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デ ィ ス カ ッ シ ョ ン

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Academic year: 2021

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(1)

特集○モンゴルーシャマニズムの世界から ディスカッション

松枝︵司会︶どうもありがとうございまし

た︒皆さんから質問やご意見などを伺いたい

と思います.

参会者最初に松枝先生に伺います︒シャマ

ンの三つの型のうち︑世襲型を説明されて︑

その世襲型の中に日本の天皇も含まれるので

はないかという指摘があったと思います︒日

本では大嘗祭が天皇の引き継ぐ最大の儀式で

す︒大嘗祭の中で何が行なわれているか一般

には分かりませんが︑まさにシャマニズム的

な行事が行なわれているのであろうと︒よっ

て︑日本民族は︑北方民族あるいは騎馬民族

の影響を受けた天皇が大嘗祭において何かを

引き継いでいるのではないかという点︑いか

がでしょうか︒

松枝外からは分からないので︑お答えでき る点は当然少ないわけですが︑大政奉還以前 にはある程度知られていることがありました︒ 例えば大嘗祭に関する本居宣長の記述や︑そ の前後の何人かの証言が残っています︒天皇 家の統括する自然界は︑農事︑農耕に関わる ことですし︑公でやっている儀礼も農耕的な もので︑そうした儀礼がいくつか迂回をして きました︒有名な騎馬民族説がありますが︑ どういう人間が日本にやって来たかはともか く︑天皇家もしくはその周辺にある日本風の スタイルをもっているシャマニズムは︑大体 が農業的な︑極めて儀礼的なものが多くて︑ 実際に懸依したり脱魂したりしているとは思 えないですね︒ただ︑それをある種︑形式化 しているにしても︑儀礼として行なっている

らしい︒これはおそらく代々の先祖の霊を肉 体的に引きつけるようなものらしいと昔の人 が推測していますので︑たぶん今でもそうな のかなと思っているくらいです︒朝鮮半島の いくつかの儀礼に類似したものがなきにしも あらずなので︑一度でも中を見せてくれたら と思いますが︑今はこれぐらいにしておいた ほうが無難だと思います︒ 参二至言確かに中が分からないので断定はで きないですが︑今日シャマニズムのお話を伺 うと︑こういう影響を受けていたのではなか ろうかという感を強くしたわけです︒

次に︑ゲレルト先生に伺います︒先生はい

ろいろな文章をお挙げになって︑チンギス・

ハーンはヨーロッパまで攻め込んで行ったと

言われましたが︑初期においては︑モンゴル

文字はまだできていなかった︒それがチンギ

I02

(2)

ス・ハーンの後半にウイグル文字を中心にし

ながら︑モンゴル文字をつくっていった︒耶

律楚材という方が出てきましたが︑この方は

中国語のベテランで︑側近であった︒そうい

う側近の人の中国文字からではなくて︑ウィ

グル文字からモンゴル文字をつくっていった

と思っています︒現在使われているモンゴル

文字は︑この頃ウイグル文字からつくられた

ものがいまだに使われているのでしょうか︒

それとも相当変化した文字でしょうか︒

ゲレルト一般的にはチンギス・ハーンあた

りで︑モンゴル人はウイグルから文字を借り

たと言われていますが︑納得させるほどの証

拠はありません︒現在︑モンゴル文字はチン

ギス・ハーン時代ではなくて︑もっと前から

使われていたのではなかろうかという推測も

あります︒

ウイグル式モンゴル文字は︑モンゴル国で

は公式に使われていませんが︑内モンゴル自

治区では昔から使われてきました︒

参会者現在︑モンゴル文字は︑ウィグル文

字から発展した形で︑漢字とは別な文字とし

て使われているのですね︒

ゲレルトそうですね︒文字そのものが漢字 と全く関係ありません︒ウイグルから借りた と言われている文字にいくつかの子音をつけ 加えた文字が︑現在︑内モンゴル自治区で使 われているのです︒ 参会者どなたでも結構ですが︑青森県の恐 山で︑七月二○日にイタコという女性があら われますが︑これはシャマニズムと関係があ るものかどうか︒もう一つは︑シャマニズム を引き継ぐというか︑シャマンになるのは女 性なのか男性なのか︒それは偏っているのか 偏っていないのか︑という質問です︒ 西村イタコについてですが︑その前に私が 常日頃から思っている問題を一つ︒

預言者や霊媒者などを︑何でもかんでもシ

ャマニズム的という言葉でまとめる傾向があ

りますが︑シャマンがいなかったりする場合

もあるわけです︒イタコがそうだというので

はありませんが︑普通の民間信仰的な︑例え

ば日常的に何かをする行為︑それがシャマニ

ズム的行為なのか︑というところは気をつけ

ないといけないと思います︒本来的にシャマ

ンが行為しなければシャマニズム的ではない

のですが︑まとめてしまう傾向があります︒

昔はどこの民族にもシャマニズムがあったと 言いますが︑ではどんなシャマンがいたのか という問題は全く解決されないまま︑そのシ ャマンは一体何者なのか︑何をするのか︑ど のようなことをするのかという部分は未解決 のまま︑シャマニズムという言葉だけが一人 で歩いていっているのではないかというおそ れがあります︒

