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中 国 の 一 人 っ子 政 策 を め ぐる諸 問 題

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中 国 の 一 人 っ子 政 策 を め ぐる諸 問 題

一 と くに農 村 経 済 と伝 統 的 倫 理 観 念 との 視 点 よ り 一

高 橋 強

目 次

は じめ に

一 。一 人 っ子 政策 の動 向 二.一 人 っ子政 策 関連 法 令

三.一 人 っ子政 策 と伝 統 的倫 理 観 念 四.農 村 経 済 の変 遷 と伝 統 的倫 理 観 念 五.生 産責 任 制導 入 と一 人 っ子政策 六.む す び と展望

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中国 の 一 人 っ子 政 策 を め ぐる諸 問 題

は じめ に

中 国 に お い て は 今 日,計 画 出 産 と くに"一 組 の 夫 婦 に子 供 一 人"と い う一 人 っ子 政 策 が,国 の 基 本 政 策 の 一 つ に な っ て い る 。1982年 末 の 中 国 大 陸 の 人 口 は10億1541万 人 で,建 国 当 時 の1949年 か らす る と,4 億9千 万 人 も増 え た こ と に な る。 今 後,中 国 で は毎 年2000万 余 組 の 青 年 た ち が 結 婚 ・出 産 適 齢 期 に 入 り,一 組 の 夫 婦 が 二 人 の 子 を 生 め ば,

2000年 ま で に 中 国 の 人 口 は13億 を も超 え る こ とに な り,社 会 ・経 済 各 方 面 に 多 大 な る 不 均 衡 を も た らす こ と は 必 至 で あ る と言 わ れ る(「 北 京 周 報 」1983年8月30日)。 従 っ て 一 人 っ子 政 策 は,当 に 国 の 重 大 か っ 緊 急 課 題 な の で あ る 。

しか しな が らそ の 一 方 で,こ う し た一 人 っ子 政 策 の 強 力 な 推 進 は,女 児 と そ の母 親 に深 刻 な受 難 時 代 を も た らす 結 果 とな っ て しま っ た の で あ

る 。 ど うせ 一 人 しか 子 供 が 持 て な い な ら,労 働 力 に もな る し,ま た後 継 ぎ に もな る男 の 子 が 欲 しい と い う,農 村 に と りわ け根 強 く残 存 す る伝 統 的 風 潮 に よ り,女 児 の 間 引 き,女 児 を 生 ん だ 母 親 の 自殺 な ど の 悲 劇 を 引 き起 して い る の で あ る。 即 ち,こ こ に お い て は,中 国 の伝 統 的 な思 想 ・ 価 値 観 か らの激 しい抵 抗 に会 って い るの で あ る 。 社 会 主 義 中 国 建 設 を 目 指 して,す で に30数 年 た った 今 日で も,か よ うな 問 題 に 直 面 す る た び に, 改 め て そ の根 強 さを 痛 感 せ ざ る を 得 な い 。 本 稿 は か か る伝 統 的 思 想 ・価 値 観 の存 続 を,農 村 と く に農 村 経 済 体 系 の 中 で 検 討 しな が ら,今 日,一一 人 っ子 政 策 が か か え る い くつ か の 間 題 に考 察 を 加 え よ う と す る もの で あ

る 。

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一 ・一 人 っ子 政 策 の 動 向

中 国 は,1970年 以 降,人 口抑 制 活 動 を,以 前 に推 進 した産 児 制 限 運 動 と区別 し 「計 画 出産 」 と名付 け,正 式 に一 つ の政策 と して推 進 して き たが,そ の効 果 が顕 著 に現 われ て くるの は1978年 以 降 で あ る。{1}78年 に な って計 画出産 はさ らに新 た な進展 を見 せ る ので あ る。

1978年2月 第5期 全 国 人民 代表 大 会(以 下全 人代)第1回 会 議 の席 上,華 国 鋒 は 「計 画出産 は非 常 に重要 であ る。人 口の増 加 を計 画 的 に抑 制 す る こ とは,国 民 経 済 を計 画 的 に発 展 させ るの に有利 で あ り,母 子 の 健康 を守 るの に有 利 で あ り,広 範 な大衆 の生 産 と活 動 ・学 習 に有利 で あ って,必 ず 引 き続 き真 剣 に取 り組 み,3年 以 内に わが 国 人 口 の 自然 増 加 率 をOQ以 内 に引 き下 げ るよ う努 め な けれ ば な らな い」② と述 べ た。 こ れを 受 けて,国 務 院 に計 画 出産 指 導小 組 が 設 置 され,主 任 に は陳 慕 華 が 選 ば れ た。同 ノ 」 組 は同年6月 に第1回 会 議 を開 き,華 国 鋒 が 提起 した3 年以 内 に巾国 の人 口 自然 増加 率 を1%以 下 に引 き 下げ る問 題 を検 討 し,

目雛 成 のた め人 。増加 問題 を国家言+画に組み入れ る腰 性を強調 し魁 翌1979年1月 には,全 国 計 画 出産 弁 公室 主任 会 議 が 開催 され た。 そ こで は,1980年 に 人 口 の 自然増 加率 を1%以 下 に引 き下 げ る具体 的措 置 お よ び,計 画 出産 に関連 した経 済政 策 等 の問題 が検 討 され た。 そ して, 晩 ・稀 ・少 の原 則(晩 婚 ・稀 産 ・少産)が 提 起 され,具 体 的 には 今 後, 夫 婦 一組 に ついて 子供 一 人 が 最 も好 ま し く,多 くと も二 人 と し,一 子 と

二 子 の 問 を3年 以 上 と し,ま た一子 を も うけ二 子以 降 を もう けな い 出産 年 齢 夫婦 は表 彰 し,三 子 ま た はそ れ以 上 産 む者 には,経 済面 で必要 な制 裁 を加 え るべ き もの と され た。(4)かか る新 しい政 策 が 決定 され る と,た

だ ちに天 津市 ・上 海市 ・四川 省 な どの人 民 公社 レベル で は 「 一 人 っ子証 」 が 配布 され,社 会 的実験 が 開 始 された 。 ⑤ 同年6月,第5期 全人代 第2

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中国 の一 人 っ 子政 策 をめ くる諸 問 題

回 会 議 が開催 され,華 国鋒 は 「子供 一人 だ けの 夫 婦 には報奨 を与 え,農 村 では 食糧 の分 配 につ い て年 齢 別 に 分配量 を定 め る制 度 を堅 持 し,都 市 で も住 宅 の分 配 や労 働 者 ・職 員 の福 祉 の 面 で適 当 な措 置 を講 じ,社 会経 済 政策 を計 画 出産 に有 利 な よ うに推 し進 め る」方針 を明 らか に し,今 後 の方 向 として,79年 の 全国 の人 口増加 率 を 工%に ま で引 き下 げ,そ の後 も引 き続 き低 下 させ,85年 に は0。5°oに まで 引き下 げね ば な らない と述 べ た 。 ⑥ そ の後,各 省 ・市 と一 部 の 自治 区 は,か か る活動 の推進 を一 犠 強化 し3次 々 に これ と関連 す る会 議 を開 き,積 極 的 に人 口 理論 の研 究 活 動 を行 な った 。(7}同年8月 陳 慕 華 はr人 民 日報』 論文 と して 「四 つ の現 代 化 実 現 には人 口増 加 を計 画 的 に抑 制 しな けれ ば な らな い」を 発表 した。

「 今 世 紀 末 まで に人 口増 加率 がゼ ロにな る目標 を達成 す るため に,第 一 段 階 は85年 まで に 自然 増 加率 を現在 の1,2%か らC}.5°oに,第 二 段 階 で は2000年 ま で に ゼ ロに まで 下 げ る。第 一 段 階 の 目標 実 現 のた め,多 産 現象 を減 ら しひ いて は それ を な く し,多 産 率 を下 げ,一 夫 婦 子供 一人 を 提 唱 す べ きで あ る。」 と,人 口 抑 制 の 目標 を 明 らか に し,そ の措置 と し て 以 下 の もの を あ げて い る。 ⑧(イ)立法 化 し,必 要 な経 済措 置 を定 め,賞 罰 を設 け報奨 を主 とす る政策 を実 行 す る 。中央 で は各 地 の経 験 を集 中 し

た うえ で,す で に1計 画 出産 法 」案 を策 定 し,各 地 各部 門の意 見 を求 め て い る。{ロ}子 供 を一 人 しか生 まな い ことを奨励 す るた め に,一 連 の社 会 的 経 済 的措 置 を定 め る ことに して い る。 一 一つ は児童保 護 費 の支 給,報 奨 労 働点 数,老 齢 割 増 退 職金 な ど物 質 的 な報奨,も う0つ は都市 ・農 村 で の労 働 者募集a都 市 部 の住 宅 分 配 およ び農 村 の 自留 地 ・宅地 分 配 な ど, 制 度 上 の保 証 面 で の奨 励で あ り,い ず れ も子供 一人 だ け の者 に適切 な配 慮 をす る。辛 抱 強 い説 得 ・教 育 に よ って もな お多 く生 ん だ者 か らは,子

だ くさん費 を徴 収 す る等 。 同年12月 には,全 国 各省 ・市 ・自治 区 お よび 全軍 計 画 出産 弁公 室主 任会 議 が開 催 され,同 年79年 の活 動 を振 り返 り,

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(5)

一 定 の 成 果 を あ げ なが ら も

,自 然 増 加 率 が 目標 の1%よ り高 か った の で, 計 画 出 産 活 動 を今 後 「 一 夫 婦 に 子 供 一 人 」 に 移 行 す る こ とが 強 調 され た(9)

