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遺言書の破棄による遺言の撤回と遺言の変更 : 民 法一〇二四条前段と九六八条二項の関係をめぐる立 法史的考察

著者 上田 誠一郎

雑誌名 同志社法學

巻 68

号 7

ページ 2493‑2524

発行年 2017‑02‑28

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000127

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    同志社法学 六八巻七号三四五二四九三

――民法一〇二四条前段と九六八条二項の関係をめぐる立法史的考察――

       

1  はじめに   民法一〇二四条前段は﹁遺言者が故意に遺言書を破棄したときは、その破棄した部分については、遺言を撤回したものとみなす﹂と規定する。遺言書全体が物理的に消滅させられる場合に﹁破棄﹂に当たることは明らかであるが、文面が二重線で抹消されているが、もともと書かれていた文字が読み取れるような場合に、それが民法一〇二四条前段の意味での﹁破棄﹂に当たるのか、あるいは遺言書中の﹁加除その他の変更﹂に当り、民法九六八条二項が定める方式に従ってなされなければその効力を生じないかについては学説上争いがあった。多数説とされてきた見解は、抹消が一〇二四条前段にいう﹁破棄﹂にあたるためには、それによって元の内容を認識できない程度のものでなければならず、元の

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    同志社法学 六八巻七号三四六二四九四

文字を読み取れる程度の抹消であれば、破棄には当たらず、遺言の変更の方式(九六八条二項)を満たしていない場合は、元の文言がそのまま効力を持つと考えてきた 1

。これに対して、遺言の加除・変更は遺言本体の維持を前提に行われるものであるから、文面が判読できる状態であっても、遺言書全体が斜線などで消された場合は、加除・変更と区別することができ、変更に関する方式に従っていなくても破棄されたものと解すべきであるという見解が有力に主張されている。そしてこの見解は、一〇二四条前段の文言が部分的破棄を予定することから、部分的無効も認める余地があるとする 2

  近時最高裁は、多数説と同様の立場をとる一審・原審の判断を退け、遺言者が故意に遺言書の文面全体に赤色のボールペンで斜線を引いた場合について、遺言書の一部を抹消した後にもなお元の文字が判読できる状態であれば九六八条二項の変更の方式を要求する可能性を留保しつつ、その行為の有する一般的な意味に照らして、その遺言書の全体を不要のものとし、そこに記載された遺言の全ての効力を失わせる意思の表れとみるのが相当であるから、民法一〇二四条前段所定の﹁故意に遺言書を破棄したとき﹂に該当すると判断した 3

  一〇二四条前段(より一般的に言えば遺言の方式によらない遺言の撤回全般)は、遺言の方式主義と遺言者の真意の尊重の要請の間に緊張関係が生ずる多くの場面の一つであるが、立法者はなぜ、文言自体においても互いに抵触するようにも見える九六八条二項と一〇二四条前段という二つの規定を置いたのか、また両者の関係をどのように考えていたのであろうか。

  まず、現行の民法一〇二四条は、明治民法の一一二六条を受け継いだ規定であるが、明治民法一一二六条には﹁遺言者カ故意ニ遺言書ヲ毀滅シタルトキハ其毀滅シタル部分ニ付テハ遺言ヲ取消シタルモノト看做ス遺言者カ故意ニ遺贈ノ目的物ヲ毀滅シタルトキ亦同シ﹂と規定されており、昭和二二年の家族法の大改正においてもそれまでの﹁毀滅﹂とい

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    同志社法学 六八巻七号三四七二四九五 う文言が﹁破棄﹂に変更されたことも含め、実質的に大きな変更は受けなかった。その後、平成一六年の改正において、学説の指摘を受けて、それまでの﹁取消したものとみなす﹂が﹁撤回したものとみなす﹂に改められている。

