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「「わがこと」を語る小説」の研究 : 一九一〇年 前後を中心に

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Academic year: 2022

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「「わがこと」を語る小説」の研究 : 一九一〇年 前後を中心に

著者 山口 直孝

URL http://hdl.handle.net/10236/5645

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− 117 − 論 文 内 容 の 要 旨

 本論文の概要を極めて簡明に述べれば、「私小説」の語が用いられる以前に、文学者が自身を題材にした 小説を書くようになっていた現象に注目し、その経緯および背景を考察したものである。

 日露戦争後、帝国主義の政策の浸透により、日本の内外では地域の序列化が進んでいく。東京で学歴資本 を得た青年たちは、観光地に滞在し、その風景を領土化することでより奥行きのある内面を獲得していく。

それに伴い、作家は自らを描くことを志向するようになる。内面への関心は、世代や立場を超えた汎文壇的 な現象であった。

 しかし、自身を対象化する作業は、容易ではなかった。語る自己と語られる自己との調整に苦心した書き 手は、体験を三人称形式で綴り、その後に一人称形式(=山口氏はこの方法を「「わがこと」を語る小説」

という語を用いている)を試みていくことになる。

 その文学現象の変容を山口氏は論文の序章において、主人公の名前を題名に掲げた夏目漱石の三人称形式 の『三四郎』(1908)、一人称形式の志賀直哉『大津順吉』(1912)に焦点をあて仮説を立てている。

 『三四郎』が「ひとごと」の青春であるならば、『大津順吉』は「わがこと」の青春を描こうとしていると するのである。

 その論証のため本論文では、この「「わがこと」を語る小説」の新しさを論じるために、日露戦争が終結 する1905から1915年までの自身を対象化する作業の苦悶を続けながら作品化した小説を用いて分析を行おう とする。

 それには白樺派を代表する志賀直哉の初期作品を対象とするのが至当な手順であるが、本論文では同時期 に活躍した広義の自然主義に属する作家近松秋江の初期作品と堆肥させることで、その文学現象を明らかに していくという独自な分析方法を用いている。これが本論文の根幹をなす「第二章 近松秋江における「「わ がこと」を語る小説」の展開」と「第三章 志賀直哉における「「わがこと」を語る小説」の展開」である。

 その分析を行うに先立ち、「第一章 「「わがこと」を語る小説」の登場」において「「わがこと」を語る小説」

という概念について分析している。「作家が自分自身を登場人物として造型した小説」を「自己表象テクスト」

と提唱したのは日比嘉高氏であるが、本論文も先の分析方法に「自己表象テクスト」としての概念を用いて いることを標榜している。

 第二章、第三章の作品論を読み進めば、近松秋江と志賀直哉とは、初期作品の題材を、友人や知人から家

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族、さらには自身へと徐々に移し、二人ともに「「わがこと」を語る小説」の実現の困難さを典型的に体現 しているのが看取できる。

 しかしながら、近松秋江は、書簡体形式を用いることで、振幅の多い内面を再現的に提示する達成を見せ た。志賀直哉は、西欧文芸の手法や表現を摂取しながら、主人公が内省的に過去を振り返る作品で心境を示 した。二人の創作は、「「わがこと」を語る小説」の定着にそれぞれ異なる形で貢献している。

 ところが当初相互に評価しあっていた志賀と近松とは、1917年を境に反目するようになる。この経緯を本 論文では「終章 近松秋江と志賀直哉――「「わがこと」を語る小説」をめぐる交錯」で論じている。

 二人が対立するに至る背景には、作家の生活と作品とを連続的にとらえる「人格主義的批評」の台頭があ る。一つの作品が生まれるまでの過程を扱う「自己生成小説」の理想的な担い手として志賀は賞賛され、創 作を第一義に置く態度をとらなかった秋江は、時代の趨勢からは外れることとなったと締めくくっている。

 本論文は日本文学が「私」という語りの形式を獲得していくためには、いかに多様な他言説の枠組みを

(一時的に)借り、構造上の実験等が必要であったかを実証したものだと言える。言い換えるならば、現在 ではなんら違和感なく用いられている一人称の語りの形式が、その萌芽期にあっては、隣接するジャンルの 言説様式の痕跡をとどめているような、異種混交体であったことを論じている。その語りのモードの確立に は、単に形式上、言語上の実験のみならず、作家の伝記的な事実、状況が色濃く反映するがゆえに、テクス トに記された「私」と、作家自身である「私」との距離感の操作に困難が生じ、その技法を我がものとする のに、相当の試行錯誤を必要とした。本論文はその苦悶の状況を一九一〇年前後の作品を中心に考察した日 本文学史研究であるといえる。そして同時に、後に一九一〇年以降隆盛を遂げた白樺派を牽引した志賀直哉 と、一九一〇年代は隆盛を遂げながら自然主義作家から破滅型私小説作家として次第に文壇の地位が後退し ていく近松秋江という二人の異なる軌道をとった近代文学作家について、「「わがこと」を語る小説」を通し て軌を一にした一時期を注視し、分析した論文ともいえるのである。 

