いざ子ども早く日本へ : ヤマトについて
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(2) (2) い ざ子 ども早 く日本 ヘ. 提 に は し な い。 ま た本 歌 を 山 上 憶 良 と いう 個 性 に お いて読 み解 こう と いう方 法 も 前 提 と し て はも たな い。 可能 な限 り、 歌 の こと ば や表 現 に則 し た読 解 を試 み た い。. 二. 第 二句 ﹁ 早 日本 辺﹂ は、 ﹁ハヤ ヒ ノ モト ヘ﹂と いう 訓 で の享 受 史 が 長 か った。元暦 校 本 以 下 の諸 本 の訓 が そう であ. る ほ か にも 、 秘 府 本 萬 葉 集 抄 、 宗 祗萬 葉 抄 、 ま た本 歌 を引 用 す る綺 語 抄 、古 来 風 体 抄 、 新 古 今 和 歌集 、 歌枕 名 寄 、. 夫 木 抄 、 井 蛙 抄 な ど 皆 こ の訓 に従 う。 渋 谷 虎 雄 ﹃ 古 文 献 所 収 萬 葉 和 歌 集 成﹄ に よ っても 、 平安 から室 町期 にかけ て. の、 本 歌 を 引 用 す る 三十 数 種 類 の書 にお い てす べ て ヒ ノ モト であ り、 ヤ マトと 訓 む も のを見 出 す こと が でき な い。 さ ら に浜 松 中 納 言 物 語 の中 の、 本 歌 を ふま え る歌 にも 、 日 の本 の み つの浜 松 こ よ ひ こそ我 を恋 ふら し夢 に見 え つれ. と ﹁日 の本 ﹂ と あ る。 よ って平 安 中 期 以降 こ の訓 が 長 く か つ広 く 行 な われ た こと が 知 ら れ る。 し か し類 衆 古集 の右. 墨 訓 お よび 京 都 大 学 本 の左 緒 訓 に ﹁ハヤ ク ヤ マト ヘ﹂ と あ り、 ま た萬 葉代匠記 初 稿 本 で、 は や ひ のも と へ、 これ を は ゝやく や ま と へと も よむ へし。. と 示 唆 さ れ て以 来 、 近 世 に は よ う や く ﹁ 日本 ﹂ の訓 が 優 勢 と な り、 近 代 には定 説 化 し た。 ﹁日本 ﹂ を ヤ マトと 訓 む 主 た る根 拠 は、. 日本 と書 て、 集 中 に専 ら は や まと ゝよ み つ。 ︵ 萬葉考︶. 下 皆 此 に数 へ。 豊 秋 津 洲. と 、集 中 の十 数 例 に及 ぶ 用 例 か ら の類 推 にあ る。 ま た傍 証 と し て、 神 代紀 の 此 をば 耶 麻 騰 生 ムを 大 日 本 日本 、.
(3) と いう 訓 注 、 ま た高 市 黒 人 の歌 に、. 去 来 児 等 倭 部 早 白 菅 の真 野 の榛 原 手折 り て帰 かむ ︵ 巻 三、 一 天 ○︶. 山跡 ﹂な ど と表 記 す る ヤ マト の諸 例 から の類 推 が挙げ ら れ よう 。 こう し て本 と 類 句 のあ る こと 、さ ら に他 の ﹁ 倭﹂ ﹁. 歌 の ﹁日本 ﹂ の訓 は ヤ マトと 定 められ てき たが 、し かし ヒ ノ モトを ヤ マトと 訓 み改 め ても、﹁ 日本 ﹂ の意 味 は変 え ら 日本 国﹂ と解 さ れ てき た の で、 大 唐﹂ ︵ れ な か った。 ﹁ 題 詞 ︶ に対 す る ﹁. 日本 は 京 の謂 ヒな り。 ︵ 萬葉集檜嬬手︶. 日本 は大 和 国 を いふ。 ︵ 萬葉集古義︶. な ど と 異議 を 唱 え るも のを 近 世 にお いて少数 見 出 せるも の の、 現 在 にお いて こ の ﹁日本﹂ を ﹁日本 国 ﹂ と す る解 は す こぶ る安 定 し て いる か に みえ る。. け れ ど も 、 こ の ﹁日本﹂ は檜 嬬 手 や古 義 な ど に いう通 り、 狭 義 の ヤ マト ︵ 現 在 の奈 良県。 以 下 、 こ の範 囲 、 ま た. はそ の 一部 、 ま た は奈 良 県 を 中 心 と し て 一部 の畿 内 地方 をさ す 場 合 に は ﹁ 大 和 ﹂、 日本 全体 を さ す 場 合 に は ﹁ 日本 ﹂. と適 宜 書 き 分 け る。 ま た、 両 者 いず れ か に限定 しな い場合 は、 ﹁ヤ マト﹂ と書 く。ただ し、引 用 歌 中 で は原表 記 を 活. かす こと にす る︶ を意 味 す る と解 す べき であ る、 と いう のが 私 見 であ る。 以 下 に はそ う考 え る べき いく つか の根 拠. こ ン. を示そう。. 卜 の用例 と そ の表 記 の検 討 から であ る。 旧稿 です で に述 べ たと ころだ が、集 中 ヤ マト の用 例 は歌 中. 一 例 、 う ち ヤ マト 三 四例 、 ヤ マト シ マま た は ヤ マト シ マネ 五例 、 ヤ マトヂ 四例 、 ヤ マト メ 一例 、 オ ホ. ヤ. 三. ま ず は`. お い て 計 六. 神 野 富 一. (3).
(4) (4) い ざ子 ども早 く日本 ヘ. ヤ マト 一例 、 ヤ マト ノク 二 一七 例 。 以 上 のう ち 、 ヤ マト から ヤ マト メま で の計 四 四例 は、 二例 を除 いてす べ て大 和. 一例 は当 該 歌 で、他 の 一例 は藤 原仲麻 呂 の、 を さ し、 日本 国 ︵日本 全 土︶ を 意 味 し な い。 そ の 二例 中 、. 巻 二〇、四四八七︶ いざ 子 ど も 狂 わざ な せそ 天 地 の堅 めし国 そ夜 麻 登之 麻 祢 は ︵. 国 そ﹂ と も 合 せ詠 まれ て いる点 が他 の ヤ マト の例 と は こ の ヤ マト シ マネ は、 文脈 にお いて 日本 を さ す が 、 ただ ﹁ 異 な る。. 巻 三、四七五︶ の ほか は、 ヤ マト ノ そ れ で は ヤ マト を 用 いて 日本 国 はど う表 さ れ た かと いう と、 オ ホ ヤ マト 一例 ︵. 一〇 な いし 一 一例 ま でが 日本 国 を表 す と みら れ る。 こ の ク ニと いう 語 形 に よ って であ る。 ヤ マト ノク 二 一七 例 中 、. しき し ま の﹂ など の称 辞 と し て の枕 詞 が 冠 さ れ ると い あ き づ し ま﹂ ﹁ そ ら み つ﹂ ﹁ ヤ マト ノク ニの例 に は、 す べ て ﹁. 枕 詞 + ヤ マト ノ ク ニ﹂ が 大 和 にお い て大 和中 心 の日本 の国 を宣 揚 す る表 現 であ る こ う 特 徴 が あ る。 そ し て、 こ の ﹁. と、 一方 ﹁ヤ マト﹂ は異郷 に お いて や はり大 和 を 日本 の国 の中 心 と し て位置づ け る表 現 であ る こと 、 そ し て両 者 相. 補 って大 和 を中 心 と す る 日本 の国 と いう 和 歌 的 風 土 の世 界 を和 歌 内 部 に構造 化 す る働 き を し て いると いう こと 、 な. ど は旧稿 に述 べ た。 が 、 そ れ はと も かく 、 こう し て和 歌 の世 界 で は 日本 国 を表 す 場 合 は ヤ マト ノク ニと いわ れ た の. で、 先 の唯 一の例 外 、 仲 麻 呂 の ヤ マト シ マネ も ﹁ 国 そ ﹂ と合 せ詠 ま れ て いる こと によ って 日本 国 を表 す こと が 可能 にな って いると み ら れ よう。. 巻一 巻 五、七九四︶ ・﹁ 倭 歌﹂ ︵ 同、八七工 O o﹁ 倭詩﹂ ︵ ただ し、 集 中 の題 詞 o左 注 な ど 散 文 部 分 で は、 ﹁日本 挽 歌 ﹂ ︵. 日本 琴 ﹂ ︵ 巻五、八 一〇。巻七、 〓壬 天 ︶と 、和 らげ れ 七、三九六七︶ ・﹁ 巻七、 一〓 一 天 五〇︶ ・﹁ 倭 琴﹂ ︵ 九。巻 一六、一 一. ば ヤ マトと 訓 みえ 、 し かも 日本 を 表 す と みら れ る例 が 七 例 ほど あ る。 し かし、 歌 詞 と散 文 語 の別 は無 視 す る べき で な い。. す ると 、 集 中 の歌 詞 におけ る ヤ マト の用 例 から 推 せば 、 当該 歌 の ヤ マトも大 和 と解 す る ほか はな い。 そ う で はな.
