マルサス以後の人ロ理論
士口
田秀夫
近代的人口理論の嚢端を何塵に置くべきかは︑他の一切の近代的思想のそれの場合と同様に︑極めて困難な
商題に属する︒併し私はこ︑では︑所謂近代とは︑封建肚會の内部にその否定要素たる商品生産及び商品流通
が増大し來り︑延いては商業資本がその威力を増大し來つた時代︑すなはちイタリア商業都市の繁榮の時代
叉は西欧の絶封制度の時代以後を指すものと解し︑從つて近代的人口理論の稜端を右の時代に置かうと考へ
る︒
近代的人口理論の範園をかくの如く限定せる後に問題となることは︑かエる範園内に於ける近代的人口理論
の稜展の段階別を如何に試むべきかであらう︒この問題につき何人も直ちに提議すべきは︑それをマルサス以
前と以後とに分つことであらう︒事實多くの者は︑管に近代的なると否とを問はす︑人口理論の歴史的襲展を︑
マルサス以後の入口理一論三二五
三雌幽六
めマルサスを指標として前後に分つことをしてゐる︒思ふにこれは成程一慮は便利な段階別であらう︒併し乍ら
マルサスが何故にか玉る地位に押上げられるかの理由は︑理論的であるよりは寧ろ歴史的であり︑そして歴史
的な重嬰性を以て理論上の稜展指標となすのは云ふ迄もなく不合理である故に︑か玉る態度は直ちに探用ぜら
るぺきものではないと考へられる︒
凡そ理論一般の歴史は理論的並びに歴史的の二つの重要性より読かれなければならない︒而もこの二つのも
のは實は一つのもの﹂二面である︒蓋しかく云ふことは︑或る理論が︑それが誤れると否とを問はす︑何故に
大なる歴史的役割を演じ得︑且つ演じなければならなかつたかといふこと︑及び或る正しき理論が何故に或時
に読かれ而も大なる役割を果し得す︑叉は果し得たかといふことを︑明かにすぺきを意味するからである︒併
し乍らこのことを十分に爲し得る爲めには︑理論の歴史と共に叉肚會の歴史をもふりかへるの必要がある︒今
こ玉に所謂マルサス以後の人ロ理論の嚢展を取扱ふに當つても︑同じくこの態度を必要とすると考へるのであ
るが︑併し限られた紙数を以てしては到底このことを十分に爲し逐げ得ない故に︑私は前述の如き意味に於け
る近代的人口理論の中に或る型を見出し︑この型を述べることによつていさ玉かなりとも右のことに接近しや
うと思ふ︒從つて私はこ︑では近代的人ロ理論の焚展段階別は試みないこと製する︒
然らば右の如き型としては如何なるものが學げられ得るかといふに︑私はこれを三つとすることが出來ると
思ふ︒すなはちその第一は人ロを以て富強の第幽要件なりとし︑人口の増加を何を措いても擁護せんとするも
1)E.g.Stangeland,Pre・Ma,出uslanDoctrinesofPopulationヨGonnard,Histo・
iredesDoctrinesdelaPopulation;andmanyotbers.
