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ギリーズとミトフォードにおけるクレオンの描き方についての一考察

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長崎大学教育学部社会科学論叢 63 (2003年)

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ギリーズとミトフォードにおけるクレオンの描き方についての一考察

堀 井 健

Cl e oni nt heDe s c r i pt i onsof J . Gi l l i e sa ndW.Mi t f or d

Ke n‑ i c hi HORI I

はじめに

ジ ョン‑ギ リーズ (1747‑1836年) は全8巻 の 『古代 ギ リシアの歴史』(TheHistoryof AncientGreece,itsColonies,andConquests)を著 した。最初 は1786年 にロン ドンで2巻本 と

して刊行 されたが, その後8巻本 になった (1)。 この著作 は,かつて人気があった し,読み 物的であるが幾分仰々 しい文体で書かれた と評 されている(2)

ウイ リアム‑ミ トフォー ド (1744‑1827年) は全10巻 の 『ギ リシア史』(TheHisto77Of Greece)を著 した。彼の著作 は,多年の間人気 を博 し続 けた し,古代 ギ リシア とい う比較 的無視 され る主題 についての骨の折れ る英文作品を提供 した と評 されている(3)。 また,同 時代人のジ ョン=ギ リーズの 『古代 ギ リシアの歴史』 よ りも多 くの点で優れているといわ れ る (4)。

ところで,古代 ギ リシアの政治家 クレオ ンは, これ まで しば しば民主制期 アテネのデマ ゴーグの一人 と評 されて きた。 クレオンは,彼 と同時代の代表的政治家のぺ リクレスやこ キアスが貴族 の出であったのに対 して,非上層民出身であ りなが らぺ リクレスやこキアス らを公然 と非難 した りして彼 らに対抗 しようとし,時にはニキアスに代わって将軍 として ス フアクテ リアへ軍事遠征 に出か けるな どした。彼のそのような無鉄砲 さと民衆寄 りの指 導者 として振 る舞 っては上層市民を苦 しめた行動 は,同時代の喜劇作家 ア リス トフアネス によって しば しば喜劇作品中の噸笑の的にされた。 さらにはスパルタの常勝将軍 ブラシダ ス と張 り合 い,ついにはアンフイポ リスの戦 いで彼の軍 によって敗北 して戦死 した。 クレ オ ンのデマゴーグぶ りは,周知の とお り,従来, アテネ民主制の欠点 として近代西洋人た ちによって しば しば指摘 されて きた。近代西洋人たちが古代 アテネの民主制 を どのように 理解 して きたかを探 る際, しば しばデマゴーグとして評 されて きた クレオ ンの人物像が近 代西洋人 によって どの ように形成 されて きたかを把握す る必要があろう 近代人 によって 措かれた クレオンの人物像の形成過程 を把握す ることによって彼の実像 と描写 された人物 像 との間の違 いが明 らかになる可能性があるし,そ して もしかか る違いが明 らかになれば, 彼 の人物像 と関連性のあるアテネ民主制観 も改めて検討 し直す必要が生 じて くる可能性が あるのではなかろうか。かか る理由か ら筆者 はかつて,ギ リーズの 『古代 ギ リシアの歴史』

(5)とミトフォー ドの 『ギ リシア史』 (6)におけるクレオンの描 き方を検討 した。

そこで,本稿では, この検討の結果 を参考 に して,ギ リーズ とミ トフォー ドの両者 によ るクレオンの描かれ方 を比較 ・検討 してその叙述の特徴 とその理由を考察 したい。

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ギ リーズ とミ トフォー ドにおけるクレオ ンの描 き方 につ いての一考察 2

第1章 ギ リーズ 『古代 ギ リシアの歴史』 とミ トフォー ド 『ギ リシア史』 におけるク レオ ンの描 き方の検討および比較

第1節 クレオンに伴 う形容

筆者 は以前 にギ リーズの 『古代 ギ リシアの歴史』 とミ トフォー ドの 『ギ リシア史』 にお けるクレオ ンに関す る叙述 の中に彼 らが参照 したはずの トウキュデ イデス 『歴史』 (以下, Thuc.と略す)の史料か ら逸脱 した記述や表現 を挙 げた。 以下で はクレオ ンに伴 う形容表 現 を改めて列記 してその特徴 を考察す る

まず初 めに, ギ リーズの 『古代 ギ リシアの歴史』 におけるクレオ ンに伴 う形容表現 を挙 げる ギ リーズは ミュティレネ人処遇時 に関す る叙述 の中で, クレオ ンの人 とな りについ て乱暴 なデマ ゴー グ,生れの卑 しい成 り上が り者,横柄 で図々 しい,厚顔無恥で生意気, 不徳 の最悪 の ものを持つ者であ り, アテネ民衆 にはかか る彼 の性格が大胆で男 らしい率直

さを持つ者 として好意的に映 った と述べ る (7)。 また, ス フアクテ リアの戦 いに関連 して, ギ リーズはクレオ ンについて,枚滑 なデマ ゴーグ, とぼけた奴,厚か ま しくも英雄 の よう な言 い回 しを述べて大衆 の間で笑 いを誘 う人物,尊大 なデマゴーグ と述べ る(8)。 ア リス ト フアネスの諸喜劇 に関連 す るクレオ ンについてギ リーズは, その喜劇作者 に とって彼がス フアクテ リア攻撃の後 に悪名高 い臆病者であ りなが ら運 の気 ま ぐれ によって成功 した人物 に変身 したので話の種 となった と述べ るし,倣慢 なデマ ゴーグであ り,無能で横柄 である と述べ る(9)。 アンフイポ リスの戦 いの時の クレオ ンに関連 してギ リーズは,横柄 なデマゴ ーグで我慢 で きない気質 を持つ と述べ,戦 いに際 しては敗走時に真先 に戦死 した し,他の 戦死 した6百人のアテネ人兵士 はクレオ ンの愚行 の犠牲 として倒 れた し, また彼 の死 は不 運 な同国人たちの死者 の霊魂 をなだめた ことであろうと述べ る(10)