そこを踏まえた上でイタコの話をします︒

恐山のイタコには︑イタコさんとカミさんと

いう二種類の人がいます︒イタコさんの方は

死者の霊を呼ぶ方で︑カミさんの方は神様を

呼ぶという点において︑非常に輻韓的です︒

例えばモンゴルのシャマンは神様は呼べま

せん︒オンゴットという精霊だけです︒モン

ゴルに限定して︑オンゴットという精霊とは

何かというと︑私の行ったダルハドでは死ん

だシャマンの霊の場合があります︒死んだシ

ャマンの霊が長い時代を経てその土地の守り

神になったりする︒守り神といっても︑彼ら

の頭の中では祖先として扱われている︑そう

いったものしか呼べないのです︒

ところが︑イタコさんの中には非常に特殊

な方もいて︑カミさんとして仏さまや水神さ

ま︑龍神さまを呼ぶことができる︒車力村の

Iα3−一一一

(3)

工藤タキさんは両方できるというので非常に

有名な方ですが︑この方は明らかにシャマン

と言っていいと思います︒先ほど私が言った

﹁変性意識下における極度の集中状態におい

て超自然的な存在と交流を直接に交わすこと

のできる職能者﹂という点において︑この方

は立派なシャマンだと思います︒

男か女かという点は︑日本ではどうも女性

の方が多いような印象を受けます︒沖縄のユ

タとかカムヵヵリャは女性が大変多いです︒

これは社会問題と非常に密接に関わっている

ようで︑社会的な弱者の中から︑周縁の方に

押しやられてしまってつらい生活をおくって

いる人たちがいる︑その人たちが社会の中で

存在場所を得るために職能を得る︒これは一

つの解釈ですが︑そういうことがあるとも考

えられますから︑特に女性の側から出やすい

という傾向はあるかもしれません︒

モンゴルの場合は︑女性に限られていませ

ん︒男性でも女性でもなりますし︑なおかつ

︵先ほど押されて寄せられた弱い立場の人た

ちと言いましたが︶︑モンゴルの男のシャマ

ンたちはすごく力の強いパワフルな人が少な

くないので︑一概に言いにくいと思います︒ 参会者どうもありがとうございました︒私 は以上で終わります︒ ﹃裂云では︑どなたかいかがでしょうか︒ 参会者きょうはとても勉強になりました︒ まず︑松枝先生に質問です︒レジュメに﹁こ の龍城という場で︑シャマンは神々の住む ﹁上界﹂︑人間の住む﹁中界﹂︑冥界の王の住 む﹁下界﹂とを交通し﹂と書いてあります︒ これについて質問をしたいと思います︒三つ の界層に分けてありますが︑今︑私が確認で きていないのは下界のことです︒昔から世界 観として下界があったのは間違いないと思い ますが︑この下界の内容をどう考えていたの かが分からないのです︒そして︑中界には人 間が住むと言いますが︑はたして人間だけな のかというのが私の今の考えです︒

ゲレルトさんの報告で︑三つの世界に分け

たところでも︑同じく地上は人間界と言って

いますが︑モンゴルでは昔から自分の家の中

にオンゴットをもっていました︒そこに住ん

でいる霊たちはどこの界なのか︒ゲレルトさ

んは︑チンギス・ハーンの世界観で地下のと

ころに入れていましたが︑その時にエルリク

という概念があったのか︒エルリクはどうい う内容があったのか︒エルリクが登場したの はいつなのか︒一番ありがたいと思ったのは︑ 西村さんの見える世界と見えない世界という 分け方で︑すごく助かりました︒私も地上界 を人間界と言って︑地上に存在すると言って︑ よく人に誤解されていましたが︑今日は︑あ あそうだと︒見えないところと見えるところ ということがとても勉強になりました︒どう もありがとうございました︒ 松枝最初に私からお答えしますが︑レジュ メに引用したのは﹁史記﹂や﹁漢書﹂に書か れている甸奴の世界観の話です︒中国はいろ いろな形で情報を得ています︒例えば長く旬

ちようけん

奴に捕まっていた張審とか︑いろいろな人が

いて︑かなり正確な情報を取っている︒それ

で中国の資料では人間のいるところを中界︑

神のいるところを上界︑死者のいるところを

下界という書き方をしている︑という紹介と

してここに載せました︒

ただ︑私個人は自分のフィールドのことは

全く言いませんでした︒パキスタンなど遥か

離れたところなので言わなかったのですが︑

私の個人的な感覚はむしろ西村さんの意見と

近くて︑人間が触れ得る世界と人間が触れ得

I W

(4)

ない世界︑人間の五感ではとらえきれない世

界とのつながりだと思います︒だから︑上か

ら悪いものが来ることもあるし︑下からいい

ものが来ることもあります︒例えば︑これも

遥か彼方の別の世界ですが︑蛇を神の使いだ

と見るところが随分あります︒蛇は大体下降

してきます︒アメリカインディアンの一部で

は︑上から雷が地上に降りてくるのを︑蛇が

やってきたと言います︒地上にいる蛇が穴の

中にスルスルッと入ると︑ふるさとに帰って

いったとか︑どこかでつながってグルグル回

っているようです︒だから私個人は︑見える

ものと見えないものでもいいのですが︑上と

か下とかいうより︑極めてスパイラルな︑ら

せん的な形でグルグルとうねっているような︑

そういうイメージをもっています︒

イスラムの場合︑もちろんシャマニスティ

ックな世界があると言えるのですが︑それを

聞いてもだれも返事をしてくれないし︑言う

とやぱいので⁝⁝︒ただ︑イスラムの儀礼を

やっている最中にトランス状態になって走り

出す人はいます︒棒を持って走り出してパシ

ンと叩く︑そういう人はたくさんいますが︑

その話は上とか下とかとは違う世界だという 感じがします︒ ゲレルトエルリクについて︑これは言語の 問題になってしまいますが︑この言葉は九世 紀頃もテュルク語文献にはあらわれます︒当 然︑地下界の悪魔たちの一番上のものとして あらわれます︒

