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遺伝子工学の刑法的規制(三)一一特に刑事立法学的視点から一一

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47-一一『奈良法学会雑誌』第2巻 3号 (198咋 12月〉

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遺伝子工学の刑法的規制⑤

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特に刑事立法学的観点から││

目 次 第一章生物学的基礎ハ以上第一巻囲号﹀ 第二章哲学的議論(以上第二巻一号) 第三章法学的議論 第一節生物学的基礎および哲学的議論と法学的議論の関係 第二節総論的問題

ll

法的規制の必要性とその方法︿以上本号) 第三節各論的問題 11 憲法的問題を中心として 第四章刑法的議論 第 五 章 結 論

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(2)

第三章

法学的議論

第一節 生物学的基礎および哲学的議論と法学的議論の関係 第一章および第二章においては、人の生命を操作する遺伝子工学を刑法的に規制すべきかという問題を考察する前 提としての生物学的基礎および哲学的議論を検討してきた。本章ではそれらの議論と法学的議論との関連を検討する。 なお本章で検討する議論は原則的に刑法学者以外のものに限定し、刑法学者の議論は次章で扱う。 ハ門生物学的基礎と法学的議論の関係 遺伝子工学に関する法学的議論を行う際にも、法的規制の対象となる生物学的事象の理解が不可欠なのは悩慌であ る。その技術的可能性とそれに伴う危険性が、自然科学の現状に照らして客観的に記述されなければならない。その 観点からこれまでの検討をまとめるとおよそ次のようになろう。 人の生命に関する遺伝子工学は、

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消極的遺伝子工学、即ち遺伝性疾患の治療のための遺伝子工学、と

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骨 骨 か 官

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、即ち望ましい遺伝的形質をもっ人聞を積極的に生み出すための遺伝子工学、とに区別され石町 これらのうち

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の消極的遺伝子工学は、広い意味では、 助診断の段階の問題、特に遺伝病スクリーニングの問題、と

ω

治療の段階の問題、とが区別され、後者はさらに 同通常体細胞への治療、と

(3)

州生殖細胎への治療、とに区別され情 このうち現状において技術的に可能なのは、一部の遺伝病に関する診断と通常体細胞への治療であって、生殖細胞 への治療は困難なようである。とくに生殖細胞の操作は子孫に対する影響を意味するので、このような現状の下で治 療または人体実験を行うことは非常に危険なことであるといわざるをえない。 次 に

ω

の積極的遺伝子工学は、 的生殖細胞の遺伝子を直接操作する方法、と その特殊的形態として、

ω

ク ロ l ニング、ー即ち同一の遺伝子を持つ人聞の創出、 同 人 工 的 多 胎 児 形 成 、 8 町ち人工的に双生児等を作り出すこと、と 凶内細胞塊からの核移植(これについては後述の補論を参照)、とー 州 ﹁ B L ( T r ﹂クロ l -一ンわゆ即ち成人から同一の遺伝子を持つ人聞を作り出すこと、とが区別される

i

、と 付キメラ形応、│即ち遺伝的に異なる二種以上の細胞を持つ生物の創造、これには、ここで問題となるものとし 49一一遺伝子工学の刑法的規制j て 、 日人と人とのキメラ形成 凶人と動物とのキメラ形成、とがある│、

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ハイ戸トッド形時

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即ち人間と動物の精子と卵子の人工的交配

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、 と が 区 別 さ れ る 。 現状では、川刊は技術的に困難であるとされ、従って消極的遺伝子工学のところで述べたのと同じ危険性があるとい