そ して翌1980年2月 に は,「 婚 姻 ・家 庭 ・計 画 出 産 の新 しい 習 慣 」 座 談 会 の 席 上,陳 慕 華 は,80年 代 の 目標 は,(イ)都 市 在 住 既 婚 者 の95%, (ロ農 村 在 住 既 婚 者 の90°o,全 国 平 均 で92.5%の 既 婚 者 が 「子 供 を一 人 に とどめ る」で あ る と提 示 した 。⑩ 同 年2月11日 付 のr人 民 日報 』 は,先 に 陳 慕 華 が 提 唱 した方 針 を受 け て 「必 ず 人 口 増 加 を 計 画 的 に 抑 制 しな け れ ば な らな い 」 と題 す る 社 説 を 掲 載 した 。 そ こ で は,今 後 一 人 っ子 化 を 推 進 し,80年 の 人 口 自然 増 加 率 を1°oに 下 げ,81年 は0.8°oに,85年 は 0.5°oに 下 げ,以 後 努 力 を続 け,2000年 ま で に人 口 増 加 率 を ゼ ロ に, 人 口 を12億 に安 定 さ せ る と い う目標 を 明 らか に した 。 同年9月 の第5期 全 人 代 第3回 会 議 で は,計 画 出産 を 長 期 計 画 に組 み 入 れ る こ と を 決 定 し, 今 後2,30年 間 は 一 人 っ子 政 策 を 推 進 して い く こ と も決 め られ た 。{11)

そ の後 計 画 出 産 活 動 は,新 しい 局 面 を 迎 え る こ とに な る 。即 ち,1981 年11月 第5期 全 人 代 第4回 会 議 で,趙 紫 陽 は次 の よ うに 述 べ てい る。 「 さ

ま ざ ま な 形 態 の生 産 責 任 制 が 普 及 した 結 果,従 来 の 人 口抑 制 措 置 の一 部 は新 しい情 勢 に そ ぐわ な い もの と な り,一 部 に は 出 生 率 が 再 び高 ま る傾 向 さ え 見 られ ま す 。 こ の 状 況 を 放 置 して は な り ませ ん 。 … … 今 世 紀 末 の 人 口 を12億 以 内 に抑 え る 目標 を 達 成 す る た め … … 。」(12)と 。

1982年11月 の第5期 全 人 代 第5回 会 議 で 趙 紫 陽 は,計 画 出産 が 迎 え て い る新 し い局 面 を 考 慮 した 方 針 を 打 ち 出 さ ざ る を得 な か っ た 。 今 後 の 年 間 人 口増 加 率 を1.3%以 下 に,そ して85年 に は人 口総 数 を10億6千 万 前 後 に抑 え るべ き で あ る と した 上 で,一 夫 婦 子 供0人 を提 唱 し,二 人 目 の 出 産 を 厳 格 に抑 え,子 だ くさ ん を完 全 に な くす よ う提 唱 した 。(13)同年 12月 に発 表 され た 国 民 経 済 社 会 発 展5ケ 年 計 画 で は,85年 の 大 陸 人 口総 数 を10億6千 万 人 に 抑 え,出 生 率 は1.9°o,自 然 増 加 率 は1.3°o以 内 に

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中 国 の 一 人 っ 子 政 策 をめ ぐる諸 問 題

抑 え る よ う求 め て い る 。 ま た 少 数 民 族 の 集 居 地 に お い て も,計 画 出 産 を 実 行 す る よ う要 求 さ れ て い る 。(14}

そ して1983年2月15日 付 のr北 京 周 報 』 「人 口 抑 制 に つ い て 」 の 中 で,国 家 計 画 出 産 委 員 会 主 任 の 銭 信 忠 は 「今 世 紀 末 に 人 口 を12億 以 下 に 抑 え る た め に は,今 後18年 間 に増 加 を1億9千 万 余 人 に と ど め な け れ ば な らな い 。 そ の た め に は年 間 増 加 率 を0.9%以 下 に 抑 え な け れ ば な らな い 。一 人 っ子 の 出産 適 齢 夫 婦 は現 在 全 国 で2500余 万 組 に達 し,一 人 っ 子 証 を もつ 夫 婦 は63%に 相 当 す る1600万 組 に の ぼ って い る 。」 と述 べ, 人 口 の年 間 増 加 率 に 関 して は依 然 と して 苦 慮 の跡 が うか が え る意 見 を 提 示 して い る。

以 上 の概 観 を通 して,一 ・ 人 っ子 政 策 は,1979年1月 に 開 催 さ れ た 全 国 計 画 出 産 弁 公 室 主 任 会 議 で 「一 夫 婦 に つ い て 子 供0人 が 最 も好 ま し く, 多 くて も二 人 と し,間 を3年 以 上 お く こ と。 一 人 っ子 夫 婦 は表 彰 し,三 子 以 上 に は経 済 的 な 制 限 を 加 え る べ き で あ る」 と い う方 針 が 提 起 さ れ て 以 降,急 速 に 形 成 さ れ て い った こ と が わ か る 。 そ して79年 末 に は,同 年 の 人 口 自 然 増 加 率 が 目 標 の1%を 超 え た と い う理 由 で,「 一一夫 婦 に子 供 一・ 人 」 が

,今 後 の 計 画 出 産 活 動 の 重 点 で あ る こ とが 強 調 さ れ る に 至 って い る 。 翌80年 に は,80年 代 の 目標 と して"全 国 の 既 婚 者 の92.5°oが 「子 供 を 一 人 に と ど め る 」"を 明 ら か に し た 上 で,一 人 っ子 化 を一 層 強化 し,

同年 の 自然 増 加 率1%以 下 ・81年0.8%・85年0.5%と い う 目標 に 着 手 した 。 しか しな が らか か る方 針 は,生 産 責 任 制 導 入 等 の 理 由 に よ り,出 生 率 が 上 昇 す る 中 で,「 一 夫 婦 子 供 一 人,二 人 目は 厳 禁 」 とか85年 の 自 然 増 加 率 目標1,3°oと か い う と こ ろ ま で 変 更 を余 儀 な く さ れ て い る状 況

で あ る 。

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(7)

(1}方 山 「人 口 増 加 と そ の 対 策 」 問 題 と研 究 第12巻9号1983年6月20〜21 頁 参 照 。

(2)「 中 国 通 信 」1978年3月9日 参 照 。 (3)「 中 国 通 信 」1978年7月12日 参 照 。 (4>「 人 民 日報 」1979年1月27日 参 照 。

(5}若 林 敬 子 「中 国 の 人 口 問 題 と そ の 対 策 」 現 代 の エ ス プ リ第190号1983年 5月 ユ6〜19頁 参 照 。

「北 京 周 報 」 ユ979年7月10日 参 照 。 方 山 「前 掲 」20頁 参 照 。

若 林 敬 子 「前 掲 」16頁 参 照 。

⑤物別鋤⑥鋤121319

「中 国 通 信 」1979年12月26日 参 照 。

「人 民 日報 」 ユ979年2月3日 参 照 。

「光 明 日報 」1980年9月9日 参 照 。

「人 民 日報 」 ユ981年12月14日 参 照 。

「北 京 周 報 」1982年12月21日 参 照 。

「中 国 通 信 」1982年 ユ2月20日 参 照 。

二 ・ 一 人 っ子 政 策 関 連 法 令

̲人 っ子政策 と しての人 。抑制蕨 膿 付 ける法馳 して ,ま ず国の 最高 法規 で あ る憲 法 をあ げね ば な らな い。1978年2月 第5期 全 人 代 第 1回 会 議 で の華 国鋒 の発 言 以 後,わ ず か1ケ 月 後 の同年3月 に採 択 され た憲 法 に は 「国 家 は計 画 出産 を提 唱 し,こ れ を推 進 す る。」(第5条3項) と述 べ られ て いた 。一国 の最 高法規 に人 口抑 制 政 策 を あ げた の は,極 め

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中 国 の 一 人 っ子 政 策 を め ぐ る諸 問 題

て特 異 な こ とで あ る と言 われ る。 そ の後,物 質生 産 と人 口再 生 産 と二 つ の計 画 を同時 達成 す るた め に,82年12月,第5期 全 人代 第5回 会議 で採 択 され た新憲 法 で は 「国家 は計 画 出産 を 推進 して,人 口の増加 を経 済社 会発 展 計画 に適応 させ る。」(第25条)と な り,同 会 議採択 の国民 経 済 社 会発 展5ケ 年 計 画 に も同 時 にお り込 まれ た。 ま た第49条2項 で は 「夫婦 は双 方 ともに計 画 出産 の義 務 を負 う」,第89条7項 で は国務 院 に 「……

計 画 出産 の活動 を指 導 し,管 理 す る」,第107条 で は地方 各 人 民政 府 に

「… …計 画 出産 な どの 行政 活 動 を管 轄 し,決 定 および 命令 を出 し」 と規 定 されて いて,78年 憲法 と比 べ る と関係 規 定 が増 え て い る こ とが わか る。

次 に,国 の婚 姻家 庭 関係 を規律 す る婚姻 法 が,人 口抑 制政 策 といか に 対 応 して い るか を検 討 した い。1980年9月 公 布 の婚姻 法(以 下新 婚姻 法)は,78年 憲法 に基 づ き,「 計 画 出 産 を実行 す る」(第2条)を 同法 基 本原 則 の一 っ に加 え,そ の他 関係 条 文 を4ケ 条設 けたが,計 画 出産 実 行 の必 要 性 は,50年 婚 姻 法 を 改正 し新 婚姻 法 を公布 す る一 要因 で あ った と も言 わ れ る。 ② 新 婚 姻法 で は法定 婚 姻年 齢 を,男 女 各2歳 引 上 げ,

