昭 和
62
年
3
月
第
4
号
布教研究所報
昭 和
62
年
3
月
第
4号
目
次
集中研究会指導講義 上 人 の み 教 え 戸 研究所員研究成果報告 上 人 大 遠 忌 を 迎 え て 片 金 光 上 人 阿 家 庭 に お け る 宗 教 教 育 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 稲 和 歌 か ら の 布 教 宮 地 獄 の 白 蓮 華 極 楽 の 白 蓮 華 浅 一念するために││くりかえしの効用││・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 山 浄土宗における因果の問題 │ │ 布教の立場から l i -: : : : : : : : ・ : : j i -j i -j i -・ : : 有 現 代 布 教 上 の 課 題 羽 布 教 の 原 理 山 時 機 相 応 の 念 仏 金 松 山 部 村 崎 野 本 本 回 上 子 啓 真 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 浄 教 : : : お 定 孝 ・ ・ ・ ・ ・ ・4
博 道 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 必 浅 良 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 臼 義 光 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 日 雄 毅-m
亮 啓 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 印 恵 72 光 俊 : : : 祁 貫 司-m
布 教 の 実 践 と 地 域 史 村 布 教 と 視 線 大 寺 院 と コ ン ビ タ 市 脳死 ・ 臓器移植と生命選択の時代・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 佐 教学布教大会意見発表 島 室 )11 藤 邦 俊 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 回 昭 道 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 回 隆 土 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 拘 雅 彦 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 則 三上人のご事蹟をあおいで │ │ 布教師はこれでいいのか│ │ 輪読会報告 口 三五 訳 白司 末 代 念 イ ム 授 手 印 色 = 143 特別寄稿 開 祖 向 上 人 を 仰 く 。 大 橋 俊 雄 169 金 報 178 編 集 後 記 181
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.
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‘人
の
み
教
え
大正大学教授戸
松
真
声た ト4法然上人と三上人のみ教え
﹁三上人の教え﹂という題で集中研究会がございますので
、何
か提言と申しますか
、
手がかりにな
るお話をということでございました。これは考えるとなかなか難しい問題で
、
さらっと受けますと
、
法然上人の﹃選択本願念仏﹄をそれぞれ伝承されていかれた方と言えばそれで話はすむわけでござい
ます。結局浄土宗の三上人というのは、この場合には法然上人は入っておりませんけれども、二祖、
三祖には当然法然上人の教えが伝承されておりますから、
だいたいこの筋道というのは
、
一
つ
の
太
い
線があるわけで、それが法然上人の教えであります。即ち
、
浄土宗の二代目と三代田の面授のお弟子
、
4-それに宗祖法然上人の教えを直接間接に布告伝承している三人であります。これは詳しく述べていく
と伝法のお話になるんですが、それでは三上人の教えということにはそぐわないので、それぞれ同じ
お念仏の教えでございますけれども、場所により、人により、時代により、少しずつ違う点があると
思います。その点を、述べられるかどうか分かりませんけれども、
お話し申し上げるわけでございま
す 。
いま申しましたように、この三上人の教えは、浄土宗として共通のものであるべきことは当然であ
ります。即ち、三上人の教えは本来一つに重なるべきものであるということが言えると思うのでござ
り、その点において重なるということ。総依法然と言うことが出来るとすれば、
それは、所伝で言い
います。そこで、
まず重なるとすれば、宗祖法然上人の教えの中で一貫して相伝されているものがあ
ますと、﹃選択集﹄でありますし、それを短くしたのが﹃一枚起請文﹄でありまずから、﹃選択集﹄と
﹃一枚起請文﹄が所伝では法然上人の教えの中で相伝されていく一貫したところのものであります。
﹃
選
択
集
﹄
は
、
一言で何であるかというと、題号の二十一宇にございますように、六字の名号。﹁選
択
本
願
念
仏
集
﹂
、
その次の行に﹁南無阿弥陀仏﹂、その下に﹁往生之業念仏為先﹂とあります。
であり
ますから、所伝で一貫した、﹃選択集﹄で説かれているものを縮めて言うと﹁南無阿弥陀仏﹂である。