  しかしながら、明治民法一一二六条の立法過程を見ると、当初法典調査会に提出された原案(民法第一議案(甲七四号議案))においては、﹁第千百三十四条  遺言者カ故意ニ遺言書ヲ毀滅シ又ハ之ニ変更ヲ加ヘタルトキハ其毀滅シ又ハ変更シタル部分ニ付テハ遺言ヲ取消シタルモノト看做ス﹂となっており、遺言書に変更が加えられた場合にも、その部分について遺言が取り消されたものとみなされることが明示されていた。どのような理由で遺言書に変更を加えたときが除かれたのかを知ることは、遺言の加除変更の方式との関係が問われて来た現行規定の意味を知るに当たって意義があるであろう。また遺言の撤回をめぐる規定のうち、遺言の方式による撤回を定める一〇二二条、抵触する遺言その他の法律行為による撤回を定めた一〇二四条、撤回行為が撤回された場合などに関する一〇二五条がいずれも旧民法の規定に起源を持ち、フランス法を母法とするのに対し、一〇二四条に相当する規定がフランス民法にはなく、ドイツ民法などの規定を参考としたものであることから 4

、変更の場合も含めて遺言の撤回があったと扱うドイツ民法の規定をめぐる立法過程における議論を参照することも、一〇二四条の理解にとって有益でありえよう。

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    同志社法学 六八巻七号三四八二四九六

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2  明治民法立法過程から見る民法一〇二四条前段と九六八条二項の関係

⑴   遺 言 の 撤 回

  現行民法一〇二四条前段の前身である明治民法一一二六条をめぐる立法過程における議論を検討する前提として、そこに至るまでに遺言の﹁取消﹂をめぐってどのような議論がなされたのかを、関連すると思われる範囲に限り、簡単に見ておきたい。

  まず起草者が遺言取消のいわば総則ともいうべき規定とする原案一一三二条は﹁遺言者ハ遺言ノ方式ニ従ヒ何時ニテモ其遺言ノ全部又ハ一部ヲ取消スコトヲ得﹂というものであった。これは明治民法一一二四条 5

と語順が異なる他はほぼ同じである。それが昭和二二年の親族編・相続編の全面改正の際にも現代語化された形でほぼそのまま一〇二二条に引き継がれ、取消を撤回と改めるなどして現行民法一〇二二条となっている。ここでは法典調査会での議論のうち、遺言の取消という行為の性格に関する議論および遺言の全部取り消しと一部取消に関する議論を概観する。

  まず起草委員(穂積陳重)は、遺言の取消は﹁独立ノ法律行為デアリマシテ遺言デハナイ﹂とする。それゆえ、遺言の取消が﹁有式行為﹂であるか﹁無式行為﹂であるかをまず定めなければならない。本条の一つの目的は遺言取消の方式は遺言の方式によらなければならないと定めることにある。遺言の方式をとることを要求するのは、効果発生に必要な﹁証明﹂を、その取消にも要求しないの不適当だからで、説明するまでもないことであるとする。本条のもう一つの目的は、遺言者は遺言をいつでも﹁取消﹂すことができることを明示することにある 6

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    同志社法学 六八巻七号三四九二四九七   これに対して、重岡薫五郎委員から、ここで遺言の方式を要求するのは、以下の数条で、遺言者の意思を想像して﹁暗黙の行為﹂により、より容易な方法で取消を認めているのと均衡を失しないかという質問がされた 7

。起草委員(穂積)はこれに対し、少しも均衡を失しないし、実際上も少しも不都合はない。遺言書の破棄については、﹁遺言書ハ遺言ノ方式ヲ載セテ居リマシタモノデアッテ其載セテ居ッタ証拠ノ根本トイウモノヲ﹂﹁取消ノ意思ヲ以テ毀裂 8

致シマシタノデアリマスカラ丁度意思表示ノ場合ニ取消シマスト同ジデアリマス﹂と答えている 9

  起草委員(穂積)は、この点についてさらに、抵触する遺言についての原案一一三三条(現行一〇二三条)の説明の中で、遺言の取消はもとより遺言ではないから、前の遺言に抵触する後の遺言には(遺言の取消と新たな遺言という)二つの性質があると説明している ₁₀

