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明治三〇年前後の部落問題小説

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明治三〇年前後の部落問題小説

一近代文学における他者と天皇制の視点から一

 日本近代文学において,同じ国民,民衆であり ながら,徹底して他者として描かれてきたのは被 差別部落の人々である。部落民は明治に入っても 解放されず,依然として身分外の身分のまま

にんがいけう

「人外境」(中村春雨「積多村」後出),「社会外の 社会」(柳瀬頸介嚇盤穢多非人』大学館・明34・

2)に生きることを強いられた。強いたのは徳川 幕府の封建制にかわって新しく身分制度をつくり だしていった,明治の天皇を頭首に置く天皇制に 他ならない。近代天皇制は,自由民権運動の瓦解 で生命を得た大日本帝国憲法の発布(明22・2)

によって確立していくわけだが,そこで規定され た天皇の本質は神権性にあり,国民は天皇の神話 的な性格への信仰を強制されることになった。こ

うしてみると,天皇制の頂点に君臨する天皇と天 皇制下の最低辺の社会を生きる部落民とはまさに 対極の位置にある。

      をし

 だから,現実の場では同じ民衆に差別され,人 間としてすら認められなかった専制機構のなかで,

部落民が天皇制の中枢にある問題に触れる機会や       セ 可能性はほとんどなかった。彼等にとって現実の 社会の場に存在するのは天皇制による一方的な差 別であり,部落民の側が天皇及び天皇制を相対化 してみせる何の手段ももたなかった。この論攷で        まヨは明治三〇年前後(明25〜35)の部落問題小説

(すべて小説とは限らない)をとりあげ,近代の       は 文学作品の,被差別部落民(非人,乞食も扱う)

の描き方のなかに,天皇制と対峙し得る,乃至は 天皇制からの差別を克服し得る,可能性としての 思想や想像力をさぐってみたい。可能性としてし かさぐれないのは,小説の書き手に根深い差別観

はるがあり,それが作品を限界あるものにしているか らである。また,それにもかかわらず部落問題小 説を対象にする理由は,天皇制の矛盾の最大の表 われのひとつが,部落民の人間性や存在に対する

澤 正 宏

      は 

差別を温存し助長させるところに認められるわけ だから,描かれた被差別者の形象化のなかに取り 戻すべき人間観や人間関係を求めれば,たとえ限 界があれ,天皇及び天皇制を逆に差別する他者と     まマして相対化できる道があるのではなかろうかと考

えるからである。

 更に,日本の資本主義の確立を促し,それを帝 国主義段階にまでおし進めた日清戦争(事実上は 明27・6〜28・3)を挟む明治三〇年前後に時代 を設定したのは次の理由に拠る。即ち,絶対主義 による国家機構としての天皇制がその確立の基礎 を獲得していったのがこの時代であり,これとは 対照的に部落民の経済状態は生活破綻をきたすほ ど悪化し(特に大量の労働者が移動し集中化した        む 都市で),貧困化の拡大,貧富の差の拡大という        ホ かたちで更に広く根深く再生産されたいった時代

だからである。つまり,天皇制により部落に対す るなお一層苛酷な生存状況を強いる差別機構を確 立していった時代に注目すれば,こうした時代背 景のなかに現われてくる部落問題小説の,天皇制 に関わる意味や意義が解し易くなってくると思わ れるのである。事実,この時代の前記小説は,そ の以後の部落問題小説と比較してみても,既に基 本的な問題を,意図的,非意図的にかかわらず提 示し得ているのである。

 明治三〇年前後で部落民(他者)と天皇制に触 れる代表的な小説に清水紫琴の「移民学園」(『文 芸倶楽部』第5巻10編・明32・8)がある。この 作品は本来の立憲政治である政党政治の確立をめ

ざし,第二次政党内閣に入閣した新進の政治家今 尾春衛にすべてが支えられている(特に堅固な夫

     かなめ   だル婦愛が作品の要である)。春衛の自由思想は国民 の幸福を念願とし,生涯を平民主義に献身しよう とするものだが,実は彼がそれを政治家として実 践するとき必然的にぶっからざるを得ないのは,

(2)

国民への差別機構よりなる立憲的専制,即ち天皇 制であったはずである。ところが春衛の天皇制と のたたかいは,妻の清子(主人公)が部落民であっ たことで中絶する。

 作者はここで天皇制とのたたかいを回避したり 延期したのではない。たたかうことがもっている 意味の重さをよく理解し得ないままそれをはぐら かしたのである。繰り返しになるが,作者が春衛 を入閣させたことは,同じ憲政とはいえ平民主義 とはほど遠い絶対主義に基づく憲政,つまり立憲 的専制機構との直接のたたかいを,生涯の大仕事 として当然想定していなければなるまい。それな のに一転して,そういう政治上のたたかいは「生 涯を空しき声に終はらむ」という認識に変わるの        むエエは何故なのだろうか。それは,明治三〇年中頃に

に入閣した大臣がほぼ確立の基礎を固めっっある 天皇制と単身でたたかうという構想をそれ以上具 体化できなかったからであり,だからこそこの無 謀なたたかいをすぐにおよそ実現不可能な不毛の たたかいと認識するのである。この点をみれば,

作者が春衛一人に平民主義で天皇制とたたかわせ ることの意味の重さを十分理解していなかったこ とがわかる。理解していれば,即ちこの不可能な たたかいを本当にさせようと考えていたなら,清 子が部落民とわかって政敵が,「さる身をもって,

