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ヨラム・ハゾニー著、庭田よう子訳、中野剛志・施 光恒解説 『ナショナリズムの美徳』
藤原, 拓広
九州大学大学院地球社会統合科学府 : 博士後期課程
https://doi.org/10.15017/4774187
出版情報:政治研究. 69, pp.79-86, 2022-03-31. 九州大学法学部政治研究室 バージョン:
権利関係:
書 評
ヨラ ム・ ハゾ ニー 著︑ 庭田 よう 子訳
︑中 野剛 志・ 施光 恒解 説﹃ ナシ ョナ リズ ムの 美徳
﹄
︵東 洋経 済新 報社
︑二
〇二 一年
︶ Yo ra m Ha zo ny ,T he Vi rt ue of Na ti on al is m, Ba si c Bo ok s, Ne wY or k, 20 18 .
藤 原 拓 広 一 はじ めに 本書 の著 者ヨ ラム
・ハ ゾニ ーは
︑イ スラ エル の政 治哲 学者
︑ 聖書 研究 者で ある と同 時に
︑シ オニ スト
︵ユ ダヤ 民族 主義 者︶ でも ある
︒そ のよ うな 背景 をも つ著 者に とっ て︑ ナシ ョナ リ ズム は近 年の 多く のア メリ カ人 やイ ギリ ス人 が考 えて いる よ うな 政治 的病 では ない とい う︒ 彼に とっ て︑ ナシ ョナ リズ ム は﹁ 国家 を育 んだ
︑誰 にと って も関 わり の深 い政 治理 論﹂
︵一 七頁
︒以 下︑ 本書 から の引 用は 頁数 のみ を記 す︶ なの であ る︒ 本書 は︑ そう した シオ ニス トで もあ る著 者が
︑聖 書研 究を 用い なが ら︑ ほと んど の政 治哲 学者 が忌 み嫌 う存 在で ある ナ
ショ ナリ ズム や国 民国 家の 擁護 を試 みた 意欲 的な 研究 であ る︒ とこ ろで
︑本 書の 著者 であ るハ ゾニ ーは
︑二
〇一 八年 に︑ 当時 のア メリ カ大 統領 ドナ ルド
・ト ラン プの
﹁私 はナ ショ ナ リス トで ある
﹂発 言を 擁護 した こと で知 られ る︒ この トラ ン プの 発言 は︑ リベ ラル なマ スメ ディ アか ら多 くの 批判 を受 け たが
︑ハ ゾニ ーは
︑そ うし た批 判に 反論 し︑ トラ ンプ およ び ナシ ョナ リズ ムを 擁護 した ので ある
︒ア メリ カに おけ るナ ショ ナリ ズム をめ ぐる 論争 の中 心人 物で ある 著者 が自 身の 主 張を 展開 した 本書 は︑ 大き な話 題を 呼び
︑と りわ けア メリ カ の保 守派 に大 きな 影響 を与 えて い(1
る)
︒本 書の 解説 者の 中野 剛 志が 述べ てい るよ うに
︑﹁ アメ リカ の政 治思 想の 変化 に︑ 本書 が連 動し てい るの であ るな らば
︑そ れだ けで も︑ 我々 日本 人 が本 書を 読む べき 理由 とし ては 十分
﹂︵ 四頁
︶だ ろう
︒ 以下 では
︑本 書の 書評 を書 いて いく
︒ 二 本書 の概 要 まず
︑本 書の 内容 を概 観す る︒ 第一 部﹁ ナシ ョナ リズ ムと 西洋 の自 由﹂ では
︑西 洋の 政治 にお いて は︑ 世界 秩序 の二 つの ビジ ョン が何 世紀 にも わた っ
て常 に対 立し てき たこ とが 説明 され てい る︒ ここ でい う西 洋 の政 治に おけ る二 つの 世界 秩序 のビ ジョ ンと は︑ 一つ は自 由 で独 立し た﹁ 国民 国家
﹂か らな る秩 序で あり
︑も う一 つは 人 類を ただ 一つ の﹁ 帝国