さらに﹃一枚起請文﹄は、同じことでありますが、言葉で言うと﹁一向専修﹂ということ。この二つ
が法然上人の教えの中で一貫して相伝されていなければ、相伝とは言えません。
そして
、
この所伝の教えを受け継いだのが﹁三上人の教え﹂と言ってしまえば
、
それで終りになる
わけです。要するに﹁南無阿弥陀仏﹂六字の名号が法然上人の教えの中で一番の根本であり相伝され
なければならないものである。こういうことを言ってしまうと
、
それで総てである。
つ
ま
り
ご
向
専
修念仏﹂が伝えられていかれなければならないものである。
し
か
し 、
考えてみますと、
お釈迦様の教えも
、
あるいは法然上人の教えも、この教えの説き方の特
色というのは
、
機に応じて教えを説く
、即
ち対機説法
、
あるいは随機説法というものがその特色にな
る思うのでございます。したがって同じ﹁一向専修念仏﹂が説かれましでも
、
その時代の社会の状況
、
人々の求めているものが違えば
、
それに対
し
て説く説き方もまた違ってくるようになるものでありま
し
よ
う
。
先ほど申しました、法然上人の一貫した教えである﹁南無阿弥陀仏﹂でありますけれども
、
その特
色とするところは何であるかということを
、
もうちょっと分解いたしまして申し上げてみます。それ
は法然上人の﹃選択本願念仏集﹄でございますけれども
、
その特色とするところは
、
﹁
選
択
本
願
念
仏
﹂
がその特色である。それはどういうことになるかというと
、
﹁選択本願﹂の念仏は
、
称名によって
、
菩薩も凡夫も、出家も在家も
、
総ての者が区別なく平等に往生出来るというところが﹁選択本願念
仏﹂の特色である。
平等往生
、
即ち凡夫が往生するということが﹁選択本願念仏﹂の目的とするところになるわけでご
ざいまして、それが﹃選択集﹄に述べてあります平等往生。なぜこのお念仏を説くかということが出
ております
。
その第一章は、聖道門を捨てて浄土門を取る。第二章は、正行を取って雑行を捨てる。
その中に平等往生ということが出てくる。これは﹁選択﹂の義を説明するところに出てくるわけでご
ざいます。これは第三章の﹁念仏往生本願篇
﹂
に
、その念仏をどうして取るか
。
これはいかなる人間
も、あるいはまたいかなる時でも、時処諸縁を論ぜず、
﹂れを修するに便宜を得ること念仏に如ず。
ほかの種々の行でも、往生することは出来ますけれども、
しかしこの念仏というも
の
は
、
いかなる貴
賎があっても、あるいは男女の別があっても、あるいは老若の区別があっても、
そのうちのいかなる
と
で
あ
っ
て
、
一切の衆生をして平等に往生せしめるところのものであるということですね。
者にも共通して往生出来るのはこの念仏に如くものはない。これは易しいから一切に通.するというこ
これが
﹁ 選
択
﹂
という言葉の中に入っているわけで、この﹁選択﹂というのは唐土の人師、諸流の
義の中にもこの﹁選択﹂の義は全くない。これは
日本で初
めて﹁選択﹂の二字を
│
│
﹁本願念仏﹂は
善導大師の唐土の念仏でありますけれども、
この﹁選択﹂の義は中国になく、法然上人のお立てにな
った﹃選択集﹄
の中にだけこれがある。
﹁
選択﹂という言葉が法然上人の特色でありますけれども、
この﹁選択
﹂
と
いう言葉は法然上人がどこからこれをお持ちになったかというと、
﹁
浄土三部経
﹂
の
諸本、﹃無量寿経﹄
の諸本、﹃観経﹄の諸本、﹃阿弥陀経﹄の諸本、
こういうものを調べてごらんにな
って、岡本異訳の諸文を較べてみた
。
ということによって、
﹁
選択
﹂
ということは、
﹁ 選
択本願念仏
﹂
でありますけれども
、
﹁
本願の念仏
﹂
は善導大師もお述べになっていますから
、
法然上人の特色とい
うのは
﹁
選択
﹂
と
い
う
ところにその義があるわけでございます
。
聖
光上人のみ教え
それが二祖
、
三祖と受け継がれていくわけで
、
﹁
選択﹂ということは
、
聖光上人の教えでそれはど
こにどういう具合に受け継がれているかというと
、
それは言うまでもなく
﹃
末代念仏授手
印
﹄の中に
その教えは継がれている
。
特に﹃授手印﹄の奥図と申しますか
、
六
十
七歳の時にお作りにな
っ
て聖光
- 8上人が三祖に伝えたところの﹃末
代
念仏授手印
﹄
の中に
、
聖光上人の教えがある
。
それは﹃授手印
﹄
の最後のところに
、
﹁
釈
し
て日く
、
我法然上人の言く
、
善導の御釈を拝見するに
、
源空が目には三
心
も五念も四修も皆倶に南無阿弥陀仏と見ゆる也﹂
、
こう出ておるわけでございます
。
こ
れ
を
一
口
で言うと
、
ご存じのように﹁結帰一行三味
﹂
で
あ
り
ま
す
。
﹃
授
手
印
﹄
を纏めて言うと
、
最後は
﹁
結帰一行三味
﹂
、
即ち
﹁
南無阿弥陀仏
﹂
に帰する
。
ここは伝法で言うところでございます
。
したがって聖光上人の教えも
、
法然上人の教え││先ほど申しましたように﹁選択
﹂
というところに
ある
。
聖光上人はそれをお受けになって
、
そして﹃授手印﹄の奥図でそのことを言葉で示された。そ
してそれは
﹁
結帰一行三味﹂即ち﹁南無阿弥陀仏﹂に帰するということ
。
これは聖光上人の教えであ
るだけでなく
、
浄土宗のお念仏の教えにもなるわけです。
しかし二祖聖光上人の教えの特色は
、
そのほかにもまだあります
。
それを調べてみますと
、
いま申
しました﹃授手印﹄の中の奥図
﹁
結帰一行三味
﹂
が聖光上人の教えの第一だとすると
、
第二は
﹁
念死
念仏﹂というのが聖光上人の教えの特色であります
。
