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《晩唐五代の文学批評・緒論》訳注 (下)

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(資料)

王運熙・楊明《隋唐五代文学批評史》第三編

《晩唐五代の文学批評・緒論》訳注 (下)

甲 斐 勝 二 東 英 寿**

翻訳にあたって

今回は《晩唐五代文学批評・緒論》の後半「詩格の著作について」の部分を訳出す る。《説明》では、この部分は楊明氏の執筆である。

楊明氏の指摘によれば、「詩格」には作詩時に規範となり合格・不合格を決める「格」

を言うものと、詩をその作風や内容によって分類解説するいわば風格の「格」を言うも のがある。もとよりこの二種の「格」に関係がないわけではないが、当時行われた科挙 の詩文の評定に関して現れる「詩格」は合格不合格の「格」の意味であり、詩格書の中 では後者の意味として使われることがあって、楊明氏はその後者に文芸批評の意味を見 いだし、そこから当時の詩作の状況を示そうとする。これら詩格書が現れた背景として、

以下のように説かれている。

最も多く現れた時期が初唐と唐末であるのは、当然ながら偶然の現象ではない。

初唐は律詩が定型化する時期であり、よって声律と対偶の格式を総括する著作が少 なからず生まれる。二百年近くがすぎた後、律詩は数量的にも、また質的にも、す べて巨大な発展をとげ、豊富な創作経験が蓄積され、また作詩を学ぶ人は必ずや工

福岡大学人文学部教授

**九州大学教授

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夫を凝らし、研鑽するジャンルとなった。盛唐より以後、進士試験で雑文を試験す る折りには殆ど詩を以てその第一に置くようになり,しかも試験の内容は全て律体 詩であったため、故に士人は更に競ってここに参じたのである。

詩格の誕生の背景としては、これに作詩を好む社会状況が形成されていたことも強調 しておいてよい。このような通俗書がやがて宋代以降詩話類として形を整え一つのジャ ンルを作るためには、そのような詩作あるいは読詩を楽しむ読者層の存在を考えないわ けにはいかないからである*1

楊明氏の指摘として興味深いのは、詩格書の特徴として、政教との関係に注目してい る点である。

晩唐五代の詩格の中には一つの普遍的な現象がある。即ち政教説を宣揚して、牽 強付会に流れるところだ。本編で紹介する十一種(《二南密旨》《金針詩格》を含 む)の詩格の内、その中の七種にはかかる面の内容を含んでいる。それらは事物の 描写の中に政教に関わる比喩をもつ意義を強調しており、事物をこのような意義の 象徴符号とみなしている。……それらの詩格の作者の見解によれば、この種の書き 方こそがつまり作詩の「天機」「要道」なのだ。

この種の情況は唐末五代の社会の政治状況と関係がある。政治が極端に混乱し て、社会が大激動の時期、下層の文人、僧や隠士は乱世においてなんとか生き延び、

暫時の安寧と閑適を得て、吟詠を以て拠り所とはしていても、決して完全に世事を 忘れることはできない。

ここでは、晩唐五代の動乱による社会不安との関係が強調されている。確かにその通 りだろうが、この現象は、当時の作詩をもって教養や力量を示そうとする士人たちがそ の詩作の正当化を伝統的な経学の思想にもとめるときに起こる無自覚の規制の反映だと 考えることもできよう。中国の古典的世界では、詩の存在意義は常に《詩経》の存在に よって裏付けられてきた。その《詩経》には、既に毛伝・鄭玄箋・孔頴達疏が付され、

*1 愛甲弘志「中晩唐五代の詩格の背景について」(京都女子大学人文学会「人文論叢」

第54号、H18.2)参考

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そこではかなり強引な読解法が示されている。もし、この《詩経》解説の伝統を学びそ の上にたつとすれば、経学的な思考方向に沿うことになるだろう。この点は楊明先生も 気づかれている。

この種の無理で、強引な政教説は儒家伝統の詩教とも関係がある。儒家の詩教は 美刺諷喩も強調し、また温柔敦厚、興を寄せ深く微に入ることも主張した。そこで、

詩歌創作と批評の中に一種の比興によって何かを託すことを重んじる考え方が作ら れる。

と述べられているからである。しかしながら、この指摘はいわば経学側からの文学への 規制である。では、文学側から経学側への規制はあったのだろうか。指摘されるように 作詩者の層が厚くなり、多くの詩作が為されていくとき、様々な詩がうまれるはずであ り、従来の経学的な解釈では収まらないものも出てくるだろう。それが蓄積され、正当 なものとみなされるならば、逆に経学側の思考法にも影響をあたえるものが生まれるの ではないか。王朝という、時には暴力も辞さない社会体制の下、経学という王朝を越え た理念にしたがってその思想的地位を確保し続けたかにみえる中国の知識人を考える上 で、この問題は訳者にとっては大きな問題である*2。あるいは経学的なものは文言文に よって作られる言語世界の建前にすぎず、その下には白話文によって作られる豊かな人 間模様が繰り広げられていたのかもしれない。この問題は、明代以降白話小説をしばし ば経学的な思考法によって正当化した現象をどう考えるかとも関連しておもしろい*3

