逍逝密入本について
伎と順を追っているが︑ からだ日本の朗読法は︑もともと︑
︐
しずかでゆったりした体のありかたでおこなわれ︑どちらかといえば︑端坐式の姿勢によって発声される︒その柾類と
して
は︑軍記物語の弾誦︑兵法の類の購釈︑つづいて諧談︑人情話︑浄瑠璃︑歌舞
︑︑
︑︑
坪内逍遥は︑﹁レ
トリ
ック
﹂の口頭による表現と多少似かよった言葉のめりはりは︑わが国 屈するものであった︑といってよいであろう︒ えに大きな頁献をなしている︒かれのいだいた演閾改造へのあたらしい意図から︑
行された朗読のもつ︑いきいき
した
然自
味は
︑
ふかい人間性の要求に応じて生まれたものというべきである°かれの
まなんだ英文学の理念にもとづき︑またかたわらレトリックの道をさとり︑かつその理を鑑四
した
学問的基礎のうえ
せ り ふ
に立った逍遥独自の科白は︑日本語の聴覚のための表視で︑本邦伝承文化の特質の全般をおおうに足りる芸術体系に
I
レ ト リ ッ ク と 逍 濫 の 朗 読
│ ー
悶 辻 緬 逍 遥 書 入 本 に つ い て
一生を通じてかれ自身によって遂
> ト リ ッ ク
美辞学を基礎とした脚本朗読の術は︑広く日
木語の表視による坪内逍遥独日の﹁エロキュ
ーション﹂を大成するう
尾 島 庄 太 郎
‑ 1‑
伎における言葉の音声による表現は︑元来それらが音楽的リズムを大いに加味したものであるだけに︑素直な自然な
的にわれわれ会員に︑ 明沼二十四年以来︑逍遥によって唱えられた﹁脚本朗読法﹂は︑明治︑大正にわたる新文芸運動の展開を記念する
芸術的遺産である︒大正九年︑文化事業研究会を興
し︑ページェントを唱えはじめてからの逍遥は︑はじめて︑組織
いわゆる﹁ページェソト劇﹂の内容︑形式︑目的︑主張にふさわ
しい
芸術教育をあたえること
にはげんだ︒イギ
リス
︑
アメリカなどのページェソトは︑
‑ I
六頁
︑早
大図
害館
蔵︑
サヘ
六︵
一︶
︶
ロ碑伝説による民衆教化を目的としたり︑勤労者階級慰安
のためであったり︑社会改新の運動の︱つであったり︑文化的に広義な趣味教養をめざしたりするものであ
るが
︑逍
遥は︑それらの社会活動をひっくるめるほかに︑新公共劇としてのあたらしい基礎を作るのを︑ページェント劇の本
来の目的とした︒ここで注意すべきは︑われわれにおこなわせた脚本朗読には︑逍遥が﹁レト
リッ ク﹂
の世界に発見
旗劇に応用されるようにとの意図のもとに書かれた論文は︑逍蓬独自のレトリックにたいする見解をふくめたもの
で︑まず﹃脚本の朗読法﹄︵大正九年三月発表︑﹃坪内逍逝選集﹄第十一巻︿昭和二年二月発行﹀所載︶︑また﹃それからそれ﹄
︵大
正
十年一月︑実業之日本社発行︑
早大
図害
館蔵
﹁逍
逝文
庫﹂
一︑
﹁美
辞学
の弁
﹂
図害
番号
ー文
廊六
ー一
五
0
四︶があげられる︒しかし︑明治文壇の先覚者としての逍遥は︑新時代文化への馴致の手段として︑まず︑
詩文の趣を鑑賞
した結果を発表した︒すなわち逍遥は︑明治二十
四年
︑
した
表現法がその根底としてよこたわっていたことである︒ 調子を欠くところがあると考えた︒ の芸術史上のことばづかいでは︑
レトリックの本の内容を玩味し︑
つぎの文献を出している︒
︵﹁
早稲
田文
学﹂
第二
号︑
明治
二十
四年
十月
一二
十日
発行
︑
一︑﹁読法を輿さんとする趣意﹂︵その
一︶
︵﹁
国民
の
友﹂
第 一︱ 五号
︑明 治二 十四 年四 月十
︱︱
︱日
発行
かたわら英
︱四
頁︑
第八
巻
﹁浄瑠璃﹂と﹁歌舞伎﹂があるだけであるとみなした︒さらに彼は︑
浄瑠璃︑歌舞
逍 逍 害 入 本 に つ い て
通頁五四七—五五四頁、早大図害館蔵、サイニ八(四))
﹁国民の友﹂第一号の一四頁には︑
一︑﹁読法を興さんとする趣意﹂︵その二︶︵﹁国民の友﹂第一︱六号
︑明
治二
十四
年四
月二
十三
日発
行︑
第八
巻通
頁六
0
八ー六
︱四
頁︑
︿ 完 ﹀
︑早
大
図害
餡蔵
︑
サイ
ニ八
︵四
︶︶
一五
頁以
下︑
右の文献のうち︑前者は︑文章を表現する法としての修辞を説いている︒われわれはそこに国語の音格︑詞格︑句
格等を研究する学問としての美辞学をみいだすのである︒結局︑レトリックという手段による国語の奨励が︑未来の
ページェソト劇への展開に関係をもっているところが多い︑と考えられる︒
中者︑後者には︑あくまでも広い︑大きな意味の新文化を︑国語表現を通して向上させようとの意図に専念してい
ると思われるような︑逍蓬のふかい念願がくみとられる︒とくに︑視覚にうった
