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九州大学学術情報リポジトリ

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

アクションフィールドワーカーに問いかけること :

「アクションを待つフィールド」へのコメント

山室, 敦嗣

福岡工業大学

https://doi.org/10.15017/2344596

出版情報:九州人類学会報. 36, pp.42-43, 2009-07-12. 九州人類学研究会 バージョン:

権利関係:

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アクションを痔つフィールド(叛嶋・内藤~・亀#・辰己・凶室)

ア ク シ ョ ン が フ ィ ー ル ド ワ ー カ ー に 問 い か け る こ と 一「アクションを待っフィールド」へのコメント—

フ ィ ー ル ド ワ ー カ ー は 現 場 で 人 々 の さまざまな実践にまきこまれ、情報収集 といった狭い意味に収まりきらない数々 のアクションをおこなっている。それは 余技ではなく、ときに調査や理解のあり 方に強い影響を及ぼしているのではない か。こうしたアクションのなかにこそフ ィールドワーカーの現実の姿がある。こ のような発想が、本セッションの 3者の 報告には通底している。そのことによっ て、フィールドワーカーによる他者表象 の政治性といったフィールドワーク論と は一線を画したものとなっている。本セ ッションは、フィールドワークに基づい た学問の可能性をフィールドワーカーの アクションから開いていこうとする試み

といえるかもしれない。

そこで、アクションはフィールドワー カーに何をもたらすのだろうか、という 観点から個々の報告の可能性を展望した し。

辰己報告では、山口県阿武町における 様々なアクションによって生まれた感覚 が活写されている。地域社会学の世界へ 踏み込むきっかけに始まり、阿武町での 学会開催や

JICAの本邦研修などをめぐ

る 様 々 な ア ク シ ョ ン の 連 鎖 に よ っ て 、

「『私』が問われ」、立場が変化するなか で、「実践としてのアクションと研究とし てのアクションを明確に区別することは 難しい」という感覚が芽生えた。こうし た感覚からは、研究/実践という土俵に アクションをおさめさせないフィールド の力がうかがえる。

こ の よ う な フ ィ ー ル ド の 力 に よ る 感 覚に裏打ちされ、アクションの意味が引

山 室 敦 嗣 ( 福 岡 工 業 大 学 ) き出され、自身の関心によって想定して いるフィールドが、一層魅力をもつ方向 へと広がる様子が内藤報告では活写され ている。チリでの「通常」の文脈や境界 に馴染んでいなかった内藤氏の不意の間 いにより、「貧困者」との出会いが、ふた りの人間同士の交流になった。アクショ ンによって、ふと訪れた、ある文脈にと らわれない生と出会いを紡いでいるロー カルのことを「上のないローカル」と手 作りの言葉でとらえている。そこには自 身のフィールドが広がっていく際のリア リティと、後のフィールドワークの道し るべとなる「手ぶらで渡り歩く」という アクションの意味が引き出されたことが 込められている。と同時に 貧困につい て欠損の言語でしか語れないのか とい

う関心が鍛えられている。

ここから伺えるのは、自身の関心をも とにアクションをつうじて人・モノ・場 面をフィールドにし、その広がったフィ ールドから新たな言葉が紡ぎだされる、

という過程だ。この過程の反復は、やが て欠損言語から形成された既存の理論と は異なった理論の形成を可能にするので はないだろうか。

両 報 告 に み ら れ る 感 覚 や フ ィ ー ル ド の広がりは、次にみる亀井氏と通底して いるように私には思え、それは「生き方 としての学間」[鳥越皓之

2006:2 9 3 ]の

ひとつのかたちへと向かう可能性を秘め ているように思う。

亀井報告には、フィールドの力により 引き出されるアクションの意味とアクシ

ョンが広げるフィールドの可能性、そし てそのなかで方向付けられていく自身の

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アクションを痔つフィールド(飯嶋・内藤・竜井・辰己・凶室)

学問へのありようが「生き方としての学 間」のひとつのかたちとして暗示されて いるように思える。フィールドの可能性 については、手話をめぐるフィールドと 例示されている

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のアクションが、どれ ほどの幅と深さをもって呼応しあい、広 げあっているのかが一目瞭然だろう。こ こで注意したいのは、広がりをみせたフ ィールドの可能性を、亀井氏個人のアク ションの特殊性や手話言語という対象へ と回収してしまってはいけないというこ とだ。大切なのは、アクションを契機に フィールドワーカーにとってフィールド とは何かを常に問い、そこから芽生える 感覚を育んでいくことが、フィールドの 可能性を一層広げていくと捉えたい。

方 向 付 け ら れ て い く 学 問 へ の あ り よ うについて、亀井氏は本報告で、少数言 語をめぐるアクションは、第一義的には 研究に寄与し、あわせて少数言語集団の 権利擁護に資するという実践的側面をも ち、その成果が再び研究を促進すると述 べている。ここにみられるのは、「『実践』

と『研究』を往還する」フィールドワー カーの姿である。しかし、亀井氏のアク ションは、研究/実践を往還するフィー

ルドワーカーの姿という枠では語りきれ ないように思う。そこには、研究/実践 という士俵をも含みこんだ広い土俵を設 定できる可能性があるのではないか。し かも、その芽は亀井報告のなかに既にあ る。その芽とは、「研究者としてのアクシ ョンというべきであるかどうかは微妙で あろうが」と、ためらいがちに「手話に なかば帰属し、生活する」というアクシ ョンに言及しているところだ。このアク ションを漏らさないようにしようとする と、研究/実践という土俵では十分では ないだろう。これに代わる土俵は言葉で 表されていないが、すでに研究/実践と いう土俵とは異なった土俵で身をもって 活動していることは「生き方としての学 問」のひとつのかたちを暗示していると いえるのではないだろうか。

参照文献 鳥 越 皓 之

2006「学問の実践と神の士地」、新崎盛暉.

比嘉政夫・家中茂編『地域の自立シ マの力(下)』コモンズ: 276‑294。

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日 採択決定)

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参照

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