卑しき辺りに,拝謁の栄を辞しまつらざりしは,

いかにもいかにも恐れ多き事なり」と,天皇との 対面を拒んできたとき,名は敵党だが天皇制を支 えている部落への差別者たちに春衛より何らかの 言動がとられて当然である。「千万年の馴染にも まさる」最愛の妻に関わって受けた侮辱なら尚更 である。そうしなかったのはやはり天皇制とのた たかいのはぐらかしでしかなかろう。

 また先に引用した政敵の言葉を,総理が「至つ     こどちて至って小児らしき感情問題」とした点にも問題 がある。天皇制を支える天皇の官吏,官僚のなか でも最も強い権力を行使できる総理大臣が,平民 主義の,しかも彼等が賎民視し差別している部落

  

民を妻にもつ大臣を庇うことはあり得ない。事実,

明治三四年五月には社会民主党の結社が禁止され,

政党組織による民主主義運動の可能性が阻まれて いる。本来なら天皇に任命された大敵であるべき 総理を春衛に味方させることで,天皇制とのたた かいができないように,これをやはりはぐらかし ているのである。

 作者の理想主義は専制機構としての天皇制を春 衛によっては崩せず,また崩せないことを正確に 認識しないまま,かたちを変えていく。それは部 落民の子女等をひきつれて北海道に移住し,妻と 共に,あらゆる資産を投げうって教育事業をおこ すという理想であった。ここに天皇制に対峙し得 る可能性をみるとすれば,それは,愛に支えられ た夫婦によってなされる,民権思想を根幹におく 被差別部落民への教育の実践ということであろう。

但し,主人公の清子が夫の深い愛にもかかわらず,

夫の生涯の信念である民権思想を体得できず,同 じ部落民への差別観や,汚れた部落民という意識 に屈服している自分を克服できていない点をみる と,これは真に部落の解放を願って書かれた作品 だとはいえないことを確認しておく必要がある。

部落民への愛と民権主義に基づく教育とは重要な ことではあるが,それらだけでは酷烈な差別を強

   はユ 

いてくるこの時代の天皇制の本質を克服はできな

い。

 部落差別を民権思想によって克服しようとした この時代の小説には他にいろは庵の「おこそ頭巾」

(『自由新聞』明27・11・18〜12・7。全15回)が

  ゆある。作者は中江兆民から自由民権の真髄を学び とった幸徳秋水で,主人公藤田荘吉が内山蝶子

(おこそ頭巾の女)に兄松岡芳三と間違えられる ところがら作品が展開していく。この作品も主人 公が途中で自分を被差別民(荘吉の場合は非人)

      まユ の子と知って衝撃を受けたり,父親が被差別民か ら手厚く受け入れられて(にも拘らず最後迄父親 は差別者である)そこの女性との間に子(荘吉・

芳三)をもうけたり,主人公が差別をこえた愛に よって結ばれるといった点で類型的ではある。こ れに加えてここでは作品が天皇制に触れる手前で それを回避している点でその意義を薄めている。

 荘吉が学業時代のすべてを寄宿して過ごした田

    マ  マ

辺家には伯母(父の妹)の千勢子(娘咲子がいて

   しやいねずニナ

荘吉の許嫁である)がおり,その夫は「太政官に さる者ありと聞えし吏人」,即ち天皇の特権官僚 であったが,作者は彼を「八年以前」に死去させ ている。それは作品を天皇制に抵触させず,伯母 がむしろ「安堵」するかたちで,荘吉と咲子との 愛による結婚を実現化させるための意図的虚構で あった。同様のことは荘吉の父の,我が子に対す

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る態度にもみられる。地方の官吏となった父は r面皮と信用に関る大事」ということで,兄を里 子に出し荘吉を田辺家に預けて自分の過去を隠し 通し,天皇制とぶつかることを長年避けて来たの である。しかし荘吉が「私は是から立派に新平民 と名乗ります」といったとき,作者は父に「善い 決心だ」といわせている。これは差別とたたかう 被差別民としての荘吉の自覚と決意とを純化し,

際立たせるための作為であった。息子のこの決意 を認めることは,本当は父にとっては自分のそれ までの生き方とは矛盾する(父は部落観や生き方 を変えていない)ことであり,再び天皇制とぶっ からざるを得ない大問題であった。作者は荘吉,

咲子が結ばれたのでその後の父を描いてはいな

い。

 天皇制との対峙がなされないまま閉じられる作 品だが,逆に被差別民の苦悩はよく描かれており,

具体的,本格的な描写は欠落するものの,この作 品の四ケ月後に現われる深刻小説の先取りをして いるともいえる。それは兄芳三の描写にみられる。

芳三は師範学校を卒業し教師となるが,母が非人 であったことを知って放蕩を始める。彼は蝶子を 裏切って花子と結婚するが,花子はそのことを罪 と思うし,夫からは毎日辛い悲しい目にあい毒ま で飲まされて死んでしまう。芳三は流浪の身とな

るが常に女性への罪意識に噴まれ,遂に垢まみれ の破布一重の姿で服毒し命果てる・荘吉と父と蝶 子とは臨終直前にかけつけたが,蝶子は以後行方 知れずとなり。噂では狂気の果てに入水したとい

う。

 芳三の苦悩は二女性を犠牲にし,自らをも破滅       お に向かわせる,救いのないものである。生活の場 を通した差別の記述がないので,芳三の苦悩の中 心を占めるのは,世間一般に流布する差別観への 屈服から生じた,観念的な絶望であろう。作者は,

現実の場で受けるであろう差別を先取りし,その ことで目分の将来を絶たれたと観念して専ら内向 し,自己救抜の道を模索するのではなく唯只管自 暴自棄になっていく青年知識人の苦しみを典型的 に描いているのである。描写は伴っていないが,

