氏 名 前 川 洋 平 学位(専攻分野の名称) 博 士(林学) 学 位 記 番 号 乙 第 906 号 学 位 授 与 の 日 付 平成 27 年 3 月 20 日 学 位 論 文 題 目 伝統工芸品産業に対する社会的支援に関する研究 論 文 審 査 委 員 主査 教 授・博士(農学) 宮 林 茂 幸 教 授・博士(農学) 佐 藤 孝 吉 准 教 授・博士(林学) 関 岡 東 生 農 学 博 士 澤 登 芳 英* 論 文 内 容 の 要 旨 1. はじめに わが国の林業は,育林・伐出・加工の各段階において 様々な知恵や技術によって育まれてきた。それら知恵や 技術の発展の基底には,地域の森林資源を有効に,そし て持続的に活用しようとする思想が育まれ,制度整備等 も行われてきた。しかし,わが国の人口増加や経済社会 の肥大化の中で,こうした自然と人間との関係は変化を 余儀なくされた。特に,1950 年代からの高度経済成長 期においてこの傾向はより顕著である。これらは単に農 山村の産業・経済問題としてばかりではなく,過疎化・ 高齢化等とも相俟って優れた地域の歴史や文化を喪失し かねない社会問題といえる。 伝統工芸品とは,「伝統的工芸品産業の振興に関する 法律」(1974 年施行)によると,①日常の用に供される ものであり,②長期間にわたり,その原材料や生産技術 が固定・保存されたものであり,③一定の産地形成を果 たし,④生産工程が手工業的であるもの,を指す。これ らの多くは,森林資源を直接・間接に活用しつつ,地域 に産業と雇用を生み出し,地域内の経済循環を発展させ るなど,地域の活性化・安定化を担保する上でも,大き な役割を担い,長期間にわたって経済活動が継続されて きた。このような特徴を示す産業群である伝統工芸品産 業については,その有用性を明らかにするとともに,そ れらに対する社会的支援の充実を図ることで,少子高齢 化や農林業の停滞等によって厳しい状況下にある農山村 地域の再興に寄与することが期待できよう。 そこで本研究では,今まで伝統工芸品産業に対する支 援制度あるいは仕組みについて不明であった部分を明ら かにするとともに,社会的支援の構築に向けた課題を明 らかにすることを目的とした。具体的には,国による伝 産法,都道府県や市町村などによる条例等,社会的支援 の根幹を成す公的支援に着目し,①法律や条例等の制度 整備の現状を把握するとともに,②宮城県で生産される 仙台箪笥生産および長野県で生産されるへぎ板生産を事 例として取り上げ,生産活動の実態と公的支援の現状の 整理を通して,③農村や山村をはじめとする地域を支え る産業として再生する意義と可能性について考察した。 本研究論文は六章から構成されている。以下,論文の 章構成にしたがって述べることとする。 2. 伝統工芸品研究の意義 第一章では,本研究の対象である伝統工芸品研究の意 義について先行研究等を用いて整理した。 まず,用語「伝統工芸品」の意味を整理し,そこから 「歴史性・実用性・地域性・合自然性を兼ね備えた有形 物」であると定義した。その上で,伝統工芸品研究が, 伝統工芸品に係わる技術の継承や保存に留まるものでは なく,地場産業の振興やそれを通じた地域振興と結ぶ研 究など,複数の分野からアプローチされてきたことを明 らかにした。それらの多くは,自然資源を活用するとい う視点を欠くものであることを確認した。しかし同時 に,自然資源の活用に一日の長をもつ林学分野からのア プローチや研究蓄積もなされてこなかったことも明らか となった。 地場産業研究は,林業や農山村といった林学分野の研 究対象とするものとの接点も多く,林学分野からも伝統 工芸品へのアプローチが望まれる。伝統工芸品研究に加 え,地場産業研究および林学研究の視点を合わせること によって,山村文化研究や山村・林業経済研究,山村・ 林業史研究,二次的自然環境の保全に寄与する研究等へ の成果の還元・応用も可能となろう。さらに,これらの 研究を進めることで,農山村振興や農林業その他の関連 *林政総合調査研究所 研究員
業を含めた地域産業の振興など広範な分野への発展にも 貢献できる。 このように伝統工芸品研究の意義は,林学分野におい て,伝統工芸品の発展形態を再認 し,そのもつ意義や 新たな研究視点,歴史的記 の有用性等を 合あるいは 関連付けることで,林学研究を一段と進め,林業や山村 の社会的な位置づけを再設定するとともに,さらに多様 な意義を有する研究へと発展させると考えられる。 3. 国による支援の現状と課題 第二章では,国による支 の現状と課題を整理した。 1974 年に「伝統的工芸品産業の振興に関する法律 (伝産法)」が制定・施行された。同法は,産地形成の促 進を通じて伝統的工芸品に関連する産業の振興を図るこ とを目的とする法律である。