地上界には人間だけが存在するのかという

点ですが︑もちろん動物も存在するし︑草木

も存在します︒この問題を考える場合︑現在

のシャマニズムと文献に確認できるシャマニ

ズを︑はっきり分けないといけないと思いま

す︒モンゴルのシャマニズムも変わっている

からです︒現在のシャマニズムをもって昔の

シャマニズムを見ると︑いろいろ問題が起き

ます︒注意しなければならないと思います︒

モンゴル族の中で︑西村さんの研究されて

いるダルハドのシャマニズムは︑かなり典型

的なものと言われますが︑もう一つ︑ダゴル

のシャマニズムが非常に古いものを残してい

ます︒ダゴルがモンゴル民族であるか否かは

別にして︑彼らはシャマニズムを崇拝し︑基

本的に仏教を受け入れていない人びとです︒

ですから︑彼らのシャマニズムを検討するこ

とによって︑モンゴル帝国時代︑あるいはそ の後のシャマニズムに関わるさまざまなこと を確認できると思います︒

ダゴルのシャマニズムによると︑霊がどこ

からやって来るかが︑非常に大きな意義を持

っています︒偉い人は︑天上界からやって来

る霊の生まれ変わり︑悪人は地下界からやっ

て来る霊の生まれ変わりと考えられています︒

そして︑霊の行き先に関しても︑一般的に天

上界から降って来た霊なら天に戻り︑地下界

から出て来た霊なら地下界に戻ると考えられ

ています︒人間の体内に宿る霊によって善人

と悪人がはっきりと分かれると思われていま

す︒また︑エヴェンキのシャマニズムとモン

ゴルのシャマニズムを比較することによって

もいろいろなことがわかろうと思います︒

西村今︑ブリャートのシャマンが本当のシ

ャマンかどうかわからない点と︑現在のシャ

マニズムが昔のものと同じかどうか︑もちろ

ん問題があるわけで︑それについて補足する

とともに︑一つおもしろい話をしておこうと

思います︒

特にモンゴル国の話ですが︑今まで社会主

義で抑えられていた民族主義的な一つのアイ

デンティティの拠り所としてのシャマンがブ

I 0 言

(5)

−ムです︒モンゴル人たちはかつてシャマニ

ズムを信仰していたので︑一つのアイデンテ

ィティの拠り所としてのシャマニズムの復活

といいますか︑ブリャートでは︑多数出てき

ています︒

ダルハドでは︑残念ながら全然出てこない

どころか︑新しく名乗りを上げた人間たちが

軒並みニセモノとばれるパターンが大変多い

のです︒あいつは市場主義経済のシャマンだ

という言われ方をされ︑おもしろいからみん

なで見に行こうといって見に行くだけで︑信

仰されていない︒そういう状況にあります︒

ですから︑今現在︑シャマニズムの中に何

がどのような形で残っているのか︑文化人類

学としては︑ゲレルトさんとは︑共時的に世

界だけを見ている私とは視点も違いますが︑

どれが何の要素なのかを分けるのはもはや難

しくなっています︒

先ほどの参会者の方のお話で︑私の言った

﹁見える︑見えない﹂という考え方が非常に

ピッタリくるとおっしゃいましたが︑それと

同時に縦のつながりも否めない︒飛ぶモチー

フは上からものを見る形になりまして︑オン

ゴットもその魂も飛んでいくわけで︑先ほど 出たテングリという概念は︑すべてのものを 統括して︑上からダツと押さえてしまう︒ド ルジバンザロフさんが書いているように︑運 命︑天運といいますか︑人間側は何の力も及 ぼすこともできず︑お願いしかできない︒そ れ以外の行動は一切許されない︒すべての意 思を司るものがあって︑その下にシャマニズ ムとしてつくられるオンゴットと人間という 組み合わせの軸は︑やはり縦軸だと私は思っ ています︒モンゴルにオボーというものがあ りますが︑オボーはゲルのトーソと私は理解 していますし︑天とのつながりの場所でもあ る︒そこを通って行き来している︒

先ほどのエルリクは︑私も非常におもしろ

いと思っていまして︑ゲレルトさんのお話の

中では︑天と地が善と悪としての対立項と描

かれていましたが︑私は︑父と母というモン

ゴル人のイメージといいますか︑それが何の

影響によるものなのかわかりませんが︑もし

かすると仏教の何かかもしれないし︑その逆

かもしれませんが︑非常に難しい問題をずっ

と抱えるのではないかと思います︒

﹁ロスィンハーン﹂がいまだにわからない

です︒ロスィンハーンというのは地下を司る ハーン︑王様だといいますが︑一体これは何 か︒人によっては閻魔様と言います︒そうす ると完全に仏教化され︑縦軸︑地下は死者の 世界になってきます︒ここのところは私も実 は分からなくて︑ロスィンハーンについて何 かわかったらぜひご教授いただければと思っ ております︒ 参冬至白どうもありがとうございました︒あ ともう一つ︑ゲレルトさんに質問ですが︑テ ングリは善︑ではなくて︑悪い神様もいい神 様もいますね︒ ゲレルトそれは︑モンゴルのシャマニズム に起きた一つの寧化と言えます︒昔は︑テン グリを善悪に分けていませんでした︒西村さ んの言われたように︑モンゴル人は地面を象 徴的に母と考えています︒この考え方は︑ ﹁モンゴル秘史﹂に記されています︒でも地 下はやはり地上界だったと思います︒大地は︑ 母と考えられていましたが︑地下は︑別の世 界であって︑母とは考えられていないと思い ます︒地下から出てくるのはマンガスあるい はマンガトと称される悪魔だったと思われて いました︒例えば︑ブリヤート人がロシア人

