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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著 : 『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二)訳・注・解題

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(1)

ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題

お断り

  編著者ルートヴィヒ・ベヒシュタインに関しては、鈴木滿訳・注・解題「ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ド イツ 昔 メルヒェン 話 集』 (一八五七)試訳(その一) 」( 「人文学会雑誌」第四〇巻第四号、二〇〇九 ・ 三月)の「まえがき」をご 参照ください。   なお、右の末尾に、     目下のところ底本としてはヴァルター・シエル フ (( ( の注とあとがき付きで、ルートヴィヒ・リヒターの一八七葉の 挿 絵 が 入 っ た 下 記 を 用 い て い る。 Ludwig Bechstein: Sämtliche Märchen. Wissenschaftliche Buchgesellschaft.  Darmstadt ( 972.

  

『ドイツ

メルヒェン

集』

(一八五七)試訳(その二)

 

 

鈴木滿

訳・注・解題

ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著

(2)

武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 と記したが、今回以降は、これに加えて、ハンス=イェルク・ウタ ー (2 ( 編の下記の校訂本をも用いる。 L ud w ig B ec hs te in :M är ch en bu ch .N ac h de r A us ga be v on ( 85 7, te xt kr itis ch r ev id ie rt un d du rc h R eg ist er  erschlossen. Herausgegeben von Hans-Jörg Uther. Eugen Diede richs Verlag. München ( 997.   こ れ は Ludwig Bechstein Märchen と し て 二 巻 本。 第 一 巻 が D M B ( 一 八 五 七 )。 た だ し 挿 絵 は 一 切 無 い。 第 二 巻 は NDMB 。「世界の民話」 Die Märchen der Weltliteratur (略称 M d W )シリーズの一つである。共に簡単ながら、 古 語、 方 言 な ど ド イ ツ 語 圏 の 一 般 読 者 に と っ て 難 解 な 語 彙 一 覧 が、 収 録 さ れ た 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 番 号 別 に 付 い て い る。 ま た、 シ ェルフ注釈テキストには稀ながら存在した誤植が、こちらでは訂正されている。また、 M d W の方針に従い、全ての 昔 メルヒェン 話 の注中に A T 番号とそのタイトル( A T の英語タイトルではなくドイツ語で)が必ず示されている。   ただし、注自体はシェルフ注釈テキストの方がずっと詳細なので、両テキストを相互に補完させるのがよろしかろ う。   ちなみに訳文中の[       ]内、その他の部分の〔       〕内は訳者の補足である。 訳注・解題略記号凡例 AT   アンティ・アールネ/スティス・トンプソン編著『民話の話型』  Antti Aarne / Stith Thompson: The Types of the Folktale. Suomalainen  Tiedeakatemia. Academia scientiarum Fennica. Helsinki ( 964. U  ハ ン ス = イ ェ ル ク・ ウ タ ー 著『 国 際 的 民 話 の 話 型 』 Hans-Jörg Uther: The Types of Internatinal Folktales. A Classification and Bibliography. 3Vols. Academia scientiarum Fennica. Helsinki 2004.   A T の増補改訂版。 P  ヨ ハ ン ネ ス・ ボ ル テ / ゲ オ ル ク・ ポ リ ー フ カ 編 著『 K H M 注 釈 』 Herausgegeben von Johannes Bolte / Georg Polívka: Anmerkungen zu

den Kinder- und Hausmärchen der Brüder Grimm.

5Bde. Georg Olms Verlagsbuchhandlung. Hildesheim ( 963. DMB (一八四五)   ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ 昔 メルヒェン 話 集』  Ludwig Bechstein: Deutsches Märchenbuch ( 1845 ).

(3)

ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 DMB (一八五七)   ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ 昔 メルヒェン 話 集』  Ludwig Bechstein: Deutsches Märchenbuch ( 1857 ). DS   グリム兄弟編著『ドイツ伝説集』  Brüder Grimm: Deutsche Sagen.  第一巻(一八一六) 。第二巻(一八一八) 。  ル ト・ ラ ン ケ 創 始 / ロ ル フ・ ヴ ィ ル ヘ ル ム・ ブ レ ー ド ニ ヒ 編『 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 百 科 事 典 』 Begründet von Kurt Ranke. Herausgegeben von Rolf  W ilh elm B re dn ich z us am m en m it H er m an n B au sin ge r: E nz yk lop äd ie de s M är ch en s : H an dw ör ter bu ch z ur h ist or isc he n un d ve rg lei ch en de n Erzählforschung. Walter de Gruiter. Berlin [u.a.] ( 977-. A  ハ ン ス・ ベ ヒ ト ル ト = シ ュ ト ロ イ ブ リ 編『 ド イ ツ 俗 信 事 典 』 Herausgegeben von Hanns Bächtold-Sträubli: Handwörterbuch des deutschen Aberglaubens. (0 Bde. Walter de Gruiter. Berlin / New York ( 987. M  『ドイツ 昔 メルヒェン 話 便覧』

Handbuch des deutschen Märchens.

 このうち二巻のみが一九四〇年までに刊行された。 EM の前身。  リ ム 兄 弟 編 著『 子 ど も と 家 庭 の た め の 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 集 』 Kinder- und Hausmärchen gesammelt durch die Brüder Grimm.  初 版 第 一 部 (一八一二) ・第二部(一八一五) 。決定(第七)版(一八五七) 。 W  「 世 界 の 民 話 」 Die Märchen der Welitliteratur. Begründet von Friedrich von der Leyen. Herausgegeben von Kurt Schier und Felix  Karlinger. Eugen Diederichs Verlag. Düsseldorf-Köln. NDMB (一八五六)   ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『新ドイツ 昔 メルヒェン 話 集』  Ludwig Bechstein:

Neues deutsches Märchenbuch

( 1856 ). D  ヨ ー ハ ン・ カ ー ル・ ア ウ グ ス ト・ ム ゼ ー ウ ス 著『 ド イ ツ 人 の 民 話 』( 一 七 八 二 ― 八 六 ) Johann Karl August Musäus: Volksmärchen der Deutschen. 5Teile. 

(4)

武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号

一三

 

きび

泥棒

 

  ある町にとっても裕福な商人が住んでいた。邸には大きくて素晴らしい庭が付いていて、地面の一部には 黍 (3 ( が 播 ま い てあった。さてある時──折しも春のこと、種は活き活きすくすくと芽を出していた──商人が庭を散歩していると、 なんともかとも腹が立ったことには、けしからぬ泥棒のせいで前の夜のうちに黍の芽生えの一部が 毟 むし り取られている ではないか。毎年商人が黍を播く庭のこの一画はとりわけとてもお気に入りの場所だった。人が何かにとことんのめ り込むのはよくあることだが。商人は泥棒を捕まえてこっぴどく罰するか、法廷に引き渡してやろう、と決心した。 そ こ で 三 人 の 息 子 た ち、 ミ ヒ ェ ル、 ゲ オ ル ク、 そ れ か ら ヨ ハ ン ネ ス を 呼 び、 こ う 言 っ た。 「 昨 夜 泥 棒 が う ち の 庭 に 入 ってわしの黍の芽生えの一部を毟りおった、で、わしはひどく怒っておる。こういう 破 は 廉 れん 恥 ち なやつはとっ捕まえて、 後悔させてやらにゃならん。せがれたちや、これから幾夜か一人づつ交代で一晩中寝ずの番をして欲しい。泥棒を捕 ま え た 者 に は 豪 勢 な 褒 美 を や ろ う 」。 最 初 の 夜 起 き て い る こ と に な っ た の は 長 男 の ミ ヒ ェ ル だ っ た。 彼 は 弾 た ま 丸 込 ご め し た 拳 ピストーレ 銃 二 (4 ( 、三 挺 ちょう と切れ味の鋭い 偃 サ ー ベ ル 月刀 を (5 ( 一振り、それから食べ物、飲み物も用意し、暖かい外套にくるまると、花 盛りの 接 に わ と こ 骨木 の (6 ( 茂みの後ろに座り込み、 ほ どなく前後不覚で熟睡してしまった。朝明るくなって目を覚ますと前の夜 よりもずっと広く黍の芽生えが毟られていた。庭にやって来た商人はこうしたていたらくを見て、息子が起きていて 泥棒を捕まえる代わりに、眠り込んでしまったことを知り、更に立腹、息子を叱りつけ、拳銃や偃月刀もろとも自分 自身だって盗まれかねない、まあなんとも頼り甲斐のある夜警だわい、と嘲った。   次の夜起きていることになったのはゲオルクだった。こちらは前の夜兄貴が携えた武器の他に棍棒を一本、それか ら丈夫な縄を用意した。けれどもこのご立派な夜警のゲオルクもご同様寝込んでしまい、朝になってみると、例の黍