「男 は満22歳 ・女 は満20歳 」(第5条 前 段)と 世界 一 の高 齢 に し,同 時 に晩 婚 を奨 励 して い る(第5条 後 段)。 そ して 既婚 者 に対 して は 「夫婦 双方 は,い ず れ も計画 出産 を実行 す る義務 を負 う」(第12条,な お同条 は82年 憲法 にお り込 まれ て い る)と 規定 した。 また 「結 婚 を登 記 したの ち,男 女 双 方 の 合意 によ って女 は男 の家庭 の一員 とな る ことが で き,男 が 女 の家庭 の一 員 とな る ことがで き る」(第8条)と 規 定 し,「婿 入 り」

の奨 励 を して い る。 この ことは,一 人 っ子 政策 の下 で,女 の子 しか な い 親 も男 を婿 と して 持 て るこ とに な り,一 人 っ子政策 によ って生 ず る親 の 老 後 の不安 を緩 和 す る ことに もな って い る(な お82年 憲法 で は新 た に,

成年 の子 女 に対 し父 母 を扶養 扶 助 す るよ う義 務 付 けた((第49条3項))。

さ らに 「子女 は父 の姓 を称 す るこ とがで き,母 の姓 を称 す るこ と もで き

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る」(第16条)と 規 定 し,娘 しか な くて も娘 の子 が母 姓 に従 え ば姓 は継 承 で き るよ うに した。 即 ち,子 の姓 は母姓 を称 す る ことが で き る と法 文

に 明記 す る こ とに よ って,前 述 第8条 の家庭 成 員 規定 とあ いま って,女 子 の みの家庭 の実 際 上 の 困難 ・差 別 が生 じな い よ う法 は保 障 措 置 を講 じ, 計 画 出産 実施 に備 えた0{3)

そ の他,国 家 レベルの関連法令 と して は,い ま だ制定 され るに は至 って ないが,「 計 画 出 産 法 」 が あ げ られ る。1979年8月,陳 慕 華 が 「計 画 出産 法 」 の草 案作 成 中 を発 表 し,新 婚 姻 法 と ともに制 定 が予 定 され てい たよ うだが,80年9月 の人 民 政協 会議 で強 い批 判 もあ っ た といわ れ,制 定 に は こぎつ けて い な い。 しか し,計 画 出 産 に対 す る奨 励 と制 裁 を全 国

的 に統 一 す る こと,と くに制 裁 にお いて 各地 の採用 方 法 が必 ず しも一 致 して い な い ため,強 迫 命 令 や違 法 な紀 律 現 象 の乱発 防 止 の ため に も,国 家 の統 一 的 条例 の制 定 が 必要 で あ る との意 見 も強 く,さ らに近年 人 口 自 然 増加 率 が ま た上 昇 した こ と もあ って か,83年2月15日 の 「北京 周 報 」 にて,銭 信忠 は 「今 後2年 以 内 に計 画 出産 法 を制 定 す る ことにな って い る」 と言 明 して い る。(4)

こう した 国家 レベ ル での 関連 法 令 の他 に,各 地 方 別 の省 や市 に よ る一 人 っ子政 策 関 連条 例等 が存 在 して い る。上 海 市近 郊 の宝 山県 の1978年

10月 の統 計 に よる と,当 時,全 県18の 人 民 公 社 で は,各 種 の 人 口抑 制 政 策 を合 わせ て150条 近 くも制定 した 。そ の 中 に は早 く も,計 画 出産 を 実 行 した産婦 お よび その子 女 に対 す る各種 の手 当 の支給 や,計 画出産 を実 行 しない 出産 適齢 夫 婦 に対 す る賃 金 の一 部 減 給 とい う経 済政 策 が あった(5) 上 海市 の条鵡 ∫ 制 定 され たの は78年8月 に な って か らで あ った 。 それ に

よ る と ま ず 経 済 的 奨 励 策 と して,一 子 出 産 後,二 子 を 生 ま な い と宣 言 した 一 人 っ子 夫 婦 に は,「 「 人 っ子 証 」(「独 生 子 女 証 」)と い う証 明 書 が 発 行 され,そ れ が あ れ ば,子 供 が16歳 に な る ま で 児 童 保 険 費 と して,毎

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中 国 の一 人 っ子 政 策 をめ ぐる諸 問 題

月4元 の奨 励 金 が 支 給 され る 。 そ して その 子供 には,二 人分 の 住宅 や 自 留 地 が 支給 され,保 育 費 は無 料,学 費 も免 除 され る 。 しか しそれ に違 反 した場 合 の制 裁 と して,も しそ の夫 婦 が 二 人 目の 子 を生 んだ場 合,そ れ まで の奨 励 金 は全 て返 却,全 て の優 遇措 置 は取 消 とな る。三 人 以 上生 ん だ場 合 は,「 多 子 女 費 」 が徴 収 され,子 女 が16歳 に な るまで,夫 婦双 方 が賃 金 の10%を 納 入 しなけ れば な らな い 。 これ と類 似 の条 例 や規定 は, 天 津市,広 東 省,四 川省 等 の 各省市 へ と拡 が って ゆ き,81年12月 の段 階

で はチベ ッ ト,新 彊,蒙 古 を 除 いて 漢族 の多 い全省 市 に及 ん で い る とい わ れ る。(7)なお現在,各 省 市 の条 例 や規 定 にお け る奨 励 は,体 要 次 の い くつ か に分類 され る。(8)(イ)一 人 っ子 証 を発 給 し,保 健 費 を支 給 す る。 農 村 で は相 当労働 点 数(人 民 公社 員 の報 酬)の 付与 。(ロ)0人 っ子 には 入園

・入学 ・診療 を優 先 し,健 全 な発 育 を保 障 す る。 また労 働者 採 用 に際 し て も同様 であ る。い 晩 出産 の産 婦 に は晩 婚光栄 証 を交 付 し,出 産休 暇 の 延 長 や,産 休 中 の賃 金 ・労 働点 数 の保 障 をす る。(二)一 人 っ子夫 婦 に退 職 年 金 の5%加 算 を す る。農 村 で は公 社 員 が 老 いて労 働 力 を失 った場 合, 各 地で 定 め られ た 関係 規 定 に よ り世 話 を受 け る。(ホ 農 村 では,0人 っ子 家 庭 に住 宅 建 設 用 地 の優 先 分配 や二 子 と同一 標 準 の自留 地分 配 を し,都 市 で は,玖 っ稼 庭 に住 宅優 先 分酉己を そ テな う。 つぎ に制 薮 ・ あ るが,

一 定 の賃 金 や労 働 点数 を差 し引 く方 法や,さ らに超 過 出産 費 を徴収 す る 方 法 とか,超 過 出産 家庭 に対 し,子 が増 えて も住 宅 建 設 用地 や 自留 地 の 増 加 を認 め な い農村,住 宅分 配 を増 や さな い都市 等 が あ る 。いず れ に し て も,各 省市 にお いて は必 ず しも一様 で な く,国 家 レベル で の統 一 的条 例 を制 定 す る こ とが強 く望 まれ る と ころで あ る。

(1) 若林 敬子 「 前掲 」19〜21頁,加 藤 美穂子 「今 日の 中国 に おけ る家 族観 の

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(11)

法 と現 実 一 計 画出産 規定 を通 して 一 」 ア ジア経済 旬報 第1253号 ヱ983年 3月3〜5頁 参照 。

(2)浅 井敦 「中華人民共 和 国婚 姻 法 ・同関連法 令の根本 間題 」『中 華 人 民 共 和国主 要法令集 第二 集』(中 国研 究 所)1囎1年14頁 参照 。

③ 加 藤 美穂 子 「 中国 の独 り子政 策 一 母 親 の悲劇 は何 故生 ず るのか 一 」 判例 タイ ムズ第495号s+年7月4◎ 〜4頂 参 照。

(4}加 藤 美穂 子 「中国 の家族 と法{2>」時の 法令第1195号1983年11月37頁 参 照 。

(5)桂 世勲 「 人 口の抑制 と経済政策 」(大 野 静 三 訳)現 代 の エ スプ リ第190 号前掲88頁 参照 。

⑥ 加 藤 美穂子 「 中国 の独 り子政策 」前 掲38頁 参照 。 t7)若 林敬 子 「 前 掲j18頁 参 照。

⑧ 劉 鐸 「中国 の人 口」(北 京 外 交 出版 社 訳)現 代 の エスプ リ前 掲41〜42頁 参照 。

⑨ 加藤 美穂 子 「 中国の独 り子政策 」前掲38頁 参照 。

三 ・ 一人 っ子政 策 と伝 統 的倫理 観 念

前 章 で述 べ た如 く,人 口抑制 政 策 な かん ず く一人 っ子 政 策 に関 連 す る 厳 しい法 令 力噸 次,制 定 ・実 施 されて い ったが,そ の一 方 に お い ては深 刻 な社会 問 題 を惹 起 す る結 果 とな った 。特 に顕 著 なの は,女 児 の溺 死 お よび鹸 の問藪 あ る。 どうせ̲人 しか子供 が持てないな ら湧 児 が ほ

しい とい う切 望 か ら くる もので あ ろ う。 また男 児 が ほ しい あ ま りに,二 人 目,三 人 目 を生 むよ う妻 に強要 し,も し妻 が それ を拒 めば,今 度 は そ の妻 即 ち女児 を生 んだ母親 に対 する虐待 とい う事脇 起 きている.こ

肇34

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中 国 の 一 人 っ子 政 策 をめ ぐる 諸 問題

の場 合,た とえ生 み続 け た と して も,男 児 を生 む こ とが で きな ければ, 離 婚 を強 要 され た り,或 い は親 族 か らの,ま た は社 会 か らの差 別 を受 け

る こ とに もな りかね な いの で あ る。 そ して,は な はだ しきは,女 児 を生 ん だ母親 を 自殺 に追 い や る こ ム しば しばで あ る。 また̲方 にお いて は, 再 婚 者 の場 合 は既 に一 〇人の子 供 が いて も,も う0人 生 む こ とが で き るの