もう一つ触れておきたいのは、一連の詩格の著作を論じるに当たって、晩唐・五代時 代で扱っている点である。なぜならば、今回取り上げられている詩格に関する著作には 偽作や補填問題がつきまとい、その時代の確認にも不安定さがつきまとうからだ。たと えば、皎然が著した《詩式》について、本書では次のような一節がある。

*2 この問題に付いては、甲斐《$于古典文学的自立%!》(河南#范大学学" 社会 科学&0年 6、pp7−9)参照。20年 5 月末に香港中文大学で開かれた中国古代 文学理論国際学術研討会での口頭発表をまとめたもの。

*3 このような立場からすると、20年 5 月の末に香港中文大学で開かれた中国古代 文学理論国際学術研討会において、東京大学の戸倉英美氏が白話小説でしばしば教化作 用への主張がなされることを指摘されたのは興味深い(「中国古代小説理論的結構」

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中唐時期の皎然が著した《詩式》では、作詩とは「自己の気持ちによって作成す るが、神から授かるごときである。……考えを深めることはできても、それを言語 化するのは難しい」と言う(《詩式序》

《詩式》については、《四庫全書総目提要》では「而して好事者の!拾して之れを補 うなり」として、皎然以外の作者の考えが入っていることを指摘する。

さらに、本書でしばしば取り上げられる賈島《二南密旨》について、同じく《四庫全 書総目提要》では「此れ殆ど又た偽本の重ねて(あた)る」《四庫全書総目提要》)と して、明確に偽作だと断言するのである。

このように本書で取り上げる詩格類の中には素性が甚だ不明であり、果たして晩唐五 代の範疇に入れてよいものかという素朴な疑問が生じるものもある。したがって、時間 の前後にかかわる文学史を考える場合かなり扱いにくいものとなってくる。もちろん、

このことについては楊明氏も十分に考慮している。本書の中で、以下のように述べてい るからだ。

旧題では賈島《二南密旨》、白居易《金針詩格》となっているが、これが本物か 偽物かを分別しない。おそらくは唐末五代の人が仮託した可能性が高い、あるいは 唐末五代の人の手を経ているが、当時の人々の視点を反映するものとなっている。

このように、偽作問題には立ち入らず、偽作の可能性を認めた上で、それでも晩唐から 五代当時の見解が反映されている可能性が高いとして、当時の様子を知るという文学批 評の視点から詩格類を晩唐五代の文学批評部分におくのはそのためである。

そもそも詩格類の著書は、「粗略な講義録のようだ」と言われるようなもので、経典 化されて伝えられるようなものはほとんどなく、また作者の代表作として示され伝えら れるほどのものではない。もし本物だとしても、それらは当人の所謂「著作」の中に入 れるほどのものではなかったろう。さればこそその伝記に著作として示されずに終わる ものもでてくる。しかしながら、それだけに、当時の詩作層の詩作を巡る状況を示す具 体的で身近な視点が示されることになり、批評として取り扱うには興味深い対象となっ てくる。こうした詩格の著書の存在が、宋代以降に詩話のジャンルを導いてゆく事にな るとすれば、詩格類については偽作や補填問題がつきまとうものもあるけれども、中国

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文学批評史全体を概観した場合、本書のように詩話の隆盛に先立つ晩唐・五代部分で位 置づけて論じるのが妥当ということになる。

今回の翻訳は本文を東が担当し前書き及び注釈は甲斐が担当した。もちろん二人の検 討を経たもので、本稿の責任は共に負うものである。注釈にあたっては著者の楊明氏か らのご教示をえた。ここに感謝を申し上げたい。また、皆様には誤訳や勉強不足による 思い違いのご指摘をお待ちする。

《晩唐五代文学批評・緒論》

二、詩格の著作について

晩唐五代において文学批評の中で一つ注目される現象は、この時期に少なからずの詩 格類の著作が生まれたことである*4。今でも、齊己の《風騒旨格》*5、徐!の《雅道機要》*6 など十種類ぐらいが残っている。いわゆる「詩格」とは、すなわち詩の法則、様式の意 味である。当時科挙に試される詩賦には、一定の決まり、格式があり、それはまた「格」

とも言われた。たとえば、《旧唐書・楊攸伝》の中に、楊厳と楊知至ら五人が「文を試 み格に合す」と記載される。さらに、五代後唐・明宗の長興元年(90年)の敕に「今 後挙人の詞賦、対句は肝要で適切であるべきで、もし韻を踏まなかったり、諸々入り乱 れて格に相違することがあれば、及第させることはできない」という。また「蘆価の賦 の中での「薄伐」という字は平声字を使うべきだが、今は仄字を使っているので、格に 違う」と言う。同年の十二月に学士院が上奏して「伏しておもうに、物事にしたがって

*4 これらの詩格書をまとめた《吟窓雑録》は北宋の蔡傳の編だから(原書p1参 照)、そこに掲載される書籍は少なくとも北宋以前ものである。これもまた晩唐五代の 時期で扱うにふさわしい理由となる。

*5 齊己の《風騒旨格》:齊己(約84−93)は幼年より出家し、長沙の道林寺・廬山 の東林寺などの名刹に暮らし、晩年は江陵にいたり、荊州に割拠する高従誨に留められ る。晩唐の著名な詩僧。《風騒旨格》は、六詩・六義・十体・十勢・二十式・四十門・

