「経済学」と「経済」教育の乖離 前編 : 経国済民と節約の分離 利用統計を見る

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(1)「経済学」と「経済」教育の乖離 前編:経国済民と節約の分離 A Gap between Econcmics and Education of Economy Part 1 宇 多 賢治郎 Kenjiro UDA. 山梨大学教育人間科学部紀要 第 17 巻 2015年度抜刷.

(2) 平成 27 年(2015年)度. 山梨大学教育人間科学部紀要. 第 17 巻 P93∼100. 「経済学」と「経済」教育の乖離 前編:経国済民と節約の分離 A Gap between Econcmics and Education of Economy Part 1 宇 多 賢治郎1 Kenjiro UDA キーワード:科学、社会、情報処理、 「バカの壁」 、経済単位としての家 1.はじめに Albert Einstein If you can t explain it to a six year old, you don t understand it yourself.  宇多(2012)などの筆者の研究論文では、研究の前提となる経済理論をページ数の制約等で省略せ ざるを得なかった。それを本紀要第16巻に掲載した「経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離」 (前後編) でまとめ、講義などの機会で説明したところ、さらに基本的なことを整理する必要があることに気づ かされた。本稿は、その整理した理論をまとめようとする試みの、最初の成果になる。  本稿を初めとする一連の論文を執筆するきっかけは、教育人間科学部に所属し、小中高校で教える 社会科の経済教育を見直すことで、自身が学びまた研究してきた「経済学」そのものに対する疑問や 不信を、改めて検証する機会を得たことである2。これにより、社会科の教員の考えを知り、社会科教 育で説明されている「経済」の説明と経済学部で教授される「経済学」の理論、 また「経済学者」や「エ コノミスト」などの肩書きを持つ研究者の「主張」を比較、検証することができた。  本稿を初めとする一連の論文では、これらの経験を踏まえ、 「経済学」と「経済」の違いを、辞書の 説明を示すなどの基本的な作業によって確認し、整理して説明する。 2.「科学」とは何か? 2-1.「科学」の意味  「経済学」は社会科学に分類される。そこで、まず「科学」を説明することから始める。国語辞典(大 辞泉)を引くと、次のように説明されている。  《science》一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果としての 体系的知識。研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。 一般に、哲学・宗教・芸術などと区別して用いられ、広義には学・学問と同じ意味に、狭義では 自然科学だけをさすことがある。  つまり「科学」とは、人の五感を通して得た情報を元に、人が合理的な手続きに基づいて考えたこ. 1. 2. 山梨大学(教育人間科学部 准教授)、kuda@yamanashi.ac.jp、 研究紹介Webサイト( http://www.geocities.jp/kenj_uda/ ) 本稿の執筆の際、本学部皆川卓准教授には、西洋史を専門とされる立場から意見をいただくなど、執筆の際 は大変お世話になった。ここに記して感謝申しあげる。なお本稿の文責は、全て筆者に帰す。. 大学の専門科目、教養科目の講義に加え、山梨大学附属中学校の 「若桐講座」 、 同附属小学校の 「あおぎり講座」 、 高校生対象のオープンキャンパス、免許更新講習、免許法認定講習など、説明の機会をいただいた。. ─ 93 ─.