(5)

ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 泥 棒 は ま た し て も し た た か に 毟 り 取 っ て い た。 父 親 は 怒 り 狂 っ て、 こ う 言 っ た も の。 「 こ れ で 三 番 目 の 夜 警 が 安 ら か にお休みあそばしたら、黍の芽生えとは完全におさらばだわい。そうすりゃもう夜警の必要も何もありゃあせん」 。   さて三夜目はヨハンネスの番だった。なんのかのと言われたけれど武器は持って行かなかった。けれど、眠らずに い な い で も 大 丈 夫 な、 効 き 目 は か ね て 試 し 済 み の 防 具 は こ っ そ り 装 備 し た。 薊 あざみ と 茨 の 棘 とげ を 探 し 集 め て お い て、 夕 方 庭の警護場所に出掛けた時、これらを体の前に置いといたのである。なにせ、こっくりするたんび、鼻っ面をちくっ と刺されるものだから、すぐまた正気に戻ったわけ。真夜中間近になると、とっとことっとこ、という音が聞こえた。 これは次第に近くなり、黍の芽生えに入り込むと、ヨハンネスの耳にせっせとむしゃむしゃやる音が聞こえた。よし よし待ってろよ、と若者は考えた。すぐ捕まえてやるからな。そこで懐から縄を出し、棘なんぞは音を立てないよう 押し退けて、そうっと泥棒に忍び寄った。近付くと──ね、何だったと思う──その泥棒ってのはさあ──とっても 可愛らしいちっちゃな 仔 こ 馬 うま だったんだ。ヨハンネスは内心嬉しくて堪らなかった。それに捕まえるのに何の苦労も要 ら な か っ た。 そ の 小 さ な 獣 は 進 ん で 厩 うまや ま で 随 つ い て 来 た。 ヨ ハ ン ネ ス は 厩 の 扉 を き ち ん と 閉 め、 そ れ か ら ま だ た っ ぷ り時間があったので、自分の寝床でのんびり眠った。朝、兄たちが起き上がって庭へ下りようとしたところ、ヨハン ネスが自分の寝床に横になって眠っているのを見てびっくりした。二人は弟を起こし、前夜見張り場で待ち伏せしさ えしなかったとは、結構この上もない夜警だ、とかなんとか、ありとあらゆるいたぶり文句を並べ立てて嘲った。け れ ど も ヨ ハ ン ネ ス が 言 う に は「 ま あ お 静 か に。 兄 さ ん 方 に 黍 泥 棒 を 見 せ て あ げ る 」。 そ こ で 父 親 も 兄 た ち も あ と に 随 いて厩まで行く羽目になった。そこには世にも奇妙な仔馬がいた。どこから来たのか、だれのものなのか、皆目見当 が付かない。仔馬はとても可愛らしい様子で、華奢ですんなりした体格、その上全身銀のように白い。そこで商人は 大喜びし、勇敢な息子のヨハンネスに仔馬を褒美として与えた。ヨハンネスはありがたく受け取り、黍泥 棒 (7 ( と名付け

(6)

武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 た。   暫くして兄弟たちはこんな噂を耳にした。ある美しいお姫様が魔法に掛けられて 硝 ガ ラ ス 子 の 山 (8 ( の上にいる。おっそろし くつるつるするからだれもてっぺんまで登れない。でも首尾よく山頂に着いてお城の周りを三度回る者がいれば、美 しいお姫様を魔法から救い出し、この方をお嫁さんにもらえる。これまでたくさんの連中が際限もなく馬での山登り を試したが、どれもこれも元通り下へ転がり落ち、死んで辺り一面に横たわっている、と。   この不思議な話は国中に広まり、三兄弟も、運試しをやらかしに硝子の山へ馬で出掛けて──なろう事ならその美 し い お 姫 様 を 手 に 入 れ よ う、 と い う 気 に な っ た。 ミ ヒ ェ ル と ゲ オ ル ク は 逞 たくま し い 若 駒 を 買 い 入 れ て、 そ の 蹄 鉄 を う ん とこさ鋭くさせ、ヨハンネスは自分の小さな黍泥棒に鞍を置き、こうして幸運獲得の旅が始まった。間もなく三人は 硝子の山に行き当たり、まず長男が登った。でも、あーあ、──乗っている馬は足を滑らせ、騎手もろともずでんど うと倒れ、馬も人もどちらも立ち上がることを忘れてしまった。次男が登った。でも、あーあ、──乗っている馬は 足を滑らせ、騎手もろともずでんどうと倒れ、双方、馬も人もこれまた立ち上がることを忘れてしまった。今度はヨ ハンネスが登った。すると、たったか、たったか、たったか、たったか、たったか、ヨハンネスと黍泥棒は山のてっ ぺんに着いたんだよ。それからまた、とっとこ、とっとこ、とっとこ、とっとこ、とっとこ、ヨハンネスと黍泥棒は 三度お城の周りを回ったの。黍泥棒はまるでこの 険 けんのん 呑 な路を百遍も走ってみたかのようだった。お城の扉の前に立つ と、これはさっと開いて、出て来たのはうっとりするように綺麗なお姫様。絹と 黄 き ん 金 ずくめの衣装を纏い、嬉しそう に両腕を開いてヨハンネスを迎えた。そこでこちらは急いで仔馬から下り、典雅なお姫様を、これすなわち、わがも のとなったすこぶる付きの大幸運を急いでぎゅっと抱き締めた。   そ れ か ら お 姫 様 は 仔 馬 に 向 き 直 り、 い い 子 い い 子 し て こ う 言 っ た。 「 お や ま あ、 ち び の お い た ち ゃ ん、 ど う し て わ

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 たくしのところから逃げ出 したの。そのせいでわたく し、許された夜のたった一 時間さえ山の麓の緑の地面 の上で過ごして楽しむこと ができなかったじゃないの。 おまえがわたくしを乗せて 硝子のお山を下りて、また 登ってくれなかったから。 もう決しておまえ、わたく したちを置き去りにしてい なくなったりしてはいけま せ ん よ 」。 ─ ─ こ れ で ヨ ハ ンネスには、自分の小さい 黍泥棒がこの世のものとも 思えない ほ ど美しいお姫様 の持ち物の魔法の仔馬だ、 ということが分かったわけ。

(8)

武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 さ て、 兄 さ ん た ち は ず で ん ど う か ら 立 ち 直 っ た が、 ヨ ハ ン ネ ス は 二 人 を 二 度 と 目 に す る こ と は な か っ た。 だ っ て、 硝 子 の 山 の 上 の 魔 法 の お 城 の 中 で 自 分 の 天 使 と 一 緒 に 幸 せ に、 そ し て 浮 世 の 憂 さ 辛 さ を 免 れ て 暮 ら す よ う に な っ た ん だ も の。 そ し て ま た、 こ の お 城 へ の 道 を 人 の 子 が 見 つ け る こ と は も は や な か っ た。 だ っ て、 魔 法 は 解 け、 お 姫 様 は 掛 け ら れ て い た 呪 い か ら 救 わ れ た ん だ も の。 本 当 の 救 い 主 で あ り 夫 と な る若者を自分の許に連れて来てくれたお利口な仔馬のお蔭でね。 解題 ヴィルヘルミーネ・ミュリウス嬢 Fräulein Wilhelmine Mylius  (生没年未詳。テューリ ン ゲ ン の 小 都 市 に し て 保 養 地 テ ル マ ー ル Thermar  出 身 の 作 家 ) が テ ュ ー リ ン ゲ ン の 民 間 に 口 承 さ れ た 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 と し て 記 し た も の に よ る。 材 源 を 同 じ く す る の は D M B 一〇、 一一、 一三、 一四、 一六、 二七。 KHM に類話はない。ただし、導入部は KHM 五七「黄金の鳥」 Der Goldvogel  のそれ と似ている。 A T 、 A T U 五三〇「ガラスの山の王女」 The Princess on the Glass Mountaion  。 原題   Hirsedieb.