(5) 一 富 野 神. (5). く 、 も し こ の ヤ マト のみを 日本 国 と解 す べき だ と す るな ら 、 そ の根 拠 が 示 さ れ ねば な ら な い。 そ し ても しそ れが 可. 能 であ るとす れば 、 そ れ は本 歌 の ﹁ 日本 ﹂ と いう表 記 に か かわ って であ ろう。 そ れ に はま た本 歌 が 外 国 r 詠まれ た 歌 であ る ことも 関 係 し て こよう 。 従来 も 、 たと えば 、. 従 つて ここも ヤ マト ヘと 訓 む べき であ るが、 ただ こ こ に特 に ﹁ 日本 ﹂ の文字 が書 かれ て いる こと は、 日没 す る. 国 にあ つて ﹁ 日 の本 のや まと﹂ を慕 ふ心が こ の文 字 にな つたと も考 へら れ よう か。 ︵ 沢潟久孝 ﹃ 萬葉集注釈し. ﹁日本 ﹂は 日本 全 体 を指 し て いた。 つま りわが身 を 国外 にお いたも の の表 現 であ った。遥 か な家 郷 への無 限 の思. 慕 は、 こ の外 つ国 にあ る こと の自 覚 の中 に発 せら れ た。 ︵ 中西進 ﹃ 山上憶良﹄ 一八五頁︶. ヤ マト に ﹁日本 ﹂ の文 字 を宛 てる こと ︵ 中略︶集 中 十 八例 ば かり。中 でも こ こ は、外 国 に対 す る自 国 ﹁日本 ﹂を. 意 識 し た表 記 であ る。同 じ憶 良 の ﹁日本 挽 歌 一首 ﹂ ︵ 5 o七九四∼七九九︶も そ の底 に漢 詩 文 への意 識 を強 く持 っ. て いる。 ︵ 萬葉集全注巻第 一し 伊藤博 ﹃. な ど 、 本 歌 が外 国 で詠 まれ た点 を重視 し て ﹁ 日本 ﹂ の表 記 の意 味 を強 調 す る見解 が あ る。 ま た こ の ﹁ 日本 ﹂ の表 記. を、 題 詞 の ﹁ 大 唐 ﹂ と の対 比 にお いて重 視 す る見解 も あ る。 そ こ で、 次 に は ヤ マト の表 記 例 を み よう 。. 集 中 、 歌 詞 にお い て ヤ マト ︵ヤ マト ノク ニなど も含 む︶ は、 仮 名書 き の例 を除 け ば 、﹁ 山跡﹂ 倭﹂ 金 一 〇例︶ ・ ﹁ 日本 ﹂ 貧 五例 。 ほか ﹁ ︵一七 例︶ ・ ﹁ 大 日本﹂ 一例 ︶ ・ ﹁ 山常 ﹂ 2 例 ︶ と書 き表 さ れ て いるが 、 個 々の例 に則 し. て は いま 一応 不 明 だ と し ておく と し ても 、 全 体 と し て は表 記 にお いて大 和 と 日本 全 上 の書 き 分 け はな さ れ て いな い. たと えば 、 ﹁ 倭 ︵の国 と で大 和 を意味 す るも の 一七例 に対 し て 日本 全 土 を 意 味 す る も の 三例 で あ り 、 ﹁ 山 跡 ︵の. 国と で はそ れぞ れ 一二例 と 五例 、 ﹁ 日本 ︵の国と で は 一四例 ま でが 大 和 を意味 し、日本 全 上 を 意 味 す る確 例 は 一つ. もな い ︵ 当 該 歌 は除 く ︶ と い ったぐあ いであ る。 そ し て こ の統 一的 な書 き 分 け が認 めら れ な いと いう こと は、 先 に. 引 いた題 詞 ・左 注 の ヤ マト の表 記 に ついても いえ る の であ って、 ﹁ 日本 挽 歌﹂ ﹁ 日本 琴﹂ と ﹁日本 ﹂ で 日本 全 上 を意.
(6) (6) い ざ子 ども早 く日本 へ. 日本﹂ 倭 ﹂ でも 日本 全 上 を意味 し て いる。 中 西進 氏 は集 中 の ﹁ 倭 歌﹂ ﹁ 倭詩﹂ ﹁ 倭 琴﹂ と ﹁ 味 す る例 が あ る 一方 で、 ﹁. 山上憶良﹄ 一八一 一 ︱五頁︶が 、 少 な く と も ﹁日本 ﹂ と いう表 記 で 日本 国 を意 味 す る の表 記 に官 人意 識 を 認 め て いる ︵﹃ 傾 向 性 は全 く 乏 し い。. 山常 ﹂ 金 0 。 ﹁八間跡 ﹂ 金 0 ・ 山跡 ﹂ 2 ︶ ・ ﹁ 次 に巻 一におけ る ヤ マト の表 記 に つ いて はど う か。 ヤ マト は ﹁ ﹁ 倭﹂ 公 一 九 ・三 五 ・六 四 o七〇 ・七 一 ・七 三︶ 以外 に、 ﹁日本 ﹂ が 、 当該 歌 のほか、. 四四。石上大臣 の伊勢行幸従駕作︶ 吾 妹 子 を去 来 見 の山 を高 み かも 日本 の見 え ぬ国遠 み かも ︵. 五二。藤原 の官 の御井 の歌︶ 目香 具 山 は 日 の経 の 大 き 御 門 に 春 山 と 茂 みさ び 立 てり ︵ 日本 の 主. 日 と 二例 み え るが 、 いず れ も 大 和 の意 であ り、 作 歌年代 も 当 該 歌 よ りも古 い。 これ ら の例 は、 かえ って当 該 歌 の ﹁. 山跡 ﹂ ︵ 倭 ﹂ 貧 〇 五︶ と いず れ も大 九 一︶ 0 ﹁ 本 ﹂ の表 記 を特 別 視 す べき でな いこと を 教 え るだ ろう 。巻 二に は、 ﹁ 和 を 意 味 す る例 が 二例 みえ る のみ。. さ ら に、 本 歌 が 山 上 憶 良 の作 歌 であ ると いう点 に注 目 し て、 集 中 憶 良 のヤ マト の表 記 例 に つ いて はど う か。 本 歌 巻 五、 八九 四︶ に、 好 去 好 来 の歌 ﹂ ︵ の ほ か、 歌 詞 に は ﹁. 百 一 一 一 墨 並の 幸 は ふ国 と 語 り継 ぎ 一 ムひ伝 て来 らく そ ら み つ 倭 の国 は 皇 神 の 厳 しき 国 一 神 代 よ り 一. 中略︶天 地 の 大 御 神 た ち 倭 の 大 国 霊 ひさ かた の 天 のみ空 ゆ 天 が け り 見渡 し た ひ継 が ひけ り ︵ 下略︶ まひ ︵ と 二例 み え 、題 詞 に は、. 巻五、七九四︶ 日本 挽 歌 一首 ︵. 同、八七さ 書 殿 にし て餞 酒 す る 日 の 倭 歌 四首 ︵. 倭 ﹂ と書 かれ て い そ ら み つ倭 の国 ﹂ で 日本 国 を意 味 す る にも かかわ ら ず ﹁ と みえ るが 、 まず 歌 詞 の 二例 が 一方 は ﹁.