苦悩の仕方のみに注目すれば,芳三は後の島崎藤 村の『破戒』(自費出版・明39・3)の主人公瀬 川丑松よりも凄絶な閉ざされた内面世界を生きて いる人物である。

 他方,荘吉は「心理からも平等の人間一匹,華

族でも新平民でも何の高下」といい,民権思想を 支えに新平民を名乗って生きていく道を選ぶ。荘 吉の自己認識には,「口惜しや何たる因果の生ま れなりしぞ,気の故にや今夜よりは我身体の,俄 に汚れて臭き心地す」というように被差別民への 差別観が残存し,為政者がっくり出した部落観に 屈しているという限界はあるが,兄とは対照的に 兄をこえる生き方を提示していると解せる・それ は,人間平等の根拠を確実なものにしつつ,自分 を含めた被差別部落民としての立場を天皇制社会 に公言することで,部落民を解放していく生活に 絶えず自らを晒していく生き方である。部落民が 主体的に自己を回復する道はこれしかないことを 考えると,勿論十分な表現をとってはいないが,

作者は天皇制による差別を克服する可能性として の生き方を提示しているといえるのである。究極 的に挑まねばならなかったのは天皇制だが,荘吉 が生活の場でまず直接にぶちあたらなければなら なかったのは,長い差別の歴史がつくり出してき た,差別者の意識の底深く浸透して絶えず再生し てくる,「世間の旧習」という重い重い壁であっ

た。

 天皇制と被差別民とを慈善による愛の精神で結 ぼうとした,最も早い時期の小説に三宅花圃の

「にほはぬ花」(『評論』第7号〜16号・明26・7       マ〜11。全8回)がある。愛がもち出されていると はいえ,この作品は夫婦愛が天皇制に対峙し,夫 婦愛が被差別民という境界を破って彼等を人間と して認めていくという,既述してきた作品とはそ の構造を異にしている。慈善による愛という言葉 からも推察できるように,愛が天皇制と対峙しな いでストレートに天皇制と被差別民とを結びつけ        はユコようとしており,両者は所謂融和的に結合されよ

うとしているのである。

 某省の局長村上輝政は妻松子と「うるはしき乙 女」である娘雪子(14歳)とを別荘にやり,自分 は女中のお花を妾として本宅に入れている。輝政

  ちウうしうはぎ  さん       もの

は「長州萩の産にしていやしき者」だったが今 の地位を得,不動産売買や,お花の兄伝蔵の入れ 知恵で骨董類の売買もしている・他方,松子と雪 子とは毎夜乞食(被差別民)たちに食物を施して おり,そのなかに滝川清太という二四,五歳の

「美男」の青年がいた。彼が,一昨夜業病で父がびなん

(4)

       らい死去し(実は父は甲州の代々の農民だったが「癩

びやう

病」で,一家は村中に嫌われ東京での赤貧生活を 余儀なくされた)身のふり方をお願いしたいとい うので,別荘の下男に雇う。その後清太は松子と の中を噂され(実は中傷)暇を出される。その頃 学校の寮にいた雪子は自分の月謝で清太に学問を させる。輝政は地方知事栄転が決まり(この直後 お花は伝蔵の情婦だとわかる),上司の時野大臣 の忠告で,任地への妾同伴を諦めお花に暇を出し て赴任していく。「よの第の豊饒の差前6讐籔乞 うれひ」ていた雪子は,学校経営を委嘱されるこ       ひんみんとがあり,校長として清太の発意を入れ,「貧民

がくこう学校」を父の別荘地に設立する。この学校出身者 では「むかしの毒多,琴は箕薪簡の圭蟹となり,

がくこう  けふし

学校の教師となれる」者があったという。

 「かなり広範な諸問題をふくみ込んだ小説」

(注αのの書)だが,これを他者と天皇制の問題に 絞りこみ,被差別民(乞食,部落民)に差別をど う克服させようとしているのかという視点から考 察してみよう。松子母子の生きがいは慈善の愛を       ひと施すことで,「人の中にかずまへられぬ」食乞を 更生させる(職業に就かせる)ことである。しか し,赤貧,僻み,ものごいといった差別の結果を,

食物援助を伴う憐みや慈善の愛を仲立ちとした教 育により自省させて,そこに厚生力を期待すると いう考え方は,差別の結果を被差別者の側の問題 に転化するものである。これでは,差別の原因に 対して受身で対応するため,差別は容認が前提と なり,被差別は続くばかりである。とくに雪子の 慈善の精神(愛)の規範は,「むかし光明皇后は

       あか  なが

宮人のかたひの垢を流してつかはされたとやらき      とく

く,その御徳にはおよばずとも」というように,

政策的に民衆へうえつけるよう意図された政治権 力者側の恩愛にあるので,彼女の人間味に溢れる 真実からの深い憐れみ(同情)や慈善の愛は,明 治天皇制に搦めとられ易いものである。仏教的信 仰を人生観の根底にもつ母松子にしても,打算で はないが未来の功徳のてめを考えての慈善の愛で あり,真に被差別眠の側に立つ救済活動ではなかっ

た。

 彼女たちのその活動は,貧民学校の教育方針に もみられるように,職業をもって社会に進出して いく人間を育てるという,当時の立身出世主義に 呼応するものである。この学校では生徒たちが