のであり︑その第二は人口は富叉は生産物一般によつて決定せらるべき第二義的なるものとなし︑翠なる人口
壇加には寧ろ反封の態度を探るものであり︑叉その第三は︑人口一般を決定する如き生産物一般はあり得ナ︑
反封に特定の生産方法はそれ自身に特有な階級の人口を決定するとするものである︒マルサスは云ふ迄もなく
この第二型に罵する︒そして右の第一型はマルサスによつて急速にその勢力を失つて行つたものである︒併し
第二型の理論がマルサス読の普及といふ形で肚會の主たる理論となる迄は第一型がその地位にあつたのであ
レ︑換言すればマルサス直後の人回理論界は爾者の錯綜にあつたのであるから︑吾々は先づ極めて簡翠にこの
型に就いて述べなければならない︒
マルサスの時代に至る迄第一型の理論が支配的であつた理由に︑資本制生産の登生と密接に關聯するものである︒すなにち資
本制生産の駿生と襲展との爲めには︑貧しく而も何等の勇分的拘束なき貸勢働者入口な必要とし︑同時に叉その登生な政策的に
保護助長する爲めの強力なる中央集権的紹謝國家︑從つてその直接的強力敦ろ肚丁入口た必要とする◎さればこそ當時の入口理
論に主として第一型表らざるな得なかつ敦のである︒從つて入口として要求ぜられてゐ衷ものに實に賃勢働者人口であり叉肚丁
入口であり︑結局に資本制生産の稜展がか﹄ろ形で要求ぜられてゐtことに.なるのであるo
先づその例な英國に求めるとすれば︑十七八世組の所謂マアカyティリストにその代衷的なうものである︒すなにちo駐馨嘗匹
わ周9博誘同に7ラyス及オラyダの富強為蹴きて=れな大なろ入口に蹄し︑入口過剰といふが如きことに不可能のこと︑し︑}$置ず
ラ き6ず出◎に一國の貧富にその入口に比例すると観き︑甫塁鐘犀3℃げも亦・︑れと略々同一の見解を述べ︑叉Oげ舞♂加U.﹀く窪慧丙
は國の富とにその白然條件な云ふものにに非ずしてその入口の義であり︑從つてスペイyの如きは金銀に富みつ﹂も人口少
きが故に國に貧しく︑オラyダの如告に自然條件に恵まれないけれども而も人口稠密なるが故にその富強な來し敦と観いて居
マルサス以後の人口理論三二七
r) 2) 3)
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TmdeinIreland;Wolks,VoLIII.,pp.6‑7.
ララ セリ︑其他のマアカyティサストも何れも大同小異の主張た爲してゐる︒
ドイツに於いてこの傾向な代表せるものにカメラリストであろ︒例へばピ&類㎡ぐo昌ω8岸?
翁包自篤は人口増加に無限に進行し得るものとに考へないが而もこれな要求し︑叉H︒冨葺}o讐
りラるドリo露目閑8ザ臼に威力は入口に比例すると考へ︑冒碧三ヨ08おU&窪もこれと同檬に考へ︑更
ヘヘへもにHoゲ讐国鉱藍島Oo仲二呂く8旨瘍昏により大なる入口によ剛豊富なる物質的生活な保謹すべ
く︑而も今日の各國にその三四倍の入口な支持し得るが︑この増加が實現し衷曉には勢働力の増
の加ぜうだけの生産物量の増加があろであらうかち︑人口の過剰に不可能事なりとし︑叉}o器℃ゲ
ぎ昌ωo暮︒ロ密﹃も入口な以て富強の原因なりとして︑君主及び國民共にその噌大な計るべ垂こ
わとな主脹してゐろのであろo
右の如告英國のマアカyティリスト及びドイツのカメラリストに︑當時の第︼型の入口理論
な最もよく代表するものであるが︑この型ほこの雨國のこれ等以外の論者によつても︑叉この
嗣國以外の論者によつても︑屡々観かれてゐる︒例へば英國に於いてに︑ヵ巴凶8謝に罵する
釣男凶島震畠幣浮o及び労§昌壽匿︒oも入口の増加を要求し︑芝崖訂ヨ娼巴選も多殿者の小なる
宰輻の合計に少鍛者の大なる幸輻の合計工りも大であるとの功利主義的立場よりして大なる入
助口な擁護し︑叉冒日窪︾巳塞8はその農業上の知識な基礎として︑入口の櫓加はこれな支えゆるべき手段を増加ぜしめるものなることな観いて︑入口の増加に賛し衷︒叉ドイツに於いてに
入口統計准研究して勅意な地上に襲見ぜんとぜろ冒ゲ§戸憎08吋ω8国匙oげも︑入口に何時か
にその鱈加﹂な停止すべき々信ずる一方︑その増加な計るべ愈こと為以て君主の義務となし︑そ
ー 三二八
WaysandMeansofSupPlyingtheWar;Works,Vo1.1.,PP.72‑r74;Pro‑
