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昭和一〇年前後の「諷刺文学」と「ユーモア小説」

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昭和一〇年前後の「諷刺文学」と「ユーモア小説」

: 獅子文六の初期「諷刺小説」を焦点として

著者 佐藤 貴之

雑誌名 同志社国文学

号 77

ページ 57‑69

発行年 2012‑12‑20

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013331

(2)

昭 和 一 〇 年 前 後 の

﹁ 諷 刺 文 学 ﹂ と ﹁ ユ ー モ ア 小 説

獅 ︱

子 文 六 の 初 期

﹁ 諷 刺 小 説 ﹂ を 焦 点 と し て

佐 藤 貴 之

一 本稿 の目 的 昭和 一〇 年前 後︑ 文学 の﹁ ユー モア

﹂に 注目 が集 まり

︑そ こか ら

﹁諷 刺文 学﹂ につ いて 論議 が交 わさ れた こと があ った

︒こ の時 期の

﹁諷 刺文 学﹂ 論議 は︑ 概説 的な 文学 史や

︑個 別の 作家 に関 する 論考 の中 でわ ずか に言 及さ れる こと はあ れ︑ その 流れ を捉 えた 研究 など はほ とん ど見 当た らな い

︒し かし この 時期 の︿ 笑い

﹀へ の注 目は

﹁文 芸復 興﹂ 期の 文壇 の問 題意 識と 密接 に関 係し てお り︑ 同時 代の 様々 な論 争と も隣 接す るも ので あっ た︒ それ ゆえ 当時 の言 説に おい て︑

﹁諷 刺﹂ や﹁ ユー モア

﹂と いっ た用 語は 割合 に大 きな 評価 軸と して 働い てお り︑ やは り﹁ 諷刺 文学

﹂論 議の 存在 は︑ 昭和 一〇 年前 後の 文学 場を 形成 する 層の 一つ とし て捉 え直 され るべ きだ と考 えら れる

︒本 稿の 目的 は︑ まず

﹁ユ ーモ ア﹂ や﹁ 諷刺

﹂が 提唱 され るに

至っ た状 況を 整理 した 上で

︑﹁ 諷刺 文学

﹂に 関す る論 議が どの よう な道 筋を 辿っ たの か記 述を 試み るこ とで ある

︒ま た︑ この 時期 の

﹁諷 刺﹂ の実 践者 とし てユ ーモ ア作 家で ある 獅子 文六 に焦 点を 当て るこ とで

︑論 の具 体化 をは かる

︒獅 子文 六は 現在

︑文 学研 究に おい て顧 みら れる こと はあ まり ない が︑ 昭和 一〇 年前 後の 文学 の︿ 笑 い﹀ を考 える 上で 欠か すこ との でき ない 作家 であ る︒ 本稿 では 彼の 初期 作品 を取 り上 げて

︑そ の﹁ 諷刺

﹂的 方法 を明 らか にす るこ とを

︑ もう 一つ の目 的と する

︒ 二 昭和 一〇 年前 後︑

︿笑 い﹀ への 期待 昭和 八年 二月 七日 の﹁ 読売 新聞

﹂文 芸欄 企画 にて

︑川 端康 成は 長 谷川 如是 閑に 向け

︑﹁ 弾圧 下に ある プロ レタ リア 文学 に活 路あ りや

﹂ と題 した 発問 を行 って いる

︒ 昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

五七

(3)

プロ レタ リア 文学 の方 でも

︑こ の頃 のや うに 弾圧 が激 しく な つて は︑ 活発 な仕 事が 出来 なく て困 るだ らう と思 ふ︒

/か うい ふ時 には プロ 派で は真 正面 から むき にな つて 何か 言へ ば益 弾 圧は 加へ られ るば かり だか ら諷 刺物 或ひ はユ ーモ ア文 学の やう なも ので カモ フラ ーヂ した もの が出 て来 るか も知 れな い︒

︵略

︶ プロ 派に 於け るユ ーモ ア文 学が どう いふ 風に 解釈 され るか

︑僕 は長 谷川 如是 閑あ たり の意 見を 先づ 訊い てみ たい この 質疑 に対 して

︑如 是閑 は﹁ 歪曲 され ざる ユー モア 芸術 を以 つ て﹂ と回 答し た︒ いわ く︑ 現状 にお いて

﹁大 衆が ユー モア を要 求し てゐ るこ とに 乗じ て︑ ブル ヂヨ ア的 統制 は︑ その 大衆 の態 度を 社会 的関 心に 向け させ ずに

︑ナ ンセ ンス 的笑 ひの 享楽 に堕 落さ せよ う と﹂ して いる

︒こ のよ うに

﹁歪 曲﹂ され た︿ 笑い

﹀に 対し

︑﹁ 真正 のユ ーモ リス トは 同じ くユ ーモ アの 武器

﹂を 持っ て闘 わね ばな らな い︒ この 如是 閑の 言葉 は︑ 芸術 上の

﹁ユ ーモ ア﹂ を弾 圧や

﹁統 制﹂ への 対抗 手段 と捉 える 点で

︑川 端の 見方 と重 なっ てい る︒ とは いえ 如是 閑は

﹁ユ ーモ ア﹂ を単 なる

﹁カ モフ ラー ヂ﹂ とは 考え てい ない

﹁ユ ーモ ア﹂ は人 々を

﹁無 益の 興奮 状態 から 引き 戻す

﹂効 能を もつ 点で

︑政 治的

・社 会的 状況 の﹁ 正確 な認 識﹂ に繋 がる

︑と 述べ てい る︒

政治 的な 発展 が無 意味 な非 科学 的な

︑宗 教的

︑ま たは 詩的 興

奮に 拠つ て︑ 不必 要な 混乱 に導 かれ るや うな 場合 は︑ そこ に尠 かの ユー モア を注 入す るこ とに 拠つ て︑ 冷静 な状 態に 引戻 され るこ とが 可能 であ る︒ 如是 閑は

︑批 評的 距離 を人 々に もた らす よう な︿ 笑い

﹀の 積極 性 を唱 えた

︒彼 は﹁ ユー モア

﹂の 内に

︑言 論空 間の 公共 性に つな がる 可能 性を 見出 して いる と言 えよ う︒ この 二人 のや りと りに は︑ 昭和 初年 代か ら一

〇年 代に つな がる

︑ 文学 上の 幾つ かの 問題 が現 れて いる

︒す なわ ち︑ 満州 事変 以後 のプ ロレ タリ ア文 学派 への 弾圧 の強 化

昭和 七年 三月 から 四月 の集 中 的弾 圧は

︑窪 川鶴 次郎

︑中 條百 合子

︑蔵 原惟 人︑ 中野 重治 ら﹁ ナル プ﹂ 中心 人物 を検 挙し た︒ また

︑こ の文 芸欄 企画 と同 月の 二〇 日︑ 地下 に潜 って いた 小林 多喜 二が 逮捕

︑虐 殺さ れて いる

︒ 加え て当 時︑ 急速 なフ ァシ ズム 興隆 に関 連し て文 化面 の統 制も 問 題と なり

︑如 是閑 を含 め多 くの 知識 人が 反フ ァシ ズム の論 陣を 張っ てい る︒ 海野 福寿 によ れば

︑こ の年 の﹁ 学芸 自由 同盟

﹂の 結成 など

﹁文 学者 たち の間 には ファ ッシ ョ文 化政 策に たい し反 発す る空 気が 充満 して いた

﹂︒ しか し︑ 翌昭 和九 年に は直 木三 十五

・菊 池寛 らを 中心 とし た﹁ 文芸 懇話 会﹂ が形 とな り︑

﹁文 芸統 制﹂ をめ ぐる 論議 が紛 糾し てい く︒ さら に︑ 昭和 初年 代の 芸術 大衆 化論 争か ら引 き継 がれ た︑

﹁大 衆﹂

昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

五八

(4)

