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マルサス『価値尺度論』の考察

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(1)

著者 横山 照樹

雑誌名 經濟學論叢

巻 62

号 4

ページ 369‑422

発行年 2011‑03‑20

権利 同志社大學經濟學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013615

(2)

【論 説】

マルサス『価値尺度論』の考察

横 山 照 樹  

は じ め に

 マルサスが1820年に出版した『原理』初版では,価値尺度として「穀物と 労働の間の平均(a mean between corn and labour)」が採用されていた.ところが,

1823年に出版された『価値尺度論』では,価値尺度として商品が支配する労 働を採用することになる.その結果,マルサスの死後の1836年に出版された

『原理』第2版では,『価値尺度論』の議論を受けて,価値尺度が「穀物と労 働の間の平均」から労働に変更されることになる.したがって,マルサスに おける価値論の問題を考える場合,『価値尺度論』が決定的な意味を持ってい たように思われる.

 ところで,マルサスは,『価値尺度論』の中で,『原理』初版で採用されて いた価値尺度を変更したことについて,次のように言っている.

   「一般の経験と矛盾するような経済学の諸原理は,正しいと認めないということを 原則とした私の前著〔『原理』初版〕の読者は,ここに簡単に論及した,労働の価値 の不変性から必然的に導き出される結論が,前著の結論とほとんどまったく同じで あることに気付かれるだろう.そして,その理由はこうである.すなわち,当時私 は,商品が支配する労働を適切に価値の標準4 4尺度とみることができるとは考えなかっ たが,知られたあるものの標準に最も近い近似(the nearest approximation)と考え,

そして,その結果,ほとんどあらゆる場合にそれを適用して,より可変的な尺度の

(3)

適用から生じる誤りを訂正したからである.したがって,前著の結論と本書の論証

(reasonings)とは,いまや前提が一段と修正され,より以上に例証され,そして結 論が一層明確に述べられてはいるが,ほとんど同じもの(nearly the same)であるよ うに思われる.」(Measure, pp.210-211;訳,57-58ページ)

 すなわち,『原理』初版では,「穀物と労働の間の平均」が価値尺度として 採用されていたが,現実の分析を行うさいには,「商品が支配する労働」を「ほ とんどあらゆる場合」に適用していたので,『原理』初版の「結論」と『価値 尺度論』の「論証」とは,「ほとんど同じもの」だというのである.したがっ て,ここでのマルサスの説明によると,『原理』初版と『価値尺度論』とでは,

理論的な帰結については変化がなかったことになる.

 ところが,同じ『価値尺度論』の他の箇所に付した脚注で,マルサスは次 のように言っていた.すなわち,「私は,前著では,穀物と労働の間の平均 が,労働だけよりもよりよい価値の尺度であると考えた.しかし,私は今で は,私が間違っていた,そして労働だけが真実の尺度であると,確信している」

(Measure, p.191;訳,28-29ページ)と.ここでは,『原理』初版における価値尺 度の選定が「間違っていた」ことを,明白に認めているのである.

 また,1827年に出版された『諸定義』においても,これと同じような見解 が述べられていた.すなわち,ベイリーが,『価値尺度論』における「労働 の不変価値を例証する表」は何も証明しないだろうと批判したのに対して1), マルサスは次のように言っている.

   「私自身について言えば,私が価値の問題について,また労働をその尺度として採 用する諸理由について,そこ〔『価値尺度論』〕で取った見解は,その多くの点において,

1) マルサスは,ベイリーの次のような言葉を引用している.「このざっとした論評が明らかにし

ているとおり,表における数字の恐るべき配列は,一片の新しいまたは重要な真理をも,もた らすものではない.」(Definitions, p.90;訳,145ページ)

(4)

出版の1年前には,自分にとってまったく新しいものだったことは,確かである.」

(Definitions, p.90;訳,145ページ)

 すなわち,この引用文によると,『価値尺度論』における,価値の問題や労 働を価値尺度とする理由についての見解は,「出版の1年前には,自分にとっ てまったく新しいものだった」というのである.したがって,これらの論点 について,『原理』初版とはまったく異なった見解が,『価値尺度論』では展 開されていたことになる.

 そうすると,これらのマルサスの発言をあわせて考えると,尺度の選定は,

『原理』初版では間違っていたが,それが「前著の結論」に影響を与えること はなかった.しかし『原理』初版と『価値尺度論』との間には,「異なるとこ ろはほとんどなかった」ものと,「自分にとってまったく新しいもの」との,

両方が含まれている,と考えられていたことになる.

 しかも,『価値尺度論』について検討するさい,問題を複雑にしているの は,そこで述べられている議論が,同語反復と取られるような側面を含んで いることを,マルサス自身も認めていたことである.すなわち,マルサスは

『諸定義』の中で,「一定量の労働の可変的な賃金は常に同一量の労働を支配 するであろうと単に言うのは,疑いもなく,不合理な同語反復の自明の理(an absurd tautological truism)であろう2)」(Definitions, p.89;訳,143ページ)と述べて いたのである.もちろんマルサスの真意としては,「不合理な同語反復の自明 の理」と取られるかもしれないが,実はそうではないということが言いたい のであろうが,そのような譲歩をしなければならないという所にも,マルサ ス自身『価値尺度論』の議論が,かなり難解なものであることを認めていた ことになる3)

2) この文章は,ベイリーの批判に対して,述べられたものである.大村(1998)173ページを参照.

3) ジェームズは,マルサスの『価値尺度論』の出版について,次のように言っている.「経済学

者としてのマルサスの失敗を説明できるものは,多数あるが,しかし,あいまいで説得力のな い『価値尺度論』の出版に関しては,彼の原因は絶望的である.」(James, 1979, p.321)

(5)

 それでは,『価値尺度論』においてマルサスはどのような論理を展開してい たのであろうか.以下,最初の箇所から検討していくことにしたい.

1 自然価値の尺度について 1. 1 議論の前提

 マルサスはまず,価値という言葉には2つの異なった意味があるとして,

使用価値を「人間の最も重要な欲望を満たすさいの物の有用性」,交換価値を

「交換において他の物を支配する力」と定義して,「経済学に主として関係が あるのは,明らかに後の意味の価値」であると言う.そして,「交換において ある物が他の物を支配する力,言い換えると購買力」(Measure, p.181;訳,13ペー ジ)と述べて,交換価値は購買力と同じ意味であると言っている.また,交 換価値は,その物自体に作用する原因か,それと交換される商品に作用する 原因かによって,影響されるという.そして「ある物が常に価値において変 化しない」と仮定できるならば,それによって測られた商品の価値は,「絶対 価値あるいは自然価値」と呼ばれ,変動しがちな他の尺度で測られた価値は,

「名目価値または相対価値」(Measure, p.181;訳,13-14ページ)と呼ばれる4).  そしてマルサスによると,「一般的な購買力の正確な尺度」を見出すことは 不可能であるが5),「絶対価値と自然価値の正確な尺度」であるような物が存 在するかどうかが,この研究の「固有の目的(the specific object)」(Measure, p.182; 訳,14ページ)であった.