(9)

ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題

一四

 

の牡ののろ鹿

 

  昔むかし二人の可哀そうな兄妹があっ た。男の子と女の子で、女の子はマルガ レー テ (9 ( 、男の子はハン ス ((( ( という名前だっ た。両親は死んでしまっており、財産な んかこれっぽっちも残してくれなかった。 そこで子どもたちは物乞いをして暮らす ために、世の中へ出て行かなければなら かった。仕事をするには二人ともまだ体 はできていないし、小さかった。なにし ろヘンスヒェンはやっと十二で、グレー トヒェンはもっと下だったから。夕方に なると子どもたちは行き当たりばったり の家の前に立って、扉を叩いて、一晩泊 めてください、とお願いするのだった。 善良で思いやりのある人人に迎え入れて もらい、食べ物飲み物を恵まれることは

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 もう随分で、 憐 あわ れみ深い男のひとや女のひとが着る物を施してくれることも少なくなかった。   こうしてある時夕方一軒の小さな家の前に来たことがあった。これはぽつんと離れて立っている家だった。窓を ほ と ほ と 叩 く と、 す ぐ に 一 人 の 老 婆 が 顔 を 出 し た の で、 こ こ に 一 晩 泊 め て く れ ま せ ん か、 と 訊 ね た も の。 「 か ま わ な い よ、 さ、 入 る が い い 」 と い う 返 辞。 で も 二 人 が 中 に 入 る と、 女 は こ う 言 っ た。 「 あ た し は お ま え が た に 一 晩 お 宿 を し てあげるがね、あたしの亭主がそれに気付こうものなら、おまえがたはおしまいだよ。なぜってね、亭主は若い人間 の 炙 や き 肉 が 好 き な ん だ よ。 だ も ん で、 子 ど も が 手 に 入 る と 皆 殺 し ち ま う の さ 」。 こ れ を 聞 い て 子 ど も た ち は と て も 心 配になった。けれどももうこれ以上歩けなかったし、とっくに日が暮れて真っ暗になっていた。それでまあ、おとな しく女に一つの樽の中に隠してもらい、じいっと静かにしていた。でもなかなか寝付けなかった。ことに一時間 ほ ど 経つとずしりずしりという男の足音が聞こえ、これはどうやら人喰い 男 ((( ( らしかったんで。間もなく確かにそれと分か ったのは、そいつが 唸 うな るような声で、人肉の 焙 あぶ り物を料理しておかなかった、と女房にがみがみ言い始めたから。朝 になると男はまた家から出て行った。そのどすどすという音があんまり大きかったので、結局とろとろまどろんでい た子どもたちはそれで目を覚まされた。   二 人 に 朝 御 飯 を あ て が っ て か ら 女 房 は こ う 言 っ た。 「 さ て お ま え が た も 何 か 手 伝 い を し な く ち ゃ。 箒 が 二 本 あ る。 二階へ上がってうちの部屋を掃いておくれ。部屋は十二ある。でもそのうち十一だけ掃除して、十二番目はね、後生 だから開けちゃいけない。あたしはその間ちょいと出掛けるつもりだ。あたしが戻った時済んでるように、一所懸命 や る ん だ よ 」。 子 ど も た ち は 熱 心 に 掃 除 を し た の で、 す ぐ に 仕 事 は 済 ん で し ま っ た。 さ て そ う な る と グ レ ー ト ヒ ェ ン は、開けることが禁じられているので、見てはいけないことになっている十二番目の部屋に何があるのか知りたくて しかたなくなり、ちょっと鍵穴から 覗 のぞ いた。すると 黄 き ん 金 の小さな素晴らしい車とそれに繫がれている一頭の黄金の牡

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 ののろ 鹿 ((( ( が見えたんだ。そこで急いでヘンスヒェンを呼び、中を覗いてご覧、と言った。それからおかみさんが帰っ て来ないかどうかまずよくよく眺め回し、婆さんの気配も無かったので、素早く扉を開け、のろ鹿ごと車を 牽 ひ き出し、 下に着くと、二人とも車に乗り込んで、さっさと逃げ出した。でも間もなく、老婆と人喰い男が、盗んだ車で走って 行 く 道 を、 よ り に も よ っ て 向 こ う か ら こ っ ち へ と 歩 い て 来 る の が 遠 く か ら 見 え た ん だ。 ヘ ン ス ラ イ ン は 言 っ た。 「 あ あ、妹や、どうしよう。ぼくたち、あの年寄り二人に見つかったら、もうおしまいだ」 。「静かにして」とグレートヒ ェン。 「あたい、効き目のある呪文を一つ知ってるの。これ前にうちのお 祖 ば あ 母 ちゃんから習ったのよ。       薔 ば ら 薇 色の薔薇がちっくり刺すぞ。       こちらを見ても、こちらを見る な ((( ( 」。   するとすぐさま子どもたちは薔薇の花束に変身、グレートヒェンは薔薇に、ヘンスラインは 棘 とげ に、牡ののろ鹿は茎 に、車は葉っぱになった。   さて二人が、人喰い男とその女房がそこへやって来ると、女房は綺麗な薔薇を折り取ろうとした。でも薔薇の棘が ひどく刺したので、指から血が流れ、婆さんは怒って立ち去った。年寄りたちがいなくなると、子どもたちは急いで 出 発、 ど ん ど ん 車 を 走 ら せ る と、 間 も な く 麪 パ ン 麭 が ぎ っ し り 詰 ま っ た 麪 パ ン 麭 焼 き 竈 かまど の 傍 に や っ て 来 た。 す る と 麪 パ ン 麭 焼 き 竈から「おいらの 麪 パ ン 麭 をおいらから出しとくれ、おいらの 麪 パ ン 麭 をおいらから出しとくれ」と叫ぶ鈍い声が聞こえた。 グレートヒェンが素早く 麪 パ ン 麭 を出してやり、それを車に積み込むと、またまた彼らは車を走らせた。先に行くと、大 きな梨の木の傍にやって来た。これには熟したみごとな実が一杯生っており、木の中からまたしても「うらがの梨を

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 揺さぶり落としてくんな、うらがの梨を揺さぶり落としてくんな」という声が響いたんだよ。グレートヒェンがすぐ さま揺さぶり落としてやり、ヘンスヒェンが手伝ってせっせと拾い集め、梨を黄金の車に積み上げた。それからまた し て も 葡 萄 の 樹 の 傍 に や っ て 来 た。 こ れ は 感 じ の 良 い 声 で 叫 ん だ の。 「 わ た し の 葡 萄 を 摘 つ ん で よ う、 わ た し の 葡 萄 を 摘んでよう」ってね。グレートヒェンはこれも摘んでやり、車にしまい込んだ。   さあてそうこうするうちに人喰い男とその女房は家に帰り着き、子どもたちが大事な黄金の車を牡ののろ鹿ごと盗 んだのに気付いて恨み骨髄となった。全くこんな具合にこのご両人、随分と前のこと、あの車と牡ののろ鹿を盗み、 それどころかその際人殺しもやらかしたのだった。つまり本当の持ち主を無残に殺害したわけ。のろ鹿を繫いだ車は それ自体だって大層な値打ち物だったが、そればかりじゃなく、どこへ行こうと、だれもかれもから、それが木だろ うと野苺の茂みだろうと、竈だろうと葡萄樹だろうと、授かり物が貰えるという飛び切り結構な特性を持っていた。 こういうしだいでこの連中、つまり人喰い男とその女房は、正直なやりかたじゃあなかったけど、長年車をわがもの にして、上等な食べ物を頂戴し、豪勢な暮らしを楽しんでいたのだった。で、自分らの車が盗まれた、と看て取ると、 すぐさま出発、急いで子どもたちの跡を追い掛け、貴重な盗品を取り返そうとしたのである。人喰い男は追い掛けな がら人肉の焙り物のことを考えると、口に唾が溜まってしかたがなかった。なにしろ子どもたちをとっ捕まえて殺し ちゃおうと思ったんでね。老人二人は大股でずんずん子どもたちを追い掛け、すぐにその姿を発見した。遠くからだ けどね。てのも子どもたちは先を進んでいたので。さて子どもたちは今度は大きな池の傍に来た。これ以上前進でき なかったし、渡し舟も橋もなかったので、池を越えて逃げられもしなかった。ただ楽しそうに泳ぎ回っている鴨がた くさん水面に見えた。グレートヒェンは鴨たちを岸に誘い、餌を投げてやって、こう唱えた。