六断・三格……などの各項目があり、それぞれ詩一聯が引かれて例となっているが、解 説はない。《隋唐五代文学批評史・第三篇晩唐五代文学批評・第三章詩句図、本事詩和 詩格・第三節晩唐五代的詩格・三齊己和風騒旨格》(原書p8)に詳述)

*6 徐!の《雅道機要》:徐!は生卒年不詳、泉州"田の人。乾寧元年(84年)の進 士。《雅道機要》の前半は《風騒旨格》より取ったものだが、後半では「意」と「象」の 問題、律詩での語句の練り上げの主張や「詩」を「儒者の禅」だとする視点が見られる

《第三篇・第三章・第三節・六徐!雅道機要》p6)に詳述)

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心情を表現することには、文人たちがそれぞれにその巧拙を評論するものだが、人材を 選択し学芸を比べるには、詩賦の場に従来その規定があるものだ。………伏して長官に 詩格によって進士を考査せんことを要請する」と言う。また、《旧五代史・李懌伝》の 中では「なお、翰林学士院に詔して請うに、一詩一賦を作り、礼部に下して、挙人の格 の格様(モデル)となすように」と。これらに所謂「格」「詩格」「格様」は、ただ音 律の問題である声病や、対語の問題である対偶などを指すばかりであり、科挙受験者の 挙人たちがその規格をきちんと守るように要求するものだ。このような「格」には恐ら く文学批評の意義はあるまい。ところが《風騒旨格》などになると、また別の性質を もっている。《風騒旨格》などの詩格類の著作は、そもそも詩を吟詠する初学者の吟詠 のために作られたものであった。その内容は比較的多様で、文学批評の領域において は、一定の意義を持っている。そこには声律・対偶に触れたものもあるが、しかしそれ は詩歌創作の中に時々表われる様式を纏めたまでであって、杓子定規の格式として作者 を従わせようとするものではない。よってこの二種の「格」は決して同じものというわ けではないのである。

《風騒旨格》類が初心者に教示するために作られたというのは、その内容に基づく推 測による。当時は師弟の間で詩を吟じた伝授が行われる場合がかなりあった。齊己を例 とすると、彼は禅師であるともいえ、また詩学教師であるといってもよい。彼の「戒小 師」詩*7の中では、「詩を吟じようともせず経も拝聴しようとしない、禅宗は山が違う のだとして歩き回ってばかりいる。後年、年をとって人にたずねられたら、どのような 言葉で後生に対応するつもりだろう」という。自分の弟子たちが真面目に仏教を勉強し ておらず、また詩を吟じていないと訓戒して、まるで詩の吟詠をも僧侶の日常作業とみ なしているようである。さらに、《覧清尚卷》*8の中では、「李洞の新奇なところに詩風 がにている、詩ができたらまず先生に見せるとは。……落ち着いて趣が高い作品は、逆 に古人に比べられるほど」。清尚は彼に従って詩を学んでいる弟子であろう。詩学を教 授するならば、その講義録も作られることになり、あるいは彼の弟子によって、記録、

*7 「戒小師」詩:不肯吟詩不聽!、"宗異岳#遊行。他年白首當人問、將$言談(四 部叢刊本作譚)對後生。《白蓮集・十巻》

*8 《覧清尚卷》:全文は:李洞僻相%、得詩先示師。鬼神迷去処、風月背吟時。格已搜 清竭、名&看'卑。従容味!作、飜為古人疑。《白蓮集・三巻》)この部分、著者の楊 明氏に尋ねたところ、僻は新奇の意味での褒め語であり、第1句と第 2 句は倒置では ないかとの返事を得たので、そのように訳した。

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整理される事も起こり、それによって流行する「詩格」ができあがる。このような推測 は確かに筋の通ったものである。

しかし、実際は初唐と盛中唐において、すでに詩格類の著作*9が現れていた。詩歌の 創作が盛んとなり、また作詩を習う人が多くなっていれば、このような著作が時運に応 じてすでに現れていたのは当然のことである。そして、最も多く現れた時期が初唐と唐 末であるのは、当然ながら偶然の現象ではない。初唐は律詩が定型化する時期であり、

よって声律と対偶の格式を総括する著作が少なからず生まれる。二百年近くがすぎた 後、律詩は数量的にも、また質的にも、すべて巨大な発展をとげ、豊富な創作経験が蓄 積され、また作詩を学ぶ人は必ずや工夫を凝らし、研鑽するジャンルとなった。盛唐よ り以後、進士試験で雑文を試験する折りには殆ど詩を以てその第一に置くようになり,

しかも試験の内容は全て律体詩であったため、士人は更に競ってここに参じることに なったのである。唐末五代の大量の詩格は、正に律詩の創作技巧、創作方法を総括して、

初学者に教示しようとねらったものだ。それらの挙げた詩例の殆どが中晩唐の律詩中の 詩句であるというまさにその点から,その一斑を窺い知ることが出来る。

中晩唐の時代、詩人のあるものは古体を多く書いた。彼らの創作の特色は主に古体詩 中に表れている。例えば、韓愈、孟郊、李賀、貫休などだ。また、古体と律体に長じて いる作者もいた。さらに古体には甚だしい特色がないが、長律の体に秀でて、律詩がそ の独特な創作個性をいっそうよく代表する作者もいた。大暦諸子から賈島、姚合一派*1 に至るまでは、すなわちこの類である。この系統の作者は、同様の傾向があるようだ。