 ここまでのところは,用語の説明だと見なしてよいであろう.そしてこの 後マルサスは,『価値尺度論』における議論の前提として,2つのことをあげ ている6).まず,自然価値の構成要素について,次のように言っている.

4) マルサスの『価値尺度論』における価値概念の分類については,中矢(1978)7ページ,を参照.

5) マルサスは次のように言っている.「一般的な購買力,あるいは生活の必需品や便宜品のよう

な重要な商品を支配する力についての正確な尺度」は望ましいが,「それは,1つの物だけでは なく,多数の物の価値が不変であることを意味するであろうから,あらゆる理論と経験とに矛 盾することになる.」(Measure, pp.181-182;訳,14ページ)

6) 2つの前提については,中村(1996)190ページを参照.

(6)

   「直接的に,アダム・スミスの原理から,大部分の商品の供給条件は,回収(returns)

がその生産に必要な賃金,利潤,地代を支払うことである,ということになる.もし,

これらの支払いが,そのときの通常の率で貨幣によってなされるならば,それはア ダム・スミスが自然価格と呼ぶものになる.しかしながら,貨幣は変化することが 知られている.しかし,貨幣の代わりに,我々が,自然的な貨幣価格(the natural money prices)が支配するのと同じ,生産し蓄積する力を生産者に与えるのに必要な 物を用いるならば,そのような回収は,商品の自然的な供給条件と考えられるであ ろうし,またその自然価格に対比して,適切に自然価値と呼ぶことができるであろ う.」(ibid.;訳,14-15ページ)

 最初の説明では,自然価値は,「常に価値において変化しない」物によって 測定された商品の価値であった.それに対して,今の引用文では,スミスの 自然価格の概念に依拠して7),それが賃金,利潤,地代という3つの要素か ら構成され,そして,自然価格と同じ「生産し蓄積する力を生産者に与える のに必要な物」が,自然価値と呼ぶことができるというのであった.したがっ て,マルサスの価値尺度論には2系統の考え方があったことになる.すなわち,

1つは生産物の価値を不変の価値尺度で測定したものが自然価値であるとい う考えであり,もう1つが,通常の率での賃金,利潤,地代を貨幣で評価し たものと「同じ,生産し蓄積する力」を与えるものが自然価値であるという,

価値構成説的な考えであった.

 さて,マルサスは,この3つの要素の内,最初の2つが重要であるとして,

次のように述べている.

   「これらの3つの供給条件,または自然価値の要素のうち,最初の2つが明らか に最も重要である.それは土地の占有の成立に先立つ,かの初期の社会段階におけ

7) スミスの自然価格の概念については,Smith(1776)pp.72-73(『国富論(一)』103-105ページ)

を参照.

(7)

る唯一の供給条件であるばかりでなく,改良の最も進んだ段階における大多数のも のについてみても,やはりそうである.また改良の行われつつある国の,賃金の基 礎をなす主要な植物性の食物ですら,ほとんどすべてが賃金と利潤とに分解されて,

地代をほとんどまったく支払わない生産物の部分と,必然的に同じ価値でなければ ならないことが,いまや一般に認められている.」(Measure, p.182;訳,15ページ)

 したがって,マルサスによると,商品の自然価値は賃金,利潤,地代の3 つから構成されるが,「初期の社会段階」においても,「改良の最も進んだ段階」

においても,賃金と利潤とが最も重要なのである.そこから,マルサスは,『価 値尺度論』における第1の前提として,次のように言うのであった.

   「我々はしたがって,当面は,より単純な形態における物の自然価値は,労働と利 潤より構成されると仮定しても本質的に誤ってはいない,そして地代部分や,ある いはしばしばこれらの要素に加わる他の諸成分の影響は,その後に考慮されるであ ろう.」(ibid.;同上)

 すなわち,これ以降の議論では,商品の自然価値は「労働と利潤より構成 される」と仮定され,自然価値の構成要素として地代が排除されることにな るというのであった8).さらに,最初は自然価値が「賃金と利潤」から構成 されると言われていたが,今の引用文では,「労働と利潤」に変更され9),こ れ以降の箇所では,もっぱら「労働と利潤」という言葉が用いられることに なる.

 次に,『価値尺度論』における議論の第2の前提について,マルサスは次の ように述べている.

8) 『価値尺度論』において,価値の構成要素から地代が排除されたことによって,『原理』第2

版の価値論の内容が変更されることになるが,この点については,横山(2006)132ページ以 下を参照.

9) この点については,中村(1996)191ページを参照.

(8)

   「我々はまた,ある一定量の労働は,それを支配し,あるいはそれが現実に交換さ れる,賃金と同じ価値であるに違いないということは,容易に認められるであろう 公理(postulate)と,考えるであろう.」(Measure, p.183;訳,16ページ)

 すなわち,「一定量の労働10)」と「賃金」とが交換される以上,両者が同じ 価値であることは自明のことであろうから,それをマルサスは「公理」と考 えてよいというのである.そして,後に見るように,マルサスは賃金の価値 が不変であることを証明することによって,労働の価値が不変であることを 間接的に証明するのであった.したがって,この第2の前提については簡単 にしか述べられていないが,『価値尺度論』の議論において持つ意味は,重要 であった.そして,先に述べたように,マルサスは商品の自然価値の構成要 素として,スミスの「賃金と利潤」という表現の代わりに,「労働と利潤」と いう表現を用いるが,これも,この第2の前提からそれが許されることにな るのであった.

1. 2 投下労働について

 マルサスによると,労働と利潤という2つの価値の要素の内,直接に商品 の生産に用いられた労働だけではなく,機械等の生産に用いられた「蓄積さ れた」労働をも含めると,労働が「最大で最も有力(the largest and most power- ful)」(ibid.;同上)である.そして商品と道具の生産に労働しか用いられず,生 産された商品が販売される時間を無視できると仮定すると,次のようになる と言う.

