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マルサスの地代論

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

マルサスの地代論

田中, 定

https://doi.org/10.15017/4151129

出版情報:經濟學研究. 6 (1), pp.171-205, 1936-03-31. Society of Political Economy, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

もマルサスの地代論を研究せねばならぬからでめる

9 従つてリカアドの偉大なる論著を︑

畑之

I:.; 

スミス及びリカアドを終へたのだから︑次に主題とたる人物はマルサスであらう

o

│ ースミス及びリ

カアドと相並んで︑

つねにこの學派の一菰手として探ばる

4ところのマルサス︑

マルサス地代論は︑

見方によっては︑嘗然に︑高く評憤さるべきであらう︒何故といふに︑地代論史 におけるリカアドの剖期的論著は︑著者も言へる如く︑マルサスの地代論に負ふところ甚だ大であるし

その成生の歴史にまで湖つて明瞭にしようと欲するならば︑誰れし

の誰れよりも多く地代論文献を饗き浅してもゐるマルサス︒

マルサスの地代論を研究するに賞つて︑そ 質のものであるか︒

そも/\マルサスの地代論とは如何たる性

正統學派地代論史の績きを害きす

4め

る︒

マ ル サ ス の 地 代 論

然かもまたこの墨派中

ょ →

I) Ricardo,  Principles of Political  Economy, Preface, p.  I.及 び Lettersto  Malthus, p.  58 

(3)

して値ひしない︑と卒直に言へると息ふ︒

の中に

リカアド地代

論の先史を求めるといふ

こと

だけを目椋とするたらば

殖に闊する研究﹂なる一文献の如きは研究吝を滴足せ

しむるにまさ

に充分なものでゞもあるのだ︒その

中に

は︑

リカ

アドの茄芽といふ

よりは︑

究の主要

標は或る例

々の

論蒋の學説史的背娯を明瞭にするといふ退嬰的な詮索にあるのではたい

韮な

きことであらう︒

リカ

アドのそれの先史

として取

り上げる

ことは︑

また 見方によってはマルサスの地代論は高い評頒に決し

て伯ひし

たいやうにも恩はれる

マルサスの地代

諭そ

のもの4中に置芦い蛾代論の展開に貢獣するものが含ま

れてゐるとすれば

た椋々の挟雑物のため︑完全に成長を肌碍されてゐるからである︒彼れの地代論は︑一個の獨立の論署と

して取り上げるならば︑問題の提起に充ち︑

間拓のために極めて曲豆

饒たる貢献をたしたスミス及び

カアドのそれに封比するならば

それ故

に ︑

箪獨に彼れの地代論をと

りあ

げ︑

及びリカアドの研究にお

いてた

して来たやうた精細な内部的分析をマルサスに適川することは

それの秀れたる解決に泌ち

いままでスミス

これも

邸い評俯

に汰 ーこの學派の地代踵論の

つ︑リカアドによつて採用されてゐる部分だけであらうが

然かもその東変な部分が他の非

l Jカアド的

に ︑

われ/\にとつて︑全く意

何故といふ ま ︑

マルサスの地代論

を ︑

い ー し か し た が ら

︑ われ/\はすでにリカアドを論じ終へて

ゐる︒

また︑われ/\のこの一系列の研

むしろ

l J カアドその人が発見されるといつてもいしで

らう

第 六 巻 彼れの﹁地代の性

質及び培

~

•七

-L•,

(4)

マルサス

リオ的封立並びに結合を鮮明に描き出して橙くことは︑

第 六 巻

~

‑ L

・  

. 

-L•

彼 墜

二人をして展間せしめようとしてゐるとこ

部的封立に因由するものであるのだから︑ ︑患じて︑9.︐ 

サス

もと

l ¥

ミス理論の内︿

ぬマルサスの地代論も

かく取り扱ふことによって︑われ/\の研究の好個の題目たりうるであらう︒

ものたらしめよう︑といふ意岡に出づるものであ

る︒

るであらう理論闘喰の行衛を見定め

︑以つてこの學派の

址代論の紀成果をョリ

皿立 富な

もの

ョリ適確な われ/\は︑それ故に︑とはできない︒であらうー~を、

さうすることによつて必すや展開され

論とも︑また規本線に沿ふ限0でのスミスの池代論とも 亦意義なきことであらう︒

マルサスの地代論の構造それ自閤を明瞭にすることに

軍要た窓義

を認めるこ

然かも︑敢えて︑

ころの一個の地代論梢造物

1

マルサスの地代論がまさにこのやうなものであるこは漸次に明白となる

リカ

アド及びスミスの理論

の前に拉し来つて︑

スミ

・コントラ︒リカアド︑ この一系列の研究中に彼をとり入れる所以のものは︑

リカアドの池代 殆んどあらゆる箇所において︑相衝突すると それ自閲としては

仰典すべきものを幾許を布せ

スミ

・コントラ

・マ

サス

︑そ

してまたリカアド・コントラ・マル 正統學祇のこれらの代表的人物間に存在するところの対立は

それらは討立であ

ると

伺時にまた結合でもあ

るの だ ︒

このト

(5)

商品の栢伯は

前の場合とは

仝く逆

或る一定大いさの伯伯として測定される︑それ故に︑また︑債値としては一っの全慌約たものであり

投下された人間の努働の分硫に従つて

原理を併存せしめてゐた︒二原踵

r l

第一

は︑

いはゆる投下努働苅説である︒それによれば︑廂品はす べてそれに人間の努働が投下され

るが故に債仙を布する

︑ま

た︑

この全一開としての伯仙が﹁分解﹂して努働者の傍貨︑資本家の利潤︑

る︒その第二は︑支配労働載説と呼ばれるものである︒

こ\

では

地主の地代となる︑

と規定され

つ程度の簡箪な将銘にとゞめることにしよう︒ー—彼はこの碁礎迎論の分野において二つの炭れる詑明 ところでわれ/\はまづ第一に︑

べからざるものであるのだから︒

資本主義的地代は︑その性質上︑俯伯法則を措いて耶解す

ろの

マルサスの地代論

理論測〖ずの性質を理解するうへに極めて緊要のことであらう。

ス地代論の桔造を﹁紹介﹂するにしても︑

よってすでに明諒に数へられてゐるやうに︑

それ

故︑

彼れの叙述をそれ自骰として詮索するといふよ0は︑それを トリオ的結合における一討立物として浮き出させることに主たる努力を彿ふことにしよう︒

まづ︑簡箪にでも︑債伯論に闘聯して述べて置くことは必要であらう︒

以下苑し賞つて︑

何故なら︑アダム・スミスに

トリオの頂黙に立つアダム・スミスを知つて置かねばならぬ︒

し︑アダム・スミスのこの基礎理

諭上の問題はすでに述べた

から

絃ではそれを思ひ浮べるために役立

ー ヒ

~

一七 四

(6)