(3) 平成 27 年(2015年)度. 山梨大学教育人間科学部紀要. 第 17 巻. との積み重ねでしかない3。これを踏まえれば、「法則」とは「将来、否定されるかもしれないが、現時 点ではこの理屈が正しいことは否定されていないため、それを前提に話を進める」という程度の共通 認識であることが分かる。これらのことから、過剰な絶対化は慎み、用いる際には十分な注意を払う 必要があるものであり、普遍的なもの考え、絶対化をしてしまうと「信仰」になってしまうものであ ることが分かる。つまり、 「科学」と「宗教」は対立概念ではなく、相互に流動的なものであること、 「科 学」は絶対化と固執により、日常用語としての「宗教」や「カルト」と呼ばれるものに簡単に変化し てしまうものであることが確認できる。  次に、明治に「科学」という訳が当てられた「science」の語源を説明する。水野義之によると「science」 という言葉はラテン語の「scientia」 (知識)から来ている。この「scientia」は「scire」 (見分ける)とい う動詞の名詞形であり、その元である「scindere」は「切る、分離する」という意味を持つ4。  このことから、 「分かる」と「分ける」が同じ漢字を使っているのは、 「分かる」ということが意味の 「抽出」であり、 「分ける」つまり筋の通った説明ができるよう、必要のないものを「捨象」をした結果 であることが確認できる。このことから因果関係とは、何らかの結果をもたらす多数ある原因のうち、 重要ないくつかの要素をその状況や目的などによって選び、説明に用いたものであることになる。  このような「分ける」ことで「分かる」という一連の作業をまとめて「分」の一文字で表現すると、 この「分」の作業は、動機や目的などの価値基準を設けることによって可能になる。このことから、 「分 かった」ことには、それを用いて説明しても差し支えないという適用範囲が存在し、その範囲から外 れた場合は通用しないだけでなく、時に理解を妨げ、誤った方向に導くことがある。  また「分」の作業は人が行うものであるため、作業を行った時代や場所、そこにある技能、道具だ けでなく、文化つまり道徳や慣習などにも依存し、影響を受けることになる。例えば、野口英世の発 見や業績が、死後の電子顕微鏡を使った研究などによってあらかた否定されてしまったことがあげら れる。また、クローンに対する生命創造というタブーによる危険視とそれにより研究に課されていた 倫理的な制約が、ES細胞のように卵子を壊す、つまり一つの生命とみなせるものを殺すことなく作れる、 iPS細胞の研究と発見につながったという、複雑な作用をもたらした例もあげられる5。.  このように、「科学」という認識活動は、それまでに知られている情報を前提に、その時のしがらみ などを踏まえた上で、必要のない情報を捨象、無視して行うものである。そのようにしなければ情報 過多で収拾がつかず、人に理解してもらうために説明することはおろか、自身で考えることさえでき ないのが、人というものである。  一方、このようにして前提や捨象の方法が固定化されると、関心外の情報を受け付けなくなるという 問題が発生する。このように関心のない情報を受け付けられなくなるのを、 養老(2003)は「バカの壁」 と名付けた。このことから、人が「科学」を行うためには「バカの壁」を築き、情報を選択すること が不可欠であるが、築き上げた「バカの壁」に執着すると、単なる「バカ」になってしまう危険性を伴っ ていることが分かる。 2-2.人の情報処理能力の限界と配分  次に、人の情報処理能力には限界があるのに対し、社会の中で生活するために必要な情報量は増加. 3 4. 5. このことから、 「世の中には、科学で説明できないことがある」や、逆に単に自身の無理解であるのに「科 学的でない」といって否定するのは、言葉の意味を理解していないが故の誤用であることが分かる。 水野義之 http://www2.kyoto-wu.ac.jp/club/blog-kyoin/blog.cgi?mode=detail&teacher_id=mizuno&entry_id=73 前述の皆川氏の指摘に基づき、加筆した。また、和訳が「科」に分かれた「学」となったのは、訳があてら れた 19 世紀の「science」で「分野」が確立した時期であったことによる。 鹿野(1990)、p.45。. ─ 94 ─.

(4) 「経済学」と「経済」教育の乖離. (宇多賢治郎). していることを示す。例えば、中世のヨーロッパの農民のように、農地などの生産手段を所有、維持、 管理できており、領主に税を納め、教会に行き、近所の人とのやりとりができる程度の社会性、社交 性でも済むであろう生活形態ならば、読み書きを覚える必要性も少ない。しかし、今日では社会の多 数が土地などの生産手段を持たないため労働力の提供によって稼ぐ必要がある。また農地のような生 産手段を持っていたとしても、特定の収穫物だけを生産し、それを売って現金に換え、他のものを購 入する必要がある。このような状況では Literacy、いわゆる「読み書きそろばん」をはじめとする、社 会人として生きていくための知識や技能が必須となる6。.  これを踏まえ、人の情報処理能力の限界と人の知識の分布を、鹿野(1990)の説明を元に説明する。 人間の情報処理量の限界と分布は、図1のようになる。 図1 知識と関心の範囲と矮小化. 注:鹿野(1990)、p.9の図を基に、筆者作成。関心の範囲は、筆者が加筆した。.  この図1左のグラフの面積は知識の量を示し、それは個人差や努力の差によって、大きさや形状に 違いがある程度生じるものの、概ねこのような分布を取る。つまり、能力に上限がある状態で糧を得る、 つまり稼ぐのに必要な技能やその周辺にある知識を高めようとするのならば、他のことはおろそかに せざるを得なくなる。その結果、図1左のグラフのように、その形状はその人の稼ぎ方や趣味、また 価値観などを中心に山を作り、そこから離れた部分は低くなるように形作られる。また、図1の曲線 の横はそれぞれが持つ知識の幅を表しているが、日常に処理する情報やその時点に持っている関心の 分布はこれよりも狭いことになる。その結果、図1右のように稼ぐ知識を高める必要があれば、他者 と共通する関心の範囲は狭まり、また共通知識の水準も低くなることになる。  このような知識の分布を、この図の作成者である鹿野(1990)は、次のように説明している7。  情報過多により人の知識はマニア化することを説明している。その中で、 「従って昔の人の会話 は多くのジャンルについて、どうしてそうなるのかという内容レベルまで立ち入った、奥の深い コミュニケーションになっていたわけだ。ところが現在では、 ジャンル方向は昔よりも広いものの、 知識レベルに関しては低いレベル=表層的なレベルしか共有していない。そのためふたりの会話 6 7. 江戸時代後期の農民人口比率が7割程度もある状況で、識字率が過半数を超えていた理由として、貨幣経済 に転換していたため、都市部以外の人でもある程度「読み書きそろばん」が必要であったことがあげられる。 鹿野(1990)、p.10。情報過多によるマニア化の説明を、本稿では教育における技能(専門)と教養に置き 換えて説明に用いている。. ─ 95 ─.

