本当に自分がその保護 を受 けるに足 り,ダ
ーシー と対等 に付 き合 える人間か どうか はどこで も一切問わないのである。 これ は彼 の側での非常 にエゴイステ ックな姿勢 を明瞭 にしている。なるほ どウィカム は自分が貰 うはずだった聖職禄 をグ ーシーが とりあげたのは,自
分 には浪費癖や無思慮があったか らだ と匂わせ る。だがその浪費癖や 無思慮がいかなる内容 の ものであったのかを,彼
は説明 しない。 ウィカムはもともと牧師になるつ もりで勉強 をして きたのであるが,そ
れ をやめた理 由を聖職禄譲渡 に関わるダーシーの介入 に押 し 付 けている。 それ は表面的 に見て事実であるが,ウ
ィカムが牧師 になることを諦 めた内的葛藤 は一 切語 られていない。エ リザベスはウィカムの話 の虚構 で はないが,彼
に都合 のよい提示の仕方 に惑 わされているのである。 ウィカムの議論 は表層的であるし,エ
リザベスの受 け取 り方 も彼 の外見 に影響 されている。 ウィ カムはダーシーが 自分 に嫉妬 しているか らこそ,こ
んなにも自分 を酷 く扱 うのだ と言 う。 このよう にである。Had the late A/1r,Darcy liked lne less,his son lnight have borne with me betteri but his father's uncommon attachment to me,irritated hini l beheve very early in life,(71)
ここには一片の自己反省 もない し
,わ
れわれは少 し考 えれば彼 の説明には理屈が通 らない ことに気付 くので はないか。莫大な財産 を相続するダーシーが
,荘
園管理人 の息子 にそんなに嫉妬す る理由はどこに もないか らである。エ リザベ スが こんな簡単な理屈 に参 ってしまうのは
,単
純 にウィカムの愛想 の良 さやハ ンサムぶ りに夢中になっているか らであろう。 この場面で はウィカムの見か けの
良さを認 めるエ リザベスの姿が 目につ く。た とえばダーシーの人格 を攻撃す る時 のウィカムの姿 に,
エ リザベスは"[Elizabeth]thought him handsomer then ever,"(71)と い う具合いにうっ とりと して しまう。ダーシーの残酷 さが話題 になった時のエ リザベスはもっと面 白い反応 をす る。