Kobe Shoin Women’s University Repository
Title
エキュメニカル教会の 聖 典
サクラメントと宣教の使命
Author(s)
藤間 重義
Citation
研究紀要,第二号:23-40
Issue Date
1961
Resource Type
Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
URL
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サクラメントカル教会の聖典と宣教の使命
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と略称) は、今日のエキュメニカル・ム -ブメントに於いて、 杭極的に諸教会問の問題、 殊に﹁一致﹂の問題に就 いて、絶大なる指導力を発部しつ h ある。否、それのみに止まらず、世 ユナイテッド・ネ l シヨンズ 界平和、人間問題、等に対しても、国際連合、その他の世界大の国際組 織の巾で、強い発言の実続と指導性とを保持している。世界教会協議会 の、乙の織な働きは、確かに、現代世界の中にあって、この世に奉仕 し、叉、附の倫四性 e一位向揚し、精神生活の基盤を喪失しっ、ある現代人 の内面深く立ち入って、そこに、神の愛による精神生前の中心を恢彼せ しめよ・コとするところの、教会本米の使命を果たそうとするものでゐ る 。 しかし乍ら、その様な積極的な町界教会協議会の働きを認めるに寄か ではないとしても、猶、その枇界教会協議会が、所前﹁エキュメニカル 教会﹂とは興るものであって、﹁た Y われわれが現在有すると ζ ろ の 一 致を表明し、教会自体がそれによって一一仰の一致へ向つての努力守する藤
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噌 1 ﹄ 日 作 ζ とが出米ると乙ろの手段を準備するにけのものである﹂(註一) という 点を無視することは許ヨれない。 教会が主イエスの御言葉に忠実であろうとする限り、﹁キリストの休な る 教 会 ﹂ (寸志 q巳 ぞ
U 斗 oqRb 寸 b b w h 守 斗 右 中 川 R R y d q h p ) ( 註 一 一 ) を 分 つ お たものでめると乙ろの﹁分離﹂の状態に止まっているべきではないので 一万、教会が此に辿わされたものとして、積部的にこの悦に あ る 。 叉 、 於ける仰の﹁白同一教﹂の御業を遂行しようとするならば、現代世界という 日大な、而も、反宗教的な . m 京 市 政 に 充 ち て い る も の の 中 に 在 っ て 、 ﹁ 分 離 ﹂ がどれ程非効果的な鮎川市を斑らすか、ということを身をもって体験し、 ﹁唯一の虫なる瞥公的教会﹂(
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を災 現する実存論的希望として把川抗するのである。 ζ ¥ -で﹁エキュメニカル教会﹂というのは、諸教会が主イエス・キリ ストの体として瓦の一致を恢復した状態、即ち、m
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はどの様な見地からどの様に執行されるか、又、型 、 、ぞ保持すべきか、等々の市一要な問題が在在しておっ Jr{~ 位 ( 同 庁 日 吋 の げ て ) て、アムステルダム及びエヴァンストンの二つの限界教会協議会の大会 を経に今日も、﹁いい何﹂と﹁職制﹂ に関する研究が真拍子に進められている 状況である。従って本研究がエキュメニカルな論争の巾の一つのな見と して取上げられ、 乙れに対する反対論ルよって教えられるととぞ願うも の で あ る 。 尚、木研究の洗礼に関する部分の要旨は、過日(昭和川川五年十一月四日)、日 本宗教学会第十九同学術大会の席上で発表したものである。 設 ( 一 ) 、
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に よれば、二十数次に亘って開催されたとれらの側々の﹁エキュメニカル・シ f ノッド﹂についての僅かな記録を見出し得るのであるが、 S-C ニ i ル 主 教 編纂による﹁エキュメニカル・ム l ブメントの殿山火﹂に於いては、﹁ニケア 会 議 ﹂ ( 一 三 一 年 ) ﹁ コ ン ス タ ン チ ノ l プ ル 会 議 ( 三 八 一 日5
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及び﹁カルセド ン 会 議 ( 四 五 一 月 ) ﹂ の 閉 会 議 を 挙 げ て い る 。 叉 、 新 約 別 + 一 部 の 中 で は 、 一 五 筒 一 的 に 使 則 さ れ て い て 、 そ の 巾 一 一 同 が ﹁ 批 界 ﹂ と い う 意 味 に 用 い ら れ て い る 。 そして、私が此処で WCC との対比に於いてエキュメニカル教会と一瓦う場合 には、地上の消教会がキリストの召しに応えるべく一致した批判合のそれを一五五 の で あ る 。 即 ち 、 WCC の場合、それは、まだそこに参加する沼教会が夫々の 伝統、教頭、組織等を保持しつ h 、五いに協力し合うという状況に止まるので ある。しかし、と h で云うエキュメニカル教会は全ての地上の秘教会の合同せ るものにしで、従米の税数派、旅教会の伝統、教理、組織の中の不可欠のもの は全て新しい教会のそれとして形成されて行くのである。しかし午ら、﹁地k
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教会という点に於いて、俗仰の告白と虫魚への参与とによって その成員とされつ﹀も別、時伐の制約の仰に鎖されている人間の集り、という 点に於いて、同仰の国、唯一の教会の採泌を絞かれてはいるが、仙仰の悶、附一の 教会と全く同一であるとは云いねないものである。航、終末の時、仰の悶が他 のところではなくて、地上のものではあるけれども ζ のと ζ ろに於いて発現さ れるのであって、その仰の悶到来の福音を積械的に批に刊し、且つ、使徒迷以 来神の教会が担って来たと ζ ろの立教の使命を栄にし、 4 批に巡わされに似従と しての職能を川市たすものでなければならない。、一
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の使命の再認識
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最近のエキコメニカル・ム!ブメントの動向l
d 斗 ・ 9 白 飢餓と枯渇の襲い来る砂漠の中に於いて、アブラハム、イサク、或は ヤコプ、更にはモ1
セを通して、仰とのの。︿何回目百件に住きるものされ たと乙ろのイスラエルは、住得的に由民教の民であった。彼等は、その赴 ︿と乙ろガナンの地に於いて、或はパピロンに於いて、戒は泣く紅海を 距てたエヂプトのパロの王宮に於いて、彼らを回一品し、守り給うところ、 ,
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ら弘 y n 汗斗白山辛口山としてのは識ぞもっていた からに他ならはいよ抗一) キリストの教会も父、主イ エスが批初の使従ぞ召し、一制背を円以べ伝えるべく世に泊わし給・コて以 新しきイスラエルと称せられるところの、 米 、 教 会 は 穴 教 の 共 同 体 富 山 印 師 向 。 思 想g