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えるであろう。その他については、技術的に可能だとされる。但し﹁真正﹂クロ l ニングについては、特にイルメン (∞凹) ゼーの実験をめぐって、日本と西ドイツにおける現状認識に相違があることを指摘した。但しこの真正クロlニング については、若干の新たな知見を得、またそれによって若干記述の修正の必要性を認識するに至ったのでここで補充 し て お き た い 。 (真正クロlニングに関する補論) 真正クロlニングについては、第一章においてイルメンゼIの実験に関する議論を中心に紹介を行ったが、その後 第二章でも若干言及したように家畜繁殖学においてクロlニングの技術は非常に進歩し、現在ではウシやヒツジなど の大型ほ乳類への応用研究がなされている。そこで注目されるのは次のような事実が明らかになったことである。 ﹁クロlニングでおもしろいのは、この技術が妊娠期間の長い大型のほ乳類の方が成功率が高いことである。とい うのも、小型のほ乳類では、授精後三日もたつと、卵が分化を始めてしまい、そういう胞匪から一細胞(核)を持っ てきて注入しても、なかなか一個体にならないのだ。ところが大型動物の場合は、数十個に分裂しても、 一 個 一 個 の 細胞にまだ全能性ハ個体発生能力)が残っているので、成功率が高いのである。:::ヒトの場合は授精卵の分離割球 の全能性が高いことが予想され、理論的にはつくりゃすいと考えられる。おそらく八分割細胞を使えば、うまくいけ ( 卯 ) ば八つ子、少なくとも五つ子くらいまでは可能だろうといわれている o ﹂ ヒ ツ ジ に お い て は 、 一九八六年に八分割細胞匪の移植が、 なった分割匪の核を除核卵子に注入して、 一九八八年に、授精後約一週間たって、六

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個 に ク ロ i ニングに成功した︿図を参照﹀という報告がなされている。人間に

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がなされている。 関する可能性としても﹁体外受精において、凍結保存しておいたクローン匪が威力を発揮する時代がくる﹂との予測 このようにこの方法に関する人間への応用可能性については現在では非常に高いと考えられる。なおここで上述の 分類に関する訂正を行わなければならない。私はイルメンゼ l の方法を真正クロ l ニングに位置づけたが、これも内 細胞塊からの核移植であるから、成人からのグロ l ンという位置づけは不正確であった。したがってこの方法および いわゆる核移植の方法による点で狭義の人工的多胎形成とは異 上述のヒツジに関する実験で用いられた方法などは、 51一一遺伝子工学の刑法的規制

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e、 、 、 'j'/ 内網Hi1*鬼の1細胞 なるが、その実際的意味としては人 工的多胎形成と対応するものとみな されうるので、真正クロ I ニ ン グ と 産子 の聞の中間的なものとして﹁内細胞 塊からの核移植﹂を設定し位置づけ を変更することにする。したがって 人間に可能であると考えられている 19凶日7えミ〈正rι.'i !t...ト と グ 以 ロ 下 l の ン よ ニ う ン Iこグ、 な の る員方 O~ 法 を 再 分 類 す る ク ロ l ニ ン グ

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人工的多胎形成 制狭義の人工的多胎形成

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内細胞塊からの核移植

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真正クローンハクロ i ニ ン グ ) なお倫理的あるいは法学的問題との関係で重要となるのは、既に引用した見解の中にあるように受精卵凍結どの関 係であり、この技術との結合により、例えば人工受精を行う場合には狭義の人工的多胎形成または内細胞塊からの核 移植によりクローン受精卵を造っておき、凍結保存し、将来希望に応じてその凍結受精卵を使用して妊娠させれば、 真正クロlγと同様の効果を持たせることが可能になるといえよう。したがって結論的にはクロlニγグの現実的実 現可能性の問題はこの技術に限ってもみてもやはり現時点での(哲学的・法学的問題の﹀検討が必要であると思われる。 。哲学的議論と法学的議論の関係 1 原理的許容性問題の検討│ 次にこれらの技術に関する法的規制を考察する前提として原理的許容性の問題が考察されなければならない。この 検討に際しては哲学的考察が不可欠になる。その際、原理的許容性問題と付随的危険性考慮問題と区別されなければ ならない。そしてそれぞれに対応した法的規制が検討されなければならないのである。もっとも哲学的考察は法的考 察と重なりあう部分が多く、特に人権論との関係は現行の憲法上の基本的人権規定を念頭においた考察が必要となっ てくる。これに関しては本章第三節で西ドイツの学説を中心に各類型について紹介していくが、ここでは前章のまと めとそれについての私自身の見解の概要を先に述べておくことにするハ詳しい理由付けは次節以下で行う﹀。それは およそ次のように要約できるであろう。