同法に基づき,「伝統的工 芸品」として指定されるためには,第 2 条に規定される 5 項目の要件(①主として日常生活の用に供されるもの であること,②その製 過程の主要部分が手工業的であ ること,③伝統的な技法 は技術により製 されるもの であること, 伝統的に使用されてきた原材料が主たる 原材料として用いられ,製 されるものであること, 一定の地域において少ない数の者がその製 を行い, はその製 に従事しているものであること)に適合する ことが要件となる(2013 年 12 月現在,伝統的工芸品に は 218 品目,223 産地が指定)。1974 年の法律施行以来, 10 年間は品目指定が相次いだが,この間も 業数・従 事者数はともに減少を続けており,同法による当 産業 の を抑制する効果は不 分なものであることが確認 された。 伝産法がその効果を発揮し,伝統的工芸品産業の振興 に寄与するためには,伝統的工芸品産業振興の社会的有 意性をこれまで以上に明確にし,その上で同法の な 運用をはかる必要がある。 体的には,①伝統的工芸品 としての指定要件の緩 等の見直し,②対象が類似した 法制度でもある「文化 保 法」の視点や理 との み 寄り,③生産段階のみならず流通・消費段階をも視野に 入れた法改正や施策展開,等が当面の課題として げる ことができる。 4. 都道府県による支援の現状と課題 第三章では,都 県による支 の現状と課題を整理 した。わが国における伝統工芸品産業の振興に関して, 各都 県が進める条例等の整備状 に関する調査の結 果(43 都 県から回 ,回収率は 91.5%)をもとに, それら条例等が当 産業の安定化,あるいは発展に資す るものであるか否かについて考察を行った。 調査の結果,全都 県の約 6 割にあたる 29 都 県 において,当 産業の支 を目的とする独自の条例や要 ,補助金交付要項等が設けられていることが確認され た。一方,都 県における支 内容や指定後の伝統工 芸品に対する関与については,各県間に相違がみられ た。つまり,各都 県における条例等の整備や支 内 容は 並みが揃っておらず,また,それらは国(伝産 法)の指定要件よりも緩やかに設定されている。 これらの調査結果からは,伝産法による支 の対象で ない伝統工芸品産業を都 県の条例等によって補完で きる可能性があるものの,都 県の指定要件は産地化 や産業振興という視点からすると必ずしも 分なものと はなっていないことが明らかになった。 5. 市町村による支援の現状と課題 第 章では,地方 共 体(市町村)における伝統工 芸品産業に対する支 の現状と課題について,全国 1,719 市町村を対象とする全数調査の結果(804 市町村 から回 ,回収率は 46.8%)をもとに,伝統工芸品産業 に対する支 の傾向および今後の課題を 出した。 体 的には次の三点に着目し,①市町村における条例等の整 備状 ,②各行 機関における業 分 や他の行 機関 との連 と期待,③ 的支 に関する木工品等とその他 製品との差異等について分析した。 調査の結果,市町村が把握する伝統工芸品は 941 品目 が存在し,個々については 細であるが,全体でみると 必ずしも 細な産業規模ではなく,伝統工芸品産業とし てまとまりのある産業規模にあることが明らかとなっ た。 市町村独自の条例等の整備状 について分析した結 果,①独自の条例等を有しているのは回 を得た市町村 のうち,約 10% の市町村(81 市町村)に過ぎないこと, ②約 77% の行 機関(617 市町村)において,専門・ 専属の担当者は配置されていないが,当 市町村が属す る都 県と連 する市町村は約 48%(把握できた 941 品目のうち,447 品目が 当)であること,③市町村 は,主に広報活動支 を中心に行っており,観光・地域 振興面について期待していること, 市町村が把握する 伝統工芸品に対する 的支 は,製品種による明確な特 徴がみられないこと,等を確認した。 6. 伝統工芸品産業における社会的支援の現状と課題 第 章では,伝統工芸品産業における社会的支 の現 状と課題について,特に,木材加工製品を中心とする二