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註一ニ)近代に於いては、宣 教師の派出による海外伝道が教会にとって躍動的な生命をもって革新を 迫ることとなったし、更には又、伝道地に於ける教派主義の宣教の害毒 を・討をもって感じとったところの穴教師連の超教派的(吉昨日仏ゆロO
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な協議会(註問)を住み出す乙ととなり、所剤、 カル・ム!ブメントとして、古い教会に向って、その絶望的の状況 の 凡 ゆ る 万 耐 に 一 日 一 る 真 剣 な 再 検 討 の 必 . 裂 を 何 伊 丹 目 。 白 色 ) エ キ ュ メ ニ ( Y O 同 町 ロ ロ m 明日目0
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十二月にはニューデリーに於いてその第三回目の大会をもっ乙 ととはっている、. w
-に は バ 入 、 市︿小 r ⋮れのれ以ヨハネスお仰と限公会力ン タベリ!大主教フイッシャ l 同士が、昨年十二月初旬にロ l マで会決し た の で ん 一 る 。 乙の聞の粁過については、 現 一 釈 で は 衆 知 の こ と と ・ 々 っ て い と乙んが、批近には るので、敢えてこ h で 川 述 ず る 必 . 必 は 認 め ら れ な い 。 っ て 、 乙 のw m
動の巾で従米考えられて楽にと乙んのものに加えて、今 一つの強制点が指摘されることとなり、乙のエキュメニカル・ム l プメ ントは教派主義を超克するということとは別な栂野に於いて荒川怖され ることとなった。 乙の践に、新しい細野即ち、教会本米の使命の円認識という制野から 眺 め る と き 、 乙のエキュメニカル・ム!ブメントが持つと乙ろの役割は 町側めて大主いのであって、それは、H
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マーもその前倒の中で特 に強制しているのである。(註六) し か し 、 このことは、実は一九五五年 十二月戸、米国オハイオ州アセンスで学位伝道出動 ( 註 七 ) の総会が開 かれて、穴教というす一助から川界並に教会そのものに就いて再検討が試 みられた時に始まると考えられる。 す な わ ち 、 この学位伝道辿動の指導 者連の訟凶は、教会の使命に新しい時代が米ていること、 界に於げる社会変革と和解の立味、 及び、現代批 と ぞ . 拘 認 識 せ し め よ ・ つ と い う 点 に め っ た の で め る 。 それはやがて翌一九五六年夏、ドイツのトッツインク ( 、 H,E
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ロ ぬ ) で聞かれたWSCF
( 註 八 ) の総会や締て、﹁教会の生命と使 の 研 究 明 州 国 と し て 捉 一 部 さ れ る こ と と な っ に 。 ( 註 九 ) こ のLMC
の問題こそ、現代社会に於ける奉仕者w
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世 ( 弐 o q h z n ) に仕え ( ? A R c s t ) て行くべき、教会本米の││宗教の 民であるものとしてのI l
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忠誠奇恢促せしめるものである、と一五わねばな ら ぬ 。 円九教という立場に立って眺める時、過去の教会が ﹁召し集められたも の﹂ヰザ刷、 h R y d 2 . h H ( 註 一
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の 面 を 強 調 し 、 ﹁その成員相五並にキリス ト と の 交 り ﹂ 崎 、 4 R D F て e t h Q にも熱心ではあったとしても、教会のも・コ ( 註 十 一 ) であるところの ﹁海外に離故せる神の民イスラエル﹂ つ の 面 ι ザ 旬 F R qき も
h h ( 註十二) の異教社会に於いて果たしたところの古教と事 仕の働きを見過しにして来たのではないか、 という反省を促す乙とにな っ た の で あ る 。 斯くて、キリストは単に教会の主であり給うのみならず、世に対して 主 わ み も、地の械に迄も主であり給うというキリストの主権Q
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についての再認識が呼び覚まされることとなったのである。 レ ド l フ オ ル ム 乙れは、教会がいい仰杓臼の定形を形成した時以来、教会の成員一人々 々によって、礼拝の皮侍に、表明され続けて来たと ζ ろのものでゐり、n H
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とを同格語で表現し、 キリストは神 以下のものでは芯く、叉、神以外のものでもなく、神の独子はとりもな おさず神自身に他ならないことを信ずる旨の表明をするのである。 ( 註 十 四 ) 従 っ て 、p
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ブメント、殊に、令同防護の問題は、第二次山 界大戦中に於ける信徒としての生活の継続という立場から、牧会上の宮︿ 際的な経験を通して深められ、 教えられると乙 ろが少なくなかった。(註十五) と 発 こ 民 ろ-ぜ カ人し 、 め 牧 ら 会 れ と 、 宜n
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制 l乙 立 ・3 て 考 え る 時 、 第二次大戦は、今一つのもの!家の教会ーを提示したのであ る 。 ハンス・ウエl パ lは次の様に云う。 ﹁戦争の災害によって教会の組物を失ったり、 全体主義的な国家にゐ る教会で、その建物や制度を捨でなければならない窮地に陥った信徒 た ち は 、 r はからずも、そのことによって、教会の控物や組織制度をす べて失った後も、なお自分たちが教会であることを発見したのであ る。初代の教会が建物ぞ持たず、信徒の家で集会を持っていたことを 如実に描いて見せるには突に世かな組像力を必要とする。乙の集まり は﹃家の集会﹄と呼ばれたよ(註十六) 彼は又、﹁家の教会の概念を神学的に発見することは、われわれの悦代 の負っている最も霊大な任務である。私は教会の細胞組織が教会の生 命を守るために再認される時が必、ず来ると信じている。﹂ というジョン・A
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・ロビンソン博士の一百葉を引用しながら英悶教 会 リ 1 ズのハルトン教区、 スコットランド同教会、その他フランス、・ス - 26ーイス、ドイツのエウァンゲリッシエ・