﹂主 義国 家の 下で 統一 する 秩序 であ る︒ ヘブ ライ 語聖 書︵ 旧約 聖書
︶を 起源 とす る国 民国 家の 秩序 と︑ ロー マカ トリ ック 教会 の政 治思 想で もあ る帝 国の 秩序 は︑ 有史 以来 争い を繰 り広 げて きた が︑ 一六 四八 年に 一応 の決 着 を見 るこ とと なっ た︒ ウェ スト ファ リア 条約 が結 ばれ 三十 年 戦争 が終 結し たこ とで
︑普 遍的 なカ トリ ック 帝国 とい うビ ジョ ンが 敗北 した ので ある
︒ ウェ スト ファ リア 体制 にお ける ヨー ロッ パの 政治 生活 は︑ 著者 が﹁ プロ テス タン ト構 造﹂ と呼 ぶ秩 序の 下で 再建 され た︒ ヘブ ライ 語聖 書を 起源 とす るプ ロテ スタ ント 構造 は︑ 二つ の 原則 から 構成 され てい た︒ その 原則 とは
︑第 一に
﹁合 法的 政 府に 必要 な最 低限 の道 徳規 範﹂
︵す べて の政 府は 最低 限の 道 徳と して モー セの 十戒 を維 持し なけ れば なら ない とい うこ と︶ であ り︑ 第二 に﹁ ネイ ショ ンの 自決 権﹂ であ った
︒著 者 によ ると
︑ウ ェス トフ ァリ ア体 制の 政治 秩序 は︑ これ ら二 つ の原 則の 緊張 関係 から なる 秩序 であ った とい う︒ プロ テス タン ト構 造は 第二 次世 界大 戦の 頃ま では 西洋 の政 治の 基盤 であ りつ づけ たが
︑そ の大 戦が 終結 した 後︑ 著者 が
言う とこ ろの
﹁リ ベラ ル構 造﹂ とい う政 治秩 序に 取っ て代 わ られ るよ うに なっ た︒ 実際 には 帝国 主義 国家 であ るは ずの ナ チス
・ド イツ がナ ショ ナリ ズム の提 唱者 と考 えら れる よう に なっ たこ とで
︑プ ロテ スタ ント 構造 は力 を失 った ので ある
︒ ここ で新 たに 台頭 した リベ ラル 構造 は︑ 主に ジョ ン・ ロッ クの
﹃統 治二 論﹄ に基 づく 秩序 であ る︒ この 構造 では
︑集 団 は自 由な 個人 の同 意に よっ て構 築さ れる もの と考 えら れて い る︒ 著者 によ れば
︑こ のリ ベラ ルな 考え では
︑ネ イシ ョン の 境界 を説 明で きな い︒ また
︑近 年リ ベラ リズ ムが 聖書 の伝 統 と切 り離 れた こと で︑ 国民 国家 は必 要な いと さえ 考え られ る よう にな って きて いる とい う︒ 著者 が危 惧す るの は︑ 多く の 政界 エリ ート や知 的エ リー トが
︑こ の帝 国主 義的 なリ ベラ リ ズム のパ ラダ イム にと りつ かれ てい るこ とで ある
︒著 者に よ ると
︑彼 らは
︑E U離 脱を 決定 した イギ リス 人を 中傷 する な ど︑ 異な る意 見に 対し て不 寛容 であ る︒ この リベ ラル 構造 に対 して
︑著 者は 反対 の立 場を とっ てい る︒ リベ ラル 構造 への 反対 派は
︑ネ オ・ カト リッ ク︑ ネオ
・ ナシ ョナ リス ト︵ 国家 統制 主義 者︶
︑保 守主 義的
︵伝 統主 義的
︶ 立場 の三 つに 分か れる が︑ 著者 がと るの は保 守主 義的 立場 で ある
︒彼 によ ると
︑こ の立 場は
︑プ ロテ スタ ント 構造 の二 つ の原 則に 基づ き︑ リベ ラル 構造 を批 判す る立 場で ある
︒
第二 部﹁ 国民 国家 とは 何か
﹂で は︑ 政治 秩序 の最 善の 形態 とは
︑独 立し た国 民国 家か らな る秩 序だ と論 じら れて いる
︒ ここ で著 者は まず