  次に、一部の取消が可能であることを明示したことについては、ローマ法以来、数個の遺言を残して死亡することは出来ないという原則があり、オーストリアなど一部取消を認めず、一部の取消は全部の取消となるとしている立法があるから、明示しておいたほうが間違いがないという説明が起草委員からなされた ₁₁

  これに対して、岸本辰雄委員から、次の条文で、前の遺言と後の遺言が抵触するときは、抵触する部分については後の遺言で前の遺言を取り消したものとみなすと規定するのだから、取消も遺言の一つである以上、ここで﹁全部又ハ一部﹂というのは不要ではないかという質問がされた。これに対して起草委員(穂積)は、本条の取消が遺言であるか否かについては触れることなく、次条の﹁其抵触スル部分ニ付テハ﹂という文言は、本条の﹁全部又ハ一部﹂と同じ趣旨で、相反することを規定した積りはないと答えている ₁₂

  現行一〇二四条(原案第千百三十四条)については、もはやこれに対応する説明はされていないが、起草者は同様の趣旨で﹁毀滅シ又ハ変更シタル部分ニ付テハ﹂と明示したものと考えられよう。

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    同志社法学 六八巻七号三五〇二四九八

⑵   民 法 一 〇 二 四 条 前 段 を め ぐ る 立 法 過 程 に お け る 議 論

  前述のように、法典調査会に提出された原案一一三四条には、明治民法一一二六条、現行民法一〇二四条にはない、遺言者による故意の遺言書の変更が、変更した部分について遺言が取消されたものみなされる原因として挙げられていた。

  原案第千百三十四条を再度引用しておく。   遺言者カ故意ニ遺言書ヲ毀滅シ又ハ之ニ変更ヲ加ヘタルトキハ其毀滅シ又ハ変更シタル部分ニ付テハ遺言ヲ取消シタルモノト看做ス

  起草委員(穂積)は、まず、本条が旧民法には存在しない規定であること、フランス法系の立法においては(スペインがフランス法系だとするとスペインを除き)対応する規定がなく、参照条文として引用した諸国にしか対応する規定がないことから説明を始める ₁₃

  参照条文として掲げられたのはオーストリア、ヴォー、スペイン、ドイツ、プロイセン、ザクセン、ニューヨーク、カリフォルニア、インドであり、ドイツ法圏の立法が中心である。このうち﹁変更﹂を撤回原因として挙げるのはドイツ民法およびその草案のみである。また遺言者の故意などの主観的要件を明文で要求するのも、ドイツ民法のほかはニューヨーク、カリフォルニアのみである。起草者は明言しないが、規定のスタイルなども考え合わせると、原案はドイツ民法の規定に大きく依拠するものであったと評価することができよう ₁₄

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    同志社法学 六八巻七号三五一二四九九   なぜこの規定を置くべきかについて、起草委員(穂積)は以下のように説明する。

。﹂デ多頃近、ラカスマリ合ノ都不ダ甚上際実。スマクア国ニデマヘ考トノモタツナスウ更之ヲ殊ハニ加ヘルヤ リフ云ト拠証ノ本根スマ言頼ニ合場ノノ遺デ丸、ハニモキハ遺ナテ来出ガノモフ云ト言来ク書言遺チ即、テツナナ 併シタ、タシ乍ラ取消変更滅ヲ之、タシ毀ガ分自、テシマモスノ場ノ滅毀モクナ少、ト合デナニトコフ云トイナリ 当一番相遺ノコトデアノガトスマシ做看タシ消取ヲ言ラトウ本思シ反ニ意趣タ設ヲ条ケ、若ヒテス。マシ之ニ反シ 云、或ハ自ラ変更スルトスフヤウナ場合ハ、即チ前ノル滅ヘモ毀バ其権利自身アルトデ言ヲラフ自、ノモノ所キベ ナナモノニノツテ居ルフ位マ云ト書言遺バヘ言ト言遺アデ後リル言ニ際実、ノモノキベ所頼故ストソレ。ニニ唯一 、トヌラ居ハ者フ云ト本人ハキトスマキ働、キトルデキハア特リ。置ヲキ重ニ拠証其ニクマ、言カラスソレ故ニ遺 行遺式方ハノフ云ト言、キ元。タシマ置ニ此ヲ之デ為。ア拠シズ生ヲ効ハノフ云ト証ツ其ルス要ヲ拠証ノ別特テテ   ﹁マノ是、ハテシマキ付ニモ必フ云ト消取ノ示黙ノ言ハズヘコ考トルアデ要必ガトル一ゲ掲テシ致ト因原ノツ遺   すなわち、遺言者自身が、遺言を毀滅あるいは変更した場合には、遺言における遺言書の重要性から考えて、遺言者は遺言を取り消したとみなすのが相当である。もしこの規定がないと遺言書なき遺言というものが出てきて非常に不都合であるからというのが、本条前段の理由とされた ₁₅