で,仮 装離 婚 や仮 装 養 子 ・縁組 等 の現象 を 引 き起 こさせ た り,或 い はま たs児 の翻.韻 事件 を 醗 轟 せ る姪 って い る 。それか らま た, い くつ か の特権 を有 す る党幹 部 の中 に は,或 い は生 産 責 任 制 で 潤 って い

る農民 の 中 に は,経 済 的制裁 を受 け るのを 覚悟 で,二 人 目 ・三 人 目 と男 児 が生 まれ るまで,妻 に生 み 続 け るよ う強要 す る者 もい る 。 ㈲ これ らの 種 々 の現 象 は,つ い にあ る地方 に おいて は,男 児 ・女 児 の 比率 の不 正 常 現 象 を発生 させ る原 因 と もな ってい る。(7}なお,最 近 開催 され た 上海 市

「 維 護 婦 女 ・児 童合 法権 益 展 覧 会 」 に お いて は,次 の よ うな何 と も笑 え な いエ ピソ ー ドが 紹 介 され て い た 。 ⑧ 即 ち,出 産 直後 の男 児 が死 亡 した とい うことで,そ の親 族 が病 院 に ど な り込 ん で行 き3次 回は必 ず男児 を 生 む とい う保 証 を 病院 側 に強 要 した とか,ま た生 まれ た ば か りの女 児 が 死 亡 した の で,一 家 が病 院 にお礼 に お もむ い た とい う もの で あ る。

か か る女 児 の溺死 お よび遺 棄,そ して 女 児 を生 んだ母 親 へ の虐待 に対 し,国 は法 的制裁 を加 え て その 対処 にあ た って い る。 現行 憲法 第49条 で は 「… …児童 は,国 家の保 護 を 受 け る」「老 人 ・婦 人 お よ び児 童 に対 す る虐待 を禁 止 す る」 と規定 し,ま た現 行 婚姻 法 第15条 で は,「 女 児 を 溺 死 ま たはそ の他 の方法 で殺 す行 為 等 を禁 止 す る」 と規 定 して い る。 そ し

て刑 法 で は第132条 の故意 に よ る殺 人罪 に よ って,死 刑,無 期懲 役 ま た は10年 以上 の有 期 懲 役刑 を も って,そ の 対 処 にあ た って い るが苦 慮 して い るのが 現状 で あ る。

以 上 の よ うな種 々 の深 刻 な社 会 問 題 を惹起 せ しめ た,そ の主 た る背景

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と して,中 屡 の伝 統 的倫理 観 念 が依 然 と して 人 々の 中 に頑 強 な勢 力 を保 って い る,と い う ことが指 摘 され て い る。即 ち,こ こで は,一 人 っ子政 策 が伝 統 的 倫理 観 念 の根 強 い抵 抗 に あ って い るので あ る。 それで は,伝 統 的倫 理観 念 と は一体 なんで あ ろ うか 。 こ こで い うと ころの伝統 的倫 理 観 念 とは,古 くか ら広 く大衆 の中 に あ ってa一 定 の価 値 観 を もった社会 的 な行 動 の規範 の こ と をい う。19}人々 は,あ る行動 は好 いか らそ うす べ きだ と考 え,あ る行動 は悪 い か らそ うすべ きで はな い と考 え る。あ る人 が,社 会 か ら好 い とされて い る規 準 に従 って 行 動 すれ ば,世 論 の肯 定 と 賞 讃 を え られ る し,そ れに反 して行 動 すれ ば批 難 され,時 に は制 裁 を受

けさ え もす る。 あ る社 会 に存 す る倫 理 観念 は,入 々 の行 動 を支 配す る社 会 的 な強制 力で もあ る 。

さて,申 国 の 社 会 に は,人 欝問 題 に関 係 す る伝 統 的 倫 理観 念 が い くつ か あ る。⑩ 例 えば,女 は社会 的 に も家 族 内 に あ って も地位 は抵 く,甥 を生 め ば栄 え,女 を生 めば恥"と かa男 子 を生 まな い こ と は大罪 を犯 す

こ とだ とか い うよ うな 「 重 男 軽 女 」的 な もの,ま た 犠不 孝 に三 有 り,後 な きを以 って大 となす"(後 とは男 子 を指 す)と した よ うな世継 ぎ の後 継 者 に最 重点 を お くよ うな 「 伝 宗 接代 」 的 な もの,さ らに また,子 供 を た くさん生 ん でお いて,老 い て後 に子 供 た ち に頼 り,老 後 の憂 いを解消

しよ うとす る3多 子 多福 」 的 な もの等 が あ る。 これ は即 ち"養 児 防 老"

と も関 連 して い る。

な お,か か る伝 統 的倫 理 観 念 はs旧 中 国 社 会 にお け る小農 経済 と強 く 結 び付 い て い る といわれ る 。 ㈲ 小 農経 済 とは,家 族 を生 産 単 位 と し,肉 体 労 働 を主 と した農 業経 済 で あ る。 この 経 済体 制 に あ って は,多 くの男

の子 を生 む こと に実 質 的 な経 済 懸値 が あ り,労 働 力 の 多少 と強弱 が,家 族 の収 入 と生 活 の良 否 とに密 接 な関係 を もって い る。そ して,労 働 力 が 徐 々に衰 えて い っ た老 人 たち は成 長 した子供 た ちに頼 るので,こ れ を養

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中国 の一 人 っ子 政 策 をめ ぐる諸 問 題

児 防老 と呼 ん で,小 農経 済 の中 で も極 めて重 要 な要 素 とな って い るの で あ る。ま た,旧 中国 社会 で は,父 系 社会 で あ った ため に,女 の子 は成 長 し嫁 に行 って他 の家 の労 働 力 に な るが,男 の 子 は成 長 す る と嫁 を嬰 り, 自分 の家 の労働 力 を増 加 させ る。男 を重 ん じ女 を軽 んず るに も,そ の経 済的 な基 礎 が 存 す るので あ る。

以 上 の よ うな観 点 か ら,一 人 っ子 政策 が伝 統 的倫理 観念 の根 強 い抵 抗 に遭 遇 して い る,と い うこ とを再考 して み るな らば,現 在 の状 況 は次 の よ うに言 い得 るの で はなか ろ うか 。即 ち,い まだ に家 庭 が 生産 単 位 的要 素 を強 く持 ち,農 業生 産 は依 然 と して大 部 分人 力 と手作 業 に頼 って いて,

しか も社会 福利 施 設 は新 しい要求 に追 い つか な い現 状 な の で,個 々 の家 庭 の立場 か らい う と,な お 「 養 児 防老 」 に実 際 的 な必 要性 が まだ まだ存 在 す るの であ る。(12)

(1)「 人 民 日 報 」1983年1月31日 ・同4月7日,「 民 主 与 法 制 」1983年 第 3期28頁 参 照 。

(2)「 人 民 日 報 」1983年2月23日 ・同4月7日 ・同4月12日,「 中 国 法 制 報 」1983年2月11日,「 民 主 与 法 制 」 前 掲28頁 参 照 。

(3)「 人 民 日 報 」1983年6月 ユ6日参 照 。

(4)辻 康 吾 「転 換 期 の 中 国 」 岩 波 新 書1983年8月60頁,「 民 法 与 法 制 」 前 掲 28頁 参 照 。

(5)「 週 刊 朝 日」1983年3月25日172頁 参 照 。

(6)「 中 国 婦 女 」1983年 第12期14頁,辻 康 吾 「前 掲 」59頁 参 照 。

(7)「 文 涯 報 」1983年2月6日 付 に よ る と,例 え ば 湖 北 省 武 漢 市 の 一 地 区 の 最 近 の 調 査 で,ゼ ロ歳 か ら5歳 ま で の 男 女 比 率 は1.54対 ユ で 男 の 子3 人 に 女 の 子 が2人 の 割 合 で あ る こ と が 判 明 し た 。 都 市 で さ え こ の よ う に 既

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に顕 著 な 不 均 衡 状 態 が 出 現 し て お り,農 村 で は こ れ が 一 層 強 ま っ て い る 。 同 じ湖 北 省 の 孝 感 地 区 の 一 農 村 で は,や は りゼ ロ歳 か ら5歳 ま で の 男 女 比 率 が 実 に5.03対 ユ,男 の 子 が 女 の 子 の5倍 以 上 に もな って い る(「読 売 新 聞 」1

1983年2月8日)。 ま た 「人 民1ヨ報 」 同 年4月7日 付 に よ る と,安 徽 省 婦 女 連 合 会 の 調 査 で,安 徽 省 灘 漢 県 お よ び 壊 遠 県 の 近 年 男 女 嬰 児 比 較 が ま と め られ て い るが,や は り農 村 に お け る男 女 差 が 大 き い 。 特 に,懐 遠 県1981 年 公 社 ・大 隊 の 男 女 嬰 児 比 較 表 に よ る と,欄 橋 公 社 で は 出 生 総 人 数104名 に 対 して 男 子 が66名,女 子 が38名 と か な り不 均 衡 を 生 じ て い る 。 (8)「 民 主 与 法 制 」1983年 第9期22〜25頁 参 照 。

(9)費 孝 通 「中 国 の 伝 統 的 倫 理 観 念 と 人 口 問 題 」(杉 山 太 郎 訳)現 代 の エ ス プ リ前 掲99〜 ユ00頁 参 照 。

(10)費 孝 通 「前 掲 」100頁,加 藤 美 穂 子 「中 国 の 独 り子 政 策 」 前 掲39〜40頁 参 照 。

(11)費 孝 通 「前 掲 」101頁 参 照 。 (12)費 孝 通 「前 掲 」103頁 参 照 。

四 ・農 村 経済 の変遷 と伝 統 的倫理 観 念

←)解 放 前 期

解 放 前 の中国 農 村生 産 の特 徴 は,家 族 員 の手労 働 に極 端 に依 存 す る集 約 的経 営 で あ った。(1)そ こで は,人 力 を極 端 に必 要 とす るため に,家 畜 を使 用 して もそれ だ けで は不充 分 で あ った 。 も っと も,家 畜 労働 力 に依 存 で き たの は地主 お よ び一 部 の農 民 に限 られ,一 般 的 には,人 間 の労働 力 は家 畜 の それ に比較 で きな い程,総 体 的 に大 きな役 割 を もって いた 。 ま た そ こ にお い て は,各 個 人 の 自然 的 な姓 ・年齢 ・経験 等 にか な り依 存