次 に, ミ トフォー ドの 『ギ リシア史』 におけるクレオ ンに伴 う形容表現 を挙 げる。 ミ ト フォー ドは ミュティレネ人処遇時 に関す る叙述の中で, クレオ ンの演説 の際の乱暴 さ と激 しさ,非人道的な性格,脅威 によって物事 を進 め ようとす る強硬 さを示唆す るが,彼 の乱 暴 さはThuc.,3.36.6の中で叙述 されてい るので, この点 に関す る ミ トフォー ドの記述 は こ の トウキュデ イデスの叙述 にな らったのであろ う(ll)。 ス フアクテ リアの攻撃 に関連 す る クレオ ンについて ミ トフォー ドは,厚か ま しさ と強運 の持 ち主,責任 を他人 になす りつ け る人物,ニ キアスの代 わ りに将軍 にな る と得意 にな り横柄 なや り方 を続 ける人物 と述べ, さらに彼 の冒険家 的性格,生意気 さ,横柄 さ,節度 のな さに言及 す る (12)。 アンフイポ リ スの戦 いに関連 す るクレオ ンについて ミ トフォー ドは,攻撃の進 め方 に無知な人物,戦死 に際 しては逃走 とい う不面 目で 目立つ形で彼 にふ さわ しい死 を もらい受 けた人物 と述べ る

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以上の ように, クレオ ンについてギ リーズ とミ トフォー ドは, ほ とん ど トウキュデ イデ スの記述か ら逸脱 して彼 のイメージを損 な う形容表現 を次々 と述べてい る。 ギ リーズ とミ トフォー ドはなぜ トウキュデイデスの記述か ら逸脱 して この ような表現 を次々 と述べたの であろうか。 この問題 については後 の方で論 じるつ もりである

第2節 ピュロス攻撃増援派遣前の クレオンと二キアスの間のや り取 りについての叙述 ギ リーズ(14)は 『古代 ギ リシアの歴史』の中で, ピュロスか らの使節か らピュロス攻撃 態勢の不利の報告 を受 けた後 にクレオ ンが現地視察団の派遣 を回避 す るためにその代 わ り

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に将軍が男であ るな らば数 日の うちにス フアクテ リアを奪取で きるし, 自分が将軍であ る な らば最初 の攻撃 で奪 え る と公言 した し, 「これ らのいや みな意見 は主 としてこ キアス, 現 に民会 に出席 していた将軍 たちのひ とり, に対 して向け られた」 と述べ る。 この箇所 の ギ リーズの記述 は大筋で はThuc.,4.27.4‑5の中の記述 に沿 った ものであ る といえる。 だが,

トウキュデ イデス とギ リーズの記述 を比較 す る と, トウキュデ イデスの記述が この箇所以 降で淡々 と事 の成 り行 きを述べ るの に対 して, ギ リーズはその後, 「こキアスの性格 と い う副題 を添 えてニ キアスの人柄 を解説 す る。 すなわち,ニ キアスは, 「有徳 で あ るが臆 病 な気質の持 ち主で あ り,並みの能力, そ して過度の富 を持 っていた人物であ り, また

「貴族制 の熱心 な支持者 で, クレオ ンの敵 と公言 した人であ り,彼 を自国の中で最悪 の敵 と見 な していた」 と述べ る(15)。 この箇所 でのギ リーズの狙 いは,ニ キアスな る人物 が そ れ までの彼 の記述 の中ではほ とん どアテネの政治の面で は表舞 台に登場 しなかったけれ ど も, ここで はクレオ ンの敵対者 として重要 な役割 を演 じるので, また,周知の とお り,彼 が後 にシケ リア遠征 の敗北 を招 く将軍 として アテネの政治史の中で肝要 な役割 を演 じるこ

とにな るので,読者 の便 を図 って彼 の人柄 の紹介 を行 なお うとした ことであろ う。 そのた めに彼 は, トウキュデイデスの淡々 と事件 を伝 える記述 を離れて,ニキアスの人柄の紹介 に話 を転 じた と思われ る。 なお, ギ リーズによる 「こキアスの性格と題す る叙述の内容 は, トウキュデ イデス 『歴史』 とプル タル コス (以下,Plut.と略す) 『ニキアス伝』 に よ って描かれ るこキアスの諸行為 な どにあ らか じめ 目を通せ ば一般 に得 ることので きる事柄 であ り,珍奇 な ものではない と思われ る。

さて,次 にクレオ ン とこ キアスの間で責任 の押 しつ け合 いが始 まるのであるが, この件 についてのギ リーズの叙述 (16)は, アテネ人たちが 「いつ もの放縦 さを民会 に蔓延 させ な が ら」 クレオ ンに対 してス フアクテ リア攻撃の企 てがそれほ ど容易であ るな らば彼 に似合 いである と大声で叫んだ と述べている。 この件 について トウキュデ イデスは, アテネ人た ちが ク レオ ンに対 して遠 征 が容 易 な の に まだ 出航 して い な い と怒 り始 め た と述 べ る (Thuc.,4.28.1)し, プル タル コス も, アテネ民衆が クレオ ンに対 してなぜ 出航 しないのか と言 った と述べ る (Plut,,Nicias7.3)。 ギ リーズの叙述 と彼 に とって史料 となる トウキュデ イデスお よびプルタル コスの叙述 を比較 す るな らば, ギ リーズがアテネ民衆 の放縦 さを明 言 していることが際立つ。

また, ギ リーズ (17)は, その件 に続 いて 「こ キアスは立 ち上が って,す ぐさま彼 に指揮 権 を譲 ることを申 し出た と述べ る。 この言 い回 しは見た ところPlut.,Nicias7.3の とお り であ り,Thuc.,4.28.1が,ニキアスが クレオ ンに欲 しい分だ け軍勢 を率 いて企 ててみ るよ うに言 うだ けで あるの とは表現の仕方が異なっている。従 って,かか るこキアス とクレオ ンの議論の応酬 の件 は, ギ リーズが トウキュデ イデス とプルタル コスの両者 の記述 を念頭 において描 いてい ることが分か るので,彼が この件 を比較 的丁寧 に描 き出そ うと試 みた と 考 え られ よう。