それはどこに述られておるかと申しますと
、
﹃一言芳談﹄という
、
鎮西上人がお
書
きになったもの
であろうかという説もありますし
、
いずれにしても法然上人のお弟子の念仏門の関係の方が製作され
たもので
、
国文学のほうでも
、
この時代の思想を知る上に
、
あるいはまた念仏の教えが一般の人々の
す
。
その下巻の中に
、
﹁聖光上人云
、
八万の法門は死の二子を説く。然れば則ち、死を忘れざれば
、
聞にどのようにして受け入れられていたかということを知るには
、
非常に
参
考になるものでございま
八万の法門を自然に心得たるものにであるなり
﹂
これが﹃一言芳談﹄の下巻に出ております
。
それから言われるのが念死念仏
。
死を念じ、仏を念ずる
。
結局
、
お念仏を申すということは
、
や はり死を念ずるということで
、
二祖上人が言われたのはこの﹁念死念仏﹂の二念にあり
。
こういうこと
を三祖良忠上人がお聞きになって
、
﹃決疑紗﹄の第三巻にこれをお書きになっている
。
それを読みま
すと
、
﹁先師教えて日く││先師とは二祖上人のこと││予が所存の如き
は
ただ念死念仏の二念にあ
り
、
これによって厭欣心を倶せんと欲せん者は常にまさにこの二念において心をかけて忘れざるベし
。
漸々に薫習せば
、
厭欣いずくんぞ起こらざらん
。
まさに知るべし
。
一切のことはみな免るべく死の
字は逃がるべからず││一切のことはみな、どういうことであっても、方法を用いれば免れることが
出来るけれども、免れることの出来ないのは死の一字、これは逃がれられないものである
1 1もし常
に必死の終りを念ぜば、
いずくんぞ厭怖の心を起こさざらんや
﹂
必ず死ぬという死の終り、生の終り
と言いますか、死をもって終る
。
死の終りを念ぜば、どうして厭い怖れの心が起きないことがあろう
か
。
必ず死を怖れるものである
。
死を怖れることがあれば、必ず仏にお願いをする、仏を頼む、そう
いう心が出てくる
。
即ち私の考えるところは念死念仏であるということを、聖光上人はおっしゃって
いたということを、
それをお聞きになった三祖上人が﹃決疑紗﹄の中でその教えを書いている
。
と、死の一事、死に対する覚悟ということを説いたものが仏の教え、
八万の法門であって、
それを自
いま述べましたことは、大乗、小乗ありますけれども、結局仏教の仏の教えというのは何かと言う
然に心得た者は、
死を忘れなければ自然に八万の法門をやがて理解し、分かってくるものである
。
総
ての仏教者の根本には、
やはり死というものが常にある
。
往生浄土教、仏教そのもの全体が結局語る
ということ、往生するということは、総てその死をいかに受け止めるか、死に対していかに覚悟する
かということの教えであって、
それがいろいろな小乗、大乗によって形が違いますし、浄土門と聖道
門によってまた形が違いますけれども、
これは総て死の問題
。
死を説いたこと、
それが結局元である
という考えを、聖光上人は根本にお持ちになっている
。
それが聖光上人の教えのお念仏の特色││念
死念仏によるということが、
二番目の聖光上人の教えの特色である
。
それからもう一つの聖光上人の教えの特色は、聖浄兼学の人が最も本願念仏の義を開顕することが
出来る。聖道門は法然上人がお捨てになった
。
しばらく聖道を聞きてという言葉がございますけれど
も、聖道門は捨てるほうでございます。即ち聖道門を捨てて浄土門を取るわけでございますけれども、
聖光上人の教えの中には
、
聖浄兼学の人が最もよく本願念仏を開顕することが出来るということが
﹃徹選択集﹄に述べられている
。
これは二祖が七十六歳の時にお書きになった﹃選択集﹄の注釈書で
あ
り
ま
す
。
これは聖浄兼学の人が﹃徹選択集﹄から出てくるわけで、念仏ということと大乗仏教の浄仏国土成
それから念仏を称えて極楽に往生するということとは
、
結局徹通しているところのものである。即ち
就衆生ということは結局は徹通しているものである。大乗仏教の浄仏国土成就衆生、即ち自利利他と
、
そのことは
、
聖道門をも理解し、浄土門だけではなくて聖道門も理解する人が最もよく本願念仏の義
を開顕することができ、
こういうことが七十六歳の時にお書きになった﹃徹選択集﹄にある
。
これは
解が行を浄むーーものを理解すれば、
その人の行為というものは必ず正しくなってくる
。
理解という
ものがなければ、
その人の行為というものは正しい浄いものではなくなってくるということですね
。
それで聖浄兼学の人が最も良い
。
浄土門がよく分かるのは、
やはり聖道門に入って
、
聖道門から浄
土門に行かれ、
そして聖道門を捨てる。即ち浄土門のお念仏だけに入ったけれども
、
そのためには聖
道門を学んで理解してから浄土門に入るとい
う
ことが、この聖浄兼学の人が最も本願念仏の義を開顕
することが出来る。
これにしたがって例をあげますと、﹃一枚起請文﹄ですね。﹃一枚起請文﹄はどうでしょうか。﹃一
枚起請文﹄を読んで本当に徹底して理解をして、そしてそこで信仰が起こるということはどうでしょ
うか。私自身考えましでも
、なかなか難しいと思
うんで
すね
。
でありますから、﹃一枚起請文﹄を理
解するためには、
その前にいろいろな、
たとえば﹃大智度論﹄であるとか、あるいはここで言うと
﹃徹選択集﹄であるとか
、﹃決疑紗﹄であるとか、
いろいろ聖道門的な難しい教え、
こういうものを通
って浄土門に行く。それはちょうど日本的なもの││私はよく分かりませんけれども、茶道にしても
いと思うんですね。そういうようなものは、ご馳走でも、