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中 国 の 一 人 っ 子政 策 をめ くる諸 問 題

す る労 働 で あ るの で,か か る条 件 が優 位 に保 持 され る男 子年 長者 が 重 要 な役割 を持 って いた 。(2)特に,家 族 員 の 中 で も,子,そ の内 で も男 子 は 家 父 長 が農 家 経営 の第 一線 を 退 い た後 まで も,第 一線 に立 って 経営 を引 き継 ぐとい う点 で,農 民 の欲 す る農家 経 営 の 条件 にか な った もの で あ っ た。 ま た当 時 の社 会 は父 系社 会 で あ った ので,嫁 いで他 家 の労 働 力 に な る女 子 よ り も,嫁 を嬰 り自家 の労働 力 を増加 させて くれ る男子 が 望 まれ た 。韓非 子 は 「 子 を養 うの は,親 の老後 のた め 」 とい っ たが,そ れ は 中 国 の 諺 に言 う 「養 児 防 老 」 とい うこ とで あ り,つ ま り子 は親 に と って 養 老保 険で あ った 。 もっ と も,窮 乏 した 農民 の間 で は,子 を養 うあ て のな い場 合 に,或 い は家産 均 分 に よ る農 家経 営 の零 細化 を恐 れ る場 合 に は, 溺 児 とか溺 女 とか言 わ れ る生 児 殺 生 が行 な わ れ た。そ の 場合,労 働 力評

価 が低 い女 子 は 「女 は養 うだ け損 をす る 」(賠 銭 貨)と 言 われ,生 まれ た そ の場 で殺生 され る率 が高 か った 。 ち なみ に,解 放 前 の 中国 農村 で は 男 女 の人 口比率 は,男 が 多 くて 女 が少 な か った 。r溺 児 」 とよば れ る生 児殺 害 に対 して は,漢 奮 の頃 か ら親 の犯 罪 と して,こ れ を処 罰 した こと が あ った 。 しか し法律 によ る禁 止 や宗教 上 ・道 徳 上 の非 難 をあ び なが ら

も,こ れ らの行 為 はあ とを断 たな か った 。 これ は そ う しなけ れ ば,自 己 の生 命 の維 持 さ え保証 され な い程 の,封 建 社 会 制度 の下 の過 重 な租 税

.賦 役 によ る 農民 の極 度 の 貧 困 に起 因す る もの であ る。 ③ に)土 地 改革 期

新 中国建 国 の 翌年,1950年,婚 姻 法 の公 布 と同時 に実 施 され た土 地 改 革 は,農 家 人 口を基準 に お いて,土 地 と大量 の耕 畜 ・農 具 等 の生 産手 段 を 均分 す る方 法で 行 な われ た 。(4)性別 ・年齢 を 問わ ず,家 庭 成 員 の数 に 按分 した分 配 を実 施 した こ とは,妻 や子 供 も夫 や家 長 と同様 に平 等 に土 地 所 有 者 と して 認 め られ た こ とを 意 味 したが,土 地 証 は,と くに本人 の 願 出 が あ る場合 を除 き,一 般 に は一 戸毎 に,つ ま り家庭 単 位 で発 行 され,

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それ に全 家庭 員名 を列記 して各 人 の取 分 を 明記 す る もので あ った 。つ ま り,こ こに お け る農民 の土地 所 有 は,一 方 に お いて は市 民 的で あ るが, 他 方 にお いて は,一 戸 当 り全 国 平均 約0.8ヘ ク タ ール程 度 の零 細 な独立

自営 農民 の そ れで あ ったので,農 業 生 産 の単位 と して の家 庭 の枠 は事実 上,動 か しよ うが な か ったの で あ る。

封建 的 地主 制 を絶滅 し,家 庭 の 内部 に変 革 の経 済 的基 礎 をす えた とい う点 で,土 地 改 革 の有 す る意 義 は確 か に 大 きい 。 しか し,私 的所 有 に基 礎 をお き,家 庭 が生 産単 位 と して農 業生 産 を営 み,そ して そ こに お いて は,家 長 が生 産 ・経 営 上の 指 揮統 制権 を有 して いる以 上 は,家 父 長 的権 威 は依 然 と して 強 く残 存 せ ざ る をえ な か った 。 ちなみ に,1951年9月 の 政務 院 の 「婚 姻 法 執行 状 況 検査 に関 す る指 示 」 は 「中国 社 会 は長 期 にわ た り封建 主 義 の 支 配 を受 けて き た こ とに よ り,土 地 改革運 動 はす で に経 済の土 台 上 封建 制 度 に対 し根 本 的 な破 壊 を加 え,も し くは加 え つつ あ る のに,封 建 思 想 と封 建制 度 の残 余 は,一 部 分 の 人民 の 中の み な らず ,少 なか らぬ幹 部 中 におい て さ え も深 い影響 を留 めて い る」 と し,各 地 の婦 人 で婚 姻 が 自由意 志 に よ る こ とを えず,家 庭 の虐待 を うけ て 自殺 しま た は殺 され た者 が,1年 間 に 中南 大行 政 区(人 口1億4千 万 人)で1万 余 人,山 東 省 で は1245人 に の ぼ った と述べ て い る。(5)

(三)農 業 協 同化 期

1953年 か ら中 国 は,国 民 経 済発 展 の第1次5ケ 年 計 画 に着 手 す る。

53年 か ら57年 まで の この時期 にお い て は,農 村 にお い て は ,互 助 組 ・初 級農 業生 産 合作 社 ・高級 農 業生 産 合作 社 を順 次 組 織 して農 業 の協 同化 を 進 め,農 業 の社 会主 義 改造 の テ ンポ を早 めて い った。 ㈲ ま ず最初 に,土 地 改 革 で や っとの思 いで土 地 を手 に入 れた 多 くの農 民 はs貧 農 で役 畜 ・ 農 具 お よび技術 に乏 しか った の で,互 いの役 畜 ・農 具 を出 し合 って協 同

して農 作 業 を や る ことか ら始 め た ので あ った 。 これ が互 助 組 で あ る。(7)

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中 国 の 一 人 っ子 政 策 をめ くる 諸 問 題

この段 階 では,家 庭 は依 然 と して生 産単 位 で あ った。次 の段 階,即 ち 初 級 農業 生 産 合 作社 に な ると,各 自の土地 を 協 同組 合 に出 資 し,そ こで は 協 同 して 農作業 を す るだ けで な く,家 長 の 有 して いた経 営 上 の指 揮統 制 権 まで も協 同組 合 に統 一 させて い った ので あった。 そ して 協 同組 合 は, 各 自に労働 に応 じて分 配 を行 な う0方 で,出 資 した土地 に対 して も分 配 を行 なった ので あ った 。従 って,こ こで は土 地 の私 有 制 は否 定 され て い ない の で あ る。第三 の段 階,即 ち高 級 生産 合作 社 に な る と,土 地 に対 す る分 配 も廃 止 され,土 地 も含 め て生 産 手段 は公 有 とな り,合 作 社 の収 入 は,公 共 的 な部 分 を 除 いて,各 自 の労 働 に応 じた分 だ け分 配 され るよ う に な ったの で あ る。 この よ うに して,さ き の土 地 改革 に よ って 封建 的 地 主制 の束縛 か ら基 本 的 に解 放 された 中国 の農 村 家庭 は,続 くこの農業 の 協 同化 の時 期 にお い て,逐 次 そ の生 産 単位 と して の機能 を協 同組 合 に移 し,家 庭員 を労働 に応 じて の分 配 原則 に よ り規 律 され る協 同組 合 によ る 集 団労 働 に組 織 して い った 。 この 時 期 に お いて は,婚 姻 事 件 の約8割 が 離婚 で あ って,依 然 と して 離婚 事 件 の比 率 は高 いが,さ き の土 地 改革期 と比 べ て,親 の押 しつ け等 の 古 い婚姻,即 ち,強 制婚 ・買売 婚 ・請負 婚 等 を理 由 とす る離婚 が 減少 して い る ことが0つ の傾 向で あ ると言 われ て いる。軽率 な離婚 に走 る資本 主義 的風 潮 を いま しめ,概 して家 庭 の安定 化 が 唱導 され たの が,こ の時期 の特色 で もあ ろと され る。(8)

(四)人 民公 社 運 動期

1958年 夏 以 来,全 国 の農 村 で人 民 公社 化運 動 が実施 され た。 人 民公 社 で は,生 産 ・経 営 上 の指揮 統 制権 は家 長か ら人 民公 社 の管 理委 員会 に 移 り,家 庭 か ら生産 単 位 と しての機 能 は次第 に分 離 し,生 産単 位 と して の機 能 も公社 に移 った。⑨ そ して,家 庭員 は社 員 と して公 社 に よる集団 労 働 に参 加 し分 配 を受 け,家 庭 員 の労 働 の独 立化 ・経 済的 独立 化 は保 障 され て い った 。(10}こ の変遷 過程 の 中で,家 庭 は消費 と子 の養育 を 中心 と

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す る集 団 とな るに至 り,ま た一 方,家 父 長的権威 も次第 に弱 体化 して い っ たの であ る。 しか しなが ら,こ のよ うな変化 は一 挙 に は進 行す る もの で な く,こ の場 合,大 きな役 割 を果 した の は,婦 人 の生産 活動 参加 と, そ れ に伴 う家事 労働 の社会 化 で あ った。人 民公 社 は従 来 とは比較 に な ら な い程 の大 規模 な耕 地 拡 大,水 利建 設を 実 施 したが,こ う した中 で婦 人