はリカアドに委譲されること

4な

った

Aし ︑

カしリカアドも亦︑

第 六 巻

浙足

一七五

現賓との諸矛肝を突破して︑投下努働

び︑また﹁支配﹂するところの努慟の数訛によって測定される︑

リカアドを見ることにしよう︒

功紹である︒

微承したことを意味するのである︒ その投下努働福説を 下努働"碇説と支配労働祉設は抹一的な原理でたければならぬ︑といふことを期隙にした︒雨種の努働椛

次ぎに系統岡表の最初の第一線に立つ

かくも︑これらの二原理は本質において相異るものであり︑従つてそれらを併存せしめるマダム・

後執拗に第一の原珊に立ち戻らうとし での︑彼れ息惟行程の分析を省き︑3 をまづ第一の原理に求めた彼が︑ と規定される︒

現質の経滸混象との矛眉に迂箔して第二の原理を専き入れるに杢

るま

また︑第二の原判に立場を挽へたかに思はれる彼が︑たほもその

また立ち戻つてもゐるといふことの吟味を省くとすれば︑

スの首尾一貰性は甚だ疑はしいと言はねばたらぬであらう︒

アダム・スミスに闘してこれだけのことを息ひ出して置いて︑ とも

彼は商品の投下努働龍と商品の支配努働梵とは等しくない︑それ故に投 はスミスにおいては恰かも相等しいものヽ如く扱はれてゐたのであるから之を諏別したのはリカアドの

ところでリカアドは支配努働椛説を菜て

4投下努働箭説を糠承した︒このことは︑

・スミスが労働協働閤と見倣されるところの交換社合の解剖の基礎として搾んだ︑ アダム

かくて交換社會の内奥にまで究め進まうとするスミスの學問的熊度

空換祉合の解剖の某礎

に︑努貨︑利潤︑地代の集成によつて﹁構成﹂される︑

而してその大いさは各桔成部分のそれ人\が睛

(7)

二瓶瑶を︑而してそれのみを盟承するマルサスが

リカアドの理盾的なのに封して︑むしろ皮相の現象

部的脳聯の分析のために樹てたのとは正に反封に︑

表而的現象の帥納の結果である︒従って︑か\る第

毎に異り︑

また固定資本の耐久力が異る場合に︑彼れの理論を貰いて一般利澗を説明することはでぎな

そのために︑

丁度アダム・スミスが第一原理から第二原理に移つて行ったと同じゃうに︑生

費原理を採用するに至った︒けれども︑彼は︑個別利潤と一般利潤との討立を承認する一方︑

れらの封立に基く債格上の偏

毅は投

下努働載の多寡が債格に及ぼす決定的な影密に比すれば全く些少た

ものであるといふ理山によって︑彼れの根本的見解を決して拗棄してゐないことを言添へてゐる︒

さて︑系統潤表の第二線を辿つてマルサスを見

0

に ︑

リカアドが棄て去った方の

支配努慟鑓諜

を織承することによって︑

を踏み出してゐる︒言ふまでもな

いが

命芥として現はれたのは賞然の結果であらう︒

マル

スに従へ

ば ︑

しかしそ

彼はスミスの二原理中の第二の原理︑すたはち

リカアドとの宿命的た釘立の第一歩 この第二原皿をスミスが樹てたのは︑第一原理を交換社會の内

スミスの第一原理︑従つてまたリカ

アドの理論は︑次ぎの如き謳事術のためこれを支持することは全く困難であると考へられる︑

l

︵一︶謡商品の生面に

J l l ひられる固定食本の割合に尤等の仔すること

︵二︶議商晶の生ャ肛に用ひられる同定究本の耐久力に栄等のあること

かっ

た︒

飛説を完全に現賓にまで適應せしめることに成功してはゐない︒

すたはち︑同定資本の比軍が

f匠業部門

第 六 巻 一七六. 筑一七六

I) :VIa!thus, Principles of folitical Economy. 1920, pp. 90‑95. 104. 

(8)

︵三︶謡商品の生庄に

J l j

ひられる究本︵

流勁衰本及び固定資本

︶に釘すろ

報酬の迎速

使川されたる努働及び査本の分"直によつて左右されざ

ること明白なる外國廂品が︑多くの製造品の原料品を栢成するに至ること

︵五︶謡文明國においては︑到るところに於いて︑

︶ 

に著しき菱化を惹き起してゐること

︵六︶総ての土地が占有されてゐるところてば︑

する一條件となってゐること

けれども︑これらの謡場合は︑

スミス及びリカアドの経派學的努力の目標であったのである︒困難であるから︑

てねばならぬといふマルサスと`

を證明した︒

マル

サス

の地

代論

力アドも︑憤値原理を基礎にしてのみ を要求するものでないことを立證することができた︒ へば

~

とくに最後の問題たる地代の如きは

スミスも

l J カアドも彼らの理論を貰くことはできなかった︒

後の四つの場合は︑債値原判に修正 上掲の六つの場合のうち︑最初の二つの場合に闊してい

たとへ困難ではあっても︑

それを乗り越へて︑債値原理を貰徹するこ 困難を乗り越へようと努力してゐるスミス及び

l J

アド

とは

問的態度を根本的に異にするものといへやう︒

はじめて説明されるものであって︑その逆では決してないこと

彼らにおいては︑債値原理から︑

とこ

そ︑ ︵四︶商業が或る範阻まで撰販されるや否や

埴代たる剌餘を導き出すこと︑ その學

スミスも

lJ

これすたはち地代念の課

債伯

町砂

理を

地代の支彿ひが︑大抵の内國点農工商品の供給に釘

税が︑投下された労働の試とは賜係たく︑栢格

1) Malthus. ibid. pp. 88‑‑‑90,  104.  2) Malthus, ibid. p. 104.  3) Malthus, ibid. p. 104.  4) Malthus, ibid.  p. 104. 

(9)

る︑共通してゐるとしても︑それは本質に霰れてゐない個所においてである︒ できる努働の祉を問題とするのである︒

'

1

そ れ で は 佑 値 の 原

スミスの支配榮慟祉諒はマルサスのそれとは根本において相異

成立し︑その偵値が幾許に値するかを測定するために︑箪なる債値の尺度として︑

その廂品により支配

ミスにおいては︑債値尺度の問題においてではなく︑

であ

る︒

支配

努働

"源

認は

説を織承するとはいへ︑ だから︑生陀費改も全く同義である︒

とこ

ろで

︑ 彼は生克投が債仙の原囚でおるとは解しない︒商品の債位は別の原因によつて

マルサスはこの支配努働梵

ただ債値の原囚にのみ係はつて窟別されてゐるの

ら二

稲の

労働

i組は質祉共に詞じものと解されてゐる︒

伯伯︶殷上の問題では︑これ

マル

サス

の地

代論

題であると考へられてゐる︒

スミスの第二原理を続承するマルサスには︑

支配

労働

軍説

といふのは︑ 賞然には︑

マルサスは︑まさに反封に︑

地代を裔品債格から説明し︑廂品俯格の 丁度スミスが第一原理に立脚してさういつてゐると同じゃうに︒それでは 元来スミスにおいては︑生芹費諒と全く詞義である︒商品の支配する努働

址と︑商品に投下されてゐる努働祉とは甑別されてゐないのであるから︑

それ故に︑支配努働"呵説と投下努働恐説とは︑ このやうな轄身は如何にして可能であるか︒ うしゐると同じゃうに︒

﹁分解部分﹂と解してゐる︒ ヽ ノ

しか

し︑

に計上するといふ込逃だけが残されねばならないであらう︒丁疫アダスミスが第二の原理に立脚して︑ 地代を廂品債格の

第 六 巻

﹁桔

成部

分﹂

一七八

として 第駿

T 1

" 1  

, '

↑  

七八

1) Malthus, ibid. p. 13'‑l. 

