• 検索結果がありません。

マルサス自然地代論の考察

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "マルサス自然地代論の考察"

Copied!
45
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

マルサス自然地代論の考察

著者 横山 照樹

雑誌名 經濟學論叢

巻 57

号 4

ページ 107‑150

発行年 2006‑03‑20

権利 同志社大學經濟學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000008587

(2)

 は じ め に

 マルサスの地代論におけるリカードウにはない特色の

1

つは,自然地代論 が展開されている所にあった.すなわち,マルサスは『経済学原理』1)

3

章 第

5

節において,「土地が自然状態で生み出す地代」(1st ed., p.183)について 言及しているのである.しかし,「自然地代(the natural rent)」という言葉自体 は,すでに

1815

年に出版された『地代の性質と増大についての研究』2)の中 で用いられており,したがって,この概念自体は『原理』で初めて用いられ たものではない,というようにも考えられるであろう.

 ところで,先に筆者は,『地代論』から『原理』第

2

版に至るまでの地代論

【論 説】 

マルサス自然地代論の考察

横 山 照 樹  

1 )Principles of Political Economy Considered with a View to Their Practical Application, 1st ed., 1820, 2nd ed., 1836(以下『原理』と略称する).初版からの引用ページの指示は,プレンの編集した Variorum Edition, Cambridge University Press, Vol.1, 1989, のページ数を引用文の後に,(1st ed., p.13)

のように記す.この第1巻は,『原理』初版のリプリントになっている.また第2版からの引用に ついては,The Works of Thomas Robert Malthus, Vol.5, William Pickering, 1986,のページ数を引用文 の後に,(2nd ed., p.13)のように記す.訳文については,吉田秀夫訳『経済学原理』(上)(下),

岩波文庫,1944年,小林時三郎訳『経済学原理』(上)(下),岩波文庫,1968年,鈴木鴻一郎訳『デ イヴィド・リカードウ全集 第Ⅱ巻 マルサス経済学原理評注』雄松堂書店,1971年(以下『評注』

と略称する)に収録されているマルサス『原理』初版の訳,を参照したが,必ずしもそれらに従 わなかった.

 なおVariorum Editionの第2巻には,初版と第2版との異同についての編集者のコメントが含

まれているが,それに言及する場合は,(Variorum Edition, Vol.2,p.13)のようにページ数を指示 する.

2 )An Inquiry into the Nature and Progress of Rent, and the Principles by which it is Regulated,1815(以下『地 代論』と略称する).引用はThe Works of Thomas Robert Malthus, Vol.7, William Pickering, 1986, より 行う.引用ページの指示は,原書のページ数を(Rent, p.137)のように記す.

(3)

の発展について,『原理』第

3

章第

1

節から第

4

節までを中心にして検討した ことがあった3).そこで明らかになったように,『地代論』から『原理』第

2

版に至る間に,かなりの内容的な変更がみられた.そして,それをもたらし た要因の

1

つとなったのが,リカードウの『経済学原理』4)や『評注』5)にお ける,マルサス批判であった.それでは,同じような観点から,マルサスの 自然地代論が展開されている『原理』第

3

章第

5

節について検討すると,ど のようなことが明らかになるであろうか6)

 また自然地代論について考える場合に興味を引く点は,マルサスが価値論 を展開している第

2

章第

4

節で,自然のままの牧場でも地代が支払われるこ とを根拠にして,リカードウの価値論を批判している箇所が見出されること である.これは,第

3

章第

5

節の自然地代論の議論と,どのような関連があ るのであろうか.これらの点を考察するのが,本稿の課題である.

 さて,まず『原理』初版第

3

章第

5

節から検討していくことにしたい.こ の節の議論は,『地代論』の第

74 - 83

パラグラフ7)の議論を基にして展開さ れたものであった.そして,『地代論』の当該箇所における議論は,大きく

3

3 )拙稿「マルサス地代論の考察  『地代論』と『原理』第3章第14節を中心にして  」『経 済学論叢』(同志社大学)第56巻第4号,20052月,を参照.

4 )On the Principles of Political Economy, and Taxation, 1st ed., 1817, 2nd ed., 1819, 3rd ed., 1821, in The Works and Correspondence of David Ricardo, Edited by Piero Sraffa with the Collaboration of M.H.Dobb, Cambridge University Press, Vol., 1951(堀経夫訳『デイヴィド・リカードウ全集 第Ⅰ巻』雄松 堂,1972年,以下『原理』と略称する).なお『リカードウ全集』からの引用文の指示は,引用 文の後に巻数と原書のページ数を(Ⅰ, p.35)のように記す.訳文については,『リカードウ全集』

の訳を参照したが,必ずしもそれに従わなかった.

5 )Notes on Malthus's Principles of Political Economy, in The Works and Correspondence of David Ricardo, Vol., 1966.

 この『評注』とマルサスとの関係について,プレンはVariorum Editionの序文で,次のように言っ ている.「1821年の初めに,マルサスは,彼の『原理』に対するリカードウのコメントについて の研究に携わっていた.リカードウは,マルサスの『原理』の出版のすぐ後に,彼が呼ぶ所の,『マ ルサス評注』の執筆を始めた.それは1820年11月16日までに終わり,1821年初めの少なくとも3ヶ 月間は,マルサスが所有していた.」(Variorum Edition Vol.1, pp.xl-xli)

 なおプレンは,この『評注』はマルサスに対して「ほんのわずかな影響」(Variorum Edition Vol.1, p.xli)しか与えなかったと述べている.

6 同じような視点から『原理』第3章第5節を検討したものとして,羽鳥卓也「マルサス地代論

の展開」『経済系』(関東学院大学)第206集,20011月,16 - 19ページ,がある.

7)これは,Rent, p.132,第5パラグラフから,Rent, p.134,第3パラグラフまで,にあたる.

(4)

つの部分に分けられるのではないかと思われる.まず第

1

の部分では,穀物 価格の決定メカニズムの特殊性が説明される.次に第

2

の部分では,穀物価 格と製造品価格との決定メカニズムの違いが,土地と機械とのアナロジーに よって説明される8).そして第

3

の部分にあたる第

83

パラグラフではアダム・

スミスに言及しているが,このパラグラフの議論は第

84

パラグラフ以降の議 論を引き出すための,いわば繋ぎの役目を果たしていると思われる.したがっ て,主な内容は第

1

と第

2

の部分であると思われる.

 それでは,この『地代論』における議論が,『原理』初版でどのように変更 されたのであろうか.大きな変更点としては,次の

2

つが指摘できるのでは ないかと思われる.

1

つは第

1

の部分における議論が大きく変化したことで あり,もう

1

つは第

2

の部分における議論の後に,リカードウを批判する

12

パラグラフにわたる議論が新たに追加されたことである9).まず第

1

の変更 箇所から検討していくことにしたい.