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題       「鴨ちゃん、鴨ちゃん、集まって、       あたいに橋を架けとくれ、あたいが向こうへ渡れるよう に ((( ( 」。   すると鴨たちは仲良く心を合わせて泳ぎ集まり、並んで橋になってくれたので、子どもたちは牡ののろ鹿と車ごと 無事に向こう岸に着いた。けれどもすぐその後から人喰い男もやって来て、いやらしい声でこう唸った。       「鴨公、鴨公、集まって、       わっしに橋を架けるんだ、わっしが向こうへ渡れるように」 。   鴨たちはさっと泳ぎ集まり、老人二人を向こう岸へ渡した──って、そう思うかな。いやあ、とんでもありゃしな い。池のまん真ん中の、水が一番深いところで鴨たちは散り散りばらばらに泳いでっちゃったんで、 邪 よこしま な人喰い男 は婆さんもろとも 深 ふ か み 処 にぶくぶくして、死んじまったのさ。それからヘンスヒェンとグレートヒェンはとても裕福に なったんだよ。でも、授かるお恵みをどっさり貧しい人たちに施し、善いことをたくさんした。なぜなら、この子た ちがまだ哀れな境涯で物乞いをして廻らなければならなかった時、どんなにまあ辛かったことか、しょっちゅう考え ていたもんだからね。   解題   ヴィルヘルミーネ・ミュリウスによる。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号    K H M 一 五「 ヘ ン ゼ ル と グ レ ー テ ル 」 Hänsel und Gretel  と の 類 似 は 人 喰 い の モ テ ィ ー フ と 子 ど も 二 人 の 名 前 に 留 ま る。 物 語 の 中 心 モ テ ィ ー フは「黄金の牡ののろ鹿」の発見と呪的逃走 magische Flucht  と邪な者たちの溺死である。パン焼き竈からパンを出し、梨の木から梨を落とし、 葡萄の木から葡萄を摘むのは、 KHM 二四「ホレ夫人」 Frau Holle  の親切な娘の善行と似ている(ここでは授かり物なのだが) 。    A T 、 A T U 三一三「呪的逃走」 The Magic Flight  +  A T 、 A T U 四八〇「親切な娘と意地悪な娘」 The Kind and the Unkind Girls  。    原題

(15)

ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題

一五

 

かんしゃく

筋の話

  昔むかし一人の騎士がいた。たっぷりの 金 きん 子 す 、たっぷりの所領の他に妻も持っていたが、これがまた癇癪持ちで、 夫はどうしても言うことを聞かせることができなかった。こんなに性悪な女はまずまあこの世にまたと見つからなか ったろう。騎士はと申せば非の打ち所の無い人物で、穏やかな性格。二人の間には娘が一人だけあったが、母親はこ の子を自分の怒りっぽい流儀で、自分の型に合わせて育て上げたので、娘は性悪の根性曲がり、いらいら屋のぶつく さ屋になったしだい。さはさりながら神様のお蔭でこの女の子は麗しい乙女に成長した。そこでその姿を目にした者 は、最初こそ愛らしい善意の化身と思ったが、いくらか知り合いになると、すぐさまその性悪さに気づき、てんから 遠ざかった。さて乙女は十八歳になり、夫を迎えてもいい、と思ったものの、妻に、と望む者なんて一人も出て来な かった。   こ れ が と て も 気 に 懸 か っ て な ら な い 父 親 は、 あ る 日 の こ と こ う 言 っ た。 「 娘 や、 お ま え の 母 さ ん の 流 儀 や 母 さ ん が 傍 はた から知恵を付けるせいで、おまえは連れ添う夫を持てそうにない。よしんば 娶 めと ってくれる男があっても、わしみた いに女の悪巧みをひたすら我慢するつもりなどさらさらあるまいから、一年の 日 ひ 数 かず よりも多く殴られ、こんな具合に 何事につけても母さんの言うなりでいるし、言うなりで来たことをひどく後悔する羽目になるだろうよ」 。   温良な騎士殿の娘はくそおもしろくもない思いでこれを聴いていたが、かんかんになっていわく「へへんだ、お父 上様。随分お説教をなさいましたが、おっしゃることはただの一つも気に入りませんわ。母様にもしょっちゅう結構 なご教訓を垂れてらっしゃるけど、あちらはありがたがっちゃいませんよ。なんにもご存じないくせに。お好きなこ とをやって、わたくしの方は放っておいてくださいませ。だって、明日にでも、わたくしを妻に欲しい、と言う求婚

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 者がおいでになっても、結婚している間はこの長めの小刀をいつも身に付けているつもりですからね」 。   「おお、娘や」と父親は答える。 「そんなことを考えてるなんてよくないなあ。おまえの性悪な母親よりましな人間 になろうって思うべきだ。さもないと、仮に夫ができたとしても、それがきっぱりして一本気な男なら、おまえをぎ ゅうと押さえつけ、おまえはさんざっぱら恥をかかされた挙句がへいこらしなきゃならん、てなことになろうさの」 。   「 あ れ ま あ 、 さ よ う で ご ざ い ま し ょ う と も 」 と 娘 。「 市 場 が 閉 ま ら な い う ち に 、 ま だ ま だ ど っ さ り 同 じ よ う な 弱 コ ー フ ェ ン ト 麦 酒 が ((( ( 買 え ま す わ よ 」。 そ れ か ら こ う し た 憎 た ら し い 嘲 り を も っ と 父 親 に 浴 び せ 掛 け た の で、 騎 士 は 立 腹 し て こ う 叫 ん だ。 「 あ あ、 こ の 癇 癪 持 ち の ク リ ー ム ヒ ル ト め ((( ( 。 父 親 に 従 う 気 が な い な ら、 背 中 に た っ ぷ り 打 ち ょ う ち ゃ く 擲 を 食 ら う が い い。 お ま えを妻に望む者があれば、騎士であれ、下僕であれ、おまえを進呈いたす。そしてその男の思うがままに引きずり回 させてやろうぞ」 。   「 そ れ と も わ た く し の 方 が こ ち ら の 思 う ま ま に あ ち ら 様 を 引 き ず り 回 す か も 」 と 娘 は 傲 然 と 切 り 返 し、 こ の 遣 り 取 りが終るまでなおもいろいろ論じ立てた。   さ て こ の 善 良 な 騎 士 の 城 か ら 三 哩 マイル ほ ((( ( ど 離 れ た と こ ろ に 住 ん で い る ま た 別 の 騎 士 だ が、 金 子 と 所 領 は 豊 か、 結 婚 の 望みを抱いていた。容貌は端整、礼儀作法は典雅。隣人の息女が麗しく、同時にいとわしい女だ、という噂の数数を 耳にして、こう考えた。思い切って求婚いたそう。そして隣人の娘の性根を淑やかに叩き直し、善良にするのだ。そ れが叶わずとも、美貌ということだけでもその乙女を娶ろう、と。そこで馬に乗ると、数人の親戚とともに少女の父 親 の 許 に 赴 き、 令 嬢 を 戴 き た い、 と 頼 ん だ。 こ ち ら の 騎 士 が う ら 若 い 求 婚 者 に 娘 の 受 け た 躾 しつけ ぶ り を 打 ち 明 け る と、 相手はこう告げたもの。 「そのことはよくよく 承 うけたまわ っております。されど、なにとぞご息女をそれがしの妻に賜りた い。神様の思し召しで二人がただの一年でも 夫 め お と 婦 暮らしができましたら、ご息女がどれ ほ ど善良になるか、お目に掛

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 けましょうぞ」 。──これに応えて未来の 舅 しゅうと の言うよう「神様があれの曲がった 性 しょう 根 ね からそなたをお護りください ま す よ う。 用 心 め さ れ い。 な に し ろ あ れ が 母 親 の 顰 ひそみ に 倣 なら お う な ら、 あ れ の 生 き て い る 間 あ れ の 傍 で は そ な た に 一 日 た り と も 安 穏 な 日 は あ る ま い で な 」。 け れ ど も 求 婚 者 は ど う し て も 決 心 を 翻 さ な か っ た の で、 契 約 が 結 ば れ、 青 年 騎 士が次にやって来たら、すぐに乙女を一緒に連れて、居城にお 輿 こし 入 い れさせる、との縁談が纏まった。   母親はこうした約束について大なり小なりどころかこれっぽっちも知らなかったので、このことを耳にした時、 突 とっ 拍 ぴょう 子 し も な く 腹 を 立 て、 娘 を 呼 び つ け て い わ く「 娘 や、 い い か い、 あ ん た が も し、 あ た し が あ ん た の 父 親 に い つ で も ど こ で も 諍 いさか い や ら 手 ひ ど い 口 小 こ 言 ごと や ら で 逆 ら っ て る よ う に、 あ ん た の 亭 主 に 逆 ら わ な け り ゃ、 あ た し の 呪 い が 降 り 掛かる、と思いな。これから言って聞かせることを聞くんだよ。あたしがあんたの父親のところに 嫁 とつ いだのは ほ んの 小娘の時。あんたよりずっとちっぽけだった。なにしろあんたはもう女一人前だからね。三週間てもの、あんたの父 親はあたしが病気になるくらい引っぱたいたし、元気付けの飲み物といっちゃあ水しかよこさなんだ。それでもあた しは喧嘩に勝ったし、今日までずっと自分の権利を言い張って来たんだよ」 。   「 母 様 」 と あ え か な 姫 君 は の た も う た も の。 「 申 し 上 げ と き ま す け ど、 わ た く し、 千 年 生 き た っ て、 夫 を お 猿 さ ん [ 嗤 わら い者]にしてみせますわよ」 。   そ う こ う す る う ち 輿 入 れ の 日 が 到 来。 か の 騎 士 は 高 価 な 素 晴 ら し い 馬 に ま た が り、 一 頭 の ほ っ そ り し た 風 グ レ イ ハ ウ ン ド 犬 を ((( ( 供に、片手には良く仕込んだ鷹を据えてやって来た。あっさり乙女を迎え取ると、駒の後ろ鞍に乗せ、だれも同行し な い よ う 従 者 た ち 全 員 を 先 に 送 り 出 す な り、 即 刻 花 嫁 の 父 に 暇 いとま 乞 ご い を し た。 こ ち ら は 別 れ に 当 た っ て 切 切 た る 言 葉 を 掛 け た。 「 お お、 娘 よ、 神 様 の お 恵 み が そ な た に 随 い て 廻 り ま す よ う に。 神 様 が そ な た に 幸 せ な 安 息 と、 こ の わ し が妻に見出したよりも穏やかな心とをお授けになりますように」 。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号   こ う 言 い も 終 わ ら ぬ う ち に、 母 親 が 騒 ぎ 出 し、 大 き な 声 で 後 ろ か ら 娘 に 叫 ん だ。 「 あ た し の 言 葉 も 聴 い て お く れ。 生涯の間ご亭主に従うんだよ。あたしが教えてあげたようにね」 。すると娘も叫び返した。 「大丈夫よ、母様、教えて くだすった通りにいたしますわ」 。   さて、二人っきりで一緒にパカパカ進ん でいたが、騎士は花嫁の性悪さを懲らしめ るため街道を逸れて、歩き難い、険しくて 狭い脇道に入ってものの一哩 ほ ど騎行した。 が、せわしなく馬を進めたので、僅かな間 にその荒れ果てた、踏みならされていない 石ころだらけの小径を半哩こなした。ぐる りを茂みに覆われた川中島に差し掛かる。 と、鷹がいかにも鷹らしく羽ばたきを始め、 手から離れようとした。青 鷺 ((( ( の群に襲い掛 か ろ う と し た の で あ る。 騎 士 は 言 っ た。 「 羽 ば た く の は 止 し に せ い。 さ も な い と、 き さ ま の 頸 を 引 き ち ぎ る ぞ 」。 そ れ か ら す ぐに鷹は一羽の鴉が飛んでいるのを見て、 跡を追おうとした。すると騎士はまたして