(10)

ではあるが︑ る︒かやうに︑投下努働祉にも︑

第 六 巻

一七 九

第輩

一七

丁 度

明する普遥的原理として︑ は

れな

い︑

では

たい

市場の炉況に従ひ︑商品の賣買は必すしも債伯通りには行

といふことはスミス並に

l J カアドのまさに諒いてゐるところである︒

ところの債格ーー市場俯格ーーは、商品の生女加に必要とせられたる努働の数"巫|ー•それは、

る︑または自然債格である︑けだし債値は自然俯格と

l n J

ーで

ある

から

は存在しない︒ マルサスにおいて

これは︑自明のことである︒それでは︑中心債格を生生け費に求めてゐるかといふにさう

工業生陀物の債格であれば︑生克我にこの中心位格を求めることも出来やう︑けれども︑

の他に︑生庄我をもつてその債格を説明しえない勘からざる商品の稲類が存在する︑

究て去る彼れの態度は︑

中心債格そのもの\決定を︑

生土匹費詑を採ぶことは不適裳である︑ そ

それ故に俯格を詑

と彼は主張するのである︒生腔特説を

投下努働督設を椋々の困難を理由に揺げて究て去ったときと同じであ 或はまた生陀費にも︑中心栢格の決定を承認しない彼は︑営然のこと

それを中心に髪動する市場俯格と同様︑需要及び供給に委ね は︑彼は支配努働"i乳を編承してゐるのであるから︑投下努働並によって決定されたる中心債格たるもの はか4る中心債格と一致せねばならぬ︑と設くことを忘れてはゐない︒しかるに ーーを中心として焚動し︑結局

需要供給の均衡如何に従

ひ︑換言すれば 程を明瞭にすることは︑同時にまた︑彼れの韓身を町瞭にすることでゞもある︒ 囚を如何に説明してゐるか︒

債値であ しかし︑この斐勁する

彼は需嬰と供給とが債値を決定するといふのである︒彼れのか\る恩惟行

(11)

マルサスの地代論

荀くも憤格にして︑

のといふのは︑

るところである︒ ることができた︑ べかりし彼が︑リカアドと同様に︑

賞然に地代も亦然り︒是即ち︑地代を﹁構成部分﹂として規定す

る︒ともあれ︑商品債格の第一次的決定者が︑

スミスの系統を引ぎたがらも︑ 需両女と供給であるとすれば

︑各生究費項目は︑その栢格

場倍格﹂と同様︑需要と供給とによつて決定される︒

スミス及びリカアドの中心憤格の概念とは全然異

マルサスの呼ぶ﹁必要債格﹂のことで︑ ねばならなかったのである︒彼はいふ︑

﹁ 一 時 的 の も の で あ ら う と

︑ 塙要と供給とによって決定されぬ場合は全然ない

r

スのいふ﹁市場情格﹂である︒

の︑それぞれの﹁分解部分﹂となる︒

てこれを規定するに至った経路の全部である︒

一時

的の

もの

スミス及び

リカアドのそれと別に異るところはない︒次ぎに永続的のも

スミス及びリカアドの﹁自然債格﹂に相賞する

ものとされてゐる︒すたはち︑﹁必要債格﹂は中心債格でたければたらぬ︒しかし︑

或はまた規本線に沿ふ限りでのスミスと同様に︑﹁分解部分﹂とし

かくて︑彼は埴代を那芹物債格の自然的流出物たらしめ 而してさうすることは後に見

る彼れの地代論の社會的使命に照して絶対に必要とされ

以上われ︵'は基礎理論におけるマルサスの特混性を明らかにした︒

永績的のものであらうと︑

それはマルサ

この中心債格が﹁市

0

一八〇

1) Malthus, ibid. p. 71. 

(12)

市場脳係の謡焚動と全く闘係のたい本源的什在である︒

第 六 巻

. 

j¥ 

駿

~

だから︑全生芹物の慣伯のうち︑生腐牝用を控

債値といふ用語は︑投下努働"平の同義語として使されてゐる︒

地代論間の︑内容上の一致を豫斯することは勿論

n千計であらう︒

まづ第一に︑決定的た相異は冒頭の

しかも︑彼れの債格踵論は

スミスのそれと全く異つてゐる︒

代論展開上にも︑

る部分である︑ 一言にして言び蜆はすたらば︑需要供給説を踵論

彼れ獨特の特異性を再生せすしては置かないであらう︒

彼れの﹁続演學原理﹂の第三

ーー地代論の主添ーーの冒頭において彼は次ぎのやうに述べてゐる︒

﹁土地の地代とは︑全生庁物の憤値中︑

使川資本の利潤を︑耕作者に必要とされるあらゆる種類の経牝とともに控除して後︑

と定義することができるであらう︒﹂

この地代の定義は︑背つて︑

完全に一致してゐる︒

士地の所有者に残

スミスがなした定義とも︑またリカアドがなしたそれとも︑

勿論外見上の一致にすぎないであらう︒外見上のかしる一致を踵由にして︑一︱︱者

句たる﹁全生

女 肛

物の伯値中﹂とある︑その債値の規定の相親︵から生する︒

スミスたらびにリカアドにおいては︑

憤値といふ用語は︑また彼らに従へば︑自然憤格の同義語としても使用されてゐる︒ともあれ︑それは︑

マルサスの地代論

形式

上は

その時々の通常普通の農業表本の利洞李に準じて計算される

の全面的基礎たらしめてゐるといふことにあるであらう︒

さて︑基礎理論上の彼れのか

4ろ砕異性は地 のそれとも全く異つてゐる︒

而して彼れの峙児性は

また︑等しくスミスの系統を引くリカアド

1) Malthus, ibid. p. ¥34. 