との 関係 にお ける 文学 の在 り方 とい う問 題が ある

︒如 是閑 は﹁ 大衆 文芸

・大 衆雑 誌等 に於 ける 歪め られ た﹁ 大衆

﹂﹂

︵﹁ 新潮

﹂ ︱ 29

︹ 巻 号の 意︒ 以下 同︺

︑昭 ・ ︶ にお いて

︑﹁ 真の 意味 の﹁ 大 衆 29

﹂﹂ と︑

﹁大 衆芸 術﹂ の指 す﹁ 大衆

﹂と の区 別を 説い てい た︒ 彼に よれ ば︑ 前者 が﹁ 政治 組織 の機 構そ のも のに 向つ て︑ 力を 持つ 運動 の主 体﹂ であ るの に対 し︑ 後者 はブ ルジ ョワ

・ジ ャー ナリ ズム を介 した 権力 の統 制が 仮構 する 対象 に過 ぎな い︒

﹁大 衆文 芸﹂

﹁大 衆劇

﹁大 衆映 画﹂ など は︑ 人々 に﹁ 古い 鑑賞 や道 徳﹂ を再 び押 し付 け︑

﹁群 集﹂

﹁モ ッブ

﹂と して 骨抜 きに する もの であ る︒ 如是 閑は

︑あ る 種の 文化 形態 が﹁ イデ オロ ギー 装置

﹂︵ アル チュ セー ル

︶と して

︑ 人々 の身 体や 意識 を馴 致す るよ うに 働く 危険 性を 指摘 して いる と言 えよ う︒ しか し問 題は

︑そ れで も﹁ 大衆

﹂は

﹁大 衆文 芸﹂ を要 求す ると いう 無視 でき ない 事実 だっ た︒

﹁大 衆﹂ 読者 の支 持を 得た

﹁ユ ーモ ア小 説﹂ が︑

﹁大 衆文 芸﹂ の一 ジャ ンル とし て定 着す るの もこ の頃 であ る

︒彼 らの 関心 を惹 きつ けな がら

︑自 分た ちの 文学 を実 践 する とい う難 題は

︑昭 和一

〇年 前後

︑﹁ 文芸 復興

﹂期 の﹁ 純文 学﹂ 作家 達に も課 せら れて いく

︒ こう いっ た状 況下 で︑ 文学 の︿ 笑い

﹀が 注目 され てい った こと は 興味 深い

︒昭 和八 年か ら一 二年 頃に かけ て︑ 様々 な論 者に よる

﹁諷 刺文 学﹂ の提 唱が あり

︑﹁ ユー モア 小説

﹂も 種々 の雑 誌で 多く 掲載

され てい た︒

﹁諷 刺文 学﹂ には 権力 への

﹁抵 抗﹂ の可 能性 が︑

﹁ユ ー モア 小説

﹂に は﹁ 大衆

﹂へ の﹁ 適合

﹂力 がそ れぞ れ期 待さ れ︑ 両者 を止 揚し た第 三項 とし ての

︿笑 い﹀ の文 学様 式を 求め る声 が高 まっ てい く︒

﹁ユ ーモ ア小 説﹂ と﹁ 諷刺 文学

﹂に 関す る議 論は

︑再 画定 され つつ あっ た﹁ 大衆 文学

﹂と

﹁純 文学

﹂の 境界 線を 横断 して

︑相 互に 絡み 合い なが ら進 行し てい った ので ある

︒ 三

「諷 刺文 学﹂ 論議 の推 移

「諷 刺文 学﹂ の提 唱は 昭和 八年

︑﹁ ユー モア

﹂に 注目 した 幾つ かの 評論 に端 を発 する

︒尾 崎士 郎﹁ 文学 と諷 刺﹂

︵﹁ 新潮

﹂ ︱

︑昭 30 ・ ︶ は︑

﹁ユ ーモ ア小 説が 今日 さか んに 流行 しさ うな 傾向 を示 して ゐる

︒﹂ で始 まる

︒こ の論 で尾 崎は

︑﹁ 通俗 ヂャ ーナ リズ ムの 要 求す るユ ーモ ア小 説﹂ を強 く批 判し

︑そ れら は﹁ 一般 大衆 の娯 楽的 性質 に適 合﹂ した もの に過 ぎな いと 唾棄 する

︒ どう 考へ ても これ 等の 作品 を﹁ ユー モア 文学

﹂と 呼ぶ こと は 文学 に対 する 僭称 であ る︒

︵略 )/ これ 等の ユー モア の動 因た る べき もの は常 にく すぐ りの 技術 だけ であ つて 現実 への 批判 では ない

︒こ れ等 の作 品は 現存 する 政治 的イ デオ ロギ ーと

︑こ れに 付随 する 一切 の権 力と を黙 認し て︑ 今日 の社 会的 動向 のも つと も皮 相な るも のへ の消 極的 追従 に甘 んず ると いふ 以外 には まつ 昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

五九

(5)

