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潟
仰
宗
の
盛
衰
目
次 一
は じ め に 二
仰 山 慧 寂 ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( (
1110987654321
) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 十 八 驍( )
陸希
声 撰 「仰
山 通智
大 師 塔 銘 」唐
袁
州 仰 山慧
寂
伝仰
山 慧 寂 の 行 状 う ち は 雑 貨 屋 法身
は 説 法 で き る か 教外
の 眼 俗 官 と の拈
抂杖
の話
善
悪 を 思 わ ざ る時
耽 源 下 で納
衣 を 洗 う 景 岑 と の 這 个 の 事 の 問 答 東 平 山 で の 看 経昭 和 六 十 二 年 十 月 ( @ ( ( (
26
25
24
23
j ) @ ) j ( @ (@ i @ (@ i @ ( ( ( (21
20
19
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)
)
)石
井
韋
宙 と の読
問答
宙へ
与 え た 円 相 中 偈 鏃 を 齧 む双
峰 と の当
問 答 円 相中
の 水 字 円相
中
の 仏字
仏
に 唾 し た 行 老 話 鐘 を 贖 う 俗 官 話 慧 寂の
為人
大 変 早 い色
を 見 れ 心 を 見 る 潟 父 子 の 雪 問 答エ
山 と の 是 不 是 の 問 答宗
尚
下念
瀉山の ため の斎 わ た しは信を立て な い 修 = 一NII-Electronic Library Service 濡 仰 宗 の 盛 衰
H
( 石 井 ) (27
)航 源 下 で の 唱
礼
問 答 (28
)韋 宙 と の 六
祖
伝
の 問 答 (29
)道 存 と の 問
答
i
そ の 日 (30
)道
存
と の 問答
ー
そ の 口 (31
)思 郤 と の 頓
悟
入 理 の 問 答 (32
)亭 育 と の
禅
決 の 問 答 (33
)示 寂 後 の 記
事
( 鍬 )慧 忠 国 師 の
馬
祖
禅
批 判 (35
)石 室
善
道 の仏
法
を 探 る (36
)石 室 と 仰 山 の 月
見
(37
)過
去 の 諸 聖 は ど こ へ 逝 く (38
)仰
山 の 『華
厳
経 』 の話
(39
)仰 山 の 一
劃
の 意 味 (40
)仰 山 と 岑 大
虫
と の 話 の 長 慶 の 批 評 (41
) 禾 山 笹 描殷
の 悪発
(42
) 仰 山 の 鍬 と 玄 沙 の 鍬 の 話 コ ロ ヘ ロ ノ ロ 一 にt
避 に 四 部叢
刊
本 の 宋 版 『景
徳 伝 燈 録 』 巻 一 二 の 臨 済義
玄 の章
は 、 鎮 州 臨 済 義 玄 禅 師 は、 曹 州 南 華 の 人 な り 。 姓 は 邪 氏 。 り て 、 衆 に 随 い て 参 侍 す 。 時 に 堂 中 の 第 「 坐 、 勉 め て 問 話 せ し む 。 つ 。 是 の 如 く 三 た び 問 う に 、 三 た び 打 せ ら る 。 (43
) 噸 仰 山 、 ( ( ( (57
56
55
54
) ) ) ) ( ( ( ( ( ( ( ( ( (53
52
51
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49
48
47
46
45
44
) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 一 = 一 東 寺如
会
に 二度
参
ず 濾 山 の 「 大 用 を得
ず 」 の 仰 山評
濡 仰 父 子 の 体 用問
答
瀉 仰 父 子 の浄
瓶
問
答 見 事 な 燈 籠 瀉 仰 父 子 の枯
樹
問 答 囚 に停
め て智
を 長 ず 牛 の見
張 り 田 中 に 幾 人 い る か 濡 仰 父 子 の禅
学 問 答 三 界 の 太 鼓 ・ 須弥
の 槌鴉
の 落 と し た熟
柿
処 微 和 尚 と の名
前
問 答 有 舌 土 と 無舌
土 悟 を 仮 る や お な じ み の 大 悟 の 機 縁 を次
の よ う に伝
え て い る 。 幼 く し て 出 塵 の 志 を 負 う 。 落 髪 、 進 具 す る に 及 び、 便 ち 禅 宗 を 慕 う 。 初 め 黄 蘗 に 在 師 は 乃 ち 問 う 、 「 如 何 な る か 是 れ 祖 師 西 来 の 的 的 の 意 」。 黄 蘗、 便 ち 打 す で 遂 に 告 げ て 第 一 坐 に 辞 し て 云 く 、 「 早 に 激 勧 の 問 話 を 承 る に 、 唯 だ 和 尚 の 棒 を 賜 わ る を 蒙 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service る の み 。 恨 む 所 は 愚 魯 な る こ と な り 。 且 く 諸 方 に 往 き て 行 脚 し 去 ら ん 」 。 上 坐 、 遂 に 黄 蘖 に 告 げ て 云 く 、 「 義 玄 は 是 れ 後 生 な り と 雖 も 、 却 っ て 甚 だ 奇 特 な り 。 来 辞 の 時 、 願 わ く は 和 尚、 更 に 提 誘 を 垂 れ ん こ と を 」 。 来 日 、 師 は 黄 蘗 を 辞 す 。 黄 蘖 は 指 し て 大 愚 に 往 か し む 。 師 は い ず れ 遂 に 大 愚 に 参 ず 。 愚 問 う て 曰 く、 「 什 麼 の 処 よ り 来 る 」 。 日 く、 「 黄 蘗 よ り 来 る 」 。 r 愚 曰 く 、 「 黄 蘖 に 何 の 言 教 か 有 る 」 。 曰 く、 「 義 玄 は 親 し と ぷ く 西 来 の 的 的 の 意 を 問 う に、 和 尚 の 便 ち 打 つ を 蒙 る 。 是 の 如 く 三 た び 問 う て 三 転 し て 打 せ ら る 。 知 ら ず、 過、 什 麼 の 処 に 在 る 」 。 愚 曰 く 、 ち と ま 「 黄 蘗 は 恁 麼 に 老 婆 に し て、 汝 が 為 に し 得 て 徹 困 な る に 、 猶 お 過 を 霓 む る 在 り 」 。 師 は 是 に 於 い て 大 悟 し て 云 く 、 「 仏 法 も 也 た 多 子 無 し 」 。 と ら せ ど ら い 愚 は 乃 ち 師 の 衣 領 を 揚 え て 云 く 、 「 適 来 は 我 れ 会 せ ず と 道 う に、 而 今 は 又 た 多 子 無 し と 道 う 。 