のことをマンガトと呼んでいるのはそれと関

I妬

(6)

係があるのではないかと思われます︒

参会者それは分かっていますが︑マンガス

という言葉を辞書で引くと︑仏教から来た言

葉とあります︒モンゴル文字で書かれている

辞書をいろいろ引いてみても︑全部そうです︒

ゲレルトその辞書をだれがいつ︑どこでつ

くったかも問題ですね︒

西村その辺は仏教概念とかなり重なってき

ていますね︒天も二つに分かれていて︑いい

天︑悪い天という話がありましたが︑先ほど

の話にも︑東の天︑四四︑五五ですか︑西と

東にそれぞれ古い天と新しい天がある︒その

二つの対立ですね︒

ブリャートの場合︑白いシャマンと黒いシ

ャマンがいると言います︵島村一平という人

が調査で話を聞いたところ︑いるらしいです︶︒

そういう対立がありますが︑九九天という︑

足したものを全部一覧に並べた本が内モンゴ

ルにあります︒それを見ると︑中にはゾロア

スター教の神様もチベット仏教の神様もいる︑

何が何だかさっぱりわからない状態です︒で

すから︑現在のシャマニズムの研究として︑

何を見て︑何をそこから得るかという部分で

見方を変えないと︑本当にパニック状態にな ってしまうと思います︒ 松枝ついでに一つ言いますと︑人間にとっ て宗教とは何かと言われると︑すごくヴァー ティカル︑垂直的なものです︒人間の持って いる五感は極めて平面的なものですし︑身体 能力も平面的なものです︒二メートルも飛び 上がれない︒ただ︑意識そのものはいろいろ なポイントポイントでヴァーティカルになっ て︑それがいろいろな宗教的発想の源になっ ている︒これは否定できないと思います︒ 参会者先ほど︑シャマニズムが今復活しつ つある︑盛んになりつつあると言われました が︑モンゴルではチベット密教を国教として いたと思います︒したがって︑現在︑モンゴ ルでは︑チベット仏教とシャマニズムとどっ ちが盛んなのか︒お聞きしているとシャマニ ズムは自然発生的︑土︾有田に出てきたように 私には思えます︒ところがチベット密教はま さしく輸入仏教で︑それがチベットでは国教 という形で決められたのですが︑現在のモン ゴルでは︑宗教的にはシャマニズムとチベッ ト密教はどういう関係にあるのでしょうか︒ 西村国教といっても︑政府が定めるのが国 教なのか︑その辺はわかりませんが︑モンゴ ルの国教は仏教ではなくて︑ただ仏教徒が多 いのがモンゴル国の現実の話です︒

仏教との関係ですが︑特にブリャート人た

ちは非常に早い時期から仏教化を進めました︒

今現在︑昔から活動してきたシャマンが六︑

七名ぐらい︑新しい人も出てきていますが︑

その人たちに対して︵九七年か九八年だった

と思いますが︶︑ウランバートルのガンダン

寺のお坊さんたちがシャマンのテストをした︒

そして︑そのテストに受かった人間にシャマ

ン証明書を発行するという︑変わった動きが

見られまして︑これは明らかに︑新しくあら

われてきた︑新興宗教的になりかねないシャ

マニズムに対する︑チベット仏教側の権威の

振りかざしではないかと考えられます︒

一九三○年代の後半︑スターリン主義の頃

にモンゴルでも宗教弾圧が激しく行なわれた

ために︑チベット仏教とともにシャマニズム

も弾圧を受けました︒チベット仏教はすごく

弾圧されましたが︑同時に一部活動を認めら

れるところが残りました︒しかし︑シャマニ

ズムは完全に地下に潜るしかない状況になっ

て︑人びとはずっと社会主義や科学を学ばさ

れてきた結果︑仏教離れまではいかなくとも︑

I O 7 − −

(7)

シャマニズム離れをしてしまった部分が強い

のです︒

個々人のレベルになりますと︑その中で本

人がどう対応してきたかという部分が強くな

ります︒例えば中央から一︑○○○キロも遠

く離れた︑私が行っているダルハドのような

ところに対しては︑清朝時代に仏教勢力が非

常に強硬にチベット仏教化を進めようとした

結果︑ものすごい戦いになって︑シャマニズ

ムが残ったわけです︒ところが︑社会主義時

代になって︑どちらもだめと言われたときに︑

彼らにとってより身近だったのはシャマニズ

ムでした︒言い方をかえると︑これも島村さ

んが研究している内容ですが︑そのときにチ

ベット仏教やモンゴル社会主義による弾圧を

受けて︑不遇の死を遂げたシャマンたちが︑

恨みをもったオンゴットになったといいます︒

そして︑そのオンゴットを自分たちのアイデ

ンティティとして信仰しています︒

参会者関連して︑西村さんの話で脱魂型に

ついて︑非常に興味深く聞かせていただいた

のですが︑脱魂型というのはエリアーデの学

説であって︑最近の研究者たちは否定的な立

場に立っています︒いくつかの報告でも︑独 立した脱魂型というのはほとんどなくて︑懸 依があって︑そこから副次的に脱魂していく という︑懸依と脱魂が複合的にとらえられて いるのがむしろ一般的ではないでしょうか︒