1 自然地代について

 マルサスは『地代論』の第

74

パラグラフで,次のように述べていた.

  「地代の増進についてのこれまでの説明から,土地の自然地代の現実の状態(the

actual state of the natural rent of land)は,現実の生産物にとって必要である,という

ことになり,そして,すべての進歩的な国においては,生産物の価格は,現実に使 用されている最劣等地の生産費に,あるいは,ほとんどまたはまったく地代なしに

(with little or no rent)農業資本の通常の報酬のみをもたらす,古い土地で追加的な 生産物を生み出す費用に,ほぼ等しいものでなければならない,ということになる.」

(Rent, p.132)

8 )第1の部分は第74 - 76パラグラフ,第2の部分は第77 - 82パラグラフである.なおリカード ウは,『評注』の中で,第2の部分におけるマルサスの説明について,「この叙述と次の2ページ の叙述は見事である」(Ⅱ, p.169)と述べて,この部分でのマルサスの説明を肯定的に評価している.

9)第2の部分についても若干の変更はあるが,基本的には同じものであると考えられる.

(5)

 このパラグラフにおけるマルサスの説明には,3つの論点があったのでは ないかと考えられる.第

1

は,「土地の自然地代」は現実の生産量を得るため には必要であるということ,第

2

は,その場合穀物価格は,「現実に使用され ている最劣等地の生産費」(これを以下「費用A」と呼ぶ)に等しくなるという こと,そして第

3

は,この穀物価格は「ほとんどまたはまったく地代なしに 農業資本の通常の報酬のみをもたらす,古い土地で追加的な生産物を生み出 す費用」(これを以下「費用B」と呼ぶ)に等しくなる,ということである.

 この『地代論』の第

74

パラグラフは,初版では第

5

節の冒頭のパラグラ フを形成することになるが,その際どのような変更がなされたのであろうか.

両者を比較すると,大部分は同じであるが,『地代論』の第

2

の論点に関係す る部分,すなわち「すべての進歩的な国においては」から「あるいは」までが,

以下のように変更された.

   「……,すべての進歩的な国においては,穀物の価格は,現実に使用されている 最劣等地の生産費に,この土地が自然状態で生み出す地代を加えたものに(with the

addition of the rent it would yield in its natural state),あるいは,…….

10)」(1st ed., p.183)

 したがって

2

カ所が変更されているが,「生産物の価格」から「穀物の価格」

への変更は,それほど意味があるとは思えないので,重要だと思われるのは,

「この土地が自然状態で生み出す地代を加えたものに」という言葉が新たに挿 入されたことである.『地代論』では,穀物価格は費用Aに等しいと述べられ ていたが,初版では,穀物価格は費用A+「自然状態で生み出す地代」に等 しいと述べられ,穀物価格の構成要素として新たに「自然状態で生み出す地代」

が追加されているのである.

 そうすると,『地代論』と初版との文書を比較すると,直ちに次のような疑 問が生じてくることになる.両者に共通に現れる,「土地の自然地代の現実の

10)下線部は,『地代論』の文に対し初版で変更された箇所を示す.以下同様.

(6)

状態」という場合の「自然地代」と,初版で現れる「自然状態で生み出す地代」

とは,いったいどういう関係にあるのだろうか,またこの変更は,穀物価格 の決定についての考え方が,『地代論』と初版とでは違っていることを意味し ているのだろうか.この第

2

の論点だけを見るとそのように考えられるかも しれないが,しかし,第

3

の論点について述べられた文章は『地代論』と初 版とで共通であったから,この箇所を見ると,穀物価格についての考え方は 変化がなかったようにもとれるのである.これらの点を検討するために,今 引用した文の次のパラグラフの内容を検討することにしたい.

 まず『地代論』第

75

パラグラフでは,次のように言われていた.

   「価格がそれ以下11)にはなり得ないことは明らかである.さもなければ,そのよう な土地は耕作されなかったであろうし,そのような資本は用いられなかったであろ う.またそれはこの価格をはるかに大きく超えることもできないであろう,なぜなら,

漸次耕作に引き入れられる劣等地は最初はほとんどまたはまったく地代をもたらさ ないからであり,そして資本を支配することのできるどのような農業者にとっても,

もしそれからもたらされる追加的な生産物が,地主には何ものも生み出さないとし ても,彼の資本の利潤を十分に償うならば,資本を彼の土地に投下することは常に 引き合うだろうからである.」(Rent, pp.132-33)

 ここでマルサスは,穀物価格が費用Aあるいは費用Bに一致する理由を述 べている.まず,穀物価格が費用Aあるいは費用B以下になると,穀物価格 が生産費以下になるから,このような資本の投下は行われないであろうと言 われている.次に穀物価格が費用Aあるいは費用B以上にならない理由につ いてであるが,費用A以上にならないのは,「漸次耕作に引き入れられる劣等 地は最初はほとんどまたはまったく地代をもたらさないから」であると言わ れている.すなわち,最劣等地の穀物価格には地代が含まれないから,穀物

11)「それ以下」の「それ」とは,費用Aあるいは費用Bのことである.

(7)

価格は生産費と等しくなるべきであるというのである.次に穀物価格が費用 B以上にならないのは,既耕地の農業者が資本を追加投資し,得られた生産 物の価格が費用Bを上回り,「資本の利潤を十分に償う」とすると,そのよう な投資を行うことは資本家にとって平均以上の利益が得られることになるの で,投資が実行されることになる.したがって穀物価格が費用Bを上回った 場合,両者が等しくなるまで生産の増大は行われるから,結局穀物価格が費 用Bを上回ることはありえないことになる,とマルサスは考えていたのでは ないかと思われる.

 ところで,ここで

1

つ疑問になってくるのは,上の引用文でマルサスが,

最劣等地では「ほとんどまたはまったく地代をもたらさない」と言い,既耕 地に追加資本が投下された場合には「地主には何ものも生み出さない」と言っ ていたことである.なぜなら,この文からすると,費用Aにはごくわずかで あれ地代が含まれる可能性があるのに対して,費用Bにはまったく地代が含 まれないと,マルサスが考えていたことになるからである.しかし,先に引 用した第

74

パラグラフでは,最劣等地では穀物価格は生産費に等しいと言わ れたのに対して,既耕地に資本が投下された場合の穀物価格については,「ほ とんどまたはまったく地代なしに」と言われており,費用Aには地代はまっ たく含まれず,費用Bにはごくわずかであれ地代が含まれる可能性を認める というように12),第

75

パラグラフの場合とは逆になっているのである.問題 は引用文における「ほとんどまたはまったく地代なしに」というマルサスの 言葉をどうとらえるかである.ここでは,費用Aにおいても費用Bにおいても,

マルサスは地代が含まれないと考えていたと解釈することにしたい.なぜな ら,もし地代が存在するとして,それがどのような根拠で発生するかについ

12 )この「ほとんどまたはまったく地代なしに」という部分は『原理』初版にそのまま採用されたが,

その部分についてリカードウは『評注』の評注96で次のように言っている.「なぜほとんどなの か(Why little)? 旧来の土地に投ぜられる追加資本にはまったく地代は支払われないであろう.」

(Ⅱ, p.166)

 なおマルサスは初版第1パラグラフの「ほとんどまたはまったく地代なしに」という箇所を,

第2版では「地代なしに」という言葉に改めているが,プレンはこの変更を,リカードウの『評注』

における評注96の批判の結果だと指摘している.Cf., Variorum Edition Vol.2, pp.379-80.