きみ   よ

「君が代」をうたうのをみても,教育方針に天皇

制と対峙し得るものがないのが明らかで,むしろ 天皇制を間接的に支える教育という面を多分に担っ ている。雪子がいくら家柄(門地)や栄耀を否定

してもそれは天皇制に抵触していくものではな

い。

 天皇の官吏である父は,妻と娘とにより畜妾を する横暴な男として,また作者自身により学問の ない金儲け主義の男として批判されている。だが この批判も一個人としての男性への批判のレベル に止まり,天皇制を支える人間への批判にはなっ ていない。

 天皇制を支える家族という関点で村上家をみる と,この家族に慈善を施された枝差男眠の清太が,

大恩を受けた家族を支え直す手助けをしているこ とになり,ここに,被差別民と天皇制との関係が 融和的である特色がよくでている。雪子と清太が 愛によって結ばれない(癩病は遺伝するという当 時の考えから)という設定は,理想嫁雪子のイメー ジを美化し純化はするが,彼女がうえからの同情 意識を自らすすんで破って,清太の苦悩を共に生

きる人間的な女性になれなかったことをも意味す る。この作品は,たとえそれが深く真実のもので あれ,燐みや同情だけでは差別を真に克服できな いことを示している。

 天皇制と被差別民との間に対峙意識や差別観と いった中間項どころか,融和的な媒介項すらない,

後者がその身分を脱却して前者に完全に帰属して いくという,他者と天皇制の問題を考えさせてく れるものの中では最も否定的な評価しか与えられ ない小説がある。それは村井弦斉の「裟川崎大 尉」(『報知新聞』明28・10・26〜12・2&全53回)

で,清国沿岸を測量して日清戦争の影の功労者と なった川崎利勝(明26死去)を描いている。明治 二年,もと徳川御家人の子(寺男の父が生前旧幕 の黒鍬侍の株を買ったのである)川崎六之助(幼 名,この年13歳)と姉とは,病気の母と共に非人 の身分で生活していた(父の死で母が財産を欺し

     オ り

取られたため)。やがて母は家の再興を果たすよ う遺言して死ぬが,姉弟は金により非人身分を脱

  ぬロ却し,弟は周囲の人々や姉に支えられ,海軍軍人 への道を歩むことになる。

 この作品は立身出世談,日清戦争功績話だから 評価できないのではない。非人からの脱出に力点

(5)

がおかれ,被差別者全体との異質性(もと御家 人など)が強調され(ここでは差別の現実が直 視されず,差別への批判が欠落していくだけ である),姉弟の人生の危機がくる要所要所で 善人に救われ,苦難多い二人の人生を母の遺 言が支える(これではお家再興という,人より

も家を重視する古い観念に縛られ,それに従 属した人生を歩まねばならなくなる),といっ た欠点が多いので評価できないのである。同 様に,また更に重要なところだが,賛美するに しても川崎の出世がもっている意味が付加さ れず,少尉昇進(明15・実はこの年天皇の権威 を利用した外征軍の建設が始まる),大尉昇進

(明22・実は海軍大臣下の軍政軍令が一元制に もどった年),清国海岸測量(明22,23・軍事力 を背景に帝国主義的政策がなされる頃)と,出 世や功績が羅列されるだけで,カッコ内に記

した背景とか,川崎が軍隊でうけた教育,軍事 に関わる内容とか,作者の日清戦争観とかの,

そのどれをも全く伝えていない点もそうであ る。これでは川崎大尉の出世と不可分な国を 守る働きは書けていても,書かれていない部 分,即ち国防的勤労の称賛は天皇制下の資本

 ゆユ主義の肯定であり,出世の称賛は天皇が親率 する軍隊のなかへの,天皇への忠誠を誓う軍       ロ 人としての参入であること等を,無批判に読

む者の内に認めさせることになる。

差別

(警察網)

  天皇

  /\ (神種・神聖)

  天皇制

 /  \

天皇の官史・軍隊

対 峙

  1

(世間

の旧習)

立身出世

金 潜在的な 社会外の社会・人外境 失業者群被差別民(稗多・非人・乞食)

 天皇制に完全に搦めとられていく 「難川崎大

       

尉」は別にして,天皇制下での被差別民の差別克 服が描かれるとき,男女の愛が核になっていて,

愛が果たす克服への役割の大きいことがひとつの 大きな特色としてとり出せたと思う(五章までの 主張を要約すれば図式の通りである)。何故愛が 核になるのかといえば,被差別民を含む男女が愛 や結婚の問題に直面したときこそが,最も当事者 の人間性の真贋が,換言すれば差別意識の有無が 問い詰められるときだからである。被差別民に関 わる愛や結婚が作家によって興味本位に取り扱わ れると,作品は差別的になる。差別的な作品は被 差別民に関わる男女の愛や結婚の問題を興味本位 に描いているのだ。この類の作品は明治三〇年前       お  

後に限っても比較的多いが,この論攷ではそれら の分析は割愛する。あと二編だけ,差別の克服へ 近づこうとした小説について他者と天皇制の視点 から考えてみたい。

 正岡子規の「曼珠沙華」(未発表・明30・10頃,

推定)は野村家の嗣子玉枝(16か17歳)が主人公 である。彼は家の中での毎日の窮屈な変化のない 生活に束縛され諺結していたが,ある日の外出は 外部に対する恐怖心を除去し,解放感を与える。

この自分中心の感覚の獲得という精神的な成長を 意味するところで,副主人公で蛇つかい(非人)

の子のみいさん(15か16歳)に出会う。少女は野 村家を否定し,軽蔑するが,玉枝は彼女の「心を

うが穿つ」魅力にとらわれる。以後作品は二人の恋愛 を夢と現実との描写を交えながら展開する。とく に,夢の描写により少女が「神様か何かの様に考 へられ」るほどに深まっていく彼の恋愛意識と,