是 れ 多 少 来 や、 是 れ 多 少 来 や 」 。 師 は 愚 の カ か か か え 肋 下 に 向 い て 打 つ こ と 一 挙 す 。 愚 は 托 開 し て 云 く 、 「 汝 は 黄 蘗 を 師 と せ よ 、 我 が 事 に 干 わ る に 非 ず 」 。 師 は 黄 蘖 に 却 返 る 。 黄 蘖 聞 う て 云 た い そ く せ い ま さ く、 「 汝 、 迴 る こ と 太 速 生 」 。 師 云 く、 「 只 だ 老 婆 心 切 な る が 為 な り 」 。 黄 蘗 云 く 、 「 遮 の 大 愚 老 漢、 待 に 見 え て 与 に 打 す る こ と 一 頓 せ ん 」 。 コ さ い ま う 師 云 く 、 「 什 麼 の 待 に 見 え て と 説 か ん 、 即 今 便 ち 打 た ん 」。 遂 に 黄 蘖 を 鼓 つ こ と 一 掌 す 。 黄 蘖 は 吟 吟 と し て 大 笑 す 。 ( 三 丁 右 左 ) こ の
臨
済 の 大悟
の機
縁 に 対 し て 、 『伝
燈 録 』 に は 、 瀉 仰 父 子 の 著 語 は な い 。 『 四家
録 』 の 現 存 の最
古 形 を 保 っ て い る 宋 版 の 『 天 聖 ( 1 ) 広 燈 録 』 巻 一 〇 で は 、 平 手 打 ち を く ら っ た 黄蘗
が 、次
の よ う に 大 成 し た臨
済 を賞
め て後
に 、 潟 仰 父子
の著
語 が 付 さ れ て い る 。 マ マ こ な ご 檗 云 く 、 「 者 の 風 顛 漢 、 者 裏 に 来 っ て 虎 鬚 を 将 ず 」 。 師 は 便 ち 喝 す 。 檗 云 く、 「 侍 者、 者 の 風 顛 漢 を 引 い て 参 堂 し 去 ら し め よ 」 。 潟 山 は 前 の ニ モ の か み お か げ 因 縁 を 挙 し て 仰 山 に 問 う、 「 臨 済 当 時 、 大 愚 の 力 を 得 た る か 、 黄 檗 の 力 な る か 」 。 仰 山 云 く 、 「 但 だ 虎 鬚 を 将 ず る の み に 非 ず 、 亦 た 虎 頭 に よ 騎 る こ と を 解 く す 」 。 ( 柳 田 聖 山 主 編 『 禅 学 叢 書 之 五 』 所 収 本 、 中 文 出 版 社 ) 『伝
燈
録
』 に も 濡仰
父 子 の 著 語 が無
い 訳 で は な く 、先
の 大悟
の機
縁 の つ づき
は 、 次 の よ う に な っ て い る 。 は と む ぎ ず く わ 黄 蘖 、 普 請 し て 慧 穀 を 鋤 く 。 師 の 後 に 在 り て 空 手 に し て 立 つ を 迴 見 し て 乃 ち 問 う 、 「 钁 は 何 の 処 に 在 り や 」 。 師 曰 く、 「 上 坐、 将 ち 去 れ り 」 。 ね ん て つ 黄 蘗 曰 く、 「 近 前 し 来 れ 。 汝 と 商 量 せ ん 」 。 師 は 向 前 し て 叉 手 す 。 黄 蘗 は 钁 を 将 っ て 地 を 钁 し て 曰 く 、 「 我 が 遮 の 钁 は 天 下 の 人 も 拈 皺 ふ ぽ は ゆ 不 起 。 還 た 人 の 拈 得 起 す る 有 り や 」 。 師 は 掣 得 し て 挙 起 し て 云 く 、 「 钁 は 義 玄 の 手 裏 に 在 り 」 。 黄 蘖 曰 く 、 「 今 日 、 自 ら 人 の 普 請 に 赴 く 有 お り り 。 我 れ 著 か ず し て 去 れ り 」 。 便 ち 自 ら 院 に 帰 る 。 〈 瀉 山 、 因 み に 仰 山 の 侍 立 す る 次 、 方 に 此 の 話 を 挙 し て 未 だ 了 ら ざ る に、 仰 山 、 便 ち な ん し 問 う 、 「 钁 は 黄 蘗 の 手 裏 に 在 り し に、 什 麼 と 為 て か 臨 済 に 奪 却 せ ら る 」 。 薦 山 云 く 、 「 賊 は 是 れ 小 人 、 智 は 君 子 に 過 ぎ た り 」 。V
今
、 『 臨 済録
』 の 成 立 に つ い て は 、柳
田先
生 の 研究
があ
る の で 、 そ れ を参
考 に し て 、臨
済
宗
の確
立 に 瀉 仰 父 子 の存
在 が 必要
だ っ た こ と を 確 認 し た ま で の こ と で あ る 。 つ ま り 、柳
田 先 生 は 、 『臨
済 録 』 ( 大 蔵 出 版 ) で次
の よ う に述
べ ら れ る 。 唐 末 五 代 の 戦 乱 期 の 間 、 河 北 の 鎮 州 と い う 天 涯 の 一 角 に 独 処 し て 、 人 々 の 見 聞 の 外 に あ っ た 臨 済 の 禅 が、 そ の 門 流 に よ っ て 再 び 江 南 に 盛 濡 仰 宗 の 盛 衰 日 ( 石 井 ) 一 = 二 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 濡 仰 宗 の 盛 衰
H
( 石 井 )=
四 大 と な る に は 、 濡 山 と 仰 山 の 証 明 が 必 要 だ っ た の で あ る 。 ( 同 書 − 二 三 七 頁 ) し か も 、 円 覚宗
演 の 重刊
本 の 『 臨 済 録 』 の 古形
で あ る 『 天 聖 広 燈 録 』 に の み み ら れ る の で は な く 、 別系
統
と 考 え ら れ る 『 景 徳 伝燈
録
』 に も 瀉 仰 父 子 を 登 場 さ せ て い る こ と は 、 確 か に 瀉仰
宗
の 教 団 の動
き を 認 め て い た と 言 っ て よ い で あ ろ う 。中
国禅
の 五 家 の う ち に 最 初 に 成 立 し た 濡仰
宗 は 、 周 知 の ご と く北
宋代
に は そ の 系 統 は 跡 を 絶 つ こ と に な っ て し ま う 。 法 系 の断
絶
は 、 語録
の編
集 に も 影 響 し 、 明 代 に な っ て や っ と 『 五家
語 録 』 と し て 、 『 濔 山語
録 』 と 『仰
山 語 録 』 を 生 む こ と に な る 。 そ れ ゆ え 、 瀉 仰 父子
の 研 究 の資
料 は 十分
に 批 判 に た え う る内
容 を も た な か っ た と 言 え よ う 。 今 世 紀初
頭 に 発 見 紹 介 さ れ た 『 祖 堂 集 』 は 、濡
仰
宗 の 研究
に お い て も貴
重
な資
料 を 提 供 す る に 至 っ た 。先
に 紹 介 し た 臨 済 義玄
の大
悟 の 機 縁 を 『祖
堂 集 』 巻 一 九 で は 、次