たく 人生 に働 きか ける 能力 をう しな ひつ くし てゐ る︒

︵略 )/ 文 学の 諷刺 力は 高ま れば 高ま るだ け低 俗な る人 生面 へ下 つて くる

︒ 同時 にリ アリ ズム はそ れぞ れの 作家 の能 力の 極致 にお いて 人生 を諷 刺す るた めの 要求 に燃 えて くる

︒ユ ーモ ア小 説は 此処 から 発生 する のだ

︒ ここ には のち の﹁ 諷刺 文学

﹂の 議論 で反 復さ れて いく

︑基 本的 な 論調 がい くつ か見 出せ る︒ 一つ は︑ 通俗 的な

﹁ユ ーモ ア小 説﹂ と︑ 文学 の本 質的 な﹁ ユー モア

﹂と を峻 別す る論 法で ある

︒こ れは 現状 の︿ 笑い

﹀の 文学 を﹁ くす ぐり の技 術﹂ に過 ぎな いと 断じ

︑翻 って 文学 の本 質的 な︿ 笑い

﹀な るも のを 要求 する

︒多 くの 場合

︑本 質的 な︿ 笑い

﹀と して は社 会的 意義 を持 つ﹁ 諷刺

﹂が 想定 され たが

︑こ れは 文学 が社 会を ひ

いて は﹁ 大衆

﹂を 善

導す べき だと いう マル クス 主義 通過 後の 過剰 な自 意識 であ り︑ 裏返 せば ジャ ーナ リズ ムが 独占 する

﹁大 衆性

﹂へ のコ ンプ レッ クス でも ある だろ う︒ もう 一つ は︑

﹁諷 刺﹂ と﹁ リア リズ ム﹂ との 接合 を図 る点 であ る︒ 徳永 直﹁ 創作 方法 上の 新転 換﹂

︵﹁ 中央 公論

︑昭 ・

︶以 48 後︑

﹁リ アリ ズム

﹂は 徐々 に文 壇の 話題 にな り始 めて いた

が︑

﹁ナ ル プ﹂ 解体 声明 で今 後﹁ 社会 主義 リア リズ ム﹂ を指 針に せよ と言 明さ れた こと もあ って

︑昭 和九 年に は一 挙に

﹁リ アリ ズム

﹂論 が増 大す る︒

﹁諷 刺﹂ も﹁ リア リズ ム﹂ も組 織な き後 の文 学実 践の 模索 であ

り︑ ゆえ に容 易に 結び つい たの だと 言え よう

︒こ の時 期に は権 力の 網の 目を くぐ り社 会批 判を 積極 的に 行う 点で

︑﹁ 諷刺

﹂こ そ﹁ 現実

﹂ に最 も密 着し てい ると いう 認識 さえ 生じ てい たの であ る︒ 尾崎 論が 載っ たそ の翌 月の

﹁新 潮﹂ では 特集

﹁ユ ウモ ア文 学に 就 いて

﹂が 組ま れ︑ 千葉 亀雄

︑丸 木砂 土︑ 加藤 武雄 が寄 稿し てい る

︒ 最も 分量 のあ る千 葉の 論は

︑本 来﹁ 喜劇 は︑ 民衆 に属 し︑ 悲劇 は︑ 貴族 階級 に属 する

﹂と して

︑﹁ 民衆

﹂か ら﹁ ユウ マア

﹂が 剥奪 され た近 代一 般の 像を 描出 する

︒近 代日 本に おい ても

﹁社 会伝 統と

︑思 想性 の重 圧と

︑作 家の 希薄 な教 養﹂ が﹁ 真正 のユ ウマ ア文 学﹂ の発 展を 阻害 して いる のだ

︒千 葉は

﹁笑 ひが 民衆 の手 に奪 還さ れて よ い﹂ と述 べ︑

﹁せ めて

︑諷 刺文 学こ そ︑ 現代 の文 壇に 発生

﹂す べき だと 論を 結ぶ

︒丸 木︑ 加藤 の論 も︑ 現状 の﹁ ユー モア 小説

﹂を 否定 し︑

﹁混 乱の 時代

﹂に ふさ わし い﹁ 諷刺

﹂的

﹁ユ ーモ ア﹂ を求 める とい う結 論で 概ね 通じ る︒ 同時 期に 千葉 は﹁ 滑稽 文学 か諷 刺文 学 か﹂

︵﹁ 文化 集団

﹂ ︱

︑昭 和

︶に て︑

﹁諷 刺文 学﹂ の機 運 は﹁ 帝政 時代 のロ シヤ

﹂や

﹁ア ドル フ・ ヒツ トラ ア﹂ のい る﹁ 現代 ドイ ツ﹂ など

﹁強 圧の 政治 下﹂ に高 まる と述 べ︑ 暗に 日本 の状 況と 重ね てい る︒ 先の 論と 併せ てみ れば

︑﹁ 民衆

﹂の

︿笑 い﹀ と︑ 権力 への

﹁抵 抗﹂ とを 結索 する 狙い がう かが える

︒文 壇に おい ては この 頃か ら︑

﹁ユ ーモ ア﹂ への 注目 に並 行し て﹁ 諷刺 文学

﹂と いう 問題

昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六〇

(6)

意識 が明 確に なり はじ めた よう であ る︒ 昭和 九年 には 正宗 白鳥

﹁諷 刺小 説に つい て﹂

︵﹁ 中央 公論

﹂ ︱

︑ 49 昭

︶が きっ かけ とな り︑

﹁諷 刺文 学﹂ への 言及 がさ らに 増大 する

︒白 鳥の 文章 自体 は﹁ 常に 似ず 間の びの した 気の ない もの

︵小 林秀 雄

︶で

︑冒 頭の 一文

諷刺 小説 の出 づべ き時 世で あ る︒

﹂に 要約 され うる 淡白 なも のだ った

︒し かし 文壇 の大 家が

﹁諷 刺文 学﹂ を提 唱し たと いう 事実 が前 景化 され

︑白 鳥へ の賛 同︑ 反駁 とい う形 で各 論者 が意 見を 提出 して いく

︒い ち早 く反 応し た武 田麟 太郎

﹁文 芸時 評二

諷刺 小説 論 正宗 氏の 所論 を読 む﹂

︵﹁ 東京 朝日 新聞

﹂昭

︶は

︑白 鳥が スイ フト の﹁ ガリ ヴア 巡島 記﹂ を 30 例に 挙げ たこ とに 触れ て︑

﹁今 日の 社会 現実 は余 りに 複雑

﹂ゆ えに

﹁島 の住 民﹂ など に仮 託す るの は不 可能 だと 述べ る︒ 真の ふ 刺は

︑結 局現 実に 何ら かの し 気あ るぐ 話的 変 改を 加へ るこ とに ある ので はな く︑ 現実 その もの を恐 れず に追 及す ると ころ にあ るの であ る︑ 現実 を冷 く見 る時

︑妥 協な しに 表現 する 時︑ 現実 自体 がど れほ どふ 刺味 に富 んで ゐる か︒ 今 日の やう な世 相は 笑ふ べき こと だら けの やう に思 へる

リ アリ ズム の極 はい つも 本当 の意 味の サチ ール に到 達す る︵ 略︶

︹傍 点マ マ︑ 以下 同︺ この 武田 の意 見に 重な るも のと して

︑例 えば 瀬沼 茂樹

﹁レ アリ ス

ムと 諷刺

﹂︵

﹁作 品﹂ ︱ ︑ 昭

︶も

︑﹁ レア リス ム﹂ と﹁ 諷 刺﹂ の根 底は 同一 のも のだ と主 張し てい る︒ ここ で彼 らの 言う

﹁リ アリ ズム

﹂と は︑ 単に 描写 方法 の謂 いで はな い︒ 瀬沼 いわ く︑

﹁現 代の 世態 人情

﹂の

﹁欠 陥︑ 不合 理を 摘発

﹂し

︑﹁ 理想

﹂を 目指 す精 神が

﹁レ アリ スム

﹂の 真髄 であ る︒ それ が﹁ 諷刺

﹂に 繋が るの は︑

﹁世 態人 情﹂ の精 緻な 描出 によ って 現代 社会 の﹁ 笑ふ べき

﹂矛 盾や 歪み を炙 り出 すこ とで

︑暗 に﹁ 是正

﹂や

﹁改 造﹂ を促 すと いう 二重 構造 をな すか らで ある

︒戸 坂潤 も彼 ら同 様に

﹁諷 刺は リア リテ ィー その もの の内 にぞ くす る﹂ とし た一 人だ が︑ 彼は

﹁現 実が 諷刺 的で ある 場合 に是 非と も発 生し なけ れば なら ぬ文 学の 一般 的な 特色

﹂と して

﹁諷 刺﹂ を考 察す べき だと 述べ た

︒つ まり 文学 の諸 ジャ ンル を 超え た﹁ 諷刺 性﹂ が問 題で あり

︑﹁ 社会 主義 リア リズ ム﹂ に基 づく 現代 小説 にさ え︑

﹁諷 刺﹂ は存 在す るの であ る︒ ここ に至 って は︑

﹁諷 刺﹂ に必 ずし も︿ 笑い

﹀が 伴う 必要 はな くな る︒ この よう に﹁ リア リズ ム﹂ と﹁ 諷刺

﹂の 連合 が叫 ばれ る中 で︑ 少 数な がら

︑寓 話形 式や 戯画 化の もた らす

︿笑 い﹀ の効 果を 重視 する 論者 もい た︒ 阿部 知二

﹁諷 刺と 戯画

﹂︵

﹁あ らく れ﹂

︑昭

︶ 27

10 12 は︑ 現代 の﹁ 諷刺

﹂に 必要 なの は﹁ 理想

﹂を 目指 すと いっ た硬 直し た態 度で はな く︑

﹁自 由奔 放な 洒落 た﹂ 書き 方︑ すな わち

﹁戯 画的 な激 しい 自由 さ﹂ では ない かと 述べ た︒ また

︑﹁ 諷刺

﹂を 自ら の方 昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六一

(7)