︑政 治哲 学を
︑﹁ 政府 の哲 学﹂ と﹁ 政治 秩 序の 哲学
﹂の 二つ に分 ける
︒一 方の 政府 の哲 学と は︑ 国家 を 前提 とし て︑ 政府 の最 善の 形態 を探 究す るも ので あり
︑も う 一方 の政 治秩 序の 哲学 とは
︑﹁ 政治 秩序 の原 因を 理解 し︑ その 理解 に基 づい て︑ わた した ちが 利用 でき る政 治秩 序の さま ざ まな 形態 を見 つけ 出し
︑そ のな かで どれ が最 適か 判断 しよ う とす るも の﹂
︵七 九頁
︶で ある
︒著 者に よれ ば︑ どち らの 政治 哲学 も有 用な もの では ある が︑ 政府 の哲 学は
︑結 束し 独立 し た国 家を 自明 のも のと みな して しま うた め︑ それ を維 持す る ため の努 力に 注意 を払 わな い点 に問 題が ある
︒つ まり
︑政 府 の哲 学が 有用 であ るた めに は︑ 結束 し独 立し た国 家は いか な る政 治秩 序の 上で 可能 とな るの かと いう
︑よ り根 本的 な探 究︑ すな わち 政治 秩序 の哲 学が 必要 とな るの であ る︒ では
︑最 善の 政治 秩序 の形 態と はど のよ うな もの か︒ 著者 はま ず︑ 強力 な組 織は いか にし て生 じる のか を考 察す る︒ そ の考 察に よれ ば︑ 強力 な組 織と は︑ 個人 がそ の組 織の 利益 や 目的 を自 分の もの とみ なす こと によ って 生ま れる 組織 であ る︒ これ はす なわ ち︑ 個人 が自 己を 拡張 し︑ 自己 の範 囲内 に その 組織 をも 含め てし まう 組織 であ る︒ 著者 は︑ こう した 組
織を
︑﹁ 相互 の忠 誠﹂ によ って 構築 され た組 織と 呼ぶ
︒ 著者 によ ると
︑ネ イシ ョン も︑ その よう な自 己の 拡張 によ っ て生 じた 組織 であ る︒ まず
︑個 人は 相互 の忠 誠の 絆に よっ て 家族 を構 築す る︒ 次に
︑さ まざ まな 家族 が結 びつ いて
︑氏 族 が生 まれ
︑そ の氏 族が 団結 して
︑部 族が 形成 され る︒ 最後 に︑ 部族 同士 が結 びつ いて
︑ネ イシ ョン を形 成す るの であ る︒ 国家 の誕 生に つい ては
︑著 者は
︑二 つの 場合 があ ると 考え てい る︒ その 一つ は︑ ネイ ショ ン内 の部 族の 連合 が自 由国 家 を樹 立す る場 合で あり
︑も う一 つは
︑専 制国 家が 外国 人を 征 服す る場 合で ある
︒こ こで 着目 した いの は︑ 著者 が国 家の 誕 生に 関す るい わゆ る社 会契 約論 的な 説明 を退 けて いる こと で ある
︒彼 によ れば
︑自 由な 個人 が同 意に よっ て政 府を 樹立 す ると いう のは
︑お とぎ 話で あり
︑虚 構な ので ある
︒ 著者 は︑ この よう にし て誕 生し た﹁ 国民 国家
﹂こ そが
︑政 治秩 序の 最善 の形 態だ と論 じて いる
︒彼 は︑ 国民 国家 の利 点 を︑
﹁無 政府 状態
﹂と
﹁帝 国﹂ とい う両 極の 政治 秩序 と対 比し なが ら︑ 説明 して いる
︒ まず
︑無 政府 状態 とは
︑氏 族・ 部族 の秩 序で ある
︒こ の政 治秩 序で は︑ 中央 集権 的な 国家 は存 在し ない
︒そ のた め︑ 氏 族や 部族 間で の戦 争の 危険 が常 にあ ると され てい る︒ 対し て︑ 帝国 とは
︑人 類を 包摂 する 集団 によ る秩 序で ある
︒﹁ 帝国