被差別者としての少女の内面を理解すればするほ ど,「自分の生命を犠牲に供しても,(中略)救ふ てやりたいと思ふ」までに深まりを増していく同 情とを強調している。

 けれども玉枝は,非人の少女との恋愛は彼女の 身分を全面的に受け負うところまでいかなければ,

何を約束しても少女を苦しめるだけであることに 気付いていない。そこまでいかなければ,同情が いくら自己犠牲にまで高まっても社会の場では具 体的な解決はない。少女との愛を身分ごと受け負 えないし,まだ受け負える力もない玉枝は,本来 たたかうべき,愛を身分ごと受け負えない自分と いう対象を空洞化して,同情という限界の前で仔        しゃうげ立し,少女が救えない原因を「習慣といふ障礙」

(6)

に転化してしまうのである。勿論,身分ごと受け 負うとは,玉枝が少女へのあらゆる差別を自分の

ものとして受けとめ,社会の場で愛を貫徹するこ とである。

 ところが作品の後半では,玉枝がみいさんに妻 はもたぬと約束しながら,親のすすめに負けて他 の女性と結婚してしまう。みいさんは玉枝との愛 においては身分の違いを知らされるばかりで,自 分を卑下するだけの少女であった。約束を破棄さ れたときも玉枝を恨まずただ泣くだけであった。

彼女の絶望の深さはこの後行方不明になることで 推察できるが,玉枝は一人の少女の存在を良心的 で真剣な同情もかかわらず消してしまったのであ る。だから,野間宏氏もいうように「差別は同情 によって,消し去ることは出来ない」(「「曼珠沙 華」について」一『子規全集』第13巻・講談社・

昭51・9)ことがわかろう。

 被差別民への愛の本質が差別を克服できない同 情だったので,遂にこの作品は天皇制と対峙し得 る核をもたずに終わったが,みいさんの形象化に は注目する必要がある。この非人の少女はすべて のものから憎まれている意識が強く,誰からも可 愛がられないと思っており,被差別民の悲しみ苦 しみを理解している。だから皆が嫌う曼珠沙華の 花を大切に扱い,父が職業上必要としたうえで可 愛がっている蛇ですら,職業上必要でも遊びもの にしてはいけないという,親の職業を否定するま での理由で逃がしてやる。彼女には目分と同じく 差別され嫌われる生命存在への生活感覚を通した 愛があるのだ。しかも彼女は,他人と一緒のとこ ろを見つかってはまずいとした玉枝に「其儘捨て\

置いて」いかれ,野村家の使用人には「糞乞食」

という侮蔑の言葉と共に突き飛ばされたときには,

野村家の「並んだる蔵が一時にびりへと震へる」

ほどにらみつけることができる少女である。差別 を差別として怒りをもって感じることができるの である。この彼女は出会いから別れに至るまで,

        む くしタうじタう

玉枝のなかでは「無垢清浄天女のやうな者」,

「どうしても神様とより思はれぬ」者であった・

 こうしてみると,非人としてのみいさんの形象 化の特色は,差別される生きものへの愛と,差別 するものへの怒りとが体現できる,神格化された 人物像にあり,彼女のイメージは,微弱ではある が作品世界を超えて,絶対主義により被差別民の 人間性や生命を奪おうとする天皇制や,その頂点

      ぬ 

で神格化されている天皇像に正面から対峙し得る        ロ 

ものを孕んでいた。けれども,民権思想を受けと

   のる       ロマ

めっっもまだ被差別民への不徹底な認識しかもて        ロヨなかった子規は,大切なところで非人の娘との現 実的な恋愛の実現化を避けてしまう主人公しか創 造できなかったので,これをみいさんの死によっ て潰してしまうことになる・

みいさんの死の代償として,主人公には夜に限っ て奇異な言動がみられるようになるが,親のいう 通りの結婚をして家を継いだことで,彼はこの地 方最大の租税負担者(戸長)となっていく。日清 戦争後の社会に照らしていえば,相次いで旧家が 没落していった国内の先進地帯での危機をよそに,

      しんだい「三百年来」の莫大な「財産」で膨れあがった野 村家の新戸主は,天皇制下の経済を支えそこに組 み込まれていくことになる。

 中村春雨の「稿多村」(『新声』第4編第2号・

明33・8)も天皇制にはふれないが差別の克服を 描いた小説である。主人公宮田幸造(28か29歳)

はキリスト者として被差別部落の解放をめざし,

部落へ住みついた伝道師であり,北川鉄夫氏が述 べるように,この作品は宮田の「若々しい正義感 が直裁に行間にみちた一篇」(『部落問題資料文献 叢書第10巻』世界文庫・昭49・9)である。だが,

最も早く部落解放の実践者を主人公にした作品で ありながら,差別を除くための天職としての人類 平等主義の観念だけが貫かれていて,差別を克服 し得る具体的な可能性がなく,そこにこの作品の 限界をみることができる。例えば,宮田は,東京 で男に騙され部落民ということで男にすてられた 部落の娘(差別に屈服している)と結婚するが,

結婚した彼等がたたかう対象は抽象化されている。

伝道対象にしても部落民一般であって,彼等が神

      ママ     め       ひら

を讃美するのをみて伝導師の眼から,閃めきっ\

こぼる、ものがある」と作品が閉じられる点をみ ると,牧師宮田の伝道行為は自己満足的である。

 また,差別克服の実践者であれば,生活上に生 じる具体的な差別へのいちいちの対応が必須なの に,宮田は,一度は志を同じくした前妻の裏切り に,また差別者としての,伝道を妨害する仏教者 や父に対して(差別内容は当時の一般的なレベル のもので,キリスト教や部落への偏見が主),積 極的な行動をとることは一切なく,全く無力なの