   「同じ労働量はお互いに対して,そしてそれらに対する需要に対して,同じ相対 的な割合で諸商品を生産する不変の傾向を持つであろうから,それらは平均すると,

10) マルサスが「一定量の労働」という場合,「一定」の時間の「労働」能力の支出を指しているのか,

「労働」という商品の交換価値を指しているのかが,曖昧であるように思われる.マルクス的 な用語で言うと,労働力商品の使用価値を指しているのか,交換価値を指しているのかである.

(9)

それらを獲得するのに用いられた労働量にしたがって,お互いが交換されることが 見出されるであろうことは,確実である.」(ibid.;同上)

 すなわち,商品が労働のみによって生産され,流通時間がゼロの場合,商 品の交換価値は労働量によって決まってくることになるというのである.し たがって,利潤が存在しないというきわめて例外的な場合にのみ,リカード ウの投下労働価値論が妥当すると,マルサスは考えるのである.そして,例 として,サバ10尾とヒラメ2尾とが同じ労働量によって獲得される場合をあ げて,両者が引き続き市場に提供されるためには,ヒラメ1尾がサバ5尾と 交換されることになるから,生産に用いられた労働量11)が,「自然的交換価 値と相対的交換価値との両者の正しい尺度になる」(ibid.;訳,17ページ)と言 うのであった.

 しかし,「ごく初期の社会」(Measure, p.184;訳,18ページ)においてすら,

生産には一定の時間がかかるので,その時間に対して利潤が支払われねばな らないから,商品の交換価値が労働量のみによって決まることは,まれにし か起こらないとして,次のように述べられている.

   「しかし,次のことは一般に認められている,すなわち,文明と改良の進んだ諸国 の大多数の商品は,少なくとも,労働12)と利潤という2つの要素からなっており,

したがって,これら2要素が供給条件として入る諸商品の交換価値は,前払いの回 収も,固定資本と流動資本との割合も全く同じであるというきわめて特別な場合を 除いて,それに使用された労働量だけで一方的に決定されることはないであろう.」

(Measure, p.187;訳,22ページ)

 マルサスによると,同一量の直接労働と蓄積労働とによって生産された物

11) したがって,ここでは「労働」能力の支出が考えられていることになる.

12) この場合の「労働」は,労働の交換価値を指しているように考えられる.

(10)

も,生産期間が異なるために利潤量が異なり,交換価値が異なることになる.

また,初期の社会段階では,資本の蓄積はまれで,利潤率は極端に高いので,

交換価値は利潤により高くなるが,社会が進歩すると,利潤率は低下し,利 潤量は減少して,それらの交換価値は低下することになる.また,商品が大 量の極めて耐久性のある固定資本の助けによって得られる場合には,利潤か ら生じる価値の割合が非常に大きくなるのである13).これらの理由から,「し たがって,商品に用いられた(worked up)労働がその交換価値の尺度であると いうことは,いくらかでも正確だと言うことはできない」(ibid.;同上)と結論 されるのであった.

1. 3 支配労働について

 そうすると,投下労働が交換価値の尺度になり得ないとするならば,何が 正確な尺度になり得るのであろうか.問題は,利潤部分をどのように評価す るかということである.その点について,マルサスは次のように言っている.

   「しかしもし,供給の自然的条件の観点から,我々が,ある他の媒介物に言及する ことなく,前払いされた労働量のみを考えるのであるならば,我々は当然,利潤も また労働量で評価すべきであり,それは,それに比例して商品がお互いに交換され るのが見出される労働量を我々に与えるであろうが,それはちょうど,もし労働が その構成に入る唯一の要素であるならば,それらに用いられた労働量にしたがって,

それらがお互いに交換されたのと,まったく同じである.」(ibid.;同上)

 これまでの議論によると,蓄積労働と直接労働の量は,労働によって正確 に測定できるが,問題は,利潤をどのようにして測定するかということであっ た.そこで,今の引用文によると,蓄積労働や直接労働と同様に,利潤につ

13) これらの論点は,『原理』初版第2章第4節におけるリカードウ価値論批判の論点と,類似

しているように思われる.

(11)

いても労働によって測定すべきではないかというのである.そして,利潤も労 働によって測定された場合について,マルサスは次のように言うのであった.

   「したがって,同じ国において,そして同じ時期では,労働と利潤にのみ分解する ことができる商品の交換価値は,それらに実際に用いられた蓄積労働と直接労働に,

労働で評価した全前払いに対する利潤の様々な量を加えることによって得られる労働 量によって,正確に測定されるであろうということは,明らかである.しかし,これ は必然的に,それらが支配する労働量と同じでなければならない,…….」(Measure,

p.188;訳,23ページ)

 したがって,商品の交換価値は,蓄積労働+直接労働+労働で評価した全 前払いに対する利潤14),によって測定されることになり,それが支配労働量 と同じになるというのである.そしてマルサスによると,このようにして得 られた労働量は,商品の供給条件を表すことになる.

   「諸商品の供給条件は,それがいつも同一の相対価値を保持することを必要としな い,それぞれが適当な自然4 4価値を保持すること,すなわち生産者に,生産し蓄積す る力を引き続き同じ程度に与える物を獲得する手段を保持することが,必要なので ある.資本家の前払が特に服地からなるとすれば,この前払は常に生産において必 要な効果をもつであろう.また利潤は,前払がなんであろうと,生産に必要な前払 に対して計算されるから,前払された服地の数量に,同じく服地の数量で見積もっ た通常利潤を加えたものが,その商品の自然価値と相対価値の双方を表示するであ ろう.しかし資本家に特有の(specific)前払は服地ではなくて,労働からなる.し かも他のいかなるものも与えられた労働量を表示しうるものではないから,この点 では,労働がまったく独自の地位をしめるものであること,商品の供給条件,また

14) これ以降,「労働で評価した全前払いに対する利潤」のことを,冗長な表現なので,単に「労

働で評価した利潤」と表すことにする.

(12)

は自然価値を表示しうるものは,商品が支配する労働4 4の分量であって,他の商品の 数量ではないことは明らかである.」(Measure, p.189;訳,24-25ページ)

 すなわち,前払いが服地のみからなり,生産物も服地からなる場合には,

服地によって価値が測定されることになる.しかし,「資本家に特有の前払」

は労働,すなわち,蓄積労働+直接労働,であるから,「生産者に,生産し蓄 積する力を引き続き同じ程度に与える物を獲得する手段」を与えるのは,「商 品が支配する労働4 4の分量」であり,支配労働量は商品の供給条件を示すこと になるというのであった.そして,このように労働によって測定された自然 価値について,すぐ後の箇所でマルサスは次のように言っている.