すなわち経験領域が比較的狭く、また才気に弱さがある点である。そのため、律詩とい うスケールが比較的小さく、字句や偶聯や章法への研磨が一層重視される詩体が彼らの 要求に一致して好まれやすかったのだ。晩唐の多くの作者が賈島を尊崇していた*1

*9 初唐と盛中唐における詩格類の著作:空海の『文鏡秘府論』には、元兢《詩髄脳》 崔融(63−76)《唐朝新定詩格》等の書籍が引用され、当時の状況が推測されている。

史伝にその書籍名が残っていないものもあり、書籍としては本人の代表作ではなく、啓 蒙書的なものであったことはそこからも推測できる。(原書・《第一編隋和初唐的文学批 評第三章第二節上官儀、元兢、崔融》参考)

*1

大暦諸子から賈島、姚合一派:大暦諸子はしばしば「大暦十才子」としてまとめら れる。大暦年間(76−79)に活躍した銭起・盧綸・吉中孚・韓!・司空曙・苗発等の 詩人をさす。盛唐から中唐への詩風の転換期とされる。賈島(79−83)字は浪仙、范 陽の人。若くして僧となるが、韓愈に認められ還俗、科挙を目指したが合格せずに終わっ た。賈島の詩は苦吟で有名。姚合(75?−85?)陝州の人。元和11年の進士。詩にお いて賈島と肩を並べ、 姚賈 と呼ばれる。晩唐苦吟派の宗主。

*1

晩唐の多くの作者が賈島を尊崇:原書《第三篇・第三章・第三節・三齊己和風騒旨

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はまさにそのためである。賈島はまさしく限られた世界の中で苦心して磨きをかけ、新 しさと変化を求めて、五律を以て名をあげた、成果の明らかな代表的詩人である。唐末 五代の少なからずの詩格は山林に隠遁している僧侶、あるいは隠士が作っていて、彼ら の生活と審美趣味は律詩の様式と比較的適合していた。従って、晩唐五代の詩格は自然 に律詩の討論がその特色となったのである。

詩格は初学者を教えるために作られたので、そこで論じられる内容は概ね浅くて表面 的なものである。詩格の作者は、必ずしもこの点を意識していないわけではなかった。

中唐時期の皎然が著した《詩式》*1では、作詩とは「自己の気持ちによって作成するが、

神から授かるごときである。……考えを深めることはできても、それを言語化するのは 難しい」と言う(《詩式序》。その微妙なところは、ただ感覚として捉えることができ るもので、人に示すことができても、言語表現のレベルで終わってしまい、往々にして 形式的で技巧的なものとなる。《詩式》には頗る精妙なところがあって、これと唐末五 代の詩格を比較すると、それらがとりわけ浅薄なことが明らかとなる。これらの著作は、

往々にして体系性に欠け、名目が多すぎて、議論がぎこちなく無理があり、甚だしきに 至っては例句を多く挙げるばかりで、解説はほとんどない。一種の粗略な講義概要にす ぎないようであり、あるいは聴講者の簡単な筆記のようである。そのため、これらの著 作はしばしば後人から非難された。しかしながら、もしその粗雑さを取り去り精華を残 せば、注意に値するところがないわけでもない。確かに詩を学ぶ者の教材として見るな らもとよりその価値は高くないけれども、文学批評史の研究対象として見るなら、それ らの作品から当時の人々の詩歌に関する志向性を窺うことができる。

晩唐五代の詩格の主な内容を、かいつまんで述べると以下のようになる。(旧題では 賈島《二南密旨》、白居易《金針詩格》となっているが、これが本物か偽物か分別しな *1。おそらくは唐末五代の人が仮託した可能性が高い、あるいは唐末五代の人の手を 経ているが、当時の人々の視点を反映するものとなっている)

格》中p6にて詳論がある。

*1 皎然が著した《詩式》《第二篇・第三章・中唐的詩歌批評・第三節皎然》参照

*1

本物か偽物か分別しない:《第三篇・第三章・第三節晩唐五代的詩格》p2では、

「前人の多くが偽作と考えるが、偽作と決める明快な証拠は見つかっておらず、学者の 中には、本人の作ではなくとも、その説がそこに残されている可能性を考えるものもい る」とある。

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(一)声律と対偶を論じる

晩唐五代の詩格の中で、この方面に関する内容は比較的少ない。しかし、それらはか つて人に言及されていなかった項目を示した。たとえば、王叡の《炙轂子詩格》のいわ ゆる「計調」や「背律」*1は、実は後世の詩話の中でよく言及される拗体、折腰体であ り、共に律詩の用字に関する平仄や声調について言ったものである。また、後世のいわ ゆる「流水対」*1は、晩唐五代の詩格の中でもすでに言及されていて(《炙轂子詩格》

《二南密旨》を参照)*1、ただ名称が違うだけである。

(二)律詩各聯の地位と作用を論じる

後世の習慣では律詩の各聯を首聯、$聯、腹聯(または頸聯)、尾聯と称する。この 類の名称は、またすでに晩唐五代の詩格中に見える。たとえば《炙轂子詩格》では「頷 下語」「腹内の句」「断章」に言及し、徐"《雅道機要》の中では破題、$聯、腹中、