(7)

である。だから天皇制と対峙し得ることがらが作 品のなかから生じてこないのである。もし作者が 当時の伝道者の姿を踏まえたうえで小説を書いて いれば,対峙するものが示され得る可能性はあっ たであろう。この点について考察をしておきた

い。

 部落民とキリスト教(プロテスタント)伝道者 との出会いは明治六年(切支丹禁制の高札がはず され,伝道が黙認された年)に始まるが,例えば 明治二七年の海保熊次郎伝道師による伝道(浅草 亀岡町)をみても,それは個人本位の,個人の信        ま 

仰による決断を大切にする伝道であった。この作 品には迫害を含めてこういう典型的な伝道の姿が 書かれてなくて,宮田は一〇人もいない部落民一 般に対して伝道するだけなのである。

 いうまでもなく神のまえでの平等を説いたキリ スト教が天皇制を支える天皇信仰と抵触すること は,内村鑑三の不敬事件(明24・1)を例にとっ ても明らかであり,明治天皇自身は宮内省出仕元 田永孚から,儒教に基づく耶蘇宗教の害を教育さ れていた。春雨の「穫多村」が天皇制と対峙し得 るには,主人公の伝道師宮田が,高道な精神主義 を具体化するために周囲の差別,迫害とたたかい ながら,個人本位の伝道をその限界に至るまで実 践しなければならなかったのである。

      八

 以上,近代文学にける他者と天皇制の問題を明 治三〇年前後の部落問題小説にみてきた・天皇制 に関わることができず,差別観をもって被差別民 を描くだけの,いわば読者に阿った興味本位のも のであったため,この視点から外した作品はまだ ある。近世からの地続きの部落観をこえられなかっ

       をとこだてはるさめがさ

た福地桜痴の『侠客春雨傘』(春陽堂・明27・

1),日清戦争後の暴露ものの読みものの流行の  なかで出された,被差別民への差別を強くする効 果しかもたない,藤陰隠子(藤本真)の「鋸びき」

(『文芸倶楽部』第3巻6編・明30。4),民衆の 頑迷な差別意識に付け入って,それを教訓性(被 差別民が世を僻んで盗賊に堕落したとし,読者に 罪悪への沈淪を慎み世を矯めるよう説く)に利用 した,鈴木金輔の「五寸釘寅吉」(榔新聞』明32・

      ヨ し

1・1〜未詳。全150回)等がそうである。これ らの作品もその差別性を明確にしておかなければ ならないがこの論攷では省くことにしたい。

 近代文学において,天皇制とその克服の可能性 とをまともに論じようとするならば,近世の身分 制度で穢多,非人,乞食(野非人)とされ,明治 四年の「解放令」(乃至は「賎民制廃止令」)以降     ロ 

は新平民ととよばれた,被差別部落の人々の存在 を避けて通ることはできない。人間の真実の描写 をめざす文学が,部落問題を差別的に描いたり,

間違った部落観で部落や部落の人々描いてきてい るので尚更のことである。部落の人々が人間とし て,とりわけ労働者として(注{9惨照)解放され なければ絶対主義の天皇制を克服する道はなかろ う。この道を文学作品のなかにさぐってみるとき,

既述してきた作品が含む問題は,それ以後の文学 作品に変容したかたちで現われ,しかもなお見え にくくはあるが現代に通じる課題として(第六章 の図参照)日本人の前に存在し続けているのであ

る。

      注

(1)宮内省出仕元田永孚はこの民衆にすら民権がな   いことを「論語』講義のなかで天皇に教えている   (明11・1〜)。

(2)天皇自身は北陸行幸中(明11・9・12)に高田   の被差別部落を視察しており,その存在は直接見  聞により知っていた。

(3) 「部落問題」の概念規定はむずかしいが,上杉  聴氏の「差別する側と,そして差別・被差別の両  者の関係を示す一切の問題」(「近代部落史資料集  成第一巻』三一書房・昭59・11)という定義に  従う。

(4)近世の身分制から考えると,被差別部落民(穣   多)と非人と乞食とはそれぞれ同レベルでは扱え   ない。賎民制の確立と支配は享保期からであり,

  非人身分の成立は宝永期である。乞食は天明・天   保期に増加するが身分ではなく人別帳からも外さ   れた。この論考では三者を天皇制下でも分断され   た民衆(国民)とする考え方に立つので(注(9}参   照),彼等を「被差別民」として表わす。明治期の   作品では非人,乞食がそこから脱却した場合を描   くものはあるが,穢多の国内での解放は遂に描か   れなかった。国外へ出ての解放を描いた作品に長   野楽水のr夜の風』(春陽堂・明32・7)があ

  る。

(5)差別の解消に著者の晩年のすべてをかけて(明   26頃着筆,明29掴筆と死去・29歳)書かれた

(8)

  『勢蓋萎穢多非人」(前出)でも被差別の原因を「忌   穣の風と肉食の風と」においている。当時は差別   者の側に同情を求め被差別民の教化を唱えるのが   一般だが,前掲書の序で島田三郎は,差別観が根   底にあるものの,部落民を含めて差別の由来を考   究するよう訴えている。

(6) 例えば兵庫県多可郡では,戸籍を改める際に

  かわた

  皮田村から秩多村にするようにいわれて,三人の   者が嘆願書を出している(明4)が,ここには政   治政策としての温存,助長の意図がみられよう。

  陛下一視同仁といいつつ政府は駐在所制度を発足   (明21・10)させて全国の警察網を整備し,被差別   民の監視にもあたらせている。この様子は正岡子   規の「曼珠沙華」や生田葵山人の「穣多村」(注oe   参照・共に後出)に描かれている。