秩序 にお いて は︑ すべ ての 政治 生活 は︑ 見ず 知ら ずの 人類 の 統一 とい う道 徳的 原理 に根 ざし て﹂
︵一 一八
︱一 一九 頁︶ いる とい う︒ しか しな がら
︑こ の秩 序で は︑ 人類 の統 一の ため の 征服 とそ れに 伴う 荒廃 が横 行す ると され てい る︒ これ らの 政治 秩序 の中 間に ある のが
︑著 者が 擁護 する 国民 国家 の秩 序で ある
︒著 者は
︑こ の第 三の 秩序 は︑ 無政 府状 態 や帝 国と 比較 して
︑多 くの 利点 を有 して いる と論 じる
︒彼 に よる と︑ 国民 国家 の秩 序で は︑ ネイ ショ ンの 内的 統合 への 欲 求が 氏族 や部 族間 の戦 争を 抑制 し︑ 対外 征服 とい う発 想へ の 軽蔑 や力 の均 衡と いっ た教 義が 征服 を抑 制す るた め︑ ほか の 二つ の形 態の 難点 を克 服す るこ とが でき るの であ る︒ また
︑国 民国 家の 秩序 は︑ 競争 的な 政治 秩序 や個 人の 自由 など とい った 利点 もも って いる
︒ま ず︑ 競争 的な 政治 秩序 に 関し てで ある
︒こ れは すな わち
︑人 間の 理性 に絶 対の 信頼 を 寄せ る合 理主 義的 認識 論と 関連 する こと の多 い帝 国的 政治 と 異な り︑ ナシ ョナ リズ ム的 政治 は人 間の 理性 に対 して 懐疑 心 を抱 く経 験主 義的 認識 論の 立場 をと るこ とが 多い とい うこ と であ る︒ 経験 主義 的な 立場 をと るナ ショ ナリ スト 的秩 序は
︑ 各ネ イシ ョン がそ れぞ れ独 自の 方法 で政 治制 度な どに つい て の試 行錯 誤を 行う こと を期 待す る︒ その よう に各 ネイ ショ ン が競 争し なが らも 真似 しあ うこ とで
︑各 ネイ ショ ンは 自国 を
向上 させ るこ とが でき るの であ る︒ 次に
︑個 人の 自由 につ いて であ る︒ 著者 は︑ 帝国 主義 国家 より も国 民国 家の 方が
︑個 人の 自由 を保 護す るの に適 して い ると 考え てい る︒ 国民 国家 では
︑言 語や 宗教 の共 有︑ およ び 戦争 にお ける 団結 とい った 事実 に由 来す る相 互の 忠誠 心が
︑ 個人 の自 由の 基盤 とな って いる ので ある
︒ こう した 国民 国家 の利 点に 鑑み
︑著 者は
︑次 のよ うに 述べ てい る︒ すな わち
︑﹁ わた した ちの 先祖 が築 き︑ 貴重 な遺 産と して わた した ちに 残し た独 立し た国 民国 家を 維持 し︑ 強化 す ると いう 困難 な作 業に 従事 しな くて はな らな い﹂
︵二 一九 頁︶
︒ 第三 部﹁ 反ナ ショ ナリ ズム と憎 悪﹂ では
︑ナ ショ ナリ スト の憎 悪へ の非 難に 対し て︑ 帝国 主義 者の 憎悪 を検 討し てい る︒ 著者 は︑ ナシ ョナ リズ ムが
︑競 合す る氏 族や 部族 間の 憎悪 やほ かの ネイ ショ ンへ の憎 悪を 生み 出す こと を認 める が︑ 帝 国主 義者 も︑ その 理想 を拒 むネ イシ ョン に対 する 憎悪 を抱 く では ない かと 論じ る︒ また
︑現 代の リベ ラル も︑ こう した 帝 国主 義の 憎悪 から 解放 され てい ない では ない かと 批判 する
︒ 著者 は︑ この よう にリ ベラ ル派 も帝 国主 義的 な憎 悪を 抱い てい るに もか かわ らず
︑彼 らの 憎悪 はあ まり 論じ られ てこ な かっ たこ とを 問題 視し てい る︒ 著者 は︑ 以下 のよ うに 述べ て いる