   「利潤がこの前払〔蓄積労働+直接労働〕に対して算定される時には,経験によっ て,商品が同じ国において,それにしたがってお互いに交換されることが見出される,

労働量が得られる.そしてさらに,この労働量はお互いの交換価値のみならず,供 給条件に関わる絶体価値と自然価値を,正しく表示する.」(ibid.;訳,25ページ)

 先に述べたように,『価値尺度論』における研究の目的は,「絶対価値と自 然価値の正確な尺度」(Measure, p.182;訳,14ページ)であるような物が存在す るかどうかであった.そして,商品の自然価値は,「自然的な貨幣価格が支配 するのと同じ,生産し蓄積する力を生産者に与えるのに必要な物」(ibid.;訳,

15ページ)であった.したがって,「商品が同じ国において」交換される場合 には,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,は自然価値を正しく表示 することになり,労働こそは「絶対価値と自然価値の正確な尺度」になるの であった.

 そうすると,これまでの議論によって,「自然的な貨幣価格が支配するのと 同じ,生産し蓄積する力を生産者に与えるのに必要な物」を見つけるという 先に提起された問題は,この段階で解明されていたことになる.そして,再

(13)

生産の条件という場合,労働量と労働で評価した利潤が回収されることが必 要であり,それが生産継続の条件であることも,解明されていたのであった.

2 商品の価値の比較について

2. 1 同じ時期の異なった国について

 これまでの議論では,「同じ国においては,そして同じ時期では」という条 件が付けられていた.それでは,そのような条件が満たされない場合はどう なるかが,次に検討されることになる.

 まず,なぜこの問題がここで扱われることになったかであるが,それは『原 理』初版第2章第6節の最後の箇所における,次のような指摘が関連するの ではないかと思われる15).マルサスは,「そこで,どんな商品についても,あ る品物が支配する通常の日雇い労働の量は,真実交換価値の尺度に最も近づ いているように思われることは,認められねばならない」(1st.ed., p.125)と述 べた後に,次のように言っているのである.

   「しかしなお,労働は,すべての他の商品と同様に,それに対する需要と比較した 豊富あるいは不足から変動し,そして,異なった時とそして異なった国においては,

第一の生活必需品の非常に異なった量を支配する.そしてさらに,労働が使われる 技術と機械の援助の異なった程度の違いから,労働の生産物は用いられた量に比例 しないのである.したがって,言葉が用いることのできるどのような意味においても,

労働は真実交換価値の正確な,そして標準的な尺度であると考えることはできない のである.」(1st.ed., pp.125-126)

 そして,このように述べた後,第7節では,交換価値の尺度として,「 穀 物と労働の間の平均」が提案されることになるのであった.したがって,商 品が支配する労働が交換価値の尺度であると主張するためには,「異なった時

15) 以下の説明については,横山(2010 b)36ページ以下の議論を参照されたい.

(14)

とそして異なった国において」も,また「労働が使われる技術と機械の援助」

が異なっている場合にも,それが妥当することを論証しなければならないの である.そうでなければ,『原理』初版においてマルサス自身が提起した,労 働を不変の価値尺度と考える場合の問題点を,クリアーすることができない のである.

 それでは,その問題について,『価値尺度論』でどのように議論されている かを検討したい.最初に,異なった国の間で商品の交換が行われる場合が検 討される16)

 マルサスは,貴金属の価値に非常に開きのある異なった国の間では,「商品 がお互いに交換される割合は,それに使用された労働に利潤を加えたものに 比例しないことが,直ちに認められるだろう」と言っている.それでは,そ の場合は,どのようにして商品の交換比率が決まってくるかというと,「その ときの貨幣価格」によって決まってくると述べ,その貨幣価格はまた,一部 分は「価値の自然的要素(natural elements of value)」17)によって,そして一部 分は「異なった場所における貴金属の異なった価値」(Measure, p.190;訳,26ペー ジ)によって決定されると言うのである.それをマルサスは,インドとイギ リスの商品を例にとって,説明している.

 まず,インドで生産されたある商品について,次のように想定される.300 日の労働に等しい固定資本が1年間前払いされ,機械の損耗,原料,直接労 働からなる1500日の蓄積労働と直接労働が,同じ期間に商品に消費されると する.利潤率が20%の場合には,そのような商品の自然価値は,1860日の労

16) マルサスは自己の価値尺度論の弱点について,1823721日付のリカードウ宛の手紙の

中で,次のように言っている.「私の目からみたこの学説の唯一の難点は,国が異なり時期が 異なれば労働の効率も異なるということから生じます.すべての価値の基礎をなす需要と供給 の原理にもとづくと,異なる国の商品がそれぞれの国での自然的で絶対的な価値にしたがって 互いに交換されることはないというのは,疑いもなく真実です」(Ⅸ, pp.309-310)と.したがっ て,異なった国の間での商品の価値の違いをどのように説明するかということは,マルサスに とって非常に重要な問題であった.

17) 「価値の自然的要素」とは,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,を指していると考 えられる.そこで以下では,蓄積労働+直接労働+労働で評価した利潤,のことを,そのよう に呼ぶことにする.

(15)

働になる.そして,インドの労働が1日4ペンスだとすると,固定資本は5 ポンド,前払いされ消費された労働は25ポンドとなり,消費された労働に全 前払いに対する利潤を加えた額は31ポンドになる.

 それに対しイギリスで生産された商品の場合には,300日の労働が固定資 本に1年間前払いされ,1500日の労働が同じ期間に商品に消費され,利潤率

が10%だとする18).そうすると商品の自然価値は1680日の労働になる.し

かし,労働が1日2シリングであるとすると,その商品の自然価格は168ポ ンドになるのであった.

 したがって,この場合のインドの商品とイギリスの商品との交換比率は,

インドの商品5.4個がイギリスの商品1個と交換されることになる.そして,

このような数字例による説明の後に,マルサスは次のように言っている.

   「イギリスとインドで2つの商品の自然価値はほとんど変わらないのに,その自然 価格にみられるこのような驚くべき相違は,インドと比べてのイギリスの労働者お よび資本家の能力,熟練,境遇の結果として,貴金属の買付けにさいしてイギリス の労働が非常に優秀な能率を持っていることによりもたらされた,貨幣の価値の開 きによってのみ生じうるのである.」(Measure, p.191;訳,28ページ)

 すなわち,インドの商品の自然価値は1860日の労働であり,イギリスの商 品の自然価値は1680日の労働というように,ほとんど変わらなかった.しか し,1日の労働の貨幣価格が,インドが4ペンスであるのに対して,イギリ スでは2シリングと6倍も高かったために,インドの商品の自然価格は31ポ ンドであるのに対して,イギリスの商品は168ポンドとなったのである.し たがって,労働の貨幣価格の相違が,商品価格のこのように大きな違いをも たらしたのである.