(7) 一 富 野 神. (7). 倭 ﹂ と書 く が 意 味 は大 和 であ る点 が 注意 さ れ る。 こ の歌 に お いて は 倭 の大 国霊 ﹂ も や はり ﹁ る点 、 ま たも う 一例 ﹁. 、 日本 国 と 大 和 で文字 に よ る書 き 分 け はなさ れ て いな い。 し かも これが 遣 唐 大 使 に贈 った歌 で 六 三番 歌 と 同様 外 国. 、 。 日 に対 す る自 国 を意識 す る度 合 いの強 い状 況 で の例 であ る こと にも 留 意 し ておき た い 題 詞 の 二例 で は 一方 が ﹁ 。 、 日本 倭 ﹂ で いず れ も全 土 を意 味 し、 こ こ にも特 に積 極 的 な書 き 分 け の意 識 は認 めが た い ただ し ﹁ 本 ﹂、 他 方 は ﹁. 、 挽 歌 ﹂ の方 は これ を ﹁ニホ ンバ ンカ﹂ ま た は ﹁ニッポ ンバ ンカ﹂ と音 読 す べき だ とす れば F一ホ ン﹂ ま た は ﹁ニッ 。 ポ ン﹂ と いう 国 号 を書 き 表 す 意 識 的 用字 と いう こと にな るが 、 ヤ マト の例 から ははず れ る. 日本 ﹂ を全 土 と解 す べき 根 拠 は見 出 しが 以 上 、 憶 良 の歌 詞 ・題 詞 におけ る ヤ マト の表 記 の検 討 から も 、 本 歌 の ﹁ た いと いう こと にな る。. 日 日本 ﹂で全 上 を表 す こと が な か ったわけ で はな い。古 事 記 には ﹁ も っと も 、 こ の時 代 の万葉 集 以外 の文献 に、 ﹁. 日本 武尊 ﹂ 数 例 のみだ が 、 日本 書 紀 に は多 く みられ る。 か つ紀 は ヤ マト の表 記 に 本 ﹂ の表 記 が なく、 風 上 記 にも ﹁. 。 又別名 な が ら も 公 に か か ると. 大 倭 ﹂ で、 日本 全 土 は ﹁日本 ﹂ で表 さ 倭﹂または ﹁ 意 識 的 で、 神 名 o人 名 に含 ま れ るも のを別 にす れば 、大 和 は ﹁ れ る場 合 が 圧 倒 的 に多 い。 宣 長 が 、 さ て紀 中 のやう を考 る に、 お ほく 別名 には倭 をも ち ひ、 惣 名 に は 日本 を用 ゆ. 、 そ れ ら は ほぼ 内 外 の文 献 の引 用 の場合. ︵ 一 こ 石上私淑一 こ ろ は 日本 と かけ り。 大倭 ﹂ で全 土 を意味 す る場 合 も 比 較 的 多 いが 倭﹂ ﹁ と いう ご と く であ る。 ﹁ に限 ら れ る。. 日本﹂ の書 き 分 け は、 続 日本 紀 でさ ら に徹底 し て いる。 続 紀 では、大 倭﹂と ﹁ こう し て紀 にお いて認 めら れ る ﹁. 大養 徳 ﹂、 大 倭 ﹂、 ただ し 天 平 九 年 一二月 から 同 一九年 三月 ま で は ﹁ 天 平 勝 宝 三年 一〇 月 ま で ﹁ 大 倭 ﹂ など ︵ 和は ﹁. 日本 ﹂で表 し、し かも そ の ほと んど が 外 国 関係 大 和し で書 かれ、対 し て全 土 はす べ て ﹁ 天 平 宝 字 二年 二月以 降 は ﹁.
(8) (8) い ざ子 ども早 く日本 へ. 記 事 に表 れ て いる。 中 でも 次 の記事 は憶 良 と か か わ りが 深 い。. 秋 七 月 甲申 の朔 、 正 四位 下 粟 田朝 臣 真 人 、 唐 国 より至 る。 初 め 唐 に至 り し時 、 人有 り、 来 り て問 ひ て 日はく. ﹁ 何 処 の 使 人 ぞ ﹂ と いふ。答 へて 日 はく 、 ﹁日本 国 の使 な り﹂と いふ。 ︵ 中略︶間答 略 了 り て、唐 の人我 が使. に謂 ひ て 日 はく、 ﹁亜 聞 かく 、 ﹁ 海 の東 に大 倭 国有 り。 これ を 君 子国と 謂 ふ。 人 民豊 楽 にし て、 礼 儀 敦 く行 は. る﹂ と き く。 今使 人 を 看 る に、 儀 容 大 だ 浄 し。 豊 信 な ら ず や﹂ と いふ。 語 畢 り てさ りき 。. ︵ 慶雲元年七月条。新 日本古典文学大系 ﹃ 続 日本紀﹄ 一による︶. 憶 良 ら の遣 唐 大 使 、粟 田真 人 の帰 国報 告 の中 に みえ る、渡 唐 の際 の唐 人と の間答 で、﹁ 大 倭 国 ﹂と 聞 いて いたと い. う 唐 人 に対 し て使 節 は ﹁日本 国 の使 な り﹂と名 乗 ったと いう 。 これ が ﹁ 唐 に対 し て 日本 の国 号 を称 し た はじ め﹂ ︵ 新. 大系本注︶ であ ったとす れ ば 、彼 ら 一行 は海 外 で ﹁日本 国﹂ を 強 く 意 識 し、主 張 し たわけ であ ろう 。こ のとき 書 記 役 たる ﹁ 遣 唐 少 録 ﹂ であ った憶 良 はま し てそ う であ った かも し れ な い。. そ の ほ か、 公式 令 詔 書 式 の冒 頭 に ﹁ 明 神 御 宇 日本 天皇 ﹂ と いう 称 号が みえ る。 詔書 で意 識 的 に用 いる こ の天皇 の. 称 号 は外 国 使 に対 す る 用 であ るら しく、 や はり対 外 国 の意 識 が 強 く働 いて いる ﹁日本 ﹂ の例 であ る。. こう し て、 こ の時 代 の万葉 集 以外 の文 献 で は ﹁ 倭 ﹂と ﹁日本 ﹂ の書 き 分け が な さ れ 、 ﹁ 日本 ﹂が 全 土 を表 す も のが. あ る。 け れ ど も 、 以上 の紀 ・続 紀 ・令 な ど の ﹁日本 ﹂ は、 表 記 の レベ ルで の意 識的 な 用字 であ り、 ま た まず はそ れ. ら の文 献 内 部 におけ る 用 字 にと ど ま る こと に留 意 しなけ れ ば な ら な い。それ ら の文 献 の制 約 を こえ て、﹁ 日本 ﹂が 全. 土 を意 味 す る表 記 と し て 万葉 時 代 に 一般 的 に使 用 さ れ て いた わ け で はな いと いう こと であ る。 宣 長 が 、. 夜 麻 登 と いふ に、 日本 と いふも じを 用 る こと は、書 紀 よ り は じ まれ り。 そ は いまだ 例 なき 事 に て、 世 のまど ふ. べき 故 に、 神代 巻 に、 日本 此 一 ムニ 耶 麻 騰 一 下皆 数 /此 、 と いふ訓注 はあ るな り。古 事 記 は、 大 化 の年 よ り. は る か に後 に出来 つれ ど も 、 す べ て の文 字 も 何 も、 ふ るく書 伝 へた るま ゝにし るさ れ て、 夜 麻 登 にも みな倭 字.