論 文 審 査 結 果 の 要 旨

 山口直孝氏の本論文の眼目は「一九一〇年前後を中心に」という副題が提示しているように、日本文学史 における、一九一〇年前後の小説群を分析することによって、志賀直哉と近松秋江の「「わがこと」を語る小説」

の生成過程を解明するところにある。

 日本文学史の展開において、もっとも日本独自の特徴的な小説執筆方法とされる「私小説」は、それはま た我が国を代表する小説概念と言ってよい。これらの作品群は特に大正期後半から頻出、大正以後の純文学 の核心とみなされるようになったが、本論文の「「わがこと」を語る小説」はその前夜の時代に遡っている。

この研究は須く、「私小説」そのものを再検証する橋頭堡となる独自の着眼点が認められる。

 また、本論文の特徴として高く評価できる点として、論文を作成するに至る分析方法における、資料検証 の用意周到な悉皆さがあげられる。それは同時代の小説群を雑誌『太陽』などを中心につぶさに検証した検 証方法をさすが、特に近松秋江の作品群を論ずるために必要な手続きとはいえ、第二章第二節で論じた「近 代書簡体小説の水脈」のために用意された「表Ⅰ 1900年代〜 1910年代の書簡体小説」は117作品の書簡体 小説を綿密に検証し一覧表としたものであり圧巻である。この姿勢は本論文中一貫しており、多大な基礎調 査の上に理論を構築しようという山口氏の研究者としての姿勢が窺い知れる。

 さらに、社会的文化的背景を鮮明にしようとする方法も徹底している。例えば第三章第一節で論じた「周 辺人物への関心」では、志賀直哉の『網走まで』における汽車に同乗する人々の場面を分析するが、そのた めに山口氏は同時代の作家たちの汽車に同乗する人々の描き方に目を通している。単に「汽車」を近代の旅 行の道具として認知するのではなく、当時の社会において、複数の者が同空間を共有して旅行するという、

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− 119 −

その一コマにおけるさまざまな表情の人々に関心を寄せた作家たちの手法を洗い出した上で、志賀直哉の独 自の手法に注目したのである。これだけでも文化的に興味深い論文といえる。山口氏の論文は、このような 当時の文化現象における作品の存在感を随所で浮きだたせている。

 しかし、そのような精査の行き届いた論文の中にも論じ切れていないところもあり、口頭試問では以下の ように指摘された。

 まず、本論文はその序章において、作家と作品との関係について、夏目漱石の『三四郎』と志賀直哉の『大 津順吉』をあげ、それぞれを「ひとごと」の青春と「わがこと」の青春としているが、手続きに甘さを残し ている。それは「わがこと」を「ひとごと」として語る、「ひとごと」を「わがこと」として語る、「わがこ と」を「わがこと」として語る、という単純な枠組みが曖昧にされているという点が要因の一つに指摘でき る。その意味で、本論で「「わがこと」を語る小説」を定義したそのくくり方において、自然主義から白樺 派の作家までとそのスタンスにおいてもう少し厳密さが求められるべきであったとも言える。もっとも、こ れは当時の日本に「自己を語る」という土壌が未成熟であったという自己生成の問題にもつながるし、フラ ンス自然主義文学の受容の問題にもつながるといえる。本論文の枠を超えた大きすぎる今後の課題であろう。

 また、「わがこと」を語る作品群を論ずるために用いた「書簡体小説」についても、「1900年代〜 1910年 代の書簡体小説」では定義されているものの、そもそも、当時における「書簡体小説」とは何を指すのか、

その用途と文学用語としての定義に揺れがある。ゲーテ『若きウェルテルの悩み』やツルゲーネフ『文通』

を知っていたという事実だけではなく、リチャードソン『パミラ』や西鶴『万の文反古』などはどうなる のかという問題である。当時、邦語訳が出ていなくても原書が読めた文人たち、『暗夜行路』で西鶴『本朝 二十不孝』を登場させた志賀直哉をすれば、当時の「書簡体小説」の認知枠をもっと広げるべきではないか という提案に答えるという課題が残った。これには、今しばらくの当時の作家たちの読書レベルの研究が問 われるであろう。

 志賀直哉研究としては、1910年代後半の『城ノ崎にて』(1917)、『和解』(1917)、さらには『小僧の神様』

(1920)までも、その先見性あるいは伏線について言及すべきとの見解もあったが、あくまで「1910年前後」

の文学史にこだわれば、これも次への課題となろう。

 以上、2009年6月30日に実施した口頭試問の結果ならび本論文審査委員会では、本論文の骨子、着目点、

分析方法、研究方法の独自性なること、加えて文章の明晰さ、透明さをも加えて、山口直孝氏が本論文によっ て博士(文学)の学位を受けるに値すると判断し、ここにご報告申し上げます。

参照

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