(7)天皇,帝室を政治社外の存在にしょうとしたの   は福沢諭吉の『帝室論』(明15・5)だが,保守派   と民権派との対立に発したこの論では被差別民の   差別克服にならないのは当然である。

(8)富豪者の実体については横山源之助が,「維新後          にはか

  または日清戦没後俄に繁華に赴いた」「地で巨富を   以て召されている者は,十中八九までは,地価の

       こんにち      あやまり

  暴騰に依って今日あるものと見て,大した誤謬は   ない」(「明治富豪史』易風社・明43・6)と書い   ている。

(9) いうまでもなく天皇制絶対主義は資本主義によっ   て発展(日清戦争直後からは会社資本の増大によっ   た)したが,その権力は半封建的であり,封建的   な諸関係が天皇制の物質的な基礎をなしている。

  部落問題でいえば,部落民は未解放の身分のまま   でっくりあげられた巨大な潜在失業者群であり,

  資本家にとっては労働者の賃上げや国民生活の向   上を低下させるための存在であった。だから天皇   制下で資本主義が発展しても差別は再生産される   だけなのである。

(10)既に紫琴と春衛の妻清子や清子の父親の部落観   における差別性については,長尾真砂子氏が「清      ママ

  水紫琴と『移民学園』」(『論集・近代部落問題』解   放出版社・昭61・10)で的確な追求をしているの   で,その点にはふれない。

(11)和田繁二郎氏は「紫琴「移民学園」試論」(『大  谷女子大学紀要』20号2輯・昭61・1)でこの作   品が第二次政党内閣がまだ出現していない頃を描   いたフィクションであることを指摘している。こ   の作品が発表された(第一次政党内閣瓦解は明31・

  10)後に社会民主党結社禁止(明34・5・第二章   に後出)があるので三〇年中頃とした。

(12) 端的には明治五年に施行された戸籍法の戸籍の   記載例に,穢多,非人が残されている(身分でな   く俗称と説明はするが)事実からもわかる。

(13) 「移民学園」に描かれる部落は京都市内のもの   だが,「京都市同和地区の史的調査報告」(京都市   民生局・昭28。3)によると,日清戦争より一〇   年前の部落民の死亡率ですら人口千人につき四四,

  一人で,地区民の極めて悲惨な生活状態を伝えて   いる。

(14) 他に幕末を舞台にした戯曲で緑堂野史の「盆踊   長崎団扇絵」(『帝国文学』明29・3〜11。三幕九   場)がある。穢多の娘おしづは差別を受容してい   る・主人公で四民平等を説く民権主義者の画工眠   濤は許婚者がありながらこのおしづとのオランダ   渡航を考えている。棄民を勧めたり,追われて治   外法権の場であるオランダ邸へ逃げこむ眠濤には,

  幕府やその後の明治天皇制と対峙する思想は未熟        ナイプ   といわねばなるまい。棄民による差別脱出の型の   作品には「夜の風』(注㈲参照)がある。

(15) この父親は脱藩した武士で,「移民学園」の清子   の父は医者の子という違いがある。この時代には   「おこそ頭巾」の場合のように武士の身分の人間が          パタ ン

  非人になっていく型の作品が多いのも事実で,型   からみれば他に「川崎大尉」(後出)や『舞鳥追お   玉』(錦城斉貞玉演の講談の速記本。大川屋書店・

  明34・8。全27回)等があり,これらはあとで主   人公(武士の子)がそこからぬけていく。逆に,

  福地桜痴の「車善七」(『日出国新聞』明34・6・

  10〜9・8。全90回)や依田学海の「佐竹の家老   東政義及び東猛虎兄弟」(「話園』博文館・明26・

  10)は武士から非人頭になっていく車善七を描い   ている。

(16)反対に被差別民であることを受け取めようとせ   ず,それを空洞化し,言わば苦悩から欺  購的   に自己解放をしょうとして,自らの命を落として   しまう主人公(お里)を描いた小説に生田葵山人   の「稜多村」(『小天地』明34・6)があり対照的   である(被差別部落民を主人公とした最も早いほ   うの作品としても注目される)。また,主人公を積   多であるが故に,自らの心情を偽って差別した男   が登場し,彼はお里の死を生涯かけて弔うことに   なる。異種起源説を出すなど差別的な作品だが,

  自己欺瞞の負債のとてつもない大きさをひとつの

(9)

  反面教材として示してくれる作品である。

(17) この小説については既に和田繁二郎氏に唯一と   いってよい作品論があり(「いほはぬ花」一『明治   前期女流作品論讐1あ蕎後』桜楓社・平成元・5),

  その詳細な分析に負うた。

(18)注(3)にあげた書の第四巻(昭62・1)では,近   代部落史の融和運動の胎動期を明治二四年から四   一年までにしており,これに従うと「にほはぬ花」

  は融和的傾向の最初期にある作品としてとらえ得

  る。

(19) 明治二年といえば非人は部落民よりも生活苦に   あえいでおり,治安上でも苦慮していた年で,新   政府は非人・乞食の調査を実施している(「東京市   史稿・市街篇』第50巻・東京都編集・昭36・3)。

  これによるとその数は四,三七三人とある。

(20)金による非人身分の脱却の仕方は「舞鴫追お玉』

  (注㈲参照)のお玉の場合(但し時代は天明の頃)