18) マルサスは,イギリスの方がインドより資本の蓄積は進んでいるので,イギリスの利潤率を インドよりも低く想定している.

(16)

 それでは,なぜこのような労働の貨幣価格の相違がもたらされたのであろ うか.これより少し前の箇所では,各国間の貨幣価値の違いについて,「農業 労働の貨幣価格の違いに比例する19)」(ibid.;訳,27ページ)と言われていた.

しかし,今の引用文では,「貴金属の買付けにさいしてイギリスの労働が非常 に優秀な能率を持っている」からだとされている.したがって,マルサスは,

イギリスの労働者の高い生産性が,農業労働の貨幣価格の違いをもたらした と,考えていたことになる20)

 そして,この問題についての結論として,マルサスは次のように言うので あった.

   「したがって,他のどのような想定も実際の現象と一致しないのであるから,そして,

同じ国における諸商品の価値はそれが支配する労働量によって決定されるのであるか ら,異なった国における貴金属の価値は同じ尺度によって,すなわち,一定量の貴金 属が支配する夏季と冬季の賃金の平均をとった,普通の農業労働の種々の量によって,

決定されると結論しても大丈夫であろう.」(Measure, p.192;訳,29ページ)

 すなわち,異なった国の間での商品の交換価値について考える場合にも,「異 なった国における貴金属の価値」が,それが支配する「普通の農業労働」の 量によって決定され,それを媒介にして商品の交換比率が決定されるのであ るから,この場合にも支配労働量によって商品の交換比率が決まると考えて 良いであろうというのが,ここでのマルサスの結論であった.

19) マルサスは,注の中で次のように言っていた.「農業労働が取られるのは,それが最も普通

の種類の労働であり,それは直接に労働者の食物を生産し,そして土地の等級と利潤の必然的 な変化とに最も直接的に結びついているという,明白な理由からである.アダム・スミス,リ カードウ氏そして他の経済学者と同様にまた,平均すると,他の種類の労働は農業労働に対し て,同じ割合であり続けると想定されている.」(Measure, p.190;訳,27ページ)

20) 『価値尺度論』の後半の箇所では,貨幣価値の違いの原因として,「1次的なそして必然的な

原因」と「2次的なそして偶然的な原因」について論じられているが,ここで指摘されている のは,後者に当たる.Cf. Measure, p.212(訳,59ページ).

(17)

2. 2 同じ国の異なった時期について

 次にマルサスは,同じ国の異なった時期について,商品の価値を比較する 場合を検討する.

   「我々が,同じ国における異なった時期の商品の価値変動や,耕作と改良の進展に よる生産物の騰落について考察するときには,必然的に現実の交換によって試すこ とはできない.しかしながら我々は,同じ国の異なった時期においては,貴金属の 価値と,利潤率と穀物賃金との両者は,最も本質的に変化するであろうということ を知っている.」(Measure, p.192;訳,29ページ)

 先に説明した,異なった国における商品の交換の場合には,インドとイギ リスとの商品の交換を現実に調べることによって,交換される割合を確認す ることができた.しかし異なった時期の商品の価値の比較を問題にするとき には,現実に商品の交換が行われることはないから,その割合を確認するこ とはできない.そして,異なった時期の商品の価値を比較する場合に問題に なってくるのは,比較しようとする2つの時期で,「貴金属の価値」と「利潤 率と穀物賃金」との両者が変化していることであった.

 しかしマルサスによると,「貴金属の価値の変動の影響は,ひとたび我々が 価値の尺度を得たときには,容易に測定できるであろう」(ibid.;同上)と言っ て,その問題は先送りされることになる21).したがって,「当面最も重要な点は,

資本の利潤と労働の穀物賃金に必然的に起きる変化によって,社会の進歩に つれて,諸商品の価値に引き起こされるに違いない影響を考察すること」(ibid.; 同上)であった.

 そしてマルサスは,しばらくの間は穀物賃金は不変であると仮定して,「社 会の初期の段階の高い利潤と,そして後のそれのかなりの下落とを仮定して,

21) 脚注20でも述べたように,この点が貨幣価値変動の原因として,『価値尺度論』の後半で論

じられることになる.

(18)

どのようにして,これらの異なった時期の商品の価値を尺度し,比較するの であろうか」(ibid.;同上)ということを問題にする.その点を,次のような例 をあげて説明している.

   「利潤が500年前に50%で,現在では10%と想定した場合,問題は,この異なっ

た時期に同じ量の労働を費やした布切れが,同じ価値を持つかどうかである.想定 により,初期にはより大きな利潤量を含んでおり,同じ労働量が費やされたのであ るから,我々は,それはより高い価値であろうと当然結論すべきである.」(Measure,

p.193;訳,30ページ)

 すなわち,布の生産に500年前と現在とで同じ労働量が用いられており,

500年前の利潤率が50%で現在の利潤率が10%であったと想定する.これま での「価値の自然的要素」についての考え方からすると,商品の価値は,蓄 積労働+直接労働+労働で評価した利潤,からなるので,500年前に生産さ れた布の方が現在生産された布よりも,利潤率が高い分だけ,より高い価値 を持つことになるというのである.

 このような価値の考え方は,すでに以前述べられたことであるから,特に 問題があるとは思われないのであるが,マルサスは新たに次のような問題を 提出するのである.すなわち,布は「同じ労働量を費やすが,しかし以前の 時期の労働はずっと少ない価値であり,それは利潤のより大きな量を相殺し,

同じ労働量によって獲得された価値を同じにする」(ibid.;同上)のではない かという問題である.つまり,500年前には利潤は高かったかもしれないが,

労働の価値は低かったであろう,それに対して現在においては,利潤は低い かもしれないが,労働の価値は高いであろう.したがって,利潤と労働の価 値とはお互いに相殺し合うことによって,布の価値は,500年前と現在とで 変わらないのではないかということである.そして,マルサスはこのような 考え方を,「補償の原理(the principle of compensation)」(ibid.;同上)と呼んでいる.

(19)

 しかし,マルサスはこのような考え方を次のように言って批判するが,そ れによって,議論を新たな次元に導くことになるのであった.