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積極論の論拠 遺伝子工学に関する積極論の論拠には次のようなものがある。即ち、 、 ( 町 田 ) 付功利主義、即ち予想される危険よりも利益の方が上回るとするもの、

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似合理主義、人間は合理的存在であるべきだから、遺伝子工学が可能になったならば、偶然に委ねずに合理的選択 を実施すべきであるとするもの、 付自由主義、遺伝子工学の成果を利用して自らの子の遺伝形質に影響を与えようとする親の自由を尊重すべきだと す る も の 、 で あ る 。 ﹂ れ ら の う ち 、 合理主義的論拠についてはそもそもそのような合理性を一面的に強制することは許されないし、功 利主義的論拠に関しては現状においては、技術的にみてどのような利益が得られるのかが確定不可能な場合が多いし、 また技術的に可能であっても、特に人権との関係からみて疑わしいものが多い。従って検討の対象されるべき重要な 論拠は自由主義的論拠である。

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消極論の論拠 53一一遺伝子工学の刑法的規制 遺伝子工学に関する消極論の論拠には次のようなものがある。 川 円 不 自 然 性 、 、 ( 川 )

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社会的悪影響、ーこれには、 同社会全体に関してのもの、いわゆる﹁逆ユートピア﹂の実現、と 凶家族関係に関するものとがある

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、 、(則) 付生物学的悪影響、ーこれには、 三直接的な奇形発生の危険、と 凶長期的にみた遺伝子プ i ルの貧困化に関するものとがある

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官 庁 拠 卦 動 ・ わ { 貯 恥 ヰ ザ は だ れ か と い う 間 的

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付人権問題 これらのうち不自然さについてはその意味が明確でなく、また上述の付随的危険の考慮は必要であるが、その考慮 も原理的許容性を排斥するものではなく、決定権者は両親とすればよいとする自由主義からの批判がある。西ドイツ の理論状況において重視されているのは、これに対して人権(特に人聞の尊厳)の問題である。そして自由主義の論 拠は一部この人権問題と抵触する可能性がある。従って検討の対象とされるべき論拠は人権問題である。 帥自由主義的論拠と人権問題 西ドイツにおいては、クロ l ニング・キメラ形成・ハイブリッド形成は作り出された対象者に対して、自己の同一 性や自己理解に対する危険を発生させ、それが人間の尊厳などの基本的人権に反するとする見解が有力である。これ と自由主義的論拠の関係について以下で各類型ごとに検討を加える。 帥消極的遺伝子工学︿遺伝子治療﹀ これについては積極的遺伝子工学に対する消極論者の多くも肯定する。しかし人聞にはおよそ遺伝子を操作されず に生まれる権利があるとする見解が存在する。これによれば遺伝子治療もできなくなってしまうので、そのような権 利が存在するとすることには疑問がある。しかしだからといって無制限に肯定できるわけではなく、付随的危険の考 慮は不可欠であり、現状では実験的治療であることを考慮にいれる必要がある。

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積極的遺伝子工学 日直接的遺伝子操作 上述のように遺伝子を操作されない人権があるかどうかは疑問であり、遺伝子の操作を原理的に否定できないが、 国家が一定の基準でそれを強制したりすることは許されない。その意味で自由主義的発想は正当であるが、ここでも