の よ う に伝
え て い る 。 マ マ し 臨 済 和 尚 、 黄 蘗 に 嗣 ぐ 、 鎮 州 に 在 り 。 師、 諱 は 義 玄 。 姓 は 刑、 曹 南 の 人 な り 。 黄 蘗 の 鋒 機 に 契 い て よ り、 乃 ち 化 を 河 北 に 闡 く 。 提 綱 峻 速 に し て 示 教 幽 深 な り 。 其 の 枢 秘 に 於 い て 示 誨 陳 べ 難 し 。 略 し て 少 分 を 述 ぶ 。 ( 中 略 ) 黄 蘗 和 尚 、 衆 に 告 げ て 曰 く 、 「 余 は 昔 時 、 大 寂 に 同 参 す す る 道 友 あ り 、 名 づ け て 大 愚 と 日 う 。 此 の 人、 諸 方 に 行 脚 し 、 法 眼 明 徹 す 。 今 ま 高 安 に 在 り て、 願 に 群 居 を 好 ま ず 、 独 り 山 舎 に 栖 む 。 余 と の ち も む お 相 い 別 る る 時 、 叮 嘱 し て 云 く 、 『 他 後 に 或 し 霊 利 の 者 に 逢 わ ぽ 、 一 人 を 指 し て 来 り 相 い 訪 わ し め よ ヒ 。 時 に 于 い て 師 は 衆 に 在 り て 聞 き 巳 い だ つ ぶ さ の わ り て 便 ち 往 い て 造 り 謁 せ ん と す 。 既 に 其 の 所 に 到 り て、 具 に 上 説 を 陳 ぶ 。 夜 間 に 至 り て 、 大 愚 の 前 に 於 い て 、 『 瑜 伽 論 』 を 説 き 、 唯 識 か た を 譚 る 。 復 た 問 難 を 申 ぶ 。 大 愚 は 畢 夕、 峭 然 と し て 対 え ず 。 旦 に 至 る に 及 ん で 来 り て 師 に 謂 い て 曰 く 、 「 老 僧 は 山 舎 に 独 居 す 。 子 が 遠 来 を 念 い て 、 且 く 一 宿 を 延 べ し む 。 何 が 故 に 夜 間 に 吾 が 前 に 於 い て 羞 慙 も 無 く 不 浄 を 放 つ や 」 。 言 い 訖 わ り て 之 を 杖 つ こ と 数 下 し て 、 推 出 か え も し て 門 を 関 却 せ り 。 師 は 黄 蘗 に 迴 り て、 復 た 上 説 を 陳 ぶ 。 黄 蘗 は 聞 き 已 わ り て 稽 首 し て 曰 く 、 「 作 者 な り 。 猛 火 の 燃 ゆ る が 如 く 、 子 の 人 さ ゆ に 遇 う を 喜 ぶ 。 何 ぞ 乃 ち 虚 し く 往 る や 」 。 師 は 又 た 去 き て 、 復 た 大 愚 に 見 ゆ 。 大 愚 曰 く、 「 前 時 に 慙 愧 無 き も 、 今 日 何 が 故 に 又 た 来 る 」 。 お た び 言 い 訖 わ る や 便 ち 棒 を も て 門 よ り 推 出 す 。 師 は 復 た 黄 蘖 に 返 り て 和 尚 に 啓 聞 す 、 「 此 の 迴 、 再 び 返 る も 是 れ 空 し く 帰 ら ず 」 。 黄 蘖 曰 く、 た と ふ 「 何 が 故 に 此 の 如 し 」 。 師 曰 く、 コ 棒 の 下 に 於 い て 仏 の 境 界 に 入 る 。 仮 使 い 百 劫 に 粉 骨 砕 身 し 、 頂 擘 し て 須 弥 山 を 遶 る こ と 無 量 百 を 経 る む く な よ も 、 此 の 深 恩 に 報 ゆ る に 酬 得 す べ き 莫 し 」。 黄 蘖 は 聞 き 已 わ り て 之 を 喜 ぶ こ と 常 に 異 な り て 曰 く 、 「 子、 且 く 歇 を 解 く し て 更 に 自 ら 出 身 せ す な わ よ 」 。 師 は 旬 日 を 過 ぎ て 、 又 た 黄 典 を 辞 し て 大 愚 の 所 に 至 る 。 大 愚 、 纔 か に 見 て 、 便 ち 師 を 棒 せ ん と 擬 す 。 師 は 棒 子 を 接 得 し て 、 則 便 ち う し ぎ り 大 愚 を 抱 倒 し て 、 乃 ち 其 の 背 に 就 い て 之 を 欧 ( 毆 ) つ こ と 数 拳 す 。 大 愚 は 遂 に 連 に 点 頭 し て 曰 く 、 「 吾 れ 山 舎 に 独 居 し て 、 空 し く 一 生 を 過 お も マ マ す と 将 謂 え る に、 期 せ ず し て 今 日 却 っ て 一 子 を 得 た り 」 。 〈 先 招 慶 和 尚 、 挙 し 終 り て 乃 ち 師 演 侍 者 に 問 う て 曰 く、 「 既 に 他 に 因 り て 悟 を 得 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service な に ゆ え モ の か み び に 、 何 以 に 却 っ て 拳 を 将 っ て 他 を 打 つ や 」 。 侍 者 曰 く 、 「 当 時、 教 化 は 全 て 仏 に 因 る 。 今 日、 威 拳 は 惣 て 君 に 属 す 」 〉 。 師 は 此 に 因 り て そ む 大 愚 に 侍 奉 し て、 十 余 年 を 経 た り 。 大 愚 は 遷 化 に 臨 む 時 、 師 に 嘱 し て 云 く、 「 子、 自 ら 平 生 に 負 か ず 。 又 た 乃 ち 吾 が 一 世 を 終 う 。 已 後 出 世 し て 心 を 伝 う る に 、 第 一 に 黄 蘗 を 忘 る る こ と 莫 れ 」 。 自 後 、 師 は 鎮 府 に 於 い て 匡 化 し 、 黄 蘗 を 承 く と 雖 も、 常 に 大 愚 を 讃 ず 。 化 門 に 至 あ ら り て は、 多 く 喝 棒 を 行 ず 。 ( 中 略 ) 自 余 の 応 機 対 答 は 、 広 く 別 録 に 彰 わ る 。 威 通 七 年 丙 戌 の 歳 ( 八 六 六 ) 、 四 月 十 日 に 示 化 す 。 諡 し て 慧 照 マ マ 大 師 と 号 し 、 澄 虚 の 塔 と い う 。 (
Vl
九 八 〜 一 〇 二 )臨
済
の 大 悟 の 機 縁 の 話 が 流 動的
で あ っ た こ と を知
る と 共 に 、 こ の 『祖
堂 集 』 に 伝 え る 話 こ そ 、 異 説 と い う の で は な く て 、史
実
に 近 い も の で あ っ た と考
え ら れ る 。 泉州
の 招 慶 院 に伝
え ら れ た 『 別 録 』 な る 説法
の 記 録 と 臨 済 の 行 状 は 、決
し て 異説
と は言
え な い で あ ろ う 。 そ の 史実
を 伝 え て い る の は 、 『祖
堂 集 』巻
一 九 の 黄蘖
霊観
の章
に 見 え る曹
山 本 寂 の 洞 山 良 价 へ の参
学
の機
縁