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りの診の9のの㊧︑
) ) 9 0 五
めの爲めに探らる.へき種々なる方鍛な提唱してゐる︒更に比較的遽かに第二型の理論の機展ぜるイタΨアに於いてもO貯擢℃℃o
笥憎巴日♂ユの如きに同様の見解為いだき︑同じくフィウオ〃ラートに二つてこの型の理論が著しくその影なひそめ六るフラyスに
於いても客彗§に同じく大なろ合鑑護してゐるのであ妙
かくの如き第一型は︑十七八世紀を通じ叉十九世紀の初頭にかけて︑大なる勢力を有するものであつた︒然
らばこの型は︑十七世紀以來徐々として形成せられ來り︑マルサスに至つて一躍世の覗聴を集めるに至つた第
二型と︑如何なる交渉を有つたであらうか?・叉はこの型はマルサス流の型によつて如何に破られること曳な
つたか?・これ吾々の第一の問題である︒
一幽
右の如き大なる人ロの讃美を否定せるものが第二型の理論である︒この理論によれば︑人口が富を齎らすの
ではなく反封に富が人口を齎らすのである︒從つて富を第一に顧慮することなくしていたづらに軍なる人口を
要求することは誤りでなければならない︑といふのである︒
か玉る型は常にマルサスと結び付けられてゐるものである︒併し乍らそれは︑假令マルサスの頭謄に於いて
はそうでなかつたとしても︑決して唐突に生み出されたものではない︒それは彼以前に既に久しく主張せられ
來つて居り︑そして彼によつて一躍時代の寵兄となり︑更に彼以後今日迄蓮綿と傅つてゐるものである︒併し
マルサス以後の入口哩論三二九
1) 2) 3)
DiegδttlicheOrdnu㎎,1761Au乱,1.Thei1,S.49‑50,4=6‑418,42=‑573 RichezzaNazionale;Scritt面,partemoderna,T.38,P.329.
RedlerchesetC6nsid6rationssurlaPoPulationdelaFrance,1778,P.Il,79
三三〇
その主張せられる歴史的基礎は各時代に於いで著しくその性質を異にする︒吾々は先づこのことから読か
うo
か﹂る型の入口理論が最初に現にれ☆のヒ︑イタΨアに於いて攣あつ液︒その歴史葡幕礎にイタリア商業都市の繁榮の停
止及びその下降であつ六︒一都市に叉一國にその爽展が或程度に蓬すろと︑貧困と嚢退とが起り︑んロも亦俸止叉は減退す
る︒これ恐らく入口の麺剰に稜するものであらうoかくの如くイタ,ア縄濟學者11考へれのである︒例へば虫亀曽目路ぎ8δ
に︑噌殖に話詠惇ひq︒器艮ぼρによつて無限に進み得るがこれな賓現ぜしめるものに二彦5旨崔§であり叉都市の食物の
め喜9貫薮轟であり︑・bれ等が限られてゐろ散に限りな§入口増加に不可能なりとし︑叉b篤o乱oO9呈窪μに生活賢料と
恥均衡をとれる入口を以てσq剛瘍言℃名9鶴§δなりとし︑それ以上の入口もそれ以下のそれも何れも不宰なりと考へ︑更に
O剛ー㌶○詠紐に入口は三十年毎に倍加し行く力な有つものであるけれども︑實はか︑る増加ほ實現し得ず︑動物にあつ
翁
ては♂§に二・り︑入類にあつてにq9αq一8︒にエリ︑人口に妨げられるものであると主張してゐろ︒か﹂る主張はなほ多葡噛く見出され得るがハそれ等に何れも人口々以て生活資料に工つて決定せられるものとなし︑從つて皐なる入口増加な第一位
に置かなかつ液貼に︑共通性な有つのである〇
一フラyスに於けるか﹂る型の基礎に︑農業に於けろ資体制生産の襲展であろoイタΨア︑フラyドル︑英國等に於いてに︑
それにマ昌昌ファ〃チュアの形なとることが多かつ穴が︑フラyスに於いてに︑特に2σ目65告¥国8aざ目o山o団讐oρに於
ける農業生産方法の慶革といふ形な探つ敦︒これに吐會の登展な代衷する︒從つて進歩的なろ論者に農業の擁護といふ形で
生産か擁護し︑生産の擁護といふ形で資本制生産な擁護し六のである︒されば彼等が入口な以て第二義的電るものと考へ鷲
のに︑全く當然の事に厨する︒例へば嵐8富名且窪に無限の増殖への傾向な認め︑︑㌧れは生活の難易為通してのみ實現ぜら
れるとし︑從つて人口に原因に非ずして徴標欧りと考へる所から︑壮會的退歩の鐙としての所謂9署巳95︒口毒主張するに