︒﹁ 現代 のリ ベラ ルな 言説 には 盲点 があ る︒ 普遍 的な 政
治秩 序を 信奉 する ため
︑リ ベラ ル帝 国主 義者 たち は︑ 憎し み の原 因を ネイ ショ ンや 部族 の個 別主 義︵ ある いは 宗教
︶に 帰 する 傾向 があ るが
︑そ の一 方で
︑普 遍的 な政 治秩 序の 達成 と いう 願望 を実 現さ せよ うと する あま り生 じる 憎し みを 見落 と した り︑ 軽視 した りし てい る﹂
︵二 五九 頁︶
︒ 終章
﹁ナ ショ ナリ ズム の美 徳﹂ では
︑ナ ショ ナリ ズム は美 徳で ある と述 べら れて いる
︒ ナシ ョナ リズ ムの 美徳 とは どの よう なも ので
︑ま たそ れは なぜ 生じ るの か︒ 著者 は︑ ナシ ョナ リス トが
︑普 遍主 義者 の 革命 家と 部族 の忠 誠主 義者 との 中間 の存 在で ある こと に着 目 して いる
︒こ れは すな わち
︑ナ ショ ナリ スト は︑ 部族 の忠 誠 主義 者と 同じ 個別 主義 者で ある ため
︑国 民国 家へ の忠 誠心 を 抱い てお り︑ また 普遍 主義 者の 革命 家の よう に︑ 世界 秩序 全 体︑ ナシ ョナ リス トの 場合 は国 民国 家か らな る秩 序全 体へ も 献身 して いる とい うこ とで ある
︒ 著者 によ れば
︑そ の結 果︑ ナシ ョナ リス トの 精神 には
︑第 一に
﹁自 分の ネイ ショ ンや 部族 の古 来の 伝統 への 強い 忠誠 心﹂
︵二 七二 頁︶ が︑ 第二 に﹁ 自分 のネ イシ ョン 内の 諸部 族の 伝統 の多 様性
︑お よび ほか のネ イシ ョン の伝 統の 多様 性の 自覚 か ら生 じる 懐疑 主義 や経 験主 義﹂
︵同 上︶ が存 在し
︑そ れら の間 には 緊張 関係 があ ると いう
︒こ の緊 張関 係か ら生 まれ る成 果
こそ が︑ ナシ ョナ リズ ムの 美徳 であ る︒ 著者 は︑
﹁自 由に 生き るこ とが でき
︑自 分た ちの 針路 を決 定 し︑ 可能 な場 合に はほ かの ネイ ショ ンに 利益 をも たら し︑ た だし
︑ほ かの ネイ ショ ンに 自分 たち の支 配と 法律 を力 ずく で 押し つけ るこ とを 望ま ない とき に︑ 真の 道徳 的成 熟に 到達 す る﹂
︵二 七四 頁︶ と論 じる
︒彼 によ ると
︑成 熟の ため にも
︑わ たし たち はネ イシ ョン の自 由と 独立 を守 らな けれ ばな らな い ので ある
︒ 三 本書 の意 義 本書 は︑ 大変 意義 深い 研究 であ る︒ 本稿 第一 節で 言及 した 意義 以外 にも
︑さ まざ まな 意義 を有 して いる
︒こ こで は︑ さ しあ たり 三点 を提 示し てお きた い︒ 一つ 目の 意義 は︑
﹁帝 国﹂ と﹁ 国民 国家
﹂と いう 区分 に基 づ き議 論が 行わ れて いる 点で ある
︒ア メリ カ政 治思 想史 研究 者 の井 上弘 貴や 公共 政策 学者 の杉 谷和 哉が 指摘 して いる よう に︑ 本書 の特 徴は
︑帝 国と 国民 国家
︑帝 国と ナシ ョナ リズ ム との 対比 に基 づき なが ら︑ 議論 が展 開さ れて いる 点に あ(2
る)
︒ この フレ ーム ワー ク自 体︑ 非常 に興 味深 いも ので はあ るが
︑ この 区分 がと りわ け重 要な のは
︑本 書の 解説 者の 施光 恒が 述
べて いる よう に︑ 著者 がグ ロー バリ ズム を帝 国と みな して い るか らで あろ う︒ 本書 の議 論を 基盤 とし て︑ グロ ーバ ル化 以 後の 世界 秩序 につ いて 考え るこ とが 可能 とな るの では ない か とい うわ けで ある