さて, クレオ ンとニキアスのや り取 りのその後 は,ニキアスがス フアクテ リア攻撃の指 揮権 をクレオ ンに譲 る と申 し出たので, クレオ ンは事態が その ように進 む とは思わなか っ た もので あるか ら攻撃のための出航 を拒否 しようとした (Thuc.,4.28.2‑3)。 この件 につい てギ リーズ(18)は,大筋では トウキュデイデス とプル タル コスの記述 と同 じであるものの, クレオ ンが出航 を引 き受 けた くないので 「後 ろ‑退」いた し, 「アテネ人たちが,大衆 に

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ギ リーズ とミ トフォー ドにお け るク レオ ンの描 き方 につ いての‑一考察 4

ふ さわ しい意地の悪いか らかいで もって, クレオ ンに間近 に押 し寄せれば押 し寄せ るほ ど, ます ます熱心 に彼 は退 いた」 と述べてお り, この点で2人 の古代著述家 とは言 い回 しが異 な る。 そ してギ リーズ(19)は, クレオ ンが 「ついに彼 ら 〔アテネ民衆 の こと, 引用者注〕

の しつ こさに負 けた」が,次 に彼が厚か ま しさを表 に出 して, 「民会 の真 ん中に進 み, 『自 分 はラケダイモ ン人たちを恐れていない。20日以内で, スパル タ人たちを囚人 としてアテ ネ に連 れて くるか, あるいは試 みて死ぬか を約束 す る』 と宣言 した」 と述べ る。従 って, ギ リーズは, クレオ ンにまず は少 しずつ後退 させ,次 には彼 を 「民会の真ん中に進ませ てい るので,彼 の厚か ま しさを強調す ることと読者 のために叙述場面 の劇的効果 を高 める こ とを試 みた と思われ る。 さ らに, ギ リーズ(20)は,かか るクレオ ンの発言 に関連 して,

「この英雄 の ような言 い回 しは大衆 の間で笑 いを誘 った」 と述べ る。 アテネ市民たちが ク レオ ンの発言 に応 えて笑 った ことはそれだ けで読者 の クレオ ンに対す る印象 を悪 くす るも のであ るが,TYluC.,4.28.5の中には 「空疎 な大言壮語 による笑 い」が アテネ人たちの間 に 起 こった と, そ してPlut.,Nicias7.4の中には 「大笑 い した」 とい う記述が あ る. 従 って,

この件 についてはギ リーズが クレオ ンの評判 を落 とすために しっか りと トウキュデイデス お よびプルタル コスの叙述 に沿 って記述 を進 めた と考 えられ る。

この ようにギ リーズは, トウキュデ イデスの記述 にあ らかた沿 って記述 しなが ら, プル タル コスの叙述 を しっか りと参考 に して記述 を してい る。 また,一部では読者 の便宜 を図 ってであろうか,こキアスの性格描写 を挿入 した り,描写情景の劇的効果 を提供 す るよう に工夫 しなが ら記述 を進 めている。

他方, ミ トフォー ド 『ギ リシア史』 におけるピュロス遠征関係 の叙述 におけるクレオ ン の描 き方 をみてみ る と, トウキュデイデス史料の記述 にあ らかた沿 って記述 しなが らも時 折 それか ら逸脱 した記述がみ られ るものの, ギ リーズの ように読者 に劇的効果 を提供 す る

ように工夫す るとみ られ る箇所 はみ られないようである(21)0

第3節 アンフイポ リスの戦 いにお けるクレオンについての叙述

初 めに, ギ リーズの叙述 を検討す る。 アンフイポ リスの郊外 に陣 を張 ったアテネ軍が援 軍 の到着 を待 っていた時,兵士の中で ブラシダスに比 しての クレオ ンの無能 と臆病 に不満 を述べ る者が出て きた。 それ に対 して, クレオ ンは, そ もそ も自身がマケ ドニア王ベルデ ィツカス2世 と トラキアのオ ドマ ン トイ人の王ポ レスに援軍 を要請 していた (Thuc.,5.6.2) のであるが,兵士の不満 に気づ き, さらに 「兵士が同 じ場所 に居座 って重苦 しい気分 にな るのは好 ま し くない と考 えたので」 (藤縄訳)(22)軍 を動かす こ とに した (Thuc.,5.7.2)。 他方, ギ リーズ(23)は, クレオ ンが兵士の不満 に気づ いた後, 「横柄 なデマゴーグの我慢で

きない気質が, こうい う扇動的な不平不満 に耐 えるのには適 していなか った。彼 は急いで 自軍 をふ さわ しい場所 の前 に導 いたが, それは前 もって城壁の強度,土地 の状況,敵 の人 数 または配置 を吟味す ることをせず にであった」 と述べ る この箇所でギ リーズによって クレオ ンの我慢 の無 さが指摘 されてい るが, この件 については トウキュデ イデスは言及 し ていないので, その記述 はギ リーズによる創作であ る。 また, ギ リーズによればクレオ ン は 「前 もって城壁の強度,土地 の状況,敵の人数 または配置 を吟味す ることをせず に い た ことになっているが,他方ではThuc.,5.7.3‑5が, クレオ ンが敵軍のい るアンフイポ リス とその周辺 を視察す るためにアンフイポ リスの中心市 を見渡す ことので きる山に登 りに行

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くと述べ,実際 にそ こか ら視察 した ことを報告 してい る。確 かに トウキュデ イデスの記述 にあるように (Thuc.,5.7.3), クレオ ンの視察の際 に彼が ブラシダス側が攻撃 を しか ける とは予想 していなかった ことは明 白である。 けれ ども,前述 の ように, ギ リーズが, クレ オ ンが前 もって土地の状況や敵の人数 または配置 を吟味す ることをせず にいた と述べ るこ

とは,曲解 とは言 えないまで も言 い過 ぎ と見 なす ことはで きまいか。

次 に, ミ トフォー ドによる叙述 を検討 してみ る。 クレオ ンは,マケ ドニア王ベルデ ィツ カス と トラキアのオ ドマ ン トイ人の王 ポ レスに使節 を派遣 して援軍 を請 うた後,エイオ ン の地 で しば ら くじっ と待機 した (Thuc.,5.6.2)。他方, ブラシダスは, トラキア人傭兵や その他の援軍 を集 めて クレオ ンが アンフイポ リスを攻 めるのを待 っていた (Thuc.,5.6.315)。