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付随的危険の考慮は不可欠であろう。そして現状では技術的に実現困難であることも考慮に入れるべきであるう。 凶 ク ロ l ニ ン グ 人工的多胎形成および真正クローングの両形式についても、上述の人間の同一性、自己理解の危険という人権問題 と両親の自由との関係が問題となる。しかしクローンは自然的にも発生するし(一卵性双生児)、遺伝的形質だけが 同一性を決定するわけではないので、その観点から人権侵害となるとは断定できないように思える。むしろ基本的に 55一一遺伝子工学の刑法的規制j は親の自由を肯定したうえで、その濫用(例えば子の希望を無視して特定の生き方を強制することなど)の抑止を考 えていけばよいのではなかろうか。 制キメラ形成 山人間と人聞のキメラ これについても人権侵害になるということの論証には問題がある。但し本来二人の人間になる二つの受精卵を一つ に隔合することを人権侵害とみる可能性もある(これについては後で検討する﹀し、また奇形発生等の付随的危険の 考慮はより慎重になされる必要がある。 仙人間と動物のキメラ この類型については創り出された者の人権に関する問題が生じる。即ちそのような存在に対してはそもそも人権を 認めるべきかどうかという原理的問題が生じるであろうし、認められたとしても、それが制限されたり差別の危険が あるといえよう。そのような不安定な地位に置かれる存在を作り出す自由は親には存在しない。 “ハイブリッド形成 ハイブリッド形成については、人間と動物のキメラに関する考慮がそのまま妥当する。

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以上の考察の結果、法的規制の対象となるものには、付随的危険の回避に関するものと原理的にそのような危険が なくても禁止可能なものがある。まず付随的危険の回避のために﹁遺伝子操作において、子の基本的な生理的・精神 的能力や身体の完全性を損なうような操作は禁止されなければならない﹂とすることができる。さらに人間と動物の キメラ形成およびハイブリッド形成に関しては、そのような危険性がなかったとしても一それ自体禁止できる。以上 の規制の必要性から直ちに刑法的規制が導き出されるわけではなく、特に刑法の謙抑性の観点から考慮がなされなけ ればならない。それについては次章で詳しく検討するが、その前提として法的規制方法に関する総論的議論を検討し、 次いで各類型に関する法学者の議論│特に憲法的議論ーを考察する必要がある。 第二節 総論的問題│法的規制の必要性とその方法 遺伝子工学に関する法的規制の必要性一般に関して見解の相違が見られる。国際的にみても規制の方法については ( 川 ) 相違があることは注目すべきである。ここでは日本におけるこれまでの議論を紹介する。 付 加藤一郎の見解 加藤一郎は﹁生命倫理と法﹂という論文のなかで、まず﹁生命科学の発達による新しい方法の採用の是非﹂ ( こ れ には当然遺伝子工学の問題も含まれるであろう)の問題の決定方法について、それは﹁生命科学と生命倫理の協力、 換言すれば、医師を含めた生命科学関係者と社会の一般人との協力の下に、実質的に決定されるべきものであるとい えよう﹂とし、そこにおける法のかかわり方、特に立法論について、そこでは﹁新しい問題にどう対処すべきか、い いかえれば新しい方法を採用することが是か非かを実質的に決めなければならない。このような実質上の是非は、・: :・生命科学と生命倫理の協力と、その上に立った政策的判断によって決せられるはずである﹂とする。そこで問題と

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なるのは法律家の役割であるが、それについては﹁しかし、法律家は、:::是非について実質的判断をする特別の資 格をもつものではない。法律家としては、 日頃の法的訓練と経験から、:::それぞれどういう法的問題が生じうるか を明らかにして、実質的判断における利益衡且一患を助けることはできる。:::しかし、法律家として、専門の法学の立 場から、実質的な是非の判断に加わることはない、と考えるべきであろう。これは、法ないし法学の一般的性質に由 来するものであって、この場合に特有のことではなく、実質論を論ずるについて一般にあてはまることだ、と思われ る ﹂ と さ れ 、 ﹁実質論としてどうすべきかが決定された場合に、それをどのようにして実施すべきかについては、法 ないし法学が役立つことになる。それを実施するについてどのような直接・間接の障害があり、それをどのように排 除すべきか、また既存の法制度との調和をどのように図るかを検討するのは、まさに法学の任務であるといえよう﹂ とする。即ち﹁法が主としてかかわるのは、実質的決定のいわば外枠であって、実質的決定の内容は、医師ないし生 命科学者の専門知識と、一般人ないしは有識者による生命倫理の検討、さらにその上に立った政策的決定によって定 められるべきものである﹂とされるのである。 57一一遺伝子工学の刑法的規制 以上のような基本的認識に立った上で、社会的承認の方式については﹁まず、政府が、関係の有識者を集めた審議 会ないし研究会を設け、問題点の調査・検討と解決方式の提案をしてもらう。その報告は公表して関係各界から意見 を求める。出された意見は、その審査会あるいは政府で検討して、最終案をつくる。そのうち立法の必要なものにつ いては、国家に法案を提出してその実現を図る。!これが広く国民の各界・各層の意見を取り入れた決定方式だとい え よ う ﹂ と さ れ る 。 そしてその実現方法としては