(13)

れ/\の観て来たところである︒

にはスミス及びリカアド的意味における﹁債値﹂たる概念は存在したい︒

彼は憤値を奨て去り︑需要供給債格を彼れの理論の前面に押し出して︑

ゐるであらうところの市場衰買債格である

Q

といふことになるのだ︒

サスのこの地代が前二村と根本的に相異してゐることは全く明瞭であらう︒

マスサスの地代論の第一の特異貼は︑ スミスの自然

的地代︑並びにリカアド

の差額地

代が︑俯

然かも︑支彿はれるものであったのと対照すれば︑

それは彼れの憤格理論が必然的に府らしてゐるところである︒ 値ー自然憤格│ー通りに生庄物が喪られて︑

しか

し︑

地代の生成を市場幽係に依存せしめてゐるとい

ふことである︒

それのみではない︑彼れの憤格

J

み地代は支彿はれ

る ︑

並びにリカアドの見解に引き直していへば︑

市場債格が自然慣格を越えて腕賀してゐる限りにおいての それ故に地代が

残るか否かは専ら市場に依存する

スミ

であるから︑彼れのいふ﹁全生庄物の憤値﹂とは︑

需要

と供給とによって︑

或る一定の高さに保たれて

然るに スの﹁自然的地代﹂︑ のものを︑すたはち︑

リカアドの

差額地代が

︑賓にか

Lるものと

して展開されてゐたことは︑

マルサスにおいては全く異る︒すでに明瞭であるやうに︑彼

池代を︑本来的に含んでゐる︑ ら係はるところのたい︑ 除した浅りが地代だ︑といふ規定を`

マルサスの地代論

スミス並びにリカアド流に皿解するとすれば︑市場闊係とは何ん 生序過程の内部において増殖されるところの生充物債値の中に︑

といふ風に理解さわねばたらないであらう︒

唯一の媒り虚となしてゐるの

一八

生芹費用以上

すでにわ

スミ

~

(14)

二の條項であるが︑

第 六 巻

則品は地代出の展開をさらに次ぎのやうに命令してゐる3であ。'~地代ぱ士地生芹物に打する需要

が強い列度をもつ場合に︑而してその場合に限つて生する︑

地代に相應する超過債格を顎らしうるほどに強い烈度の

﹁粗生を︵匹物の慣格が生希費を超過するところの謡原因は次ぎの三つであるといぴうるであらう︒

るるよりも︑

その上に使用せらる\人々の生活維持に必要とせら ョリ大きな分他の生活必需品を生府することができるといふこと

﹁第二に︑生活必需品は︑その特殊なる性質により︑それが逃裳に分祀されるときは︑

する孟要

を作

り出

すこ

とが

でき

る︑

換︱

‑︱

Eすれば︑生産せられたる必需品の分議に應じて︑

それ自身に刃 需嬰者の数を

﹁策三に︑自然的理由︑或は人工的理由によるにせよ︑肥沃なる土地の相封的に稀少たること

抜に掲げられた一1一條項の最後のものは︑

證明には全く無闘係であるやうである︒何故なら︑

地代となる超過分を生み出すことのマルサス的證明はともかくそれによってつくさ マルサスの地代論

培加することができるといふこと

一 八 ︱

︱ ︱

一 八 =

︱ ︱

マルサスが軍要親してゐるのは︑第一の條項及び第 土地生産物の債格が生充費以上に超過分を含むといふことの

﹁第一に而して主として︑上地は︑その性質上︑ ものであることを︑賞然に立甜せねばたらぬ︒彼れの債格則怠はこのやうに要求するのである︒ ある︑それ故に︑土地生先物に対する需要が︑ しかも︑ともかくも︑地代が存在するので

1) Malthus, ibid. pp.  139,  140. 

(15)

の賜物﹂ではないのであるか︒彼はか4る反間に訂しては ものにか

4る性質はたいのか︒

マルサスの地代論

れてゐるし︑のみたらす︑第三の條項は︑むしろ︑

よって全く承認してゐる︒

このことはマルサス自身も後で次のやうに述べることに

彼れ自身の理解において 土地から生する一般的剰餘の一部分を結局において地︑王

への地代といふ特殊たる形態に分裂せしむるために必要である

C﹂すなはち︑

も︑この第三條項は地代たる網餘の生成要囚の中からは除き去られねばたらぬ︒

らる以上に或る超過分を庄み出す性質が具つてゐる︑といふことの意味は一閤何か︒

人間に封する自然の賜物である︒

彼は次のやうに述 べてゐる︑ーー﹁粗生々査物り高い仮格の第一次的原囚としてこヽに掲げられる土地の代質なるものは

それは獨占とは全く無脳係である︒それは地代の存在に絶封的に必要

如何たる程度の稿少︑または獨占といへども︑

努賃及び利澗を支彿ふに必要とせらる

4以上3

粗生々庄物の俯格超過分の原囚た

I J えたいであらう﹂︒

﹁自然の賜物﹂と彼はいふ︒

それ

では

土地以外の

水や空氣も︑或はまた下業上の物踵も化壊も︑同じ意味において﹁自然

つぎの筍二條項において答へる︒それ故︑

超過分を庄み出すといふ土地の性質は

であ

る︑

である︒もし土地のか

4る性質を度外説するとすれば︑ そこで︑まづ地代たる刹餘り第一の︑且つ主

たる要囚︑すなはち土地には人間の生活維持に必要とせ

これは︑第二の原囚の必然的結果ではあるが︑

﹁最後の原囚︑すなはち肥沃なる土地が相釘的に稀少であるといふこと

││l たいことを︑その内容としてゐるからである︒

第一條項と対立して︑か

4る超過分の生み出されえ

第 六 巻

一八四第撃

1) Malthus, ibid. pp. 151, 152.  2) Malthus, ibid. p. 140. 

(16)

は一︑二︑一

1 1

. 

又この第一條項の命題の長々しい説明の結論ともいふぺき次

第三條項の命題と相並んで︑

れを見落さない程度に︑ 直ちに第二條項に這入るべきであらうが︑

リカアド地代論の出焚黙とたった軍要たる命題が包蔵されてゐる

3

で ︑

さらに若干彼れの叙述を辿つて置きたいと思ふ︒

﹁或る典へられたる土地の部分3生

庁物が

︑たとへ︑賓際において︑

四︑或は五であらう︒

賓際こ\ではマルサスは差額地代の理論の飩蹄に獨れてゐるのである︒

まさにリカアドによってさう展開されてゐるやうに︒

の存することを理解しえす︑ この無意味な箇所の中に︑

れる衰本を維持するに正に必要であるよりもョ

以上に生併される一般的洞餘に︑l J

もしもこの刺餘が一︑二︑三︑四︑或は五であるとすれば︑

地代

ふ旺

出力

如何に強い獨占も︑また外部需変が如何に埒大しえても︑

の︑それぞれの謡力を本質的に菱更することは出来ない︒﹂ これら

ぬ土地生

森力の差異

︑これすたはち一物一債の法則を通じて

茅額地代を生ぜしめる根本の理由である︑

土地生庄カ一般と︑或は土地生森物の﹁一般的洞餘﹂を問題とするのであ

る︒第一條項の命題の内容において然り︑ ふことが認容されるであらう︒ その土地の地代克出力は︑

しかるにマルサスは︑土地生f匠力の差異に軍黙

本質的に攣更することのでき

正確に比例するとい と︑ともあれ︑

その土地の肥沃度︑換言すれば努働各を支ヘ

それに使用さ やうと︑すたはち︑努働者と衰本家にその全部が分梵されやうと︑

或はその一部が地主に報ひられやう

か\る無意味な箇所に倅滞せ中'

如何たる方法において分配され

1) Malthus. ibid.  p. 141. 