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力 デ ミ 1 叩 に 於 い て 行 h はわれつ h ゐる家のれへ五、平打川従迎動について述べている。(日十七) そして、今や乙の家の教会に関する研究は聞論的にも、尖践的にも、 各万一期から多段に一立って進められつ冶あるのであるが、私は、 この家の 教会が仰学的にも実践的にも、 エキュメニカル・ム 1 プ メ ン ト の 必 現 性 を一見に強く認識せしめる一役割を川市すものであると考える。更には、私 は、過去半川紀に亘るエキュメニカル・ムi
ブメントが、﹁共に留まる﹂ の 段( m
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伺吋)(註十八)から﹁共に成長する﹂閃吋0
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階を経て、(註十九)﹁みんなのものが一つとなるように﹂というイエスの の実現を願うべきであり、その意味に於いては、﹁現在のエH E
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的 汁 l 言(註二十) キュメニカル迎動は最早や なものとって来つ﹀ある﹂という北川台輔民の﹁テオ ロギア・エキュメニガ﹂に於ける表現は、(註二十二)最近のエキュメニ カル・ム l ブ メ ン ト に 対 す る 最 も 適 切 な 呼 称 で あ る ζ とぞ認めなければ ︻ 凶 σロO
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ロ 包 ならないと考えるものである。 註 (一)問。σ
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︹ 二 ) 戸 F H O R ( 一 二 ) k r n F 広 三 (四)北川台輔﹁現代エキュメニカル巡動の史的究明﹂九福田教授記念論文集﹁テ オロギア・エキュメニカ﹂一九五八年、ニ O 六 頁 ) ( 五 ) I ・ M ・ C-というのは、国際貫教師会議Q
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ロ 由 民 Oロ 回 目 富 山 田 曲 目 。 ロ 田 口 1g
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骨 ) の 略 で あ り 、 明 回 目 昨 日 回 目 ロ 品 。 丘 町 可 は ﹁ 職 制 会 議 ﹂ 、E
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は﹁生活と事業会議﹂として、夫々の問題を検討して来たのであって、 乙れらは、国際 YMCA 、国際 YWCA を加えて WCC の中心同体となってい るっそω
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円与え ω 0 5 7 2 2 と に 於 い て 説 明 し た と こ ろ で あ る 。 . 帥 州 、 叫 削 夫 参 照 。 附 ー は 一 九 一 C 年より ω 動 向 を 一 示 し 、 附 災 2 は W C C ω 尚仰 を 一 不 す 。 (六﹀へンドリック・クレ ! ? 1 は、彼の鴻a M
﹁ 判 明 代 沢 川 介 に 於 け る 応 粁 教 の 使 命 ﹂ ( 一 九 六 O 年十月二十日、於関西学院大学ラムバス・チャペル)の巾で、﹁現 代世界に於いてなされているプロテスタント諸教会に在自の怠味を与え、民っ、 希望を与えるものが、乙のエキュメニカル・ム l プメントであり、川中に教会の 一致について詰るのみではなくて、具体的な現代の教会の問山を実際に即して 取扱って行くところのほ界教会協議会の仔布意義は部側めて虫大であるはと述べ て い る 。 (七)との学生伝道運動は通常 S-v-M ・ と 呼 ば れ て い る 。 そ れ は 、 ωgp 三 J10 ︼ ロ ロg
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自己の附祢である。主として学住迷を外国'司教師として献 身させる乙とを目的として北米で創始された悲背者学生伝道である。叉、﹁月 r 生伝道巡動﹂という訳語を用いると、 S-v-M ・のもつ性格や活動状況等と 異ったものを感ぜしめるのではないかと危倶するのであるが、﹁教会の生命と使 命﹂委員会編集の季刊﹁学生キリスト者﹂第一号以来、既に我国では広く用い られているので、この訳語を用いることにした。唯、乙の学生伝道巡動が教会 や教団の上回部から命令降下的に伝達され、進められて行くものではなくて、 どこ迄も学生の主体的自己奉献的な巡動である乙とを忘れてはならない。 ( 八 ) 叫 ,g
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件 。 官 山 田 氏 自 -吉 田 o n U 同 日 o p ︿ 悶 界 学 生 基 智 者 述 間 以 ) の 略称。今日迄のエキュメニカル・ム l ブメントに於いて指導的伝役割を聞出した 人々の殆んど全部がこの WSCF の指導者として、戒はメンバーとしてぺ活似 した人々であり、神学的には WCC よりも透かにラディカルな立場をとり、川市 にエキュメニカル・ム l ブメントの実践両に於ける倣巡力的役割を果して来て 、 , ﹀ 。 . , U w -, ( 九 ) 、 ↓H 吋 = , d y 宮 但 口 内 砂 印g
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凶 弘 山 。 ロ 。 え 同 仲 § F 柑 の } F 吉 凶 話 ロR
吋 円 忌 y の 研 究 制 梨 州 川 泌 出 は 、 之 を 第 一 段 附 と して、)九五八年から一九六三年迄の間に、 WSCF の立案せる研究と教育ゆ 弘一、一4 1 i l e i -4 1 3 プログラムに従って研究し、新しい裂の伝道を進めて行くために熱心に検討会 れ つ ﹄ あ る の で あ る 。 ( 一 O ) 国
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マは、キリスト教会に於いて伝統的に﹁教会﹂の原認として 用いられて来た。しかし、 ζ の 語 は 、 元 来 、 担 ぬ 即 答 開 円 山 口 向 。 同 n 法 制 問 g n 回 目 日 町 内 凶 O三 崎 吋 035 即 日 門 出 0 5 8 山 口 同 0 8 5 0 ℃ ロ 宮 山 口 H U 目 白 n o と か 、 同 ロ 曲 目 凹 曲 目 立 町 O同 岱 伺 ︼U m O H M -o と し て 用 い ら れ て い た が 、 七 十 、 人 以 で は カ ハ ル ( ﹀ 的 回 開 gg 可 丘 町 ﹃ 白 色 ) の 訳 語 と し て 則 い ら れ 、 ( 官 仏 m g -N Z 旬 。 可 o p N U ・ a n ) 、 叉 、 ﹁ 単 な る 人 の 集 り ﹂ として(﹀ n g H U U 同)に用いられ、キリスト教的な意味で用いられる場合には、 同 ロ 回 曲 目 即 日 巴 可 え n y 江 田 氏 自 目 的 M W P R a 沙 門 者 D E E M u -白 n o s u g 可 。 同 n y ユ 凹 l d 間 口 ♂ 4 y o y o u 山 口 岡 崎 O 円 。 件 。 円 ロ 曲 目 凹 M H H 4 田 - 民 Oロ 吾 円 o c m y H 四 回 口 問 。 M M 岡 山 田 F O げ 田 町 一 円 3 3 仲 げ 包 吋 O 唱 ロ 吋 即 日 向 日 0ロ 凶 円 山 仲 町 田 げ O目 白 5 0 山 吋 O唱 ロ 日 ロ 包 oggg 件 宮 間 回 ・ 等 の 怠 味 に 用 い ら れ て 来 た の で あ る 。 ( 十 一 ) H ・ R -ウ エ l パ l は彼の論文J