  にも共通する。もともと近世の制度上の違いがあっ   て,金をいくら積んでも被差別部落民(穢多)の   場合はそれができなかった。幸堂得知(本名鈴木   利平)の「穢多の大望」(「新小説』第5年第6巻・

  明33・5)参照。

(21)西欧列強が帝国主義的侵略を盛んに行なってい   たとき,侵略の危機を充分に感じつつ,綿工業を   中心に海外拡張をして自立した資本主義国をめざ   したがった伸展期日本の資本主義が,日清戦争に   より天皇制の下で帝国主義的になっていったこと   をさす。

(22)天皇親率の思想は制定された徴兵令(明6・1)

  によくみられるところだが,「鎮台召集兵検査規貝割   (明7・8)には「朝廷の為め身命を捨て奉仕致し   可申事」とあって,天皇の軍隊であることを強調   している(『日本近代思想体系4』岩波書店・平成   元・4 参照)。

(23) 既出では葵山人の「穣多村」(注㈹)や「穢多の   大望」(注⑳)等があるが,代表的な作品は小栗風   葉の「寝白粉」(『文芸倶楽部』第2巻11編・明29・

  9)で,差別がいかに人間に人生を諦めさせ,内   面を振れさせるかをよく描いている。主人公(兄)

  の,差別認識の甘い妹への嫉妬,同情,憐憫に,

  人生を諦めた自分への自己愛が重なっていく心理   描写がそれだが,被差別の原因を被差別民におし   つけるとき,作者は差別への加担者となる。なお,

  徳田秋声の「藪かうじ」(同前・第2巻9編・明29・

  8)における作者の部落観も差別的で,娘お礼が

  差別で歪み閉じていく内面はよく描けているが,

  本来彼女が悩むべきは結婚ができるできないでは   なく,部落民である自分をどう受けとめ,人間と   してどう生きていくかにあるのではなかろうか。

(24) 「神州」,「万世一系」の観念による逸速い天皇   神格化の動きは「京都府下人民告諭大意」(明2・

  2)にみられる。また改暦の詔書(明5・11)や   これに始まる神武紀元設定の布告(同前),天皇の   肖像写真の複写不許可(明治7・3)等にもその   初期の動きがみてとれる。これは皇帝神種,帝位   神聖の論争(明治14・3,4)へとつながっていく   (『日本近代思想大系2』岩波書店・平成元・5   参照)。

(25)天皇制との対峙には届かぬが,この非人の形象   化と対照的なのが「蛇くひ」(「新著月刊』第2年        おう   第3巻。明31・3)で泉鏡花が描いた,「応」とい   う乞食(金沢でいう非人)の形象化である。彼等   は一時的に集団で被差別の空間を暴力的に越境す

      ざんにん    きっかい   しうがム   くちなは

  るが,男女愛の欠落,「残忍なる乞丐の聚合」,「蛇

   つか       ひきちご      モしタく      ニな

  を掴みて,引断り(中略)咀嚼」する様,「花を

  じうりん       はくちうわうげチう  あく ま

  蹂躙すること」,「白昼横行の悪魔」等の点で対照   的だといえよう。

(26)玉枝に「毛一本でも不足の無い人間に生れて人   間の交際が出来んのぢやから。そんな理窟が天下   にあるものか。今日の四民同等の世の中に」云々   といわせている部分をさす。

(27) 例えば作者は地の文で,「蛇使の子が蛇使になる   のは医者の子が医者になるのと同じことなのであ   る」と述べている。職業選択の自由にまで届かず,

  蛇使の仕事を選ばざるを得ない被差別者のおかれ   た状況がみえていない点でもそういえる。

(28)久保田正文氏は「小説家・正岡子規」(『文学』

  第22巻第4号・岩波書店・昭29・4)で,子規の   部落問題への「関心の動機・由因の直接的・個人   的側面として」「子規の叔父加藤恒忠からの影響」

  をあげている。一般的にはそう考えやすいがどう   であろうか。加藤恒忠(拓川)研究家の島津豊幸   氏の御教示によると,この考えは「推測に過ぎな   いと思います。子規は叔父からそのことを聞くま   でもなく,松山藩では,周知の事実であって,そ   うした人々の存在は子供のころから耳にしていた   はずです」(私信・平成元・6)とあった。感謝し   てここに公開させて頂きます。

(29)工藤英一氏の「部落問題とキリスト教」(『明治   期のキリスト教一日本プロテスタント史話』教文

(10)

  館・昭54・11)参照。

(30) 後に脚本「侠客春雨傘」(「新小説』第2年第5   巻・明30・4)としても出版された(同内容。同   月歌舞伎座での狂言脚本)。

(31)実録物で,早速常盤座で興業(明32・4・9,続編   は同年7・9)された。また大正期には社会講談

  にもなっている。

(32)平民と区別するために民衆の間で使われた差別   的呼称だが,明治五年には村役場の文書にもみら   れた。明一九年頃には新民とかいている村役場も   ある。

An Essay on the novels Conceming with6膨rαh砕

       sαbε孟sμabout the30th year of Meiji.

From the Viewpoint of%sんααπd疏ε

         距肌δSysむε配 π」⑫απεsθ肱εrα卿θ.

ルfαεαんか。 Sαωα

 Buraku people have always been described as Tαsんαin Japanese Modem Litera−

ture.The Teπ几δSlys孟θ肌has been forced them to be Tαsんα,in this sense they are in a directly oposite position as against Tθηπδ.When we read the novels conceming with加rαた混一sαわθ孟sμabout the30th year of Meiji,we can take out the thought or the imagination that are supported love of man and woman,and that try to stand the

Tθπ几δS:ys e舵.

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