それから︑ゲレルトさんに質問です︒神話

の分析からモンゴルのハーンの世界観を抽出

した︑すばらしい研究でしたが︑私の理解が

ちょっと不足しているのかもしれませんが︑

テングリとシャマニズムの関係をゲレルトさ

んはどのように考えていらっしゃるのか︒一

般的に言うと︑テングリはシャマニズムの最

高神として見られて.いるわけで︑チンギス・

ハーンが自分たちを天の子と考えているとし

たら︑その間をどうつなげていくのか︒ある

いはチンギス・ハーンは自分たちをシャマン

と思っていたのか︒天の子と言った場合に︑

その他の外来宗教の神という意味が入ってい

るのか︒ゲレルトさんがまとめのときに︑テ

ングリの子という概念は世界制覇のために広

く使われたと言われましたが︑もしそれが固

有のシャマニズムのテングリであった場合︑

世界制覇のためにチンギス・ハーンたちが人

為的につくったように読み取れたのですが︑

ちょっと説明していただければと思います︒ 松枝私は図式的に二つに分けましたが︑大 変混交しているのが実情です︒佐々木宏幹先 生の仕事は︑奄美・沖縄のユタなどの調査が ベースで︑それをきれいな図にまとめておら れます︒補助霊の話が直接的に出てくる例と しては︑シベリア型の例が多いと思います︒ ウノ・ハルヴァの著作﹁シャマニズム﹂の翻 訳がありますし︑戦前には︵共産主義ソヴィ エトとの関係もありますが︶︑北方遊牧民の 調査資料が精力的に日本語に翻訳された時期 があります︒その時に補助霊の話が随分日本 に移入されて︑それをよく知っていたという ことがあります︒逆にそれを日本の満鉄やら が現地の民族政策に利用したこともありまし たが︑それはともかく︑第三の類型として立 てられるかどうかというのは難しいというか︑ むしろ大きないくつかのパターンの中でのプ ラスアルファ的な要素が強いのかなという気 がしないでもありません︒

脱魂と懸依の区分については︑エリアーデ

が﹁シャーマニズム﹂を書いた時に︑﹁古代

エクスタシー技術の展開﹂という副題を立て

たことがあって︑脱魂という要素を極めて強

く打ち出した︒それに対して多くの研究者か

(8)

らの反論がかなりあったのは事実です︒そん

なにきれいに分けられるものではないという

のは︑文化人類学の現場からの反論として強

くあって︑現場としてそれを実際にどうまと

めていくかというところが︑現在の問題だと

思います︒

極めて地域差があって︑先ほどの男性︑女

性についても︑決まりのあるところもあれば

ないところもあるし︑昔は男ばかりだったの

に今は女ばかりだとか︑いろいろなパターン

があるので︑何とも言いようがないです︒東

アジアは何となく女性が多いかな︑でもシベ

リアの方は男性がほとんどかなと︑なかなか

断言しがたいんです︒

西村エクスタシーはあるのかですが︑松枝

先生がおっしゃったように︑私も完全に分け

ていいものではないと思っています︒ただ︑

図式にした時の明らかに大きな違いとして︑

オンゴットとシャマンの魂の位置関係に大き

く類型ができて︑玉虫色のものもいる︑とい

う形で使っているにすぎません︒

シャマニズムというのは︑本来的にはもし

かすると宗教や儀礼というより︑一つのテク

ニックとしてあるもので︑それ自体は一つの 信仰ではないと思います︒何か別の宗教の中 で何かをするためのテクニック︑何かの信仰 基盤の中で問題を解決するためのテクニック としてのシャマンがいて︑シャマニズムがあ る︒それを魂の位置関係として類型を無理に 分けると︑玉虫色の部分もあるが︑分けると こうなるかな︑ぐらいのことと思います︒

先ほど動物霊のお話がありましたが︑ウリ

ャンハイのお婆さんの話を聞くと実におもし

ろい︒彼女が儀礼をやっていると︑鳥が必ず

飛んできます︒鳥が飛んできてゲルのそばに

とまる現象が見られて︑お婆さんに聞くと︑

私が使うのは鳥の形をした精霊だと言うわけ

です︒彼女は﹁使うのは﹂という言い方をす

るわけです︒やってくるのが鳥であり︑鳥の

魂であり︑自分もまたそこに入っていくとい

った︑ゴチャゴチャした話になってくるので︑

三つ目のという言い方もあまり当たらないの

ではないかというのが︑私の思うところです︒

ツァータンのシャマンが呼ぶ精霊は祖先霊

が多いとはっきり言いましたが︑祖先霊の形

もいろいろあります︒儀礼︵皆さんに一部を

ビデオで見ていただいた︑全部で二時間ある

儀礼です︶が終わってから聞きますと︑あの 儀礼の中で三つのオンゴットが来たと言うの です︒一つは蛇︑一つは鳥で︑もう一つは怪 獣が来たという︒補助霊を使うのは︑松枝先 生がおっしゃったように︑シベリア地域に広 く出てきているもので︑それについての細か いシャマンとの関係の調査は︑フィールドで もあまり行なわれていないのが現状かと思い ます︒ ゲレルトまずテングリとシャマンの関係で すが︑どう答えればいいか考えていました︒ ダゴルのシャマンにはホジョル・シャマンと いうシャマンがいます︒そのシャマンのホジ ョルというものは︑多くの場合︑雷に打たれ て死んだ人の霊でした︒そのホジョルに選ば れた人はホジョル・シャマンになると考えら れていました︒ホジョル・シャマンが死んだ 場合︑また新しいホジョル・シャマンを選ぶ 必要があります︒要するに︑ホジョル・シャ マンは︑一氏族に一人しかいることが認めら れない氏族のシャマンを指しています︒言い 換えれば︑ホジョル・シャマンは天神に選ば れたシャマンということです︒もちろんホジ ョルを持たないシャマンもいますが︑それは 力の弱いシャマンと考えられているし︑氏族

I 0 ←

(9)