(9) 神 野 富 一. (9). を のみ かき て、 日本 と か ゝれ た る所 は ひと つも なき を、書 紀 は、 漢 文 を かざ り、字 をえ らび て か ゝれ た る。 故. ︵ 国号考︶ に、 あ ら た に此 嘉 号 を あ て てか ゝれ た るな り。. 山跡 ﹂ ﹁ 日本 ﹂ の書 き 分 け が な さ れ て いな い事 実 も そ のこと を証 す 倭﹂ ﹁ と いう と ころ に は理 が あ って、 万葉集 に ﹁. る。 ま し て万葉 集 の ヤ マト は、 基 本的 に は音 声 語 と し て の性格 が 強 く 、 表 記 は 二次 的 であ る。 紀 ・続 紀 ・令 な ど の 日本 ﹂ に ついて言 及 しう る こと は少 な い。 表 記 レベ ルの ﹁日本 ﹂ から 万葉 歌 の ﹁. 四 好 去 好 来 の歌﹂ を参 照 し よう 。 次 に、 同 じ憶 良 の遣 唐 使 関 係 歌 であ る、 ﹁ 好 去 好 来 の歌 一首 反啓 晉. 百 一 一 一 口ひ伝 て来 ら く そら み つ 倭 の国 は 皇 神 の 厳 しき 国 一 一 一 一 墨 立の 幸 はふ国 と 五mり 継 ぎ 一 神 代 よ り 一. ︵ 反 して、. 局光 る ひ継 が ひけ り 今 の世 の 人 も こと ごと 目 の前 に 見 た り知 り た り 人 さ は に 満 ち て はあ れ ど も 一. A 引測. 日 の朝 廷 神 な が ら 愛 で の盛 り に 天 の下 奏 し た ま ひ し 家 の子 と 撰 ひ た ま ひ て 勅 旨. ふ な の へ . ︲. 冽J■Ч. IIIIIIIII=羽引. ヨコ. ーーーーーーーーーーーーーー. 還き 境 に 遣 はさ れ 罷 り いま せ 海 原 の 辺 にも奥 にも 神 留 ま り ムふ︶ 戴 き 持 ち て 唐 の ﹂ 大 命 と一. う し はき います 諸 の 大御 神 た ち 船 舶 に ︵ 反して、ふな の へにと云ふ︶道 引 き まを し 天 地 の 大 御 神 た ち. 足らむ 日 に は ま た更 に 大 倭 の 大 国 霊 ひさ か た の 天 のみ空 ゆ 天が け り 見渡 し た ま ひ 事 畢 り 璽. 八九四︶ 浜 辺 に 直 泊 て に み舟 は泊 てむ つ つみな く 幸 く いま し て 速 帰 り ま せ ︵. 御 神 た ち 船 舶 に 御 手 打 ち掛 け て 墨 縄 を 延 へた るご と く あ ぢ か を し 値 嘉 の軸 よ り 大 伴 の 御 津 の. B.
(10) (10) いざ子 ども早 く日本へ. 反 歌. 八九五︶ 大 伴 の 御 津 の松 原 かき 掃 き て 我 立 ち待 たむ 速 帰 り ま せ ︵. 八九二 〇 難 波 津 に み舟 泊 て ぬと 聞 こえ来 ば 紐 解 き 放 け て 立 ち走 り せむ ︵. 天 平 五年 三月 一日 に、 良 の宅 にし て対 面 す 。 献 る は 三 日な り。 山 上憶 良 謹 上 大 唐 大 使 卿 記室. 七≡ こ 〓一 第 九 次 遣唐 大 使 と な った多 治 比 真 人広 成 が 、出港 間 近 い天 平 五年 ︵ 月 一日、こ の頃 はす で に筑 紫 国守 の. 任 を解 かれ て帰 京 し て いた憶 良 を 家 に訪 問 し た。 これ に応 え て制 作 さ れ た のが こ の歌 で、 三月 三 日、 大 使 に献 って. 。 憶 良 七 四歳 のとき で、 六 三番 歌 の作 歌 時 点 よ り はす で に 三十年 近 くも隔 た って いる。 いる ︵ 左注︶. さ て歌 は、 ヨ墨 き の力 にかけ て大 使 に選 ば れ た広 成 を言 寿 ぎ 、そ の往 還 の無 事 を祈 る内 容 であ るが 、 こ こ で は往 路 帰 路 の表 現 に つ いて 二 つの こと に注 目 し た い。. 第 一点 は ﹁ 倭 の 大 国 霊 ﹂ であ る。 こ の歌 、傍 線 を付 し た A部 が 往 路 の航海 を、B部 が帰 路 の航 海 を叙 し て いると. みら れ るが 、 そ の A部 で、 海 原 を 領 す る ﹁ 諸 の大 御 神 た ち﹂ が 船 の舶 先 で先 導 す ると いう のに対 し て、 天空 を飛 び. 倭 の大 国霊 ﹂であ る。B部 で は特 に名 天 地 の大 御 神 た ち﹂、そ の中 でも 別 し て挙 げ ら れ る のが ﹁ 翔 って見 守 る のが ﹁. は挙 げ ら れ て いな いが 、﹁︵ ま た更 に︶ 大 御 神 た ち﹂ の中 に、 A部 に挙 げ られ た諸 神 と と も に含 ま れ て い る と み て よ い。. ﹁ 大国 ︵ 御︶魂 国 霊 ﹂︵ 国魂 ︶ は国上 の神 霊 の意 で、﹁ 倭 の大 国 霊 ﹂は、 現 在 天 理 市 新 泉 にあ る 大 和 神 社 の祭 神 。﹁. 天 五頁︶だ から、﹁ 倭 の大 国霊﹂は大 和 の国 土 を支 配 全 国 的 に 一般 的 な神 名 ﹂︵ 新潮 日本古典集成 ﹃ 古事記〓 一 の神 ﹂ は ﹁. 天 地 の大 御 神 た ち﹂ の中 で ひと り別 し て固有 す る神 であ る。 そ し て こ の歌 で こ の神 が 航 海 神 ら しく いわ れ 、 ま た ﹁. 名 詞 で言 挙 げ さ れ る理 由 は、 こ の神 が皇 室 の祀 る神 であ ると いう こと のほか にまさ に こ の大 和 の国上 の神 であ ると.