  この説明を受けての議論において、前段についてはおおよそ三つの議論が平行して進行した。すなわち、本条を置く必要があるか、﹁変更﹂の位置付け、一部の取消の理解である。以下それぞれに分けて議論を追うことにしたい。

① 本 条 を 置 く 必 要 が あ る か

  まず井上正一委員から次のような質問が出された ₁₆

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    同志社法学 六八巻七号三五二二五〇〇

  遺言書は、原案一〇六四条で要式行為であるとされている。そこで遺言者が故意に遺言を毀滅してしまった、すなわち遺言というものがなくなったときは、遺言を取消すということになるのは当然のことである。遺言に要求される証書を破ってしまったら、何もない。明文があっても悪いとは思わないが、必要なものだろうか。

  これに対して起草委員(穂積)は、次のように答える ₁₇

  井上委員の遺言書がなくなったら遺言という行為それ自体もなくなりはしないかという意見であるが、私もそれを疑っているわけではない。遺言の成立がいつかといえば、成立の時期はもとより遺言を完了したときである。遺言が完全に成立している以上は、それがなくなるには法律の明文がなければならない。明文がないとすでに完全に成立した行為がひとりでに消えるということはないのは、単に理論上のみならず参照条文として引用したオーストリア一般民法典七二一条から七二三条の三か条では、紛失その他故意によらない毀損の場合は、その意思の証明を許すと規定されている位である。本案でも故意の場合には取消しになる。故意でない場合はどうなるかというと遺言書がなければ遺言は効力を生じないということが書かれていないので、きちんとした証明があればよいと思う。その証明がむつかしい。公正証書か何かであれば証明ができるが。

  遺言書というものは遺言自体と同様に大切なものであるが、失効と取消を分けて規定する以上、目的物がなくなった場合のように失効として規定するのは理論上穏やかではない。故意に遺言書を毀滅する場合、意思によるのだから取消の方に規定した。

  その後、横田回臣委員から次のような意見が述べられた ₁₈

  井上委員とは趣意は違うが、削除に同感である。これは裁判上の証拠の開係に任かせておいた方がよくはないかと思う。毀滅のしかたが、半分は反古にして半分は遺言の中に残っている場合、事情はさまざまである。毀滅した

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    同志社法学 六八巻七号三五三二五〇一 部分に限定するのはよくないであろう。このような場合、はたして遺言全部を取り消すつもりであったかということは、﹁証拠上の鑑定﹂に任せた方がよいと思う。

  これに対して起草委員(梅)は、次のように反対する ₁₉

  本条を削除すると、一旦成立した遺言は、要部を毀滅した場合も含め ₂₀

、それを作ったという証明ができる以上は、成立したことになる。それではいけないので、明文をおく必要がある。毀滅したものを一部の毀減とみるか全部毀滅とみるかは事実問題である。たとえ本条がこの通り確定したとしても、そのことは変わらない。なにかうまく書くことができれば次回までに考えておくが ₂₁

、削除は出来ないと思う。

② 「 変 更 」 の 位 置 付 け

  起草委員の趣旨説明に対して、早速、岡野敬次郎委員から、本条の変更は、自筆証書遺言についての一〇六九条(現行民法九六八条)にいう変更と同じものか、違うものか、という質問が出た ₂₂