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 も 言 っ た。 「 惑 わ さ れ お っ た な、 き さ ま。 厄 介 ご と を 求 め て、 お と な し く し て い な い な ら、 即 刻 判 決 を 執 行 し て 遣 わ す。死ね、主命に従わぬなら」 。そして鶏のように鷹の頸を 捻 ひね った。   乙女はこうした 科 せ り ふ 白 と殺害行為に驚愕して、騎士を恐れ始めた。ところで小径はますます狭く険しく茨だらけにな り、風犬は足を痛めてしまい、これまでのように馬の脇に 随 つ いて走ることがもはやできなくなった。革紐で 牽 ひ いてい た 騎 士 は 犬 を し ょ っ ち ゅ う 引 き 寄 せ な け れ ば な ら ず、 こ れ が 厄 介 至 極 な の で、 風 犬 を 叱 り 付 け た。 「 こ の け し か ら ぬ 番 犬 ((( ( 風 ふ 情 ぜい め が。 さ よ う に こ の 身 の 手 か ら 逃 れ よ う と す る と、 面 倒 な こ と に な ろ う ぞ 」。 け れ ど も 哀 れ な 犬 は 追 い つ く ことができなかった。すると、騎士は剣を抜いて切り殺した。   乙女は抗議の叫びを抑えつけたが、心は胸の 裡 うち で怯え上がり、悲しくて堪らず、こう考えた。神様、この男ったら なんて兇暴なんでしょ。わたくしをこいつのところに連れて来たのは悪魔なんだわ、と。──騎士はというと、ぎら ぎ ら 光 る 剣 を 手 に し た ま ま 今 度 は 馬 を 叱 り 始 め た。 「 な ん だ っ て 鼻 を 鳴 ら す の だ。 ど う し て 側 ス 対 歩 や ((( ( 跑 ト ラ ー プ 足 で ((( ( 走 ら ぬ。 き さ ま、 な だ ら か な 平 地 し か 走 ら ん つ も り か。 死 な に ゃ あ な ら ん な 」。 こ う 言 わ れ て も、 哀 れ な 駒 は 側 対 歩 で、 そ れ か ら 跑 足 で 走 る こ と は で き ず、 歩 き ぶ り は か ね て 調 教 さ れ た よ う で は な か っ た。 す る と、 騎 士 い わ く「 妻 よ、 下 り ろ」 。「はい。仰せの通りにいたします」と乙女。それから騎士も下馬すると、馬の頭を胴から切り落とし、こう言っ た。 「 き さ ま が こ の 身 の 意 志 に 従 っ て お れ ば、 死 な ず と も 済 ん だ ろ う に。 妻 よ、 見 て の 通 り の 事 態 だ。 こ の 馬、 甚 だ 気に喰わなかった。風犬も鷹も同様にな。したが、この身は 徒 か ち 歩 で行くのは不慣れで難儀だ。それにさような鍛錬も しておらぬ。されば、これよりそなたにまたがって行く」 。そして乙女に引綱と手綱を着け、鞍も装着しようとした。 こちらいわく「旦那様、わたくし、きっとちゃんと旦那様を乗せて参れましょう。でも、鞍と手綱はどうかお許しあ そばして、こよなくいとしい旦那様、鞍が無い方がゆるゆるとお気持ち好いようにお運びできますわ」 。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号   「 な ん と な、 妻 よ。 鞍 も 引 き 具 も 着 け ず に そ な た を 御 ぎょ す る の が こ の 身 に 似 つ か わ し い と で も 」 と 騎 士 は 語 気 も 烈 し く言った。 「そなたにはこの身の意志に逆らってつべこべ申す悪しき習慣があるな」 。そこでやむなく承諾すると、騎 士 は 即 座 に 馬 同 様 に 鞍 を 置 き 馬 ば 勒 ろく を ((( ( 着 け さ せ、 口 に 馬 は み 銜 を ((( ( 嵌 は め、 し っ か り 持 っ て お れ、 と 両 の 手 に 鐙 あぶみ を あ ず け、 乙 女の背にまたがるなり、ちょっとの間、さよう、槍丈で三本ばか り ((( ( も歩かせたが、こちらは重荷に耐えかねて気を失 ってしまった。   す る と、 騎 士 は 乙 女 か ら 下 り て 訊 ね る に は「 妻 よ、 早 や 息 が 上 が っ た か 」。 ─ ─「 い え い え、 旦 那 様 」 と 相 手 は 答 え る。 続 け て 騎 士 い わ く「 こ こ は 見 事 な 草 原 だ。 こ れ な ら 側 ツ ェ ル ト 対 歩 ( ((( ( 歩 き 方 ) で 歩 け よ う 」。 乙 女 は 両 手 両 足 で 這 い 続 け な が ら 言 っ た。 「 喜 ん で そ う い た し ま す。 父 の お 城 の 中 庭 に は た く さ ん 馬 が お り ま し て、 側 ツ ェ ル ト 対 歩 の 歩 調 は そ れ で 覚 えましたゆえ」 。   「それではそなた、この身が望むことはなんでも進んで行うか」と騎士が訊ねると、相手はこう返辞。 「わたくし、 千年生きましても、お望みのことを進んでいたしまする」 。そこで騎士は乙女を立ち上がらせ、 慇 いんぎん 懃 にその手を取り、 礼を尽くして居城へと導いた。そこには騎士の友人たちが 集 つど っており、恭しく乙女に挨拶し、専用の部屋へと随行し たもの。これは大層な歓喜のうちに行われ、騎士の奥方はこよなく愛らしい女性になった。品格高く、躾良く、陰険 狡猾とは無縁で、誠実、 静 せいひつ 謐 、温和で、一点たりとも美徳に欠けるところはない。賓客たちのもてなしぶりはまめや かでにこやか、背の君が、これこれをして欲しい、と言えば、良妻なら当然そうするように、いやな顔ひとつせずに いそいそとやってのけるのだった。   さて六週間経つと、若夫人の両親が、どんな様子か、どんな風にふるまっているか見届けに、娘の許にやって来た。 母親はたちどころに、何が起こったのか、娘が夫にどれ ほ ど服従しているかを知り、かんかんになって娘を責め立て、