(5) 平成 27 年(2015年)度. 山梨大学教育人間科学部紀要. 第 17 巻. は単なる知識の羅列程度の、あまり実りのないものにならざるを得なくなる。  当然のことながら、分野の内容が高度化すれば、細分化されていき、 この傾向は顕著になる。その結果、 同じ分野に属するはずの人達からされる説明は、相容れないものとなっていく。これを理解するため には、そもそも「専門」というもの、またそれが属する教育における分野を理解する必要がある。 2-3.専門と教養の違い  そのため、次に大学などで行われる教育の内容を説明する。前頁の図1のグラフ中央の山は教育分 野では「専門」、それ以外の周りの低い部分は「教養」が該当する。 「専門」とは、生きていくために必 要な手段や技能、またその周辺知識である。このような専門的な技能は、工学ならば Institute(工科大 学)、それ以外ならば職業訓練である Collage(単科大学、専門学校など)などで教わるものであり、古 代、や中世には University で学ぶものではなかった。これらの「専門」はその研究が進めば、その専門 家が求められる専門知識は細分化、高度化して行かざるを得ない8。これにより、専門家の図1左に示 した知識の山の形状は、必然的に細く高いものにならざるを得なくなる。  これに対し本来、University で学ぶものは、人が持つ技芸の基本である。これを「教養」(Liberal Arts)といい、 『Weblio英和対訳辞書』では次のように説明している9。.  リベラル・アーツ(英:liberal arts)とは、ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッ パの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、人が持つ必要がある技芸(実践的な. 知識・学問)の基本と見なされた自由7科のことで、具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、 および算術・幾何(幾何学、図形の学問) ・天文学(円運動についての学問、現在の地理学にも近い) ・ 音楽(ここでいう音楽は現代の定義の音楽とは異なる)の4科のこと。  この文法学・修辞学・論理学の3学には、今日の国語教育が当てはまる。一方、算術、幾何また現代 では「人の技芸の基本」には適すとは思えない天文学、音楽は「理」 (ことわり)を学ぶ際の実例にあ たる。また、これらの7科目はヨーロッパの各国から君主やその家来となる若者達がわざわざイタリ アに集い、学ぶものにしては、たとえ高度であったとしても「当たり前」すぎる内容に思える。これは、 当時の「教養」を学ぶ必要がある人の比率を、今日の社会と比較することで理解できる。  前述の通り、「教養」は人が生きる技芸以前の基本知識である。これは、ほとんどの人にとっては、 生活圏が狭く、内容も高度でないため、日常の経験から学べる程度のものであった。しかし、中世のヨー ロッパの「統治者」に必要な「教養」は高度であるため、はるか遠くイタリアにある当時の University に留学して学ぶ必要があった。.  これに対し、今日の我が国のように、民主主義という政治決定手段を採るのであれば、 「有権者」と はその集団に属する大勢、選挙権を得た成人が該当する。また、 今日の国民国家は、 中世の国と比較して、 組織、制度、法などの仕組みがはるかに高度化、複雑化している。これにより、日常の経験からでは 得られない「教養」 、つまり人としてあるために学ぶべきことも増加し、複雑化する。そのため、小中 高の教育を通じて、様々なことを学ぶこと、また大学でも教養科目を受講することが必要になる。 3.科学の中の社会科学 3-1.「社会」の意味  次に「経済学」が属する社会科学の特徴を整理する。まず、 社会科学の「社会」そのものの意味を『大 8 9. その一方で、道具、機械の発達により多くの専門技能が一般化し、教養になっていった。例えばPCの普及 により、テストの点数を偏差値に換算する作業は、特殊技能ではなくなった。 複数の辞書の説明を比較し、用いやすい分類がされているものを引用した。. ─ 96 ─.