  これに対して起草委員(穂積)は、それは両方とも含む積りである。一〇六九条は、最初に自筆証書で遺言をするときに変更する場合を主として考えている。出来上がった遺言書を変更する際は、遺言の方式によって変更しても、方式によらずに変更しても有効である。遺言の方式によれば前の条にあてはまる。そうすると本条の変更は、遺言の方式によらずに、すでに成立している遺言書を変更した場合に適用があるものと考えている、と答えた ₂₃

  それに対して岡野委員からさらに、遺言書が一旦成立すると、これを変更するには何の方式もいらないが、作成時に変更するときは方式をふまなければ変更の効力が生じないという、両条の区別の理由はどこにあるのかという質問が出たのに対して ₂₄

、今度は梅謙次郎起草委員から、一〇六九条第二項の手続をふまなければ変更が無効になるのであって、

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    同志社法学 六八巻七号三五四二五〇二

遺言が無効になるのではない。変更それ自体が無効であるから、したがって一一三四条の適用を受けないというつもりである、という回答がなされる ₂₅

  すなわち起草委員の間で理解の相違が生じたわけであるが、穂積委員がすぐに、変更については梅委員の説明のほうがよいと思うから、自分の前の説明は全面的に取り消すと述べたことで、統一が図られた ₂₆

  それに対して岡野委員から次のような意見が出された。すなわち、両起草委員の説明によると、一〇六四条(一〇六九条の誤りか?)の規定によって、その変更に変更として効力があるかないかが決まる。方式にしたがった変更の結果(変更前の)遺言が効力を失うことは自然な結果で、本条にそれを規定したからといって害はないが、故意については理論上問題が残る。方式で変更としての効力があるかないか定めるのが穏当で、故意か故意でないかを問うのは穏当ではない ₂₇

  長谷川喬委員からは、私も解釈上梅委員の意見のようにはならないと思うが、もし梅委員の言うとおりだとすれば、﹁変更﹂という文言は重複になるし、これを残しておくと一〇六九条第二項の規定に反した変更を有効と認める疑いがあるから削除すべきであるという意見が出された ₂₈

  長谷川委員の意見には、重岡委員の賛成があり、修正案として成立したが、起草委員(穂積)から、長谷川委員の議論を考えると﹁変更﹂という文言を置くと害になるから、原案を変更して﹁遺言書ヲ毀滅シタルトキハ其毀滅シタル部分ニ付テハ﹂と改めてほしいという申し出がなされた ₂₉

  このような経緯で本条から﹁変更﹂という文言が消えたのである。

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    同志社法学 六八巻七号三五五二五〇三

③ 一 部 の 取 消 の 理 解

  本条の審議で、遺言の一部﹁取消﹂が問題になったのは、遺言書の一部が毀滅されたとき、それが方式要件にかかわる部分であっても、他の部分の場合と同じ扱いがされるかであった。議論の流れは次のようなものであった。

  岡野委員から、一部の毀滅について、次のような質問がなされた ₃₀

。本条の規定から見ると一部の毀滅を認めているようであるが、遺言書が法定の方式を備えていなければならないことを強調すると、成立に必要な部分を毀滅したときはその遺言書は無効となるのか。本条のように広く書いておくと、結局同じ解釈になるかもしれないが、姓名を削ると姓名だけが無効になることになり、回りくどくはないか。

  これに対して起草委員(穂積)は、次のように答える ₃₁

。この質問は、イギリス法では問題になっており、他の国でもこの箇条があるところではどこでも問題になるだろう。イギリスでは、名を削ると、そのために遺言書全体が方式の要件を備えないものになる。毀滅は事実問題で必ず全部の毀滅とは限らない。

  さらに長谷川委員から、方式(﹁要件﹂)に関係することを毀滅したときはこの限りにあらず、とするなど何か考えた方がよいという意見が出た ₃₂

。それを受けて起草委員(穂積)は、次のように議論を締めくくる。すなわち、﹁要部毀滅﹂と一部毀滅については、実際間違いが生じることはないと思う。ただ考えてみる時間がないので、後に起草委員三人で検討し、原案でよいということになったら、何も提出しないから、長谷川委員から(修正案を)出してほしい。