シャマンになれないわけです︒

そしてもう一つ︑ブリヤートのシャマニズ

ムにもオトガタイ・シャマンというシャマン

がいます︒ブリャートのオトガというものは

どこから来るかというと︑二つのところから

来るのです︒一つは天上界から鳥の形を取っ

て降ってきます︒その鳥がだれかの女と交わ

って生まれた子がシャマンになります︒もう

一つは︑雷に打たれて死んだ人の霊がオトガ

になります︒ですから︑オトガタイ・シャマ

ンは︑天神に選ばれたシャマンを指すと思い

ます︒ですから︑このようなシャマンは根源

的に天上界から生まれた︑あるいは天神に選

ばれたシャマンと考えられます︒

また︑霊が動物の形を取ってあらわれるこ

とについてウールトの一人の女性シャマンか

ら聞いたことがあります︒彼女の話によると︑

氏族によって降って来るオンゴットの形が変

わるのです︒つまり︑氏族によって降って来

る︵懸依する︶オンゴットの形が光や鳥︑ま

た︑狼や白鳥になどに変わるということです︒

いずれにせよ︑多くのモンゴル諸部族のシャ

マンは昔︑天神の子あるいは天神の使者と考

えられていた場合が多いと思われます︒ テングリとチンギス・ハーン一族との関係 のことですが︑先ほど話したように︑チンギ ス・ハーン一族は系譜的に天神とつながって いると考えられています︒もちろん我々の考 え方から見ると︑蒼き狼神話は明らかに作り 話ですが︑しかしこの神話は当時︑実際に作 られたということを考えると︑この神話を ﹁真話﹂として受け入れる人びとがいたから 作られたのではないかと思われます︒つまり︑ 宇宙を天上界︑地上界︑地下界に分けて考え る観念が当時の遊牧モンゴル社会に認められ る世界観であったからこそ︑チンギス・ハー ン一族が自らを天神の子と称する土台になっ たのではないかと思います︒ですから︑チン ギス・ハーン一族は世界を支配するため︑自 らを天の子すなわち天神の子と強調したので はないかという質問を︑逆に考えるべきだと

思います︒

それから︑モンゴルのテングリすなわち天

神に︑外来宗教の神という意味が入っている

のではないかという質問ですが︑これも従来

から議論されてきた問題ですが︑先ほどの話

で説明したと思います︒一つだけ加えるとす

れば︑モンゴルのテングリを当時︑異教徒た ちが自分たちの宗教観念に照らし合わせて理 解したことは否定できないということです︒

チンギス・ハーンはシャマンであったのか

どうかという質問ですが︑王はシャマン︑シ

ャマンは王という意見があります︒チンギ

ス・ハーン時代にはシャマンとハーンが全く

別々な存在でありまして︑チンギス・ハーン

をシャマンと見なす根拠は︑管見のかぎり見

出されないのです︒

天上界と地下界に関して一言つけ加えると︑

天上界と地下界は善と悪を象徴する二極的な

存在だと信じられています︒ですから︑天上

界と地下界は互いに天上界があれば地下界も

あり︑地下界があれば天上界も欠かせないと

いう関係で結ばれていると思われます︒

参会者善と悪とか地上と天とかがあるのは

否定できませんが︑その世界観でチンギス・

ハーンの当時に︑内容的に例えばどういうも

のがあったのか︒例えば地下のところに悪魔

が住んでいるとか︑それはどういう意味に取

られて︑どういう意味で使われていたのでし

ょうか︒ ゲレルト正直に言って︑当時の文献資料に

は地下界が確認されません︒

〃 0

(10)

参二嘉百問題はそこで︑私はそれを知りたか

ったのですが︒

ゲレルト当時の文献資料に確認されないと

いって︑地下界はなかったと言うこともでき

ないですね︒当時の文献資料は︑宇宙三界観

に基づくものでありまして︑宇宙はどのよう

にして三つの世界に分けられたかを伝えるも

のではなかったからでしょう︒

参二至日確かにそうですね︒

司会ほかにどなたか︒

参会者西村さんにお聞きしたいのですが︑

先ほど松枝先生がシャマンになるには大別し

て三つの道が︑召命型︑修行・学習型︑悩醗

型があると言われましたが︑モソゴルのシャ

マンにもそれは当てはまるのか︒もし当ては

まるなら︑西村さんが今まで会ったシャマン

は︑その三つの中でどれに当てはまるのか︒

それから︑松枝先生のレジュメの中にアメ

リカ・インディアンに近い民族であると書い

てあって︑ちょっと思い出したのですが︑イ

ンディアンにメディスン・マンという︑精霊

が降りてきて病気を治したりする人がいます︒

先ほどのモンゴルのシャマンの写真で︑太鼓

の鹿の絵と鳥の衣装をみて思い出しましたが︑ メディスンマンはトランス状態に入るときに 鹿の踊りを踊ったり︑鷲の羽を使ったりする ので︑似ていると思いました︒何か意見があ ったらぜひお聞きしたい︒ 西村最初の︑シャマンになるには三つの道 があるという話ですが︑実は私も二つ目の修 行・学習型というのは︑これしかないという ことで書かれているのではないだろうと思い ます︒モンゴルにおいて︑召命型にせよ︑世 襲型にせよ︑必ず修行と学習を経験します︒ モンゴルにはどちらのタイプもあります︒