トウキュデイデスが伝 えるこれ らの状況 について ミ トフォー ド (24)は, 「クレオ ンは,彼 の 仕事 は攻撃作戦 であったが, トウキュデ イデスによれば, どの ように進 めて よいのか単 に 無知であったので, あ る程度 の時間全 く何 もしないままであった」 と解説す る。 トウキュ デ イデスの記述か ら明 らか にな ることは, クレオ ンがマケ ドニア と トラキアか らの援軍の 到着 を待つためにエイオ ンで待機 していた ことであ り,実際,Thuc.,5.10.3はクレオ ンが 援軍到着の前の交戦 を望んでいなか った と語 ってい る 加 えて, ミ トフォー ドは,前述 の 彼 による解説 の10行下では 「他で もない彼 〔クレオ ンの こと,引用者注〕の望みは, 自分 が期待 す る増員 を待つ ことで あった」 と記 してお り(25), クレオ ンの考 えていた こ とを理 解 してい るのであ る。従 って, ミ トフォー ドが, クレオ ンが アンフイポ リス攻撃 を始 めず に じっ と待機 していたのは彼 が どの ように攻撃 を進 めて よいのか無知であったためであ る と述べ るのは, トウキュデ イデスの記述か ら逸脱 した ミ トフォー ド自身の曲解 にす ぎない ことが分か る けれ ども,それ以降の クレオ ン軍の行動 についての ミ トフォー ドの記述 は, しば ら くの間 トウキュデ イデスの歴史書の記述 に沿 った形 で進 め られ, クレオ ン指揮下の アテネ軍が 自分の将軍 と敵の ブラシダスの両者 の力量 を比べて クレオ ンの劣 る点 に不満 を 抱 いた ことや, アテネ軍の不満が高 まったので,ス フアクテ リア戦で使 った戦略 どお りに

クレオ ンが敵軍視察のために軍勢 を高台に向けて進 めた ことな どが叙述 されている(26)。 これ までのギ リーズ とミ トフォー ドによる叙述 を比較 ・検討 して, その特徴 を1点だ け 挙 げてみ る。 ギ リーズの叙述 によれば, クレオ ンが 自身の我慢 の無 さか ら 「前 もって城壁 の強度,土地の状況,敵の人数 または配置 を吟味す ることをせず に」 自軍 を進軍 させ て し まった軽率 さが示 されてい る。他方, ミ トフォー ドに よれば, 「クレオ ンは,彼 の仕事 は 攻撃作戦であったが, トウキュデ イデスによれば, どの ように進 めて よいのか単 に無知で あったので, ある程度の時間全 く何 もしない ままであった と解説す ることによって クレ オ ンの無能ぶ りを示す ことが意図 されている。

次 に, アンフイポ リスの戦 いについての叙述 を検討 してみ る。 まず初 めに, ギ リーズの 叙述 について検討す る。 その戦 いについてのギ リーズの叙述 を抜粋すれば下記の とお りで ある。

その間, ブラシダスは, 自分 の敵が厚か ま しい ことで よ く知 られてい ることを利用 す る適切 な策 を講 じた。かな りの人数の男がケルデュ リオ ンの木々の多 い山の中に隠 されたが, そ こはアンフイポ リスに突 き出 していた。軍隊の大半が, その都市のい く つかの門の所 に,行動 に備 えて整列 させ られた。 クレア リダスは, その地で指揮 を と

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ギ リーズ とミ トフォー ドにおけるクレオ ンの描 き方 についての一考察

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ったが,所定の合図で前へ急 いでい くよう命令 を出 した し,他方, ブラシダスは, 自 ら,恐れ を知 らない従者の選 りす ぐり部隊を指揮 し,最初の攻撃の機会 を うかがった。

その計画 は,非常 に多 くの技で もって考案 されたが,同様 の巧妙 さで もって実行 され た。敵 はその ような予期せ ぬ複雑 な攻撃の迅速 さ と正確 さに当惑 して,大急 ぎで逃 げ 出 し, 自分の盾 を放 り出 し, 自分のむ き出 しの背中を追手の剣や槍 にさらした。両方 の側 の軍勢 は総計で約3千人 に達 した。6百人のアテネ人たちが クレオ ンの愚行の犠牲 として倒れた し,彼 はその敗走時 に真先であったけれ ども, ミュルキノス人の盾兵の 手 によって捕 らわれた。

彼 の死 は彼 の不運 な同国人たちの死者 の霊魂 をなだめた こ とであろ う。 〔以下 を略 すが, ブラシダスの負傷 ・死亡 と葬送の ことが記述 されている〕 (27)

アンフイポ リスの戦 いの戦闘の様子 につ いて, ギ リーズ (28)は, クレオ ンのアテネ軍が ブラシダス側 の 「その ような予期せ ぬ複雑 な攻撃の迅速 さ と正確 さに当惑 して,大急 ぎで 逃 げ出 し, 自分 の盾 を放 り出 し, 自分 のむ き出 しの背 中を追手の剣や槍 にさ らした」 し,

「6百人のアテネ人たちが クレオ ンの愚行 の犠牲 として倒れ」, クレオ ンが 「その敗走時 に 真先であった けれ ども, ミュルキノス人の盾兵の手 によって捕 らわれ」て戦死 した と述べ る。他方, トウキュデ イデスは, アテネ軍が敵 の急襲 を受 けて混乱 して敗走 した ものの, 逃 げ後れた右翼の一部 はクレア リダスの攻撃 を数回撃退 した後 に包囲 されたので槍 を投 げ て潰走 した と報告す る (Thuc.,5.10.9‑10)。従 って, アテネ軍 は,全軍がギ リーズの記述 に あるように 「大急 ぎで逃 げ出 し, 自分 の盾 を放 り出 し, 自分のむ き出 しの背中を追手の剣 や槍 にさらした」わけで はない。 また, ギ リーズによる 「自分 のむ き出 しの背中を追手の 剣や槍 にさらした」 とい う記述 に関連 す るものを強 いて挙 げるな らば,Thuc.,5.10.4の中 でアテネ軍の右翼が クレオ ンの指示 に従 って敵軍 に無防備 な方 を向けた ままで撤退 した と 記述 されてい る箇所があ る。だが, これは, アテネ軍が西側 のアンフイポ リス在留の敵軍 に対 して南 に位置す るエイオ ンへ向けて撤退 したので,槍 を持つが盾で は防げない右手側 を敵軍 に向けざるをえなか った ことを示唆す る。従 って, ギ リーズの 「自分のむ き出 しの 背中を追手の剣や槍 にさらした とい う記述 は,彼 の勘違 いかあ るいは創作 と見 なす こと がで きよう。 さらに, アンフイポ リスの戦 いの叙述 の最後 にギ リーズ(29)は, クレオ ンの