えると同様の効果を︑聴覚にうったえることによってえようとするのが大切なてだてであるといわれている︒その例
として︑式
亭=
︱‑
馬
︑十返舎
一九
の口語体と外国文学の場合の文章とは異なることがないと説かれている︒ここで︑注
謡されるのは︑新時代の文学が向上するにつれて︑聴覚にうったえることにより公衆の文学眼の訓練をおこない︑
イ ゾ テ レ ク ト
﹁智力のみで読まない﹂︵﹁国民の友﹂︱
︱六
号
︑
一八
頁
︑
第八
号
︑五五四頁︶ような習性を痰うことに重点がおかれてい
る点である︒このことは︑われわれ︑逍蓬のページェントにおける実践運動に従ったものどもには興味がふかい︒
国語における伝達の力を発揮する機会を︑公共団体にもたせようという逍遥の希望は︑そののち三十数年を経た大
正九年以降に実行にうつされたといってよい︒そしてその願いは朗読の効果が芸術表現によって企てられるという︑
ニ ク ス ペ リ メ ソ ト
逍 遥 に と っ て 重 要 な 実 験 と し て こ
ころみられた°逍遥は︑ペー
ジェ
ントを提唱したのち︑かれ独自のレトリックを
甚礎とした対白︵
ダイ
アロ
グ
︶を︑科︵アクツョン︶をまじえた表現様式によって当時
のわ
れ
われに教え
たの
であ
った
︒
わかい世代のものどもを︑公共団体のメソバーとしてページェントの協同上演に練熟させることは︑逍逢が明治二十
‑ 3
﹃レトリックとは語をもて思想を有効に博ふる法なり﹄と又日く﹃論理學は思想の普通法の學なり即ち正しく理性を用 ニサ︶において﹁レトリ
ック
﹂ の定義と
して︑バアディ
ーン
のつぎの言葉を引
用していることである︒
﹂れらの著書のうちバアディーンの文献について注意すべきは︑
一 ︑
: ' A
S h o r t e 1
︑C o
u r s e i n R 意
思 翌 )
1885.
日十 大図 古館 蔵︑
FA
ー
六八
一二
九
︵﹃
美辞
学捷
径﹄
︶
逍 遥 が
﹁ 美 辞 学
﹂ 四年︑﹁読法を
奥さんとする越意
﹂ を
﹁ 国民の友﹂に書
いた頃か
らいだいていた文
芸活動の目
標の︱つであった
︒
逍逢が︑﹁レトリック﹂︵美辞学︶の本を読んだのは︑レトリ
ックという学問を研究するためではなかった︒ただ﹁レ
トリ
ック
﹂ の 文 献
を︑
文学上の新時代へ
の
貢献に役立つものと
して利用
したというこ
とがで
きる︒つまり︑かれにと っては︑悔外の美辞書の
内
容には
︑
自分の文芸を追求
する 理論的な姿勢に合致するものがみ
いだされたのであった︒
つぎに
︑ 逍 遥がひもといたと思われるレ
トリックの
文 献 で ︑ 現在早稲田大学図書館所蔵
の
ものをあげ
る ︒ 一 ︑
^ [ E l
塁芯n t s o f h R
e t 0 1
︑i c
n (
﹃美 辞学 の要 素﹄
︶
b y i R c h a r d W h a t e l e
y .
R e p r i n t e d f r o m t h e S e v e n t h E d i t i o n L o u i s v i l
l e ,
K Y . , J o h n
P
.
M o r t
o n d n
早大図書館蔵︑FAI. . ,
六八 三
七
一︑
"
P h i l o s o p h y o f h R e t o r i c
"
(﹃美辞 学原 理﹄
︶
︑
b
y J o h n a B s c o m
.
1872. 早大図忠館蔵︑FAl六八四〇
一 ︑
(
滋
E ‑
r l i s h C o m p o s t i i o n a n d R h e t o r gn(
﹃文 章構 成法 と美 辞学
﹄︶
D
.
A p p l e t
1875
o n
早大図書館蔵︑GFI一八一〇.,
一 ︑
: ' A
S y s t e m o f Rh e t o r
" i c
(﹃
美辞
学体
系﹄
︶
b y
C . W .
B a r d e e
n .
N e w Y o r k .
A S , ,
B a r n
e s
1884早大図杏館.
.蔵︑ FA ー六 八四 一
b y
c . w .
B a r d e e
n .
︵明治二十四年︑﹁早稲田文学﹂第
N e w Y o r
k ,
W o o l w o r t
h ,
A i n s w o r t
h ,
N e w Y o
r k ,
b y l A e x a n d e r
A . S .