( 2 ) ( 3 ) と 同 じ と 言 え よ う 。 『 祖 堂集
』 が も つ 資 料 価 値 に つ い て は 、 既 に 全 体 的 に 検討
さ れ て い る問
題 で あ る 。 『祖
堂 集 』 が 伝 え る話
は 、 異説
と し て 、 従 来 の 『 伝 燈 録 』 等 で伝
え る 説 と 並行
し て 語 る の で は な く 、 『 祖 堂集
』 を 第 一 次資
料 と す る 唐中
期
以 降 の禅
宗史
の 再 検討
が な さ れ ね ば な ら な い と 筆 者 は考
え て い る 。特
に 臨 済 義 玄 の 行 状 を 中 心 に 、今
ま で概
観 し て来
た の は 、 こ の論
文
で 今 後 に 検討
し て行
き た い濡
仰 宗 の 問 題 を 取 り扱
う とき
の資
料 批 判 を念
頭 に 置 い て い る か ら で あ る 。 『 祖 堂 集 』 の臨
済
義
玄 の章
に は 、 瀉 仰 父 子 の著
語 は な い 。 潟 仰 父 子 の 著語
も 、 宋版
『 伝 燈録
』 と 宗演
重 刊本
『 臨済
録 』 ( 『 広 燈 録 』 も 含 む ) と は 大 き く 異 な っ て い る 。 つ ま り大
悟 の 機 縁 に 対 す る 瀉仰
父 子 の著
語
は 、 『伝
燈 録 』 に な く 、 『 臨 済 録 』 に存
し 、 ま た 、普
請
の 話 で は 、 『 伝燈
録 』 と 『 臨済
録
』 で は 、 「 賊 是 小人
、 智 過 君 子 」 の著
語
が 、 瀉 山 と仰
山 と 全 く 逆 と な っ て そ れ ぞ れ 異 な る 。 濔仰
父 子 の 登 場 が す で に流
動
的 で あ り 、定
着
す る ま で に 紆 余 曲 折 を経
て い る の で あ る 。後
に も 別 の 理 由 か ら 述 べ る が 、 濡 仰宗
を検
討 す る の に 、 『祖
堂 集 』 を 再 評価
す
ぺ き と 言 う こ と を 、 臨 済章
が 語 っ て く れ て い る と 言 っ て よ い の で あ る 。 ま た 、臨
済
宗
が先
に 言 う よ う に 江湖
に 進 出す
る に当
た っ て 、 濡仰
父 子 の 著語
が 必 要 だ っ た の は 、 そ れ だ け 厳 然 と し て 濡仰
宗
の教
団 が勢
力
を も っ て い た こ と を 伝 え て い る の で あ る 。 に も か か わ ら ず 、 必 ず し も 濡 仰 宗 の研
究 が 、 従来
に お い て 十 分 に検
討
さ れ て い る と は 思 え な い の で 、 こ こ に 基 礎 的 な 研究
を行
な お う と 思 っ た の であ
る 。 そ も そ も 、 瀉仰
宗
を解
明 し な け れ ば な ら な い と考
え た 動 機 と そ れ を 解 明 す る 具体
的 な方
法 に つ い て 、 大き
く 二 つ の 理由
が筆
瀉 仰 宗 の 盛 衰H
( 石 井 )=
五 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 漏 仰 宗 の 盛 衰
H
( 石 井 )=
六 者 に は存
在 す る 。第
一 に は 、 濡 仰 宗 ・ 臨済
宗 ・曹
洞
宗 ・ 雲 門宗
・法
眼 宗 の い わ ゆ る 五家
の分
類 の妥
当性
と そ の実
態
の解
明
で あ る 。 五 家 を最
初 に 分類
し た と 言 わ れ る法
眼 文 益 の 五 家観
は 、 極 め て 限 ら れ た 時 代 と 場 所 で 成 立す
る も の で あ っ て 、 決 し て 一 般 に 考 え ら れ て い( 4 ) る よ う な 南 宗
禅
の 発 展 と そ の 展 開 を 鳥 瞰的
に み て 分 類 し た の で は な い 。 そ の こ と は 、 別 の論
文 に簡
単 に 触 れ て お い た 。特
に 、曹
洞宗
教 団 と 法 眼 文益
の 五家
の分
類
に 注 目 す る な ら ば 、 法 眼 が い う 曹 洞 宗 と は 、 曹 山 宗 と も い う べ き 曹 山本
寂 派 の勢
力
を意
味 す る こ と が 明 確 に な っ て来
た 。 洞 山宗
は 王 仙 芝 の 叛 乱 も あ っ て完
全 な 解 散 が 一度
行
な わ れ る 。 江 西省
撫 州 を 中 心 とす
る曹
山 本 寂 に よ る 洞 山 教 団 の 再編
成 の 動 き こ そ曹
洞 宗 な の で あ る 。 曹 洞宗
の 教 団 の 実 態 は 、 余 靖 撰 「笏
州 洞 山 普 利禅
院 伝 法 記 」 な ど に よ り 明 確 に な り 、 新 た に 解 明 でき
た の であ
る 。 曹 洞 宗 と は 、 そ の命
名 か ら で も判
る よ う に 、曹
山 本 寂 な し に は存
在
し え な い の であ
る 。 さ ら に 限 定 し て 言 う な ら ば 、曹
山 宗 が厳
然
と し て 勢 力 を も っ て い た と い う 事実
が 先 行 し て い て 、後
に そ の系
統
に 対 し て 洞 山 の名
が冠
せ ら れ て曹
洞 宗 と 名 づ け ら れ た と い う の が 実 状 に 即 し て い よ う 。曹
山宗
が常
に 意 識 し た集
団 は何
か 。 そ れ は 仰 山 宗 で あ る 。 濔 仰 宗 も 仰 山 本寂
な し に は命
名 は 不 可 能 で あ る 。 こ こ に 曹 洞 宗 の 成 立 と 同 じ よ う に 考 え ら れ る 仰 山 宗 の 解 明 が 必 要 と な る 。 以 下 で検
討
す る の は 、 瀉 仰 宗 の 解 明 で あ る が 、筆
者 の 見通
し の 中 で 、 濔 山 宗 が あ っ て 仰 山宗
と し て 発 展 す る と か 、 あ る い は 濔 山宗
を仰
山 宗 が 包含
し て 形 成 さ れ る と い う 一般
の 説 に 対 し て 、 前者
よ り 後 者 に 近 い 説 と い う の で は な く 、 既成
の 集 団 は あ く ま で 仰 山宗
で あ り 、仰
山宗
が発
展 し 展 開 す る に 当 た っ て 濔 山 の 名 が冠
せ ら れ た 経 過 を 具 体 化 し た い の で あ る 。 た と い 濔 山 宗 な る も の が存
在 し た と し て も 、 五 家 で い う 濔 仰 宗 の実