法と して 掲げ てい たプ ロレ タリ ア詩 人小 熊秀 雄は

︑﹁ 民衆

﹂の

︿笑 い﹀ のう ちに

︑﹁ 行為 の明 快性 や意 志の 簡潔 性﹂ を望 む﹁ 批判 精神

﹂ の精 髄を 見出 す︒ 彼は

︑﹁ 小説 即散 文即 リア リズ ム﹂ とい う日 本の

﹁純 文学

﹂の 傾向 を批 判し

︑﹁ 大衆 を笑 はせ る﹂

﹁ユ ーモ ア小 説﹂ を 高め てい く方 向に こそ

︑﹁ 諷刺 文学

﹂の 将来 があ ると 主張 した ので ある 昭 ︒ 和一

〇年 前後

︑白 鳥の よう な伝 統的

﹁諷 刺﹂ 観と

︑戸 坂ら のよ うな

﹁リ アリ ズム

﹂に 根ざ した

﹁諷 刺﹂ 観と が並 立し てお り︑ この 両極 の間 で各 論者 は様 々な 規定 や主 張を 唱え てい った

︒﹁ ガリ ヴア 巡島 記﹂ のよ うな 荒唐 無稽 な空 想小 説か

︑現 代社 会を 辛辣 に描 出す る﹁ リア リズ ム﹂ 小説 か

当時

﹁諷 刺文 学﹂ の規 定は 広い 幅を 持 って いた と言 える

︒し かし 先ん じて 述べ てし まえ ば︑ 戸坂 らが 提唱 した

﹁リ アリ ズム

﹂と

﹁諷 刺﹂ の接 合は

︑ほ とん ど具 体的 な作 品実 践に 進展 する こと はな かっ た︒ 批判 的意 図が 読者 に察 知さ れな けれ ば﹁ 諷刺

﹂の 意味 がな く︑

﹁リ アリ ズム

﹂に よっ て明 確に 批判 を書 き込 めば

﹁統 制﹂ 下の 抑圧 を免 れな いと いう ジレ ンマ

︒恐 らく 彼ら の提 唱は

︑﹁ 諷刺 文学

﹂の 作品 それ 自体 を︑ 政治 に対 する

﹁抵 抗﹂ 表現 と見 なし た時 点で 隘路 に入 り込 んで いた

︒彼 らは

﹁抵 抗﹂ とい う観 念に 傾斜 しす ぎた ので ある

︒﹁ 諷刺 文学

﹂が

﹁抵 抗﹂ に繋 がる のは

︑作 品単 体で 体制 批判 を英 雄的 に表 明す るか らで はな い︒ 現状

の社 会を

︿笑 い﹀ 続け るこ とで

﹁大 衆﹂ の興 味を 惹き つけ

︑権 力批 判の 土壌 を育 てて いく 方向 にこ そ﹁ 抵抗

﹂線 はあ った はず だ︒ 換言 すれ ば︑

﹁諷 刺文 学﹂ の﹁ 抵抗

﹂と は︑ 権力 に対 する

︿笑 い﹀ の心 性を 巷間 に伝 播さ せて いく こと であ る︒ 小熊 が提 唱し たの は︑ その よう に﹁ 抵抗

﹂と

﹁適 合﹂ を架 橋す る対 抗的 な︿ 笑い

﹀の 可能 性だ った そ ︒ して 実は その 可能 性に 最も 近い 位置 にい たの が︑ 知識 人達 が嫌 悪し た﹁ 大衆 文学

﹂作 家で あっ たこ とは 驚く には 当た らな いだ ろう

︒ ユー モア 作家 獅子 文六 は︑

﹁リ アリ ズム

﹂と いう 文学 伝統 に囚 われ るこ とな く︑ 寓意 的操 作を 駆使 する こと で︑ 巧み な権 力批 判の

︿笑 い﹀ を生 み出 した 一人 であ る︒ 次節 では 彼に 焦点 を当 てる

︒ 四

「ユ ーモ ア小 説﹂ の﹁ 諷刺

獅子 文六 奥村 五十 嵐﹁ 大衆 文壇 後継 作家 評判 記﹂

︵﹁ 文芸

﹂ ︱

︑昭

・10 ︶ によ れば

︑昭 和一

〇年 前後

︑﹁ ユー モア 小説

﹂の 分野 で﹁ 新人 たち の活 躍﹂ が目 立っ てき てい た︒ 辰野 九紫

︑サ トウ

・ハ チロ ー︑ 伊馬 鵜平

︑徳 川夢 声

中で も獅 子文 六は

﹁大 衆文 壇の 特異 的存 在﹂ と評 され てい る︒ 大正 末か ら︑ 本名 の岩 田豊 雄名 義で 演劇 論の 翻訳 や戯 曲を 手が けて いた 文六 は︑

﹁金 色青 春譜

﹂︵

﹁新 青年

﹂ 15︱ ~

︑昭

︶で 大衆 文学 壇に

﹁彗 星の やう に現 れ

﹂る と︑ 14

12

昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六二

(8)

以後

﹁ユ ーモ ア小 説﹂ を次 々に 発表 して いく

︒ その 中の 一つ

︑﹁ 巷に 歌あ らん

﹂︵

﹁文 芸﹂ ︱

︑昭

︶は 10 掌篇 なが ら︑

﹁諷 刺文 学﹂ の論 議を 踏ま え意 識的 に書 かれ た﹁ ユー モア 小説

﹂で ある

︒本 節で はこ の作 品の 持つ

﹁諷 刺﹂ 性を 検討 した い︒ 作品 の冒 頭︑

﹁平 和で 幸福

﹂な

﹁殷 賑区 の朝

﹂に 消防 車の サイ レン が響 く︒ 物見 高い 人々 が火 事見 物に 集ま る中

︑百 貨店 の前 で止 まっ た消 防車 は︑ しか し放 水を 行う でも なく

︑梯 子を 伸ば し﹁ 四階 の窓 と窓 の間 の壁 面に 貼り つけ た紙 片﹂ をブ ラシ で剥 がし 始め た︒ その 様子 に気 づい た群 衆は

﹁剥 がす と承 知し ねェ ぞ!

﹂等 と野 次を 飛ば す

読者 には 事情 が不 明の まま 滑稽 な騒 動が 描か れる が︑ 実 はこ れが

﹁文 芸統 制﹂ に関 係し た事 態で ある こと が直 きに 明か され る︒ この 作品 世界 では 苛烈 な﹁ 文芸 統制

﹂が 行わ れて おり

︑例 えば

﹁日 本の 代表 的二 大雑 誌﹂ たる

﹁中 心公 論﹂ と﹁ 解造

﹂は

︑﹁ 文芸 院﹂ の斡 旋で

﹁解 造公 論﹂ とし て統 合さ れ︑ ほぼ 官製 の雑 誌と 化し てい た︒ その 編集 は﹁ 直轄 官庁 の次 官と 局長 連の 仕事

﹂で あり

﹁論 説は

﹁純 粋日 本文 化の 精神 的侵 略性

﹂と いふ 題目 で擦 子木 博士

﹂ が担 当し

︑﹁ 巻頭 言は 大臣 が書 く﹂ とい う風 に誌 面の

﹁お 膳立 て﹂ も整 って いる

︒だ が一 方で

︑﹁ 雑誌 を取 潰さ れた 為め

︑街 頭へ 作品 を進 出﹂ させ た︑

﹁新 狂歌 落首 連盟

﹂を 名乗 る作 家達 がお り︑ ゲリ ラ的 な作 品行 動に よっ て﹁ 市民 の熱 賛﹂ を受 けて いた

︒先 の冒 頭部

は︑ 彼ら の作 品で ある 狂歌 が書 かれ たビ ラを

︑﹁ 当局

﹂が 撤去 する 場面 だっ たの であ る︒ 話の 筋は

︑﹁ 解造 公論

﹂に 嫌気 がさ した 編集 者X とZ が﹁ 新狂 歌落 首連 盟﹂ に接 触を 試み た結 果︑

﹁当 局﹂ の家 宅捜 索に 巻き 込ま れる とい うも のだ が︑ 何よ りも

︑奇 抜な 設定 と皮 肉な 語り 口と がこ の作 品の

︿笑 い﹀ の要 諦と なっ てい る︒ この 小説 には 様々 な﹁ 諷刺

﹂が 盛り 込ま れて いる が︑ 一番 目に 付 くの は当 然﹁ 文芸 統制

﹂に 対す る皮 肉な 態度 だろ う︒ 作品 発表 当時

﹁文 芸懇 話会 賞﹂ の島 木健 作選 外問 題︑ 帝国 芸術 院の 改組 問題 など に関 連し て﹁ 文芸 統制

﹂の 論議 が紛 糾し てお り︑ 八月 から 一〇 月に かけ て集 中的 に知 識人 が意 見を 発表 する など

︑最 も時 事的 な話 題で あっ た︒

﹁巷 に歌 あら ん﹂ の掲 載さ れた

﹁文 芸﹂ 九月 号を 覗け ば︑

﹁文 芸統 制寸 評﹂ とい う特 集で 徳永 直︑ 和木 清三 郎︑ 石浜 知行 が小 文を 寄せ てい るほ か︑ ジイ ド﹁ 文化 の擁 護﹂ の翻 訳︑ 同年 六月 パリ 開催 の﹁ 国際 文化 擁護 会議