B a
i n .
B a r n
e s ,
N e
w Y
o r
k
逍遥芯入本について
ふることを数ふ其規律は絶劉の者なり語は只釉確頗常なれば足れりとす其他を問はず
︑叉彼の園語學即ちグラムマアは人
皆の一致して無上良習と認諾したる國語の法格を数ふるものにて其の規律は名家の秤慣を糾察劉照して得たるな
り想は只
國語の法格を荼さずして表出せらるれば足れ
りとす其他を問はず︑
扱修僻法は前の二線と殊にて先ず想に欄
しては論理根
よりも一歩を進み術に正岱に推理するのみを以て足れりとはせで其思想が聴考詔者に適すべきかあらぬかを考へ又有効に 思想を現ぜんには如何なる形がよきかと其方法を講ずるものなり又語に制しても習に語法と語格との正常なるをもて足れ りとせで語を有力有味ならしめんには如何にせば佳きかといふことを数ふるものなり﹄︵﹁早稲田文学﹂第二号
︑叩治二十
四年十
J j ︱ ︱
‑ + n
︑京旗早稲田専門学校発行︑三ー四頁︑早大図祁館蔵︑サヘ六︵一︶︶
右の文は︑︑ハアディーンの本の序文
(I
nt ro duc to r. ypp,
・1
‑2 ) の 抄 訳 で あ る が
︑逍 逢 の こ の 翻 訳 で
︑二人の人物︵話し 手と間き手︶がおこなう伝達においては
︑話し
手 が 言 葉 と し て 表 現 す る 意 味 が
︑聞 き 手 に 十 分 っ た え ら れ る べ き で あ る と い う 意 味 の 数 行 が 訳 出 さ れ て い る の は
︑と
く に 注 謡 さ る べ き で あ る
︒ と い う の は
︑そ
こ に は や が て あ た ら し い 舞 台
芸
術 の 習 練 に 実 益 を も た ら す ペ
ー
ジ ェ ソ ト 劇 へ の 批 進 が は や く も 逍 遥 の 念 願 に ひ そ ん で い た と い っ て よ い か ら で あ る
︒ 逍 逢 の 右 の
﹁ 美 辞 学 の 弁
﹂ は
︑
や が て つ ぎ の ご と き
﹁ 美 辞 論 稿
﹂ の 諸 箪 と
して展開する︒
美辞論稿︹1
︺ 坪 内 緒 言
︱
I
六頁
第 一 文 の 源
第二
第三
第四
第五 文の殊と通と語の源
美辞論稲︹2︺ 七ー九頁︱
︱︱
︱ー
ニ︱
頁
二一
ー︱
︱
‑
O
頁文の形︵﹁早稲田文学﹂明治二十六年一月号︑早大図内節蔵︑
坪内
文の三大門
1 0
│
︱二
頁 逍遥
三一
ー一
︱︱
九頁
逍謡
サヘ
iハ ︵
三︶
︶
‑ 5 ‑
美辞論稿︹7︺ 第六第七
坪 内 逍 遥
智の文ー︵其一︶品類︱︱︱九ー五六頁
智 の 文 ー
︵ 第 二
︶ 理 想 五 七 ー 八 二 頁
︵﹁早稲田文学﹂明治二十六年二月号︑早大図祁館蔵︑
美辞論稲︹3
︺ 坪 内 逍 遥
第
七 智 の 文 ー
︵
第二︶理想︵つゞき︶八︱︱︱
‑10
八頁第 八 箭 の 文 ー
︵ 第 一
︶ 間紹
一
0
九ー一︱
六
頁
︵﹁
早稲
m
文学﹂
明
治二
十
六年
︱︱
︱月 サ
︑
大早 同派 ぃ館 蔵︑
サヘ
六︵
四︶
︶ サヘ
六︵ 四︶
︶
美辞論稿︹4
︺ 坪 内 逍 遥 第 九 情の文
ー
︵ 第 二
︶ 本 義
︱
︱七ーニ
1 1 0
頁
第十
間の文ー
︵第 一︱
︱) 詩歌 ニ︱
︱一 ーニ ニ
八頁
︵﹁
早稲 I J l 文学
﹂
明
治二
十六年四月号︑早大図祁館蔵︑
サヘ 六︵ 四︶
︶
美辞論稿︹5
︺ 坪
内逍蓬
第
十 一 間 の 文 ー
︵
第四︶詩歌の三体
リ︑
9 9ポ エ ト リ
ー︵甲︶主観の詩歌Ly
r ic Po
e tr1y
︱ ︱ ︱ 九
l︱四︱頁
ェビックポエトリー︵乙︶客親の詩歌E
pi c Po et ry
︱四
︱
│︱四
六頁
︵丙︶主餞兼客親の詩歌
Dr am at ic Po et ry
︱四
六ー '‑ 五〇 頁
第十
二 情 の 文 ー
︵ 第 五
︶ 華 文 一 五
︱
│︱五五頁
︵﹁
早稲
田文学﹂明治二十六年五月号︑早大図忠館蔵︑
サヘ
六︵
四︶
︶
美辞論稿︹6
︺ 坪 内 逍 遥
第
十 二 伯 の 文 ー
︵ 第五︶華文
︵ つ
づき
︶主観兼
客観の華文
一五
七 ー一
六二頁
︵﹁早稲田文学﹂明治二十六年六月号︑早大図書館蔵︑
サヘ
六︵
五︶
︶
遥遥杏入本について
のを興味ふかくおもった︒
日本の芸術論は︑その歴史的展開の経路をたどるならば︑本間久雄栂士のいわれるごとく︑その前ぶれの一っとし て菊地大龍訳の﹃修辞及華文﹄︵チェインパ
ーズ百科辞典︹明治十二年︺の項目︶にまで籾るのが妥当である°逍遥の芸術