(6) 「経済学」と「経済」教育の乖離. (宇多賢治郎). 辞泉』で確認すると、次のように説明されている。 1.人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。 2.人々が生活している、現実の世の中。世間。 3.ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、 みずからを他と区別する人々の集まり。 4.共同で生活する同種の動物の集まりを1になぞらえていう語。 5.「社会科」の略。  これに対し、 『American Heritage』 (英英辞典)の「Society」を見ると、日本語の「社会」の1番に当たる 内容が1番目に、3番に当たるものが2番目に書かれている。また同英英辞典の3番目には「会社」の2. 番に相当する「同じ目的で物事を行う集団。結社。 」の説明があり、5番目には「Companionship; company」 とある。しかし、 「社会」の2番に相当する説明、つまり「世」とする説明は見当たらない10。.  一方、同英英辞典の「Company」の1番目の意味は「A group of persons」であり、日常会話の「会社」 が意味する「A business enterprise」や「a firm」は6項目中3番目にある。また、「Company」の語源は. 「compānia」つまり「companion」である。一方、 「Society」の語源は「societās」つまり「fellowship」であり、 その語源は「companion」にあたる「socius」であるとされている。.  このように、 「Society」、 「Company」はどちらも「同胞」 、 「仲間」を語源としており、それぞれの言葉 の使われ方が社会構造と会社組織の変化に合わせて変化し、離れていったものである。  しかし、今日の「社会」と「会社」の意味はかけ離れている。その理由として、 まず「会社」の意味が、 西洋化以前の国内には存在しなかった「Company」の6項目中3番目の意味である「貨殖、金儲けを目 的する組織、集団」に特化したと考えられる。またその一方で、多くの国民が有権者でもなく、また「同 胞」つまり「国民」という概念がなかった明治の時代性から、 「Society」の説明には記されていない「世」 という人々の「社会」に対する捉え方が、 「社会」という言葉に加わったためと考えられる。 3-2.社会科学の特徴  このような「社会」を研究対象とする社会科学の特徴は、自然科学と異なり、観察対象が普遍でな いことである。社会科学の観察対象は、 「社会」つまり人と人のやり取り、 集団としての人の営みである。 この「社会」は普遍的なものではなく、人の意識の変化に影響を受け、時に根本から覆されるもので あることは、既に示したとおりである。また時に、社会科学の成果である思想書などが、社会そのも のを変えてしまう力を持つことがある。  またこのような普遍性の低さから、社会科学の法則は、自然科学に比べて通用する状況が限定され、 また状況変化により簡単に通用しないもののはずである。つまり、ある状況を観察し、考察した結果 として導き出された法則は、同じかそれに近い状況であれば、普遍であるかのように用いてもとりあ えず差し障りはない。しかし、対象が社会である以上、状況が異なる、あるいは変化することにより、 その理屈が通用しなくなることがありうる。それにもかかわらず、理屈を現実よりも優先させれば、 竹を木につないだような無茶な説明がされることになる。このようなことからも、場所や時を変えて、 法則を用いる際は、自然科学以上に慎重になる必要があることが確認できる。. 4.「経済」の実態と言葉の変化 4-1.「経済」の意味  次に、この社会科学に属する「経済学」の「経済」の意味を説明する。 『大辞林』 (第三版)は「経済」 10『Oxford. Advanced Learner s Dictionary』でも見当たらなかった。. ─ 97 ─.