断句の称があり、文!《詩格》では破題、頷聯(また束題と名づける)、詩腹(または 景聯と名づける)、詩尾と称しており*1《金針詩格》では、破題、$聯(または撼聯と 名づける)、警聯、落句と言っている*1。これらの詩格書は以上のような名称を言い出 しただけでなく、各聯の全詩の中の地位と作用も論じている。その中で非常に人の注目 を引く点は、即ち、頷聯に対して、あるいは「一篇の眼目」《雅道機要》)と称し、あ るいは「一篇の意味を言い尽くす」(文!《詩格》)と言い、あるいはこの聯を「驪龍の 珠のように、しっかり抱いてはなさないようにせよ」《金針詩格》)と称していて、頷 聯はすなわち一篇の主旨の所在であると考えているような所である。これに相応して、

詩格書の中で挙げた詩例は頷聯が常で、たとえば斎己の《風騒旨格》、虚中の《流類手

*1

王叡の《炙轂子詩格》のいわゆる「計調」や「背律」:王叡(生卒年不詳)、益州新 繁の人。「計調」は平声の所に仄声を用いたもの、「背律」は八句の律詩に五句で失黏す るもの。(原書《第三篇・第三章・第三節一王叡《炙轂子詩格》参照pp2〜7)

*1「流水対」:たとえば《炙轂子詩格》では「何如百年!,不見一人閑」をひき、「両 句一意体」とするが、これは二句が対になりながら、内容は一つの意味をさし、後世に 所謂「流水対」となるもの。原書p5参照。

*1

《二南密旨》:賈島の作とされるが、おそらくは名を依託するもので、偽書。(原書

《第三篇・第三章・第三節十附:《二南密旨》《金針詩格》参照pp2〜8)

*1 文!《詩格》:文!は五代の時期の#(福建)の僧。《詩格》では、律詩の各聯につ いて論じている。(原書《第三篇・第三章・第三節九文!詩格》参照pp9〜7

*1

《金針詩格》:中唐の白居易の作とされるが、多くの学者は偽作と見る。(原書《第 三篇・第三章・第三節十附:《二南密旨》《金針詩格》参照pp2〜8)

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鑒》*1は共にそうなっている。また、《風騒旨格》《雅道機要》、文!《詩格》がいずれ も尾聯こそ尽きない意味を持たねばならないという点に言及していることも、注意すべ きである。八句の律詩は短く、伝えるべき事が凝縮洗練されており、尾聯が含蓄と余韻 をもつことで、最も人に芸術的な味わいを与えるものだ。律詩中で格調が清遠とされる ものは、特にこのようなものである。

(三)律詩の練磨を論じる

律詩は古詩より一層の練磨を重んじる。それは、律詩は新鮮な意象を知恵をしぼって 探し考えるだけでなく、さらに意象を厳格な声律、精巧な対偶などの制限の中に納めね ばならない。表現が短いので、少しでも欠点があれば、失敗となるからである。律詩は 洗練されて、含蓄のあることが特色となるのが常である。故に一字一句をなおざりには できない。中晩唐で、苦吟を以て著名な詩人の中に、古体を以て特色とする人がいない わけではないが、やはり律詩に心を引かれた者が多い。これは偶然の現象ではないだろ う。晩唐五代の詩格書の中では、字句に磨きをかけることを強調する内容が頗るあって、

この点も詩格書の登場が盛んに律詩が作られたことを反映することを示している。徐! の《雅道機要》では「磨錬を叙す」専門の一節を列べ、詩の意、句、字に対して、全て

「微意細心にして、手を抜くな」と強調し、"仙(賈島)は年を経て、周朴は月を盈 つ」というほどの苦心鍛錬を主張している。文!《詩格》の中でも「これはと思う句を 探すことに耽けり、どんな一字の中にも気持ちを込める」と言う。王叡の《炙轂子詩格》

では字句を洗練することに直接に言及してはいないが、彼が述べた「句病体」を見る と、当時の人々が句を練り、偶聯をきちんと整えるべき事を非常に厳格に求めていたこ とがわかる。これらの詩格書では賈島に対する尊崇が常に表現されている。賈島はまさ しく苦吟を以て著名であったので、賈島を尊崇することは練磨を重んじる意味を含むこ とになる。後世の詩話では好んで字句を練ることを言う。晩唐五代の詩格に関連する内 容は、我々が源流を探り、この種の詩歌の批評理論の発生、発展の過程を考察すること に有益なのである。

*1

虚中の《流類手鑒》:虚中(生卒年不詳)、宜春の人。唐末の詩僧。強引に政教に結 びつける語句解釈を見せる。引用の律詩では齊己の《風騒旨格》同様頷聯を引くことが 多い(原書《第三篇・第三章・第三節四虚中流類手鑒》参照pp2〜4)

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(四)詩歌の政教の意義を宣揚する

晩唐五代の詩格の中には一つの普遍的な現象がある。即ち政教説を宣揚して、牽強付 会に流れるところだ。本編で紹介する十一種(《二南密旨》《金針詩格》を含む)の詩 格の内、その中の七種にはかかる面の内容を含んでいる。それらは事物の描写の中に政 教に関わる比喩をもつ意義を強調しており、事物をこのような意義の象徴符号とみなし ている。また、詩には内、外の意味があるといい、外意とは詩歌言語が直接的に表現し ている意味であり(往々にして事物の描写である)、内意はその深層的な象徴、比喩さ れる意義だ、と考えている*2。それらの詩格の作者の見解によれば、この種の書き方こ そがつまり作詩の「天機」「要道」なのだ。