思潮からの到達点か し︑二人の間の立場のちがいから︑上述の﹁美辞学の弁﹂︵﹁早稲田文学﹄明治二十四年︶にはじまり︑のち七回の連載に よって完結した﹃美辞論稲﹄︵明治二十六年︿完﹀︺となり︑また鴎外の﹃審美網領﹄︵明治一︱︱十二年︶となった︒両者は︑
文芸を明治の風土につちかうための領域を切り開いたことにおいては︑互いに対立しながらも︑内面的には結びつい ている︒いわば
︑両
者の芸術的な開花と︑実りとは︑当時の日本が文化社会を発展させるためにとるべき道をかざっ た︒当時逍遥によって美辞学を根底とした芸術上の問題がもちだされた︒もちろん︑先にあげたウェイトリー︑バス
コム
︑
第 十 ︱ ︱
︱
情の
文ー
︵第
六︶
理想
一六
一︱
‑│
︱七
九頁
︵﹁
早稲
田文
学﹂
明治
二十
六年
九月
号︑
早大
図書
館蔵
︑サ
ヘ六
︵五
︶︶
であることはいうまでもない︒逍逢の芸術上の経験論は︑
ベイソ︑バアディーンなどの
﹃小
説神
髄﹄
﹁レトリック﹂関係の著述の内容が︑
文芸思想のうえから逍遥にうけいれられ︑
かつ進展するのがうかがわれるのである︒
かれの文学語ないし日常語の表現と融和しながら移入され︑
*注﹃美辞論稿﹄において︑律語と散文との比較論をものした際にも︑菊地大龍の﹃修辞及華文﹄︵明浩十二年︶
礎になっているといわれる︵本間久雄著﹃明治文学史︑上﹄一八一頁︶︒
の見解が某
i
私は︑
逍蓬の文学的表現の思考経路への心覚えとみられる書きこみが︑逍遥自身の筆蹟によってたどられるのを発 見した︒そして
︑これら
の美辞学書のマージンに︑または
︑ブラソク・ページ
に︑
かれによる鉛筆書きが散見される もちろん︑逍遥がこれらの
書
物から直接的に自分のイソスビレーションをえたと断定することはできないであろ
森鴎外の観念論と対立
7 ‑
ハスコムの
﹃美
辞学原理
﹄で
は︑
て役立たされたといえる︒ う︒かれの
考え
方をみ
ると
︑
はじめから︑文学と芸術︑なかでも︑油劇およびそれに類似の音楽︑舞踊をひろく社会 ベイ ソの本が︵とくに
その第二部の諸章が︶︑逍逝の文学論への
形態上のみちびきと
し に善 川することにあったので︑
• ' W i t
H u m
u o r , R i
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C機知•l e u
わらい)(
pp.119‑124)
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恥年:,叫,'ridie1,le. T加 極tde細itions面wiil皿d h皿 曲 匹 血ef疇,x,, c:rg吝~»-c---·i
心l
h̲y 8ydntjyぷ咄;Ii.Wit泣 蜘 nni/ s町竺二Vユ
!'̲unexpec薗 傘 碕 西l1of 峠 ; 血 屯 匹cl知icitmi11,和冷, s1,rp1ise主yりり蝉砕如叫.,総S奴 鴻 勘ー.
‑
llM‑ ‑
)血翠. Surpiise and ide叫 印 如 畑 ‑ ‑ 酔:rt:uit0w碕i n
the 恥, e•irptisc 叫 t抽怨江枷 sooond d西 血 叫・ " ・ " ' . , , If皿jstx● ,n"ぐr袖,,,,t日、、細__四se 註 旺 四 叫 恥witor thu humor d誌ap評 匹 ,Iftho , ~ witti螂 心p令rof1ane,to the砂giousmilld it・ 民傘its僚
啄•\.,汽砕冠ふ叫Odll'iior{t)c⑮(Jjh,c衿
如isT
fdoma. 如Ihふ 心e細/nt<a i必ngtsbtruly 砂Iヽ•lltt面'. t,"'圧峠隠碍迄辿心0'•
'lnふl,, 0l"p{,,t・et匹ei1tnieoutbe 1s •r邸tness1遥et此he 血 砂 匹 叫iect‑,bnt fo,et鯰
g h吐
m邑担吟.‑ し ' " ' ' " ‑‑ ぷて
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,
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弗祉e~~m如り早亙竿碑戸口血gふ Wit,* thus. ia morむtr繹皿 細'>;nit1',s. p.,uds itself in e<1ddrn祉 螂 曇e
'もumor埠 血,or,・¢四血ltN>',f;.iJows the n伝 阻 … 直 函
免 甚
翌 ふ
ぐ℃が!