「死 は彼 の不運 な同国人たちの死者 の霊魂 をなだめた ことであろ う」 と述べ る。かか る表 現 は, ギ リーズ に よるクレオ ンへの皮 肉 を表現 した もので あ ろ う そ して この文言 は,

「ブラシダスの死 と葬礼」 と副題 の付 く段落 の最初 の文章の中にあ り, その段落 の中で は 続 いて ブラシダスの戦死 の様子が, そ してその戦勝の英雄 としての葬儀 お よびアンフイポ リス人の彼 を讃 える諸行為が トウキュデ イデスの記述 (Thuc.,5.ll.1)に沿 う形 で,記載 されてい る。 ブラシダスの戦死 は, トウキュデイデスによれば, クレオ ンの戦死の直前 に 受 けた負傷 によるもので,前線か ら救 い出 された (Thuc.,5.10.9)後 にアンフイポ リスの ポ リス内で戦勝の知 らせ を受 けてか ら死んだ (¶luC.,5.10.ll)ことになっている。従 って, クレオ ンの戦死 とブラシダスの負傷 の記述 の仕方が トウキュデ イデス とギ リーズの間で異 な るわけであるが, その理 由は,上記の ように, ギ リーズが ブラシダスの件 を 「ブラシダ スの死 と葬礼 と副題 の付 く段落の中で述べ ることによって クレオ ンの死 とブラシダスの 死 を明 らかに対比 させ ることを試みたせ いであろう

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次 に, 同 じ くアンフイポ リスの戦 いについて, ミ トフォー ドの叙述 を検討 してみ る。 そ の戦 いについての ミ トフォー ドの叙述 を抜粋すれば下記の とお りである。

こうい う事 の状況で, アテネ人の左翼 は,ある程度前進 していたが,素早 く受 け取 っていた命令 に従 い,エイオ ンへの行軍 を急 いだ。 それ は, 中央か ら割れて,す ぐに 敵 の届か ない ところにあった。 この行為 は, その将軍 〔クレオ ンの こと, 引用者注〕

の行為 によって正 当化 され るが, なに もの も彼 を最初 の 目的,つ ま り撤退か らそ らす ことがで きなかったか らであ る。彼 は,安全 のために左翼 に加勢す る意図で,右翼 を 止 めたが, ミュルキノス人の盾兵 によって阻 まれ,彼 らか ら彼 にふ さわ しい死 を,逃 走 とい う不面 目で 目立つ形 で, もらい受 けた。 〔以下 を略すが, ブラシダスの負傷 ・ 死亡 と葬送の ことが記述 されている〕 (30)

クレオ ンの軍勢が アンフイポ リスの城壁 内の ブラシダス軍 に気がついて彼 の命令 によっ てエイオンへ撤退 を始 めた時 に敵軍 に襲われ るまでの一連 の出来事 についての ミ トフォー ドによる叙述 は, それほ ど トウキュデイデスの記述 (¶luC.,5.10.2‑8)か ら逸脱 しているわ けで はない。 すなわち, クレオ ンの軍勢が南方のエイオ ンへ撤退 しようと.したので彼 らの 西側 にいたアンフイポ リスの軍勢 に対 しては盾 を持 たぬ右側 をさらしたので不利であっ∵た こと, ブラシダス軍がその状況 を見て 自軍 に有利 と見てアンフイポ リス城壁 の南側 の第一 門か らアテネ軍 を襲 っただけでな く続 いて城壁北側 の トラキア門か らクレア リダス率 い る 軍が撤退 中のアテネ軍のいわば後方か ら襲 ったのでアテネ軍が挟 み打 ちに合 い混乱 した こ とな どであ る (31)。 だが, ブラシダス とクレオ ンの両者 の戦死 につ いての ミ トフォー ドの 取 り扱 いは トウキュデイデスの もの と異なっている トウキュデ イデスは, ブラシダスの 手勢 とクレア リダスの手勢が襲撃 した後 にブラシダスが負傷 して倒れて味方 に助 け出 され た こと (まもな くアンフイポ リス城壁 内で死亡) を記 した後 に, クレオ ンが踏み とどまる ことな く逃走 中に ミュルキノス人の盾兵 によって襲 われて戦死 した ことを伝 え る (Thuc., 5.10.9) それ に対 して ミ トフォー ド(32)は, クレオ ンの戦死 についてアテネ軍が撤退 す る

中で 「ミュルキノス人の盾兵 によって阻 まれ,彼 らか ら彼 にふ さわ しい死 を,逃走 とい う 不面 目で 目立つ形 で, もらい受 けた」 と述べた後 も, ブラシダスが 自軍 に攻勢 を命 じて 自 らも激 しく戦 ったので負傷 を受 けて倒れ,友人たちによって運 び出 された と述べ る。 ここ で は トウキュデ イデス とミ トフォー ドの問で ブラシダスの負傷 とクレオ ンの戦死 について の記述 の順番が違 うし, また トウキュデイデスが クレオ ンの戦死 について,彼 が踏み とど まるつ も りがなか った と記 して彼 の戦死 の不名誉 な点 を暗示す るだ けであ るの に対 して, ミ トフォー ドは明瞭 に分か る形 で クレオ ンの逃走 中の死 を不面 目であ り 「彼 にふ さわ しい 死」 と述べている ミ トフォー ドが トウキュデ イデス と違 って ブラシダスの負傷 とクレオ ンの戦死 の両事件 の記述 の順番 を入れ換 えた ことによって読者 の頭 に刷 り込 まれやす くな ることは, クレオ ンが逃走 中にあっけな く死んで大変不面 目であった こととブラシダスが 戦死 に至 る負傷 の前 に彼 の戦勝 にふ さわ しい奮戦 ぶ りを しば ら くの間示 した こ とで あろ