(7) 平成 27 年(2015年)度. 山梨大学教育人間科学部紀要. 第 17 巻. の意味に、以下の四項目をあげている。 1.物資の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、およびその中で営まれる社 会的諸関係の総体。 2.世を治め,民の生活を安定させること。 3.金銭の出入りに関すること。やりくり。 4.費用が少なくてすむこと。節約。 〔「経世済民」または「経国済民」の略。 「和英語林集成」 (1867年)に訳語として economy と 載るのが早い例〕.  また、漢字の別に分けてみると、 「経」には「(血の)流れ」という意味がある。また、 「済」には「済 まない」という謝罪の言葉に「失敗」の意味が含まれていることから、 「うまくいっている」 、また「救 済」のように救われるという意味がある。このことから、 「経済」は「経国済民」の省略形であるものの、 二文字だけでも辞書の1番、2番と同様の意味を持っていることが確認できる11。  しかし、日常生活の中で「経済」という言葉を用いる場合、辞書の4番の意味で使われることが多い。 明治に「経済」が和訳としてあてられた「economy」の使い方も同様である。しかし「economy」の語 源は紀元前のギリシャ語の「oikonomíā」、日本語に訳すと「家政」である12。  そこで、次に「economy」の語源である「oikonomíā」 、 「家政」の「家」とは何かを示す。ここでは、 これまで用いてきた国語辞典が現代用語としての「家」を説明していたことから、本研究の目的に沿 う説明をしていた『世界大百科事典 第2版』を引用する。  日本の家も西欧のファミリーも、その基本的機能は成員の生活保障にある。だからこそ血縁 者のみでなく、他人もいれる必要がでてくる。英語のファミリー family の原義は家の使用人た. ちであった。歴史とともに社会が安定し、生活が容易になれば、他人を必要とせず、血縁につ ながる近親者の小集団に縮小してくる。しかし,家の血縁に対する考え方は国によって違う。.  つまり、 「oikos」 (家)の役割は「成員の生活保障」であり、 そのための「nomy」 (管理)ないし「nomos」. (法)が「oikonomíā」 (家政)になる。これがうまくできると「国家」を「経国済民」 、 つまり「国を治め、 民の生活を安定させる」ことができる。 4-2.「経済」の意味の二極化  しかし今日では、 「経済」と「economy」がそろって「節約」という意味として多用されている。  このように説明すると、あたかも「経国済民」や「家政」 (oikonomíā)を語源とする「経済」と「economy」. が、どちらも「節約」という意味に変化していったように見える。次に、実際は変化したのではなく、 社会構造が巨大化、複雑化するにつれて意味が分かれていったことを示す13。  まず少人数、例えば三十人程度の集団、組織的に原始レベルの群れを想定してみる。この状況ならば、 おそらく全員と顔見知りになり、相互の依存関係が必然的に強くなるため、「家」つまり共同体への所 属意識や仲間意識も強く、少なくとも無関心ではすまされないはずである。しかし、集団が巨大化し、 構成員が多人数になれば、知らない人が増え、仲間であるという実感が薄れる。このようなことから、 この集団を捉えるには巨視的、俯瞰的、包括的という意味の「マクロ」な視点が必要となる。本研究 11 本稿が「経世」ではなく「経国」を用いる理由は、後編で説明する「世」と「国」の意味の違いに基づく。 12 また、ドイツ語ではWirtschaft、 「Wirt」 (主人)+「schaft」 (集合体)からなる。. 13 本稿の説明は、ブルンナー(1974)を参考にした。また、本稿は我が国の社会と経済の仕組みを説明する. ことを目的にしているため、国家と経済圏が一致するという前提で説明がされている。しかし、多くの国は 経済圏を作れるほどの人口規模や、地の利などの条件が整っておらず、例えば宇多(2012)で示したように、 ドイツは経済圏としては独立しておらず、EUに属している. ─ 98 ─.

(8) 「経済学」と「経済」教育の乖離. (宇多賢治郎). ではこれを「マクロな家」と呼ぶことにする。これに対し、この「マクロな家」の中には小さな集団、 例えば核家族が存在する。このような家は、 「ミクロ」 にはこれ以上分けることのできない単位である 「極 微」という意味があることから、 「ミクロな家」と呼ぶことにする。  この「ミクロな家」で起こる出来事は直接的であるのに対し、巨大化した「マクロな家」のことを 知ることは難しい。その結果、「マクロな家」に所属していても知らないことが多くなり、また知らな くても済んでしまうようになる。このようにして、 「マクロな家」を無視し「ミクロな家」のことだけ を考えてしまう状況が整うことになる。また、人は忙しくなれば目先のことに追われ、自身に関係あ る直接的なこと以外に気を配ることが困難になるものである。このような「当たり前」がある状態で、 前述のように情報過多になり、また成果や成績といった短期的、数値的な評価を過度に意識する状況 になれば、自身の専門、義務や責任、興味や関心がある範囲、つまり自身の利害に関係あること、目 先のことを優先し、それらのことに集中せざるを得なくなる。  図2は、本稿の説明に必要な「家」つまり「経済」の概略を取り出したものである。  図2中央は、原始的な経済形態、数十人程度の「家」が、自然からの狩猟・採集程度の生産構造を持ち、 ほぼ自給自足を行っている状態を図化したものである。  原始的な自給自足経済から説明すると、図2中央の自給自足経済は、他の「家」との取引がほとん どなく、「家」に属する者だけで生活に必要な「生産」が行えている状態にある。この小集団ゆえにこ の頃の分業構造は単純なため、誰かに代わることが容易であり、分配も慣習や家長の決定だけで済ん 図2 「家」 (経済)の規模の二極化、 「国家」と「家計」の分離. ─ 99 ─.