(8)

ては,『地代論』では何も言及がされていなかったからである13)

 さて,この『地代論』第

74

パラグラフの文章が初版でどのように変更され たかであるが,上に引用した「なぜなら,漸次耕作に引き入れられる劣等地 は最初はほとんどまたはまったく地代をもたらさないからであり」という文 章が,次のように変更されることになる.

   「なぜなら,地主にとっては,土地がその自然状態において報いる以上のなにかを 彼が得ることができる限りは,ますます劣等な土地を貸し出し続けることは,常に 引き合うだろうからであり」(1st ed., p.183)

 この引用文でマルサスは,次のように考えていたのではないかと思われる.

「土地がその自然状態において報いる以上のなにか」を地主にもたらす限り,

したがって穀物価格が費用Aと「自然状態において報いる」地代額との合計 を上回っている限り,地主は土地を貸し続けるであろうから,穀物供給量が 増大していき,その結果穀物価格は低下する,したがって,費用Aと「自然 状態において報いる」地代額との合計にまで低下することになるというので ある.そうすると,この変更箇所の意味は,穀物価格の構成要素として,初 版の第

1

パラグラフで述べられていた,「自然状態で生み出す地代」が新たに 入ってきたことである.それに対して,穀物価格が費用Bを上回らない点に ついての議論は,『地代論』と初版との間で変更はなく,初版第

1

パラグラフ の議論と同様になっている.

 そうすると,この『地代論』と初版との

2

つのパラグラフの分析から明ら かになる点は,『地代論』第

74

パラグラフで述べられていた

3

つの論点の内,

13 )リカードウは『地代論』出版後の1523日にマルサスに出した手紙では,「あなた自身も,

土地に使用される資本の最後の部分は資本の普通の利潤を生むだけで地代を提供しないと述べて おいでで,私はこの箇所に非常に敬服しています」(Ⅵ, p.177)と述べて,最劣等地の生産物には 地代が含まれないというのがマルサスの主張だと考えている.なお『リカードウ全集』の編者は,「こ の箇所」というのが,『地代論』における「進歩しつつある国において次第に耕作されるようになっ た土地は,単に利潤と労働を支払うにすぎないであろう」(Rent, p.116)という言葉を指している としている.Cf. Vl, p.177. note 1.

(9)

1

と第

3

の論点については変更がなかったが,第

2

の論点に関しては,『地 代論』では穀物価格=費用Aと考えられていたのが,初版では穀物価格=費 用A+「自然状態で生み出す地代」に変更された,ということである.それでは,

このような変更は何を意味しているのであろうか.しかし,それは第

2

の変 更箇所における議論と密接に関連しているように思われるので,次にその点 を検討することにしたい.

2 リカードウのマルサス批判

 土地を異なった質を持った機械にたとえた議論が展開されていた,『地代論』

76

パラグラフから第

82

パラグラフまでの文書は,初版第

3

パラグラフか ら第

9

パラグラフまでの文章として,若干の変更はあるが,ほぼそのまま再 現される.しかし,初版の第

10

パラグラフから第

21

パラグラフまでは,『地 代論』にはなかった新しい文章が追加されたのである.

 では,なぜマルサスはこのような追加を行ったのであろうか.考えられる 理由の

1

つとして,リカードウが『原理』第

32

章において,『地代論』の第

82

83

パラグラフを引用して,マルサスを批判していたことがあげられるの ではないかと思われる.そこで,まずリカードウの批判から検討することに したい.

 その箇所でリカードウは,マルサスの『地代論』の文章のうち,地代発生 の第

2

原因について論じた,以下の部分を引用する.

  「もしもっとも重要な土地生産物である生活必需品がその増加量に比例する需要の 増大を創造する性質を持たないとすれば,このような増加量はその交換価値の下落 を引き起こすであろう.この国の生産物がいかに豊富であろうとも,その人口は不 変のままであろう,そしてこの豊富は,それに比例した需要を伴わないで,これら の事情のもとで当然起こる労働の非常に高い穀物価格を伴うから,それは原生産物

(10)

の価格を,製造品の価格と同様に,生産費にまで引き下げるであろう.14)」(Ⅰ, p.407)

 すなわち,生活必需品が「その増加量に比例する需要の増大を創造する性 質を持たないとすれば」,原生産物の価格を「生産費にまで引き下げる」こと になるというのである.しかしマルサスの考えでは,実際は,生活必需品は

「それ自身の需要を作り出し,または生産された必需品の分量に比例して需要 者の数を増すことのできる,生活必需品に特有な性質」(Rent, p.119)を持って いるので,穀物価格は常に「生産費を上回」(Rent, p.116)り,地代が発生する ことになる.

 このようなマルサスの考えに対してリカードウは,マルサス自身がこれと 矛盾することを『地代論』の後の箇所で述べているとして,批判するのである.

リカードウはまず『地代論』の第

83

パラグラフを,ついで第

82

パラグラフ を引用する15).そして第

83

パラグラフでは,「穀物は,現実に生産された4 4 4 4 4 4 4 4

分 量に関しては,製造品と同様に,その必要価格で販売される」(Ⅰ, p.408)16)と 述べられており,また第

82

パラグラフでは,「したがって,あらゆる広大な 国は,穀物および原材料の生産のための各等級の機械を所有しているものと みなしうる」から,「原生産物の価格が引き続いて騰貴するにつれて,これら の劣等な機械は次々に活動させられ,そして原生産物の価格が引き続いて下 落するにつれて,これらは次々に活動を停止させられる」(ibid

.)

17)と述べら れていた.

 リカードウは,これらのマルサスの文章から,次のように主張するのであっ

14 )この引用文は,マルサスの『地代論』第24パラグラフの文章を引用したものであるが,その パラグラフの冒頭の「以下のことは同様に明白である(It is equally clear, that)」(Rent, p.119)と いう箇所が削除され,文章の途中のハイフンが2箇所で削除され,また「a country」が「the country」に変更されたりしたが,基本的には同じである.

15 )リカードウは第83パラグラフについては全体の2 / 3ほどを,第82パラグラフについては全文 を引用している.