, F 刊 の E g n g ユ 帥 片 付 回 D 出 k r p 何 百 ロ t 的 自 民 札 口 向 。 日 g R Y H U 勾 ・ 3 の中で教会には﹁集会﹂と﹁総数﹂の二つの容夜形成 があることを指摘している。(竹中正夫訳﹁信徒・教会・社会﹂昭和三十四年九 月、新教出版社、十九真。) ( 十 一 戸 ﹀ i N 日F
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-は元来﹁離散にk
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世 叶 作 品 江 口 明 、 盟 国 M M 白 円 払 O ロ ・ ν と択すべき 女性名詞であるが、七十人釈の中で(例えば申命記廿八)外国人間に隙哉さる イ ス ラ エ ル 人 達 ( 叫 , y o u g o -u g U 2 3 5 円 四 同 日 。 ロ 的 同 O 吋 冊 目 的 ロ ロ 田 氏 。 ロ 回 ) の 意 味 に 用 い ら れ 、 ﹁ 呉 邦 人 の 中 に 放 っ た ユ ダ ヤ 人 ク リ ス チ ャ ン ﹂ ( の 伊 ユ 先 日 自 国 一 一 ﹄ 虫 色 田 町 H m u v ユ 印 広 告 ) 一 回 n a g g 向 島 g 包即日 o ロ m H V 冊 。 ggg( ペテロ前審一章一節等) の 意 味 に 転 用 さ れ た 冒 も の で あ る 。 従って、杉間六一氏がその者﹁隊散のユダヤ人﹂一一兵の註の中で﹁﹁デアスポ 、 、 、 、 、 ラ﹂とは、ギリシア諮問E
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弐えであまねく散るの意味であるる。云々﹂と記 しておられるのは誤りであって d ﹁離散﹂という名詞として択すべきである。 悶みに d ﹁ あ ま ね く 散 る ﹂ ( 同 OR 回 得 。 門 知 げ 円 o b p a 6 R g ) という意味κ
訳さお るのは勤前田E
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きど苦となる。)からの訳 語として見なければならぬ。叉、半m
元夫教授は、﹁キリスト教を死滅から救っ て世界宗教へ司仰反させた力は、グレコ・ロ!?ン世界の各地に散布し、自由な ギリシャ文化に伝じんでいた ? g 札 。 百 九 を 背 日 以 と す る 回 開 芯 g n v ユ 帥 Z ロ ZS の 発 岡 山 で あ る ﹁ と い う 見 解 か ら 詳 細 に 一 日 一 っ て 、 こ の 間 R R q 司 。 百 九 な る も の の 検 討 令 加 え て お ら れ る 。 ︿ ﹁ 原 始 キ リ ス ト 教 史 ﹂ ア テ ネ 新 者 一 O 七、間和三五年七月、弘 文 堂 一 二 民 以 下 ) 。 ( 十 一 二 ) 使 徒 信 経 よ り 。 ( 十 四 ) 関 同 ユ 切 R S H A υ z a o i u 日 開 国E
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曲 目 ロ 色 白 印 ﹀ 旬 。 凹 件 。 ロ 各 自 白 血 ロ σ 由 同 回 目 げ 叩 } 8 ロ ロ 宮 町 田 凹 ・58
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・ 関 口 話 回 仲 田 ・ ∞ ・ 回 目 ・ (十五)拙論、﹁陶インドに於ける教会合同の経過とその間制﹂、(﹁立教大学神学 年報﹂第況号、五四民以下) ( 十 六 ) 出 - M N ・ 4 ︿ 号 R ・8
・ n F H J g p ( 十 七 ) 同 σ 広 ・ H J E 同 ・ (十八)一九四八年、アムステルダムに於いて開催おれた枇界教会協議会は、 乙 の 主 泌 を も っ て . 町 民 に 深 い 一 致 へ の 理 解 を す る 乙 と が 議 せ ら れ た 。 (十九)一九五四年、ェヴ 7 ンストンに於いて閉山慨された世界教会協議会では、 エキュメニカルな活動、教会一致への前進の椋諮として﹁共に生長する﹂を選 レ J 旬 。 p ' ' ふ 干 l ・ ( 二 十 ﹀ ( 一 一 一 ) 28 -い す } 同 局 -H 斗 己 北川台純前掲論文、二 O 六 民 主 下 。British Organization World Organization
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サクラメント エ キ ュ メ ニ カ ル 教 会 の 堅 実 に つ い て たとえデアスポラとしての面を持つとしても、猶、神の一一凶に よって召されたところの神の民であることを意識するならば、 教 会 が 、 当然神の 言なるキリストに服従するということが要求される。 キリストに服従す る と い 切 っ 乙 と は 、 キ リ ス ト の 福 音 、 即 ち 、 キリストの中に於いて命じっ - h 、ゆるしつ h 迫り来ると ζ ろの神は実は我らの友であるのピという喜 ぴの音便を受容れることに他ならない。而もこの福音は教会に於いて神 の 一 一 一 回 へ の 教 会 の 奉 仕 に よ っ て 人 間 に 伝 え ら れ る 。 ζ の福音伝達にはニつ の仕方があり、その一つは口でする宣ベ伝えであり、今一つは堅実であ る。そして ζ れらニつの方法は聖霊が人聞に働く為の手段であると去わ れている。(註一)そしてアングリカン・コムミユニオン之他の教会との 筏 ね h切 に つ い て 考 慮 さ れ る 時 、
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ムベス四綱領︿註ニ)に於h
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一 部 さ れ 一 る洗礼と聖護との三者をもって聖奨と考えられて来た。 も ち ろ ん 、 乙の二つのものをもって聖集と考えることに対する反対は それぞれの教会の伝統の中から起って来る。ローマ・カトリック教会の 如、きは、洗礼・堅信・祭檀あるいは聖体の秘蹟・悔俊・終油・口問級およ び婚姻の七秘蹟をもって聖誕なりと考えるのである。乙れら七つの秘蹟 と称せられるものは人間が住まれるから墓場に至るまでの日常生活と、 教会の礼拝を過して自覚せしめられるところの霊的住活との結合を示そ うとするものである。しかも、一部のプロテスタント教会に於いても、 洗礼と聖餐の型奨以外のもの││堅信・悔俊・婚姻等l