(9) 平成 27 年(2015年)度. 山梨大学教育人間科学部紀要. 第 17 巻. でしまう。このように「家」が小さい場合は、その統治者により、文字通り「目に見える範囲」だけ で辞書の「経済」の1番の説明にある「社会活動」が行われ、またその小さい「家」の中だけで2番 の「経国済民」の達成を目指すことになる。また、自然から狩猟・採取した物で、集団を存続させる ため、限られた収穫物を3番の「出入りを管理」すること、この場合は浪費をせず、食料を大切にする、 つまり4番の「節約」が重要になる。これらのことから、このような小規模で単純な構造の「家」では、 ミクロ的な「節約」をうまく行えただけで、マクロ的な「経国済民」が達成できてしまうことが分かる。  しかし、文明の発達や侵略、併合、統一などにより、 「マクロな家」つまり「国家」の規模が増大すれば、 図2右が示すようにさまざまな規模、目的の「家」が内包され、 混在する状態になる。これにより、 「国家」 (国民共同体)規模の生活基盤を考え「国益」 (この場合は、国家益でなく国民益)を守ることと、その 中で自身(あるいは所属する会社、親族、家族など)の「私利」を守ることが乖離してしまう。これ により、 「マクロな家」内の「ミクロな家」間で対立が生じる条件が整うことになる14。 5.小括  以上、人の「科学」という認識活動、人の情報処理能力の限界を踏まえ、 「社会」 、 「経済」などの基 本的な言葉を説明した。これにより「経済」の意味の多様性は、その性質にあるのではなく、この言 葉を用いる人の立ち位置や視点によって変化するものであることを示した。  このことを踏まえ、後編では小中学校の社会科における経済教育と「経済学」の比較を行う。 参考文献一覧 Houghton Mifflin Company(2012)The American Heritage Dictionary: Fifth Edition. A. S. Hornby(2013), Oxford Advanced Learner s Dictionary, 8th edition, Oxford University Press. Weblio『Weblio英和対訳辞書』、http://ejje.weblio.jp/ アダム・スミス(1789b) 『国富論 II』、大河内一男 監訳(1978) 、中央公論新社。 宇多賢治郎(2012) 「我が国経済の構造変化の比較分析」 、 『経済統計研究』 、第40巻第1号、経済産業統計協会。 宇多賢治郎(2015a) 「経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離 前編:中間財の扱い」 、 『山梨大学教育人間科 学部紀要』、第16巻、山梨大学教育人間科学部。 宇多賢治郎(2015b) 「経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離 後編:付加価値と利潤の違い」 、 『山梨大学教 育人間科学部紀要』、第16巻、山梨大学 教育人間科学部。 オットー・ブルンナー(1974) 「VI『全き家』と旧ヨーロッパの『家政学』 」 、 『ヨーロッパ』 、岩波書店。 金森久雄、荒憲治郎、森口親司(編) (2013) 『経済辞典 第5版』 、有斐閣。 鹿野司(1990) 『オールザットウルトラ科学』、ビジネスアスキー。 鹿野司(2010) 『サはサイエンスのサ』、早川書房。 小学館国語辞典編集部(編) (2012) 『大辞泉 第2版』、小学館。 平凡社(編) (2006) 『世界大百科事典 第2版』平凡社。 水野義之(2005)「はじまりは いつもひとつの 『なぜだろう?』」、『水野義之のブログ』、2005年5月28日 (http://www2.kyoto-wu.ac.jp/club/blog-kyoin/blog.cgi?teacher_id=mizuno) 養老孟司(2003) 『バカの壁』、新潮社。 松村明(編) (2006) 『大辞林 第三版』、三省堂。. 14 実際は、近所の組合、市町村、県といったように共同体が多層化しており、また会社などの別の共同体にも. 同時に所属しているなど、単純ではない。. ─ 100 ─.

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