(17)

地はたゞ一種の貨物を生庄するといふわけのものではたく︑絶ての貨物の中の最も訣くべからざるもの 服及び住居を見出だすことは比較的に容易である﹂

といふことは認容されねばならぬ︒さらにまた︑士

マ ル サ ス の 地 代 論

の一章句において然りである︒彼はいふ︑ーー﹁第一に掲げられたる士地の性質たるものは︑すたはち︒

耕作に使用せらる

4人々の生活維持に必要とせらる

4よりも一肝大なる生活必需品を庄み出すといふ土

地の力は︑明らかに地代の基礎であり︑その可能なる培殖の限界である

︒﹂

第二の原囚を︑粗生々査物の高い債格の第二の原因を︑

「ところで、ーーと彼は言ふ、ー—この測餘は、必要であり︑且つ軍要ではあるが︑しかしたがら︑

もしもそれがそれを消費するところの人々を培殖する力を有せす︑

れ自らの布効需要を作り出す力を布しないものとすれば︑ 彼れの説明に認くこと\しよう︒

努働及び他の商品の相賞並を支配するこをえ

せしめるところの慎値を布するに至るとは限らないであらうこ

彼はこのやうにして︑徐ろに︑

理を誤解してゐるものである︑

しな

がら

準備された滸要供給債格を引き入れるのである︒絞けて︑ーー﹁食粋

といふことが時に

主張されてゐる︒それは疑びもなく館質である

︒しか

ダム

・スミスが正しく考察してゐるやうに﹁食粋にして

供給される限り

︑必叩女とされる衣

品の増加︑或は甜生杢庄物の増加︑これのみが人口の比例的培殖を惹き起すと想像することは︑

人口原 その商品の生庁さる4

に應

じて

第 六 巻

一八 六

一八 六

1) Malthus'ibid. p. 151.  2)]¥,Iahhus. ibid.  p. 14 I. 

(18)

第 六 巻

一八七第~ 琥一八七 それらの製造に費した以上の努拗陥を支配することはできたいで

子︑或は五十人分の上衣を生応することができるとしても︑しかし︑これらの帽子や上衣に釘する需要 他に一台の機械を布つてゐるだけであると恨定すれば︑

その概械は彼等の自家用を除いて五十人分の柑

し︑

もし

自家用の食料品と

耕すことができると恨定する︑

衣服︑住屈︑燃料の講材料を生在するといふ事背はつねに反省されて箇くべき

﹁それ故に厳正に次ぎのやうにも言ふことができる︑

人口の玲

殖が窟らされ︑且つ支持されうる手段を︑生陀する︒1 1

は︑人間が知つてゐる如何たる種類の機械とも根本的に滉る︑

従ってまた土地の使用には或ろ特殊の砧

果が作ふであらうといふことを自然的に想像しても支尤無いであらう︒﹂

﹁或る活動的にして勁勉なる家放が幾許かの士地を打つてゐると仮定する︑

然るときは︑

を確保することはできないであらう︑ 及び衣服︑住居︑燃料の材料を彼等自身のためだけでた< れによつてのみ︑ すたはち︑食料

3

ぽか

であらう﹂︒ヽ ノ

土坦

は生

活心

両女

品を

この黙において︑

しか また それによつて︑而してそ

七地

彼等はその土地を食料.

更に他の五家族のためにも所出するやうに

人口の原理により次の結論が生するであらう︑1彼等は

剌除生・庄物を追露に分配するたらば︑直ちに他の五家族の労働を支配することができるであらう︒

彼知ずの土地生庄物の償伯は︑それを生面するために使用した労働の侑値の五倍に値するであらう︒

一切の生活必要品を充出するであらうところのいくらかの土地の代りに︑

1) Malthus, ibid. pp. 141,142.  2) Malthus, ibid.  p. 142. 

(19)

である︒次ぎに︑これらの農民家族が︑

ーーーか\る罰澤なる

か?いふ自給自足の孤立親清がまづ第一の出夜黙

人口論を持ち出してゐる︒

しか

るに

マルサスは︑彼れの らば︑それと同様に︑工業も亦廂品生腔を目的とするのではないであらうか︒ことがらはまさに廂晶生

或は翡業が商品生腔を目的とするた

てのことであるがそれと同様に︑

民の家族が他の五家族の食粋を生

女胚

する

のは

しか

し︑

I ‑A

.︸ 

庄 レ

ともかくもこれだけの引用は必要で

あらう︒

さて︑これらの箇所において述べられてゐることの核心は

冗長なる引用文を掲げてしまったのであるが︑

しかし︑彼のいはゆる第

二條項の意味を知るためには

あらう︒長い間︑恐らくは永久に且つて︑

値打を有しえぬであらう︒

マルザスの地代論

その概械は︑家放用の帽子或は上衣を作るといふこと以上の

それ以上の機械の力は甜要の鋏乏のため絶釘に役立ぬであらう︒

. . . . .

. 

農在物に封する需要が工業生克物に釘するそれと全く異る特有のものであるといふことであるのだが︑

この核心に訂する證明はこれらの蹄章句の何虚にも正賞に典へられてゐたいと言ってい\︒

それらの超過食料に野して需要が存在することを前提し 戟人の家放が五十人分の相子や衣服を製造するのも︑それだけのも

のが需要され︑或はさう見越されてゐるためではたいであらうか︒

咋と廂品流姐とを前提し︑その限りにおいて究明さるべきではたいか︒

すなはち︑農民家族は食料は勿論︑衣服︑住居︑燃料を生介することができ

る︑彼らの生話は不足た<糾持されることができる︑

さらにその上に五倍の生活必嬰品を生命することができると似

定す

れば

1面してかく仮定することに第一條項の任務が楢かれたのであるが︑

一八八了八八

1) Malthus, ibid. pp. 14;‑143. 

(20)

マルサスの地代論

支彿ふに足る高い債格に立つ所以が諜明される︒

一八 九

~

ご八 九

マルサスの恩惟行程はこのやうに要約することができ 土地生

和 叶 物が地代を

の命題こそ︑第二の條項の中心的命題であるのだ︒ともかくも︑この蚊終的な命図によって︑

t

地の豊

しかし︑とも

あれ 自已反省の結果としても︑このやうに考へられてゐる︒

廂品生術と商品流通の事 彼らがその生庄する紺子や衣服を夜

0うるか否か

或は利憫も

しくば努

賃を獲得しうるか否か

︑に懸る

彼はしかし一躙︑家族経洛から商品社合に乗り出して来て︑他の五家族のため

ばならぬといふのである︒ れば別に異議はないが︑

家族経溝の問題としていふのであ

これらの他の五家族が果してか\る超過生虎物の給付に奥りうるか否かは︑

ことは言ふまでもない︒何故なら︑問題は最

n千家族鍔洲に係はるのではたく︑

項に這入るのであるから︒リカアドのマルサス批判を展開するまでもたいと息ふが︑正統學派の内部の

マルサスの恩惟行程を最後まで辿つて置くことにしよう︒ーー'七池は剥餘を生応

し︑そして土地生

荘物上の洞餘は人口を必す培殖せしめる

︑と

ふ命閻の次ぎに来るものは

︑土

地生

商物

に封する需要は︑不駈に存在し︑且つまたその烈度は強力である︑

といふ命題である︒而してこの最後

饒なる肥沃度の賜物にすぎぬ剥餘生産物が︑箪なる使用憤値以上のものとして汗び出で︑

て︑他人の努働や或は他種の商品に封する﹁支配力﹂を確保するに至るのである︒ 交換憤伯とし にか4る超過分を生栢するといふのである︑

また︑それにも拘らすそれ故に社合の人口数は培殖されね

生活餘力に委せて自然的に家族員数は増殖せざるをえぬといふ風に

(21)