日本の食事はおいしいということはなかな
書道にしても、あるいは日本の食事にしても、
日本的なるものは非常に簡単にして要を得たものが多
か理解することが出来ない。
長谷川如是閑という文化人がーーもう亡くなられましたけど、
よく言っておられた。日本の食事が
世界で一番おいしいということを理解するためには、西洋の食事・東洋のほかの国の食事を味わった
上で比
較した時に
、初めて日本食ー
ーー懐石料理のようなもので
すか、これがいかに味わいの深いもの
であるかということが分かる。これは甘味だと思って食べたら、
それは甘味ではなくて自然の味であ
る。辛いと思って食べたら、
それは自然の味である。その味が分かれば、この料理は深いご馳走であ
るということが分かる。それをいきなり食べても、何だ、
これは簡単なもので、甘くもなければ辛く
もない。それはちょうどお念仏と同じで
、
お念仏だけいきなり聞いても
、
信が立っていなければいけ
﹁ h、
。
必 ん し熊谷直実のような方は
、
仰いで信じた。もし法然上人のようなご人格の方がいて
、
これでなければ
往生出来ないということになれば、これはもう仰いで信ずるという体得をしていくことが出来ると思
うんですね
。
しかしそうでない場合には
、
やはり一つの解から入って行って
、
そして行に行く
。
そし
てその行と解とが行なわれているうちに
、
初めてやっていることが理屈がなくて尊いものだというこ
とが分かってくる
。
法然上人は
、
それを確信しておられたために
﹃
選択集﹄をお書きになった
。
本当は﹃選択集﹄は十
六
章
も用いて
書
かなくてもよかったんですね
。
一番最初のところでもう終りにしてもよかったんです
が
、
それを終りにしないであれだけお書きになったのは
、
即ち理解をさせる
。
聖道門を捨てるなら
、
なぜ聖道門を説く必要があるんでしょうかね
。
捨てるために聖道門を説く、こういうことを法然上人
はおっしゃっている
。
即ち捨てるためにも聖道門は必要。そこで初めて浄土門のことが理解でき、行
ずることが出来るということ
。
で
あ
り
まずから
、
二祖上人は多くの人のために
、
特に二祖上人は比叡山で勉強されて、九州の天台
宗の油山の学頭になられた方ですから
、
だいたいみんな周
り
にいる方は天台の学問をした方
、
そうい
う方に
﹁
選択本願念仏﹂をいきなり説いても分からない
。
そこでどうしても聖道門から説いて、そし
て浄土門へ行かなければ分からない。
聖光上人は二十二歳で叡山へお上りになって、足かけ八年そこで天台の学聞を勉強された。そして
二十九歳で郷里の香月荘にお帰りになって、その年の翌年に有名な油山の学頭となられた。天台宗で
も非常に優れた学者であったわけです
。
その方が法然上人の教えを聞いて
、
たちまち聖道門を捨てて
浄土門に入られたわけです。それはやはり聖道門というものがあって、
そこへ法然上人の教えをお聞
きになったので、
たちまち天台宗を捨ててということになるわけです。
これは法然上人の場合ですが、
四十三歳まで天台の勉強をした、
それを捨てたということを福井康
たので、それを手がかりに、法然上人は天台、
黒谷沙門で一生を終った方だという根拠を立てたわけ
順先生は非常に憤慨なさる
。
しかも望月先生は弊履の如く捨てたと﹃法然上人正伝﹄にお書きになっ
です。最終的にはそうではなかったわけですが、そういう聖道門から入った。法然上人と同じように、
二祖上人も天台の学聞をやって、秀才であった方が、法然上人の教えを聞いて、
たちまち念仏門に入
ってしまった。そして三十六歳から四十三歳まで、足かけ八年
、聞にちょ
っと帰られましたけれども
、
東山で、法然上人の教えを受けて鎮西にお帰りになった
。
そして六
十七歳の時に
﹃授手印﹄をお作り
になって
、法
然上人の教え
、
お念仏の義はこうであるという、先ほど申し述べました﹁結帰一行三
昧﹂の教えをお書きになった。
ところが、﹃授手印﹄のほうを先にお書きになったんですね。二祖は六十七歳の安貞二年にお書き
になった。そしてその後﹃徹選択集﹄ですね。﹃徹選択集﹄は七
十
六歳の時にお書きになった。六
十
七歳と七十六歳。﹃授手印﹄のお念仏のほうを先にお書きになったんですが
、
やはりどうしても後か
ら﹃徹選択集﹄をお書きにならなければならない
。
さらに﹃識知浄土論
﹄
を書かなければならないよ
うな
、
当時法然上人の周りのお弟子や一般の方々の聞にそういう空気があったわけです
。
そ
し
て七十六歳の時に﹃徹選択集﹄と
、
さらにこれをお書きになったその年に
、
﹃
浄
土
宗
要集﹄即
ち﹃西宗要﹄をお書きになって
、
その二つを三祖上人に付属をされている
。
七十六歳にそれを付属さ
れ
て
、
七十七歳に二祖上人は往生をされているわけでございます
。
教えも
、総
て
﹁
念死念仏
﹂
、
人が避けることのできない死というものをいかにして受け止め
、
そして
聖光上人としては
、
﹁結帰一行三味﹂
の教えと同時に
、
聖浄兼学の人である
。
そしてそのお念仏の
安らかに死んでいくかということで
、
これは法然上人の
、
皆さんもど存じの章提希の念仏に通ずるも
のがあるわけであります。
私たちはふだん考えておりませんけれども
、
結局
、
正しく幸せに生く
、
年令の長き短きにかかわら
ず
、
幸せに人生を送るというようなことの根本には
、
やはり私たちが死をいかに考えるか
、
死をいか
に迎えるかということがあって
、
そして生に立ち戻った時に
、
初めてそこに人生の意義であるとか
、
幸せであるとかということを