﹂の 模様 を伝 える 記事 など も見 える

︒特 集中 で徳 永は

﹁文 芸懇 話会

﹂の 動向 を睨 み︑

﹁﹁ 日本 文芸 院﹂ など の 出来 るこ とも 必至 の勢

﹂と 述べ てい るが

︑こ のよ うな 空気 の中 では

﹁巷 に歌 あら ん﹂ の荒 唐無 稽な 世界 さえ も︑ 有り 得る 未来 像と して 読者 に迫 って きた に違 いな い︒ 輪郭 を現 わし つつ あっ た﹁ 文芸 統制

﹂に つい て︑ 青野 季吉

﹁文 学 防衛 論﹂

︵﹁ 新潮

︑昭

︶の よう に明 確に 危険 を訴 える 32

10 昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六三

(9)

意見 も強 かっ た一 方で

︑国 家の 肝い りが 文学 振興 に繋 がる 可能 性を 考え

︑現 段階 では 行方 を見 守る とい うス タン スの 論者 も多 くい た︒ この 基底 にあ った のは

︑﹁ 大多 数の 文芸 家が

︑文 芸院 の会 員に 祭り 込ま れた とし ても

︑各 自が

︑各 自の 自由 意志 に依 つて 創作 し︑ 言論 を発 表す る以 上︑ それ は事 実に 於い て︑ 統制 でも

︑何 んで もな い

﹂ とい う︑ 各個 人の 領域 にお ける

﹁自 由﹂ を楽 観視 する 認識 だろ う︒ これ に対 して 戸坂 潤﹁ 文化 統制 現象 の分 析﹂

︵﹁ 改造

﹂ ︱

︑昭 17

︶は

︑﹁ 却つ て統 制自 身が 自由 の拡 大と して 意識 され る文 化 10 統制 が︑ 今の 場合

﹂だ と洞 察し

︑近 視眼 的な

﹁自 由﹂ を判 断基 準に する こと の危 険を 指摘 して いた

︒ 実は 自 の抑 圧で はな くて 可 の抑 圧が 統制 の意 味だ と云 つた 方が いゝ やう だ︒ 色々 の可 能性 があ つて

︑放 つて おけ ば 夫々 が自 由な 活動 を現 実し さう な処 を︑ 或る 目的 に適 つた 可能 性だ けを 現実 させ て︵ 略︶ 他の 可能 性を 可能 性に 止め るこ とが

︑ 統制 の正 確な 意味 であ る︒ 特定 の可 能性 が領 域と して 構築 され

︑選 択肢 とし て有 り得 たは ず の他 の可 能性 は﹁ 抑圧

﹂さ れる

︒さ らに

︑そ の﹁ 抑圧

﹂の 操作 自体 が巧 妙に 隠蔽 され るこ とで

︑人 々は 全て の可 能性 が領 域内 に確 保さ れて いる と錯 覚し

︑与 えら れた

﹁自 由﹂ の広 さを 謳歌 する こ

の 状態 が﹁ 統制

﹂の 完了 を意 味す るの であ る︒

「巷 に歌 あら ん﹂ の語 り手 は︑ かつ ての

﹁解 造﹂

・﹁ 中心 公論

﹂両 誌の

﹁黒 と赤 と白 の表 紙﹂ に注 目し

︑﹁ あの 黒は フワ ツシ ヨで

︑赤 はマ ルク シズ ムで

︑白 はリ ベラ リズ ムの 謎﹂ だと 言う

︒要 は﹁ ア カ﹂ に引 っ掛 けた 駄洒 落だ が︑ これ は雑 誌メ ディ アが 本来 確保 すべ き多 様性 を示 唆し ても いよ う︒ だが 作品 内で は︑ 多色 の併 存は

﹁文 芸統 制﹂ によ って 抑圧 され

︑﹁ 表紙 は国 定教 科書 ナミ に灰 色﹂ とな った

﹁解 造公 論﹂ が誕 生し てし まう

︒﹁ 統制

﹂の 本質 は︑ 国家 権力 が強 圧的 にフ ァシ ズム を押 し付 ける こと では なく

︑多 様性 の存 在自 体を 不可 視に する こと であ る︒

﹁灰 色﹂ とは

︑﹁ 赤﹂ や﹁ 白﹂ の排 斥 を意 味す るだ けで なく

︑他 との 対照 にお いて

﹁黒

﹂た る﹁ フワ ツシ ヨ﹂ を選 ぶ主 体性 さえ 剥奪 され てし まっ た状 態な のだ

︒こ の箇 所は

︑ 表面 的に は駄 洒落 や皮 肉な 言い 回し で︿ 笑い

﹀を 誘い なが ら︑

﹁文 芸統 制﹂ の行 先を 直観 的に 知ら しめ る点 で︑ まさ しく

﹁諷 刺﹂ と呼 びう る構 造と なっ てい る︒ 潜在 化し てい る可 能性 を示 すこ とで

︑眼 前の 現実 を相 対化 し批 評す る﹁ 諷刺

﹂の

︿笑 い﹀ そ

れは 固定 さ れた 視座 から 離れ

︑認 識の 多様 性へ と読 者を 誘う だろ う︒ 作品 中で は﹁ 統制

﹂の 甘い 汁を 吸う

﹁御 用文 士﹂ 達が 揶揄 され て いる が︑

﹁日 本に 於け る真 の文 士﹂ との

﹁世 評﹂ を取 る﹁ 新狂 歌落 首連 盟﹂ の抵 抗作 家達 も︑ 必ず しも 肯定 的に は描 かれ ない

︒﹁ 当局

﹂ の目 を逃 れる 彼ら が秘 密の 会合 を開 く場 面を 引く

昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六四

(10)

「い かが でゲ ス︑ 黒頭 巾先 生︒ なに か御 快心 の近 作は あり ヤ せん か」

/「 この 処些 かス ラン プの 形で す︒ それ で目 下ナ チス 治 下の 諷刺 詩

研究 をや つて ゐま すが

︑独 逸人 は鈍 重で 駄目 です

︒ とて も偏 倚坊 宗匠 のや うな 鋭い 作品 は見 当り ませ ん」

/「 いや

︑ これ は痛 み入 りヤ ス」

/ピ シと 音の した のは

︑自 分の 頭を 扇子 で叩 いた ので あら う︒

/ち よつ と会 話の 調子 を聞 いた ゞけ でも

︑ いか に現 代放 れの した 連中 だか わか るが

︑こ れぞ 今一 世の 人気 を担 つて 新狂 歌落 首連 盟の 一党 なの であ る︒

「諷 刺﹂ を用 いて 英雄 的な 地下 活動 を行 う彼 らは 浅薄 な俗 物と し て滑 稽化 され るが

︑こ れは

︑江 戸時 代の

﹁落 首﹂ を引 き合 いに して

﹁抵 抗﹂ とし ての

﹁諷 刺文 学﹂ の価 値を 無暗 に叫 びた てる 当時 の論 者た ちへ の皮 肉と なっ てい る︒ 戯画 のモ デル とし て容 易に 想像 され るの はプ ロレ タリ ア文 学者 達だ ろう