(11) 神 野 富 一. (11). 。 いう 点 に求 めら れ よう 。 大 和 を出 発 し、 大 和 ま で無 事 で帰 ってく る べき 旅 だ か ら こそ こ の神 の加護 が特 に願 わ れ た 。 大 和 ︱← 唐 ︱← 大 和 ﹂ と 、 大 和 を起 点 ・終 点 と す ると いう 観 念 が う かが わ れ る こ こ に は、 遣 唐 使 の旅 は ﹁ 。 、 値嘉 の そ う し た旅 の行 程 の観 念 は、 B部 、帰 路 の表 現 にも う かが われ る と いう こと が 第 二点 であ る 帰 路 は ﹁. 大 伴 の御 津﹂ は大 和 の外 港 と 大 伴 の御 津 ﹂ ま でが と り わけ て詠 ま れ 、 ﹁ 哺﹂ ︵ 長崎 県 福 江島 の 三井 楽 付 近 か︶ よ り ﹁. 大 伴 の御 津 ﹂ し て の性 格 を も つか ら 、 や はり こ こでも 大 和 ま で の帰 還 が詠 まれ て いる の であ る。 二首 の反 歌 でも ﹁ 。 唐 国﹂ か ら ﹁日本 国﹂ へと いう ふう には詠 ま れ て いな いこと に留意 し て お こう ﹁ 難 波 津 ﹂ と繰 返 さ れ て いる。 ﹁ 。 と こ ろ で、 こ の歌 で は言 霊 や神 々が揚 言 さ れ、 全篇 大 使 の旅 の無 事 への祈 り に満 ち て いる 航海 が 神 々の守 護 を 。 、 主 体 に表 現 さ れ て いる のも そう し た呪 歌 的 な性 質 を示 し て いる そ し て こ の旅 の無 事 への祈 りを歌 に こ め ると い う 点 で は、 六 三番 歌 も 同様 であ ろう。 いざ 子ど も 早 く 日本 へ大 伴 の御津 の浜 松 待 ち恋 ひ ぬらむ. 帰 早く ︵ 待 つ﹂ ﹁ 待 つ﹂ を導 く表 現 、 ﹁ 松 ﹂ から ﹁ 浜 ︶ 松 ﹂ の語 、 ﹁ 大伴 の御 津 ︵ 八九五︶と ﹁ は、 特 に反 歌 の 一首 ︵. 、 る︶﹂ の語 を 共 有 し、ま た全 体 と し て 一方 は唐 土 を これ から去 ろう と いう 立 場 で の 他 方 は唐 土 から帰 る人 を待 と う 。 、 早く ︵ 帰ら と いう 立 場 で の歌 と し てま る で 三十年 近 く の時 間 の隔 た りを消 し た か のよう に対応 し て いる ま た ﹁. 船 は早 け む﹂な ど の待 つ 早 帰 り来 ﹂ ﹁ 早渡 り来 て﹂ ﹁ 早 帰 り ま せ﹂ ﹁ 早帰 り来 ね﹂ ﹁ む と と の言 挙 げ は、集 中 に多 い ﹁ 。 、 待 松 ﹂ から ﹁ 側 からす る、 慣 用的 な 旅 立 つ人 の航海 の無 事 を祈 る言 挙 げ と対応 す る さ ら に これ ま た慣 用的 な ﹁. 待 ち恋 ふ﹂と 浜 や松 を 主 体 に詠 む と ころ にも祈 り の要 素 は濃 大 伴 の御 津 の浜 松 ﹂が ﹁ つ﹂ を導 く表 現 に拠 り つ つ、 ﹁. 、 い。 こう し て本 歌 は、 表 現 から み ると き 、 たと えば 安 倍 仲麿 が や はり唐 上 で詠 んだ と 伝 え る. 古今和歌集巻九︶ あ ま の原 ふりさ け 見 れば 春 日な る 三笠 の山 に いでし月 かも ︵. 。 歌 の力 ﹂ への信 頼 に な ど と はちが って、望 郷 歌 と いう よりも 旅 の行 程 の無 事 を祈 る歌 と し て の実 質 を も って いる ﹁.
(12) (12) い ざ子 ども早 く日本 へ. 根 ざ し た、出帆 時 の予 祝 の歌 な の であ る 。そ し て、そ の旅 の行 程 は、 ﹁ 好 去好 来 の歌 ﹂ の場合 を参 照す れば 、大 和 や 大 伴 の御 津 を終 着 点 と す る の で、 決 し て 日本 国 へ帰 り つき た いと表 現 す る の で はな い。. 五. 憶 良 歌 以外 の遣 唐 使 関 係 歌 にも 、 祈 り や行 程 の表 現 にお いて同様 の ことが う かが われ る。. 集 中 遣 唐 使 関 係 歌 は、 憶 良 の歌 の ほ か に 二十 首 前 後 が 数 え ら れ るが 、 多 く 渡 唐 の前 の餞 宴 で の歌 と みら れ 、 送 ら. れ る側 の歌 はわず か に 〓一 首 ︵ 第十次 の大使藤原清河作が巻 一九、 四二四 一、 四一 一 四四。阿倍老人作と伝誦する歌が同、四二四. 七︶、 そ れ も いず れ も 短 歌 ば か り で、 そ の他 は送 る側 の人 々の歌 であ る。 送 る歌 2 詠み手 に は 、 官 人 の ほ か 、 天 皇. ︵ 孝謙、巻 一九、四一 一 一 六四、四一 六五︶・太 后 ︵ 一 光明、同、四一 四〇︶・宮 廷 歌 人 ︵ 笠金村、巻八、 一四五三∼ 一四五五。柿本人. 、親母 ︵ 麻呂歌集、巻十 三、 三一 一 五三、 三一 一 五四もか︶ 巻九、 一七九〇︶らが あ り、歌 の場 にも 公私 の広 が り はあ ると みら れ るが 、 歌 の内 容 は ほぼ 一致 し て相 手 の旅 の無 事 への祈 念 であ る。 神 の加護 を いう も の の多 いこと ︵ 巻 一、六 二。巻 九、 一七八四。巻 一九、 四一 一 四〇、四一 一 四三、四一 四五、四二 ハ四︶、待 つ側 と し て自 ら の ﹁ 一 斎 ひ﹂を いう も の のあ る こと ︵ 巻 八、 一四五三。巻九、 一七九〇。巻 一九、四二工 全二、四二六五︶、三面挙げ ﹂ 軍一 口 霊 ﹂を いうも の のあ る こと ︵ 巻 一三、三二. 五三、 三三 五四︶な ど か ら は、そ れ ら 遣 唐 使 を 送 る歌 が 言 霊 に よ って予 祝 しよ う とす る呪 歌 的 な性 質 を強 く も って い. る こと が 知 ら れ よう 。 四 二六 二左 注 に は、 ﹁ 右 の 一首 は、 多 治 比真 人鷹 主 、副 使 大 伴 胡 麻 呂宿 祠 を寿 く ﹂ と も み え る。 ま た 別 れ の歌 と し て の共 通 語 句 も 多 く 、 要 す る に これ ら の歌 は集 中 数多 い旅 立 ち に際 し て の悲 別 歌 の延 長 上 に も と ら え ら れ る。 さ て これ ら の歌 の、 行 程 の表 現 を み よう 。.
(13) 一. 天 平 五年 一 入唐 使 に贈 る歌 一首 井せて短歌 作 り主 未 だ 詳 ら かな ら ず. 二津 に 舶 乗 り 直 渡 り そ ら み つ 山跡 の国 あ を によし 平 城 の京 師 ゆ お し てる 難 波 に下 り 住吉 の 一. ︵ 巻十九、四二四五︶. 漕 ぎ 泊 てむ 泊 り泊 り に 荒 き 風 波 にあ は せ. 日 の入 る国 に 泣 追はさ る 我 が背 の君 を 懸 け まく の ゆ ゆ し 恐 き 墨 吉 の 五日が大 御 神 舶 舶 に う し は き いま し 舶臆 に み立 た しまし て さ し寄 ら む 磯 の埼 埼 ず 平 け く 率 て帰 り ま せ も と の国 家 に. 反 歌 一首. 四一 一 四工 C 奥 つ波 辺波 な越 し そ 君が舶 漕 ぎ 帰 り来 て 津 に泊 つるま で ︵. 磯 の埼 埼 ﹂ ﹁ 泊 り泊 り﹂ が あ 住吉 の三津 と であ る。 行 路 の途 中 に は ﹁ 唐 ︶ ︱← も と の国家 、 津 ︵ ︱← 日 の入 る国 ︵. 山 跡 の 国 の平 城 の都 ︱← 難 波 の住 吉 の 三津 傍 線 部 によ れば 、 こ の歌 に観 念 され て いる遣 唐 使 の旅 の行 程 は 、 ﹁. 日本古典文学全集 ﹃ 萬葉集し にし ろ、長 い 国家 ﹂ に ﹁ 対 外 的 な意 味 が 加 わ って いる﹂︵ も と の国家 ﹂と は、原 文 ﹁ る。 ﹁. 的 な 表 現 であ った。 遣 唐 使 の場 合 と は限 定 でき な いが 、 筑 紫 以 西 へ旅 し て客 死 し たら し いひと を傷 む挽 歌 に、 そ の. 大伴 の御 津 ︶ へ、 あ る いは難 波 から大 和 へと 詠 む のは、実 際 の行 路 に沿 った定 型 の理 解 を助 け る。 大 和 か ら難 波 ︵. 大 伴 の御 津 ﹂ へと 続 く 気 息 山跡 ︱← 難 波 の住 吉 の 三津 ﹂ と 詠 ま れ て いる点 は、 六 三番 歌 の ﹁日本 ﹂ から ﹁ ま た、 ﹁. い。. 好 去 好 来 の歌 ﹂に ひと し と の往 還 と い った表 現 は し て いな い。反 歌 で住吉 の津 が終 着 点 と し て詠 ま れ て いる のも 、﹁. し て旅 の行 程 と し て は ﹁ 大 和 ︱← 唐 ︱← 大 和 ﹂が 詠 ま れ て いる ので、日本 国 と 唐 国 好 去 好 来 の歌 ﹂ の場 合 と 同様 、 ﹁. 萬葉集し と も意 訳 でき よう 。旅 の無 事 を祈 る歌 だ か ら当 然 だ とも いえ るが 、 こう の大 和 の国 に﹂ ︵ 新潮 日本古典集成 ﹃. も と のこ 大 和 の意 ︶ の国﹂ と の対応 にお いて ﹁ そ ら み つ山跡 ︵ 朝 廷 ﹂ であ り、 冒 頭 の ﹁ 航 海 の果 て にたど り つく ﹁. 野. 富 神. (13).