この種の情況は唐末五代の社会の政治状況と関係がある。政治が極端に混乱して、社 会が大激動の時期、下層の文人、僧や隠士は乱世においてなんとか生き延び、暫時の安 寧と閑適を得て、吟詠を以て拠り所とはしていても、決して完全に世事を忘れることは できない。即ち《風騒旨格》の作者斎己について言えば、彼が「身を避る場所は真の境 に依り、旧渓のように安閑である(避地依真境,安閑(舊))」ことを慶びながら、た ちまち「干戈は百里の外(干戈百里外)」の現実に思いいたる(《'*上人》に見え る)「全国は全て廃墟であり、戦争殺害のあと(九土盡荒墟,干戈+,《丙寅&

寄潘-仁》「庶民を見るのは耐えられなく、周囲は怪我人ばかりである(那堪.黎庶,

匝地是瘡痍)《讀!山碑》「天祐の末を悲しみ、懿宗の初を愁う(傷心天祐末,4 懿宗初)《寄錢塘/0事》「まず驕りぜいたくする本となり、遂には災難と変乱の根 源となった(始作驕奢本,1為2亂根)《寓言》)などの時を感じ、乱を痛む語句は、

彼の詩の中に頻繁に見える。《雅道機要》の作者である徐"もしばしば「強盗が虎狼の ように縦横する(盜跖5!($狼)《閉門》「賊や兵が去来する歳月は長く続く(賊 去兵來3月長)《東京次新安道中》「共に長安を語るに、涙が襟に満ちる(共#長安

%滿襟)《贈楊著作》)などとため息をついていた。このような社会状況と心境は、当 然ながら彼らに詩の政教意義を忘れさせない。しかし、詩格作者だけがそうだったので はない。教化説の盛行は、唐末五代全体の文学批評の中で頗る人の注目すべき現象であ

*2

たとえば《金針詩格》では、「詩には内・外の意がある。一に内意というのは、そ の理を尽くすことである。理とは義理の理であり、美刺箴誨類がそれだ。二に外意とい うのはその象を尽くすことだ。象とは物象の象で、日月山河虫魚草木の意味である。内 外の意味が共に含まれてこそ詩格に沿うものである」という。原書p5参照。

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る。白居易の諷喩詩は、生前には決して雑律詩、《長恨歌》などのように人口に膾炙し ていなかったが(白氏《與元九書》*2に見える)、唐末に至るや、却って諷喩詩に因っ て「広大教化主」として白居易は尊ばれるのだ(張為《詩人主客図》*2に見える)。こ のような状況は、非常に興味深い。しかし、これらの作者には杜甫のような「年を窮め、

庶民を憂え、腸内熱く嘆息する(窮年憂黎元,&息腸!熱)《自京赴奉先縣詠懐五百 字》)という深く、灼熱的な感情はなく、また白居易のように自分の創作を以て人民の 苦しみを反映し、美刺諷喩の手段とすることもない。彼らは大いに賞賛や批判を言うが 上っ面で浅薄であり、本当に創作実践に移すこともなかったし、またできなかった。こ うして彼らの政教説は容易に牽強付会に流れていくのである。

この種の無理で、強引な政教説は儒家伝統の詩教とも関係がある。儒家の詩教は美刺 諷喩も強調し、また温柔敦厚、興を寄せ深く微に入ることも主張した。そこで、詩歌創 作と批評の中に一種の比興によって何かを託すことを重んじる考え方が作られる。創作 においては、この種の考え方の下で、多くの象徴意義がある作品が現れた。その中でで きの良いものは、確かに内容を深化させ、感情深く、味わう価値があり、芸術的な魅力 を高めている。その一方、批評ではこの種の考え方の影響をうけると、その詩意に対す る理解が作品の実際に沿うものとなる可能性もあれば、また強引に考察を加えて枠に填 めてしまう可能性もある。唐代について言えば、《文選》の李善注、特に五臣注の中で、

このような理解は少なくない*2。この種の作詩と読詩の考え方の影響は甚だ大きくて、

政治に関係ないけれども同じような性格のものもある。《文鏡秘府論》の中に王昌齢の

「十七勢」*2が載っており、その中の「謎比勢」で挙げた例ではこう言っている。「秦

*2

白氏《與元九書》:白居易が元"に送った手紙。そこには「今僕之詩,人$愛者,悉 (%律詩與長恨歌已下耳。時之$重,僕之$輕。至於諷#者,意激而言質,!適者,

思淡而詞迂,'質合迂,宜人之不愛也。」とあり、諷喩詩が人々に受け入れられていな い事が示されている。

*2

張為《詩人主客図》:張為は袁州の人。唐末の詩人。《詩人主客図》は、《論語・先 進》にある「子曰:由也升堂矣,未入室矣」に基づき、詩人を主と上入室・入室・升堂・

及門の五段階に分けて評価する。上入室以降は客側の位置づけ。白居易は「広大教化主」

の位置におかれる。(原書《第三篇・第三章・第一節張為詩人主客図》pp3〜74参照)