︒だ がそ れよ りも 注目 すべ きは

︑ こう いっ た描 写が

︑﹁ 諷刺 小説

﹂と 角書 付き で発 表さ れた

﹁巷 に歌 あら ん﹂ の自 己言 及と も見 るこ とが でき る点 であ る︒

﹁統 制﹂ を行 う国 家︑

﹁諷 刺﹂ を用 いる 文士

︑そ れを 支持 する

﹁大 衆﹂ など

︑ 様々 な立 場を 滑稽 に仕 立て るこ の作 品は

︑自 らの 存在 をも 相対 化し てし まう

︒文 六の

﹁諷 刺﹂ は︑ 固定 的な 視座 を提 出す るこ とは ない のだ

︒当 時の

﹁諷 刺文 学﹂ 論議 に便 乗す る自 らを 茶化 しな がら

︑同 時に その 論議 の空 疎さ をも

﹁諷 刺﹂ する この 小説 は︑ ふざ けき った

外貌 の裏 で何 重に も意 識的 な仕 掛け を張 り巡 らせ てい た︒ 文六 はこ の時 期︑ 西欧 主義 と国 粋主 義両 方の 浮薄 さを 揶揄 する

﹁金 髪日 本人

﹂︵

﹁改 造﹂

︑昭

︶や

︑国 体明 徴声 明に 触 17

10 れつ つ宗 教問 題を 茶化 した

﹁霊 魂工 業﹂

︵﹁ 改造

﹂ ︱

︑昭

・ 18

11 ︶ など

︑社 会批 判の

︿笑 い﹀ を意 識し た﹁ 諷刺 小説

﹂を 書い てい った

︒﹁ 巷に 歌あ らん

﹂の 作中 で狂 歌が

﹁市 民の 熱賛

﹂を 受け たよ うに

︑文 六も また その 機智 に富 んだ

︿笑 い﹀ によ って

﹁大 衆﹂ の支 持を 獲得 して いく こと にな る︒ 文六 は︑ 評論

﹁諧 謔文 学瑣 談﹂

︵﹁ 行 動﹂ ︱

︑昭

︶で

﹁諷 刺と 笑い

︵略

︶を 離別 せぬ 事に した 10 い﹂ と述 べて おり

︑小 熊と 同様

︑人 々に 訴え かけ る︿ 笑い

﹀の 力を 重視 して いた と言 えよ う︒ 五

「諷 刺﹂ と﹁ ユー モア

﹂の 交点

「巷 に歌 あら ん﹂ は︑ 誌面 では 創作 欄に 入ら ず半 ば雑 文扱 いだ っ たも のの

︑異 例の 注目 を受 ける

︒具 体的 には

﹁低 俗な 笑ひ の世 界 に﹂

﹁ふ う刺 を持 ち込

﹂ん だこ とが 高く 評価 され たが

︑同 時に

﹁諷 刺作 品と して は上 乗の もの では

﹂な いと いう 意見 もあ った

︒﹁ くす ぐり

﹂の

︿笑 い﹀ と︑ 本質 的な 文学 のそ れと の分 節意 識が ここ でも 働い てい るが

︑し かし 同時 に︑ 文六 の作 品に その 区別 をも 超克 する 可能 性を 見出 す言 説も 存在 した こと は注 目に 価す る︒ 谷川 徹三 は 昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六五

(11)

﹁獅 子文 六氏 が今 日の とこ ろ最 も高 級な 存在 であ る﹂ のは

︑︿ 笑い

﹀ を用 いて も﹁ 文学 とし て立 派に 独り 立で きる

﹂こ とを 確信 して いる から だ︑ と述 べた

︒ま た深 田久 弥は

︑文 六の 作品 を﹁ 一気 に読 んで しま ふ位 面白 い﹂ とし

︑﹁ シン の真 面目 な小 説を

︑こ のユ ーモ ラス な才 智で 書い たら

﹂と 期待 をか ける

︒つ まり 文六 には

︑﹁ 大衆 文学

﹂ の︿ 笑い

﹀と

﹁純 文学

﹂の それ とを 相互 に浸 透さ せる

︑架 橋的 役割 が期 待さ れて いた

︒そ れら を止 揚し て生 れる 新し い形 式の

︿笑 い﹀ は︑

﹁適 合﹂ と﹁ 抵抗

﹂の 結節 点と なり うる 可能 性を 秘め てい たか らで ある

︒ 徐々 に名 が広 まり 始め た昭 和一 一年

︑文 六は 第二 回﹁ 直木 賞﹂ 候 補に 挙が る︒ 受賞 は逃 すが

︑選 評で は﹁ かう した 方面

︹諷 刺小 説 佐

藤注

︺に 乏し い吾 がヂ ヤー ナリ ズム では

︑大 いに 推奨 した い﹂

︵久 米正 雄︶ と記 され た︒ 第三 回で は久 米が 欠席 した が︑ 佐々 木茂 索が 文六 を推 薦︒ 第四 回で は吉 川英 治が

﹁従 来の ユー モア 小説 から 一歩 高く 出た 作風

﹂と 称揚 し︑

﹁日 本の 文壇 はわ けて もユ ーモ ア作 家虐 遇の 傾向 があ つて 来た のだ から

︑直 木旗 をこ ゝの 陣士 に一 度は 授け たい

﹂と して

︑文 六を 強く 推し てい る

︒そ もそ も﹁ 直木 賞﹂ の規 定に は﹁ 大衆 文芸

︵現 代物

︑時 代物

︑ユ ーモ ア小 説等

︑題 材そ の他 に制 限な し

︶﹂ とあ り︑ 賞の 設立 自体 に﹁ ユー モア 小説

﹂ の勢 いを 取り 込む 意図 が内 在し てい た︒ その 上で

﹁巷 に歌 あら ん﹂

に代 表さ れる 文六 の﹁ 諷刺 小説

﹂は

︑﹁ 従来 のユ ーモ ア小 説﹂ には ない

﹁高 く出 た作 風﹂

︑す なわ ち批 評的 な︿ 笑い

﹀を も有 する

︑文 学場 全体 を刺 激す る適 材と 見な され たの だ︒ しか し︑ 三度 候補 に挙 がり なが ら結 局︑ 文六 に﹁ 直木 賞﹂ は授 与 され なか った

︒一 つに は︑ 候補 に挙 がる 横で

︑文 六は 連載 小説 のヒ ット を飛 ばし て流 行作 家と なっ てお り︑

﹁既 に推 せん の要 がな くな つた

﹂︵ 佐々 木茂 索

︶と の認 識が 選考 委員 に生 じた せい だろ う︒ だ が同 時に

︑文 壇で の﹁ 諷刺 文学

﹂論 議が

︑昭 和一 二年 以降 下火 とな って いっ たこ とも 一因 と考 えら れる

︒前 年の 二・ 二六 事件 以降 の社 会的 動揺 から

﹁諷 刺文 学は 絶望 か﹂

︵車 引耕 介﹁ 壁評 論﹂

︑﹁ 読売 新 聞﹂ 昭

︶と いっ た声 があ がり 始め てい たと ころ に︑ 日中 11 28 戦争 が開 始さ れた この 年︑ 文学 にも

﹁時 局﹂ 意識 を求 める 姿勢 が強 まっ てい く︒ 時代 の言 説が 方向 転換 して いく 中︑ 文六 は二 つの 新聞 小説

︑﹁ 悦ち やん

﹂︵

﹁報 知新 聞﹂ 昭

~昭

︶と

︑ 11

19 12 15

﹁達 磨町 七番 地﹂

︵﹁ 東京 朝日 新聞

﹂昭

︶を 連載 12 する

︒﹁ 達磨 町七 番地

﹂は

︑﹁ 欧化 主義

﹂と

﹁日 本主 義﹂ の反 転し う る関 係を 戯画 的に 描く 点で

︑﹁ 金髪 日本 人﹂ など と同 系統 の﹁ 諷刺

﹂ 性を 持つ 作品 であ り︑

﹁悦 ちや ん﹂ はデ パー ト等 の都 市風 俗や ラジ オの 歌謡 放送 を材 料に した

﹁向 日性 の小 説

﹂で ある

︒こ の時

︑﹁ 大 衆﹂ から 強く 支持 され たの は﹁ 悦ち やん

﹂の 方で あり

︑文 六名 義の

昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六六

(12)

作品 中︑ 戦前

・戦 間期 を通 して 最も 人気 を博 すこ とと なっ た︒ だが しか し︑ そこ では 作品 が自 らを 対象 化し て批 評す る︑

﹁巷 に歌 あら ん﹂ のよ うな 鋭い

︿笑 い﹀ は見 出し にく い︒ 家族 主義 のイ デオ ロギ ーは 問い 返さ れず

︑類 型的 な人 物達 が類 型と して ア

レゴ リー と して では なく 活

きる とこ ろに

︿笑 い﹀ があ る︒

﹁大 衆﹂ への

﹁適 合﹂ に傾 斜し た﹁ ユー モア 小説

﹂は

︑状 況に 敏感 に反 応し て

﹁大 衆﹂ が求 める 世界 観を 取り 込む が︑ 読者 もま た︑ 作品 の受 容を 通し てそ の世 界観 に再 同一 化す ると いう 循環 を引 き起 こす