16 )Cf., Rent, p.134.引用文中の傍点は,本文がイタリックの箇所である.以下同様.なおマルサスは,

『リカードウ全集』の編者が指摘しているように,「分量」もイタリックにしていた.Cf., Ⅰ, p.408, note 2.

17)Cf., Rent, p.134.

(11)

た.

   「これらの章句は,もしも生活必需品がその増加量に比例する需要の増加を創造す る性質を持たないならば,その場合には,そしてその場合に限って,生産された豊 富な分量は原生産物の価格を生産費にまで引き下げるであろう,と確言する章句と,

どのようにして調和させられるべきであるか? もしも穀物が決してその自然価格 以下になっていないとすれば,それは,現実の人口が彼ら自身の消費のために要求 するよりも,決して豊富になっていないし,他の人々の消費のためにどのような蓄 えもすることができないし,したがってそれは,安価さや豊富さによって,人口に 対する刺激とは決してなりえない.」(Ⅰ, p.409)

 すなわち,マルサスが述べたように,穀物が必要価格で販売され,価格が それ以下に下落すると「劣等な機械」は「次々に活動を停止」する,すなわ ち生産量が減少するのならば,もし穀物が現実の人口による需要を上回って 生産されると,穀物価格は必要価格以下に低下し,したがって供給量が減少 することになるはずである.また現実の人口の需要を満たすだけ生産できな いとすると,穀物価格は必要価格以上に上昇し,供給量が増加することにな るはずである.したがって,穀物生産量は価格変動による供給量の調整によっ て,現実の人口を維持する生産量に落ち着くはずであり,マルサスが言うよ うに,それ以上の穀物が恒常的に生産され,人口を増大させることによって,

新たな穀物需要を創造するということは,穀物価格が自然価格に一致する傾 向を持つ以上ありえない,というのがリカードウの主張であった.

 そしてリカードウは,このようにマルサスを批判した後,次のように言っ ている.

   「もし穀物が需用者を呼び起こすことができないならば,それは製造品のように生 産費にまで低下するであろうと言うことによって,マルサス氏は,すべての地代が取

(12)

り上げられてしまうであろうということを意味することはできない,なぜなら彼自身 正当にも次のように述べているからである,すなわち,仮にすべての地代が地主に よって放棄されたとしても,穀物の価格は下落しないであろうし,地代は高い価格の 結果であって原因ではなく,そして耕作地の中には,まったく地代を支払わず,そこ から収穫される穀物がその価格によって賃金と利潤だけを回収するにすぎないよう な,ある地質のものが,常に存在するからである.」(ibid.)

 マルサスは地代の第

2

原因が存在しないと,穀物価格は生産費と等しくな り,地代が発生しないことになると考えているが,リカードウによると,穀 物価格は最劣等地の生産費で決まってくるから,最劣等地では地代は発生し ないが,最劣等地以上の質の土地では地代が発生しているのであり,したがっ てマルサスの言う地代の第

2

原因は地代発生にとっての必要条件ではないの であり,このことは「耕作地の中には,まったく地代を支払わ」ない土地が 存在することによっても明らかであるというのである.

 したがって,ここでのリカードウのマルサスに対する批判点は

2

つあり,

1

つは穀物が必要価格で販売されるから,長期的には穀物価格が必要価格と一 致することになり,マルサスの言うように穀物価格が必要価格を長期的に上 回ることはありえないということである.そしてもう

1

つが,無地代地が存 在しているということであった.

3 マルサスのリカードウ批判

 それではこのようなリカードウの批判に対して,マルサスは『原理』初版 でどのように答えるのであろうか.以下,第

5

節第

10

パラグラフから第

21

パラグラフまでの議論を検討していくことにしたい.まず第

10

パラグラフで,

マルサスは次のように言っている.

   「しかしながら,我々は,土地における機械のこの等級から過大な推論を引き出し

(13)

てはならない.…….しかしそのような等級は,地代の本源的な形成にとっても,ま たその後の規則的な上昇にとっても,厳密には必要ではない.これらの結果を生み出 すのに必要なことのすべては,領土が限られているか,あるいは肥沃な土地が希少で あるということに加えて,以前述べた地代の最初の

2

つの原因が存在することであ る.」(1st ed., p.169)

 この文章で奇妙に思えるのは,引用文の最初の箇所で,「我々は,土地にお ける機械のこの等級から過大な推論を引き出してはならない」と述べ,機械 の等級による地代の説明を,マルサス自身あまり評価していないようなこと を述べていることである.しかし現実には,『地代論』で述べられた説明が,

ほぼそのまま初版に採用されているのであり,このことからも機械の等級に よる説明をマルサス自身は,実は評価していたのであり,第

10

パラグラフの 言葉の方がむしろ奇妙に思われるのである.

 それでは,なぜマルサスはこのようなことを言ったのであろうか.それは,

すぐ後でみるように,いまの引用文の次のパラグラフで,土地の等級がなく ても地代が発生するという議論を展開することになるからではないかと推測 される.もし等級がなくても地代が説明できるのであるならば,機械の等級 による地代の説明が不必要になってくるであろうからである.そして,マル サスがこのようなことを行った意図は,先に見たように,リカードウが土地 を機械にたとえた議論を基にしてマルサスを批判していたので,この議論の 重要性を低めることによって,リカードウの批判の重要性を低めるという所 にあった,と思われる.

 次に,上の引用文の内容についてであるが,「領土が限られているか,ある いは肥沃な土地が希少である」というのは,地代発生について第

3

章第

1

節 で掲げた穀物高価格の

3

つの原因18)の内,第

3

原因を指していると思われる.

18 )穀物高価格の3つの原因については,前掲拙稿,4ページ以下の説明を参照されたい.

(14)

そしてリカードウは,それのみが地代の原因だと考えていた19).また「以前 述べた地代の最初の

2

つの原因」というのは,

3

つの原因の内,最初の

2

つ を指していると思われる.したがって,そこで言われていたことは,地代の 第

3

原因だけでは地代は生まれないのであり,「地代の最初の

2

つの原因」が 必要だということである20)

 そして,このような考えを基にして,マルサスは先に見たリカードウの第

1

の批判点について,次のように反批判するのであった.

 マルサスは,商品が人々の欲求に比して過剰になると交換価値を持ちえな いのであり,この意味では生活必需品以外についてはリカードウの考えは正 しいが,「限られた領土では,しかも通常の事情のもとでは,永続的に過剰で はありえない,というのが生活必需品の特性である」(1st ed., p.187)として,

次のように述べている.

  「もしそのような国のすべての土地が品質において正確に等しく,そしてすべてが きわめて肥沃であるとしても,土地全体が耕作に引き入れられた後は,資本の利潤 と労働の実質賃金との両者は減少を続け,ついには,利潤は現実の資本を維持する のに必要なところまで引き下げられ,賃金も現実の人口を維持するのに必要なとこ ろまで減らされる反面,地代は土地の肥沃度に正しく比例して高くなるであろう,

ということはいささかの疑問もありえない.」(ibid.)