   「労働者に支払われる穀物は,それが生産される土壌の優れた肥沃度のために,よ り小さな労働量によって実際獲得されるが,しかし布が販売されるのと同様に,50 パーセントの利潤で販売される.そしてもし,布の場合に,優れた肥沃度の結果と考 えられる賃金の低い価値が,高い利潤を相殺して,布の価値を同じに保つと言えるの ならば,賃金に支払われる穀物の場合には,それを生産するのに必要なより小さな労 働量は,それが販売されるときのより大きな利潤率によって埋め合わされて,それゆ え賃金の価値は同じままであろうと,確実に言えるであろう.」(ibid.;訳,30-31ページ)

 すなわち,500年前に生産された布の場合には,低い賃金が高い利潤によっ て相殺されて,同じ価値に止まるとすると,同じことは穀物についても言え るはずだというのである.なぜなら,500年前に穀物が農業の高い生産性に よって少ない労働量で生産されたとしても,それは高い利潤率によって相殺 されて,労働と利潤の合計は,現在と変わらないのではないかというのである.

したがって,現在に比べて500年前には労働者に支払われる穀物は,現在と 同じ価値であったと考えられるから,500年前に賃金の価値が低かったと考 えるのは間違いであるというのが,ここでのマルサスの結論であった22).  500年前と現在とを比べるというのは,極端な表現であろうが,ここでマ ルサスが言いたかったのは,異なった2つの時点で利潤率が変動していたと しても,労働者に支払われる穀物の価値,したがって賃金の価値は,変わら ないのではないかということである.

 そして,穀物の場合について例証するために,マルサスはさらに次のよう

22) ここでの布と穀物との比較では,布の場合には,労働の低い価値が高い利潤率によって相殺 されるのに対して,穀物の場合には,穀物を生産するのに必要なより小さな労働量が,より大 きな利潤率によって相殺されている.したがって,マルサスの言う補償の原理は,布と穀物と では,全く同じものというわけではなかったように思われる.

(20)

に述べている.

   「もし100クオーターの穀物が,社会の異なった時期において7人,8人,9人,といっ た異なった人数の労働で得られ,各々が年に10クオーターの率で支払われるとすれ ば,100クオーターの穀物の価値,または,前払された労働で評価された雇用され た労働者の誰か一人の賃金の価値に,そのような前払に対する利潤を加えたものは,

明らかに常に同じでなければならない.」(ibid.;訳,31ページ)

 そしてマルサスは,上に述べたことを,より詳しい数字例をあげて説明し ていくのである.それを簡単に紹介すると,次のようなものである.社会の 初期には土地が豊かなので,7人の労働者で100クオーターの穀物を生産す ることができる23).この場合には,労働の前払いは7人,あるいは穀物70ク オーターとなり,利潤率は42 %となる.したがって,「7人の労働の前払は,

42 %の利潤だけ増大して,10人の労働に,すなわち全収穫が支配する労 働に等しい」(ibid.;同上)ことになる.

 より進んだ時期には,耕作に引き入れられた最後の土地で,100クオーター の穀物を生産するのには8人の労働が必要である.この場合には,労働の前 払いは8人,あるいは穀物80クオーターとなり,利潤率は25%となる.し たがって,「8人分の労働は25%増加して,10人分の労働にちょうど等しい」

ことになる.同じようにして,もっと後の時期に,100クオーターを生産す るのに9人の労働が必要になると,利潤率は11 %となり,「雇用された労 働量は利潤分だけ増加して,なお10人の労働と等しい」(Measure, pp.193-194;訳,

31-32ページ)ことになる.

 ここでマルサスのあげている数字例に基づいて表を作成すると,第 1 表の ようになる.

23) マルサスは,社会の初期には,土地は「地代をほとんど,あるいは全く支払わなかった(paid

little or no rent)」(Measure, p.193;訳,31ページ)と述べている.

(21)

 そして,以上の分析からの結論として,マルサスは次のように言っている.

   「そこで次のことが明らかとなる,すなわち,労働者が同じ穀物賃金を引き続き支 払われているときには,穀物生産物全体の価値,あるいは通常の方法によって労働 と利潤で評価された各々の労働者の賃金の価値は,明らかに一定に止まるに違いな い,そして,10人あるいは1人の賃金を生産するのに,耕作の進展につれてより多 くの労働が必要であるから,労働の価値が上昇すると推測するならば,もし同時に,

それをちょうど相殺するような利潤の価値の下落が避けがたいとするならば,最も 間違ったことであるに違いない.」(Measure, p.194;訳,32ページ)

 引用文によると「労働者が同じ穀物賃金を引き続き支払われている」こと が前提されている.それは,表の第2列の1人あたり穀物賃金がどの時期に も10クオーターであることに示されている.そして,価値は商品が支配する 労働によって測定されると考えた場合には,労働が常に同じ穀物量と交換さ れるから,穀物の価値は常に同じことになり,今の場合には,10クオーター の価値が1人の労働と等しいということになる.

 このような前提をもうけた後,マルサスは,「穀物生産物全体の価値」と「通 常の方法で労働と利潤で評価された各々の労働者の賃金の価値」は,「明らか に一定に止まる」と言っている.穀物の価値が同じであり,各時期の生産量

第 1 表 補償の原理を例証する表

1 2 3 4 5 6 7 8 9

生産に用いられた 労 働 量

(人数)

1人当た

り 賃 金

(クオーター)

(クオーター)賃金総額 生産量

(クオーター) 利潤量

(クオーター)利潤率

(%) 生産物 の価値 労働の

価 値 利潤の 価 値

7 10 70 100 30 42 10 7 3

8 10 80 100 20 25 10 8 2

9 10 90 100 10 11 10 9 1

(22)

も100クオーターで同じであるから,「穀物生産物全体の価値」が一定なのは 当然であろう.そして,労働の価値が常に一定であるから,「各々の労働者の 賃金の価値」が一定なのも,同じく当然であろう.意味が取りにくいのは,「通 常の方法で労働と利潤で評価された」という言葉を,どのように解釈するか ということであろう.ただこの点は,後の「労働の不変価値とその諸結果を 例証する表」における議論と関係するので,そのさいに検討することにして,

先に進むことにしたい.

 ここでマルサスが問題にしていたのは,以前の引用文にあったように,布 の場合には賃金の低い価値が高い利潤を相殺するのならば,「賃金に支払われ る穀物の場合には,それを生産するのに必要なより小さな労働量は,それが 販売されるときのより大きな利潤率によって埋め合わされて,それゆえ賃金 の価値は同じまま」(Measure, p.193;訳,31ページ)であると言えるかどうかであっ た.そして,今の引用文の後半部分では,次のように述べられているのであっ た.すなわち,「10人あるいは1人の賃金を生産するのに,耕作の進展につれて,

より多くの労働が必要であるから,労働の価値が上昇すると推測」することは,

「最も間違ったことである」と.