つの事例を基に考察を行った。事例とした二つの生産業 はいずれも公的支援を十分に受けることができていない 状況にあり,衰退もしくは消滅の危機にあるものであ る。ここでは,生産現場が抱える課題から,伝統工芸品 産業に対する公的支援制度の問題点を明らかにすること を目的として研究を進めた。 6.1. 仙台箪笥生産を事例としたケーススタディ 2012 年現在,仙台箪笥は,宮城県による伝統的工芸 品の指定を受けているが,国の伝統的工芸品指定を受け るには至っていない。 仙台箪笥協同組合の活動に注目し,仙台箪笥生産の継 続性に関する現状と課題を整理した。その結果,現在の 仙台箪笥協同組合は,これまでにも組合組織の設立と解 散を経験している。1989 年には仙台箪笥振興協議会を 設立したものの,2005 年に解散し,2008 年に現組合の 設立に向けて再組織した経緯がある。生産の継続性に関 わる問題のうち,それを担保する組織形成の面に課題が 多く残されていることが明らかになった。今後は,組合 組織を中心とした仙台箪笥生産に関する合意形成の場を 創出することなどが公的支援として求められる。 6.2. へぎ板生産を事例としたケーススタディ 長野県木曽郡にて継続されてきたへぎ板生産に着目 し,原木調達過程および製品流通過程の整理から,社会 的支援の課題について考察した。なお,へぎ板生産はい ずれの行政機関からも伝統工芸品指定を受けていない。 現状のへぎ板生産は,産地内における従事者は二名し か存在せず,その二者の生産形態の相違を要因に,原木 調達・製品流通が異なることを確認した。さらに,生産 品の質や採算性,技術継承の視点が異なることを背景 に,組合組織の結成には至っていない。しかも,両者と もに従事者の高齢化という問題を抱えており,生産の継 続が困難になっていることが予想される。その主な要因 には,①原材料の安定供給を巡る不安材料の存在,②製 品需要の減少,③後継者育成未確保のままの従事者の高 齢化,等を挙げることができる。 今後は,原材料の生産及び安定供給に関する仕組みの 創出による生産の継続性を担保するための公的支援が求 められる。また,例えば木曽地域生産木工品など,一定 の地域内で複数の生産品が,一つの生産品として公的支 援を受けることが可能となる制度の検討も必要といえよ う。 6.3. 小括 これら生産現場に共通する課題から,公的支援に求め られることとして,次の三点が挙げられる。 第一に,産地内の同業者による組合組織結成の難航で ある。仙台箪笥生産業の場合,これまでに二度の組合結 成を試みている。しかし,現状では,仙台箪笥という商 品に関する合意形成には至っておらず,いわゆる従来型 と普及型に分岐しており,統一したブランド構築という ことに対して影響を与えている。一方,へぎ板生産業の 場合は,既に従事者が二名となっており,組合の結成自 体が困難な状況にある。公的支援を享受するための条件 である組合組織結成に関して協議の場を設けるなどの公 的支援が必要と考えられる。 第二に,商品生産に関する原材料入手の困難である。 仙台箪笥生産業の場合,漆塗り工程で国産漆を使用して いる。しかし,漆の国内生産量が減少している現在,原 材料調達に課題を抱えている。一方,へぎ板生産業の場 合,主力製品の原材料となるネズコ材の入手が困難な状 況にある。安定的な入手が可能となるような供給体制の 構築などの公的支援が必要といえる。 第三に,従事者数の減少である。仙台箪笥生産業もへ ぎ板生産業も従事者数が減少する傾向にあり,後継者の 確保が急務になっている。仙台箪笥生産業の場合,金具 製造に従事するものは一名となっており,へぎ板生産業 に至っては産地全体で二名の従事者となっている。後継 者を養成するには,従事者の採算性を担保することが第 一条件といえるが,そのためにも,これまで挙げてきた 諸課題を克服する公的支援が急務となっている。 7. 伝統工芸品産業に対する社会的支援のあり方 第六章では,これまでの結果をもとに,伝統工芸品産 業に対する社会的支援のあり方について総合考察を行っ た。具体的には,①伝統工芸品産業に対する公的支援の 評価と②伝統工芸品産業の位置づけおよび展望と③社会 的支援のあり方を考察した。 伝統工芸品産業に対する公的支援の評価については, 国・都道府県・市町村と三つの主体によって進められて いる。都道府県は国を追従する傾向にある一方,市町村 は国を追従しない傾向にある。また,市町村は,把握す る伝統工芸品に対する支援として属する都道府県と連携 する傾向にあることが明らかとなった。さらに,条例等 は都道府県レベルでは 29 都道府県,市町村レベルでは 81 市町村と,条例等の整備状況に不均衡が確認された。 生産現場からの課題として,第五章で取り上げた仙台箪 笥生産業やへぎ板生産業の事例から明らかなように,組 合組織の結成や原材料入手に関する公的支援が必要であ る。しかしながら,現下の公的支援内容は消費段階に対 する働きかけが中心となり,ミスマッチが起きているこ とが明らかとなった。