た ち は種 々 な労働 に進 出 して い ったので あ る。(11)また この他 に も公 社 は , 林 業 ・牧 業 ・漁 業 ・工 業 な どの 多 角経 営 に の り出 し,婦 人 労 働の ため に 新 しい天地 を開 いた の で あ った 。 さ らにま た,公 共 食 堂 ・託 児 所 ・敬老 院 等 を到 る所 につ くり,家 事 労 働 の社 会化 もは か って い っ たので あ る 。 な お以 上 の如 く,生 産 単位 と して の機能 が分 離 し消 費単位 とな った家 庭 が,敬 老 院 ・託 児 所(そ の他 衛 生 医療 施 設)等 の充 実 が あ るとは い って も,依 然 と して 社会 保 障 機能 を代位 す る役 割 か ら完 全 に解 放 され て い な い点 を 見逃 すわ けに は いか な い と も言 われ て い る。

㈲ 中国 経 済 困 難期

1959年 か ら3年 連 続 の 自然 災 害 等 を原 因 とす る経 済困 難 期 を迎 え , 前述 の よ うな農 業 の社会主 義 改造 は,調 整 をせ ま られ るに至 った ので あ

る。(12)そこで は,「 三 自一包 」制 度 が そ の調整 政 策 の一 環 と して実 施 さ れ て い ったので あ る。 ㈱ 即 ち,一 度 は公 社 とい う集 団 の所 有 にあ った耕 地 の6〜7%を 再 び個 々 の農 家 に分 配 し,自 由 に耕 作 させ,そ の生 産物 も個 人 が 自由 に処 分 で き るよ うに した 自留 地 制度,自 留 地 で作 った作 物 や 副業 生産 品 を自由 に売買 す るた め の 自由市場 の設 置,個 々の農 家 に よ る自営企 業 の奨 励 とい う 「 三 自」で あ り,公 社 の一定 の土 地 を生 産隊 あ る いは個 人 に分 配 し,食 糧 その 他 の 作物 の供 出 ノル マを 決 めて請 負 い生 産 させ,ノ ル マを超過 した生 産物 は自由 に処 分 させ た 「 一 包」 の こ とで あ る。 こ の 「 三 自0包 」制度 が 導入 され たお か げで,せ っか くの集 団所 有 ・集 団作 業 ・統一 分 配 とい う社 会主 義 的制 度 は,再 び家 庭 を生 産単 位

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中 国 の 一 人 っ子 政 策 を め ぐる諸 問 題

として農業 生産 を営 む と い うよ うな性 格 を もつ制 度 に もど ったの で あ る。

そ して,61年 頃 に な る と,農 村 で は婦 人 は副 業生 産 や 自留 地 の生 産 に励 む傾 向 とな り,集 団生 産 労働 へ の参加 が 減 少 して い った 。 また働 いて い る婦 人 や 婦人幹 部 に対 す る差 別 や 圧 迫 も少 な くな か った。 働 この ような 状況 を反映 して か,私 有 制 の 社会 が残 して き た封建 的思 想 や,小 農経 済 的傾 向が また 現 出 して きた といわ れ る。X15)しか しなが ら 「三 自一 包 」 制 度 の導 入 の結果,3年 続 きの不作 は克服 され,62〜65年 は第1次5ケ 年 計 画(53〜57年)と な らん で,中 国 農業 が も っと も順 調 な発 展 を示 した 時期 とな ったの で あ る。

(1)浅 井 敦 「東 ア ジ ア ー 中 国 を 中 心 と し て 一 」 騰 座 家 族(1)』 弘 文 堂 1977年5月368頁 参 照 。

(2)仁 井 田 陞 「中 国 法 制 史 」 岩 波 全 書1975年210〜221頁,仁 井 田 陞 「中 国 の 大 家 族 制 度 」 『講 座 家 族(2)』 弘 文 堂1978年6月52〜53頁 に よ る と こ ろ が 大 で あ る 。

(3)浅 井 敦 「前 掲 」369頁 参 照 。 (4)浅 井 敦 「前 掲 」371頁 参 照 。

(5)「 中 央 人 民 政 府 法 令 彙 編1951」35頁(福 島 正 夫 「伝 統 中 国 」 『法 社 会 学 講 座 第9巻 』 岩 波 講 座 ユ973年3月208頁)。

(6)浅 井 敦 「前 掲 」372頁 参 照 。

(7)小 野 和 子 「中 国 の 女 性 史 一 太 平 天 国 か ら現 代 ま で 一 」 『平 凡 選 書1』

1978年11月246頁 参 照 。

(8)全 中 国 に お け る 婚 姻 事 件 お よ び 離 婚 事 件 は,1950〜51年6月993000件,

ユ953年1100000件,1954年 以 降 減 少 し た(福 島 正 夫 「前 掲 」215〜216頁)。

⑨ 幼 方 直 吉 ・古 島 琴 子 「中 国 の 社 会 主 義 家 族 」 『家 族 ・政 策 と 法 』 東 京 大

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学 出 版 会1976年6月235〜236頁 参 照 。 (10)浅 井 敦 「前 掲 」373〜374頁 参 照 。 (11)小 野 和 子 「前 掲 」249〜250頁 参 照 。

(12「 中 国 統 計 年 鑑 」(83年 度 版)で,ユ960年 前 後 の い わ ゆ る3年 間 の 自 然 災 害 期 に,人 口 が1348万 人 も 減 少 し て い た 事 実 が 判 明 した 。 新 中 国 建 国 以 来,毎 年1000万 人 以 上 も増 え 続 け て き た 人 口 は,59年 に6億7207万 人 に 達 し た が,翌60年 は,1000万 人 も 減 少 し て6億6207万 人 に,61年 は さ

ら に350万 人 近 く減 り,6億5859万 人 と な っ た(「 読 売 新 聞 」1983年11月 25日)。

(13}野 上 正 「現 代 中 国 の 研 究 」 日 本 評 論 社1981年68頁 参 照 。 (14)幼 方 ・古 島 「前 掲 」249頁 参 照 。

(15)連 続 自 然 災 害 の 時 期,地 主 ・富 裕 農 家 は 封 建 的 宗 族 観 念 を 利 用 し て 彼 ら の 封 建 的 家 族 支 配 を 回 復 し,あ る地 方 で は 大 規 模 に家 譜 を 重 修 した り ,ま た こ の 時 期,売 買 婚 ・童 養 児 の 復 活 も あ っ た と い わ れ る(福 島 正 夫 「前 掲 」

216頁)。

五 ・生産 責 任 制導 入 と一 人 っ子政 策

1966年 か らその後10年 間,文 化大 革 命 ・4人 組 時 代 を 迎 え る ことに な った 。 この 時期 の 初期 にお いて は,毛 沢 東 思想 家庭 学 習 班 が組 織 さ れ , 家庭 か ら封建 的思 想 や習 慣 を払拭 す る努 力 が な され た り,(1}ま た批林 批 孔運 動 が展 開 され,重 男 軽女 的な思 想 が攻 撃 され た り した 。 ② そ の結 果, 部 分 的 で は あるが,農 村 の なか に残 存 す る結 納 の 習慣 や,男 子 が生 まれ

るまで 何 年 で も生 み続 け る とい う習 慣が 改 め られ,ま た一 一方 では人 口抑 制 も著 しく普 及 した と もいわ れ る。

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中 国 の 一 人 っ子 政 策 をめ ぐる諸 問 題

しか しなが ら,か か る文化 大革 命 は,「 指 導 者 が間 違 って 引き起 こ し, それ が反革 命 集 団 に よ って利 用 され,党 と国 民 と各 民族 人民 に大 きな災 難 を もた ら した 内乱 」(81年6月r建 国以 来 の党 の若 干 の歴 史 的 問題 に つ いて の決議 』)で あ るとい わ れ,中 国 社会 に大 きな傷 跡 を 残 した。社 会 主義 農 業経 済体制 も,そ の例 外 で は なか った。例 えば,4人 組 時代 の 食 糧 生 産重 点 主 義 によ り,即 ち各地方 の 自然 条件 を無視 して食糧 の単 一 耕 作 を強化 し,経 済作 物耕 作 を圧 迫 した ことに よ り,公 社 の大幅 な収 入 減 を招 い た り,ま た牧 畜地 帯 で は草 地 を畑 にか え させ,林 業 地帯 で は木 々を切 り段 々畑 を つ くらせ食糧 生 産 を奨 励 した ため,林 業 ・牧 畜業 の大 き な破 壊 を もた らしたので あ る。(3)78年 末 の第11期3中 総 会 のr農 業 の 発 展 を早 め る若 干 の問題 に 関 す る決 定(草 案)』 に お い て は,農 業 の現

状 につ い て 「我 が 国農 業の 現状 か ら見 て農 村 の生 産 力水 準 は極 め て低 く, 農 民 の生 活 は大 変苦 し く,拡 大再 生産 の能 力 は大 変 弱 く,社 会主 義 農 業 経 済 の優 越 性 が 発 揮 され る には 尚 ほ ど遠 い 」 と述 べ られ て い る。(4)ちな み に,78年 の全 国 の 人 口1人 当 りの食糧 水 準 は57年 当 時 に とど ま り,農 業 人 口1人 当 りの平均 年収 は70元 余 りにす ぎず しか もそ の4分 の1の 公 社 員 は50元 以 下 で,生 産 大 隊1個 当 りの平 均 集 団蓄積 は1万 元 に も達 し なか っ た(79年9月 第11期4中 総 会 のr同 決定 』)。