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 こ う ど な り つ け た。 「 え え ま あ、 こ の 呪 わ れ た あ ま っ ち ょ め。 い や で も 目 や 耳 に 入 っ た こ と か ら 考 え る と、 あ ん た が あ た し の 子 だ な ん て 思 え や し な い。 ま、 な ん て こ っ た。 あ ん た は 亭 主 の 手 下 に な っ て る の か い 」。 そ う 言 う な り、 こ の 癇 癪 持 ち の 母 親 は 娘 の 顔 や ら な に や ら 手 当 た り し だ い に 引 っ ぱ た き、 髪 の 毛 に 摑 み 掛 か っ て 毟 むし る は、 ぶ つ は、 罵 ののし る は、 大 変 な 乱 暴 狼 ろ う ぜ き 藉 を 働 い た。 若 夫 人 は 泣 き 叫 ん だ。 「 母 様 が 叱 り 付 け る た め に こ こ へ い ら し た な ら、 そ の わ け が 分かるまで待ってくださいな。わたくしはこの上なく結構な夫を持っております。善良で真っ直ぐな気立てですけど、 だれかが夫の意志に逆らおうものなら、猛り狂って、すぐにそのひとの命が危なくなるんですの。ですから、母様、 分別を弁えて、夫に癇癪を起こさせないよう用心してください。だって、怒り出すと、逆らうものがなんであれ、そ れに当り散らして殺してしまうんですから」 。   「 ほ う ほ う、まだ明日という日もあるさね」と母親はせせら笑った。 「あんたの亭主がどんなにひどいやつだろうと、 これっぽっちも気にならない。あたしゃあんなの、屁とも思わないよ。このばか女。こともあろうにあんたの母親で あるこのあたしに、亭主なんぞを持ち出して脅しを掛けようなんて、悪魔にでも 唆 そそのか されたに違いない」 。   「母様、わたくし、脅かしてなんかおりません」と娘は陳弁。 「ただ ほ んとのことを申し上げてるだけ。忠告させて 戴きますけど、夫にはもっとましな挨拶をしてくださいまし。だって、お父様に向かってするようなことをなさろう ものなら、お背中をさんざんに殴りつけますわ。それから、母様にはもうあんまりたくさん髪の毛はないけれど、そ れでもあのひとが引き毟るのに不足はありません」 。   「やれるのは精精そんなことかい」といらいらした母親が応酬。 「やっこさんがたとえ山 ほ ども大きかろうと、あた しゃあんなの怖くはないさ。とにもかくにも怖くなんかない。あんたの父さんとおんなじでね。これで二十年になる が、あんたの父さんがあたしに何ができたかね。今だって毛筋一本譲っちゃあいない」 。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号   年輩の女がこうした悪口雑言をしゃべり散らしている間、 舅 しゅうと と娘婿はある場所に隠れて一言一句聴いていた。老 人は義理の息子にこう囁いたもの。 「わしは貴殿が娘の 頑 かたく なな気性を 矯 た め直してくれたのをひそかに喜んでおる。わ し が あ の 世 に お さ ら ば す る 折 は、 財 産 の 一 切 合 切 を 貴 殿 と 娘 に 遺 贈 し た い 」。 義 理 の 息 子 は 舅 の こ う し た あ り が た い 気持ちに感謝した。すると舅は更に婿にこう言った。 「どうか良い知恵を授けてくれぬか。しょっちゅうわしに 抗 あらが っ て、 わ し の 人 生 を ひ ど く 惨 め な も の に し て い る 貴 殿 の あ の 姑 しゅうとめ を ど う し た ら い い も の か の う。 せ め て あ れ が 死 ぬ 一 年前にでもごうつくばりでなくなりさえすれば、 殊 こと の 外 ほか 嬉しいし、わしの悩みも 悉 しっかい 皆 終わりだ」 。   それを聞くと婿は、舅殿が止めようとなさらなければ、自分なりの遣り方で姑殿を直してみせまする、と約束した。 舅いわく「わしは貴殿を止め立てしたりせぬよ。焼くなり煮るなりするのなら、 そのための薪だって運びましょうぞ」 。   騎士はすぐさますばしこく屈強な下僕を四人召し連れると、激怒した面持ちをよそおい、老女が座り込んで、まだ 自 分 と 妻 を 謗 そし り 続 け て い る 婦 ケ ム ナ ー テ 人 部 屋 へ ((( ( 赴 い た。 姑 は 婿 の 姿 を 目 に す る と、 皮 肉 た っ ぷ り に 挨 拶 し た。 「 こ れ は こ れ は ようこそ渡らせられましたな、エンゲルハルト 殿 ((( ( 」。 「これはこれはまことにご鄭重なご挨拶でございますな、シュレ ヒ ト ハ ル ト の 奥 方 様 ((( ( 」 と い う の が 騎 士 の 対 応。 そ う 言 い な が ら 相 手 の 傍 に ぴ っ た り 寄 り 添 い、 「 奥 方、 お 願 い で ご ざ る、ご夫君でもありわが舅殿でもあるお方への無礼な沙汰は止められい。本来ならばご夫君はそちらのお背中に樫の 物差で数限りなく 打 ちょう 擲 ちゃく を加えてしかるべし。苦痛のあまり良き妻になるまでなあ」 。「聞きまいらせたが、そもじ、 これまで随分と切り殺されたそうな、グググク 殿 ((( ( 。したがこれまでわらわは五体満足でおりまするえ。これからもそ うでありたいもの。して、わらわがそもじに何をいたしましたとな」 。   「 こ の 身 に と っ て は 舅 殿、 あ な た 様 の た め に は ご 夫 君 で あ る お 方 に 来 る 日 も 来 る 日 も 罵 ば り 詈 雑 ぞ う ご ん 言 の 数 数、 た め に あ の 方はみずからのお家であるのに苦しみ続き」 。こう青年騎士は答えたが、相手は即座にこうやり返す。 「引っ掻き猫と

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 いうのがわが家でのわらわの名。そこではわらわはわが身を動かすも同様に夫を思うがまま。わらわが生きている限 り、神様が夫に安らかな日を賜ることはたんだ一日もあるまいぞ」 。   「神様のお恵みがあれば」と義理の息子。 「われらがお別れする前に、奥方が悪巧みやら悪 洒 じ ゃ れ 落 と縁を切るよう処置 いたす」 。   「なにとぞおしくじりあそばしませぬようにな」と老女。 「さもなきゃ──シャーフハウゼンのあの大きな神様のご 加護がこの身にありますように──そもじはそのせいで赤っ 恥 ぱじ をかいてさんざん 謗 そし られるってしだいよな あ ((( ( 」。   「あなた様がどうしてこうも分からず屋で癇癪持ちなのか、それがし存じておりますのだ」と騎士は言葉を継いだ。 「 奥 方 は 臀 部 の 双 方 に 癇 癪 筋 な る も の ((( ( を 二 つ 持 っ て い て、 こ う も 根 性 曲 が り な の は そ の せ い。 そ れ を 切 り 取 っ て く れ る者がいれば、まっこと 重 ちょう 畳 じょう 。さすれば、あなた様はどんなご婦人よりもご機嫌麗しく、ご夫君にとって良妻その ものとなりましょうぞ」 。   「 ほ い、 そ も じ が か よ う な 名 医 だ と は 嬉 し い こ と よ の。 そ の 腕 前 の ほ ど を わ ら わ が 娘 に 教 え て や っ て た も れ 」 が 返 辞。 「 鋸 のこぎり 草 そう や ((( ( 嚏 くさめ 根っ こ ((( ( も売り物かえ。飲み薬には 蓬 よもぎ も ((( ( 混ぜるのだろうの う ((( ( 」。   「いやはや、あなた様のご嘲弄は大したもの」と騎士は叫んだ。 「したが、すぐにぶちこわしてご覧に入れる。癇癪 肝 ((( ( と癇癪筋をこちらのものにしてしまえば、子どもより善良で 真 ま っ 当 とう におなりだ」 。   「えい、このおしゃべ り ((( ( めが。あんたの 長 なが 口 こう 上 じょう なんぞもううんざりだよ」と奥方はがみがみ。すると下僕たちは騎 士の合図に応えて女に手を掛け、ぐいと押し伏せた。娘婿は大きな鋭い小刀を研ぐと、服と下着を通して片方の尻に 長く深い傷口を切り開いたので、奥方の嘲り笑いは途絶えた。次いで騎士は一塊の肉片を器に投げ入れながら、こう 言 っ た。 「 ご 覧 あ れ、 あ な た は 多 年 悪 妻 で あ っ た が、 そ れ は こ こ な 癇 癪 筋 の せ い で ご ざ っ た。 も う す ぐ そ れ と お さ ら