(14) (14) い ざ子 ども早 く日本 へ. ﹁ 君 ﹂ の行 程 を 、. あ き づ 島 倭 を過 ぎ て 大 伴 の 御 津 の浜 辺 ゆ 大 舟 に ま梶繁 貫き ︵ 巻 一三、≡ 壬≡ し. と、 や は り ﹁ 倭 ︱← 大 伴 の御 津 ﹂ と詠 む し、 逆 に帰 路 で は、 遣 新 羅 使 人 の場 合 だ が 播 磨 国家 島 で詠 んだ と いう 歌 の う ち に、. ぬば た ま の夜 明 か しも 船 は漕 ぎ 行 か な み津 の浜 松 待 ち恋 ひ ぬら む ︵ 巻 一五、一 一 石 二こ. 大 伴 の み津 の泊 り に船 泊 て て龍 田 の山 を い つか越 え 行 かむ ︵ 同、 一 一 石 二こ. 大 伴 の み津 ﹂ か ら ﹁ 龍 田 の山 ﹂ を越 え ゆ く先 、 つま り大 和 への行 程 が 暗 示 さ れ て いる。 と、 や は り ﹁. ち な み に、 六 三番 歌 の ﹁日本 ﹂ を大 和 と解 す ると 、 続 く ﹁ 大 伴 の御 津﹂ が 大 和 の国 にはな いゆ え に 二 つの地名 の. 関 係 が 不 可解 と な ると いう 見 方 が あ るけ れ ど も 、 し か し こう し て行 程 の表 現 の例 を み るとき 、 大 和 と大 伴 の御 津 を. 合 せ詠 む こと は必然 的 でさ え あ る こと が 知 ら れ よう 。 かえ って 不 可解 さ は、 日本 国 へと まず 大 き く い ってお いて、 続 い て大 伴 の御 津 と 小 地 名 を 詠 んだ と解 す る方 にあ る。. 。 ま た、 遣 唐 使 関 係 歌 に戻 ると 、 ほ か にも難 波 か ら の出 港 を いう も のが あ る ︵ 巻八、 一四五三。巻九、 一七九〇題詞︶. 巻 一九、四一 こ 住 吉 に斎 く 祝 が 神 言 と 行 く と も来 と も 舶 は早 け む ︵ 西一 にも 、 住 吉 を旅 の起 点 o終 点 とす る観 念 が みえ る。. こう し て、 憶 良 歌 以 外 の遣 唐 使 関係 歌 でも 、 そ の旅 の行 程 は ﹁ 大 和 ︱← 大 伴 の御 津 ︵ 難 波 ︶ ︱← 唐 ︱← 大伴 の御. 津 ︱← 大 和 ﹂ と 把 握 さ れ て いる。 なぜ 大 和 や大 伴 の御 津 が しき り に詠 まれ る のかと いえば 、 そ れが 出発 しま た帰 着. す べき 土 地 であ り、 そ の名 を 挙げ そ の間 の行 程 を描 く こと によ って旅 の無 事 を祈 念 す る た め であ る。 これ ら の こと. は、 先 の憶 良 の ﹁ 好 去 好 来 の歌 ﹂ の場 合 と 変 ら な い。 そ し て こう し た彼 ら の観 念 に お いては、決 し て使 人が ﹁ 対馬. の渡 ﹂ ︵ 巻 一、六 一 しや ﹁ 値 嘉 の軸 ﹂︵ 巻 五、八九四︶ま で無 事 に帰 ってく れば 、 つま り 日本 国 の境 ま で達 す れば よ いと.
(15) 一 富 野 神. (15). いう も の で はな い。 あ く ま で大 伴 の御 津 ま で、 大 和 ま でな の であ る。 ふた たび 遣 新 羅 使 人 の場合 だ が 、萱 岐 の島 で. 遠 の国 いまだ も 着 かず 也 麻 等 を も遠 く離 り て﹂ 客 死 し た雪 連 宅 満 を傷 む 一人 は、 そう し て壼 岐 の島 にあ る状 態 を、 ﹁. 一 天 八八︶と 中 途 半 端 だ とし て詠 む。 思 慕 の対 象 は大 和 であ り、 や は り帰 り つく べき は大 和 な のであ る。 ︵ 巻 一五、 一. 六 三番 歌 は、旅 の行 程 の観 念 や旅 の無 事 への祈 りと いう点 で、 以 上 の遣唐 使 関 係 歌 と決 し て無 縁 ではな い。 そ れ. ど こ ろ か、 先 にも み た よう に、 そ の語 句 や表 現 は全 く そ れ ら の歌 の範疇 にあ る こと が わ か る。 歌 自 身 は、望 郷 歌 と いう よ り旅 立 ち の歌 、 そ れ も 旅 の無事 を祈 念 す る歌 な のであ る。. 日本 ﹂ は、大 和 を意 味 す ると いう ほ か はな い。これ を 日本 早 く 日本 へ﹂と いわ れ るそ の ﹁ こう し て み てく ると 、 ﹁. 国 と 解 す る通 説 は、 状 況 の特 殊 性 への先 入見 にも とづ く誤解 であ ると いわ ねば な ら な い。. 大 和 ﹂ は和 歌 の世 界 で 日本 国 の中 心 と し て の大 和 と いう 意義 を にな って いる。 た だ し、 こう も 付 言 し て お こう。 ﹁. 。本稿 山上憶良﹄ 中西進 ﹃ 外 つ国 にあ る こと の自 覚 の中 に発 せら れ﹂ た ︵ 大 和 ﹂ が 、 帰 り着 く べき 土地と し て ﹁ その ﹁. 第 三節 に引用︶と き 、 ﹁日本 ﹂ は 日本国 をも合 意 し た であ ろう。言 い直 せば 、本 歌 の ﹁日本 ﹂は大 和 であ る にちが いな. 帰 ろうと と いわ れ たそ の言 外 に、 日本 国 への帰 還 は意 識 さ れ て い 早 く ︵日本 国 の中 心 たる︶ 大 和 へ ︵ いのだ が 、 ﹁ た であ ろう 。 外 国 r 詠ま れ た歌 であ ると いう 特 殊 性 が 、 こ こ に はたらく。. 山 上 臣憶 良 、 大唐 にあ り し時 に、 本 郷 を憶 ひ て作 れ る歌﹂ が 、外 側 から の 題 詞 と の関 係 に ふれ てお けば 、題詞 ﹁. 本 郷 を憶 ふ﹂ と望 郷 を強 歌 の説 明 と し て歌 よ りも後 れ て書 かれ たも の であ る こと は自 明 であ ろう。 他 国 にあ って ﹁. 本 郷 ﹂ は漢 語 と し て故 郷 の意 、 万 葉 歌 に 調 す る こ の題 詞 は、 大 和 に おけ る こ の歌 の 一つの受 容 のあ り方 を 示す。 ﹁ ら、 J. 巻 一九、四 一四四︶ 燕 来 る時 にな り ぬと 鳩 が 鳴 は本郷 思 ひ つ つ雲 隠 り喧 く ︵ 故 郷 ︶ に宛 てる。 ま た遣 新 羅 使 人 等 の、 本郷﹂ を ク ニ ︵ L ﹁.