以 上 の よ うな農 村 の現状 評 価 に従 って,3中 総 会 は,特 に 「農 ・林 ・ 牧 ・副 ・漁 業 を 同時 に発展 させ る方針 お よび食 糧 を綱 と し全面 的 に発 展

させ,そ の土 地 の実 情 に合 わ せ,適 度 の集 中 を はか る方 針 」,こ れ が 農 業 経済 の急 速 な発展 お よび 全国 人 民の 生活水 準 の 向上 の条件 で あ ると し た 。そ して今 後 の政 策 的措 置 と して,(1)労 働 の量 と質 に応 じた報酬 計算 を 実施 す る こ と,② 自留地 ・家庭 副業 ・自由市 場 の容 認 な どの点 が提 起 され た 。そ こで は特 に,"労 働 に応 じた分 配"な か んつ くu労 働 の質 と 量 に応 じて 報酬 計 算 を行 な って平 均主義 を克 服 す る"問 題 が重 視 され て,

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「同決 定(草 案)」 で は さ ら に これ を うけて 「作 業班 に仕 事 を請 負 せ, 生 産量 とむす びつ けて 報酬 を計 算 し,超 産 奨励 す る こ と も可能 で あ る 」

と述 べて い る。 その後,か か る生産 責 任 制 は,そ れ の適用 され る範 囲 が 作 業 班請 負(包 産 到組)ま で に とどめ るべ き なのか,各 家 庭 毎 の生 産 任 務 の請 負(包 産 到 戸)に まで拡 げ る もの か と い うことで 問題 とな った 。 当初,78年 末 の 「同決 定(草 案)」 に お い て は包 産 到組 は 公認 し,包 産 到戸 につ いて は否 定 的 で あ っ たが,79年9月 の第11期4中 総 会 の段 階で は,山 岳 地帯 の孤立 した 農家 な ど集 団労働 に適 しな い地 域 につ いて のみ, これ を容認 しやや緩 和 され て い る。 しか し80年 に入 る と,4中 総会 で例 外 的 に認 め られ た包産 到 戸 は,農 民 の要 求 によ り拡 が りを見 せる に至 り, 同年9月27日 の 「農業 生 産責 任 制 をさ らに一 歩 強化 し,改 善 す る ことに

つ いて の い くつ かの 間 題 」(75号 文 件)は,包 産 到戸 を公 認 した ので あ った 。 この段 階で もな お集 団化 の崩 壊 を食 い止 め る方 向 で,作 業 班請 負, 労 働点 数 を残 す請 負 い等 各種 の試 みが な され たが,農 民 はや は り伝 統 的

な家 族 単 位 の耕 作 を強 力 に要 求 し,81年 か らは平 野 ・大 都 市 近郊 に も拡 大 してい った。(6)なお,包 産 到戸 は81年6月 に ピー クに達 した後,急 速 に減少 し包幹 到 戸 に移行 して い った。(7)83年5月 現 在 で,各 戸 別 請負 制 を実 施 した生 産 隊 は全 生産隊 の93%に も達 して い る。(8)

以 上 の如 く,農 業生 産責 任 制 の 導 入や 自留地 の許容,自 由市場 の設 置 等 に よ り,農 業 生 産 は著 し く伸 び収 入 も大 幅 に増加 した 。国 家統 計局 の 調査 によ ると,78年 か ら82年 の4年 間 に,農 民1人 当 り の純 収 入 は,

133元5角7分 か ら270元1角1分 に倍 増 したの で あ る。(9)

さて,中 国 の農 村 の経 済 技 術 は 依然 と して立 ち遅 れ,多 くの仕事 は簡 単 な手 労働 なの で,各 家庭 が労 働 力 を 養成 す る費 用 は少 な くてす む とい うこ とに よ り,子 供 を た くさん生 ん で も,負 担 は別 段 余 り重 くな らない

⑩ ま して や収 入 が 倍増 したか らには

,子 供 をた くさん生 ん で の であ る。

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中 国 の 一 人 っ 子 政 策 を め く'る諸 問 題

労 働 力 を拡 大 す れ ば,そ れ だ け農 業生 産 の 伸 び も,大 いに期 待 で き るわ けで あ る。 なか に は,罰 金 を払 って で も二,三 人 と生 む 富裕 農家 も少な

⑪ 子 供 を た くさん ほ しが らせ る理 由 は ,そ か らず現 われてきたといわれ る。

の他 に もあげ られ る。前述の ような各 戸別 請 負 制 導入 に よ り,そ れ までの集 団所 有 ・集 団作 業 ・統 一 分 配 と い う社会 主 義 的制 度 は,再 び家庭を生産 単 位 と して農業 生 産 を営む という経済体制 となった。かか る体制 に おい て は, 統一'1'己 分が困難 とな り,自 然,集 団的社会保 障の弱 体化 を招 き,働 く能 力 を

失 った公社 員(「 五保 」 を除 く)の 老後の保 障 という問 題を 引き起 こす 結果 と なったのであ る。そ こで も し子供 が 多 けれ ば,父 母 の 老 後 を 養 う生 活 費 は, 何 人 かの子供 で 分 担 で き る とい うわ けで,多 子 を望 む傾 向 は大 で あ る。

以上 の よ うな理 由 で,農 村 家庭 で は,よ り多 くの子 供 を欲 しが って い る が,そ の 中で も特 に男 子 を多 く望 ん で い るの で あ る。 とい うの は,中 国 の農 業技 術 はま だ まだ 立 ち遅 れ,主 た る農 作 業 は体 力 に頼 って い る状態 で,男 子 労働 力 の体 力 は一 般 的 に女 子労 働 力 の体 力 よ り強 い ので,男 子 を生 めば 女 子 を生 む よ り経 済 上 の利 益 が大 で あ るか らで あ る。(131

この よ うに見 て くると,多 子 多福 的 な,ま た男 子 重視 的な伝 統 的倫 理 観念 の 復 活 さえ 感 じさせ る。事実,こ の 時期 にお いて,特 に農村 に お い て は,封 建 的婚 姻 制度 的 な請負 婚 ・強制 婚 ・売 買婚,さ らに は子女 の虐 待,婦 女 の 合法 的権益 の軽視 等 が再 び拾 頭 して きて,封 建 的倫 理 ・夫 権 思 想 ・家 父長 制 の風 潮 が 依然 と して厳 重 で あ る とい うことが指 摘 され て い る。 個 その背 景 と して は,文 革 ・4人 組時代 が人 々の 社 会主 義 思想 を 撹 乱 し,既 に少 な か らず 排除 され た と思 わ れて き た封建 的残 津 を機 を 乗 じて 再 び蔓延 させ るに至 っ た とい うことで もあ るだ ろ う し,ま た各戸 請 負 制 導 入 に よ り,再 び家庭 を生 産 単位 と して農業 生 産 を営 む とい う経 済 体 制 とな り,こ れ に生 産 力 水 準が 大変 低 い こと,農 業技 術 が 立 ち遅 れて い る こ と も手 伝 って,前 述 の よ う な伝統 的倫理 観 念 を復 活 させ やす く,

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ま た 温 床 の 如 き の 条 件 を与 え る こと に な っ て しま っ た こ と も明 記 さ れ ね ば な らな い で あ ろ う。

こ の よ う な 農 村 家 庭 に お け る 変 化 は,具 体 的 に は,人 口 増 加 率 の 上 昇 と な って 現 わ れ て き たの で あ る 。 即 ち,78年 以 降 の 人 口 自 然 増 加 率 は, 必 ず し も計 画 通 り に減 少 した わ けで は な く,79年 に は 計 画 出産 の 効 果 が 現 わ れ て1.7%に 低 下 した が,80年 に は 上 昇 の 兆 しが 現 わ れ て ユ.2°oと な り,81年 も1.455%と 上 昇 傾 向 を 増 す に 至 って い るの で あ る。(15)これ は特 に,出 生 率 の増 加 に よ る もの で 。79年 に1.79%で あ っ た も の が, 81年 に は2.09%も の 上 昇 と な って い る 。(16)こう した 農 業 生 産 責 任 制 の 導 入 に よ る,人 口増 加 率 の 上 昇 は,政 府 の 計 画 出 産 活 動 に も大 き な 影 響 を 及 ぼ して い る 。即 ち,80年 段 階 で は,各 年 の 人 口 自然 増 加 率 の 目標 は, 80年 は1%,81年 は0.8%,85年 は0.5°oで あ った の が,82年 段 階 で は, 今 後 の 年 間 人 口 自 然 増 加 率 は1.3%以 下 とす る と ま で 変 更 を余 儀 な く さ

れ,少 数 民 族 に も計 画 出 産 を 実行 す る よ う要 求 す る に 至 って い る 。

(1)福 島 正 夫 「中 国 お よ び 朝 鮮 に お け る 家 族 観 」 『講 座 家 族(8}』 弘 文 堂1974 年9月389頁,幼 方 ・古 島 「前 掲 」239頁 参 照 。

(2)小 野 和 子 「前 掲 」260頁 参 照 。 (3)野 上 正 「前 掲 」75〜76頁 参 照 。

(4)藤 村 俊 郎 「調 整 期 の 農 業 政 策 と"包 産 到 戸"問 題 」 中 国 研 究 月 報 総405 号1981年11月30〜37頁 参 照 。

⑤ 包 産 と は 年 間 の 生 産 量 を 請 負 う と い う こ と 。 一 定 の 耕 地 で0定 の 生 産 量 を 請 負 い,そ の 生 産 量 に う い て 労 働 点 数 を 決 め て お き,そ の 生 産 量 に 見 合 っ た 労 働 点 数 を くれ る わ け で,日 々 記 帳 す る 必 要 は な く,一 定 量 の 生 産 量 を 納 あ れ ば そ れ 以 上 生 産 した 部 分 は 自分 の もの に な る と い う制 度 に な っ て