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 ば さ せ て 進 ぜ る 」。 女 は と い え ば 横 た わ っ て 悲 し げ に「 あ た し 自 身 は そ ん な こ と は 知 ら な ん だ。 だ け ど、 そ れ を あ た し に 教 え て く れ た の は あ ん た っ て い う 悪 魔 だ、 っ て こ と は 分 か っ て る よ 」 と 喚 わめ き立てた。   「 さ よ う、 あ な た に は ま だ も う 一 つ 癇 癪 筋 が お あ り だ 」 と 騎 士。 「もう片方の足に。こいつも切り取らなければ」 。   「 あ あ 」 と 相 手 は 泣 か ん ば か り に か き く ど く。 「 こ れ は と っ て も ち っ ち ゃ い。 そ ん な に あ た し の 害 に ゃ な ら な い。 神 様、 お 助 け。 悪 い こ と は な に も か も あ ん た が も う 切 り 取 っ ち ゃ っ た の の せ い な ん だ。 あ た し は も う 癇 癪 と は 一 切 縁 切 り に な っ た よ。 こ れ か ら は おとなしくするから、どうかもう一つは切り取らないどくれ」 。   す る と 娘 が 背 の 君 に 向 か っ て 晴 れ や か に こ う 言 っ た。 「 な さ る こ と を よ お く お 考 え に な っ て。 わ た く し、 心 配 で す の。 別 の 癇 癪 筋 な ん て の が 出 て 来 な く た っ て、 あ っ ち の を お 取 り に な っ た の は 大 変 な お 仕 事。 そ れ で、 も う 片 っ ぽ の 癇 癪 筋 を 切 り 取 ら な い で い ら っ し ゃ る と、 そ の う ち そ れ が 子 孫 を 増 や す ん じ ゃ な い か し ら、 って」 。   「 い や、 い や、 そ ん な こ と は な い、 い と し い 娘 や 」 と 母 親 は 叫

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 んだ。 「どうか、あたしに手を触れないよう、旦那様に言って聞かせとくれ、あたしは改心するからさ」 。   「母上様」と若夫人が答えて、 「あなたは、夫に抗うように、夫に従わないように、とわたくしに知恵をお付けにな りましたね。このひとがわたくしの父様に辛く当たっているのはこれのせいですわ。さ、旦那様、このひとの癇癪筋 を切り取ってくださいまし」 。そこで騎士がもう片方に取り掛かると、相手は叫んだ。 「いやあ、いやあ。もうもう ほ んとにたくさんだよ。娘や、あたしがおまえをお腹に入れてたことを思い出しとくれ。そして、ご亭主と仲直りさせ とくれ。誓って、これからは真っ当な生き方をするつもりだ。そして優しく公正な神様があたしを癇癪からお護りく ださいますように。大きい癇癪は騎士殿がもうあたしから切り取っちまった。小さい方は卵一つの値打ちもありゃあ しない」 。   「よろしい」と騎士。 「このひとが仲直りをしたい、とおっしゃるなら勘弁してやろう。しかし、手を挙げて誓って く れ な け れ ば な ら ぬ。 こ の ひ と が 癇 癪 を 抑 え 切 れ な け れ ば、 自 分 か ら 進 ん で 切 っ て も ら う、 と な 」。 誓 い が 済 む と、 女は体を起こされ、傷に包帯をしてもらった。   さてそれからというもの奥方は喧嘩口論はさらりと打っちゃり、淑やかな良妻に変身、すさまじい癇癪とはおさら ばした。そして翌日になると、夫とともに義理の息子に暇乞いをし、婿殿は婿殿で、神様があらゆる災厄からお護り になりますように、と祈ってやったもの。   さはさりながらその後になっても奥方は夫の気持ちを傷つけるようなことを一言、二言、ついつ い ((( ( 洩らしてしまう こ と が 何 度 か あ っ た が、 こ ち ら は そ の つ ど こ う 言 い さ え す れ ば よ か っ た。 「 や む を え ん、 婿 を 呼 び に や ろ う 」 と。 す る と 相 手 は 恐 怖 に 顔 を 紅 潮 さ せ、 「 そ の 必 要 は あ り ま せ ぬ。 あ れ が ま い っ て も わ た し の 役 に は 立 ち ま せ ぬ。 な ん で も お気に召すよういたすつもりでございますし、仲良くやって行きたければ、こう旦那様たちに言うのですよ、と、今

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 あ な た に 申 し 上 げ た 通 り を ど の 女 の ひ と に も 教 え て お り ま す も の」 。   さ て こ れ で こ の お 話 は お し ま い。 男 で も 女 で も 皆 さ ん こ れ を 随 意 に 教 訓 に な さ る が よ ろ し か ろ う。 も っ と も、 こ の 話 を 物 語 った昔の詩人は更にかような助言もしておりますがね。       悪妻持ったら       始末は手早く、       かの騎士殿にお任せ申し、       橇 そり の上に横にして、       丈夫な縄っ こ ((( ( 買ってやり、       どっかの枝っこに吊るしちまいな。       狼二、 三匹と一緒にさ。       これ ほ ど悪い 梁 はり をば渡した        絞首架なんぞ見たことあるまい。       悪魔のやろうをとっつかまえて、       間に下げりゃあ別だけ ど ((( ( 。

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題    解題    ラ ス ベ ル ク 男 爵 ヨ ー ゼ フ( 一 七 七 〇 ― 一 八 五 五 ) 編『 歌 の 広 間 ─ ─ 古 き ド イ ツ の 詩 集 成 』 Joseph Freiherr v. Laßberg: Liedersaal, das ist

Sammlung altdeutscher Gedichte,

4Bde., ( 820-25, Bd. III. S. (48  による。すなわち、古いドイツの韻文物語が材源。    傲 慢・ 乱 暴・ 強 情 な 女 性 を 謙 遜・ 温 良・ 従 順 に 躾 け 直 す と い う こ の テ ー マ は シ ェ ク ス ピ ア の 初 期 の 喜 劇「 じ ゃ じ ゃ 馬 馴 ら し 」 The Taming of  the Shrew  でよく知られているが、これとて従来行なわれていた 粗 そ 笨 ほん などたばた芝居の改作であり、こうした趣向が世の男どもに受けたからこ そ、興行主がシェクスピアに改作を依頼したのだろう、と推定される。    ヴァルター・シエルフは注釈の中で次のように記している。     こ の テ ー マ は ド ン・ フ ア ン・ マ ヌ エ ル( 一 二 八 〇 頃 ― 一 三 四 八。 カ ス テ ィ リ ア 王 フ ェ ル ナ ン ド 四 世 の 甥 ) が 著 し た 古 き イ ス パ ニ ア の 小 説・ 説 話集『ルカノール伯爵』 Don Juan Manuel: El Conde Lucanor  で二度扱われている(この小説・説話集にあっては〔当時のイスパニアにおけ る〕アラビア文化との隣接、 その頻繁な翻訳を忘れてはならない。殊に東洋の物語集成にはこの笑い話のモティーフが幾つも登場することも) 。 ま ず 第 五 章、 そ し て 更 に 第 四 十 五 章 に じ ゃ じ ゃ 馬 女 性 の 調 教 の 話 が 出 て 来 る。 第 四 十 五 章 で は 猟 犬、 愛 玩 犬( 牡 猫 )、 そ れ か ら 馬 が 順 順 に、 水を持って来い、と命じられ──その「不従順」のゆえに〔婿に〕殺されてしまう。この遣り口を真似ようとした舅は失敗する。    A T 、 A T U 九〇一「じゃじゃ馬馴らし」 The Tame of Shrew  。    原題 Vom Zornbraten.

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号

一六

 

の小枝

 

  昔むかし裕福な商人がいた。仕事のことで 遠 おんごく 国 に旅をしなければならなくなった。そこで別れを告げる時に三人の 娘に向かってこう言った。 「いとしい娘たち、わしが帰り着いたらおまえたちを 欣 よろこ ばせてやりたい。そこで何を土産 に し た ら よ い か、 言 っ て ご ら ん 」。 「 お 父 様、 わ た く し に は 素 晴 ら し い 真 珠 の 頸 飾 り を 」 と 長 女。 「 わ た し、 金 ダ イ ヤ モ ン ド 剛 石 の 嵌 は ま っ た 指 環 が 欲 し い の 」 と 次 女。 末 娘 は 父 親 の 胸 に し が み つ い て こ う 囁 い た。 「 あ た し に は 綺 麗 な 緑 の 胡 桃 の 小 枝 をね、父ちゃま」 。──「よしよし、いとしい娘たち」と商人。 「忘れはしないぞ、それでは息災でな」 。   遥か遠方へ旅をした商人は大規模な商品の買い入れをしたが、娘たちの望みもちゃんと覚えていた。長女を喜ばせ る た め の 高 価 な 真 珠 の 頸 飾 り は も う 旅 行 鞄 かばん に し ま い 込 ん で あ っ た し、 同 じ よ う に 値 の 張 る 金 ダ イ ヤ モ ン ド 剛 石 の 指 環 も 真 ん 中 の 娘のために買ってあった。ところが緑の胡桃の小枝となるとどんなに苦労してもどこにも見つけられなかった。そこ で帰り道は随分な距離を徒歩にし、旅程が何度も森の中を通ると、そろそろ胡桃の木が見当たるのでは、と期待した。 でもこうした期待も長いこと裏切られ続けで、そのうち善良な父親は末っ子で一番可愛がっている子どもの無邪気な 願いを叶えてやれないのではないか、と憂鬱になり始めた。   こんな風に悲しい気持ちで旅程を辿っていると、やがて 小 お 暗 ぐら い森の中に入り、密生した藪の傍を通り掛かった。そ の時被っていた鍔付き帽が何かの枝に当たって、霰でも降って来たみたいにぱらぱら音がした。上を向くとそれは綺 麗な緑の胡桃の小枝で、一房の 黄 き ん 金 色の実が下がっていた。男は大喜びで片手を伸ばしてその素晴らしい枝を折り取 った。でもその瞬間茂みの中から一頭の荒荒しい熊が飛び出し、商人をすぐにでも引き裂こうといった様子で、 獰 どうもう 猛 に 吠 え 猛 っ て 後 脚 で 立 ち 上 が っ た。 そ し て 恐 ろ し い 唸 り 声 で こ う 言 っ た。 「 な ん で き さ ま は お い ら の 胡 桃 の 枝 を 折 っ