*2

《文選》李善注、五臣注:《文選》は梁の太子蕭統の手になる文学総集。李善(?〜

9)は代表的な注釈者。五臣は玄宗の時呂延祚が呂延済・劉良・張銑・呂向・李周翰 を集めて作った注釈。原書《第一編隋和初唐的文学批評・第三章初唐文学批評・第六節 李善和文選注》参照pp6〜69。

*2

《文鏡秘府論》・王昌齢の「十七勢」《文鏡秘府論》は日本の留学僧空海の作。王昌

12

(13)

楚が深いことを怨むなかれ、江中でも秋雲が起きる。天は長く夢は隔てが無く、月は寒 水の中に映る(別怨秦楚深,江中秋雲起。$長夢無%,月映在寒水)。その「江中」「月 映」の二句は、ただ景物で雰囲気を際立たせているばかりのようだ。しかし、その注語 によるなら、「江中」の句は、秋雲が風に従って漂い、再び本に戻ることの難しさによっ て、別れた後の再会の難しさを喩えているのであり、また「月映」の句は、夢中の出会 いは即ち虚しい幻であって、それはちょうど水中に映る月影が暁に至ると再び見えなく なるようなものだというのである。この様な表現方法は確かに謎かけの言葉に近いもの であるが、これが一種の「勢」*2として纏められているのだから、このような考え方が 一般化していたことがわかる。また、孟啓の《本事詩》*2の中に載せる少なからぬ故事 は、いずれも寄託を求める読詩方法を反映する。たとえば白居易が楊柳詞を作ったのは、

妓女小蛮に気持ちを向けるものだ*2と考えられている。これらは皆、政教には関係な いけれども、その中に反映される考え方は、詩の内外の意味、物象に政教意義を求める 読詩の方法と、実は同じ種類なのである。この種の思考様式の深遠な影響も、晩唐五代 の詩格による強引な政教説の重要な背景の一つとなっている。

上述の四方面の内容の他に、晩唐五代の詩格の中にはまた幾つかの注意すべき内容が ある。たとえば、唐代ではある論者がかつて詩と仏家の道理、仏家修行との関係に言及 している。また徐!は《雅道機要》の中で「そもそも詩というのは、儒家の禅である

(夫詩者,儒者之#也)」と概括して言った。宋人は詩禅を言うのを好んでいるが、実は 唐人がもう既にこの気風を開いていたのだ。また、たとえば王叡の《炙轂子詩格》の中 に「景象模写含蓄体」があり、文!の《詩格》の中に「入玄」と称する破題法がある。

齢(68?−77)は盛唐の詩人。《文鏡秘府論》のなかには、王昌齢の詩論が多く引用さ れて、同時代資料として貴重なものとなっている。「十七勢」は、詩の創作技法を十七 種に分けて説いたもの。謎比勢とは、「今詞人不悟有作者意,依古勢有例」という。例 にあげた詩は王昌齢の自らの詩《送李"之秦》

*2

勢:態勢・様子のこと。ここでは詩句相互関係の有様を言う(楊明・羊列栄《中国 歴代文論選・先秦至唐五代巻》上海教育出版社、27年9月による)

*2

孟啓の《本事詩》:孟啓(生卒年不詳)僖宗乾符二年(85)の進士。《本事詩》は、

詩歌創作に関わる物語をあつめ七種類に分類したもの。詩歌にまつわる物語の記載は後 世の詩話に大きな影響を与えた。(原書《第三篇・第三章・第二節孟啓本事詩等》pp

〜41参照)

*2

白居易・楊柳詞・妓女小蛮:白居易の「楊柳詞」は洛陽の永豊坊の楊柳を唱ったも の。小蛮は白居易に二人いたという侍女の一人の名。「楊柳のごとし小蛮の腰」と表現 された小蛮が年を重ねて太ったので、それを指摘したのだとの解釈。

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それらは典型的な景物、器具、細部を通して、感情を伝達し、雰囲気を滲ませ、人物を 表現して、余韻があり、味わいに耐えることに到達することを指している。その審美的 な視線は注意しなければならない。早くも南北朝末期では、《顔氏家訓・文章》*2

「蕭々たる馬鳴、悠々たる旆旌(蕭蕭馬鳴,悠悠旆旌)「蝉が鳴き林は一層静かにな り、鳥が鳴き山は一層ひそやかになる(#噪林(!,鳥鳴山更幽)「芙蓉の露は下に 落ち、楊柳が月影に疎らにみえる(芙蓉露下落,楊柳月中疏)」などの句を賞賛して、す でにこのような観点を現している。初唐の李善が《文選注》の中で「明月は高楼を照ら し、流光は正に徘徊する(明月照高樓,流光正徘徊)」の句を「文外の傍情」と称する*2 のも同じようなことである。王昌齢が詩の結尾法を論じる時、「言葉を尽くし終えて意 も極まるようにしてはならない(不得令語盡意窮)」の一類(「含思落句勢」*3)があり、