 すなわち,その国のすべての土地の品質が同じで肥沃であると仮定しても,

すべての土地が耕作に引き入れられた後には,利潤と賃金とが低下していき,

19 )リカードウは『原理』第2章で次のように言っていた.「そこで,その使用に対して地代が常 に支払われるのは,土地の分量が無制限(unlimited)でなく地質が均一でないからであり,また 人口の増進につれて,劣質の土地あるいは利点のより少ない位置にある土地が耕作されるように なるからに他ならない.」(Ⅰ, p.70)これは第3版の文章であり,第2版では「無制限」が「無限

(boundless)」となっていた.

20 )この考え自体は,マルサスがこれまで繰り返し主張してきたことである.たとえば,前掲拙稿,

7ページを参照.

(15)

その結果,地代が上昇していくことになるというのである21).したがってこ の場合,土地が様々な質から成り立っているということがなくても,すなわ ち土地の生産性に差が存在しなくても,地代は発生しうることになる.その ことからマルサスは,「これらの場合に明らかなことは,地代は土地の等級ま たは同じ土地における資本の生産物の差異によっては規制されないというこ とであり22)(ibid.),地代の原因を土地の生産性の差に求めるリカードウの考 えは間違いであると,結論するのであった.

 しかしこのマルサスの議論は,リカードウが問題としていた穀物高価格の 第

2

原因をはじめから自明なものとしており,リカードウの批判に答えたも のとはなっていないように思われる.またリカードウが『評注』の評注

99

で 述べているように,マルサスが言うように「すべての土地が品質において正 確に等しく,そしてすべてがきわめて肥沃である」と仮定しても,すべての 土地が耕作された後に,さらに資本が土地に投下される場合,地代は「以前 に投じられた資本からの収益と同じ収益は伴わない,旧来の土地への追加資 本の投資」(Ⅱ, p.170)の結果,地代は「同じ土地における資本の生産物の差 異によって規制される」(ibid.)ことになるのではないであろうか23).したがっ

21 )この場合の利潤と賃金の低下は,投下される資本と労働の量の増大によってもたらされると考 えられるが,それが農業に投下されるのか,それとも「土地全体が耕作に引き入れられた後」な ので,商工業に投下されるのかが,この文章だけでは不明である.しかしすぐ次のパラグラフで,

「また,こういった肥沃な土地に有利に投ぜられうる資本の量がきわめて限られており,そのた め,鋤きと播種のために必要とされるところのもの以上には資本は土地に必要とされないとして も,その結果は本質的には異なるところはないであろう」(1st ed., p.187)と言われていることから,

問題にされている箇所では,「土地に有利に投ぜられうる資本の量がきわめて限られて」いなかっ たということになるので,ここでは土地への追加的な投資が考えられていたのではないかと思わ れる.

22 )マルサスはこの引用文の後に,「リカードウ氏とともに次のように結論するのは,地代論からの 過大な推論である」(ibid.)として,脚注19で引用されたリカードウの文章の,初版の文章を引 用している.初版の文章と第3版の文章との違いは,第3版の「土地の分量が無制限(unlimited)

でなく地質が均一でないからであり」が,初版では,「土地がその生産力に関して異なった地質を 持っているからであり」(Ⅰ, p.70)となっていたことである.なおマルサスの引用文では,リカー ドウにあった「そこで(then)」という言葉が抜けている.

23 )マルサスが言うように,「すべての土地が品質において正確に等しく,そしてすべてがきわめて 肥沃である」としても,すべての土地が耕作された後に,さらに土地に資本が投下された場合,

収穫逓減を前提しても,すべての土地に均等に投下された場合は資本の生産性の差は生じないが,

特定の土地に追加投下された場合には,すでに投下された資本と新たに投下される資本との間に,

生産性の差が生じることになる.そして,すべての土地に均等に投下されるという仮定は,かな り恣意的なもののように思われる.

(16)

て,この箇所におけるリカードウの第

1

の批判に対するマルサスの反批判は,

かならずしも説得的なものであるとは考えられないように思われる24).  次にリカードウの第

2

の批判点に対する,マルサスの反批判について検討 することにしたい.その際にマルサスは,「いま

1

つの推論が地代理論から引 き出されているが,それははるかにもっと重大な誤りを含んでおり,したがっ てきわめて慎重に警戒されねばならない」(1st ed., p.188)と述べて,次のよう な形で新たな問題を提起する.

   「耕作が進むときは,ますます劣等な土地が耕作に引き入れられるにつれて,利潤 率は,後の章でもっと十分に示されるように,最後に耕作される土地の力によって量 的に制限されねばならない.このことから,土地が次々に耕作から投げだされるとき は,利潤率は,その時もっとも肥沃でない耕地の優れた自然的肥沃度に比例して,高 いであろう,と推論されている.」(1st ed., p.188)

 マルサスは『原理』第

5

章「資本の利潤について」の中で,「農業における 資本の利潤は,耕作に引き入れられる最後の土地の肥沃度に,または一定量 の労働によって獲得される生産物の量に,比例するであろうことは,明らか である」(1st ed., p.296)と述べていた.この考えからすると,たとえば外国か ら安い穀物が輸入され,生産性の低い土地の耕作が排除されて,最劣等地の 生産性が上昇していくと,利潤率は上昇していくと推測されることになる25). しかしマルサスは,そのようにはならないと言う.

24 )この点については,森氏の分析も参照されたい.森茂也『古典派経済成長論の基本構造』同文舘,

1992年,155ページを参照.またホランダーは,このマルサスの議論に対して,「食物産出高の絶 対的な制限が存在しているから,人口増加と食物に対する需要の増加という必要条件が満たされ ない」ので,「物質的な地代(a physical rent)」はあるかもしれないが,「土地に対する価値の報酬

(a value return to land)を保証するような水準に穀物価格を維持するのは何であるかが,まったく 明白ではない」と述べている.Cf.Hollander, S., The economics of Thomas Robert Malthus, University of Toronto Press, 1997, p.401.

25 )このような考えをそのままリカードウが述べた箇所は『原理』第32章にはないが,マルサスは 次のようなリカードウの考えを念頭に置いていたのではないかと思われる.「本書の目的の一つは,

必需品の実質価値の下落ごとに,労働の賃金は低下し,資本の利潤は上昇するであろうというこ と……を証明することであった.」(Ⅰ, p.420)

(17)

 その理由としてマルサスは,以下の

4

つの理由を挙げている.まず第

1

の 理由は,「文明化された国においては,末耕地が,家畜を育て木材を産すると いうその自然力に比例して,常に,地代を生み出す」(1st ed., p.188)というこ とであり,次のように言っている.