ーをも聖誕とし 日 目 l u ? , て 執 行 し て い る の で あ る 。 ( 註 一 ニ ) そ し て 、 ローマ・カトリック教会では これらの一つ一つの聖誕が、 それぞれ聖書の本文によってその正当性を 一説付けることが出来ることを主張しようとするのであるが、 いわゆる小 聖奨の五つの秘践に関してロ l マ・カトリック教会の主張する問題点に つ い て は 、 聖書の本文によっては少しも明らかにされないのである。 ( 註 四 ) し る レ そもそも型奨は神が人間に与える誌なる恩恵の徴証であって ( 註 五 ) 自に見ゆる外の徴証としての人間の具体的な行動と、盤なる内の恩恵と しての仰の言が超一泡する場所である。従って、人間の信仰的な認識に基 づく主体的な参与と服従とが.袋求されるのである。 そ れ は 、 ﹁ キ リ ス ト の 中における仲の行動が特定の住ける歴史の中において働く﹂ と こ ろ の 、 - 30一
即ち﹁抑の言が象徴的な行為の中で特定の人間に、今、乙、で可見的に 与えられる﹂と乙ろの、ゐの場所である J (註六﹀換言すれば、盟実の中 に於いて、人聞は、型書脅迫して聞く,ところの神の言吾、人格的な応答, 関係に立って﹁我﹂と﹁汝﹂という立場から理解せしめられるのであ る o それ故、器開は、神の言を川綜の対称として考える立場からは白川 することは出来ないのでめって、信仰的な実存の中に於いて始めて現実 に体験せられる出米事なのでめる。そして叉、教会がキリストとの交わ りを強制し、彼の主粧を証することを願うのであれば、当然、神の恩恵 の賜であるところの聖誕を感謝して受けることとなる。それ故に叉、教 会に於ける型奨の権威も大いなるものが賦与されるのであるが、それに も拘わらず、仰の言を超える椛能は盟実には与えられない。何となれ ば、神の一一一同なくしては、人間の主体的な参与をひき出す召命も、神の御3JV7rhL. サ
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H U ﹀ 区 本 山 川 正 参 ト リ 之 い う 川 叫 ん μ、 そ れ は 、 -s / H H . u 一 t a i s d 一尚々々、人間の決断在地 る 仰 の 一 z川に対する人間の応特と似従としての行為でゐり、十平烈上より めの赦しの首に対する感謝と時悦とから発する 呼びかける主イエスの、 行為である。而も、ゐの﹁一度限り、全てのもののために﹂十字架上に 腕界の血を流したと ζ ろの主イエスは、 個々の聖誕の中に於いて、 鹿 史 的な存在でゐる人間と、 主 体 的 、 人格的な出会いを持つのである。そし f 、 、 中 山 川 山 中 ﹂ 阜 、-fJ31
この人杭的な趨垣の場 ψ管制に捉供すべく型奨を執行する教 会の成員となるための決断の表明であり、 聖 餐 は 、 又、教会の中で、神 の言即ち主イエスと、叉、キリストに在って人格的な主体とされている ことを自覚する人々、 との、交わりぞ具体的に享受するものであると云 うべきである。 これら洗礼と聖餐の聖奨は、 両 者 共 に 、 主イエスの十字 架の死と魁りに直結するのであるし、(註入)既に述べた如く、ラムベス 四綱領の中でも、ローマ・カトリック教会に於いても、その他、プロテ スタント教会に於いても、等しく、 乙の同者冶、﹁主イエス自ら設立し給 うたところの型奨﹂として武視するのである。しかし、ラムベス四綱制 を中心としてなぢれる聖公会側からのエキュメニカル・ム l ブメンに対 する主張は、史に乙の問制制にのみ止まっているのではなくて、聖誕に 関してだけでも、﹁いわゆる小型鈴並に型髭式礼拝の稿文的形式等に関す る条件は詑却せられたのではなくて、将米の協議の際者一服されるべ与も のである OL と述べられている。(註九) 叉、カンタベリーとヨ l クの聖職議会によって一九五五年に承認され.
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市インド教会がその門的統︺と配/けれ 立にその問坑一的佐伯に於い て 成 H討したことは悦う乙とが山米江い。持続性ど一世の紳として、抑 の教会における主投肌に関する抑制は次仰にい川まって米ている。ま に、たとえば、叩一括式、洗礼式および抜手式のために教会議会によっ て先行された礼拝式文に現われているように、礼 M H式文による礼作る 引き続きひろまって来ている。また主教によって執行される抜手式も 附加して米ている。 この以以後の点に閲しては、南インド教会の法山で は義務でないとされた制度がその本来の真加とアッピールのために、 従来なじみのなかった所で次第に使われている例であるは位十) ‘ n コ L Z I --シ E L そして 1 われわれは、十九批判米則により半川紹に一日一る協議の末に認円 。
在決して新しい教会実現の歩を踏み出しに市インド教会の中に、大いな る勝利を見るのである。彼等は新しい教会が型一訟の噂きや}受けているこ とを極め丸加釘的に把握していたのであり、(註十一)長年月の一致への 努力によって、 主に在りて一つなる教会を紋の地に実現する乙ととなっ た の で あ る 。 斯 く て 、コ
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L 土 、 J A q J 4・ 4 n q A A q t g エキコメニカルな論争、殊に型換に関してのエ キュメニカルな討議の中で、 いわゆるニ大聖誕の執行に就いては紙く少 数の反対令除いて、殆んどどの教会も充分に理解し合うことが可能であ るし、乙の点に就いての一致の可能性を雨インド教会は明らかに立証し ていることを見るのである。従って、エキュメニカル教会に於ける昭一銭 は、﹁キリスト肘全てのもののために死んで魁り給うたが故に、全ての ものが死んで匙って下さった万のために佳品目る﹂ためのものとして、 -、1 (註十二)肉によるキリスト即ち踏史的なイエスの根戚ではなくて、﹁天 に昇りて全能の父なる仰の右に坐し給うた﹂
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型 4 1 H 即ち 福音の説教と借に執行されなければならないのであって、(註十三) 時 ! 弘l 的な話教会に於いて、天に昇り給うた主が、 聖書の中で雌史的人間に的 りかけながら洗礼と型餐の二型奨に就いての権威を示し給うたものとし て執行主れなければならないのでゐる。 それは、 と り も な お さ ず 、 原始教会から承け継ぎ来ったところのg
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の要素は、エキュメニカル教会に於いて も亦当然-正当に承け継がれるべきでゐって、教会にとっての本質的な脳 物が同致とりつ乙とのために失なわれではならない、、という主張に他な らないのである。 エキュメニカル教会が、附に於けるキリストの主根 e信託しするもので あるならば、それは当然、福音日教の御業を継承するという使従的事業 と椛戚地に臓能を継品市するものであらねばならない。そして又、 メニカル教会に於ける型奨は当然、枇界の主に在しますと乙ろのキリス トの現臨を具体的な教会の交わりの中で読し、この交りがあの自ロの門 i エ キ ュ0
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の中で体験せしめるものとして執行され、H