  その後、第二〇二回までの法典調査会に、起草委員あるいは長谷川委員から修正案が出されることはなく、民法整理会でも同様であったようである。

  帝国議会に提出された民法修正案においては、上述の原案への変更が反映された一一二六条が置かれ、変更を受けることなく成立した ₃₃

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    同志社法学 六八巻七号三五六二五〇四

第千百二十六条  遺言者カ故意ニ遺言書ヲ毀滅シタルトキハ其毀滅シタル部分ニ付テハ遺言ヲ取消シタルモノト看做ス遺言者カ故意ニ遺贈ノ目的物ヲ毀滅シタルトキ亦同シ

⑶   民 法 九 六 八 条 二 項 を め ぐ る 立 法 過 程 に お け る 議 論

  民法一〇二四条前段をめぐる立法過程における議論では、以上で見たように、変更の方式を備えない実質的な遺言の変更を、遺言の破棄による撤回の枠組においても認めないということに議論が落着した。それでは現行民法九六八条二項の遺言の変更の方式は、どのような趣旨で設けられたのであろうか。立法過程における議論を跡付けてみよう。

  法典調査会に提出された原案で現行民法九六八条に対応するのは一〇六九条であった。第千六十九條  自筆証書ニ依リテ遺言ヲ為スニハ遺言者其全文、日附及ヒ氏名ヲ自書シ之ニ捺印スルコトフ要ス自筆証書中ノ塗抹、書入其他ノ変更ハ遺言者其場所ヲ指示シ之ヲ変更シタル旨ヲ附記シテ特ニ之ニ署名シ且其変更ノ場所ニ捺印スルコトフ要ス ₃₄

  本条についての起草委員(穂積)の説明は以下の通りであった。   まず第一項は旧民法財産取得編第三百六十九條とその主義は少しも変わっていない。自筆証書遺言に一定数の証人を要求する立法もあるが、全文が自筆であれば、証人を有効要件とする必要はないと考えて、旧民法と同様、要求しなかった。

  第二項は、旧民法には存在しない。書入れなどは筆跡でわかるかもしれないが、塗抹などについては、誰が塗ったのかわからない。自筆証書でも、国によっては公証人に託すとか裁判所に預けるとか確認の方法がある。しかし、それら

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    同志社法学 六八巻七号三五七二五〇五 を採用しない以上、書入れ、塗抹などについて最も多く問題が生じる。そのため他の重要な書類について規定があるように、ここでも加える必要があると考えて二項を置いた ₃₅

  この説明を受けての議論は、第二項に集中し、とりわけ変更についての方式の要求が、通常行われている慣行に比べて厳しすぎるのではないかという点が議論された。問題とされたのは、変更したことを付記した上で、そこに署名をすることが要求されている点で、変更の付記が自筆であれば十分ではないか、あるいは変更を自筆で付記した所に捺印をすれば十分である。これまでの慣行と異なる形で方式を厳しくし過ぎると、十分念を入れたつもりが後になって方式違反で無効であるということがわかるのは危険であるという意見が出された ₃₆

  これに対して起草委員(穂積)は、捺印は誰にでもできるので署名は重要である。また変更の付記が自筆なのでそこから誰が書いたのかを知ることができるのはその通りだが、﹁二、三字並ノ人ノ書キ馴レヌ字カ何カヲちょこちょこト真似ルコトハ出来マスガ﹂、経験上署名が一番まねにくく、真偽がわかりやすい。それゆえ署名を要求したと説明する ₃₇

。また梅起草委員も、普通の人は、塗抹とか書入れ、変更をしたときには、何字書入をしたとか塗抹したとか書いて印を捺すということは知らない。法律を知らない者が無効のものを作ることを恐れるということならば、第二項をやめるしかないと思う。一〇六九条によって自筆証書を作るほどの者ならばこの箇条を知っていなければならない。穂積委員も言うように署名は非常に大事である、と署名を要求することを擁護した ₃₈