  「そしてもちろん,土地が耕作から投げだされたときは,特にこのことが他国から のより安い穀物の輸入によって引き起こされ,したがって人口の減少を伴うことな しに引き起こされたとすれば,こうして投げだされる最後の土地は牧場として,以 前よりはいちじるしく少ないとはいえ,ほどほどの地代を生み出しうるであろう

…….地主は,自分の土地を牧場につくりかえ,土地への年々の資本の支出を節約 することによって,はるかに大きな地代を獲得できるときに,地代をほとんどまた はまったく支払わない耕作農業者(a tillage farmer paying little or no rent)に自分の 土地の耕作を許すことはしないであろう.したがって,現実に耕作されている最劣 等地の生産物も,決して全部が利潤と賃金に分割されえないから,しかも上に仮定 された場合は,それに近くもないから,こういった土地の状態またはその肥沃の程 度によって,土地における利潤率が規制されるということはおそらくありえないで あろう.」(1st ed., pp.188-89)

 すなわち,最劣等地の生産物には,「自然状態で生み出す地代」が含まれて いるから,それが利潤率を規定することはありえないというのである.

 次に第

2

の理由は,貨幣価値の上昇と穀物価格の下落が役畜の価格下落よ りも大きいことにより,「耕作が永続的な困難に陥らされ,優等地も多くの利 潤を生み出しえない」(1st ed., p.189)ということ26),第

3

の理由は,借地農が 自分の土地に追加投資を行う場合は,その利潤率は商工業の利潤率に規制さ れることになるということ,そして最後に第

4

の理由は,他の場所で穀物が 安く手に入るので耕地面積が減少する際は,資本が穀物と商品に対して豊富

26 )マルサスは次のように言っている.「もし,この事情に,貨幣の価値の上昇から生ずる結果と,

役畜の下落以上にでる穀物の下落の見込みとを付け加えるなら,耕作が永続的な困難に陥らされ,

優等地も多くの利潤を生み出しえない,ということは明らかである.」(1st ed., p.189)

(18)

であるから,「土地の状態がどのようなものであろうと,利潤は低いに違いな い」(1st ed., p.190),ということである.

 そして,このような議論の後,マルサスは次のように述べている.

   「土地がその自然状態で生産するものに対して支払われる地代は,利潤と価格の構 成部分とに関連する問題においては,もっとも本質的な相違を作り出すけれど,土地 に差等のある通常の状態にある進歩的な国においては,穀物はその自然価格または必 要価格で,すなわち,その現実の量を市場にもたらすのに必要な価格で売られるとい う重要な学説を,どんな点でも無効ならしめるものではない,ということが言える であろう.この価格は,平均的には,すくなくとも,現実に耕作されている最劣等地 における穀物の生産費と,これに加うるに自然状態におけるこのような土地の地代を もってしたものに,等しくなければならない.なぜなら,もしこの価格がなにほどか でもこれ以下に下落すれば,このような土地の耕作者は,耕作されていない土地から 地主が獲得できると同じ高さの地代を地主に支払うことができず,したがって土地は 耕作されずに放置され,生産物は減少するだろうからである.」(1st ed., pp.190-91)

 まず注目されるのは,この引用文の冒頭で,「土地がその自然状態で生産す るものに対して支払われる地代は,利潤と価格の構成部分とに関連する問題 においては,もっとも本質的な相違を作り出す」と述べられており,この部 分の理解がマルサスにとって重要だと考えられていたことである.

 そしてその後,穀物が「自然価格または必要価格」で販売されると言われ,

この価格が「現実に耕作されている最劣等地における穀物の生産費」と「自 然状態におけるこのような土地の地代」との合計額であることが述べられて いる.したがってマルサスの考えによると,最劣等地における穀物価格には,

その生産費のみではなく,第

5

節の冒頭の箇所で述べられていた,「自然状 態で生み出す地代」も含まれているのであり,リカードウが言うように「耕 作地の中には,まったく地代を支払わず,そこから収穫される穀物がその価

(19)

格によって賃金と利潤だけを回収するにすぎないような,ある地質のものが,

常に存在する」(Ⅰ, p.409)という考えは,間違っていることになる.したがっ て,ここでのリカードウ批判のポイントは,最劣等地においても「自然状態 で生み出す地代」が支払われねばならないということであった.

 ところでこの部分は初版において新しく挿入された部分であるから,「自然 状態で生み出す地代」という概念が,初版で新たに導入されたことになる.

しかし,先に述べたように,『地代論』では,穀物価格は「現実に使用されて いる最劣等地の生産費」(Rent, p.132)に等しいと考えられていたから,この新 たな概念と矛盾することになる.したがって,『地代論』の文章を初版に取り 入れる際,若干の修正が必要になってくる.そのため,先に見たように,『地 代論』では穀物価格=費用Aとされていたのが,初版では穀物価格=費用A

+「自然状態で生み出す地代」に変更されることになったのではないかと思 われる.

 しかし,この考えはリカードウにないユニークな考え方であったが27),リ カードウの批判の論拠としては用いられたが,十分に展開されることはなかっ たように思われる.というのは,マルサス自身にも若干の混乱があるように 思われるからである.

 先にみたように,マルサスは『地代論』で「地代の増進についてのこれま での説明から,土地の自然地代の現実の状態は,現実の生産物にとって必要 である」(Rent, p.132)と述べて「土地の自然地代」に言及しているが,これま での議論からして,これが「自然状態で生み出す地代」を指しているとは考 えられないであろう.なぜなら,『地代論』には差額地代論しか存在しなかっ たからである28)

27 )たとえば,小林氏は,それを「新古典派の地代概念に接近する」ものと評価されている.小林 時三郎『マルサスの経済理論』現代書館,1971年,90ページを参照.

28 )この点については,羽鳥卓也『古典派経済学の基本問題』未来社,1972年,136ページを参照.なお,

大村氏も同様に考えておられる.大村照夫『マルサス研究』ミネルヴァ書房,1985年,154ペー ジを参照.

(20)

 それでは,この「土地の自然地代」とは何かということになるが,マルサ スは『地代論』の第

76

パラグラフで次のように言っていた.

   「そこで,原生産物の価格は,生産されたすべての量4 4 4 4 4に関しては,自然価格または 必要価格(the natural or necessary price)で,すなわち,現実の生産量を獲得するの に必要な価格で,売られる,ということになる.もっとも,その圧倒的な部分は,よ りわずかの経費で生産される反面,その交換価値が減少しないでいるために,その生 産に必要なものをはるかに超える価格で売られている.29)」(Rent, p.133)

 すなわち,生産されたすべての量は「自然価格または必要価格」で販売さ れるが,それは「現実の生産量を獲得するのに必要な価格」すなわち生産費 のことである.ただしそれは最劣等地の場合にはそうであるが,それ以外の 土地については「よりわずかの経費で生産される」ために,「自然価格または 必要価格」との間に差額が発生することになる.したがって穀物が「自然価 格または必要価格」で販売されても,優等地には地代が発生していることに なる.そして『地代論』では,穀物が「自然価格または必要価格」で販売さ れた場合に優等地で発生する地代のことを,「自然地代」という言葉で呼んだ のではないかと思われる.