つ 受 取られなければならないのである。 ( イ ) 洗 題 T ト u + 小 ・ の 川 吋 メムパ l 従米キリスト教の教会に於いてその成氏となる際には何らかの形のパ プテスマが必要であるとされて米た。その形式は夫々の教会に於いてま ちまちであったとしても、バプテスマに五る前段階として、 ナザレのイ エスを自分の主なりと告白するところのいい仰を有つべきことが要求され キリストの教会が、イエス・キリストの召しに応じて制苛 立教の使命を附に在って県すものであるならば、﹁イエスは主なり﹂と告 る の で あ る 。 自するところの信仰をもたずしてその成員となり、 世に対する主の使命 のために奉仕するということは全く無訟味である。それに反して、川新 約型訴を通して啓一一小せられる仰の数出の御業をいじ、自ら進んでその信 仰を告白するものであれば何人と雌も m その成員たるの資絡を賦与ぢれ るも可なりと考えられる。 - 32ー し か し 乍 ら 、 乙の信仰行自をv M
犯とする洗礼の問凶は、 ' m 町、ノ h じ I U e 命 f J Z 、 G V U ' F カ イ ー 効であるか、無効であるかを決定し、更には形式即ち没礼か,柄引山かはと 信仰告白を自分自身の作' H
として主体的に行い得ないとこ 年少者に対してなされるいわゆる幼児洗礼の可否についての も 角 と し て 、 ろ の 嬰 児 、 激しい論争を惹起することになるのである。(註十四﹀そして、 乙の問題 キリスト教会へ入会のための洗礼は果して必裂なりや、或は 不要なるか、という意見告も導き出す乙とになるのである。しかし、洗 礼を割礼同様の死せる儀文と見倣して不要と考える無教会派やその他の 一、二の特殊な場合を除いては、キリスト教会では、それがどれ程自由 は、 突 に 、なな識をもっ教会であろうとも、的んど全ての数人誌に於いて、何らかの 形で洗礼の型奨が執行されており、その型奨ぞ受けた者のみが、その教 会の正式の成員として登録されているのである。 われわれは、あの新約聖書に於いて用いられている
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吋 S が﹁締 り返し浸す﹂という認識をもっている乙とを知っている。共観福音書に 於いても文、洗礼者ヨハネが施こし、ヨハネからイエス自身が受けたと ころの洗礼は、正レく全身を水に浸す洗礼であったことを明らかにす る。このヨハネの洗礼とイエスの受洗とは当然、キリスト・イエスが背 らし、原始キリスト教の教会が行っている洗礼と関係づけて考えられな 乙の点に就いてヨハネによる福音者全体を良いて﹁水﹂ ければならない。 に対する注目すべ主関心があることを覗い知るのである。(註十五) ヨハネ伝一章一九節よりニ八節に至る記事によれば、ユダヤ人達は、 祭司たちとレピ人たちとを洗礼者のもとに遣わした。 この代表団の構成 から凡て、そこに宗教的儀礼としてのな味が合まれていることが自ら明 らかでゐる。この代表団は、礼拝についての専門家から成っているので あって、洗礼者ヨハネは、後になってからイエスの受沈に際して起った 乙とを報告し、そのことに基づいてイエスに向ってE
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ヒ﹂(枇の罪を取去る者である抑の小 羊)と去現するのである。このことは、イエの受抗の中に、キリスト教 の教会に於いて聖誕として、 ζ の洗礼が行なわれることのな味を包合し ているのであり、又、同時に、イエスの受沈が、キリスト教に於ける沈 礼の史的器拡を与えることにもなるのである。それはとりもなおさず、 すべての洗礼の泣味がイエス自身の人格の中に充たされているという思 組 で あ る 。 御 h n 身の死をもって、 自分自身の住命ぞ他 イ エ ス は 、R
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ち 人の界の赦しのために献げることによって、ハ凡なる仰の嗣子であること の目印としての洗礼を倒的し給うたのでる。 正しく、イエスの洗礼は、ユダヤの改京洗礼の習慣に従っておつにと ころのヨハ、不の沈礼の形式告とったとしても、全く質の拠ったものでめ った。乙れはヨハネ自身のメッセージの百一一一向に於いて、彼が自ら施すと 乙ろの沈礼と、次の時代にやって来るキリストの沈礼との差異を説明し ている。即ち、﹁私はお前述の悔改めのために水でもって洗礼を施す。し かし、私よりも後でやって米る人は、私よりも能力ある万であって、私 はその万の靴をとるにも足らぬものでめるが、その万は洗礼をするのに 聖誕と火とを川いられるであろうよ(註十七)と。 乙の火が日以後の瀞判を立味し旨従って、 オ ス カ1
・ ク ル マ ン に よ れ ば 、 キリスドの資した沈 d U +也 、
j l ヨハネのそれの如き巾なる市倒的な、判的なものであるだけでは なくて、最後的な、それ故、 一川的なものであって、間接的に仰の凶に 導くものであるとする。一見に、﹁メシアによってな3
れる沈礼で武裂なこ 賜物でめった。そして、 これは現一山も尚実現されている終ボ論的な ζ の ・ 川 町 一 説 と い う 新 し い 賜 物 は 、 と は 、 昭 一 引 の 告 知 で あ っ た 。 ユダヤ教の改公 ヨハ、不の洗礼にもなかったものでゐり、︿土ての人に対する 型訟の発注は、キリストの魁り、彼の身体なる教会任前捉としておるの でゐって、キリスト教の洗礼は教会が引出の助所として組織された後に のみ可能でめるということに従うのである己と述べる。(註十人) 首UL
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v O J イ l しかし、バプテスマという出がイエスの死と関連するような取引刊の何 一 加 が め る か ら と 一 戸 つ て これらのマルコ伝十指三九郎等のパプ ( 託 十 九 ) 。ー、テスマという言葉を記述した著者連が、信ずる人々の洗礼を直接結び付 けたのかどうかは不明である。 叉、死と全く同様に誕住にも関連してい るということも考えられる。それのみならず、われわれが新約史書を獅 くとき、洗礼に関して非常に岡山った業々のな味のあることを知らしめら れ る の で ゐ る 。 即 ち 、 ﹁ 洗 い ﹂ 、 ﹁ 静 め い y ﹁罪の赦し﹂、﹁盟主の賜物の附 加﹂、或は﹁新しい誕生﹂、﹁.再生の洗い﹂、更には、﹁キリストを衣る﹂、 ﹁キリストと共に死に、また魁る﹂、等々の怒味が既に述べた﹁繰り返し そ 浸 し す -r [_ ¥ と