れば

からの借用であるといふことであらう︒

二様に説明してゐるのであるが

まづ第一に考慮さるべきことは る︒彼れの債格論は措いて間はすとするも められてゐるといふ主張を持ち込むほかに途はない筈であらう︒

しかしたがら︑第一の條項

る ︒

マルサスのかLる思惟行程は︑

彼れの慣値論を貰徹するかぎり︑賞然の師結であるといへる︒恢格

は一つに需要の烈度によりて決定されるといふのが彼れの債格論の骨子であるのだから︑

るためには︑

地代を支挑ふ債格すたはち土地生陀物債格が特殊なる需要のために地代に相賞するだけ高

の特殊性を説明するといふことに地代論獨特の課題を認識するのであるが︑

における彼れの説町といぴ︑

べきであらう︒

また第二の條項におけるそれといび︑荒頭恢籾た命題の羅列に終始してゐ

少くとも`彼れの地代論は続滸學以前のものであると言ふ

そこで︑か4

る熊惨なる結果に立ち到った踵由について若干考察して附くことは無駄ではあるまい︒

第一の條項及び第二の條項における主要命題は悉くアダム

・ス

正確に言へば︑

そこで︑彼は土地生陀物に討する固要

アダム・スミスは彼れの所訊﹁自然的地代﹂の

基礎を︑われー\がその箇所に茶いてすでに分析して置いたやうに︑

マルサスはそのうちの第

二の形態を全くそのまヽの形で借用

してゐるのである︒ 地代を諒明す

奥るところがあるとす スミスにおいてもつと節潔に述べられてゐるところを布延し冗長にしてゐるくらぴのことであら

う︒如何に敷き移しにすぎないかといふことの一例諒を示すならば︑アダム・スミスは彼れの﹁自然的地

第 六 巻

一九

0

第 一 賊 一九

(22)

ところの攻撃に備へるために︑ 不可能である︒

ましてマルサスの如きは

など一切考慮することなくして すして企てたところの説明形態なのであるからだ︒

第 六 巻 一 九 第紬~

スミスの躯誂史上における地位 鰐にスミスを磁承するもの\任務は

派への推韓をやうやくにして成し途けたのみのスミスが

まだ充分に自己自身の珂畠を買くまでに至ら

代﹂の理論において差額地代を展外説して喘通一般の地代率を間題とした0であるから︑

な超過生産力を問題としたのは彼としては全く裳然であるが︑

代を問題としてマルサスが︑而して正しく土地生庁力

の苓等といふことに滸目しえたに拘らナ

要なる観貼を焚て~仕鍔つて、

そ3適例であらう︒ところで︑

しか

し︑

むしろスミスと

4もに土地の一般的迅過生片力だけを弛調するが如き︑

マルサスのもつとも大きな失態はスミス3

こ夜少二形態の詑明を倍用し

てゐることそれ自個にあるであらう︒

何故といふに︑策二形態の成町といふ

0

は`軍農忠派から正統學 る先スミス的息想を強調するといふことであってはならないであらう︒

あれやこれや

3

スミスの文句を借用したところで

ゐるのである︒到底︑彼は彼れの熊惨なる結末を逃れえやう筈はないであらう︒

する防券たらしめることにしよう︒ スミスにおけ

珂論の疲展は全く スミスにおける先スミス的なもののみを探び出して借用して 以上の私見はマルサス地代命に鉗する餘りにも苛酷たる評債であるといふ恐らくはありうるであらう

左に正統學派研究者の樅城たるキャナン教授

Co

‑玉旱句を掲げ︑それに訂 こ3煎

苓筈のある地代すたはち芥額地

土地3

一般

(23)

る︒それ故︑

﹁スミス地代論の詳細なる邸は!ーとキャナン教授は言はれる︑

と讀み換ゆればい¥││多く桧討する俯値たきものである︒

とへいかたる地位にあるものといへども︑

でに要する一切の努働を︐収も寛大な方法で養ひ︑

或るときは地代を生じたい︑﹄

その在出するところの食糧の飛は︑それを市場に搬出するま

ョリ多泄である︑

といふのであるが︑

大さは遂に殺見されえないであらう︒

かくの如き理論は決して認容されえぬのみなら

す︑経渭學説史においても何筈重要なものではあり得ないであらう︒

れ以上のものではない︒﹂

質際に脳係のない珍奇.而してそ

地代の原因に闊するスミスの唯一の證明ではない︒

スミ

スミス地代論の偉

だが︑それはマルサスにおいては唯一の諭棟となってゐるりであ

マルサスの地代論は宵践に欄係のない珍奇︑而してそれ以上のものはたいのだ︒ スはこのやうな方法でも説明してはゐるが︑

キャナン教授が引用しゐるスミスの瑶付は

しかし︑それのみを

重要説するたらば︑

じ ︑ るものがつねに幾許か残るのである︑食糧以外のものが生ギ肛される場合は︑土地は或るときは代地を生 阿牧するに要する食粋に北して︑

それ

故︑

食精が生陀されるたらば地︑王の蛾代とな

且っその労働を屈ふところの資本をその科潤とさもに

彼れの奇怪たる信念によれば﹃士地はた

だが︑われ/\はスミスをマルサス

六 巻 一 九

一九

1) Eduin Cannan, A Review of Econonic Theory. p. 226. 