、
年令の長さ短さに関係なく思考することが出来ると思うわけで
、
こ
の
ニ
つが聖光上人の特色であろうと私は思うんです
。
ただ聖道門の人
、
あるいはただ浄土門の人よりも
、
聖道
・
浄土兼学の人のほうが
、
本願念仏の義が
知りやすい。こう書いてあります。﹁但聖道門の人
、
但浄土門の人はこれを知るべからず。聖道
・
浄
土兼学の人これを知るべし。この心を得てより一切の大乗教を聞き、
一切の大乗論を見るに随喜の涙
禁じ難し﹂。おそらく総ての大乗教や大乗論というものはお念仏を説くために説かれていたものであ
ったということが感じられたと思うんですね。
その前のところから読むと本当は分かり易いんですけれども
、
﹁それ念仏往生を知らんと欲
せ
ば
、
まず一切菩薩の浄仏国土成就衆生の義を知るべし
。
また一切菩薩の本願を習うベし
﹂
一切菩薩の本願
│
│
浄土教では法蔵菩薩の本願ですが
、
そうではなくて一切菩薩の本願を習うべしということを述べ
ている。そして少し先に﹁沙門某甲昔聖道門を学せしの時いささかの国土成就衆生の義を習い伝え
、
いま浄土門に入るの後
、
またこの選択本願念仏往生の義を相承す。二師の相伝をもって小乗の諸門を
見るにその義さらにもっ
て教門に違わず﹂ということで
、
いまの聖道
・
浄土兼学の人これを知るべし
ということが書いてあるわけでございます。大乗教の教えも
、
またこれを見て
、
そして浄土門念仏の
教えに入るということが述べられている。これは﹃徹選択集﹄に述べられているわけでございます。
良忠上人のみ教え
次に良忠
上人
の教えの特色は何か。これは実際に皆さんもお読みになって
、
良忠
上
人の教えを纏め
ることは容易なことではないわけですね。﹃報夢紗﹄五
十
余巻ございますので
、
まず量が多い。それ
とその中に説かれて用いられている
引
用の経典
、
漢籍
、
国書
、
そう
い
うものが非常に巾広くわたって
おりますから
、
それだけに捉われてくると
、
思いがけずほかのほうへ入ってしまうわけです。それで
良忠上人の教えは難
し
い
で
す
ね
。
良忠上人は
、
三十八歳の時に生仏法師の勧めによって
、
二祖の浄土の法門を聞くために善導寺へ行
かれたわけです。先ほどちょっと話がございましたけど
、
鎌倉の光明寺さんから出版されま
し
た﹃良
忠上人研究﹄という書物がございます。多くの先生方がお書きになって
、
私も少し書かせて
い
ただき
ました
。
ほんの少しだけ﹁記主教学の特色について﹂というので書きま
し
た
の
で
、
機会があったらこ
れを読んで下さい
。
特色を三つばかりあげておきました。これからそのことについてお話し申し上げ
ま
す
。
三十八歳で筑後の善導寺││聖光上人の下へ行って
、
三
十
九歳に﹃徹選釈集﹄を授与されている。
﹃
徹
選
択
集
﹄
のほうが
、
三祖上人も
│
│これは
比
叡
山
で戒を受けられたのか
、
島根の鰐淵寺でおそら
く勉強され授戒されたものと思いますけれども
、
聖光上人から﹃徹選択集﹄を三
十
九歳の時に授与さ
れている。﹁法然上人
、
浄土宗の義をもって弁阿に伝う﹂。これは三祖上人に与えられた﹃授手印﹄の
終りに﹁手次のこと﹂というのがございます。そこに書かれている言葉ですが
、
﹁
法
然
上
人
、
浄土宗
の義をもって弁阿に伝う。今また弁阿
、
相承の義並びに私の勘文徹選択集をもって
、
沙門然阿に譲渡
し畢りぬ﹂こういうふうに書いてございますから
、
二祖から、法然上人から相承した義を三祖に伝え
、
さらに二祖上人の考えを書いた﹃徹選択集﹄を然阿に譲り渡しますということをお書きになった。三
十九歳の時でございます
。
それから八十九歳で入滅されるまでに良忠上人は五十余巻の書
、
聞き書き
、
あるいは注釈書をお遺
しになっているわけです
。
その特色とすることの第一は
、
その五十余巻の書物の中で主なるものを見ましても
、
﹁ 三
代の相承﹂
という言葉を非常に重く用いてる。意識して﹁三代の相承﹂
、
即ち法然
l
二祖から伝えられ
、
私
、
三
代にわたって伝えられたところの教えである
。
﹁三代の相承
﹂
と
い
う
の
は
、
先ほど申しました﹁選択
本願念仏﹂が伝えられているということであります。
一番早いのは五十六歳の時に
お書きになった﹃決疑紗﹄の巻五の終りのところに
﹁ 三
代
相
承
﹂
、
﹁今三代の相承をもって朝五巻の
その﹁三
代相承
﹂と
いう言葉は
、
いつ頃に出てくるかと申しますと
、
決疑を記すのみ﹂と書いている。
この字﹁覗
﹂
を私は
﹁
も
つ
ば
ら
﹂
と訓んでいるんですが
、
普通は﹁たやすく﹂とか﹁すなわち﹂と
訓みます
。 ﹃
決疑紗﹄の巻五の終りのところに
、
﹁ク﹂が送り
仮名として付いております
。
私
は
﹁
ラ
﹂
のほうが適当じゃないかと思います
D﹁今三代の相承をもって
、
たやすく五巻の決疑を記すのみ﹂│││
即ち 、 いま私が﹃選択集﹄ について今日出ているいろいろな疑問 、 それを三代の相承で解決をしたの が私の﹃決疑紗﹄だ 。 ﹁ 瓢ク﹂と書いてありまずから 、 これを漢文の辞典で見ますと﹁たやすく﹂と 読む。それから﹁すなわち﹂ 、 この二つが訓みですね。それから﹁しばらく﹂と訓ませているところ もございます。﹁たやすく﹂﹁すなわち﹂﹁しばらく﹂だと 、 どうもここのところの訓みに適当でない と思いますね。﹁今三代の相承をもって 、 すなわち五巻の決疑を記すのみ﹂と言えば 、 これは意味と してはよろしいわけですが、 ﹁ク﹂が送り 伝名として﹃浄土宗全 書﹄に書かれている。それ から﹁今 三代の相承をもってたやすく五巻の決疑を記す﹂ ││たやすく疑いをここで解決したというのも、前 そうすると 、 もう一つ訓みがある。﹁もっぱら﹂という訓みがあるんですが 、 これはあんまり出て 後の意味から適当でない。 きません 。 ﹃ 選択集 ﹄ に も 一 、 二個所、あるいは﹃決疑紗﹄﹃伝通記﹄等にも出てきますけど 、 J