伝統工芸品産業に対する公的支援の課題として,各支 援主体の役割を明確化し,それぞれの役割に応じた支援 内容を検討することが重要である。国は個別産業の支援 に留まらず,地方公共団体による当該行政活動に対する 支援が必要である。また,現状では都道府県が重要な支 援主体であることから,伝統工芸品産業の実態把握を市 町村と連携しながら行うとともに,公的支援策を拡充す ることが必要になる。市町村は当該市町村内に伝統工芸 品産業を把握するものの,支援の根拠となる条例等の整 備や体制が乏しいことから,特に都道府県との連携を強 化することが必要であろう。 伝統工芸品産業の位置づけおよび展望については,ま ず,地域を支える産業の構成要素として,本研究で整理 した四つの性質(①歴史性,②実用性,③地域性,④合 自然性)を強く再認識することが必要である。また,市 町村を対象とする調査より,多くの市町村は伝統工芸品 産業に対して,地域振興策や観光産業上の期待が大きい ことが明らかとなった。このように期待される伝統工芸 品生産が地域を支える産業として確立するということ は,現代の発達した経済構造において社会的多様性を育 むと考えられることから,重要な存在であるといえよ う。したがって,伝統工芸品産業を今後も存続させる必 要性は高いといえる。 伝統工芸品産業に対する支援のあり方として,第一 に,伝産法を中心とする公的支援制度は,地域における 産業としての振興というよりも,地域を振興する総合的 な社会政策として位置づけることが必要といえる。伝産 法は,支援の対象となるための指定要件設定のハードル が高く,既に弱体化した産業や衰退傾向にある産業は支 援を受けることができない状況にある。また,現状の公 的支援内容は販売面が中心であり,生産に直接的に関係 する経営課題に対する支援や生産者同士の連携に対する 支援など,生産現場の課題に対応して支援を行っている とは必ずしもいえない。したがって,生産現場の課題に 即した公的支援を展開すべきといえよう。 第二に,伝統工芸品産業に対する支援は,公的支援か ら社会的支援へ拡大することが必要といえる。本研究で は特に,公的セクターである行政機関による支援の制度 と内容とを明らかにした。一方で,制度設計や支援内容 に問題が生じていることも明らかになり,公的セクター による支援の限界性も指摘せざるを得なかった。した がって,今後は個人や地域組織,NPO などの私的セク ターによる支援についても支援を講じる必要があり,こ れらを含めた社会的支援を構築する必要がある。 8. おわりに 本研究は,伝統工芸品産業に対する社会的支援構築の ための課題を公的支援に着目して抽出してきた。 伝統工芸品および当該産業に関して全国を網羅する データベースは,本研究以前には未構築であったが,本 研究を通じて全国規模でのデータベースが構築されたこ とにより,伝統工芸品の種類や産業に関する基礎データ の活用が可能となり,都道府県あるいは市町村レベルで の研究の基礎を築くことができた。 伝統工芸品産業は,農村や山村をはじめとする地域を 支える産業として成立してきた。これらの産業は,わが 国が進めてきた経済効率至上主義の中で,生産力の拡大 という市場経済の論理に沿うものではないことから衰退 を余儀なくされた。しかし,経済循環の基礎は資源循環 にこそあり,資源を効率的に利用し,生産力を持続する 産業経済が求められるなかにあって,伝統工芸品の有す る合自然性や歴史性・実用性が循環型社会の形成に大き な示唆を与えることが予想される。したがって,農山村 振興との関連で伝統工芸品産業を振興する実証研究を進 めることが今後の課題である。 主要参考文献 (1)前川洋平・宮林茂幸(2010)へぎ板生産における技 術伝承の課題.関東森林研究,61 : pp25-28. (2)前川洋平・宮林茂幸・関岡東生(2013)「伝統的工 芸品産業の振興に関する法律」の効果と課題.東京 農業大学農学集報 58(2): 85-91. (3)前川洋平・宮林茂幸・関岡東生(2014)伝統的工芸 品産業に関する都道府県条例整備の現状.林業経済 67(6): 19-28. (4)前川洋平・小野優里・宮林茂幸・関岡東生(2014) 仙台箪笥生産の現状と課題.関東森林研究 65(2): 277-280. 審 査 報 告 概 要 審査対象となった論文は,わが国における伝統工芸品 産業に注目し,衰退の途を辿りつつある当該産業の社会 的有用性を理論的に整理するとともに,当該産業の継続 を期するにあたっての諸課題を今日までの事例研究を踏
まえて分析したものである。さらに,それらを基礎とし て,各行政機関による公的支援の現状を,その制度整備 状況と実績に注目して把握・分析し,今後の支援のあり 方について提言を行っている。また,当該産業に関連す る研究は,多様な分野での研究蓄積はみられるものの, 公的支援に論点を絞った研究であることはオリジナルな 点である。 審査においては,①膨大な基礎データの蒐集に基づい たわが国初のデータベースの構築,②それを活用した緻 密な分析と考察,③当該産業の社会的有用性の理論化, ④将来にわたる社会的支援の理念と方策の検討等を高く 評価した。 よって,審査員一同は博士(林学)の学位を授与する 価値があると判断した。