(24)

然るに衰本が︑最大の自然的豊度を有し

また他方において人口が生活手段を すべての位置が舟行に便利な河や市場に一番近くある筈はない︒ て置いたやうに︑

﹁初期の砒會においては︑もっと正確に言へば︑

れてゐた時代においては︑

のではない︒

それ

故︑

土地の刺餘生在物は主として法外の高利潤︑

を侯たぬ︒然るにか4る朕態が織練することは︑自然の法則︑ 地代の本質に闘する一應の

而して地代の形態をとるものはほんの僅かしかたいであらう︒肥沃なる十地が典富に存在し︑そ

佃人と雖も地主に地代を支梯はたいであらうことは言ふ

及び地球の制約並びに性質に一致するも

土域の多様性及び位骰の多様性はすべての國において必す布在せねばたらぬ︒すべての十

地が最も肥沃であることはできたい︒

苺積されるたらば︑

最も便利なる位置にある土地において使用し切れないほどに

必然的に利潤を低落せしむるに至るであらう︒

一 九 ︱ ︱

一 九 ︱ ︱

れを欲する誰れでもがこれを所有しうる間は︑ れ

る︒

及び法外の一砂努賃とたって現は

恕祉會の姉識及び資本が新鮮肥沃たる土地に使用さ

の條件を候たねばたらぬ︒

とこ

ろで

ともあれ︑すでに﹁剰餘﹂が仔在するとすれば︑地主の手中にそれが師するためには一定 展開は︑この第三の條項を以つて終結することになるであらう︒ 終局において地主の手中に饉せしむる作用を螢むものたのである︒

しか

し︑

﹁高債﹂の原因であるといふよb

は ︑

むしろ﹁高債﹂の結果たる﹁剌餘﹂を さて︑机生々疱物高偵の第三の原囚を次に見る︒この第三の原囚は︑すでに彼れ自身をして言はしめ

(25)

これは︑人口の培加率は生活必需品の培加率よりも 彼は蓄積の過程に土地生廂物の債格腕費を見中して︑利澗の低落を見 るならば︑故に全き姿において︑リカアドの梵額地代論が成立するのである

︒第一條項に述ぺられてゐ

るすべての展開も︑第二條項の一切の展開もむしろ全く抹殺し去らるべきであらう︒

スにおいては︑彼れの有害たる挟雑物のために︑

租の過程において土地生産物の債格は裳然に腑投するし︑

生を説明すべきであるに拘らす︑

るのである︒これは︑利潤の膀落は衰本の需要供給によって決定されるといふ利憫需給論の介入の結果

である︒彼はまた蓄積の過程に努賃の低落を見る︒ る思惟様式を︑

従つて債格膀貴の自然的結果として地代の疲

か4る折角の展望も掻き胤されてしまふのである︒蓄

しか

るに

マ ル サ

さらに一物一債の法則と結び合せ︑さらにまた限界生陀費によろ伯いの訣定と結び合せ

地のみが耕されてゐる場合においては資本利潤を棒成する︑

リ劣悪なる條件の土地が耕されざるをえたくなるに従って︑漸次低落せざるをえぬであらう︒

網餘生産物は漸次に減少せざるをえぬから゜ー上掲の長い引用文の一部の内容だけを抜き出して言ヘ

ばこのやうにも要約できるものであるが︑この限りでは︑リカアド地代論の最初の害き出しと全く相似

てゐる︒さきに第一條項の中に指摘して置いた﹁詣土地生産物間の相異﹂と肱絡を通するところのか

4

けだ

し︑

この利澗は勿論法外に高いであらうが

この部分には︑差額地代の充分たる展望がなされてゐる︒土地の刺餘生査物は最も良好なる條件の土

第 一 撃

越へて培殖する傾向を有ったらば︑努働者の努賃を低落せしめるのも時期の問題であらう︒﹂

第 六 巻

一九

一九

lJ Malthus, ibid. pp. 150,  151. 

(26)

大であるといふ彼れ特布の人口理論の介入の結果である︒

しかしたがら︑利澗及び努賃の低落に地代の原因を把へようとするこの新しい企ては︑

び第二の條項において試みられたもう一っの企てが徹頭徹尾他愛ないものであったのに比すれば︑

﹁新たに耕さるヽに至った劣等地の衰本の利澗が一︱

1 0 ・

ハー

セン

ト︑

ントであると仮定すれば︑

せすとすれば︑

だから︑リカアドにおいては︑

第 六 巻

一九

一九

超過利澗が生中るのは︑限界地におけ 最初の第一及

0

バーセントの中の一

0

バーセントは明瞭に地代である││たとへ誰が

それを受取らうとも︒

. . . . . .  

再び査本の利潤︑料勧の賃銀︑或はその雨者がさらに一肝下落するたらば︑

もっと貧弱た︑もっと不便た土地が耕作に引き入れられるであらう︒

而して︑生産物の憤格にして下落

そのすべての段楷において土地の地代は増加することは明白である︒﹂

この引用章句の前半においては︑地代は正しく超過利潤である︒

等しい︒ところで︑問題は超過利潤そのもの上咤明方法である︒

る生南債格が市場生面債格を規制するといふことの結果である︑

ものと解されるのである︒然るに︑前掲の章句の後半にあるやうに︑ に憤値多いものである︒何故たら`

この説明はリカアドのそれと完全に

といふのはリカアドの説明方法である

超過利潤が生じ︑培大する餌に︑嘗然に士地生産物は憤格騰資を遂げる

﹁生産物の慣格にして下落せすと 而して菊地においては四

0

バーセ ともあれ︑差額地代の理論の怨所に躙れてゐるからである︒ を完全に見失はしめるもので

1

かないであらう︒

箔か

とも

あれ

これらの挟雑物は芯額地代の仕9

1) Malthus, ibid. pp. 153, 154. 

(27)

﹁そ

れ故

に︑

一國民茫者大なる宮を痙得し︑特大なる人日を充官するに作ひ︑ マルサスの地代本質論の結論であるから︑ 左の一章句は︑

マルサスの地代論

すれば﹂といふ前提を前提して︑

てリカアドと同様に︑土地生産物の高い憤格を理

r l l

.つけ︑高い士地生廂物慣格からの自然的流出物として

地代を説明しゃうと試みてゐる彼が︑

は超過利澗の説明に一物一債の法則が必要であることを氣附いてゐた\めでもあらうか︒

箪なる好意ある想像にすぎぬ︒ 超過利潤が生じ︑且つ増大する︑とマルサスは述べるのであるが︑袢

こ\でこのやうに或る一定の憤格の高さを前提してゐるのは︑或

勿論︑それは

カアド及びマルサスの地代説明上の最も根本的た封立は︑次ぎの黙にl J

存する︑ーーリカアドの諌明の出痰貼は各地片の肥沃度位撻

3不等及び累加資本の牧稜率の不等︑

る資本の生在力を不等ならしめる自然的諸制約である︒

は表本が劣等たる自然的條件に投ぜられねばならたくなった結果である︒

その逆である︒ マルサスにおいては︑まさに

劣等たる自然的條件に討して衰本の投下が開始されるのは利澗の低下︑それ故にまた利

潤の低下を惹き起すところの安本の蓄積の進行の結果である︒

闘して存在するといふことーーー而してこの釘立は自然的人口論を主張するるマルサスと人口の培殖を表

本の蓄積と幽聯せしむるリカアドとの封立に鯰せられるのであるがーーはすでに叙べたので省略する︒

以上に指摘して来た他愛たい方の請命題を一切包含し︑正しい方の命題は殆んど除き

去られてはゐるけれども︑

とも

あれ

一誡すべきであらう︒

或る蛾質の士地に一稲

もう︱つの根本的た釘立が努賃の傾向に 従つて︑資本の利潤が低下するとすれば︑それ

第 六 巻

一九 六

要す

一九 六

(28)