態
に は 即 さ な い の で あ り 、 潟 山 宗 は 一 度 断絶
し て い て 、仰
山 宗 が 再 編 成 さ れ る と き に 潟 山 が 登 場 す る こ と を 見 定 め よ う と 考 え て い る 。 こ の 見 通 し は 、 曹 洞宗
の 解 明 の結
果
を 踏 ま え る こ と は も ち ろ ん で あ る が 、 濡 仰 宗 と は 、 江 西 省 の 集 団 を さ す と 考 え る 立 場 に 立 つ も の で あ る 。 そ こ で は じ め て 曹 山 宗 の存
在
に 対 立 す る 仰 山 宗 の 存 在 が 確 か め う る と 思 う も の で あ る 。第
一 の 立 場 は 、 従 来 の 濡 仰 宗 の 勢 力 と考
え ら れ て い た 湖 南 省 の集
団 は 、後
に検
討
す る こ と に し て 、 江 西 省 の仰
山 宗 の実
態
を 明 か さ ん と す る に あ る 。 ゆ え に 濔仰
宗 の 基礎
的 研 究 を まず
仰 山 慧寂
か ら は じ め 、 仰 山 の 弟 子 に 及 び 、 つ い で仰
山 の 兄弟
弟
子 に触
れ 、 さ か の ぼ っ て 瀉 山 霊 祐 を検
討
し た後
に 、 瀉 仰 宗 全 体 の 盛衰
を検
討
し た い と考
え て い る 。 そ の検
討 の 為 の資
料 整 理 を 順 次 し て後
に 、問
題
を 提起
す る こ と に し た い 。 こ こ に 第 一 の 立 場 が あ る 。 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service ( 5 ) 第 二 に は 、 鈴 木 哲 雄 博 士 の 『
唐
五 代 禅 宗 史 』 ( 山 喜 房 仏 書 林 ) の 中 で 検討
さ れ た 「 五家
語
録 」 の 成 果 を 取 り 入 れ て 、 資 料 の再
検 討 をす
る に あ る 。 鈴 木 説 で は 、 「 五 家 語録
」 の 『 濡 山 語 録 』 は 、 明 代 に新
た に 総 括 さ れ た 編 集 で あ り 、 出 典 の 中 心 は 宝 祐 元年
( 一 二 五 三 ) に 成 立 し た 『 五 燈会
元 』 で あ る と解
明 し て 、 次 の よ う に結
ば れ て い る 。 濃 山 語 録 は 長 い 禅 の 歴 史 の 背 景 を も っ て 成 立 し た 。 そ れ は 通 常 の 語 録 と は 異 質 で あ っ た 。 五 家 の 分 類 が 成 熟 し た 中 で、 最 終 的 帰 結 と し て 人 為 的 に 成 立 し た 。 成 立 の 背 後 に 曹 洞 以 外 の 四 家 は 馬 祖 下 で あ る と い う 考 え 方 の あ っ た こ と は 留 意 し て お く ぺ き で あ ろ う 。 瀉 山 語 録 に よ っ て 瀉 山 そ の 人 を 知 る べ き で は な い 。 む し ろ 黄 龍 楊 岐 派 下 の 禅 思 想 の 一 端 を 、 伝 燈 録 と 対 比 す る こ と に よ っ て、 そ の 中 か ら 汲 み 取 る べ き で あ ろ う。 ( 同 書 − 四 四 三 頁 ) 筆者
は 、 こ の 意 見 を 全 面的
に 肯定
し た 上 で 、 新 た な 濔仰
宗 の 解 明 に取
り 組 み た い と 考 え る 。つ ま り 、 「 潟 山 語
録
に よ っ て 瀉 山 そ の 人 を 知 る べ き で は な い 」 と 言 う こ と は 、 濡 山 霊祐
の 思 想 や 禅 風 を検
討
す る 為 に は 、 新 た な資
料 の 編 成 が 必要
で あ る と考
え る 。 そ の こ と は 、同
じ く 「 五 家 語 録 」 の 一 つ と し て 編 成 さ れ た 『 仰 山語
録
』 に も 言 え る こ と で あ る 。 そ れ で は 、 新 た な 瀉仰
宗 の資
料 と は 何 か 。 そ こ で 考 え ら れ る こ と は 、先
に取
り あ げ た 臨 済 義 玄 の 資 料 の こ と で あ る 。 現 存 す る最
古
の形
体 を 残す
『天
聖 広 燈 録 』 に 収 め ら れ る 『 四 家 録 』 が 、 す で に臨
済
章
に お い て 『 伝 燈 録 』 と 異 な る こ と を簡
単
に 触 れ た 。 つ ま り 、 臨 済 の語
録
は 、 『祖
堂 集 』 と 『 伝 燈 録 』 と 『 広 燈 録 』 の 三 段 階 の 伝 承 が あ り、 『 広 燈 録 』 が 宗演
本 の 『臨
済
録 』 に 継 承 さ れ て い る と 言 わ れ て い る の であ
る 。 す な わ ち 『 祖 堂集
』 巻 一 九 に も 、先
に 引 用 し た様
に 「 別 録 」 な る も の の 存 在 があ
っ た こ と が 知 ら れ て い る し 、柳
田 先 生 は 、 『伝
燈
録 』 の 語 も 、 『宗
鏡 録 』 巻 九 八 と の 一 致 か ら 、 『 語 録 』 の 存 在 を 指 摘 さ れ て い る ( 6 ) の で 、増
広 、 改 編 し て 、 一 つ の 『 語 録 』 の 編 集 本 の 原 形 が 出 来 上 が る に は 、 臨 済 を 例 に と れ ぽ 、 三 段 階 を 知 り う る の で あ る 。 し か も 、 三 段 階 に は 、 一 応 の ま と ま っ た底
本 が あ っ て 、 最 初 期 の 編集
に つ い て 詳 し い こ と は ま っ た く 判 ら な く て も 、 第 二 段階
で 止 め て 、 そ の 思想
や禅
風 を 考 え て み る 必 要 を感
ず る の であ
る 。 試 み に 「 度 、臨
済
義
玄 の 場 合 、 『祖
堂 集 』 の 第 冖 段 階 と 『 伝燈
録
』 の第
二段
階 だ げ の資
料 の み で 、 現 在 知 ら れ う る 『 臨済
録 』 を 全 く 考 慮 に 入 れ な い で検
討
す る様
な も の で あ る 。 こ の 手 続 き を 取 ( 7 ) れ ば 、臨
済
宗 の発
展 に よ る 瀉 仰 父 子 の臨
済
の 語 の 著 語 は 、 き わ め て 古 拙 の ま ま で の み 残 る こ と に な る 。 仰 山 の語
録 の 場 合 、 『 広 燈録
』 で 知 ら れ る よ う な 『 四家
録 』 の 原 形 の編