う。

以上 の ア ンフイポ リスの戦 いにつ いてのギ リーズ とミ トフォー ドの叙述 を比較 してみ て,注 目すべ きことは,両者が両者 とも,歴史叙述 の際 に参照 した史料である トウキュデ

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ギ リーズ とミ トフォー ドにお けるクレオ ンの描 き方 につ いての一考察

8

イデスの記述の順番 とは異 なる形で クレオ ンの死 を語 っているこ とである。 すなわち, ト ウキュデ イデスは, 「か くして 〔クレオ ンのアテネ軍 の〕左翼が既 に敗退 す る と, ブラシ ダスは右翼 に対 して次々 に攻 めかかっているうちに, 自ら負傷 した。 そ して彼 は倒れたの だが, アテ ナ イ軍 は彼 に気 づ かず,近 くにいた味方 の兵 士 が担 ぎ上 げて運 び去 った

(5.10.8)と, そ して 「アテナイ軍の右翼だ けは,かな り踏み止 まって抵抗 した。 だが, ク レオ ン自身 は最初か ら踏み止 まる意図はなか ったので,直 ちに逃亡 して, ミュルキノス人 の軽盾兵 に追 いつかれて殺 された」 (5.10.9)(藤縄訳)(33)と記述 してお り, アンフイポ リ スの戦 いにおいてスパル タの将軍 ブラシダスの負傷転倒が先で クレオ ンの戦死が後 になっ てい る それ に対 して, ギ リーズ とミ トフォー ドは両者 とも, クレオ ンが戦死 した後 にブ ラシダスが負傷 して味方 によってアンフイポ リスの砦 まで運 ばれてそ こで息 を引 き取 った と記述す る。 さらに, ギ リーズは, クレオ ンが 「その敗走時 に真先であったけれ ども, ミ ュルキノス人の盾兵の手によって捕 らわれ」て戦死 した と記述 し,そ して ミトフォー ドは, アテネ軍が撤退す る中で クレオ ンが 「ミュルキノス人の盾兵 によって阻 まれ,彼 らか ら彼 にふ さわ しい死 を,逃走 とい う不面 目で 目立つ形 で, もらい受 けた」 と述べ, クレオ ンが 戦闘の中で真先 に不面 目な形で殺 された ことを強調 してい る ギ リーズ とミトフォー ドの 両者が両者 ともアンフイポ リスの戦 いにおけるクレオ ンの戦死 を不名誉 な出来事 として描 こうとして トウキュデイデスの記述 とは異なる形 で ブラシダスの負傷転倒 の出来事 とクレ オ ンの戦死の出来事の記述 の順番 を意図的に入れ換 えた ことは興味深 い。上記で指摘 した ように,ギ リーズ もミトフォー ドも両者 とも,名誉の戦死 を遂 げた勝者側 のブラシダスが, 敵の将軍 クレオ ンの戦死後 もしば ら く勇猛 に戦 って負傷 し, その負傷が元で死去 した よう に記述す ることによって, ブラシダスを持 ち上 げ, クレオ ンの評判 を舷 めようと企てた こ

とは間違いないであろう

2

章 ギ リーズ とミ トフォー ドはなぜ ク レオンを悪 しざまに描 いたのか

イギ リスのギ リーズや ミ トフォー ドはなぜ アテネ民主制 を否定的に描 いたのか。本稿 の 中で は, ギ リーズや ミ トフォー ドの著作の検討 を通 して,政治家 クレオ ンのデマ ゴーグぶ りや横暴 さな どの悪 しき性格が,彼 らの史料である トウキュデイデス 『歴史』の記述 を逸 脱 して言及 されてい る様子 を浮 き彫 りに した。

ギ リーズや ミ トフォー ドの著作の場合,政治家 クレオ ンのデマゴーグぶ りや横暴 さな ど の悪 しき性格が,彼 らの史料である トウキュデイデス 『歴史』の記述 をはずれて言及 され てい るけれ ども,彼 ら2人が史料 として参照 したはずの トウキュデ イデス 『歴史』 の中で はそれほ どクレオ ンが悪 しざまに書かれてはいない。 それゆえに,なぜ ギ リーズ とミ トフ ォー ドが トウキュデイデス史料 を度々逸脱 して政治家 クレオ ンを悪 しざまに書 いたのかを 問題 に しなければな らない。 その理 由を探 ると, まず, ミ トフォー ドが貴族 出身であるこ と(34)や ギ リーズが どうや ら貴族ではないがス コッ トラン ド歴史編纂官 に就任 す るほ どの 社会的地位 を得ていた こと(35),つ ま り彼 らの出 自ゆえにアテネ民主制 を悪 しきもの とし て記そ うとした ことが考 え られ る。 当然の こ となが ら, ギ リーズが, 自身のギ リシア史の 著作 を国王ジ ョージ3世 に寄贈 した こと(36)か ら, アテネ民主制 を自国の王制 と対局 におい て描 こうとした ことも考 え合 わさなければな らない。次 にア リス トフアネスの諸喜劇作品,

『アカルナイの人々』,『騎士』, 『蜂』の中で政治家 クレオ ンが, その出 自 と職業 を含 めて,

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堀 井 健 一

9

何度 とな く悪 しざまに言われ,噸笑の的にされていることがギ リーズ とミトフォー ドの知 るところ となっていた ことが考 えられ る。

さらにギ リーズの場合,彼 には訳書 として 『リュシアス とイ ソクラテスの弁論』(1778 年), 『ア リス トテ レスの倫理学 お よび政治学』 (1797年), 『ァ リス トテ レスの弁論術』