私が今回写真を載せた方々は基本的に世襲

ですが︑世襲と言っても︑お父さんから子ど

もとか︑お母さんから子どもというように︑

直接親子関係でいくものではなくて︑先ほど

氏族シャマンとして必ず氏族に一人出てくる

という話がありましたが︑それに非常に近い

形です︒例えば私のお父さんのお兄さんの子

どもがシャマンだった︑その人が亡くなった

ので私がシャマンになったとか︒つまり親族

でつながっていく形であって︑世襲ともちょ

っと違う︒血統性とでも言いましょうか︑モ

ンゴルの場合︑血統という言い方をした場合︑

基本的には父系性を取りますので︑男側の流 れにしかシャマンの血統は認められないはず ですが︑例えば私のお母さんのお父さんがシ ャマンであった︑だから私はシャマンになっ たという人も中にはいます︒これは向こうの 氏族関係の系譜をつくっていく上では普通は 認められないことですが︑その辺彼らは非常 に緩やかに考えています︒なお︑これは断定 できませんが︑最近出てきているウソっぽい シャマンたちには︑母型の血統を継いでくる 者が多いと感じられます︒自分の血のつなが るどこかにシャマンがいたから︑自分はその 血統だと言って︑それでOKを出してしまう 場合があるようです︒

召命型は非常に少ない︒私がダルハドで会

ったことのある方ではたった一人でした︒私

がダルハド盆地全体で会ったシャマンの数は

八人か九人だと思いますが︑召命型は一人だ

けでした︒それで︑ご本人いわく︑私こそが

本物だみたいなことをおっしゃるんです︒彼

女の話ですと︑突然めまいや吐き気がして︑

夢遊病のように走り回るようなことが起きて︑

シャマンのところに行ったところ︑おまえは

シャマンになるんだから私のところで修行を

しろということで︑修行してシャマンになっ

I 〃 −

(11)

たということです︒

私はネイティブ・アメリカンのシャマニズ

ムにはあまり詳しくないので︑きちんとした

お答えができませんが︑動物霊との関係で︑

特にウリャンハィのシャマンはカッコウの鳴

き声をしきりにまねします︒延々とやるので

つい笑ってしまいますが︑そういう状況で鳥

のまねをする︒彼らは特に何か動物をまねた

踊り︑という言い方はしていなかったように

記憶しています︒アメリカのことはちょっと

わかりません︒

松枝召命型︑修行・学習型︑世襲型と三つ

に分けたのは︑神様に選ばれる︑自分で立候

補してなる︑親がそうだから︑血縁がそうだ

からなる︑この三つという大雑把な言い方で

す︒これはわざと百科事典的に書いているわ

けで︑よくわからないこともあります︒

ただ︑アメリカ・インディアンのメディス

ン・マンは︑英語でシャマンの一つの表現と

してよく使います︒世界的に一般的な言い方

をすると︑ある生活グループの中で︑病気だ

けに限らず︵エリァーデ風に言うと呪的治療︑

スピリチュァル・ヒーリングみたいな言い方

をしますが︶︑要するにシャマニズムの技術 を使って悩みを解いたり︑病気を治したり︑ 災害を避けたり︑そういう事柄が一般的に主 要な仕事になるというか︑外からはそう見え るわけです︒それを総称して英語ではよくメ ディスン・マンという言い方をします︒

ショーン・コネリーが出ていた﹁メディス

ン・マン﹂という映画︑あれは南アフリカの

奥地かどこかで︑ある部族社会を牛耳ってい

る白人の話です︒それはともかくとして︑そ

ういう一般的なイメージから出てきた︑かな

り新しい言葉です︒

一つつけ加えると︑懸依︑脱魂と︑もう一

つ違うタイプとして︑南アフリカではしばし

ば薬を使うことがあります︒薬を使って意識

を飛ばす︒特にペョーテというサボテンから

つくる一種の麻薬みたいなものを使う︒それ

からよくある話は︑タバコの交換みたいなこ

とが︑アメリカ・インディアンの教えのよう

な本によく載っています︒それも極めて象徴

的なものとして考えられています︒実際にそ

れで飛ぶかどうかは知らないですが︑薬はか

なり確実に飛ぶみたいです︒あと︑これは確

認できませんが︑古代ペルシアでは︑儀礼の

ときに酒のたぐいを使う︒これは北欧にもあ って︑ハオマとか︑いろいろ古代の名前が残 っていますが︑そういうものもあったらしい︒ ただ原則的には︑それはテクニックというよ り︑外部からものを入れるわけですから︑ち ょっと一歩おいた感じでくくっています︒そ ういう例もあります︒ 参会者西村さんにツァータンという民族集 団の民族意識について質問します︒なぜこの 質問をしたいかというと︑西村さんが報告の 冒頭で︑社会主義時代にモンゴル民族の下部 集団の一つとして︑地位としてそう呼ばれる ようになったというところから︑民族の形成 過程におけるグラデーションと言っておられ ましたが︑どのような民族の形成過程におけ る意識を持っているのか︒

もう一つは︑今︑モンゴル国内でシャマニ

ズムがブームになっていて︑民族主義的なア

イデンティティの拠り所としてそのような状

況が起こっている中で︑ツァータンもしくは

ダルハドではまた別の現象が起こっている︒

そういうところ︑民族的意識についてご質問

したいと思います︒

西村質問がちょっとよくわからなかったの

ですが︑ツァータンたちの民族意識というこ

〃 2

(12)