(16) (16) いざ子 ども早 く日本へ. 筑 紫 の 館 に至 り て本 郷 を 遥 か に望 み、 悽 愴 び て作 る歌 ︵ 巻 一五、一 一 天 五二題詞︶. は、 ﹁ 本 郷 ﹂ が ヤ マトを さ す 点 でも 本 歌 の例 に ひと し い。 で は こ の故 郷 の意 の ﹁ 本 郷 ﹂が 本 歌 の場 合 具体 的 にはど こ. をさ す か、 と あ え て間 う な ら、 ﹁ 大 唐 ﹂ と の対 比 にお いて は 日本 国 を さ すと も みえ るが 、 歌 詞 の中 でも特 に ﹁ 日本 ﹂. と の対 比 を 考 え れば 大 和 を さ す と いう ほか はな い。ただ 両者 は排 他 的 ではな く 、﹁ 早 く 日本 へ﹂が 言 外 に 日本 国 を含. 意 し たと 同 じ意 味 にお いて、 こ の本 郷 も 日本 国 を合 意 す る。 日本 国 の中 心た る大 和 を さ す 。 も う 一点 、 弁 正 の詩 と の関 係 に ついても ふれ て お こう 。 懐 風藻 に、 。 五言 。 在 /唐 憶 二 一絶 。 本郷 一 日辺 階 一 日本 一 雲 裏 望 墓 バ 端 孔 遠遊 労 一 遠 国 一 長恨 苦 二 長安 蔦 一 一. と載 る詩 は、 六 三番 歌 と特 にそ の初 旬 及び 題 詞 の類 似 が 指 摘 さ れ 、 作 者弁 正 が 憶 良 と 同 次 の船 で渡 唐 し た人 であ る. こと も 手 伝 って、直 接 の影 響 関 係 が 説 かれ る こと も あ る。 そ し て こ の詩 の ﹁ 日本 ﹂ は、 た し か に 日本 国 を意味 す る であ ろう 。. し か し、 両 者 の共 通 点 はそ れ と 認 め てお く と し て、 比 較 のた め に は両者 の相 違 点 も み てお かねば な ら な い。弁 正. の詩 の ﹁日本 ﹂ が な ぜ 日本 国 を 意 味 す る か と いえ ば 、 そ れ が 漢 詩 中 の ことば だ か ら であ る。 こ の ﹁日本 ﹂ は漢 詩 の. 有 す る世 界 観 の中 に位 置 づ け ら れ ると ころ の 日本 国 であ ると い っても よ い。 これ は、 正格 漢 文 で書 かれ た 日本書 紀. や続 日本 紀 が 、 先 述 のよう に意 識 的 に ﹁ 日本 ﹂ の文 字 を 用 いて外 国 に対す る 日本 国 を 示 し た こと と 通 ず る。 一方 、. 憶 良 の歌 の ﹁日本 ﹂ は、 和 歌 ︵ 倭 歌︶ であ るゆ え に大 和 な の であ る。 和 歌 の有 す る世 界 観 ︵ 和 歌 的 風 土 の構造 ︶ の 中 で こそ 、 こ の ﹁日本 ﹂ は読 み解 く 必要 が あ る。. 先 に、 本 歌 の ﹁ 日本 ﹂ が 平安 中 期 頃 から す で に ヒ ノ モトと 訓 ま れ て 日本国 と解 さ れ 、 そ れ で の享 受 が 長 く か つ広. か った こと を 述 べた。 近 世 以来 、 ヒノ モト の訓 は 否定 さ れ ヤ マトと 訓 まれ る よう にな ったけ れ ど も 、 し か し訓 み は.
(17) 神 野 富 一. (17). 改 めら れ ても ﹁日本 ﹂ は依 然 と し て日本 国と解 さ れ てき た、 と いう こと にな る。 ヒ ノ モトと し て の長 く広 い享 受 史. が 、 今 日ま で影 響 を与 え て いると いう べき か。 だ が 、 こ の歌 を 万葉 歌 の世界 の中 で 読 解 す る と き 、 以 上 三節 に わ た って検 討 し てき た よう に、 ﹁日本﹂ は大 和 を意 味 す ると いう ほか はな い。. 六. 万葉 集 六 三番 歌 の ヤ マトと 同様 の論議 は、 次 の欽 明紀 ︵壬 二年七月︶ の歌謡 の ヤ マト にも 及 ぶ べき だ ろう。. 同 じ時 に 慮 に せら れ た る調吉 士伊 企 灘 、人 と為 り勇 烈 く し て、終 に降 服 はず 。新 羅 の 闘 将 、刀を抜 き て斬 ら. さ け酬興 戦を以ちて明だに向かはじめて、大きに号 跳びて日はしむら むとす。融めてぶ﹂ を静かしめ、追ひて励た 叫. く、 ﹁日本 の将 、 我 が慣 推 を 嘔 へ﹂ と いは し む。 即 ち号叫 び て 日 はく、 ﹁ 新 羅 の 王 、 我 が脱 騰 を 喧 へ﹂ と いふ。. 苦 め 逼 ま ると 雖 も 、 尚 前 の如 く叫 ぶ。 是 に由 り て殺 さ れ ぬ。 其 の子舅 子、 亦 其 の父 を 抱 へて死 ぬ。 伊企 雌 、. 辞 旨 の奪 ひ難 き こと、 皆 此 の如 し。 此 に由 り て、 特 り諸 の 将 帥 の為 に痛 み惜 し ま る。 其 の妻 大葉 子、亦 並 に 禽 に せら る。 愴 然 み て歌 ひ て 日はく、. 加 羅 国 の城 の上 に立 ち て大葉 子 は領 巾 振 ら す も 耶魔 等 へ向 き て ︵一〇〇︶ 或有 、 和 へて 日 はく、. 加 羅 国 の城 の上 に立 た し大葉 子 は領 巾 振 ら す 見 ゆ難 波 へ向 き て ︵一〇 こ. ︵ 土橋寛 ﹃ 古代歌謡全注釈 日本書紀編﹄による︶. まず 記紀 歌 謡 中 の ヤ マト の用 例 をなが め ておく と 、 紀 歌謡 に は ヤ マト oヤ マト ノ ク ニが 合 わ せ て九首 に 一一例 、. う ち ヤ マト九 例 、 これ ら は当 面 の 一〇〇 番 歌 以 外 はす べ て大 和 を意 味 す る 。記 歌謡 で は計 九 首 に十 例 、う ち ヤ マト.