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中 国 の 一 入 っ子 政 策 をめ ぐる諸 問題

い る。作 業班が 請負 う場 合 は 「 包 産 到組」,農 家 が 請 負 う場合 は 「 包産到 戸 」 とい う(浜 勝彦 「中国 にお け る家族 経営 農業 の再 登場 について」 中国

研究 月報総425号15頁)。

(6)辻 康 吾r前 掲 」65〜66頁 参 照 。

(7)浜 勝彦 「 前 掲 」15頁 参 照 。な お包幹 とは経 営 その ものを請負 うこと。生 産隊が 農家 に耕 地 を配 分 す る場合 に,国 へ の税金 と生産隊 の公 共蓄積金 と 公益金 を決め てお いて,農 家 が これ を納 め る制 度 で,金 額 あ るいは物 で,

1年 のは じま る前 に契約 を結 び,国 家 に納 め る部分 をい くら,生 産 隊 に納 め る部分 を い く らと決 め,残 りは全部 自分の もの とな る。

(8)「 北 京周 報」1983年9月6日 参 照 。 (9)「 人民 臼報」1983年5月2日 参 照 。

!n1桂 世勲 「 前 掲 」85頁 参 照

(11)「 公明新 聞」1983年9月11日 付 によ る と,特 に生産 責任 制導 入 で潤 って てい る福州 や広 州 これ らの地域 では,二 人 っ子,三 人 っ子 とい う言葉 が当 然 のよ うにか わ され て いる といわれ る。

{12)五 保 とは3中 国の農 村で,身 よ りのな い或 いは労 働能 力を失 った老人 に 対 して,人 民公 社 ・生産 大隊 ・生産 隊が め ん ど うを 見る他 に提供 す る食糧

・衣服 ・住戸 ・医療 ・葬 儀 の5つ の服務 の こと。 この対象 と して 指 定 され た家庭 を五保戸 とい う。

㈱ 桂世勲 「 前 掲 」86頁 参 照 。

⑭ 拙著 「中国 の新 婚姻 法を め ぐる諸問題 」 創 大 ア ジア研究 第3号 ユ982年 3月248頁 参照 。

㈱ 廣瀬一 「 経 済問題 か らみ た人 口政 策」 問題 と研究 前掲29頁 参照 。なお人 口 自然 増 加 率 の原 因 と して は そ の他 に(イ 噺 婚 姻 法 の婚 姻 年 齢 規 定 が 各地 の 既存 の計画 出産 規定 の年齢 よ り5〜8歳 引 き下 げた こと,(ロ)過去2回 の出 産 ピーク(195◎,60年 代)に 生 まれた世 代 がsち ょうど現在 の80年 代 に

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(27)

結 婚 ・出 産 期 を 迎 え た こ と,が あ げ ら れ て い る 。 (16)「 北 京 周 報 」1983年3月29日 参 照 。

六 ・む す び と展 望

前 述 の如 く,農 村 にお ける生 産責 任制 の 導 入 は,一 人 っ子政策 に対 し て は出生 率 の増 大等,却 って大 きな 障害 とな って しま った 。 この新 たな

る問 題 に対 して は,ま ず二 重 請 負制 を採 用 しそれ に 対 処 しよ う と して い る。 即 ち,農 家 が 生 産 隊 と生 産 高 の請 負 契 約 を 結 ぶ 際 に,同 時 に計 画 出産 一 と くにn人 っ子"一 につい て も契 約 を 結 ぶ ので あ る 。そ して 計 画 出 産 の契 約 を結 んだ 農 家 に は,契 約 の規 定 に よ り報奨 金 と種 々 の優 遇 措 置 一 例 えば 一人 っ子 には2倍 の耕 地 が 与 え られ る とかω 一 が と られ るが,履 行 しなか った場 合 に は,契 約 の規 定 に よ り罰 一 例 え

ば生 産請負 地 を減 され た り 一 せ られ る。② さ らに ま た,計 画 出産 の義 務 を拒 否す る農 家 とは生 産 請負 契 約 を結 ば な い,と い うか な り厳 しい も

ので あ る。 また も う一 つ の 問題,即 ち,各 戸 別請 負 制 と なるに つ れて, 集 団 の統 一 計画 ・統 一 分 配が 困難 とな り集 団的社 会 保 障 機能 が弱 体 化す

る問題 に対 して は,い か なる措 置が 講 じられ て い るだ ろ うか 。各戸 別 に 農 業 生産 を営 む とい う風 潮 の中 で も,何 とか公 益金 や社 隊 企業 の利潤 を 資金 源 と して,養 老年 金 制 度 を採 用 して い る。年金 額 は公 社員 の年 齢 や 勤労 年 数 に よ って決 まるが,一 般 的 に は,満65歳 の男 子 公 社員 ・60歳の 女子 公 社 員 で は毎 月10〜15元,最 高 で30元 を受給 す る こ とがで き る。最 近 の統 計 で は,北 京 ・上 海 ・天 津 等 の13省 ・市 の6609の 生 産 大 隊 で,

537000人 の 老 年 公社 員 が 年金 を受 給 して い る といわれ る。(3)しか しな が ら,年 金額 や 受 給者 数 か ら して,問 題 解 決 に は依 然 と して 隔 た りが 大

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(28)

Qの 一 人 っ子 政 策 を め ぐ る諸 閥題

で あ る ことを指摘 せ ざ るをえ な い 。

さて 次 に,今 日の 中 国 において も依 然 と して根 強 い男 子 労働 力 偏重 ・女 子労働 力軽 視 しが ち な風 潮 に関 して は,ど うで あろ うか 。 この 点 につ い て は,現 在,農 村 にお いて興 味 深 い 状 況 が 形 成 され つつ あ る。 即 ちf 今 日,農 村 にお い て,農 業 生 産 の専 業化 を 実施 す る専 業 世帯 が新 た に

出現 して い るので あ る。 これ は,79年 の4中 総 会 の 「 決 定 」が 明 らか に した 「 土 地 の実情 に合 わ せ,適 当 な集 中 を はか る」 「地 域 化 ・専 業 化 」 の方 針 に基 づ くもの で あ る 。(4)この専 業 世帯 に は次 の二 つ の形 態 が あ る。

一 一っ は ,生 産隊 が あ る専 業 項 目を農 家 に請 負 せ,生 産 手 段 は生 産隊 が提 供 し,利 益 は生 産 隊 と講 負者 で 配 分 す る。 も う一 つ は,農 家 の副 業 が そ

の ま ま専 業化 した もので あ る。 この種 の専 業世帯 は,集 団 あ るい は国営 企 業 と契約 を 結 び,独 立経 営 し自 ら損 益 の責 任 を負 い,利 益配 分 で は集 団 と は関係 はな く,た だ 一定 の金 額(蓄 積)を 生 産隊 に納 め るだ け で あ

る。 ⑤ 特 に 土 地 の実状 に合 った農 業生 産 の専 業化 はs次 のよ うな利 点 を も って い る。(6)(1)生産 の経 験 を蓄 積 し,技 術 を研 鑛 し生産 性 を高 め る こ とがで き る,② 農産 物 の生 産 ・保 管 ・加 工 ・運輸 な どを連係 し,農 業 と 工 業 の結 合 を促 進 す る。 ち なみ に最 近 の統 計 に よれ ば,全 国 の各種 専業 世 帯 はそ の増 加 率 は著 し く,農 家総 数 の9.4°oを 占め1564万 戸 に 達 し,

そ の 内 と くに増 え た の はfR1業 ・運輸 業 ・サ ー ビス業(専 業 世 帯 の13%), 加 工 業 に従 事 す る世 帯(専 業 世 帯 の11°o)で あ った。(7)そ してそ の③ と

して,農 副産 物 加 工 を 基礎 と した社 隊企 業 を 発展 させ るに有 利 で あ ると い う ことで あ る。現 在,農 村 労 働 力 の10%に あた る3000万 人 が,社 隊 企 業 に従 事 して い る とい わ れ る。{g}さ らに また,こ のよ うな農 業 生産 の 専業 化 に よ る商 品 生 産 の発 展 や,農 副 産物 加 工 を基 礎 と した社 隊 企業 の 発 展 に伴 いsそ れ らの生 産 物 の集 散地 ま た工業製 品 の農村 へ の販 売拠 点 と して のa小 規 模 な町 の発 展 の必 要 性 を惹 起 せ しめ る に至 ってい るの で

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あ る 。そ して この町 は,農 村 にお け る経 済 の 中心 ばか りで な く ,政 治 ・ 文化 ・サ ー ビス部 門 の中心 と もな り,ま た農村 の余 剰 労働 力 の主 要 な受

け入 れ先 と もな って い る。⑨

か よ うな農村 にお け る変化 は,女 子労 働 力 の再 評 価 を もた らしは しな いで あろ うか。専業 化傾 向 の 中 で の ,副 業 ・商 業 ・サ ー ビス業 ・加工 業 の増 加 は女 子 労働 力 を ます ます必要 とす るにちが い な い と思 わ れ るので あ る。

(1)「 耕 地 請 負 方 法 を 改 善 して 計 画 出 産 を 推 進 」 現 代 の エ ス プ リ前 掲116頁 参 照 。

(2)「 北 京 周 報 」1983年2月15日 参 照 。 (3)「 人 民 日 報 」1983年8月19日 参 照 。

(4)菅 沼 正 久 「中 国 農 業 の 現 代 化 に 関 す る 考 察(IV)」 中 国 研 究 月 報 総389 号1980年7月39頁 参 照 。

(5)「 北 京 周 報 」1982年9月7日 参 照 。

㈲ 菅 沼 正 久 「前 掲 」41頁 参 照 。

(7)「 人 民 日 報 」1983年8月10日 参 照 。 (8}「 北 京 周 報 」 ユ∈B3年3月29日 参 照 。 (9)「 北 京 周 報 」1983年5月31日 参 照 。

(1983年 ユ2月26日 脱 稿)

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