 『地代論』におけるマルサスの説明によると,地代の累進的な上昇は「繁栄 と富の増大のもっとも確実な指標である

4

つの原因30)の,自然的なそして必 然的な帰結(the natural and necessary consequence)」(Rent, p.130)であった.そして,

この「自然的なそして必然的な帰結」として生まれる地代を,自然地代と考 えていたのではないかと思われる.そして,「自然地代」に言及した箇所は初 版でもそのまま採用されているので,このような考えは初版でも維持されて いると思われる.

29 )このパラグラフは,今検討している初版第3章第5節の第3パラグラフに採用されるが,『地代 論』の「原生産物の価格(the price of raw produce)」が初版で「穀物の価格(the price of corn)」(1st ed., p.183)に変更された以外に,変更はなかった.

30)「4つの原因」については,前掲拙稿,33ページ以下,を参照.

(21)

 それに対して,初版において新たに導入された「自然状態で生み出す地代」

とは,「末耕地が,家畜を育て木材を産するというその自然力に比例して」生 み出される地代であり,したがってここで言う「自然状態」とは「未耕地」

を意味しており,『地代論』の「自然地代」とはまったく別な概念であると考 えられる.したがって,同じ「自然」という言葉を使っていても,初版にお いては,『地代論』以来の概念と31),リカードウの批判の中で導入された概念 とが,統一なしに混在しているように思えるのであった32).ただし,マルサ ス自身が,両者を同じものとして扱ったことはないのではあるが.

 このように考えてくると,『地代論』と初版との違いは,初版においてリカー ドウを批判するために「自然状態で生み出す地代」という概念が導入された ので,それと矛盾しない限りで『地代論』の文章が変更されたということで ある.そのため,『地代論』の第

74

パラグラフが初版第

5

節の冒頭のパラグ ラフとして採用される際に,『地代論』にあった

3

つの論点の内,第

1

と第

3

の論点はそのまま維持されたが,第

2

の論点は変更されることになったので あった.

 これまで,第

3

章第

5

節における議論について検討してきたが,第

3

章に は「自然状態で生み出す地代」について言及している箇所が,他に

2

カ所あ るので,その点について簡単にみておきたい.

 1カ所は,第

3

章第

1

節に付された脚注である.この脚注の文章の前半部 分は,『地代論』第

11

パラグラフに付したスミスを批判する文章(Rent, p.116)

と,一つの単語がイタリックに変更された以外は,同じであり,無地代地の 存在が認められていた.それが初版になると,その後に文章が追加され,「そ の自然状態において食物を生み出すすべての占有地は,耕作されていようと

31 )『地代論』ではnaturalという言葉が全部で23箇所で使われているが,初版におけるように未耕 地を意味するものとしてnaturalという言葉が使われている例はなかった.

32 )羽鳥氏は「未耕地であっても,その自然状態で食物が自生する土地は誰かによって占有されて おり,『自然の牧場』として使用されていくらかの地代  マルサスはこの地代を『自然地代』と 呼んでいる  が支払われている」(羽鳥,前掲論文,17ページ)と述べられて,「自然の牧場」

で支払われる地代と,マルサスの言う「自然地代」とが,同じものであるとされている.

(22)

いまいと常に地代を生み出すというのは,おそらく普遍的に真実であろう」(1st

ed., p.135)

と述べられて,無地代地の存在が否定されることになるのであった.

そして,この脚注は,第

2

版で若干内容が変更されることになる33).  もう

1

カ所は,第

4

節においてであり,農業生産が減少すると地代の額は 減少するが,資本と労働に対する地代の割合はより大きくなると述べていた 箇所においてである.この議論自体は,すでに『地代論』の中で展開されて いたものであるが,『地代論』ではその論拠として,「大きな支出が必要なと きにはいつでも,生産物を獲得することが困難である」34)ことと,「その国の 減少した資本をもっぱら最優等地の耕作に投下する必要性」(Rent, p.116)とが 言われていた.それに対して,初版では,この

2

つに加えて,穀物の耕作に 用いられない「その他の土地からは,額は少ないけれど,投下される労働と 資本に対しては大きな割合4 4を占めるような,自然牧場で得られる地代をもた らすままにしておく必要性35)」(1st ed., pp.181-82)が付け加えられているので あった.ただし,ここでは「自然牧場で得られる地代」の具体的な内容の説 明は行われず,第

5

節の分析に残されるのであった.

 さて,「自然状態で生み出す地代」には言及していないが,もう

1

つマルサ スの第

3

章における文章を紹介しておきたい.初版の第

3

章第

7

節で,次の ように述べられていた.

  「もしこれまでの研究においてとられたこの主題についての見解が正確であるとす るならば,わが国の国内生産物になされた最後の追加分は,ほとんど(nearly)生産 費で売られており,そしてたとえ地代がなかったとしても,同じ分量がより小さい 価格でわが国自身の土壌から生産されることはないであろう.36)」(1st ed., p.201)

33 )この脚注については,すでに羽鳥氏によって十分に分析されている(羽鳥,前掲論文,16 - 17ペー ジ)ので,そちらを参照されたい.

34 )この文章は,初版では,「農業における大きな支出という障害」(1st ed., p.181)に変更された.

2版は初版と同じである.

35)第2版では,初版の「資本」が「その他の資本」(2nd, ed., p.143)に変更された以外は,同じである.

36 )この文章は『地代論』の文章と,「ほとんど」という言葉が『地代論』になかった以外は,まっ たく同じである.Cf. Rent, p.143.

(23)

 それに対して,リカードウは『評注』の中で,この文章に付した評注

107

において,次のように言ってマルサスを批判するのであった.すなわち,「こ れは私の見解であって,マルサス氏の見解であるはずがない.彼は,地代は すべての穀物の価格になにほどか入り込むと主張しているのだから.」(Ⅱ,

pp.182-83)

 第

3

章第

5

節におけるマルサスの議論からすると,ここでリカードウがこ のようにマルサスを批判するのは,もっともなように思われる.なおマルサ スは,第

2

版においても,この引用文の基本的な内容を変更しなかった37)

4 初版第 2

章第

4

節における地代概念

 これまで,第

3

章第

5

節を中心にしてマルサスの地代論を検討してきた.

その結果,初版で導入された「自然状態で生み出す地代」という概念が,リカー ドウを批判するために導入されたのではないかということであった.しかし,

『原理』全体で見ると,その概念が初めて登場するのは,マルサスの価値論が 展開された第

2

章「価値の性質および尺度について」で,リカードウの価値 論を批判する中においてであった.そこで,次にその箇所でのマルサスの議 論を検討することにしたい.