-、
h -Jjlv ゆ j い﹁たやすく﹂か﹁しばらく﹂ か 、 ﹁すなわち﹂かですね。﹁もっぱら﹂ で出てくるのはないんです。 ただ﹁もっぱら﹂と訓むのが一番前後の意味では 、 ﹃選択集﹄についての疑問があるのを解決するの はもっばら三代の相承 。三 代の相伝とは何であるかと言うと 、 これは先ほど申しましたように宗祖の 信仰 、 宗祖の宗教 、即ち ﹁選択本願の念仏﹂ 、即ち ﹁南無阿弥陀仏﹂ 、 これで解決し 、 疑いを総て決し ている 。 しかしそれにしては ﹃決疑紗﹄はなかなか難しいですし 、 ﹃伝通記﹄にいたしましでもそう で す 。また八十八歳の時に 、 寂恵良暁││良忠のお弟子 、 あるいは子供と言われている││このことはい ろいろありまして 、 玉山先生にはこれは実子であるという論文がありますが 、 古くは今岡先生も 、 そ のような言葉をお書きになったものがあります 。 これは詳しくは調べておりませんけれども 、 その寂 恵良暁に与えた付法状にも 、 ﹁三代相伝のこと 、 世間その隠れなし 、 みなもって王化するところ也﹂ ││いま私にお前に法を付す 、 これは三代相伝のことであるということをお書きになっている 。 ﹁ 三 代相伝のこと ﹂というと 、 法然│聖光!良忠と一貫したものがなければならないわけですね。そのこ とは隠れないということですが 、 先ほど申しましたように二祖上人には三つの特色 、 最初の﹁結帰一 行三味﹂と 、 聖一浄兼学というその二つをお述べになった特色は 、 相反するんですね 。 相反して 、 ま た 相反しない一つの教えになっている。その教 えを三 祖が受け継いで、 これを寂恵良暁に譲られた 。 でありますから 、 浄土宗の教えの中には 、 今日でもいろいろな説 、 聖浄兼学の特色を出される方も いらっしゃる 。 それから ﹁ 結 帰一行三味 ﹂ で 、 戒を強調すると、浄土宗の先生方が戒が大事だなんて いうことを言ったんで は 、 お念仏で救われる根拠が薄くなってしまうと叱られたこともありました 。 そういう聖浄兼学と﹁結帰一行三味﹂と矛盾するようですが 、 私は矛盾しないのではないか││と 。 で は 、 その矛盾しなくて矛盾することが 、 法然上人のお述べになった ﹃ 選 択 集 ﹄ のどこに根拠がある のでしょうか。 しばらく それは﹃選択集﹄の中にございますね 。 法然上人が副詞を用いているところがあるんです 。 ﹁ 且 ﹂
こころみ とか﹁試﹂という字なんですね 。 ﹁試みに﹂というのは 、 完全に止めたというのではないんですね 。 ちょっと試しにということです 。 それから﹁且﹂というのは時間の意味と仮設の意味がある。 ﹁ 略選 択 ﹂ のところに﹁且 ﹂ というのが出てまいりますですね 。 十六章ですか 。 ﹃ 選 択 集 ﹄ を簡単に言うと そこに帰する 。 有名な、﹁それすみやかに生死を離れんと欲せば二種の勝法の中には且く聖道門を閣 き て 、 選んで浄土門に入る 。 浄土門に入らんと欲せば 、 正雑二行の中には且く諸々の雑行を描ちて正 行に帰すべし 。 正行を修せんと欲せば 、 正助二業の中には 、 なお助業を傍らにして選んで正業をもっ ばらにすべし 。 正定の業とはすなわちこれ仏名を称するなり 。 名を称すれば必ず浄土に生ずることを こ の ﹁ 且﹂というのは 、 ちょっとの間だけ聖道門を置いておいて 、 またしばらく経ったら二祖のよ 得 、 仏の本願によるが故なり﹂。ここに﹁且﹂があります 。 うに聖道門を持ってきて 、 聖浄兼学をするという 意 味か 、 あるいは仮設で 、 もし聖道門を捨てて浄土 門に帰すればという意味がある 。 こ の ﹁ 且 ﹂ というところが 、 そこに断定を法然上人が出されていな い意味があるわけです 。 それから﹁試みに ﹂ というのは 、 三重の選択のところに出てくるわけです 。 第四 章 でしたか﹁廃立 、 助正 、 傍 正 ﹂ のところへ出てくるわけでございますね 。 ﹁選択﹂というのは 、 先ほど申しましたよう に 、 法然上人の教え、浄土宗の教えに一貫して流れるのは﹁選択本願の念仏 ﹂ である 。 その中でも本 願の念仏は善導大師もお説きになっている 。 し かし﹁選択﹂ということは法然上人だけのもので 、
﹃ 無 量 寿 経 ﹄ の異訳本をごらんになって 、 ﹃大阿弥陀経﹄から﹁選 択﹂という言葉をお取りになってい る
。
い ま ﹁ 略選択 ﹂ で三重の選択を述べましたが 、 これを易しく言った場合には 、 選 択 十 助 正 先ほど言ったように 、 廃立 、助 正 、 傍正という教えになる。﹃選択集﹄の第四章 に 、 その解釈が 、 その人によって 、 あるいは門下によって 、 法然上人のお念仏を どのように受け取ったかの違いが出てくる 。それは﹁選 択﹂というところに出て くる。﹁選択 ﹂ というのは選ぶわけですから 、 どれを選ぶか。たとえばお盆の上にいろんなケ l キを 取るかみんな違うわけですね 。 そういう違いと同じように 、 廃立と 、 助正と 、 傍正 、 それぞれ 取られ 持ってきて 、 どれを選ぶかは 、 その人によって 、 男性と女性 、 若い人と年寄りによってどのケ 1 キを る時に違ってくるわけですね 。 後で出てまいりますが 、 廃立をお択りになった 。 これが出てくる場合に 、 さっき言った ﹁ 試みに ﹂ というのがここのところに出てくるわけです 。 これは三義の殿最ですから 、 どれが優れていて 、ど