姦ぷ 象忍
9...:
裟 9.. 姿.
~' ゃ へ
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んl'
’~
<
細 ;.,..,.ぶ心硲益‑‑‑
逍溺雹き入れ(その1)John Bascom : Philoso/>hy of Rhctor,c, 1872. P. 119
̀
~~ ヽゞ
5 ~·
F︑~ヽw
‑ 8
なわち︑
逍益芯入木について
恥 い )60咽 i'I、r.f.JEWJllt:..
1J1i叫 吋ui,滋 t:1ueh> iau:, ・':l"Jl匹 出Cit. 区 dh'er‑,. 鯰 〜 ず
、 .;ion uf this enrt re• cu?, r双Wヽn硯 titue●,、nd11ヽei11t伍紐I, 叫 attol!tion, 畑 t,,the
c
四屯叫ぃヽ int≫till碑 , 皿d血ッ 長 1r -•"
皿
u , せ 砂
J.S.0托呼戸d~叫!ふ•咬疇
nof•maH 函t., u ̲
叫ー‑.
ul疇.
J.,. . . . . .
遠. . . . . . . n
,,llu, m・ ‑
母 函,:, .... ,.i‑o‑u‑s <‑‑l紐‑‑‑ur邸can, fa tho恥心‑・‑・"o'"fa 、..ro‑邸r・.、nr,k函油~,.. ~ - - -•極- "• i<)l叫.、!mo両
呼l()̲出愈t.,咆哄; ~ut
. . .
!UOl'<J f,,,,! りitlj imtgh!cr i8 aecorea at tho. C"3t of 呼饗•)n, ・,..令., .It;: ぶAr,nthcr un如 枷ble,厨 it 6;'wiち吐eoe.on,tur.t、ly
四ploy叫 i,tl1e血 ぷ 心共' 0セヘ・fo<le匹 11¥to'曲iふ;i.gi?cs1涵.
叫曹匹...~ · • " " foveto.,.、.•一.., l喫
f
.. 畑 如 釦 崎i心 Jad ,lie moment, ...
・ ‑ ・ ・ ・ . . . . . . . ‑ : ・ ‑ ‑
/尺\和oyfiud one who <:M, lncl如 iふm ,n thu, r呵知,they
し̲.?i 、I T吋
•
uii・ea co,,stiint~xhi恥,K>IlGf l,L, I呵 叫 加ltmn如 Illり
t'him、Aもf.,,ぐ むlj西siUe,intoふtふ 底 b頑砂:i'.Greatl i
、' 咽m函tn函 ぇll<i匹cngthぷpurix心;:)・·~r翌>:ired t,1
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t i l i e
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むIぐ.,・.Th<: P¥)W<'1'紺 四O紅, 4 . . .
知c , , , r ‑
I mgly aサぶヽ・.・ti,‑e,,u,,Ifl, 血 命f!lj) th,, 畑ll咄.e.:tep~
炉ゃ
屯枠'" ‑ ,, " (
~ ・'•.•iL Y'it COぅ;̲ 曲,、.s. Ono wlw . r沿e邸S・荘心如ongly~,
砥..pt叫 (,Jl
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0匹m<•D8 ゎ碕h:凸 m血 叫m喰~ ~tl翌,nit, 邸d如 d
咋 尋
lJLrn如e, ... ,,"".玲 乳
Cl JV・.,, 包
応 面tl,s叩 lingtl~,;,q, 釦 r.be哨"'•叫 畑hum面 珈'Y印 捻rvea:'I. 涵pりrt&;Jt'P心印,~.'、()ne 四,如d遥,
·~ り
年 ぶ 迅p叫 蜘tlyすitl,函 如.r.,I叫 匹doit n l., 叫e
叩 匹1
謬 ご . ,
迎如tu,'l.'l> ふf•Uと'l!i吟 I吼, q咄 細 如 如 認mg/みさ 叫!'!;lcioll,呻応'四,f,•ぉ心,Jd曲也,叫均なJ•.-;<ヴ" , .. ,)'疇ぇ,,,•令う
9
、 } ) > ' < 翌 和 シ 、 t , 念
四
. .
逍祗摺き入れ(その2) John Bascom: Phi lose小hyof Rhetonc, 1872. P. 122
章が逍遥の興味を喚んだことが明らかである︒この章のはじめの頁には︑
三カ所にアソダラ
イソ
がひかれている°す
機知とュー
モアとの内容的な区別をといたニカ所
︑および﹁溝のなかへすべり落ちる洒落男はユ
ーモ アのま
とにな
がる
︑そ
の男も手足をくだいたら憐みの対
象
になる﹂という部分に
︑
逍遥は注意の目をむけている︒
なお︑この章のつづきとして︑
い笑
や
機知の長所短所が説かれているとこ
ろがあり︑とくに︑
︱ニニ頁には
︑逍箔
‑ 9
によって二重のアソダラインのひかれた個所がある︒それは
︑
M e n l o v e t o l a u g h b e t t e r t h a n t t h o i n k .