︵二 八四
︱二 八五 頁︶
︒ 二つ 目の 意義 は︑ 既存 の政 治理 論へ の痛 烈な 批判 が行 われ てい る点 であ る︒ 前節 で見 てき たよ うに
︑本 書で 著者 は︑ 現 代の 政治 哲学 者の 趨勢 を占 めて いる リベ ラル や社 会契 約論 者 を批 判し てい る︒ 著者 の批 判と は端 的に 言え ば︑ 従来 の政 治理 論の 前提 が現 実的 では ない だろ うと いう 批判 であ る︒ 今後 は︑ 本書 を参 考 にし なが ら︑ ネイ ショ ンの よう な集 団︑ さら に言 えば その 文 化や 伝統 に帰 属せ ざる をえ ない 人間 を前 提に
︑社 会や 国家 に つい て考 えて いく 必要 があ るで あろ
(3
う)
︒ 三つ 目の 意義 は︑ いわ ゆる
﹁リ ベラ ル・ ナシ ョナ リズ ム﹂ 論の 発展 に貢 献し てい る点 であ る︒ 本書 とリ ベラ ル・ ナシ ョナ リズ ム論 とは 異な る点 もあ るが
︑ 著者 はた とえ ばデ イヴ ィッ ド・ ミラ ーの 議論 を何 度か 参照 し てお り︑ 近い 点も 多い
︒た とえ ば︑ 国民 国家 こそ が個 人の 自 由を 保護 する のに 適し た政 治的 単位 だと 考え てい る点 は︑ 両 者の 類似 点で ある が︑ リベ ラル
・ナ ショ ナリ スト がリ ベラ リ ズム の価 値を 重視 して いる 一方 で︑ 著者 がそ れを 批判 して い
るの は︑ 大き な相 違点 であ るよ うに 見え る︒ ただ
︑解 説者 の中 野が 論じ てい るよ うに
︑著 者は リベ ラリ ズム その もの を批 判し てい るわ けで はな く︑
﹁政 治秩 序の 哲 学﹂ とし ての リベ ラリ ズム を批 判し てい ると いう こと は注 目 に値 する
︵八
︱九 頁︶
︒中 野に よれ ば︑ たと えば 保守 主義 はリ ベラ リズ ムと 対立 的だ と考 えら れて いる が︑ それ らは カテ ゴ リー が異 なる
︵リ ベラ リズ ムが 政府 の哲 学で ある のに 対し て︑ 保守 主義 は政 治秩 序の 哲学
︶の であ る︒ 中野 は︑ 以下 のよ う に述 べる
︒﹁ 政治 秩序 とは
︑本 質的 に︑ 非リ ベラ ルな ので ある
︒ しか し︑ すべ ての リベ ラル な統 治形 態は
︑非 リベ ラル な政 治 秩序 を基 礎と して いる
︒そ して
︑そ のリ ベラ ルな 統治 形態 を 成立 させ る非 リベ ラル な政 治秩 序こ そ︑ ハゾ ニー が擁 護す る
﹃国 民国 家﹄ にほ かな らな い﹂
︵七
︱八 頁︶
︒リ ベラ ル・ ナシ ョ ナリ スト は︑ リベ ラル な価 値は ナシ ョナ ルな もの がな けれ ば 成り 立た ない と考 えて いる が︑ こう した 考え 方は
︑本 書の 政 府の 哲学 と政 治秩 序の 哲学 とい う区 別を 参照 した 方が より 説 得力 をも って 説明 でき るよ うに 思わ れる
︒ また
︑著 者は 国民 国家 の秩 序の 利点 とし て︑ 競争 的な 政治 秩序 であ る点 をあ げて いる が︑ この 議論 もリ ベラ ル・ ナシ ョ ナリ ズム 論の 発展 にと って 有用 では ない だろ うか
︒リ ベラ ル・ ナシ ョナ リズ ム論 の問 題点 の一 つは
︑ネ イシ ョン 間の 関
係が あま り考 慮さ れて いな い点 であ る(4
が)
︑競 争し なが らも 真 似し あう 国民 国家 とい う説 明は