︒そ うし て相 対化 の運 動を 停止 した

︿笑 い﹀ は︑ 世界 の有 様を 一つ の角 度か ら固 定的 に表 象す るの であ る︒ この 構造 はじ きに 権力 に収 奪さ れ︑ 戦時 下体 制に おけ る国 民主 体の 同意 形成 に利 用さ れて いく だろ う

︒ とも あれ 昭和 一二 年以 降︑

﹁諷 刺文 学﹂ の論 議は 下降 線を 辿り

︑昭 和一 五年 頃に は殆 ど絶 えて しま う︒ そし てこ の推 移を 辿る よう に︑ 文六 の作 品か らも

︑眼 前の 現実 を相 対化 する

﹁諷 刺﹂ 的方 法は 後退 して ゆく こと とな った

︒こ の地 点か ら︑ 太平 洋戦 争下 の国 民を 夢中 にさ せた

﹁海 軍﹂

︵﹁ 朝日 新聞

﹂昭

︶ま での 道の 17

12 24 りは

︑も はや そう 遠く はな い︒ こう いっ た文 六作 品の 軌跡 を︑

﹁彼 の半 生が

︑芸 術大 衆化 の︑ 無 残な 失敗 の記 録だ った

﹂と 片付 ける のは たや すい

︒し かし 彼の 辿っ た道 筋は

︑昭 和一

〇年 前後 の文 学に おけ る様 々な 問題 意識 と密 接に

関係 して いた

︒権 力へ の﹁ 抵抗

﹂と して の﹁ 諷刺 文学

﹂︑

﹁大 衆﹂ へ の﹁ 適合

﹂を 果た すも のと して の﹁ ユー モア 小説

その 交点 に 成立 した 文六 の初 期作 品は

︑当 時の 文学 領域 が注 目し た︿ 笑い

﹀の 力を 体現 して いた

︒そ こに は錯 綜す る昭 和一

〇年 前後 の言 説空 間に おい て︑ 文学 が︿ 笑い

﹀の 引力 を以 てジ ャー ナリ ズム と協 同し なが ら︑ 権力 への 対抗 的言 説圏 を築 くと いう 可能 性さ え胚 胎し てい たの だ︒ そこ から の転 換の 在り 方も 含め

︑文 六作 品の 再検 討は 意義 を持 つだ ろう

︒ 文六 の初 期﹁ 諷刺 小説

﹂は

︑眼 前の

﹁現 実﹂ を荒 唐無 稽な

﹁寓 話﹂ とし て拡 大す る︒ その 時に 前景 化す る軋 みか ら生 まれ る︿ 笑 い﹀ は︑ 眼前 の現 実を 相対 化し

︑批 評的 距離 を読 者に もた らす だろ う︒ オル タナ ティ ヴな 現実 を︑

︿笑 い﹀ を介 して

﹁大 衆﹂ の前 で披 露し てゆ く﹁ 諷刺 文学

﹂︒ それ は︑ 柔軟 な︿ 笑い

﹀の 思考 を﹁ 巷﹂ に蒔 く可 能性 を有 して いた

︒し かし

﹁抵 抗﹂ と﹁ 適合

﹂の 架橋 が成 され るの は︑ 当然 なが ら︑ その どち らに も偏 らな い︿ 笑い

﹀を 持つ 瞬間 であ る︒ その こと を︑

﹁巷 に歌 あら ん﹂ とい う作 品は 示し てい た︒ 注

① 管見 の限 りで は︑ 佐藤 喜一

﹃小 熊秀 雄論 考﹄

︵旭 川市

︑昭

︶が 42 昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六七

(13)