C人間は考えることよりも笑うことのほうが好きである
o)
U n d o u b t e d l
y ,
e v e n t h e m o s t e r s i o u s d i s c o u r s e c
a n ,
i n t h e h a n d s o f a m a s t
e r ,
s u f f e r o c c a s i o n a l h u m o u r w i t h o u t d e t r i m e n t ; )
﹁真面目な論議でさえも︑話上手の手にかかれば︑ときおり罪のないューモアがまじえられるものだ﹂
という説明に逍遥の注意はむけられている︒
このようなこの章に説明されている﹁諷刺
﹂
や﹁嘲罵﹂については
︑
逍遥は﹃文学入門﹄ではつぎのように︑くだ
﹁姑婆アさんなどが新婦に向って小言をいふ時に﹁これ/\︑そんなことをすべきものではない﹂と正面から言ったらよさ
4うなことを︑態々﹁此の頃はさういふのが流行るかね﹂など4いやに婉曲に云ふことがあるが︑昔の文学者には往々に
︑
︑ ヽ
こ ら ヽ ヽ
してそういう気味があったものだ︒それが諷剌家°ところが︑少し気の早いのになると堪へかねて嘲罵する︒例へば︑バ イロソのやうに︑或ひは平賀源内のやうにむき出しに悪口を云ふo﹂
(﹃
逍逝
選集
﹄第
十
一巻 ︑
明治 一︱
︱十 七年 講話
︶ 逍蓬はこのような文
章を書 くまえにすでに︑このバスコムの一章に興味をもっていたにちがいない︒この本のみな
らず
︑
美
辞学に関する本は︑高田早苗著﹃美辞学﹄が出る前に︑耽読していたということができる︒東京金港堂から 明治二十二年五月十五日に出た同
書
の序文には︑三上参次
︑
撰 庭
箋
村︑中島幹事︑森貞次郎らとともに︑逍蓬もこの
書
の編纂に参加
し
たことが記されている°では︑逍遥が海外美辞学文献をひもといたのは何時頃であったか︒かれが 学生であった明治九年頃には︑ベインとヘプンの著
書
が東京開成学校では教科
書
になっていたといわれる︒そんなこ
いて
書いている︒
という文章である︒また︑
ニニ八頁ーニニ九頁﹁文学入門﹂
逍遥害入本について
とから︑このバスコムの著書﹃美辞学原理﹄も逍遥の学習のためのよい資料であった
︑と想像される︒
ク ワ イ ラ イ ツ ヤ
なお︑バスコムの本の︱ニニ頁には︑見なれぬ﹁派麗者﹂︵ルビ墾者︶という漢字の書きこみがあるが︑同頁の本文十
四行目の'b
uf fo on
'
の訳であって︑けだし﹁愧儡師﹂の当て字であろう
0
こんな当て字は︑造語力ある逍遥の戯れであ り︑ユーモアのあらわれで︑﹁ユーモア﹂を説いた原
書
の本文にちなんでのことであったかもしれない︒正字と名づけ
られる表現︵愧儡︶のもっ
ともらしさを︑冒柑してみせるだけの文学者の気負いがうかがわれるといってもよかろう
︒
このようなューモアやウィットに関連して思い起こされるのは︑明る<踊ったり歌ったりしながらの野外劇の漫画 めいた人物が出てくる場面が︑逍遥によってわれわれの演劇の習練に用いられたことである︒
︑ ︑
﹁いかがわしく愛らしき﹂という﹃真夏の夜の夢﹄の第
三幕第一場の無智なボトムのせりふ
︑
て︑もったいぶって教えてやろうというクインスの﹁﹃かぐわしく﹄だよ︑﹃かぐわ
し
く﹄だよ﹂という
︑二人の間の
せりふの受けわたしの面白さを︑逍遥が教えたことを思い起こす︒
およびそれを訂正し 二つの語をつなぐ音︑または︑ルート︵語根︶とそのあとにくるシラブル︵音節︶の間の音などには︑
しらべの上の変
化が伴わせられるべきであるということが説かれる一章
(B as co m: Ph il os op hy o f R he to
1i c 125‑152)pp. ,
に逍遥が興味 をいだいたらしい︒ことにそのことは︑逍遥自身の筆で︑
﹁音
の変
化﹂
(p.129)︑﹁新語の増加﹂
(p .130)
︑﹁
語義の変化﹂(p.130)︑﹁哲学者と詩人と﹂
131(p) .