集
本 は 成 立 す る こ と は な か っ た 。 し か し 、 臨 済 と 同 じ よ う に 、 『 祖 堂集
』 の第
一 段 階 は 、仰
山慧
寂
の 揚 合 も 認 め ら れ る の であ
る 。 瀉 仰 宗 の 盛 衰H
( 石 井 ) 一 一 七 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 濡 仰 宗 の 盛 衰
H
( 石 井 ) 一 一 八 自 余 の 法 要 、 及 び 化 縁 の 事 は、 多 く 『 仰 山 行 録 』 に 備 わ る。 ( V ー 八 〇 ) こ の 記事
は 、 仰 山 の 語 録 に 関 し て 詳 細 な編
集 を 語 ら な い け れ ど も 、 重 要 で あ る 。 「 五 家語
録
」 の 一 つ の 『仰
山 語 録 』 と は 、 全 く 異 な る編
集
本 の 存 在 を 予 想 す る こ と が で き る の で あ る 。幸
い に 、 『 祖 堂集
』 の仰
山 慧寂
章
は 、 き わ め て 長 い章
で 、 『祖
堂 集 』 を 中 心 に仰
山 の 思 想 や 禅 風 を 検 討 し う る の で あ る 。 こ の第
一 段 階 で 止 め て し ま う こ と も 可 能 であ
る が 、第
二 段 階 の 『 伝 燈録
』 も こ の論
文 で は 加 え て検
討
す る 。 そ れ は 、古
い 成 立 だ け が 正 し い と は限
ら な い こ と と 、 伝 承 を 二 つ に す る こ と に よ っ て流
動
性 の 巾 を み て お き た い か ら で あ る 。 し か し 、 す べ て を網
羅 す る こ と を し な い の は 、後
世 に 加 え ら れ て い く 話 に は 、 加 え ら れ た 時 点 の歴
史 的 な 状 況 が 色濃
く 反 映 さ れ て い る 場 合 が多
く て 、筆
者 が 意図
し て い る 瀉 仰 宗 そ の も の の解
明 に か え っ て マ イ ナ ス に な る 面 が あ る か ら で あ る 。 第 二 の 立 場 は 、結
局 の と こ ろ 、新
た な 濔仰
宗 の 資 料 を 、 『 祖 堂集
』 と 『 伝燈
録
』 に 限 定 す る こ と に よ っ て 、 そ の 整 理 か ら 濔仰
宗
そ の も の を 解 明 し た い と考
え て い る 。 但 し 、 「塔
銘
」 が あ る 場 合 に は 、 そ の 伝 記 資料
と し て最
も 重要
な資
料 であ
る か ら 、最
初
に 付 す ぺ き こ と は 必要
であ
ろ う 。 ま た 、 端 拱 元年
( 九 八 八 ) に 成 立 し た 賛 寧 撰 『 宋 高僧
伝 』 も 伝 記 を 検 討 す る の に 欠 か せ な い の で 、 こ れ も資
料 に 加 え 、 必要
に 応 じ て 、 山 志 や 地方
志
類
は 加 え る こ と に し た い 。 以 上 二 つ の 動 機 と 方 法 か ら 、仰
山慧
寂 と 『 祖 堂集
』 を 中 心 に 、 そ こ か ら 派 生 す る 瀉 仰 宗 の 盛衰
の 問 題 を 以 下 に検
討
す る こ と と し よ う 。N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe (
1
) 柳 田 聖 山 教 授 は 、 現 存 す る 最 古 の 形 を と ど め る 『 四 家 語 録 』 を、 『 天 聖 広 燈 録 』 に 求 め ら れ る 。 『 臨 済 ノ ー ト 』 ( 春 秋 社、 昭 和 四 六 年 三 月 ) 、 「 臨 済 の こ と ぽー
『 臨 済 録 』 口 語 訳 の 試 みー
」 ( 『 禅 文 化 研 究 所 紀 要 』 第 三 号 、 昭 和 四 六 年 一 〇 月 ) 、 「 語 録 の 歴 史−
禅 文 献 の 成 立 史 的 研 究ー
」 ( 『 東 方 学 報 』 第 五 七 冊 、 昭 和 六 〇 年 三 月 ) な ど 。 ( 2 ) 拙 稿 「 曹 山 本 寂 の 五 位 説 の 創 唱 を め ぐ っ て 」 ( 『 宗 学 研 究 』 第 二 八 号、 昭 和 六 一 年 三 月 ) 、 拙 著 『 宋 代 禅 宗 史 の 研 究 』 ( 大 東 出 版 社、 昭 和 六 二 年 一 〇 月 予 定 ) な ど 。 (3
) 柳 田 聖 山 「 「 祖 堂 集 」 の 資 料 価 値H
」 ( 『 禅 学 研 究 』 第 四 四 号 、 昭 和 二 八 年 一 〇 月 ) 、 拙 稿 「 泉 州 福 先 招 慶 院 の 浄 修 禅 師 省 澄 と 『 祖 堂 集 』 」 ( 『 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要 』 第 四 四 号、 昭 和 六 一 年 三 月 ) な ど 。 (4
) 拙 稿 「 濡 仰 宗 と 曹 洞 宗 」 ( 『 宗 学 研 究 』 第 二 九 号 、 昭 和 六 二 年 三 月 ) で 次 の よ う に 述 ぺ て み た 。NII-Electronic Library Service そ も そ も 、 一 般 に 五 家 の 成 立 発 展 は、 時 代 と 場 所 を 大 き く 異 に し て い る と 説 明 さ れ 、 そ の 一 般 の 説 も 正 し い と 思 わ れ る 。 つ ま り 、 湖 南 省 で 初 め て 成 立 し た 瀉 山 教 団 は 、 江 西 省 の 仰 山 に 受 け 継 が れ、 少 し 遅 れ て、 河 北 省 の 臨 済 宗 と 江 西 省 の 曹 洞 宗 が 唐 末 に 勢 力 を も ち、 五 代 に 入 り、 広 東 省 に ま ず 雲 門 宗 が 成 立 し 、 つ い で 、 浙 江 省 を 中 心 に 法 眼 宗 が 大 ぎ な 勢 力 を も つ に 至 っ た、 と 言 う の で あ る 。 成 立 の 順 序 と そ の 勢 力 圏 は 五 家 そ れ ぞ れ に 全 く 異 に す る の で あ る が 、 果 た し て 法 眼 文 益 は そ の よ う に 考 え て い た で あ ろ う か 。 前 回 、 曹 洞 宗 で 考 察 し た の と 同 じ よ う な 例 が、 五 家 全 体 に お い て 考 え ら れ る の で あ っ て 、 曹 洞 宗 と は 洞 山 恵 敏 ( ?