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立法と

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学会等の私的ガイドライン方式があるとし、 社会的承認が得られたことを外形的に示す方式になるとともに、法的な障害を除去して、それが全国を通じて一律に、 ﹁ 国 会 の 多 数 決 に よ る 立 法 は 、

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合法的に行われることを保障する﹂が、それより﹁より弱い方式で十分の効果をあげることができれば、そのほうが 効率的であり適切であるといえる﹂から﹁すべての決定が、立法の形態をとることは適当とはいえない﹂とする。そ して﹁このような決定を実行に移す場合に、立法の形態をとるか、医師などの関係者の行為基準ないし指針(ガイド ライン﹀の形態をとるかは、ことがらの性質によることであるが、それぞれの性質に応じて最も効果的な形態・形式 をとることが望ましい。そして、そこでは法律家が発言権をもってよいであろう﹂とするのである。 この見解における問題点は、﹁実質的﹂決定の意義であろう。確かに自然科学的記述の問題について、法律家は論 じる資格を持たないが、それが如何なる規範的意義を持っかについては、自然科学は回答を出し得ない。後者の問題 については法律家も、倫理学者や宗教家などと並んで、実質的な見解を述べることができるのではないだろうか。

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梅田武敏の見解 これに対し﹁安全性は総て社会科学的観点から検討されるべき﹂であり、﹁組替え DNA 実験がその種類を問わず、 人間にとり有用とされるものは、最終的には人体実験を経ねば実用化され得ないことを踏まえると、それは、人類の 存亡に直接かかわるものだけに、:::内容を抽象された私的経済活動として資本の論理の下に展開されざるををえな いが故に、単に現行の法体系による規制だけではなく、別に新たな枠組みによる法的規制の対象とされなければなら ない︺とされ、基本的に﹁ DNA そのものについての操作を全面的に否定する立郡に立ったうえで、﹁すくなくと も受精卵に対する、そして匪に対する操作は絶対に禁止すベ机︺であるとする。そしてその禁止は、﹁実験に対する 法的イデオロギーの表明﹂として、即ち﹁社会科学的安全性の確保﹂のために、法律のかたちでなされるべきである とさ判ド自己規制方式を批判す引 v また﹁法的規制のありかたとしては、国会での法的承認、自治体の議会による承 いわば地域的規制というべき規制を要する﹂とも述べ 認の他に、地域住民の個々人の同意を得なければならない、

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る。さらに﹁生物災害は一旦発生すると取り返しのつかない事態に至ることが予想されており、また、危害が発生す るか否かも不明であるので、危害が発生してからとか、危害が発生するであろうことが確定してから、といった法体 系とは異なり、﹃疑わしきは罰する﹄との思想に基づく事前規制を中心的課題とする法体系と考えられねばな﹂らず、 ︿ 凶 ︾ 情報の公開と操業停止が重要であり、危害がないことの積極的な挙証責任は実施側にあるとする。 この見解における問題点は、危険性の判断を専ら社会科学的問題としている点であろうと思われる。たしかに社会 的制度の問題も危険性の判断において重要であるが、その前提として自然科学的事実の解明も安全性の問題の判断に は不可欠ではないだろうか。また DNA 操作についての全面否定論についても、例えば遺伝病治療や医薬品開発さら にがん研究などの基礎研究などについてもこの技術の応用を全く否定できるのかという疑問もある。自然科学的な危 険性と社会制度的な危険性の問題はどちらを択一的に捉えるべき性質の問題ではなくて、両者の重要性を認めた上で その関係を検討すべき問題ではないだろうか。 保木本一郎の見解 同 59一一遺伝子工学の刑法的規制 保木本一郎は、遺伝子工学の規制方法について﹁密室での研究者による自己規制にかわって市民参加による厳格な ︿