にお

いて

る ︒

喧騒を極めてゐた︒

一九 七

主なるものとして︑次ぎの四つが學げられてゐる︑│̲

一八一四年にはプユカナンが反地︑主論を公けにした︒ なる名目上の債値でも︑

而し

て︑

一九 七

われ/\はその中の︑彼れの地代本質論をよ われ

l

\は地代本

の備品として具はるところの地代が別離するのは軍力の法則と同様不愛の法則である︒

一群の人々から他の一群の人々に不必要且つ有害に移轄されるところのもので

もない︒それは國民的財庁の全憤値のうちで最も賓質ある︑最も必要なる債値である︒

法則が土地に備へ付けてゐるものである︒ たとへ受取るも

多数者であらうと︑地主︑國王︑或は官際の耕作者であらうと︑地代は自然の

これらのことは論争の餘地た女牒理であるといへやうC

マルサスの地代論は一個の政治的パンフレットとして出来あがったものであ

また穀物闘税法の改正問題で議會はその賞時

マルサスの﹁地代の性質及び培殖に脳する研究﹂は一八一五年﹁最も適賞たる時期﹂

地主の利害翔談のために公列された政治的.ハンフレットである︒

質論の結論ともいふべきこの一章句の中に政治的論法以外のものを疲見することはできない︒

地代本質論を終へた彼は次に地代愛動諭を説いてゐる︒

り一肝確かめるために役立つやうた個所を若干問題にするにとどめる︒

地代焚動の詣原因のうち︑

言ひ遅れてし去ったが のが少敷者であらうと︑

また

地代は限

1) Malthus, ibid.  155. 

2) Malthus, An Mauiry. Aduertisement. 

(29)

改良である︒この改良は生産

物の数鼈を焚へないのであるから︑

生廂物の債格を楚化させることはな

生産

物の

数"

iどを増加することなしに︑生森の費用を低くめる せいん\︑利潤の斐動は資本の 殺することがあるが︑

第一に︑資本の利潤を下落せしむる資本の蓄積

第三

に︑

一定の効果を産出するに要する努働者数を減少せしむる農業上の改良︑

第四に︑名目的に生産費を減少せしむることなしに︑

むるところの︑需要の増大による農産物債格の増加

最初の二原因はすでに本質論の問題であった︒

されてゐる︒ 又は努力の増加

この生充費と生産物の僚格との差額を壻大せし

こLではこれら二原因の相互の闘係が立ち入って詳論

しかし︑時として利潤の楚動と努賃の焚動とが反酎の方向をとり︑地代に及ぼす

影甕を相

それは一時的の現象であって︑原則としては︑附者ともに下落の傾向にある︑

いふのがその要黙である︒われ/\はその詳論に立ち入る必要はない︒

. 

需給闘係によって決定せらる

4こと︑努賃の楚動は自然的人口理論によって決定せらる4

こと

のことが︑はつきりと述ぺられてゐることぐらいを注意すべきであらう︒

第三の原囚、l~これは、リカアドとの論

争の一焦獣をな

す部分であるから︑

改良に二種ある︒第一の種類の改良は︑ これら

要領を摘記

して

糎く

い︒この完全なる需要供給論者は︑だから︑費用節減額の全部が直接に地代を高めると結論してゐる

︒第

策二に︑努慟の賃銀を下落せしむる人口の増加

第 六 巻

一九

第 一 戟

一九

1) Malthus, ibid. p. 161. 

(30)

うとしてゐる.

しめる力を永絞的に強化する⁝・:﹂

第 六 巻

一 九 九 第 一 臨

しし

一ブ

彼れの地代論が といふのであるから︑貨幣債値の菱勁に地代の渾動の基礎を求めよ 加の影孵を全く無説し︑ョリ劣等たる土地を耕作し︑而して地代を培大せ

雙勁は地代以外のものにョリ鋭敏に影甕するであらう︒しかし が増殖し︑従つて地代が増加する︒1要するに︑如何なる種類の改良といへども︑

おける改良であるならば︑

るものである︒

第四の原囚︑すなはち︑

ことによっては︑ 地代を腑責せしめぬものはない︒

これらの主版は︑勿諭︑リカアドと衝突するであらう︒

需要培大による農産物債格の腕毀は衰本及び人口の規則的増加によつて惹起

されるといふ意味ではない︒これらの原因による債格腕費は範刷が狭少であって︑強力たる影特を俯格

貴金恥の債値の焚励である︑と彼は述べてゐる︒しかし︑貨幣債伯の髪動によって︑

地代の同有の運動法則を明瞭にすることには少しも役立たたいであらう︒

マルサスの地代論

而して﹁貨幣債値の下落は︑ 貨幣情伯り

マルサスは︑宍本の蓄積及び人口の培

といふことができやう︒勿論のことリカアドと酎立するものである︒

﹁紹介﹂の部分の最後に彼れの一聯の地代辮護の論を紹介して償くことにしよう︒ 地代の斐動が惹起されることは事賓であるがしかし︑地代の髪動の厭囚を︑貨幣俯値の勢勁に節する に及ぼすものは︑ 工業生衛における普通の改良とは︑全く異 1一の種類の改艮は生廂物の敷J軍を増加する改良である︒

それが土地生面に この場合債格は下落する︒しかし︑直ちに人口

(31)

を加へたものに等しい︑

現賓に存する或る高さの地代が支彿は この地代辮護論こそまさに彼れの埴代論の中栖的た部

宵際、原理の第一二索ー—これは一八一五年刊行の「研究」の再

録にすぎないーーの全十節はこの翔諌のために害かれてゐるといつて栄支たいのである︒全十節のうち

第四節までの︑われ/\の目的のために問題とたる蹄見解には今までに大略獨れて来たから︑

︵一︶第五節﹁土地生ギ几物の現賓の敷兼は地代及び債格の現賓の高さに佼つものであるといふことに

就て﹂︒この一節は地代を辮澁するためにのみ苦かれてゐるものである︒

現賓の生究物を入手するためには必要である︑また穀物の債格は進歩したあらゆる國においては︑現官

または哲地において追加的生而物を睾ぐるための費用に等しい││而してこ

の附加的な生庄物は︑農業衣本の普通の報酬を生するだけであって︑

ない

︒﹂

すたはち︑必.叫女とされる土地生森物を學げるためには︑必す︑ に使川されてゐる最劣等の地質の士地における生森費に︑

殆んど︑或ひは全く︑地代を生じ 自然的朕態の下において生するであらう蛾代 ﹁地代の膀貴に脳する以上の説明から︑次の結論が生れる︒1土地の自然的た池代の現官の欣況は 勢の論廓を摘記することにしよう︒ 以降の謡節において︑問題となる謡見解を探し求めたがら︑側ら︑地代耀臨のために彼がとつてゐる姿 以下それ 分であると言はねばならたいであらう︒ 個の政治的.ハンフレットにすぎぬものとすれば︑

マルサスの地代論

第 六 巻 二

00

第 一 猿

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1) Malthus, 

r .  

I :;1. 

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