1
九 四 八 ) の 勢 力 と 直 接 に は 捉 え た ご と く、 瀉 仰 宗 と は 仰 山 光 涌 ( 八 五 〇 ー 九 三 八 ) を、 臨 済 宗 と は 灌 渓 志 閑 ( ?1
八 九 五 ) 下 の 雲 蓋 懐 溢 ( 八 四 七 ー 九 三 四 ) を、 雲 門 宗 と は 雲 門 文 偃 ( 八 六 四 − 九 四 九 ) を 具 体 的 に 視 野 に 入 れ な が ら 、 限 定 さ れ た 地 域 に 発 展 し た 五 家 観 を も っ て い た と 思 わ れ る 。 ( 5 ) 拙 稿 「 書 評 鈴 木 哲 雄 著 『 唐 五 代 禅 宗 史 』 」 ( 『 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 論 集 』 第 一 七 号 、 昭 和 六 一 年 一 〇 月 ) で も 少 し 紹 介 し た 。 (6
) 前 注 ( 1 ) の 『 臨 済 録 ノ ー ト 』 七 七 頁 。 (7
) 同 書。N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
二
仰
山
慧
寂
( 1 ) (1
)陸
希
声 撰 「仰
山 通 智 大 師塔
銘
」 ( 『 全 唐 文 』 巻 八 一 三 )自 文
宗
朝
、 有 大 瀉 山大
円禅
師
、 居 士養
道 以 曹渓
心 地 、直
指 示 学 人 、 使 入 元 理 。天
下 雲 従 霧 集 、 常 数 千 人 。 然 承其
宗 旨 者、 三 人 而 已 。 一 日仰
山 、 二 日 大安
、 三 日 香 厳 。希
声 頃 因従
事 嶺 南 、 遇仰
山 大 師 於洪
州 石 亭 観音
院
。 洗 心 求 道 、 言 下契
悟
元 旨 。 大 師嘗
論門
人 、 以 希 声 為 称 首 。 及 大師
自 石 亭 入東
平 、会
希
声府
罷
冒 暑 躡属
、 礼辞
於 巌 下 。 違 師 僅 三 十年
。 師 帰 円寂
、今
老 門 人 光 昧 、専
自東
山来
、 請 予 以文
銘 和尚
塔
。 予 頃在
襄
州 、有
香 厳 門 人 請 予為
香 厳 碑 。 已 論 三 人 同体
異
用 之 意 。 其 瀉 仰 宗 の 盛 衰H
( 石 井 ) ( 2 ) ( 3 ) 文 宗朝
よ り 、 大 瀉 山 大 円 禅 師有
り 、 居 士 の道
を 養 う に曹
渓
の 心 地 を 以 て し 、直
に 学 人 に 指 示 し て 、 元 理 に 入 ら し む 。天
下 、 雲 の如
く 従 い 、霧
の 如 く集
ま り 、常
に 千 人 を 数 う 。然
し て 其 の宗
旨
を 承 く る者
は 、 三 人 の み 。 一 に 仰 山 と 日 い 、 二 に ( 4 ) ( 5 ) こ の こ 大 安 と 日 い 、 三 に 香厳
と 日 う 。 希 声 、頃
ろ嶺
南
に 従 事 す る に ( 6 ) 因 り、仰
山 大 士 に 洪州
の 石 亭 観 音 院 に 遇 う 。 心 を洗
い 、 道 を 求 め 、 言下
に元
旨 に契
悟
す 。 大 師 、嘗
て門
人 を論
ず る に 、希
( ↓ 声 を 以 て称
首 と 為 す 。大
師 、 石亭
よ り 、 東 平 に 入 る に 及 ん 一 一 九NII-Electronic Library Service 滔 凹 仰 宗 の 盛 衰 日 ( 石 井 ) 辞 日 、
仰
山 龍 従 於 江 西 、 大安
雨 聚於
闡 越 、 香 厳 霰驫
於 南陽
。皆
尋 流 得源
、 同 出 異名
之謂
也 。達
道 者 皆 以 為 確論
。按
西 域秘
記 、 自 達摩
入 中 国 、当
有
七 葉草
、 除 其 首 是 也 。 仰 山 、韶
州 人 。 俗 姓葉
氏 。 仰 承 六 祖 、 是 為 七 葉 。然
曹 渓 心 地 、撥
去 文 字 、 不 使 染着
。 而 大 師 即 以 曹 渓 元 旨 印 於大
教 、莫
不 元 符 。 即 曹 渓 所 云 、 湛 然常
寂
、 妙 用 恒 沙 、 円 明変
化
、 不 可揆
測 。 此 所 謂 一 体 異 用 者 。 予 以 香 厳 碑 内 、 已 曽 論 三 師 之旨
。故
不 得 重 言 、 以 俟 知者
。今
略解
釈 、 以 為搭
銘 。 大 師 法名
慧 寂 。 居 仰 山 日 、 法 道 大行
。 故今
多 以 仰 山 為 号 。 享年
七 十 七 、 僧 臘 五 十 四 。従
国 師 忠 和 尚 、得
元 機境
智
、 以曹
渓
心 地 、 用 之 千 変 万 化 。 欲 以直
截 指 示 学 人 、 無 能 及者
。 而 学=
6
た ま や お か わ ら ぐ つ ぱ で 、 会 た ま 希 声 、 府 を
罷
め 、 暑 を 冒 し て 、属
を 躡 き 、 巌 下 には な わ ず か
礼
辞
す 。師
を 違 れ る こ と僅
に 三 十 年 な り 。 師 、 円 寂 に 帰 し 、 ち か ご ろ ( 8 ) ( 9 ) 今者
、 門 人 の 光 昧 な る も の 、専
ら 東 山 よ り 来 た り、 予 に 文 を( 10 ) 以 て 和 尚 の
塔
に 銘 せ ん こ と を請
う 。 予 、頃
ろ襄
州 に 在 り 。 香( 11 )
厳
の 門 人有
り て 、 予 に 香厳
の碑
を 為 さ ん こ と を 請 う 。 已 に 三 人 の 同 体 異 用 の 意 を 論 ず 。 其 の辞
に 曰 く 、 「仰
山 、 龍 を江
西あ つ あ ら ね や に 従 わ せ、 大
安
、 雨 を 閾 越 に聚
め 、 香厳
、霰
を南
陽
に 聶 朋 ま す 」 と 。 皆 な流
れ を 尋 ね て 源 を 得 る 、 同 出 異名
の 謂 な り 。達
( 12 )
道
の 者 は 、 皆 な 以 て 確 論 と 為 す 。 『 西 域 秘 記 』 を 按 ず る に 、 「達
摩 の 中 国 に 入 り て よ り 、 当 に 七 葉 草有
り て 其 の 首 を 除 く 」 と は 是 れ な り 。( 13 )
仰
山 は 、 韶 州 の 人 な り 。俗
姓 は葉
氏 に し て 、 六 祖 を仰
承す
る は 是 れ 七 葉 と 為 す な り 。 然 し て曹
渓 の 心 地 は 、文
字 を撥
去 し て 、染
着 せ し め ざ る な り 。 而 し て 大 師 は 、 即 ち曹
渓
の 元旨
を 以 て大
教 に 印 し 、 元 符 せ ざ る は莫
し。 即 ち曹
渓 の 云 う所
の( 14 ) い わ 湛 然 常 寂 、 妙 用 恒 沙 、 円 明
変
化 を 、 揆 測 す べ か ら ず 。 此 れ 所 ゆ ( 15 ) 謂 る 一体
異 用 の こ と な り 。 予 、 以 て 香 厳 の碑
内 に 、 已 に曽
てま 三 師 の
旨
を 論ず
。 故 に 重 ね て 言 う を 得 ず 、 以 て 知 者 を 俟 つ 。今
、解
釈
を 略 し 、 以 て 塔 銘 を為
す
。( 16 )
大
師 の 法 名 は慧
寂
な り 。仰
山 に居
す る の 日 、 法 道 、 大 い に 行 な わ る 。 故 に 今 、 多 く仰
山 を 以 て 号 と 為す
。 享 年 、 七 十( 17 ) 七 、 僧
臘
、 五 十 四 。 国 師 忠 和 尚 よ り 、 元 機境
智
を 得 て 、曹