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事前評価が行われるべき﹂であるとし、﹁遺伝子工学の根本的な法的統制は、研究・開発の自由を社会公共の安全と 秩序の見地から政策的に許可制のもとにしき、市民参加の下に公開の原則の貫徹によってデーターを開示して開発側 および市民の立場に立つ両サイドの専門家が十二分な事実審型聴聞による判断をすることによって可能である﹂とす る。そしてその際﹁開発側が安全であるとの十分な理由の論証(無害の立証)の開示がなければ、開発や技術の社会 への導入を行ってはならない﹂としておくことが必要であるとされるのである。 ここでは、そのような許可制が有効に機能しうるかなどの点が問題となろう。

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以上のように、特にわが国では科学者の自己規制の有効性などをめぐって争いがあるわけであるが、これと法的規 制の関係、ならび法的規制における民事、行政、刑事規制の関係などについては、すべて刑事規制の問題を論じる際 に併せて検討することにする。 ( 市 ﹀ なお人間の生命を直接操作の対象としない遺伝子操作、例えば微生物・植物・動物の遺伝子の組替えについてもその(刑 法的)規制が考えられるが木論文では考察の対象とされていない。但し本章第二節において検討した見解は、それに限定 されていないものも含まれている。 西ドイツにおいても遺伝子工学の問題を論じる場合には生物学者と倫理学者・神学者・法学者との共同研究というかたち でなされることが多い。そのなかから重要な生物学者の論文をピックアップしておく。国 o h R F ロ 冊 目 含 ア 明 日 ロ

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頁以下の表 1 、新生児マススクリーニングを行っているものについては 同二一頁の表 2 を 参 照 。 この区別については本誌二巻一号三二頁以下参照。 これについては本誌二巻一号コ三頁以下参照。 この二つの方式については本誌一巻四号コ一頁参照。但し本項末の補論における修正をも参照。 この三つの方式については本誌一巻四号三頁以下参照。但し︹方式 1 ︺はほ乳類には応用不可能であり︹方式 3 ︺ に つ い て は 本 項 末 の 補 論 に お け る 修 正 を も 参 照 。 な お 本 誌 二 巻 一 号 一 一 一 一 一 一 頁 以 下 、 コ 一 五 頁 も 参 照 。 この二つの方式については本誌一巻四号四頁参照。 この二つの方式については本誌一巻四号四頁以下参照。 ( 乃 ) ( 剖 ﹀ ( 創 ) ( 位 ) (部) ( 剖 ﹀ ( 皿 山 ) ハ 叫 山 ) ( 明 白 )

(15)

61一一遺伝子工学の刑法的規制 こ れ に 関 し て は 本 誌 一 巻 四 号 五 頁 以 下 、 二 巻 三 四 頁 お よ び 注 ( 幻 ﹀ ( 招 ) ( 泊 ) に 掲 げ た 文 献 を 参 照 。 さ ら に 富 市 吋

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∞p m -由 司 ロ -H は国際調査委員会が担造の疑惑を否定し、アメリカの研 究者によってもこの実験が追試されたことが記されている。 この経過については市川前掲注ハ却ご

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四 頁 以 下 参 照 。 NHK 取材班・驚異の小宇宙・人体 1 生命誕生(一九八九年﹀一二

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頁 以 下 。 NHK 取材班・前掲注(卯﹀一一二頁(次頁の図も同所から引用)、前者については市川前掲注(却)一一一一

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頁 以 下 参 照 。 NHK 取材班・前掲注(伺)一一二頁で引用されている入谷明(京都大学農学部教授)の発言。 受精後の受精卵の変化については本誌一巻四号一五頁以下、および市川前掲注(却)一一一一

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頁以下参照(内細胞塊の変化 を明らかにするために同書四八、四九頁の図を掲載しておく)。 ( 剖 ) ( 朗 ) ( 卯 ) ( 川 出 ) ( 回 ) ︿ 伺 ) 涯の発生