この方法は即ち景物の描写で全詩を終わらせ、それを以て余味を求める方法で、この分 類に属するといってよい。散文批評の中では、劉知幾の「用晦」*3の説もこういう審美 的な観点を包含している。たとえば、馬に乗るが牝か牡かを知らざるという細かさを以 て人物の一心不乱を表現し、敵を追って血が袖に満ちるという描写を以て戦争の激烈と 緊張を表現するのを賞賛するのは、詩歌批評の中の「心で悟ることはできるが、言葉で 伝えることはできない(只可*意會,不可*言宣)(文!《詩格》)と同工異曲である。

この種の批評は美学的な意義に富んでいる。先述した政治的な寄託を探し求める「内外 の意」の説が含蓄についても重んじたとはいえ、この二者は実は同じではない。もちろ ん、この二者の間に境がないときもある。たとえば、「天地に一夜の雨がふり、草木は 各地に春の様子を見せる(乾坤一夜雨,草木萬方春)」が表現した活気に満ちてゆく光 景から、「王の恩沢は均しくおよぼされ、春風は広びろとそよぐ(王澤'均,春風"扇) の感じが生まれ、「貧しくなり書剣を売り、病をえて世間を憶う(貧來賣書劍,病起憶

*2

《顔氏家訓・文章》《顔氏家訓》は、南朝北朝に使えた顔子推の撰。

*2

「文外の傍情」《文選》に載せる曹植の《七哀詩》の冒頭の句につけられた李善の 注に「夫皎月流輝,輪無#照,*其&光未沒,%若徘徊。前覺*為文外傍情,斯言當矣」

(胡克家本)とある。「文外傍情」とは、文章表現を越えて感情がつたわること。

*3

「含思落句勢」:王昌齢《十七勢》の内の第十勢。引用は「含思落勢者,$至落句,

常須含思,不得令語盡思窮。」の部分。

*3

劉知幾の「用晦」:劉知幾(61−71)、字は、子玄、彭城の人。歴史家。《史通・叙 事》に「然章句之言,有顯有晦。顯也者,繁詞+",理盡於篇中;!也者,省字)文,

事溢於句外。」とある。「用晦」とは、簡略な表現で意を尽くし、深い意味をこめて文辞 表現外に主旨を伝えようとすること。(原書《第一編・第三章・第五節劉知幾》pp

〜56参照)

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(15)

江湖)」で描写した士人の生活と心理状態から「時政はどうなのか」と連想して、政治 に結びつけてしまうこと(孟賓于《碧雲集序》*3、これは必ずしも詩人の原意に符合し ないとはいえ、比較的自然な連想であることを失わない。

晩唐の詩歌批評の著作の中で、孟啓の《本事詩》は実は小説家の部類だが*3、人々の 詩歌を愛好し、賞美する一つの側面をも反映し、後世の本事曲、本事詞の著作の道を開 いた。張為の《詩人主客図》はこれまで人々に非難されているけれども、実はその中か ら晩唐の詩歌批評の気風を伺い知ることができる。たとえば、「広大教化」の一系列が 並べられ、白居易をその主人とするところは、白氏の詩歌の唐末での影響の大きさを反 映し、またその時の教化説の盛行も反映する。またたとえば、「清奇雅正」の一系列が 並べられているのは、即ち中晩唐では五律の作者が多く、また人々に歓迎されたことを 反映するものだ*3。この種のものはすべて関係ある各節に*3示しているので、ここで は贅言しない。

*3

孟賓于《碧雲集序》:唐の李有中の詩集に孟賓于が書いた序文。孟賓于は後晋の進 士。対象となる詩は、それぞれ《春日作》:和氣來無象,物情!暗#。乾坤一夕雨,草 木萬方春。染水煙光媚,催$鳥語頻。#臺%"處,歌詠屬詩人。《書王秀才壁》:茅舎何

&落,門庭長'蕪。貧來賣書劔,病起憶江湖。對枕暮山碧,伴吟涼月(。前賢多晩),

莫*有霜鬚。(四部叢刊本)である。これらの詩は、個人の情感を朗詠するものだが、政 治の有様が個人の情感に反映されて詩が生まれたという詩経の解釈を援用すれば、当時 の政治情勢の反映と見ることもできる。

*3

実は小説家の部類:明の胡應麟は、「その出来を検討すると、誠に小説家の流派に 属す」といっており、史実との齟齬も指摘されている。

*3

:広大教化・清奇雅正の一系列:《主客図》は、主人とそこに集う入室から升堂まで 格付けされた客によっていくつかの系列に分かれている。詩人は中晩唐の者が大多数を 占める。白居易が「広大教化主」、孟雲卿が「高古奥逸主」、李益が「清奇雅正主」、孟 郊が「清奇僻苦主」……となる。このうち「清奇雅正主」の下には、上入室に蘇郁、入 室に劉畋・僧清塞・盧休・于鵠・楊洵美・張籍・楊巨源・楊敬之・僧無可・姚合、升堂 に方干・馬戴・任蕃・賈島・!玄・項斯・薛壽、及門に僧良+・潘誠・于武陵・"雄・

衛準・僧志定・喩鳧・朱慶余があげられる。この書に著録されるものはすべてで八四名 であるが、この系列がもっとも人数が多くなっており、賈島・姚合という当時五律に長 じ、崇拝された詩人を含んでいる。

*3

関係ある各節:原書《第三篇・第三章詩句図・本事詩》中に述べられる各節のこと。

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