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題 た、 え え、 ど う し て だ。 お い ら、 き さ ま を 喰 っ ち ま う 」。 怖 さのあまりぶるぶる震えながら商人が言う。 「おお、熊さん、 わしを喰わないでくだされ。そしてこの胡桃の小枝を持った ま ま 旅 を 続 け さ せ て く だ さ れ。 そ の お 礼 に 大 き な 燻 シ ン 製 塩 漬 豚 ン 腿 肉 を ((( ( 一 本 と、 腸 ヴ ル ス ト 詰 を ((( ( ど っ さ り 差 し 上 げ ま す で な 」。 け れ ど も 熊 は ま た こ う 唸 っ た。 「 き さ ま の 燻 シ ン ケ ン 製 塩 漬 豚 腿 肉 も 腸 ヴ ル ス ト 詰 も要らんわい。きさまが家に帰り着いて最初に出会うものを よこすと約 束 ((( ( しさえすりゃあ、おいら、きさまを喰わずにお い て や る 」。 商 人 は 喜 ん で こ れ に 同 意 し た。 な ぜ っ て、 飼 っ ている 尨 むく 犬 いぬ がいつも自分を迎えに走り寄って来る、と考えた からで、自分の命が助かるものなら、これを犠牲にするのは やぶさかではなかったしだい。ばしりと荒っぽく手打ち[取 り 引 き 成 立 の 徴 しるし ] を す る と 熊 は 不 恰 好 な 足 取 り で お と な し く藪に戻って行った。そして商人は ほ っとしてそそくさ、浮 き浮き、その場所から立ち退いた。   黄金色の胡桃の枝は故郷に急いで帰り着いた商人の帽子の 縁でみごとにきらめいていた。一番下の女の子は嬉しがって いとしい父親を出迎えようと飛び跳ねて来た。例の尨犬は猛

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 烈な勢いでぴょんぴょん走ってその後を追い掛ける。姉娘たちと母親はそれよりいくらかゆっくり玄関から姿を現し、 到着者に、お帰りなさい、をしようとした。商人がなんとも仰天したことには、飛び跳ねて出迎えた末娘が一番乗り だったのだ。がっかり 悄 しょ 気 げ 返った商人は有頂天の子どもの抱擁から身を振り ほ どき、まず家族と挨拶を交わしたあと、 胡桃の枝のことで自分に何が起こったか報告した。一同泣いてしょんぼりしたが、末娘はなんとも勇敢なところを見 せ、 父 親 の 約 束 を 守 ろ う、 と 決 心 し た。 暫 く し て 母 親 は う ま い 解 決 策 を 考 え 出 し て こ う 言 っ た。 「 心 配 し な い で い い のよ、皆。ねえ、いとしいあなた、その熊がやって来て、あなたが熊と交わした約束を思い出させたら、うちの末っ 子 の 代 わ り に 家 畜 番 の 娘 を や る の。 熊 も そ の 子 で 満 足 す る わ 」。 こ の 提 案 は、 も っ と も だ、 と さ れ、 娘 た ち は ま た 朗 らかになり、父親が出した綺麗な贈り物をありがたく喜んだ。末娘はもらった胡桃の枝を肌身離さず大事にし、間も なく熊のことも父親の約束のことも全く念頭から消え失せた。   しかしある日のこと、黒っぽい馬車が一台街道を通って商人の家の前へがらがらやって来た。そして怖らしい熊が 馬車から下り、唸りながら家の中に入り、びっくり仰天した男を前にして、約束の履行を迫った。急いでこっそり家 畜番の娘──これはとても醜かった──が連れて来られ、綺麗におめかしをさせられ、熊の車に乗せられた。そこで 出発とあいなった。外に出ると熊は荒荒しいもじゃもじゃ頭を家畜番の娘の膝に載せ、こう唸った。       「撫でておくれよ、 掻 か いとくれ、       おいらの耳の後ろを優しく上手に、       さもなきゃおまえをまるごと喰うぞ」 。

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ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その二) 鈴木滿訳・注・解題   だもんで娘は掻き始めた。けれどもちゃんとしなかったので、熊は、こいつは 騙 だま くらかされたわい、と感付いた。 そこでおめかしをした家畜番の娘を喰ってしまおうとしたが、娘は死ぬ ほ ど恐ろしかったものだからすばしこく馬車 から飛び降りてしまった。   それから熊はまた商人の家の前へ取って返し、ものすごく脅かして本当の花嫁を要求した。で、愛らしい女の子が 連れて来られ、辛く悲しい別れを告げてから怖らしい花婿と一緒に馬車で行くことになった。外に出ると熊はまたし ても、ごわごわ頭を乙女の膝に横たえて、こう唸った。       「撫でておくれよ、掻いとくれ、       おいらの耳の後ろを優しく上手に、       さもなきゃおまえをまるごと喰うぞ」 。   そこで乙女は掻いてやった。それもとってもやわやわ と掻いたので、熊は気持ちが良くて堪らず、おっかない 熊の目付きも和やかになった。といったしだいで可哀そ うな熊の花嫁も段段熊に慣れて来た。旅はそんなに長く はなかった。なぜなら馬車は吹き荒ぶ 疾 は や て 風 かなんぞのよ う に 突 とっ 拍 ぴょう 子 し も な く 速 か っ た か ら。 間 も な く 二 人 は と っ ても暗い森に入ったが、そこに真っ黒けな口を開いてい

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 1 号 る洞窟の前で突然馬車が止まった。これこそ熊の 棲 すみ 処 か だった。ああ、乙女ががたがた震えたことといったら。ことに 熊 が 鉤 かぎ 爪 づめ の 付 い た 恐 ろ し い 腕 で 抱 き つ き、 愛 想 の 良 い 唸 り 声 で こ う 告 げ た 時 に は ね。 「 お ま え は こ こ に 住 む の だ よ、 可愛い花嫁。そして幸せにおなり。中で立派にふるまえば、 おいらの乱暴な獣たちはおまえを引き裂いたりはしない」 。   そ し て 二 人 が 暗 い 洞 窟 に 何 歩 か 踏 み 込 む と 、 熊 は 鉄 の 扉 を 開 き 、 花 嫁 と 一 緒 に 一 つ の 部 屋 に 入 っ た 。 こ れ は 毒 の あ る 長 虫 ど も で 一 杯 で 、 こ ち ら に 向 か っ て 物 欲 し そ う に 舌 を ぺ ろ ぺ ろ 突 き 出 し た 。 す る と 熊 は 可 愛 い 花 嫁 の 耳 に こ う 唸 っ た 。       「振り向かないで。       右手も見ずに、左手も見ずに、       真っ直ぐ進め。そうすりゃ安心」 。   そこで乙女は振り向かずに部屋を通り抜けて行った。その間長虫どもはびくりこそりとも動かなかった。こうやっ て 更 に 十 の 部 屋 を 通 り 抜 け た が、 最 後 の[ 十 一 番 目 ] に は、 有 ド ラ ッ ヘ 翼 龍 や ((( ( 蛇、 毒 で 膨 れ 上 が っ た 蟇 ひき 蛙 がえる 、 バ ジ リ ス ク ((( ( や 無 リントヴルム 翼龍 と ((( ( いったおぞましい生き物どもがうようよいた。熊はどの部屋でもこう唸るのだった。       「振り向かないで。       右手も見ずに、左手も見ずに、       真っ直ぐ進め。そうすりゃ安心」 。

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