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1. て) て ↓ は枚挙にいとまがない。それ故、これらの中からた Y 一つのものを抽出 して、一つの即論を発民させ、仙のものを一切排除してこれだけが新約 史書の洗礼に関する観点であるとする主張は誤りである。 ともあれ、洗礼は、神の民としてのキリストに在る新しき生命と交わ りの巾に入るための儀式である乙とは否めなわ。しかも、 一度だけじか 受けない儀式であった ζ とは洗礼の特徴でもある。これに関して、背教 授は、次の様に云われるのである。﹁洗礼は、人聞に与えられたと乙ろの 仰の約束が、永遠に通川するものだという事を思い出させる。神は川仰の 約束のしるしを人聞の心と結びつけないで、水と結び付けた。それは洗 礼においては、人間のすべての決心や決断を超えて、舵神の意思と神の 忠みにのみよって無条件的に仰の約束が与えられるからである。神の全 くの好意によって神との交わりの巾に我々が取り入れられたという事が 洗礼の中で保証される。それ故に人間は洗礼が一間的で繰り返えされな いものであるからこそ、人間に与えられた仰の堅守じを確かめるととが出 来 る 。 ﹂ の で あ る と 。 従 っ て 、 洗 礼 は エキュメニカル教会に於いて、﹁人間のすべての決心 や決断を担えて﹂与えられ、神および神の民との交わりの中に召し出 し、神の民としての使命を担うことの究誓として一水け継がれなければな らないのである。そして、 乙の洗礼の形式についても、叉その解釈に閲 しでも、殆んど触れていないのであるけれども、 これらの問題に就いて 立 前 -h r 乙 ︿ レ ト 、 ,VF1J 人 p t ノ J クルマンの新約型書に基いての幼児洗礼をめぐる問問 の著述の他は見当らないし、 邦 文 の も の も 仰 か に 小 林 信 雄 教 授 の ﹁ 洗 礼 ι の他には、型古学的・神学的な立場からの研究がなされていないと いう今日の状況でもめるので、今後の研究を期さなければならない。し エキュメニカル教会の刑鎚として、乙の洗礼 という問題を考える時、我々が、部一に考慮しなければならぬ乙とは、 その解釈や執行の様式の一致を確保令することよりも、むしろ、神の民を すべて集めて、〆キリスドに布る抗仰の家族としての交わりを実現じよう とする熱意を高めることに関心を拾う乙とである。即ち、﹁全批界の人々 - 34ー か し 、 然 う は 一 五 う も の の 、 に洗礼を授ける﹂、(マタイ伝二九判事一九、二O
節)という、イエスが魁 ってまでも弟子迷に托し給うと乙ろの資教の使命を川市たすことに対して 誠実であるならば、お五いの問の多少の荒川山は問国になる筈がないので あ る 。 ( 註 一 一 一 ) 即 ち 、 ﹁ あ な た が た は み な 、 イエス・キリストにある信仰によって、抑 の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆 キリストを者たのである。もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴認 も自由人ーもなく、男も女もない。 hのなたがたば皆、キリスト J イ エ t ス にあって一つ
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からである。もしキリストのものでめるなら、あなたがた はアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。﹂(ガラテア 書三章二六!二九節)という、パウロの言葉が暗示するキリストの教団 の理組像が、コリント前書十ニ章の記述と共にエキュメニカル教会の在 る J べき盗として、我々の前に示されるのである。 ( ロ ) 聖餐
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て l乙 てコ 洗礼が、仰の恵みの約束と交わりの中に、入閣を召し出す事の保証で あるならば、型奨は、人間が、 乙の恵みの交わりから脱落する乙との無 い様に、乙の交わりの舟で、神によって支えられ、維持されていること の保証であると云うべきであろう。(註ニ二﹀ 教会の型奨として執行される聖餐は、イエスが弟子述と共にした最後 の晩餐にその起源を置いている。それ故、型餐式に於ける聖別の祈り コリント前香十二章、二三節以下の記事と関連するのである。乙の パウロのコリント前書の記事は、共観福音替の記事を一説付ける。(註二三) この資料については夫々の福音書記者が共に知っていた乙とは は、
そ し て 、 明らかであるが、新約聖書の木文について、今少し、検討を加えてみる 必 要 が あ る 。 五 五 年 以 コリント前書の著者がパウロであり、その著作の年代が、 後、五七年以前である乙とについては、今日では殆んど異論はない。 (註二四)従って、青年時代に、パウロの伝道旅行に同行したことのゐ る マ ル コ が 、 ( 註 二 五 ) 乙の手紙の記事を知っていた ζ とは当然と者えら られるのである。叉、 恐らく、仰向述の行.判的動と行を共にじていろ間 乙 十 品 、 彼らの証言を通して聞いていたであろうし、 マルコ伝十四市五 一、五ニの若者が、持者自身であり、 最後の晩餐の場所の捉供者の緑有 で あ る 、 という点について考えるならば、 仰 え , P、
命 制 ・ J e ム この最後の晩餐につい て熟知していたことは疑いない事実である。 そ し て 、 当 然 の 乙 と 乍 ら 、 マルコ伝を参照したところの他の共観福音訴の巾K
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じ記事が取入れら れたのであると考えられるのである。(註二六) そ れ 故 、 乙れら共観福背書記者は、 忠実に、﹁一同が食事をしてい る 時 、 イエスはパンを取り、 祝福して ζ れぞきき、弟子に与えて云わ れ た 、 ﹃ 取 れ 、 乙れは私のからだである。﹄まに杯奇取り、 感謝して彼ら に 与 え ら れ る と 、 一同はその杯から飲んピ。 イエスはまた云われた。 ﹃乙れは多くの人のために流すわたしの契約の血である。 ル わ 三 こ f こa
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カ f e によく云って置く。神の国で新しく飲むその日までは、わたしは決し て二度とぶどうの突から造ったものを飲むことをしない。﹄﹂(註二七) の句を、夫々の福背者の中に写し出す。 その中で、さ字。仙 q コ ヒ 斗 vqbh6REC 及び、斗忠之守コピ志向T
円、
C C 4崎 町 旬 Fぬ も 払 R d ねというイエスの言葉は、被が創始した型餐の泣味 を、自ら明らかに示そうとすると乙ろの認図的な言葉であると考ーたられ 右。そして、 Y R h u n U E 除 、 斗 。 ぷ 向 b v r 。 4 4 q h 同 町 ( P N p h u m q 3 日 q R n y 町 、 町 一y
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切 さ 円 4 0 川 町 志 Q h u d 斗良川町という記述は、共通して、今日、ー司式司祭 が、祭檀において、現別の際に為すと乙ろの行為を竹山機付けるのである。 ( 註 ニ 八 ) し か る に 、 ル カ 伝 の み は 、 そ こ に 、 ユ 叶 吋 門 的 qHR( 過 越 ) 。 の お 一 引 を 挿 入 す る 。 そ の た め 、 乙の最後の晩餐が、過越の腕になされた也の 5 J v J V 2で あ る か 否 か 、 に関る問題を惹起することになるのである。この点を明 イエスの設定したと ζ ろの型餐の訟味、更には、﹁か らかにすることは、 ら だ ﹂ ( q b ℃ Q ) と ﹁ 血 ﹂ ( ぞ Yhk) についての、彼の言明をより一回明確にす る の で あ る 。 ヒ ギ ン ス は 、 ﹁ 記 元 三 十 年 と い う 年 が 、 一サンの月の十五日が受昔日に 合致するところの最もありそうな年であると考えられるが、それは必ず しも確かではないから、新約型書に従うべき﹂ ζ とを指示している。 (註ニ九)即ち、共観福音書によれば、最後の晩餐は木曜日の夕方に行 なわれた乙とになる。 乙れは過越節としての日が、 ニサンの月の十五日 と計算するユダヤ的な考えと一致するのである。