 ここでマルサスは「労働の価値」と言っているが,先に引用した文章では,

「賃金に支払われる穀物」の価値を問題にしていた.また以前引用した文章で は,「100クオーターの穀物の価値」(ibid.;同上)を問題としていた.したがっ て,ここでマルサスは「労働の価値」と言っているが,問題にしているのは,

「耕作の進展につれて,より多くの労働が必要」になってきた場合,穀物の価 値がどうなるかということであったと考えられる24)

 したがって問題にされていたのは,第1表の第7列の数字が一定なのは,

なぜかということであった.そして,マルサスによると,異なった時期に,

24) この点は,マルサスが『価値尺度論』における議論の第2の前提として,「ある一定量の労働は,

それを支配し,あるいはそれが現実に交換される,賃金と同じ価値である」(Measure, p.183;訳,

16ページ)としていたため,「労働の価値」と「賃金に支払われる穀物」が同じ意味のように 用いられたのではないかと思われる.

(23)

100クオーターの穀物を生産するのに必要な労働の価値が,第8列にあるよ うに次第に増加していくと,利潤の価値が第9列にあるように,その増加を ちょうど相殺するように減少していくので,生産物の価値は不変のままに止 まるのであった.

 すなわち,穀物賃金の価値が一定なのであるから,穀物の価値がどの時期 にも一定であるのは,ある意味では当然のことかもしれない.しかし,マル サスは,生産に必要な労働量が増大して行くのに,なぜ穀物の価値は不変に なるのかという問題を提起して,それは利潤の下落がそれを相殺するからで あるという,結論を導き出すことになったのである.

 そしてマルサスは,先に述べたように,「賃金に支払われる穀物」の価値と

「労働の価値」とを同じ内容であると考えていたから,穀物の価値が不変であ る以上,労働の価値も不変であることが,同時に結論として導き出されたこ とになるのであった.

3 労働の価値の不変性について

3. 1 全生産物のうち労働と利潤に与えられる割合について

 これまでの説明では,第1表にも示したように,労働の穀物賃金は一定と 前提されていた.ところが,ここでマルサスは,次のような新たな問題を設 定する.

   「しかし耕作の進展に伴い,労働の穀物賃金が同じであり続けることはない,そし てその結果,労働に比較した供給の状態の一時的な変化のためと,そして,生産の 困難の増大による労働に比べた穀物の需要と供給のより永続的な状態のためとの両 方によって,穀物は価値の大きな変化を被るに違いない.」(Measure, p.194;訳,32ペー ジ)

 すなわち,異なった時期において穀物賃金が一定であり続けることは,あ

(24)

25) マルサスは例として,次のように言っている.「その生産物が何であろうと,もし生産物の 3/4が労働のものになると,1/4は利潤に残るであろう.もし5/6が労働のものになると,1/6 は利潤に残るであろう.そしてもし1/2だけが労働のものになると,1/2は利潤に残るであろう.

(Measure, p.194;訳,33ページ)

り得ないのであり,「労働に比較した供給の状態の一時的な変化」と「生産の 困難の増大」による「より永続的な状態」という2つの原因から,穀物の価 値は大きく変化していくというのである.

 これまでの議論では,労働の穀物賃金については一定と前提された上で,「労 働の価値」が不変であることが論じられていた.しかし,今の引用文によると,

「労働の穀物賃金が同じであり続けることはない」のであるから,そのような 前提自体が,現実にはあり得ないことになる.それでは,そのような前提を 排除した場合,どのようにして,「労働の価値」が不変であることを論証でき るのであろうか.

 まずマルサスは,次のように言っている.すなわち,「いずれかの生産物 の価値が労働と利潤に分割できるときには,労働に与えられる生産物の割合4 4 が増大するにつれて,利潤に与えられる割合が同じ程度で減少しなければな らず,そして労働に与えられる割合4 4が減少するにつれて,利潤に与えられる 割合が同じ程度に増加しなければならない」のであり,それは「例外のあり そうにない一般的な規則として,主張できるであろう」(ibid.;訳,33ページ)

25).そしてその後,次のように述べている.

   「穀物あるいは商品一般に関して,耕作の進展の異なった時期でお互いを比較する と,それらを生産するのに必要な労働量の増大も,労働者に与えられる生産物の量 の増大も,労働者に与えられ,その結果利潤に影響する,全生産物の割合を決定す ることは決してできないことは明らかである.なぜなら,もしそれらを生産するの に必要な労働量が増大するとしても,利潤に対するこの影響は,労働者に与えられ る生産物の量が同時に減少することによって,完全に打ち消されるかもしれないか らであり,…….」(Measure, p.195;訳,33-34ページ)

(25)

 以前の説明では,労働者の穀物賃金が一定であると前提されていたので,

異なった時点の間で変動するのは,労働の生産性だけであった.そのため,

異なった時点で穀物を生産するのに必要な労働量が変動すると,それを相殺 するように利潤が変動するので,穀物価値は不変であると言うことができた.

しかし,そのような前提がない場合には,異なった時点を比較すると,労働 の生産性が変動すると同時に,穀物賃金も同時に変動している可能性がある ので,労働生産性や穀物賃金の変化が,生産物の賃金と利潤とに分割される 割合にどのような影響を及ぼすかを,決定できないと言うのである.

 しかしマルサスは,「一定数の労働者の賃金を形成する,生産物の可変量(the

variable quantity of produce)を取ると」これとは事情が異なってくるとして,次

のように言っている.

   「しかしもし一般的に商品を取らないで,我々が,異なった事情の下で一定数の労 働者の賃金を形成する,生産物の可変量を取ると,この生産物を獲得するために必 要な労働の可変量(the variable quantity of labour)は,全生産物のうち労働に与えら れる割合と常に正確に一致するであろうことを,我々は見出すであろう.なぜなら,

この生産物の量がいかに可変的であろうと,それは,それが支配する労働者数に等 しい,多数の部分に分割されるであろう,そして,この賃金を生産した労働者の第 1の組は,その労働を生産物が支配する第2の組と,同じ率で支払われたと考えら れるであろうから,もし,10人の労働を支配する生産物を獲得するために,6人,7 人,8人,あるいは9人の労働が必要であったとすると,労働者に与えられる生産物 の割合は,これらの異なった場合において,6/10,7/10,8/10,あるいは9/10であり,

4/10,3/10,2/10,あるいは1/10が利潤のために残るであろう.」(ibid.;訳,34ページ)

 この文章におけるマルサスの主張は,きわめて分かりにくいものであるの で,第 2 表のような表を使って説明することにしたい.