﹁昭 和初 年の 諷刺 文学 論﹂

~ 頁︶ の章 を設 けて いる もの の︑ 新聞 資 82 101 料の 紹介 が主 とな って いる

︒た だし

︑こ の時 期の プロ レタ リア 文学 派の

﹁諷 刺﹂ に限 定す れば

︑祖 父江 昭二

﹁雑 誌﹃ 太鼓

﹄解 説﹂

︵久 山社 編

﹃﹃ 太鼓

・詩 原﹄ 別冊

日本 社会 主義 文化 運動 資料

﹄久 山社

︑昭

・ 33

63 ︶ が各 作家 の証 言を 基に 概観 を行 って おり 示唆 に富 む︒

② 川端 康成

﹁訊 くべ きこ と︑ 言ふ べき 事 質疑

弾圧 下に ある プロ レタ リア 文学 に活 路あ りや 長

谷川 如是 閑氏 に問 ふ

﹂︵

﹁読 売新 聞﹂ 昭 ・ ・ ︶

︑長 谷川 如是 閑﹁ 訊く べき こと

︑言 ふべ き事 回答 歪曲 され ざる ユー モア 芸術 を以 つて

﹂︵

﹁読 売新 聞﹂ 昭

︶︒

③ 海野 福寿

﹁一 九三

〇年 代の 文芸 統制 松

本学 と文 芸懇 話会

︵﹁ 駿台 史学

︑昭

︶︒ 52 56

④ ルイ

・ア ルチ ュセ ール

︵西 川長 夫訳

︶﹁ イデ オロ ギー と国 家の イデ オ ロギ ー諸 装置

﹂︵ 平凡 社ラ イブ ラリ ー﹃ 再生 産に つい て 下﹄ 平凡 社︑ 平

︑ 頁~

頁︶ を参 照︒ グラ ムシ のヘ ゲモ ニー 概念 に触 発さ れ 22 10 165 250 つつ

︑マ ルク スの 虚偽 意識 論を 先鋭 化し たア ルチ ュセ ール は︑

﹁イ デオ ロギ ー装 置﹂ につ いて

︑﹁ 支配 階級

﹂が 人々 を馴 致す る﹁ 制度

﹂で ある と同 時に

︑﹁ 抵抗

﹂の 起こ りう る﹁ 闘争 の場

﹂で もあ ると 規定 する

︒複 数の 力の 絶え ざる 抗争 の場 とし て文 学や 美術 など の文 化実 践を 捉え る彼 の思 考か ら︑ 本稿 も文 学の

︿笑 い﹀ を考 察す る上 で多 大な 示唆 を受 けて いる

⑤ セシ ル・ サカ イ﹃ 日本 の大 衆文 学﹄

︵平 凡社

︑平

︶は

︑﹁ ユー モ ア小 説﹂ とい うジ ャン ルの 登場 を﹁ 一九 三六 年に

﹁ユ ーモ ア作 家倶 楽 部﹂ が結 成さ れ﹂ た時 点と して いる

︵ 頁︶

︒だ が﹁ ユー モア 小説

﹂と 125 いう 名称 は︑

﹁ナ ンセ ンス 文学

﹂が 退潮 した 昭和 六年 頃か ら既 に︑

︿笑 い﹀ の﹁ 軽文 学﹂ の呼 び名 とし て代 替的 に広 がっ てい た︒ 本稿 で概 観す るよ うに

︑昭 和八 年の 時点 で尾 崎士 郎ら が﹁ 通俗 ユー モア 小説

﹂と いう

名指 しで その 人気 を批 判し てお り︑ 既に この 頃に は﹁ 大衆 文学

﹂の 一つ のジ ャン ルと して 認識 され てい たと 考え られ る︒

⑥ この 文脈 から

︑﹁ 純文 学に して 通俗 小説

﹂と いう 横光 利一

﹁純 粋小 説 論﹂

︵﹁ 改造

﹂ ︱

︑昭

︶の テー ゼが 想起 され よう

︒﹁ 諷刺 文学

﹂ 17

10 の論 議も

︑﹁ ユー モア 小説

﹂の 大衆 性と の混 交が 問題 にさ れた 点に おい て︑ 純粋 小説 論争 と地 平を 共有 して いた

⑦ この 時期 の﹁ リア リズ ム﹂ につ いて は︑ 松本 和也

﹁昭 和十 年前 後の

“リ アリ ズム

”を めぐ って 饒

舌体

・行 動主 義・ 報告 文学

︵﹁ 昭 和文 学研 究﹂

︑平

︶が 詳細 に論 じて いる

︒ 54 19

⑧ 千葉 亀雄

﹁ユ ウモ ア文 学論

﹂︑ 丸木 砂土

﹁諷 刺的 ユウ モア 小説 を﹂

︑加 藤武 雄﹁ 混乱 時代 とユ ウモ ア文 学と

﹂︵

﹁新 潮﹂

︑昭 ・ ︶

︒さ 30 らに 翌月 の﹁ 新潮

﹂︵ ︱

︶で は﹁ ユウ モア 短編 集﹂ とい う小 特集 で 30 尾崎 士郎

︑井 伏鱒 二︑ 中村 正常

︑楢 崎勤

︑石 浜金 作ら が小 品を 執筆 して おり

︑文 学的 方法 とし ての

﹁ユ ーモ ア﹂ を推 す動 向が 確認 でき る︒

⑨ 小林 秀雄

﹁文 芸時 評﹂

︵﹁ 文芸 春秋

﹂ ︱

︑昭

︶︒ 12

⑩ 戸坂 潤﹁ 諷刺 文学 に対 して

﹂︵

﹃思 想と して の文 学﹄ 三笠 書房

︑昭

・11 ︑ 頁~ 頁︶

︒ 137 147

⑪ 小熊 秀雄

﹁ユ ーモ ア作 家批 判﹂

︵﹁ 文芸 春秋

︑昭

︶︑

﹁民 14 10

11 10 衆と 諷刺

﹂︵

﹁都 新聞

﹂昭

︶︒ 12

24 27

⑫ 奥村 五十 嵐﹁ 大衆 文学 一年 の回 顧( )

﹂︵

﹁報 知新 聞﹂ 昭

︶︒ 10 12 17

⑬ 徳永 直﹁ 文芸 統制 につ いて

﹂︑ 和木 清三 郎﹁ 文芸 統制 に関 する 感想

﹂︑ 石浜 知行

﹁文 化統 制﹂

︑無 署名

﹁ロ マン

・ロ ーラ ンの ソヴ エー ト訪 問﹂

︑ 無署 名﹁ 文化 擁護 国際 作家 会議

﹂︑ アン ドレ

・ジ イド

︵大 野俊 一訳

︶﹁ 文 化の 擁護

﹂︵

﹁文 芸﹂ ︱

︑昭

︶︒ 10

⑭ XY Z﹁ スポ ツト

・ラ イト

﹂︵

﹁新 潮﹂

︑昭

︶︒ 32

10

「新 狂歌 落首 連盟

﹂の 会合 は﹁ 汚な い蕎 麦屋

﹂の 二階 で開 かれ てい る

昭和 一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六八

(14)

が︑ そこ に﹁ 当局

﹂が 乗り 込ん でく ると

︑彼 らは

﹁押 入の 壁に 吸ひ 込ま れ﹂ るよ うに 消え る︒

﹁新 狂歌 落首 連盟 の同 人達 は︑ どこ まで 落ち 延び たや ら︒

﹂と 作品 は尻 切れ に終 わる が︑ 家宅 捜索 から の逃 亡劇 や︑ 雑誌 の取 潰し

︑街 頭に ビラ を撒 くゲ リラ 的行 動な どは

︑左 翼作 家の 非合 法活 動を 想起 させ るに 十分 であ る︒ 奇し くも

︑﹁ 巷に 歌あ らん

﹂が 発表 され た翌 々月 の一 一月 に︑ 旧﹁ プロ レタ リア 文化 連盟

︵コ ップ

︶﹂ 所属 の小 説家

・漫 画家

・詩 人ら が集 い︑

﹁諷 刺芸 術﹂ を掲 げた 団体

﹁サ ンチ ヨ・ クラ ブ﹂ が結 成さ れて いる

︒メ ンバ ーは 壺井 繁治

︑加 藤悦 郎︑ 小熊 秀雄 らを 中心 に︑ 中野 重治

︑村 山知 義︑ 窪川 鶴次 郎な ど多 数︒

⑫に 同じ

⑰ 福田 清人

﹁質 問す る公 開状

諷刺 文学 につ いて 新居 格氏 へ﹂

︵﹁ 星座

﹂ ︱ ︑ 昭

︶︒ 10 11

⑱ 谷川 徹三

﹁文 芸時 評①

無名 新人 の作 品 獅子 文六 のユ ーモ ア小 説﹂

︵﹁ 東京 朝日 新聞

﹂昭

︶︑ 深田 久弥

﹁ユ ーモ ア文 学所 感﹂

︵﹁ 文 12 11 学界

﹂ ︱

︑昭

︶︒ 12

「第 二回

芥川 龍之 介賞

直木 三十 五賞

決定 発表

﹂︵

﹁文 芸春 秋﹂ 14 ︱

︑昭

︶︑

﹁第 三回

芥川 龍之 介賞

直木 三十 五賞

決定 発表

﹂ 11

︵﹁ 文芸 春秋

︑昭

︶︑

﹁第 四回

芥川 龍之 介賞

直木 三十 五 14

11 賞 決定 発表

﹂︵

﹁文 芸春 秋﹂

︑昭

︶︒ 15

12

「芥 川・ 直木 賞宣 言﹂

︵﹁ 文芸 春秋

﹂ ︱

︑昭

︶︒ 13

10

「第 四回

芥川 龍之 介賞

直木 三十 五賞

決定 発表

﹂︵ 前掲

︶︒

㉒ 牧村 健一 郎﹃ 獅子 文六 と二 つの 昭和

﹄︵ 朝日 新聞 出版

︑平

︶の 21 評価

︒ 頁~

頁を 参照

︒ 90 99

㉓ 日中 戦争 下に おい ては

︑文 六に 続く 世代 の北 町一 郎︑ 宇井 無愁

︑鹿 島 孝二 らも 活躍 しは じめ

︑昭 和一 五年 頃に

﹁ユ ーモ ア小 説﹂ の全 盛期 が訪 れる

︒対 照的 に﹁ 諷刺 文学

﹂は 退潮 し︑ 忌避 され てい った

︒戦 時下 の言

説編 成に おけ る文 学の

︿笑 い﹀ につ いて は︑ 別稿 を用 意し たい

㉔ 小熊 秀雄

﹁大 衆作 家に 訊く 覆面 の訪 問者 ( )﹂

︵﹁ 読売 新聞

﹂昭

・11 ・

︶は 時勢 に配 慮し はじ めた 文六 に対 し︑

﹁根 の止 つた 諷刺 文学

﹂ 20 と痛 罵し てい る︒ 小熊 は評 論﹁ 諷刺 詩の 場合 最

後に 笑ふ もの は最 も よく 笑ふ

︵﹁ 太鼓

﹂創 刊号

︑昭

︶に おい て︑

﹁諷 刺﹂ とは 10 11

﹁現 実を 固定 的に 見る 事と 闘ふ 為に 歌は れる べき

﹂だ と述 べて いた

︒彼 は︑ それ まで の文 六の

﹁諷 刺﹂ に共 感し てい たか らこ そ︑ その 転換 を激 しく 批判 した と言 える

㉕ 北村 美憲

﹁仮 面と 素顔 獅

子文 六論

︵﹁ 新日 本文 学﹂

︑ 16 11 昭

︶︒ 36 11

︹付 記︺ 引用 の際

︑ル ビを 簡略 化し

︑漢 字は 原則 とし て新 字体 に改 めた

/は 改行 を示 す︒ 昭和

一〇 年前 後の

﹁諷 刺文 学﹂ と﹁ ユー モア 小説

六九

参照

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