︑そ の関 係に つい ての 最も 説 得力 のあ る説 明の 一つ だと 思わ れる ので ある
︒ 四 本書 の難 点 以上 のよ うに
︑本 書は さま ざま な意 義を 有す る研 究で ある が︑ 難点 がな いわ けで はな い︒ ここ では
︑二 点を 示し たい
︒ 一つ 目の 難点 は︑ 本書 にお ける リベ ラリ ズム 理解 は一 面的 だと いう もの であ る︒ 著者 のリ ベラ リズ ム理 解に つい ては 前 節で も確 認し たが
︑も う少 し詳 しく 見て いき たい
︒ 著者 は︑ リベ ラリ ズム を︑ 普遍 主義 的で 帝国 主義 的な 思想 とみ なし てい るが
︑そ れは リベ ラリ ズム の一 側面 にす ぎな い︒ たと えば 政治 哲学 者の ジョ ン・ グレ イは
︑リ ベラ リズ ムを
︑
﹁普 遍的 レジ ーム をめ ざす 自由 主義
﹂と
﹁平 和的 共存 の自 由主 義﹂ とに 区別 して い(5
る)
︒グ レイ によ れば
︑ハ ゾニ ーが リベ ラ リズ ムを 規定 する 際に 主に 引用 して いる ロッ クは
︑あ くま で も前 者の リベ ラリ ズム の提 唱者 だと いう
︒こ の区 別の 妥当 性 はこ こで は検 討し ない が︑ 著者 がリ ベラ リズ ムの 一側 面を 過 度に 強調 して おり
︑そ のほ かの リベ ラリ ズム の側 面に もよ り 焦点 を当 てて もよ かっ たこ とは 間違 いな いで あろ う︒
二つ 目の 難点 は︑ 従来 のナ ショ ナリ ズム 論を 批判 する 必要 があ った とい うも ので ある
︒著 者は
︑自 己の 拡張 によ って ネ イシ ョン が生 じた と考 えて いる が︑ これ は現 在の ナシ ョナ リ ズム 論で は傍 流の 見解 であ る︒ 近年 のナ ショ ナリ ズム 論で は︑ ベネ ディ クト
・ア ンダ ーソ ンら によ る近 代主 義的 な説 明 が︑ ネイ ショ ンの 起源 に関 する 主流 の説 明と なっ てい る︒ 著 者は 本書 のな かで
︑こ の近 代主 義者 の議 論に 一つ の注 でし か 言及 して おら ず︑ あま り関 心を もっ てい ない のだ ろう が︑ も う少 し取 り上 げて 検討 して もよ かっ たよ うに も思 われ
(6
る)
︒ ただ
︑強 調し てお きた いの は︑ 著者 はネ イシ ョン の起 源の 説明 に際 して
︑軍 事史 家の アザ ー・ ガッ トの 歴史 学的 な議 論 を援 用す るな どし てお
(7
り)
︑本 書の ナシ ョナ リズ ム論 は十 分に 学術 的な もの だと いう こと であ る︒ ここ で言 いた かっ たの は︑ 本書 の議 論の 説得 力を 上げ るた めに も︑ 著者 は近 代主 義 者の 説明 を丁 寧に 批判 して もよ かっ たの では ない かと いう こ とだ けで ある
︒ 五 寛容 な対 話を めざ して
︱︱ むす びに かえ て︱
︱ 以上 のよ うな 難点 があ るに もか かわ らず
︑本 書は 大変 優れ た研 究で ある
︒こ こで は︑ 最後 にも う一 つ本 書の 重要 な主 張
を取 り上 げて 本稿 の締 めく くり とし たい
︒ 著者 はリ ベラ リズ ムの 不寛 容さ につ いて 述べ る際
︑リ ベラ リズ ムの 教義 にう まく 抗す るこ とが でき ると みな され た個 人 や集 団︑ 意見 など に対 する 誹謗 中傷 活動 に言 及し てい る︒ 著 者に よる と︑ こう した 活動 は︑ かつ ては 大学 の言 説の みに 向 けら れて いた が︑ 最近 はそ のほ かの 公共 の場 にも 向け られ て いる