(26)

 この表では,「10人の労働を支配する生産物量」を生産するために必要な 労働量が6人から9人へと増加するにつれて,1人あたり穀物賃金も6クオー ターから9クオーターへと増加すると想定している.そうすると,10人の労 働を支配する生産物の量も,60クオーターから90クオーターへと増加して いくことになる.その他の項目は,先の引用文にあげられている数字例に基 づいている26)

 この表にしたがって,先の引用文の内容について検討することにしたい.

まず引用文の前半におけるマルサスの主張は,次のようなことであった.す なわち,「一定数の労働者の賃金を形成する,生産物の可変量を取ると,この 生産物を獲得するために必要な労働の可変量は,全生産物のうち労働に与え られる割合と常に正確に一致する」ことになるというのである.上の表で言 うと,第5列の数字は,第6列の数字に一致するというのである.しかし,

表から明らかなように,そのように言うことは困難なように思われる.

 それに対して,引用文の後半におけるマルサスの主張は,次のようなこと ではないかと思われる.1行目を例にとって説明すると,6人の労働によって 生産された60クオーターは10人の労働を支配する.その60クオーターのう

1 2 3 4 5 6 7

10人の労働

を支配する

(クオーター)生産物量

生産に必要 な労働量(人数)

1人あたり

穀物年賃金

(クオーター)

賃金を形成 する生産物

(クオーター)の可変量

この生産物を 獲得するため に 必 要 な 労 働の可変量

全生産物の うち労働に 与えられる 割合

全生産物の うち利潤に 残る割合

60 6 6 36 3.6 6/10 4/10

70 7 7 49 4.9 7/10 3/10

80 8 8 64 6.4 8/10 2/10

90 9 9 81 8.1 9/10 1/10

第 2 表 全生産物のうち労働と利潤に与えられる割合についての例証

26) 第2表の第5列「この生産物を獲得するために必要な労働の可変量」は,『価値尺度論』の

後の箇所に掲げられている「労働の不変価値とその諸結果を例証する表」(本稿の第3表)の 5列の,「前述の事情のもとで10人の賃金を生産するに必要な労働」と同じ意味であるとみ なして,算出されている.

(27)

ち36クオーターは,6人の「労働者に与えられる」ことになる.この労働者 がマルサスのいう第1の組である.残りの24クオーターは利潤となり,労働 者の穀物賃金が変わらないならば27),4人の労働を支配することになる.こ の労働者が第2の組である.したがって,賃金の生産物に対する割合は6/10 となり,利潤の割合は4/10となる.そして,表にあるように,生産に必要な 労働量が6人から9人に増大し,同時に1人あたりの穀物賃金が6クオーター から9クオーターに増大していったとしても,賃金の割合は第8列にあるよ うに6/10から9/10に増加していき,利潤の割合は第9列にあるように4/10 から1/10に減少していくことになるのであった28)

 したがって,これによって,先に設定した,「生産物の価値が労働と利潤に 分割できるときには,労働に与えられる生産物の割合4 4が増大するにつれて,

利潤に与えられる割合が同じ程度で減少しなければ」(ibid.;訳,33ページ)な らないという命題が論証されたことになるというのが,ここでのマルサスの 結論であった.

 ところでこの設例では,「10人の労働を支配する生産物を獲得するために,

6人,7人,8人,あるいは9人の労働が必要であった」とされていた.した がって,生産物の支配労働量は,何人の労働によって生産されようと常に10 で同じであった.そして,賃金の価値と利潤の価値について考えてみると,

生産に必要な労働が6人,7人,8人,9人と増加するにつれて,労働者に支 払われる賃金の価値は6,7,8,9と増大していくことになる.それに対して,

27) マルサスは引用文の中で,「この賃金を生産した労働者の第1の組は,その労働を生産物が

支配する第2の組と,同じ率で支払われた」と述べているから,60クオーターの穀物を生産 するために労働者を雇用した時点と,生産された穀物が販売される時点とで,穀物の価値は変 化しないと想定されていたことになる.

28) このように解釈する場合,問題になってくるのは,引用文中における「なぜなら,この生産 物の量がいかに可変的であろうと,それは,それが支配する労働者数に等しい,多数の部分に 分割されるであろう」という文章をどう解釈するかということである.この文章における「こ の生産物」というのは,文脈からいって,明らかに「労働者の賃金を形成する,生産物の可変 量」を指していると思われる.しかしこれが,「それが支配する労働者数に等しい,多数の部 分に分割され」て,労働者の第1の組と第2の組とを支配するとは,考えられない.このよう に言えるためには,「この生産物」は,「10人の労働を支配する生産物」でなければならない.

(28)

生産物の価値から賃金の価値を引いた利潤の価値は,4,3,2,1と減少して いくことになり,賃金の価値の増大は利潤の価値の減少によって相殺されて いることになる.

 したがって,これは,先に見た第1表の第7列,第8列,第9列で示され た考え方と,値は違っているが,同じようなものであると考えられる.確かに,

第1表においては穀物賃金が一定であると前提されているのに対して,第2 表では穀物賃金が変化しているという違いはある.しかし,どちらの表にお いても,全生産物の価値は一定になっていたのである29).そして,その一定 の価値は,賃金の価値,あるいは労働に与えられる割合,が増加するにつれて,

利潤が減少することによって,維持されるのであった.というよりも,価値 が一定であるので,賃金が増加すると,それと同じ額だけ利潤が減少せざる を得ないのである.

3. 2 労働の価値の不変性について

 以上の議論を基にして,マルサスは労働の価値の不変性を主張することに なる.まず,「もし2つの可変量(variable quantities)XとYの価値が,一定の 価値Aに等しいならば,XとYに起きるあらゆる変化において,Xが得るど のような価値もYにおいて失われねばならず,そしてYが得るどのような価 値もXにおいて失われねばならない30)」(ibid.;訳,35ページ)と述べた後,

次のように言うのであった.

   「さて,一定数の労働者に賃金として与えられる穀物の可変量の価値を構成する労 働と利潤の可変価値は,必然的に次のようなものでなければならないことが分かっ た,すなわち,生産の困難からか,あるいは生産物のより大きな量が労働者に与え

29) 第2表では,生産量について,「10人の労働を支配する生産量」という,かなり恣意的な想

定がなされていた.

30) これは,先に引用した,「生産物の価値が労働と利潤に分割できるときには,労働に与えら

れる生産物の割合が増大するにつれて,利潤に与えられる割合44が同じ程度で減少しなければな らず,……」(Measure, p.194;訳,33ページ)という文章と,同じ趣旨のものであると思われる.

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