(1823年)があるので (37), リュシアスやイ ソクラテスの弁論の中にある反民主制的言及, 特 にイ ソクラテスの第7番演説 『ァ レオパ ゴス評議会 について』 における反 アテネ民主制 の論やア リス トテ レスの主要著書 『政治学』 における反民主制的論点 に通 じていた可能性 がある。 また,ギ リーズや ミ トフォー ドの場合, それぞれ古代 ギ リシアの歴史 を執筆す る にあた り,ヘロ ドトスや トウキュデイデスの歴史書, リュシアスやイ ソクラテスやデモス テネス らの弁論集, プラ トンやア リス トテ レス らの哲学 ・政治学 その他の著作 に目を通 し た と考 え られ る。 それゆえ,彼 ら2人 は, トウキュデ イデスの歴史書 の中に数箇所見 られ るアテネ民衆への軽蔑の吐露,伝 クセ ノフォン 『ァテネ人の国制』の中の寡頭主義論,す なわちアテネ民主制批判,イソクラテスの寡頭主義的論点, プラ トンやア リス トテレスの 反民主制的論説, プルタル コス 『フォキオン伝』33‑38章の例の ような彼の対比列伝 に数 箇所見 られ るアテネ民衆への軽蔑 を示唆す る記述か ら影響 を受 けた可能性があろう。 ロバ ーツ(38)の指摘 を待つ まで もな くプルタル コスの対比列伝 は古代 ギ リシア ・ローマの英雄, 豪傑 を扱 った伝記 としての魅力か ら未成年者 にも親 しみやすかったであろうのでイギ リス の知識人層の間で広 く読 まれたであろうか ら, そ してプラ トンとア リス トテ レスの諸著作 はイギ リスの高等教育機関な どで広 く勉強 された といわれているので, これ らプラ トン, ア リス トテレス, プルタル コスの著作がギ リーズ とミトフォー ドに与 えた影響 は計 り知れ なかったのではなかろうか。

結びに代えて

ギ リーズ とミ トフォー ドの著作 におけるクレオ ンの記述 の仕方 を見れば,彼 ら2人 は明 らかにアテネ民主制がデマゴーグに操 られた衆愚政治であるかの ように記述 されているこ とが分か る。18‑19世紀のイギ リスの歴史家や政治家 は概 して, アテネ民主制 を衆愚政治 と見ていたに違いない。

だが,他方では,古代 ギ リシアの歴史家 トウキュデイデスによるクレオ ンに関す る記述 は,著者が事実 に則 して執筆す ることを宣言 してい ることもあろうが (39),や は りクレオ ンが明 らかにデマゴーグぶ りを発揮 しているとは読み取れないのではなか ろうか。 それに 対 して, ギ リーズや ミ トフォー ドの著作 にみ られ るクレオ ンのデマゴーグぶ りは,前述の

とお り,明 らかにア リス トフアネスの諸喜劇の影響が うかがえると考 えられ る。

だが, ア リス トフアネスの諸喜劇の影響 を考慮す る際に,筆者 は次の ことに注意 しなけ ればな らない と思 う。すなわち,喜劇作品 とい うものが,噸笑の的になった人物のい くつ かの特徴 を大 げさに, また時には他の同類の人の特徴 まで も添 えて誇張 して措 こうとす る か らであ り, そこには描かれている人物の真実の姿が反映 されていない と考 え られ ること である。特 に, ソクラテスの問題 についてはその ことがいえるのではなかろうか。つ まり, ソクラテスはア リス トフアネスの喜劇 『雲』の中で噸笑の的になったが, プラ トンの諸著 作のおかげでア リス トフアネスの 『雲』 によって描かれた ソクラテス像 を彼の真実の姿 と みなす哲学者 はまずいないであろう。実際,ギ リーズ自身 も, ソクラテス裁判の遠因 とし

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ギ リーズ とミ トフォー ドにおけるクレオ ンの描 き方 につ いての一考察

10

て ア リス トフアネス 『雲』 の 「滑稽 な笑劇」 (40)を挙 げてい る。 さすれ ば,政治家 クレオ ンにつ いて も,歴史家 は, その真相 をア リス トフアネス に求 め るべ きで はな く, トウキュ デ イデスや,彼 につ いての記述 は少 ないが プル タル コスの諸史料 に求 め るべ きで はなか ろ うか。た しか にソクラテスが ア リス トフアネスによって噸笑 の的 として措かれたのは 『雲』

1作 だ けで あ ったが ク レオ ンが彼 に よって噸笑 の的 として措 かれ た の は 『ァカル ナイの 人々』, 『騎士』, 『蜂』 の3作 で あ るので,作 品数 の比較 を行 なえば ク レオ ンの言行や態度 がいか に攻撃 の的 にふ さわ しか ったかが示唆 され るか もしれ ない。 けれ ども,前述 の よう に歴史家 はクレオ ンの真相 をア リス トフアネスで はな くトウキュデ イデスや プル タル コス に求 め るべ きで あ る と考 えるこ とがで きるな らば, ギ リーズや ミ トフォー ドの叙述 にお け る政治家 クレオ ンのイメージは再検討 の必要が あろ う。 かか る再検討 の作業 を行 な うな ら ば, その際 には トウキュデ イデス史料が最重要視 され るべ きで あろ うし, さらには, クレ オ ンが ギ リーズや ミ トフォー ドが描 くほ どデマ ゴー グで はなか った可能性 が見 出せ るか も

しれない。

(1) G.Smith,L.StephenandS.Le eeds.,DictionaryofNationalBiography7(oxford,1921

1922),p.1247S.Ⅴ.GILLIES,JOHN.

(2) Ibid.

(3) G.Smith,L StephenandS.Le eeds.,Dictiona7yOfNationalBiography13(oxford, 1917),p.534S.Ⅴ.MITFORD,WILLIAM.

(4) Ibid.

(5) 拙稿 「ギ リーズ 『古代 ギ リシアの歴史』 にお けるク レオ ンの描 き方 『長 崎大学教 育学部社会科学論叢』61号 (2002年)1‑15頁。

(6) 拙稿 「ミ トフォー ド 『ギ リシア史』 にお け るクレオ ンの描 き方『長崎大学教育学 部紀要 ‑人文科学』64号 (2002年)1‑13頁。

(7) 拙稿, 『社会科学論叢』61号,3頁。

(8) 拙稿, 『社会科学論叢』61号,5‑7頁。

(9) 拙稿, 『社会科学論叢』61号,7頁。

(10) 拙稿, 『社会科学論叢』61号,ll‑12頁。

(ll) 拙稿, 『紀要 一人文科学』64号,3頁。

(12) 拙稿, 『紀要 一人文科学』64号,5‑6頁。

(13) 拙稿, 『紀要 一人文科学』64号,8‑9頁。

(14) J.Gillies,TheHisto7yOfAncientGreece,itsColonies,andConquests〔以下H.A.G.と略 す〕2(I,ondon,1820),p.282.