れ が劣っているかということは知り難い │ │﹁三義の殿最知り難 し 口諸々の学者 、 取捨心にあるべし 。 今若し善導によらば初めをもって正とするのみ ﹂ I l l -﹂ こ は ﹁ 若 し ﹂という 言 葉 で す ね 。 ﹁ 試 み に ﹂ といのはその前のところに出てくると思うんです 。 これは廃立の義を択ると 、 念仏だけというのは廃 立の義ですね 。もうほ かのものは択らない聖浄兼学なんでいうのはとんでもないことである 。 これはだいたい源智
上
人が廃立。助正になると
、
念仏以外の行も
、
も
し同
類の助業であるならば
、
読請
、
観
察
、
礼拝
、
讃嘆供養
、
こういうものを用いるわけで
、
これは当然いま申し上げように聖光上人も良忠
上
人も用いるわけです。
傍正も
、
多少違いはありますけれども││助正の場合には
、
もっぱら同類の助業であるわけで
、
法
然上人は異類の助業もお説きになっているご本がございますね
。
たとえば衣食住の三つは念仏の助業
なり。われわれがものを着る
、
住まい
、
食べる
、
こういうもの総て念仏の助業になるんだ。異類の助
業というのは
、
どちらかというと傍正と助正と重なる部分があるわけですね。違うところは
、
傍正は
ぅ。諸行もやるけれども
、
それは助業であるというところが違うわけです。諸行が本顕であるか非本
諸行本願義になる
。
総て諸行も本願。助正は
、
念仏が本顕であって
、
往生するのは念仏によってかな
願であるかによって違ってくるわけです。
こういう分け方によって
、
多少門下で
、
派が諸行本願義
、
念仏本願義というように分かれてくると
いうのは
、
やはり選択の仕方にあるわけです。
これは法然上人の上ではもうはっきりしているわけでございますが
、
浄土宗の所求
、
所帰
、
去行が
、
法然上人の目的とする教えを説くわけですね
。
所求というのは
、
いまの三つについて信仰を立てるの
が浄土宗の信仰であり
、
法然上人の宗教である
。
求めるところは極楽浄土
。
これは極楽浄土ですけれ
ども西方という
意味が入ったのが
、
法然上人の選択されたところの極楽浄土
。
所帰ーーー帰する所は阿
弥陀仏でありま
し
て
、
法然上人のお択りになった阿弥陀仏というのは
、
道縛
・
善導と中国から伝来し
た報身の阿弥陀仏。去行というのは
、
念仏であり
、
﹁南無阿弥陀仏﹂は
、
﹁阿弥陀仏﹂でなくて
、
﹁ 南
無
・
阿弥陀仏﹂でありますから、これを願行具足の念仏というようになって
、
法然上人はこれを基に
し
ている。これを選ぶのは
、
さっきの
﹁
若
し
善導によらば﹂﹁試みに﹂│││これはお択りになる方によ
って廃立で択られる。
先ほど私が申しま
し
たように
、
教学大会で
、
念仏と戒というのが出された時に
、
いろいろシンポジ
ウムがあって
、
戒と念仏の問題について
、円
頓戒が必要であるかということになって
、
それじゃ念仏
で往生出来るのになぜ円頓戒が必要なのか
、
そういう質問がありました。その時に
、
それを聴いてい
て憤慨されて発言した方が
l
l
個人の名前は先輩でありますから勘弁していただいて
、
非常に憤慨さ
れました。何たることを言ってるんだ
、
浄土宗はお念仏で極楽往生に決まってるじゃないか
、円
頓戒
がどうの
、
戒がどうの
、
四
十
八戒がどうのこうの
、
そんな
こ
と
は
必
要ないとえらい怒られました。そ
れが非常に
記
憶に残っています。しかしここにも戒の専門家の宮林先生がいらっしゃってますが
、
それは念
仏
即戒か。私も
、
いまだに
、
念仏即戒か
、
あるいは本当の念仏が称えられれば
、
﹂れは恵谷先
生の結論ですが
、
﹁自ずからそこに戒が備わる﹂こういう説き方。
私はそれに対して
、
まだ納得がいかないんですね。本当の念仏というのはどういうのを言うんでし
ょうか。それは宗学でそんなこと知らないのか
、
三
心
具足の念仏じゃないかと言われますけど
、
三
心
具足の念仏というのはなかなか難
しいですね
。至誠心
、
深
心、回向発
願
心
。どう
して知るかっていう
と法然上人のご本の中に
、
具足しているかしてないかの調べ方があるんで
、
私は昔それを見て
、
ぁ
、
これはいいことだと思ったことがあるんです
。歓喜踊躍の念
仏ですね
。
お念仏申してたら嬉しくなっ
てきて
し
ょうがないんですね。だから始終顔がにこやかな人は
、
おそらく歓喜踊躍の念仏をしている
方じゃないか
。
始終怒ってる方は、三心が
具足
していないのかなと思っておるんです
。
助正になると、
これは親鷲上人ですら助正のお念仏をしていたんですね。毎日﹁三部経﹂の読請を
して
いたわけで
す
。そして越後の奥から
、
法然上人が流罪を解かれると同時に解かれた。法然上人が
まだお元気でいらっしゃれば上洛するおつもりであったろうと思うんですが
、
これも異説があります
が
、亡
くなったというんで当時の鎌倉幕府のある関東へ
、
上野
、下
野
、
上総
、
下総へ利根
川
に沿うて
出てくるわけです
。それで笠間
、
稲目のあたりで
、
親驚上人は主として農民を相手に布教をされたわ