︒こ うし た状 況を
︑彼 は﹁ 西洋 の民 主主 義国 家は 急速 に 1つ の大 きな 大学 キャ ンパ スに なり つつ ある
﹂︵ 六六 頁︶ と表 現し てい る︒ 当然 なが ら︑ この よう な不 寛容 な現 状は 健全 なも ので はな いだ ろう
︒リ ベラ ルも ナシ ョナ リス トも
︑あ る程 度の 憎悪 を 抱い てし まう のは 仕方 ない だろ うが
︑お 互い が異 なる 意見 に も耳 を傾 ける 姿勢 をも つこ とが 必要 であ ろう
︒そ うし た対 話 をめ ざす 上で
︑現 在の 社会 の不 寛容 さを 描い た本 書は
︑重 要 な意 義を もつ と思 われ る︒ 本書 の読 者に よっ て︑ たと えば ナ ショ ナリ ズム をめ ぐる 活発 な議 論が 行わ れる こと を期 待し た い︒ 注
︵1
︶ト ラン プ発 言と それ をめ ぐる 論争
︑お よび アメ リカ の 保守 派に おけ る本 書の 影響 につ いて は︑ たと えば 会田 弘
継﹁ トラ ンプ 政権 を取 り囲 む思 想潮 流を 考え る︱
︱反
・ レー ガン 主義 とポ スト
・リ ベラ ルの 興隆
﹂
︵久 保文 明編
﹃ト ラン プ政 権の 対外 政策 と日 米関 係﹄ 日本 国際 問題 研究 所︑ 二〇 二〇 年︑ 一二
︱一 三頁 ); 井上 弘貴
﹃ア メリ カ保 守主 義の 思想 史﹄
︵青 土社
︑二
〇二
〇年
︶︑ 二五 一︱ 二六
〇頁 を参 照の こと
︒
︵2
︶参 照︑ 同右
︑二 五四 頁
;杉 谷和 哉﹁ ナシ ョナ リズ ムの 美 徳と リベ ラリ ズム の失 敗﹂
﹃ひ らく
﹄︑ 第五 号︑ 二〇 二一 年︑ 二八 八頁
︒
︵3
︶参 照︑ 岩田 温・ 施光 恒︵ 対談
︶﹁ ナシ ョナ リズ ムの 美徳
﹂
﹃W iL L﹄
︑第 二〇 三号
︑二
〇二 一年
︑二 九六
︱三
〇七 頁︒
︵4
︶S ee e. g. Yo un g, I. M. ,“ Se lf -D et er mi na ti on an dG lo ba l De mo cr ac y: A Cr it iq ue of Li be ra lN at io na li sm ,” in Sh ap ir o, I. an dM ac ed o, S. (e ds .) ,D es ig ni ng De mo cr at ic In st it ut io ns (N ew Yo rk :N ew Yo rk Un iv er si ty Pr es s, 20 01 ), pp .1 61 -1 62 .
︵5
︶参 照︑ グレ イ︑ ジョ ン︵ 松野 弘監 訳︶
﹃自 由主 義の 二つ の顔
︱︱ 価値 多元 主義 と共 生の 政治 哲学
︱︱
﹄︵ ミネ ル ヴァ 書房
︑二
〇〇 六年
︶︑ 二頁
︒
︵6
︶S ee Lu ba n, D. ,
“T he Ma n Be hi nd Na ti on al Co ns er va ti sm ,” Th eN ew Re pu bl ic ,J ul y2 6, 20 19 .
︵7
︶ガ ット の文 献と して は︑ Ga t, A. ,N at io ns :T he Lo ng Hi st or ya nd De ep Ro ot so fP ol it ic al Et hn ic it ya nd Na ti on al is m (C am br id ge :C am br id ge Un iv er si ty Pr es s, 20 13 )を 参照 のこ と︒