とですね︒一つ目の質問をもう一度お願いし

ます︒ 参会者前半の質問は︑民族的意識はどのよ

うなものかという質問です︒

西村非常に答えにくい質問ですが︑彼らは

自分たちの記憶の中においてトバ人であって︑

モンゴルと一緒ではない︒もっと時代をさか

のぼると︑いろいろな文献には︑トバ人︵つ

まりツァータンですが︶︑森の中に住む者た

ちが草原の者たちと結婚することは非常に屈

辱的なことだと︒あんなところで暮らすのは

だめだ︑森の中がいいという︑別集団として

の意識を非常に強く持っていたわけです︒そ

れが︑国境線が制定されて︑なおかつ社会主

義の中で集団化が行なわれて︑その中に組み

込まれるようになります︒そうすると生活地

域とか行政区域において︑モンゴルの影響を

非常に受けるようになってしまった︒

言語においても︑社会主義時代にはトバ語

の授業はありませんでしたから︑子どもたち

はどんどんモンゴル化していきます︒そして︑

モンゴル人たちの中で生活して︑トナカイを

持ち得ない人たち︑もしくは︑殺して失って

しまった人は︑やむを得ず麓で暮らすように なるわけです︒場合によっては工場労働者と か︑細々と草原の家畜を飼うという形になっ てくると︑生活習慣もどんどんモンゴル化し ていって︑次第に自分たちがツァータンであ ったとか︑︵現地ではタイガの人という言い 方をしますが︶タイガの人であったというこ とを忘れていってしまう︒

中にはそれを忘れたい人間もいるわけです︒

なぜならば︑かってモンゴルに統合され始め

たころ︑一九四○年代ぐらいですが︵五○年

代後半には集団化が終了します︶︑モンゴル

人たちから非常にさげすまれた︒いまだにモ

ンゴル人側からツァータンたちを差別する言

い方がたくさん残っています︒こんなに生活

しやすいモンゴルゲルを持たないで︑あんな

森の中で掘っ建て小屋に住んでと︑いまだに

差別も行なわれます︒

掘っ建て小屋というのは︑円錐形のオルッ

というものですが︑オルッはモンゴル人がつ

けた名前で︑本来は丸太という意味です︒家

という意味ではない︒モンゴルのゲルをゲル

と呼ばずにテントというに等しい言い方をす

るわけです︒それに対する抵抗というか︑コ

ンプレックスで︑自分はツァータンであるこ とを隠す若者も出てきています︒今︑彼らの 意識はそういう状況下にあります︒

大人たちは自分たちの言語が失われること

に対する非常な危機感を持っています︒そう

はいっても人数が元来少ないので︑結婚相手

も同じツァータンの間では見つからない︒事

実上︑ほとんどないと言ってもいいと思いま

す︒そうなると麓の娘を嫁にもらいます︒逆

にツァータンの娘たちは︑麓に嫁に行くしか

ないわけです︒どんどんそういう状況になっ

ています︒経済状況も厳しくなっていますの

で︑たくさんの子どもを産むこともできない︒

そうするとタイガの人口は減ってきます︒そ

れに対する非常な危機感を彼らは持っていま

す︒

それと同時に︑自分たちはツァータンだと

言って︑最近︑麓から嫁をとったのが二家族

いました︒そして︑タイガで暮らしています︒

非常にヤバイ状況になったら︑それに対して

何クソという反作用があるわけです︒そうい

うことも一応観察されています︒

次に︑国内でブームになっているシャマニ

ズムが︑なぜダルハドではなくなっているの

か?八九年︑九○年に社会主義が崩壊した

〃 妄

(13)

頃まで生き残っていたシャマンは︑一番若い

人で三三歳でした︒この方は間もなく死んで

しまいました︒残っているのは五○歳以上で︑

六○歳︑八○歳︑九○歳︑この方々が九○年

代の半ばぐらいにバタバタッと天にお帰りに

なってしまって︑昔のように弟子につくこと

ができなくなりました︒

私がいる間に︑女の子で一人︑ノイローゼ

のひどい子がいて︑シャマンの九○過ぎのお

婆さんのところに弟子入りしようとしました︒

この子はシャマンになるみたいだと太鼓を持

たせたら︑ノイローゼがピタッとまったので

す︒ところが︑その後また悪くなってしまっ

た︒なぜ悪くなったかというと︑その時にい

ろいろ揃えるべきものが揃わなかったからだ︑

と︒その土地が経済的に非常に困難な状況に

あって︑彼ら自身の収入もない状況下におい て︑彼らの説明では︑シャマンに必要なもの をすべて揃えられないわけです︒

シャマンの衣服は︑悪いものが入ったり︑

攻撃してくることに対するよろいでもあるの

で︑それが中途半端だと影響を受けてしまう

ということです︒きちんと守れない︑きちん

と戦えない︒そういう状況にあるから︑彼女

はまたおかしくなってしまったと解釈され︑

それで結局シャマンになることをやめたわけ

です︒そういう社会条件と︑実際に先生をや

ることのできるシャマンがいないことが︑ダ

ルハドの土地でシャマンがどんどん減ってい

く大きな原因ではないかと思います︒

それに対してブリャートではいっぱい生ま

れています︒状況としては同じはずですが︑

仏教徒が近くにいて︑シャマンたちが私は坊

主だと言いながら実はシャマンだったという 例があります︒そういう形で社会主義時代に も残っていたようです︒比較的社会の表面に 近いところにいたのではないでしょうか︒

ダルハドは︑社会の表に出るには非常に深

いところにいたし︑年去則りたちばかりだった

し︑八○歳︑九○歳のお婆さんに二時間踊ら

せるのもシンドイ話ですから︑なかなか出て

きにくかったことが豊凶ではないかと私は思

っています︒

司会ほかにどなたかいらっしゃいませんか︒

そろそろ料理ができたようで︑ワンタンも煮

えたかなと思います︒よろしければ︑場所を

移して︑モンゴルの音楽を聞きながら︑お−

人お一人とお話しできる総譽を設けたいと思

います︒ それでは︑シンポジウムは閉じさせていた

だきます︒どうもありがとうございました︒

〃 4

参照

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