などの文字がよみとられることによって推
しはかられるであろう︒
‑11 ‑
をよせたかをうかがうことにしようo ﹃頼朝と文覚﹄
︑
﹃石
栢
山
の敗戦﹄などの登場人物の間のせりふのやりとりがすぐに思い出される︒そのさいにおけるかれの指迎は
︑
甚だきびしく︑とくにせりふの調子の上げ下げを逍遥がくりかえ
し ︑
われわれにもくりかえさせ︑あとづけをおこな
わせるのであった︒たとえば︑頼朝の文覚に対する最初の出会いのときのせりふ︑
﹁さ
ては
御坊
は︑
﹁注
こ︑
の I H I に ボ
ーズ︺名も高尾の文笈上人にてましますよな﹂
ふを︑幾たびも逍遥が肉声によって︑目ら︑
にわけて発音せられるべきせり
われわれにあとづけさせた︒このようにし
て ︑ 変化による︑凹凸や勾配といった風なェロキュージョンの効果と而白味をさとらせた︒
かれは︑学生たちに音の
つぎに︑バアディーソの美辞学F9における逍逝の筆蹟をたどることによって︑逍遥が言葉の表現様式にいかに閃心
逍遥の書き入れの︱つは︑巻末の遊丁にあり︑鉛筆によるものである︒これは英文の﹁第十ニセクション﹂におけ
る﹁普通の人々の表現と教旋ある人々との表現に差異がある﹂ことを語り
︑両種の人々のいずれでも︑表現には同等
の努力が骰やされること︑また﹁思想と表現との問に違いがあっても︑
おなじ効果がもたらされる﹂ということを説
いた誼と関連して内かれていると想像されるが︑言文一致するにいたらない状態の日本語表現を咲いての書き込みと
もみえる︒そこには
︑
精神的︑
普遍的ないし文芸的日本語の表視を統合しようという逍遥の意気がうかがえるoまず
︑
冒頭に︑ "
Yo ur
o p
i
n
i o n i s
ve ry
n
i c e
I /t h i n
" k
の文字があり︑﹁甚
だ妙
なり
﹂
妙﹁
にて
あり
﹂
ついで﹁君の説﹂ というような︑
ェロキューショソの法によって︑高低をはっきりつけ︑
﹁ふ
いた
き﹂
われわれを指導した逍蓬のおもかげの
一斑 をしのべば
︑
かれは︑
ページェント
劇を演らせたが︑
‑
逍 盗 苦 入 本 に つ い て
逍遥書き入れ(その3) C. W. Bardeen: A Shorter Course in
Rhetaがc,1885. 巻末遊丁
視として魯いたのであろう︒ついで︑ と︑それぞれ二行ずつ併列されている︒これは︑多分初めの行の英語の意味を︑日本語表現と
し ︑
時代色をつけた表 ﹁いと妙にて御座あり申す﹂ ﹁いみじうおはしますとまをす﹂
‑ 13 ‑
の二行を併記する︒﹁妙でございます﹂の
別表現として︑
﹁妙でござんす﹂
消しているが︑
これ
は︑
" V e r y
"
とある︒また︑﹁でごす﹂の分岐表現として︑﹁でげす﹂﹁でがす﹂があげられる︒ついで
︑この両語の新生語とし
て ︑
﹁︵
妙
︶です﹂が記され︑
﹁︵妙︶です﹂の変
化とし
て
︑﹁妙
ス﹂
︑﹁妙サ﹂と書き込まれ︑なお︑﹁妙だ﹂の変化とし
て ︑
﹁妙
てや
﹂
︑
﹁妙
ぞ﹂
︑
﹁妙
ぢや
﹂
︑
﹁妙でや﹂︵傍点墾者︶があげられている°逍逢は﹁甚だ﹂の二字をどれもうすく縦線で
にあたる語が日
本語では軽いいみをもつものであると考えられたら
しい
︒ か よ う
というのは︑
に逍蓬が日本語のヴァ
リエーショソをたんねんに美辞学書の中に書き込んでいるのをみて
︑われわれは目
をみ はる
︒
さほど学問的には重要視できないバアディ
ーンの入門書は︑
義に解せば︑其の名と其の実と叶はざるべ
し
﹂
︵ ﹁ 美 辞 論 稿
﹂
︑
﹃
逍 逝 集 選
﹄ 第
十
一巻六頁︶とみなされるものだからである
︒
はやくも修辞学を追求する姿勢をとっていたことに気づかせられるのである︒ しかも逍逢が美辞学書から暗示されて日本語の変
化ある表現に興味をもっということは︑
ぅ ︒
しか
し ︑
われわれは︑このような綿密な書き込みによって︑後年演刺
運動の実践にふみ出すにいたった逍遥が
︑ことば語遣いに
﹁妙 ごで す﹂
﹁妙でごんす︵がんす︶﹂ ﹁妙でごわります﹂
と派生せ
しめ︑さらに︑﹁甚だ妙でござります﹂の分岐と
して︑ ﹁甚だ妙でございます﹂
﹁甚だ妙でござります﹂
ごくささやかな表現でも︑ 明らかに︑坪内逍遥によって
﹁最
高の
一見不思議に思われもしよ
‑14 ‑
逍逝害入本について
︵以 上︑
﹃逍 遥選 集﹄ 第十 一巻
︑
早大 図書 館蔵
︑
イ四