渓 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 者 往 往
失
旨
、 揚 眉 動 目 、敲
木 指 境 、 逓 相 効 教 、 近 於 戯 笑 、 非 師 之過
也 。然
師 得 曹 渓 元 旨 、 伝 付 学 人 。 雖 与 経 教符
同
、 了然
自 顕 一 道 、 合離
変 化 。 所 謂 龍 従 者 也。 大 師 元 和 二年
六 月 二 十 一 日 生 、 中 和 三 年 二 月 十 三 日 入滅
。 大 順 二年
三 月 十 日 、 勅 号 通智
大 師 妙 光 之塔
云 爾 。 乾寧
二 年 三 月 一 日 、 力病
撰
銘 日 、 六 用 如 如、 合 於 太 虚 、 四 大 無 主 、当
帰 享 土 。 以 家 為塔
、終
古永
楽
。 千 載 之 後 、 霊 光 照灼
。( 八 丁 左 〜 一 〇 丁 右 ) (
2
) 唐 袁 川 仰 山慝
寂 伝 ( 『 宋 高 僧 伝 』 巻 = 一 )釈 慧 寂 、
俗
姓 葉 、 韶 州漬
昌 人 也 。 登年
十 五 、懇
請 出 家 。 父 母都
不 聴 允 止 。 十 七 再 求 。 堂 親 猶 予 未 決 。 其 夜有
白 色 光 二道
、 従 曹 渓発
来 直 貫 其舎
。 父 母 乃 悟 是 子 至誠
之 所 感 也 。寂
乃断
左
無 名 指 及 小 指 。 器 藉 跪 致 堂 階 日 、 答謝
劬
労 如 此 。 父 母 知 其 不 可 留 捨 之 。 濾 仰 宗 の 盛 衰 日 ( 石 井 ) の 心 地 を 以 て 、 之 を 千 変 万 化 に 用 う 。 直截
を 以 て 学 人 に指
示 せ ん と 欲 す る に 、 能 く 及 ぶ 者 無 し 。 而 し て 学 者 、 往 往 に旨
をた が い 失 い 、 眉 を 揚 げ 、 目 を 動 か し 、 木 を 敲 き 、 境 を 指 し 、
逓
相
に こ う こ う ( 18 ) 効 數 し て 、 戯笑
に 近 き は 、 師 の 過 に あ ら ざ る な り 。 然 し て師
、 曹 渓 の 元 旨 を得
て、 学 人 に 伝付
す 。経
教 と符
同 す と 雖 も 、 了 然 と し て 自 ら 一 道 を 顕 わ し 、 合 離変
化 す 。所
謂 る 龍 従 す る こ と な り 。 大 師 、 元 和 二年
( 八 〇 七 ) 六 月 二 十 一 日 に 生 ま れ 、 中 和 三年
( 八 八 三 ) 二 月 十 三 日 に 入 滅 す 。 大 順 二年
( 八 九( 19 ) し じ 三 月 十 日 、
勅
し て 通智
大 師 妙 光 之 塔 と 号 す 、 と爾
か 云 う 。乾
寧 二年
( 八 九 五 ) 三 月 一 日 、 病 を 力 め て 銘 を 撰 し て 曰 く 、 六 用 は 如如
に し て 、 太 虚 に 合 し 、 四 大 は 主無
く し て 、 当 に 享 土 に帰
す ぺ し 。 家 を 以 て 塔 と 為 し 、 終 古 永 楽 な り 。 千 載 の後
、 霊 光 、 照 灼 す 。と う し よ う ( 20 ) 釈 慧
寂
、 俗 姓 は 葉 、韶
州漬
昌 の 人 な り 。 年 十 五 に 登 り て、 懇 ろ に 出 家 を 請 う 。 父 母都
て聴
允 せ ず し て 止 む 。 十 七 に し てお や 再 び 求 む 。 堂 親 は
猶
予 し て 未 だ 決 せ ず 。 其 の夜
、 白 色 光 の 二 道有
り 、 曹 渓 よ り 発 し来
た り て 直 に 其 の舎
を 貫 ぬ く 。 父 母 乃 ち 是 の 子 の 至 誠 の 感 ず る 所 と 悟 る 。 寂 乃 ち 左 の 無 名 指 及 び小
( 21 ) ち か い た 〔 册 ) ふ ぼ 指 を
断
ち 、 器 を 藉 て て 脆 い て 堂階
に 致 し て 日 く 、 「 敏 労 に答
= = N工 工一Eleotronlo Llbrary
NII-Electronic Library Service 瀉 仰 宗 の 盛 衰 日 ( 石 井 )
依
南
華
寺 通禅
師
下 削 染 。年
及 十 八 、 尚 為息
慈
。 営 持 道 具 、 行 尋知
識
。 先 見耽
源 、 数年
良有
所 得 。後
参
大
濔 山禅
師 、 提誘
哀
之 。棲
泊
十 四 五 載 而 足跋
。 時 号跛
脚 駆 烏 。 凡於
商
擢 、 多 示 其 相 。時
韋胄
就 寂 請 伽 他 。乃
将
紙 画 規 円 相 。 円 囲 下 注 云 、 思 而 知 之 、 落 第 二 頭 。 云 、 不思
而 知 、落
第 三首
。 乃 封 呈 達 。 自爾
有
若
干勢
、 以 示 学 人 。謂
之
仰 山門
風 也 。海
衆
樞
衣 得 道者
、 不 可 勝計
。 往 往 有 神 異之
者
、 倏来
忽 去 。 人皆
不 測 。後
勅
追 諡 大 師 日 智 通 、塔
号妙
光
矣
。( 円 )
今
伝
仰
山 法 、 示 成 図相
、行
于 代 也 。( 大 正 蔵 五 〇 ・ 七 八 三 上 中 )
(
3
)仰
山 和 尚 、 嗣 瀉 山 。在
懐 化 。師
諱
慧
寂
。俗
姓 葉 。 韶 州懐
化一 二 二 謝 す る こ と
此
の 如 し 」 。 父 母 は其
の留
む べ か ら ざ る を 知 り て之
を 捨 て し む 。 ( 23 ) ね が 南華
寺
通禅
師 の 下 に依
り削
染 す 。年
、 十 八 に 及 ん で 、 尚 い ( 24 ) て 息 慈 と 為 り 、 道 具 を営
持
し て 、 行 き て 知 識 を 尋 ぬ 。先
ず 耽 ( 25 ) 源 に 見 え 、数
年 に し て 良 に 所 得 有 り 。後
に 大 瀉 山 禅 師 に参
じ 、 提 誘 し て 之 を 哀 れ む 。つ ま つ
棲
泊
す る こ と 十 四 五載
に し て 足跋
く 。 時 に跛
脚 駆 烏 と 号 ( 26 ) す 。( 27 ) ( 28 ) 凡 そ
商
擢
に 於 い て 、多
く其
の 相 を 示 す 。時
に 韋 胃 は寂
に 就 ガ タ い て 伽 他 を請
う 。 乃 ち紙
を 将 っ て 円 相 を 画 規 し 、 円 囲 の 下 に 注 し て 云 く 、 「 思 い て 之 を 知 ら ば 、第
二 頭 に 落 つ 」 。 云 く 、 「 思 わず
し て 知 ら ば 、第
三 首 に 落 つ 」 。 乃 ち 封 じ て 呈達
す 。 し か 爾 よ り若
干 の勢
有 り て 、 以 て 学 人 に 示す
。 之 を 「 仰 山 の門
( 29 ) 風 」 と謂
う 。 か か あ 海衆
の 衣 を樞
げ道
を得
る 者 、 勝げ
て 計 る べ か ら ず 。往
往 に た ち ま神
異 の老
有 り 。倏
ち に来
た り 忽 ち に去
る 。 人皆
な 測 らず
。 後 に勅
し て大
師 を 追諡
し て 智 通 と 日 い 、塔
を 妙 光 と 号 す 。よ 今 ま
仰
山 の 法 を 伝 え 、 示 す に 円 相 を 成 す は 、 代 に行
な わ る 。 仰 山慧
寂 の 行 状 ( 以 下 、 『 祖 堂 集 』 巻 一 八 の 仰 山 和 尚 の 章 )冖
仰
山 和 尚 、 瀉 山 に 嗣 ぐ 。 懐 化i
茹 に ) 在 り 師 、諱
は 慧 寂 、俗
姓 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 人 也 。