(18) (18) いざ子 ども早 く日本へ. 八例 で これ ら も す べ て大 和 を意 味 す る。 ﹁ 枕 詞 + ヤ マト ノク ニ﹂ と いう かたち で 日本 国 を表 す も のも あ り ︵ 記七 一・. 、 結 局 記 紀 歌謡 のヤ マト のあ り方 も基 本 的 に は万葉 歌 の場 合 と 変 わ ら な い。 七一 一 ︱︱ 紀六 二 上 雀 雇 重出︶. と ころが 、 こ の 一〇 〇 番 歌 の ヤ マト のみ は、 従 来 日本 国 と 解 さ れ てき た。 それ に は、 こ の歌 が 物 語 の中 で は新 羅. と 日本 と の戦 い の文 脈 のう ち にあ る こと 、 直 接 的 に は地 の文 に ニカ所 ﹁ 日本 ﹂ とあ る こと ︵ 傍 線 部 ︶ から の類 推 が. ○ ○ 番 歌と 、. 番歌 の ﹁ 難 波 へ向 き て﹂ と の対応 に問 題 が 生ず る。. 大 き く作 用 し て いると 思 わ れ る。特 に ﹁︵ 尻臀 を 以 ち て︶ 日本 に向 か は し めて﹂と、歌 謡 の ﹁ヤ マト ヘ向 き て﹂と は そ のま ま対 応 す る か にみえ る。 し か し 一方 、 こ の ヤ マトを 日本 国 と解 す ると 、 次 の歌謡 一〇 大 葉 子 の 一〇 〇 番 歌 に或 人 が応 じ た と いう こ の 一〇 一番 歌 は、. 是 れ 一首 の上 に、 た ゝ七字 換 り た る のみ に て心 詞 全 同 じ こと な り。 ︵ 一 稜威一 一 一 口 別︶. と いう さ ま であ り 、 す ると そ の相 同 性 にお いて ﹁日本 ﹂ と ﹁ 難 波 ﹂ の対 応 で は不自 然 にう つる の であ る。 こ の問題. を 、 稜 威 言 別 で は、 ﹁ 難 波 ﹂ の方 を 疑 問 視 す る こと に よ って解 こう と し て いる。 す な わ ち 、 前 文 に続 け て、 殊 に難 波 は、 此 国 の 一郷 の名 な れば 、 異 国 よ り 向 二 難波 一 な ど 云 べき に非 ず。. と 。 た し か に、 ﹁ 韓 国 の城 の上 に立 た し﹂大葉 子 が 領 巾 を振 る方 向 が ﹁ 難 波﹂と いう の で は、地 理 の感 覚 にお いて奇 妙 な感 覚 に陥 る。 た と えば 、. 難 波 ハ舟 ヲ泊 ル津 ナ レ ハ、 故 郷 ヲ恋 テ、帰 ラ ム事 ヲ願 フ心 ノ中 ヲ弥 アラ ハセリ。 ︵ 厚顔抄︶ と いう ご とき 、 諸 注 に多 く説 かれ る 理由 を考慮 し ても な お、 であ る。. だ が 、 も し こ の歌 謡 が 、 大 和 ︵ や や広 く と ら え る︶ にお いて伝 承 さ れ たと す れば ど う か。 これ ら の歌謡 を含 む物. 語 は、 任 那滅 亡 にま つわ る数 あ る物 語 のう ち の 一つであ り、 調吉 士伊 企 難と そ の妻 大 葉 子 の忠 国 と望 郷 の悲 劇 と し. て、百済 系 氏 族 調 氏 の述 作 の手 が 加 わ って い る に し ても 、大 和 の人 々に こそ享受 さ れ たも の であ ろう。大 葉 子 の領.
(19) 難 波 ﹂ と 歌 う 必然性 が そ こ にあ る。 大 葉 子 は、帰 り着 く べき 地、 難 波 に向 か って領 巾 を振 り、望 巾 振 り の方 向 を ﹁. 郷 し、 ま たそ の土 地 の呪力 を招 こうと し た、 と いう の であ る。 そ の大 葉 子 の像 は、 伊 勢 国 の能 煩 野 で死 の病 を得 て. しき り に大 和 を慕 い、 そ の呪 力 を招き 寄 せよう と し た古 事 記 の倭 建 命 の像 と いく ら か は重 な る。. 難 波 ﹂ と 歌 わ れ る こと が 了解 でき る のだ と す れば 、 同 じ理由 で 一〇 〇 番 こう し て、 大 和 で の伝 承 を考 え ると き ﹁. 難 波 ﹂ と の対応 の不自 然 さ も解 一〇 一番 歌 の ﹁ 歌 の ﹁ヤ マト﹂ も 大 和 と解 す べき であ る。 そう み る こと に よ って、. 和﹂ え 難 波 ﹂ と 歌 いかえ る こと が ﹁ 大 和﹂ と 歌 ったと こ ろを航 路 の終 着 点 ﹁ 消 さ れ よう。 大 葉 子 が 望 郷 の土 地 を ﹁. る こと であ った。 こ こ でも 、 万葉 歌 の場合 と 同様 、 行 程 の観 念 に沿 って大 和 と難 波 が 合 せ歌 わ れ て いる のであ る。. 日本 ﹂と 畑 齢 す ると は、 一概 に いえ な いであ ろう。繰 大 和 ﹂と 歌 われ た こと が 地 の文 の ﹁ 念 のた め に いえ ば 、 ﹁. 返 し いう よう に、 大 和 は 日本 国 の中 心 と し て の大 和 であ る。 あ る いはま た、 地 の文 で は ﹁日本 ﹂ と書 かれ て いるけ. れ ど も 、資 料 と な った伝 承 にお いては、 そ の部 分 が 大 和 であ った 可能 性 もあ る。 日本 国 を強 調 す る 日本 書 紀 の思想. の方 に こそ、 こ の物 語 におけ る ヤ マト の語 を わ か り にく く し て いる原 因が あ る のかも し れ な い。. 難 波 ﹂と 分 出 し てく るあ り方 は、万 結 局 、外 国 で歌 ったと さ れ る こ の両首 にお いて、 ﹁ヤ マト﹂と 歌 いそ こから ﹁. 大 伴 の御 津﹂ へと続 く あ り方 と 同 一であ ると いう こと にな ろう 。 葉 六 三番 歌 の ﹁日本 ﹂ から ﹁. 一九 九 一年 ︶。 犬 養 孝 編 ﹃万葉 の風 土 と 歌 人﹄ 所収 、 拙稿 ﹁ 舒 明 天皇 と 大 和 ︱︱ 和 歌 的 風土 の創造 ︱︱ ﹂ ︵. 名 に い へる に はあ ら ず 。 下 のや まとが 即 ち惣 名 のや ま と な れば 、 わづ ら はしく 国名 を重 ね て いふ べき にあ らず 。 こ れ は 只 や 石上私 淑言 、巻 三︶。 まと と いは む と て の枕 詞 也﹂ ︵. 巻 三、 三 一九︶と 、 一例 のな ヒ ノ モトと 訓 む例 が あ る。 日本 之 山 跡 の国 の鎮 めと も座 す 祗 かも宝 と も 成 れ る山 かも﹂ ︵ 集中、 ﹁ た ゞし これ らも 国 の ご また ﹁ 日本 乃倭 之 国波﹂ ︵ 巻 一九 、興福寺 僧 長 歌︶ と みえ る。 ﹁ 日本 乃野 馬墓 乃国〓 ま た続 日本 後 紀 に、 ﹁. 圧 い. (2). 一 富 野 神. (19).
(20) (20) い ざ子 ども早 く日本 へ. (3). (6) (5). 川 日常 孝 ﹁ いざ 子 ど も 早 く 日本 へ﹄ 歌 の背 景 穴 ﹁ 帝京 大 学 文 学 部 紀 要 ﹂ 一三、 一九 八 一年 一〇 月 ︶ は、憶 良 の ﹁ 日本 ﹂ の用字. を 国家 意 識 にも と づ く も の で ﹁ 倭 ﹂ の用字 に対 す ると 説 く が 、 叙 上 の検 討 により従 えな い。 参 考 、嘉 手苅 千 鶴 子 ﹁ おも ろと 万葉 歌 ︱︱ 航 海 に関 わ る表 現 よ り み た ︱︱ 穴 ﹁ 沖 縄 国際 大 学文 学 部 紀 要 ﹂ 一五︱ 一、 一九 八六 益 田勝実 ﹁ 遣 唐 少 録 山 上憶 良 外 伝 穴 ﹁ 日本 文 学 誌 要﹂ 三 五、 一九 八六年 一二月︶。. 年 一〇 月︶。. 中 で、崇 神 紀 の ﹁こ の御 酒 は わ が御 酒 な らず 椰 磨 等 な す 大 物 主 の 醸 みし御 酒 幾 久 幾 久 ﹂ の ヤ マト を 日本 全 体 を. 意 味 す ると いう 見 解 も あ るが 、大 物 主神 の名 乗 り に ﹁ 我 は是 倭 国 の 域 の内 に所 居 る神 、名 を大 物 主 神 と為 ふ﹂倉不 神 紀 七年 二月︶ とぁ る こと か ら す ると 、 な お大 和 を意味 し よう 。 上橋寛 ﹃ 古 代 歌 謡 日本 書 紀 編 ﹄ 2 九 七 六年 ︶。.
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