けです。その親驚上人ですら
、
﹁
三
部
経
﹂
の読請をまだこの時おやりになっていた。
ある時
、
ふと気がついた。法然上人の言われたのはご向専修﹂だ。そうすると﹁三部経﹂の読諦
はやらなくても
、
お念仏だけで往生出来るということを
、
ある年令に来て
、
気がついたのが稲田にお
ける時ですかね。それで﹁三部経﹂の読請をおやめになった。即ち助正でやってたものが廃立に至っ
たわけです。
しかし最後はもう
はっきり
しているんですね
。最後は
正行に行かなければ、
﹁選択本願の念
仏﹂に
行かなければ 、 浄土宗の法然上人の一貫した教えには行かないんですね 。 ですから法然上人の教えで も 、 諸行本願義を立てる 。 傍正で行っては 、 これは親孝行をしても極楽往生出来るし 、 商売を一生懸 命やっても極楽往生出来る。これは当然なんですね 。 ですからそういう説き方をなさって 、 それで終 りになっては困るわけですね 。 た だ し 、 親孝行しながらでも出来る易しいお念仏が大事なんだという ことに行かないと 、 浄土宗の﹁選択本願 ﹂ に一貫した三代相承の念仏に行かない 。 そこのところが 、 助正や傍正で止まっていたんではいけない 。 聖光上人も 、 聖浄兼学を晩年にお説 きになったが 、 その前にちゃんと﹃授手印﹄で﹁結帰一行三味﹂をお立てになっておられた。それは 聖浄兼学を説いた ﹃ 徹選択﹄をお書きになったけれども 、 捨てなかったですね 。 かえって浄仏国土成 就衆生と ﹁ 南無阿弥陀仏﹂ のお念仏とが同じである。不離仏 、 値遇仏とは同じなんだ。結局六度万行 をすることもお念仏を称えることも同じであるというところへ会通していったのが﹃徹選択﹄の﹁南 無阿弥陀仏 ﹂ 。 ﹃ 識 知 浄 土 論 ﹄ のほうは 、 やはりそれの線上の一つ 。 だから中には 、 ﹃識知浄土論﹄は 、 二祖上人の著述ではないという説も出てくるわけです 。 ある過程だけを見て 、 総てを律することは 、 ゾウは全体を見てこれはゾウだというので 、 耳だけ触ってこれはゾウだと言うことは間違いのもとに なってくる 。 ですから法然上人 は 、 これを選 ぶ のは自由に 、 ﹁ 若しこれによらば ﹂ ﹁ 試みにこれによらば ﹂ という ふうにお説きになっているけれども、それはそれを選ぶ人の自由なわけです 。 ですからわれわれが 、
一生懸命にお念
仏
申している方と
、
世の中のために仕事を
し
ている人と
、
片っ方は往生しないで片っ
方は往生するかというと
、
そうではなくて
、
両方とも往生の業になる。傍正と助正のほうで行くとな
る。なるけれども
、
先ほど言いま
し
たように
、
平等往生
、
一切に通ずるのが念仏なんで
す
から。その
ために
、
いま言った傍正のほうであるとか
、
助正のほうは
、出
来る人と
出
来ない人が出て
し
まう。こ
れは法然上人のご遺志でもないし
、
遡っては釈尊の遺志でもない。総てのものが平等に救われるとい
うことが仏の教えの目的でありますから
、
ど
う
し
てもお念仏
、
六字の名号にならなければならないわ
けでございます。
な
お
、
良忠上人の中で
、
著述というのは五十余巻ございますけれども
、
代表的なものが三つあると
いうことも私書きましたが
、
﹃決疑紗﹄を第一とする。その次は﹃伝通記﹄
、
それから﹃東宗要﹄が代
表的な著述である
。
四
源智
上人のみ教え
それから源智上人の教えでございますが
、
源智上人には﹃浄土宗全書﹄の第七巻に﹃選択要決﹄と
いう著述がございますが
、
﹃選択集﹄についてのいろいろな疑問に答えて
、
これが法然宗祖の解釈で
あるということを書いた
、
短かい著述がございます。これは昔から異論があって
、
果たして源智上人
の著作であるかどうかということには疑問がございますので 、 今日まであまり用いていません 。その 件がもう少しはっきりするまでは 、 一応源智上人のではないという説のほうが有力ですけれども 、 は っきりするまでは 、 これによって源智上人の教えを述べることは出来ない。 そうなると 、 いったい何によっ て源智 上人の教 えを捉えたら いいかというと 、 あとは醍醐本﹃法然 上人伝記﹄あるいは﹃勅修御伝﹄(﹃四十八巻伝﹄) 、 あ る い は そ の 他 の ﹃ 法 水 分 流 記 ﹄ で あ る と か 、 ﹃勅修御伝﹄であるとか 、 源智上人の伝記が書かれているものを見て読み取る以外にないかと思うん で す 。 まず第一に 、 その教えはこれだろうということを 、 周りから詰めていくと 、 まず建暦二年の正月二 十三日に﹃一枚起請文﹄を授けられたのが源智上人で、 これは間違いないんで 、 今日金戒光明寺にそ の﹃一枚起請文﹄がございます 。 その時にお書きになったか 、 前から書かれていたものをお与えにな られたのか 、 それは分かりません。私が 、 何年か前に疑問を持ったのは 、 二十五日に亡くなって 、 そ の二十三日に起き上がって││たしかに金戒光明寺の実際の真筆を見ますと 、 なぞって二重になって いるのが何字か明らかに分かりますね。だからこれは書いたのだろう 、 間違いないと思っておりまし たけれども 、 必ずしも正月二十三日に起き上がってお書きにならなくても 、 その﹃一枚起請文﹄は 、 鎮西上人にお出しになったご消息でも 、 ﹃善導寺御消息﹄というのがございまずから、前からあって これを源智上人に授けた。とすると 、 こ の ﹃ 一 枚 起 請 文 ﹄ の ご 向 専 修 ﹂ は 、 まず源智上人は感激で 、