ー 一
︱ ︱ ︱ ︱
‑ ︵
二
︶参
照︶
このような配列を大観することによって︑逍逢は︑明治文
化の
過渡期に処するため︑和漢洋三文学の調和に資する 六︑脚本の朗読法 四︑読書法を説きて国文学研究者に望む
五︑国文学の将来︵演説の臆に傲ふ︶
︹大正九年︺ 二
︑読法を興さんとする趣意
︹明治二十六年︺ 二︑文学入門
︹明
治二
十四年ーニ十六年︺ たいする彼の時代感覚の展開をうかがうことができる︒ の役割を暗示するものとして重要である︒
﹁今
に
して一定せざれば言文の相違千里ならん﹂ 注目されてよいと思われる︒ 動
は︑
たいする関心のふかさは︑逍遥文学に傾倒する人々に注目されてよいであろう°かれの円熟した時代における演劇活
一見矛盾するようでありながら︑美辞学上の表現と密接な関連がある°逍遥の次の二行の書き入れは︑とくに
﹁今の俗語の源﹂︵以下余白°さらに︑
あら たに 害き 起こ され た次 行が ある
︶
︹B
ar de en : A
Sh or t e r Co ur se in Rh et or ic
・巻末遊丁︺
この 二行 は︑
日本語の表視様式の統一性をもとめるという逍蓬の意向よりも︑むしろ国語表現の文学的啓蒙への逍遥
われわれは︑逍遥の自ら撰した﹃逍遥選集﹄十一巻の内容序列のありかたによって︑言葉の聴覚上の文学的機能に
一︑美辞論稿
︹明治三十七
年 ︺
︹明 治二
十
七年
︺
︹明 治二
十
六年
︺
‑15‑
という立場をとり︑同時にひろく修辞害のなかに︑言
薬の表現様式のうえの賠示をえたことがわかるであろう
︒
うとした逍逝は︑
!37
われわれ学生に︑自分自身の肉声で︑
いわゆる古典的﹁歌舞伎﹂のエロキ
ュー
シ
ョ
ソではなく︑また﹁能﹂﹁狂
言﹂のコ
トバ造いではないせりふを教えょ
ゃほんとうの文学的な表現のしかたを演ってみせた°雄弁術や 這9―.“.ャ吾“•iail;h品がぎぎE,`42●:ir‘勺ー.`憤りす名
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逍遥密き入れ(その4) C. W. Bardeen: fl SIヽurterCourse ,n Rhetoric, 1885. P. 187
‑ 1 6 ‑
逍並芯入本につ
いて 朗読法の本領をさとったかれは︑﹁歌舞伎調﹂ではなく︑
一句
読
︑一抑揚にいたるまで︑
を︑声でわからせるようにした︒西洋の
レト リ
ックの長所をまず摂取しながら︑表現上の芸術性あるものとみなされ
るようなせりふのエロキ
ュー
ションのありかたをあみ出し
た ︒
逍遥の邸をおとずれたわれわれは︑かれが︑老いてなお︑文章︑修辞のうえに根底をおきながら日本語の榎雑多義
な様相に関心をもち︑たえず新語や地方語をカード式に採録して︑身近の机に整理していたことを思い起こす︑
次の
文字も︑文学表現に心を用いることを若い頃から心がけた逍遥を物語っている︒ここにも文章による表現︑またはロ
学表現を︑ 頭による表現にたいする民衆の趣向を正しくし︑また自らも︑新時代の心情にひびく正しいレトリックにもとづく文
一般読者ないし観衆にあたえようとしていた逍遥の心根がうかがわれる︒
﹁礼義の国﹂﹁君子国﹂
﹁唯
命是
奉国
﹂
﹁敬語沢山
の国
﹂﹁
冗語
国﹂
﹁E
ve r‑ Co nt ruc ti ng
; ︹ マ マ
︺E
ve r‑ cha
ng in
﹂g
︹C.
W .
Ba rdee n: A
Sh or t e r Cou rs e i n R he
to r i
c ・
巻末遊丁︺
﹁自然洵汰﹂
﹁ 鶴 乱 ﹂
﹁ む
し
け車
﹂︵
ママ
︶
﹁むしけ船﹂﹁いなつまの便り﹂
︹C.
W .
Bard ee
n: Ib id . ,
p. 187右方余白︺ それぞ
れの
登場人物の性格
右のうち︑第二の書き込みは︑バアディーソの言語の純粋性(Purity)を論じた個所への書き込みで︑普通語の時
代的語法で描写上の特質をもった表現法を説いた章句と照応する︒︵なお︑
右に
掲げ
た
﹁む
しけ
車﹂
は﹁
汽車
﹂
︑﹁
むし
け船
﹂
ここにこんな菖き込みをあげるのは︑逍遥には美辞学書を内容に即して解読することよりも︑ は﹁汽
船﹂
のこ
とで
ある
o)
日本語を使う自分自
身の︑国語に
たい
する関心が璽要であったからであるQ逍遥にとっては国語の変転性と︑それの爪要さとに関連をた
‑ 17‑