(15) Ibid.,p.282.

(16) Ibid.,p.282.

(17) Ibid.,p.282.

(18) Ibid.,p.282‑283.

(19) Iaid.,p.283.

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堀 井 健 一

iFl (20) Ibid.,p.283.

(21) 拙稿, 『紀要 一人文科学 ‑』64号,3‑6頁 を参照せ よ。

(22) 藤縄謙三訳 『トウキュデイデス 歴史1』 (京都大学学術出版会,2000年)502頁。

(23) Gillies,H.A.G.2,p.302.

(24) W.Mitford,71heHisto7yOfGreece3(IJOndon,1835),p.277.

(25) Ibid.,p.277. (26) Ibid.,p.277‑278.

(27) Gillies,H.A.G.2,p.302‑303.

(28) Ibid.,p.303.

(29) Ibid.,p.303.

(30) Mitford,op.cit.,p.279‑280.

(31) Ibid.,p.279‑280.

(32) Ibid.,p.280.

(33) 藤縄訳,前掲書,506‑507頁。

(34) 拙稿,『紀要 ‑人文科学 ‑』64号,2頁。

(35) 拙稿, 『社会科学論叢』61号,2頁。

(36) J.Gillies,H.A.G.1(I.ondon,1820),p.iii‑iv.

(37) 拙稿,『社会科学論叢』61号,2頁。

(38) J.T.Roberts,AthensonTrial:TheAntidemocraticTraditioninWesternThought (Princeton,1994),p.118. この中で ロバーツは, 「プル タル コスは,古代のキ リス ト 教信者でない著述家 たちのなかで最 も多作 な人のひ とりであった。彼 の現存 す る諸 著作 は,おそ ら く彼 の実際の作品公表のほんの約半分 に相当す るが,多 くの本であ ふれている ルネサ ンスの間のイタ リアで,17お よび18世紀の間のイ ングラン ドと フランスで, アメ リカでは革命前後 の諸世代 の間で プル タル コスは断然,最 も人気 のある古典期の著作家であった。彼が共和制の美徳 を称賛 した ことは,啓蒙専制政 治 に対す る彼 の温情 と非常 に適切 に釣合 いが とれていたので,王党派たち と共和派 たちの両者が彼 を自分 たちの聖典であ ると主張す ることがで きた。他で もない19世 紀 まで は,鑑識 眼のある思想家たちは,彼 の生 き生 き とした愛想の よい散文が現 に 歴史 と政治 の分析 に とって信頼 で きる資源で あ るか どうか を疑 問視 し始 めなか っ た し, また プル タル コスの著作 は 「良い市民の教育 に専念 してい るゆえに,近代 初期の ヨー ロッパ とアメ リカの思慮深 い思想家たちは頻繁 に,すべての種類 の知恵 の泉 として プル タル コスに目を向けた。 19世紀 まで, プル タル コスはおそ ら く,古 代史 について人々 に他 の古典期 の著作家たちを束ねた もの よ り多 くの ことを (また は多かれ少 なかれ)教 えた し, また彼が アテナイ民主制 について語 らなければな ら なか った ことは, お世辞ではなかった。 ギ リシアの部 内者 の もっ ともらしい確実 さ とローマの部外者 の同様 にあて にな らない客観性 とを結 びつ けなが ら,つい最近 ま で プル タル コスは, ギ リシアの政治史 についての史料 としての並ぶ もののない名声 を享受 した。 この名声 は, アテナイの見方 を形成 す る上で重大 な役割 を演 じたであ ろ う」 と述べ る。

(39) トウキュデ ィデスは,著者が あ りの ままの事実 を探究 した成果 を執筆 して後世 の人

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ギ リーズ とミ トフォー ドにお けるクレオ ンの描 き方 についての一考察

12

に利 す るように図った し (1.22.2‑3),正確 な真相 を得 ようと努 めた (5.26.5)と述べ てい る。 これについては例 えば,∫.B.ベ リー,高山一十訳 『古代 ギ リシアの歴史 家たち』 (修文館,1966/1990年)77‑78,82‑83頁 を参照せ よ。

(40)

J .

Gillies,H.A.G.3(bndon,1820),p.128.その箇所でギ リーズは, 「彼 〔ソクラテ スの こと,引用者注〕の告発 の遠因は, ア リス トフアネスの 『雲』 とい う題名の滑 稽な笑劇であって, それ について前の方でほのめかす機会がすでにあった。 この破 廉恥 な公演の中で ソクラテスは, 自国の宗教 を否定 し, 自分 の弟子たちの道徳 を堕 落 させ,論弁や屈理屈 の憎 まれ るべ き技 を教 える役で登場 させ られてい る 放縦 な 民衆 のねたみは,彼 の美徳,すなわちあま りに も独立独歩 なので民衆 の ご機嫌 を と らない しあま りにもまじめなので彼 らにへつ らわない とい うもの,の賜物であるが, しだいにその詩人のなん本かの攻撃の矢 に毒 を塗 り添 え, その賢人 を装 った者が ま さにア リス トフアネスのい らだちの筆が彼 について表現 した とお りの人物 その もの で あった ことをほのめかす悪影響 をもた らす ことになった」 と述べて, いか にア リ ス トフアネスの喜劇が アテネ民衆 を して ソクラテスに対す る嫉妬心 を増幅 させたか を読者 に語 ってい る。

〔付記〕

本稿 は,平成12‑14年度科学研究費補助金基盤研究 (C)(2)「古代 アテネ民主制 は衆愚 政治であったのか‑ 古代 と近代か らの探究」 (課題番号 :12610407)の研究成果の一部で

ある。

参照

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