  結局、尾崎三良委員から出された、第二項の﹁署名﹂を﹁捺印﹂に変える修正案は、賛成少数で否決された ₃₉

  なお、訂正箇所に捺印して署名の所には捺印がいらないのはおかしいから、日本の慣習に従ってそこにも捺印を要求してはどうかという意見

)₄₀ (、長期にわたり繰り返し変更がされる可能性があるから、変更の場所だけでなく日付も書いたほうがよいのではないかという意見 ₄₁

もあったが、起草委員から、前者については、ちょっと押すだけのことだから別に

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    同志社法学 六八巻七号三五八二五〇六

異論はない ₄₂

、署名は非常に大切だが、起草委員の間では捺印は無駄だという意見である。どうせ三文判だから、ほかに捺したのなら、ここにも捺してもよい ₄₃

、後者については、念は入っているが必要はない。細かな手続きのことなのでどうなってもよいが、署名だけは残したい ₄₄

という反応があっただけで、それ以上議論は深まらなかった。

  次に、方式に反した変更があった場合の効果について議論があった。﹁スルコトヲ要ス﹂とあるが、しないと無効になるのか、その場合、塗抹した部分だけが無効になるのか、全部無効になるのかという質問に対し ₄₅

、起草委員(穂積)が全部無効になると答えたため ₄₆

、それはひどいのではないかという意見、ちょっと書き入れるなどして他人がいつでも遺言を無効にできることになるという意見が出て ₄₇

、梅起草委員が、﹁変更ハ何々ヲスルコトヲ要ス﹂とあるから、遺言の本体が無効になるとは読めない、と引き取った ₄₈

  それを受けて、全部無効にはならないという考えに賛成であるが、その部分だけが無効であるとしても、形式的に適用するとかえって意思に反する場合が出てくるから、必ず無効になるなどと定めず、解釈に任せておいたほうがよいという意見や ₄₉

、今議論になったように、全部無効という解釈も可能で、解釈が分かれることになるだろうから二項は削除した方がよい。その結果として、本人が変更したかどうかは事実問題として裁判官の心証に委ねることになるが、差し支えない。その方が、わずかな方式違反のために無効になる心配がなく安心である ₅₀

、という意見が出された。

  これに対し、起草委員(穂積)は、次のように原案を擁護した。   第二項はよほど窮屈になることを覚悟して入れた。原案は、旧民法と同じく、自筆証書の保管所の定めを持たない。その制度を持つ国では、塗抹や変更に関する問題は極めて少ないだろうと思うが、自筆証書を自ら保管できる国においては、多くの詐欺や難しい問題が生じるであろう。後から塗抹することは非常に簡単であるし、書き入れもそう難しいことではない。塗抹、書入れをまったく許さないのも困るからそれは許すが、詐欺が行われないよう予防をすることが、

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    同志社法学 六八巻七号三五九二五〇七 保管所のない自筆証書については非常に必要である。窮屈になるが、そうでなければ遺言による死後処分などを法律が保護することは出来ない ₅₁

  また梅起草委員も、塗抹が自筆かどうかはわからないから、反対の証拠が出るまでは有効と見なければならない。そうすると死んだ後でも前でも利害関係人が勝手次第に変えることができる。第二項削除説が通るなら、塗抹だけは無効とでもしておかないと大変なことになる。それも認められないのなら、自筆証書遺言は裁判所に預けるか公証人に預けるかしなければ効力がないとでもしないと詐欺の弊害が大変大きくなる。要式行為とすると素人は多くは無効のことをする。それで大抵は要式にしないが、遺言は弊害が多いので、むしろ弊害を避けるために要式行為になっている。それによって無効証書ができることは覚悟しなければならない、と論じている ₅₂

  なお塗抹については、元々何が書かれていたかわからないので、これまで訴訟状などでは塗抹を許さず、まっすぐ線を引いて消し、後から読めるようにするのが方式である。本条でわざわざ塗抹と規定するのはよくないのではないかという指摘がされた ₅₃