しかし、乙れは、 ネ伝によると、多少問題が巡って来る。即ち、第四福音唯一同によると、イ エスは、過越の羊が屑られる ζ とになっていると乙ろの、ニサンの月の 十四日の午後に十字架上の死を遂げた勘定になるのでユダヤ式の計算に 従うと、彼は、過越節以前に死んでしまったことになる。この点に関し ての論議はいろいろあるけれども、ピラベックの説明ぞ見るに止めよ ヨ ハ ぅ。彼は、次に一不す理由からヨハネ伝も共観福音書も同者共に正しい、と 考える。即ち、ピラベックによると、 イエスは、彼の受難の年には、パ リサイ人達の習慣に従って、サドカイ人述よりも一日早い過越の晩餐 を、弟子遥と共に喫したのである。そして、共観福音替はパリサイ人の 計算に従っており、ヨハネ伝は、サドカイ人の計算に従っているのであ 一日のずれが生ずるのは当然である、と云っている。 る か ら 、 そ こ に 、 (註三十)此処でルカ伝ニニ輩、一五節の言葉が鍵を提供する。確かに ヨハネ伝に従えば、最後の晩餐は過越の食事とは興るものであった。し ルカ伝は、﹁私は背しみを受ける前に、あなたがたと ζ の過越の食 事をしようと切に望んでいた己と記している。 ζ の三郎は、ルカにしか ない記事であるが、これによって‘イエスは、自らの死ぞ予測して、そ の死の前に、過越の食事を済ませて置く ζ とぞ望んでおられた。 か し そ し て、このことは、実は、 イエスが後になって、御自身と交わりぞもった ところの弟子││キリスト者全体をも合めてーーを、仰の国の装に述ら メシアとしての晩餐の設定でめった、と考えられる ならせるところの、 の で あ る 。 従って、福背番がともに一致して記しているとこんの、 最 後 の 晩 餐 は
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モ!セの時以来、神の民イスラエルの附で行なわれて来たと乙ろ の 、 過 越 の 食 事 が 、 イエスによって、新たに、﹁メシアの天国に於ける宴 ...,.36ー ﹂としての意味を添えられて、キリスト教会の中で行なわれることにな ったものであることを思わねばなら芯い。 しかも、福音書が一致して加するところの伽 q もゑ℃斗e
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乱 ︺ ピ と い う 状況は、ルカの中に見る如く、イエスと共に食卓について、食事をして お っ た 、 という状別であり、 イ エ ス が そ こ に 、 と も こ-A
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エ ク レ シ ア 。 ロ n m g と告白して来たところの教会は、キリストに召された者の、 キリストと僧に布るところの、交わりの川切である。従って、その教会で執行きれるところの烈奨は、正しく、神の同の宮である。そして、地
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エ ク レ シ ア に於ける教会は、乙の教会の以礎が置かれている場所であり、そこ以外 には、神の召命と、人間の応答とが出会うところの﹁交わり﹂ φき
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を見出す乙との出来ない場所である。それ故にこそ、地上の見え る教会に於ける型実が、神の無条件的な恵みと、人間の主体的な参与と をもってする、臨史の中に於いて超陪史的な出来事を体験せしめるもの なのである。われわれは、 このイ・エスの現臨に、型奨を通して触れるこ とによって始めて、 キリストと同時的になるのであり、そこから、聖書 を通して訴りかけられる神の言の現実性を認識せしめられるのである。 そ れ 故 、 エキュメニカル教会に於ける盟実の間屈に関しては、聖餐、 洗礼のみならず、小型奨についても型詩的な根拠を尋ねる乙とから出発 し、検討を加えなければならないのであって、現存する諦教会の伝統や 主張を相加平均する、という様な道は許されないのである。 われわれは、もとより、従来のエキュメニカル・ム 1 ブメントの照史 を 貫 い て 、 インター・コムミユニオンが、概めて前一袈な論議を提起し、 容易に一致ぞ見出すことの出ないものであること号、その認味では疋に ﹁ ル l テル派のため キリスト教の蹟きの石であることを、知っている。 の ル l テル派の祭檀﹂というスローガンは、キリストの臨在の正しい解 釈を要求するところから始まっており、これはツウイングリの立場と異 っている。叉、パプテスト教会、改革派教会、長者、 メソヂスト、等の プロテスタント教会に於いても、 このインター・コムミユニオンの問題 は 市 一 大 問 題 で あ る 。 ( 註 三 一 ) 叉、﹁カトリック﹂教会の側からの主張も激烈である。 こ の 主 張 は 、 ーマ・カトリック、 オールド・カトリックおよびアングロ -カトリッ 夕、によって共同にな 3 れている。これらの主阪は、教会の全体性、辿 印刷、形式を保持するために必艇なm
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符述に根ざしている。殊に、明党 の執行は、目当な使徒継承宇佐もって伝えられたところの現職者のみに要 ねられるべきこと、が主損される。(註三一) 乙れは、腕に触れたところ の、ラムベス問綱領の中にも示されている。 しかし乍ら、此処で云う、 エ キ ュ メ -一 カ ル 教 会 のw
一餐という場合に は、諸教会の陀史的な継承はもとより椛視すべきものにあらざるも、明一 餐に於ける主権は、自ら主体的に参与するとは云うものの、それが人間 の側にあるのではなくて、 ζ の 申 一 餐 の 執 行3
れる所に仰在し給う抑こそ が、その主権ぞ把握し紛うておる ζ とを思わなければならない。 従って、伝統的な解釈の相川泌を淵挫することや、その形式を一致せし める乙とに抑泥せず、﹁現附界に於ける資教﹂、という大使命を托されて い る こ と の た め に 、 エキュメニカル教会の出現を目指して進まなければ ならないのである。かつて、川氏従述の教会がそうであった如く、 メニカル教会の実現に於いても、それが、新しいキリスト教の一つの分 エ キ ュ 派を形成するものではなくて、伝統的な祁教会の沼山間ぞ紘一本しつ N も 、 新たにせられたものとして、現代位界の中で、キリストの主椛を祇し-な ければならないのでゐる。 われわれは、かつて市インドに存布した消教会が、 して新しい教会を形成した時、非日な往H
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ぴ た 乙 と を 記 憶 し て い 一九四七年に消滅 る 。 し か し 、 そこに於いて執行せられる明沈、 寸 内LY ノ 刀 じ 帥 叫 ・ / . 、 7 A , L E v u -ι の妥当性に ロ つ い て は 、 必らずしも一致じた凡仰を持ち A H せてはいなかった。 けれども、アングリカン・コムミユニオンに属する各プロビンスに於いても、 一九五八年のラムベス、 会識に於いても、 乙の新教会の成長を承認し、 乙れとのインター・コムミユニオンを深めて行くことが議せられたので ある。叉、他方、英国に於いては、 アングリカン教会 一九五五年以来、 と長老派教会の合同計画が進められ