 マルサスは『原理』第

2

章第

4

節「交換価値の尺度と考えられる,商品が 費やした労働について」で,「商品の価値は,その生産に費やされた労働量に よって決定される」(1st ed., p.85)という考えが,「根本的に欠陥のある」(ibid.)

ことを証明しようとする.その理由として,「収益の回収の早さがまちまちで あること(the varying quickness of the returns)」(1st ed., p.88)と,「投下された固 定資本の量が莫大であり,どの

2

つの商品においても同じであることはほと

37 )第2版では,初版の文章の「そして,たとえ地代がなかったとしても」以降の文章が,次のよ うに変更される.「そして,農業の改善を別にすると,貨幣価値が同じままであると仮定して,た とえ地代がなかったとしても,同じ分量が本質的により小さい価格でわが国自身の土壌から生産 されることはないであろう.」(2nd ed., p.156)なお波線部は,初版と第2版との間で文章が変更 された箇所を示している.以下同様.

(24)

んどない」(1st ed., p.91)こととをあげた後,この

2

つだけが「商品の交換価 値がそれに投下された労働量に比例するのを妨げる唯一の原因ではない」(1st

ed., p.95)

として,次のように言っている.

   「通商がある程度行われている所では,それに投下された労働と資本の量によって は規制されないことが認められている外国商品が,多くの製造品の原料を形成してい る.文明諸国では,租税はすべての場合において,労働とは無関係に,価格にかなり の変化を与えている.さらに,すべての土地が占有されている所では,地代の支払は たいていの国産商品のもう一つの供給条件を成している.」(1st ed., pp.95-96)

 このように述べた後,マルサスはもっぱら地代についてのみ議論を展開し ていく.それでは,なぜ「地代の支払」が,「商品の価値は,その生産に費や された労働量によって決定される」という命題を否定することになるのであ ろうか.そこでの説明はかなり錯綜しているのではあるが,大略次の

2

つの 理由が考えられているのではないかと思われる.まず第

1

の理由として,マ ルサスは次のように言っている.

   「そこで,進歩しつつある国の主な植物性食物の価格が,もっとも不利な条件でそ れを生産するのに用いられた労働と資本の量によって決定されることを認め,しかも 同時に,肥沃な土地ではわずかな労働と資本によって等しい価値の生産物が生産され ることを認めるならば,さまざまな商品に実現された労働量がそれらの商品の交換価 値を規制するという一般命題38)は,どんな適切な言葉をもってしても,ほとんど主 張できない.土壌の多様性という理由だけからでも,この命題が表明される用語と直 接に矛盾するたえざる交換が行われているのである.そこで,地代がどのように規制 されるにせよ,多くの商品に関しては,地代を生産費の構成要素としておくことが明 らかに必要である.」(1st ed., pp.97-98)

38 )マルサスはこの箇所に注を付して,リカードウの『原理』第1章を見るように指示している.

したがって,この「一般命題」とはリカードウの価値論を指していることになる.

(25)

 すなわち,最劣等地で生産された穀物の価格には地代が含まれていないと 認めるとしても,それ以上の質の土地で生産された穀物にはすべて地代が含 まれているから,「労働量がそれらの商品の交換価値を規制する」という考え は間違っており,地代を価格の構成要素とみなさねばならないというのであ る.

 そして,もう

1

つの理由としてあげるのが,最劣等における地代である.

マルサスは「すべての家畜は地代を支払う」(1st ed., p.99)し39),羊毛と生皮革,

材木と柴木,ホップは「地代を支払わずには手に入れることはできない」(1st

ed., p.101)

ので,「これらの生産物の価値が,労働によって規制されると主張

する何らの根拠もあり得ない」(ibid.)と述べた後,次のように言っている.

   「地代をまったく否定して,すべての商品の価格を賃金と利潤に分解する学説は,

独占と関連のある物品にはかかわりがないというのであれば,この例外のうちには 我々のよく知っている多くの物品が含まれている,と答えうるであろう.穀物をおも に供給してくれる土地は,通常の独占とは違った法則と限界に服しはするけれど,明 らかに一種の独占であって,穀物の耕作に引き入れられる最後の土地でさえも,もし 所有者がいるのであれば,自然のままの牧場において生み出されるようなわずかの地 代は支払わなければならない.40)」(1st ed., pp.101-02)

 すなわち,土地は「一種の独占」の性質を持っており,必ず所有者がいるから,

39 )ホランダーは第2章第4節におけるリカードウ批判について,「マルサスはなお限界的な穀物の4 4 4 4 4 4 4

費用は地代を排除する4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

(marginal corn costs exclude rent)ということを受け入れていた」のであり,

マルサスが主張していたのは,家畜の価格には常に地代が含まれるということであった,として いる.Cf.Hollander, op.cit., p.256.

40 )ホランダーは,この引用文でのマルサスの主張について,「しかしながら,これは用語上の形 式(terminological formality)であり,単に『一種の独占(a species of monopoly)』  『共通の独 占(common monopolies)』ではない  に関係しており,疑いもなく私的な土地所有に言及して いるにすぎないのである」と述べ,「ずっと重要なのは,独占によって『もっとも直接的な方法で』

影響されるものとしての家畜の価格に関する,その文章の残りの部分である」(ibid., p.259)と言っ て,「穀物の耕作に引き入れられる最後の土地」で地代が支払われなければならないというマルサ スの主張を,「用語上の形式」の問題にして,その意義を軽視あるいは否定しようとしているよう に思われる.

参照

関連したドキュメント

It is a new contribution to the Mathematical Theory of Contact Mechanics, MTCM, which has seen considerable progress, especially since the beginning of this century, in

Keywords: Convex order ; Fréchet distribution ; Median ; Mittag-Leffler distribution ; Mittag- Leffler function ; Stable distribution ; Stochastic order.. AMS MSC 2010: Primary 60E05

[14.] It must, however, be remembered, as a part of such development, that although, when this condition (232) or (235) or (236) is satisfied, the three auxiliary problems above

In Section 3, we show that the clique- width is unbounded in any superfactorial class of graphs, and in Section 4, we prove that the clique-width is bounded in any hereditary

Kilbas; Conditions of the existence of a classical solution of a Cauchy type problem for the diffusion equation with the Riemann-Liouville partial derivative, Differential Equations,

Inside this class, we identify a new subclass of Liouvillian integrable systems, under suitable conditions such Liouvillian integrable systems can have at most one limit cycle, and

Applications of msets in Logic Programming languages is found to over- come “computational inefficiency” inherent in otherwise situation, especially in solving a sweep of

Shi, “The essential norm of a composition operator on the Bloch space in polydiscs,” Chinese Journal of Contemporary Mathematics, vol. Chen, “Weighted composition operators from Fp,