息;空母島

図1 庇盤胞の分化 図2 宮 子 内 細 胞 塊 』 争 胎 児 ( 川 出 )

但し内細胞塊からの核移植は生物学的には多胎形成とは異なるからこの位置づけは不正確であるが、ここでは真正クロ l

(16)

( % ) ンと区別する意味で暫定的にここに位置づけたものである。従って以下広義の多胎形成には内細胞塊からの核移植も含め て論じているから注意されたい。 これに関連してわが国でも凍結受精卵を使用した体外受精による妊娠に成功したことが報道(一九八九年七月一三日の朝 日新聞参照)され注目を集めている。しかしこれについても困難な倫理的・法学的問題があるように思える。アメリカで 最近おきた事件では、受精卵を凍結していた夫婦が離婚後、母親はその受精卵による妊娠を希望し、父親はそれを認めな かったため、訴訟が提起され、特に受精卵に生会る権利があるかどうかについて争われている(これについては叶 F m Z 何 者

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ロ ミ ョ を 参 照 ) 。 この論拠については本誌二巻一号三七頁以下参照。 この論拠については本誌二巻一号三九頁参照。 この論拠については本誌二巻一号三九頁以下参照。 この論拠については本誌二巻一号四一頁以下参照。 この論拠については本誌二巻一号四二頁以下参照。 この論拠については本誌二巻一号四三二頁参照。 この論拠については本誌二巻一号四三頁以下参照。 この論拠については本誌二巻一号四回頁参照。 但し真正クローンと人工的多胎形成で造られ、凍結保存された受精卵の使用については親が誰であるかについて異なった 考察が必要となろう。これについては後述する。なおここで私はクロ l ニングを人間についても積極的に推進すべきだと 主張しているわけではなく、法的に禁止するだけの根拠に之しいということのみを主張しているのである。 森村前掲注仰五四頁、同旨大谷前掲注

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四 頁 。 遺伝子工学の実験についての規制についてはアメリカに関しては、板元正義﹁遺伝子工学の安全性と法 I アメリカの事例 に 学 ぶ

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﹂、世界四五四号ハ一九八三年﹀二五三頁以下等を、ドイツについては最近の文献として口出

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63一一遺伝子工学の刑法的規制 ︿ 川 ) ( 叩 川 ) ( 問 ) ( 川 ﹀ ( 山 ﹀ ( 山 ) ( 山 ) ( 川 ) ( 山 ) ( 山 ﹀ ( 山 ﹀ ( 山 ) ( 山 ) ハ 印 ﹀ ( 凶 ﹀ ( 山 ) 開 門 ロ ロ

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同 ・ を 参 照 。 加藤一郎﹁生命倫理と法│序論的考底寸﹂法学協会編・法協百年論集 1 巻 ( 一 九 八 三 年 こ ハ 六 九 頁 以 下 。 加藤前掲注(即)六七回、六七五頁。 加 藤 前 掲 注 ( 閉 山 ﹀ 六 七 五 頁 。 加 藤 前 掲 注 ( 町 ﹀ 六 七 六 頁 。 加 藤 前 掲 注 ハ 川 ﹀ 六 八 三 頁 。 加 藤 前 掲 注 ( 閉 山 ) 六 八 三 頁 以 下 。 梅田前掲注 ( 3 ) 伺 一 一 六 頁 。 梅田前掲注 ( 3 ﹀ 伺 一 一 八 頁 以 下 。 梅田前掲注 ( 3 ﹀ ハ 円 一

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一 一 貝 以 下 注 ( 8 1 梅田前掲注 ( 3 ) 付 九 一 頁 。 梅田前掲注︿ 3 ﹀ ハ 円 九 一 一 貝 。 梅田前掲注 ( 3 ) ハ 円 九 三 頁 以 下 。 梅田前掲注 ( 3 ) 口 一 一 二 頁 。 梅田前掲注 ( 3 ) 伺 一 二 二 頁 。 保木本前掲注 ( 3 ) 四 六 九 頁 。 保木本前掲注 ( 3 ) 五

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七 頁 以 下 。

(18)

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同の正誤表 同(四二

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