。それに対して梅起草委員が、それはよくない。﹁抹消﹂でもよいかもしれないと答えたのに対し、穂積起草委員は、やはり同じことだと答えている ₅₄

  第二項削除案は採決の結果、否決された ₅₅

。第二項の効果について、全部無効にみえるので、そうではないことをより明確にしてほしいという意見があり、起草委員が文言の修正を約束して審議を終えた ₅₆

  結局、帝国議会に提出された民法修正案においては、﹁塗抹、書入﹂が﹁挿入、削除﹂に、﹁スルコトフ要ス﹂が﹁スルニ非サレハ其効ナシ﹂に改められ、次のような文言となっていた。第千六十八条  自筆証書ニ依リテ遺言ヲ為スニハ遺言者其全文、日附及ヒ氏名ヲ自書シ之ニ捺印スルコトヲ要ス   自筆証書中ノ挿入、削除其他ノ変更ハ遺言者其場所ヲ指示シ之ヲ変更シタル旨ヲ附記シテ特ニ之ニ署名シ且其変更ノ

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    同志社法学 六八巻七号三六〇二五〇八

場所ニ捺印スルニ非サレハ其効ナシ

⑷   小 括

  遺言の撤回について、起草者は遺言とは異なる独立の法律行為であり、そのことは遺言の方式によって明示的に撤回される場合であっても、後に抵触する遺言がされることにより、黙示的に撤回される場合も、同様であると考えていた。それ自体は遺言ではないと考えられていたにもかかわらず、明示的な撤回に遺言の方式が要求されたのは、遺言が効果を生じるために方式を要求する以上、それを失わせる行為にも同様の方式を要求しないのは不適当とされたからである。

  遺言書の変更についての議論を見ると、とりわけ抹消(﹁塗抹﹂)の場合について、利害関係者の﹁詐欺﹂的介入によって、遺言者の意思がゆがめられることを恐れていたことがわかる。この危険は、遺言の公的な保管の制度を設けることが予定されていない状況の下では、とりわけ深刻で、変更内容の付記に署名を要求した起草者が、日本の文書慣行からは捺印が通常であり、捺印で足りるとすべきだという意見に対し、とりわけ強く抵抗する理由となった。

  それにもかかわらず、原案一一三四条には、遺言者による故意の遺言書の変更が、変更した部分について遺言が取消されたものみなされる原因として挙げられており、それについて特に方式は要求されていなかった。これについて変更の方式との関係をただされた起草者(穂積)は、当初、自筆証書遺言をする過程で変更する場合は変更の方式によるが、出来上がった遺言書を後から変更する際は、遺言の方式によって変更しても、方式によらずに変更しても有効であると説明したが、梅起草委員による、変更の方式を満たす変更のみが、ここでの変更に当たるのだというやや無理のある(本条の趣旨は破棄などがされても明文がなければ一旦有効に成立した遺言の効力が残ってしまうことに求められていたが、岡野委員が指摘するように、適式の変更があれば当然その内容で効力を持つはずである)説明をうけて、そちらに

(18)

    同志社法学 六八巻七号三六一二五〇九 見解を統一することで収拾が図られた。結局、方式規定に反した変更を有効と認める疑いがあるという理由で﹁変更﹂という文言を削除する説が出され、条文からは変更が消えることになった。

  自筆証書遺言の変更の方式については、利害関係者による変造などを恐れて、あれほど慎重な立場を取っていた起草者が、しかも遺言の撤回の場面でどのような要件を課すかが遺言の方式主義の実効性に大きな影響を与えることを十分意識しながら、遺言の撤回の場面では不用意とも思えるほど簡単に変更による一部﹁取消﹂を認めようとしたのはなぜか。これは起草者が参照したドイツ民法二五五五条が、変更を撤回の原因としてあげていたことによるところが大きいであろう。そこで次に、起草者も参照していたドイツ民法第一草案、第二草案をめぐる議論を中心に、この規定の沿革をたどり、二二五五条がどのような趣旨で変更という文言を含むようになったのか検討したい。

5)                        

   

  (      

6、(調) 

7、(調) 

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参照

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