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士師時代の年代決定

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(1)

士師時代の年代決定

著者 佐々木 哲夫

雑誌名 東北学院大学論集. 教会と神学

巻 32

ページ 133‑146

発行年 2000‑02‑25

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00000250/

(2)

土師時代の年代決定

佐 々 木 哲 夫

士師記の構成に関し,筆者は,既に,本文の特徴的な表現,例えば,

繰り返し (repetition),要語 (catchword),畳句 (refrain)などを区 切り (dividerphrase)や対称構造 (symmetry)のしるしと考えて分 析を行ったI。即ち,(1) 

i

イスラエノレの人々は,主の目に悪とされる を行二った (2:11, 3: 7, 3: 12, 4: 1, 6: 1, 10: 6, 13: 1) 

J 2

, (2) 

i

その ころ,イスラエルには王がなかった (17:6, 18: 1, 19: 1, 21: 25)j3, 

( 3 )

土師(主人公)の登場,被支配年数,士師が統治した年数,死の 記述4などの記事を指標にして以下のごとく士師記を区分した。

A. 1:1‑2:10 (ヨシュア死後の状況)

B. 2:11‑16:31 (士師時代の外交:国防) (1) 2:11‑3:6 (総論)

(2)  3:7‑16:31 (各論)

i. 3: 7‑3 : 11 (Othni‑el)  i

i. 3: 12‑31  (Ehud, Shamgar)  iii. 4: 1‑5: 31 (Deborah) 

iv. 6: 1‑10 : 5 (Gideon, 

otham, Tola, 

air)  v.  10: 6‑12 : 15 (J ephthah, Ibzan, Elon, Abdon) 

‑133‑

(3)

vi. 13:1‑16:31  (Samson) 

C.  17:1‑21:25 (士師時代の内政:治安)

(1)  17: 1‑18 : 31 (Livites Micah and the Danites) 

(2)  19: 1‑21 : 25  (a certain bevite and the Benjaminites) 

上記の通り,士師記は,ヨシュアの死後の部族連合国家(A.1:1‑2:  10)の機能を,

I

夜警国家」のそれ,即ち,国防 (B.2 : 11‑16 : 31)と 治安維持(C.17 : 1‑21 : 25)の視点から記録したものであり,構成と内 容において充分整合性のある書物であると評価された。その考察の時 に与えられたさらなる課題は,土師とは一体何者か,また,彼らの活 躍した時代はいつかという問題であった。これらは,研究者の間で少 なからず議論されてきた問題である。例えば, Noth は5,士師の時代 が,個々の英雄たちと小士師たちの時代(士2: 6‑12 : 15),及び, ペリ シテ人の抑圧を背景としたサムエルの時代 (士13:1任)の二つから 成っており,申命記史家が記述の簡略化のために後者の時代を前者に 組み入れたと想定した。

さらに,Nothは,前者の成立に関し二つの伝承の存在を前提にし た。想定された伝承の第一は,申命記史家以前に成立した各部族の英 雄たちと彼らの武勲の物語である。各部族の英雄物語を結合するため に申命記史家が橋渡し的記事を挿入したとも考えられている。想定さ れている伝承の第二は,土師たちの出身地,職務期間, 葬られた場所,

短いエピソードを簡単に記録した「小土師たちの名簿jである。これ ら二つの伝承は,士師Jephthahにおいて統合されたという。即ち,

134 

(4)

士師時代の年代決定

Jephthahは, 6年という最短の統治期間が記録されている小士師でトあ るが,戦争のカリスマ的指導者としてのエピソードも記録されている (士11:1‑12: 7)0 Nothは,本来司法と関連していた小土師の職務の 記録の中に戦争の指導者としての働きも記載されたので,第一の伝承 中の主人公である英雄たちも土師と呼ばれるようになったと分析し た。即ち,第一の伝承が第二の伝承の枠組みに取り込まれたと推定し た。確かに,他の小土師たち, Tola, J air, Ibzan, Elon, Abdonの記 事には敵に支配されていた年数が記録されていないが, Jephthahの 記事には

1 8

( 1 0 :  8 )

が記録されている。また, Jephthahの統治期 間はわずか6年であり, 6人の小士師たちの中で最も短い年数となっ ている。

さらに, Nothは,申命記史家の神学が土師記の記述目的の基底に あったと考えた。即ち,南北王国滅亡の原因だと認識されていたイス ラエルの背教が既に土師時代にも存在していたことを示す意図があっ たというのである。単なる歴史記録でなく神学的記述であるが故に,

土師として働いたサムエルが士師記にではなく,王国時代との連結を 示すために列王記に収載されたと考えられた。また, Nothは,ペリシ テ人の勢力が優勢で、あったサムソン時代とサムエル時代を重ねて考え る6。しかし,上記のような Nothによる土師記の構造分析と編集の再 構成では,ダン族とベニヤミン族の物語(士17‑21章)の果たしてい る役割が明確にされないという問題が残される。筆者は,前報の「鍵 語による構造分析」において議論した通り,ダン族とベニヤミン族の 物語に部族連合国家イスラエルの内政問題が記録されていると解した ほうが,士師記全体の構成と調和すると考えたらむしろ,本論で議

135 

(5)

論したい問題は,士師時代の年代決定である。

( 1 )   4 8 0 年(列王記上 6 章 1

節) 列王記上6章 l節に,以下の記述が見られる。

ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは,イスラエル人がエ ジプトの地を出てから四百八十年目,ソロモンがイスラエルの王 になってから四年目のジウの月,すなわち第二の月であった。

これは,士師たちの時代を含む期間,即ち,出エジプトから神殿建 設(ソロモンの治世の第

4

年)までの期間が

4 8 0

年だとの記事である。

Nothは,申命記史家が年代学的な問題に強い関心を持っていたと考

え,申命記からサムエル記までの個々の年代と

4 8 0

年を調和させよう とし,以下に列挙する期間を根拠にして議論を行った8

出エジプトにおける荒野での期間

4 0

年間 ヨルダン西岸の土地取得に要した期間 5年間9

士師たちの期間(異民族の支配期間と士師の職務期間)

3 5 0

年間 Othni‑el 

Ehud  Shamgar  Deborah  Gideon  ]otham 

8年 (3:8) 

1 8

( 3:  1 4 )  

2 0

( 4 :  3 )  

7年 (6: 1)  3年 (9: 

2 2 )  

136 

4 0

( 3 :  1 1 )   8 0

( 3 :  3 0 )  

4 0

( 5 :  3 1 )  

4 0

( 8:  2 8 )  

(6)

Tola  ]air 

土師時代の年代決定

23年

( 1 0 : 

2) 

2 2

( 1 0 :  3 )  

]ephthah 

Ibzan 

18年 (10: 8)  6年 (12: 7)  7年 (12: 9)  10年(12: 

1 1 ) 

8年(12: 14)  40年間10

Elon  Abdon 

ペリシテ人の支配期間

サウルの統治期間(サム上13:1)  ダピデの統治期間(列王上

2 : 1 1 )  

ソロモンの第四年(列王上

6 :1 )  

2年間11

40年間 4年間

上記の年数の加算合計は481年になる。 Nothは, 申命記史家がダピ デの最後の年とソロモンの治世の 1年を重複とみなして計算を調整 し,合計480年 の 結 果 を 得 た , と 考 え た120 Nothの 計 算 は,S.].  DeVriesやG.Riceなどの注解書に引用され支持されている13。しか

し,Nothの解釈には困難な点も見られる。 例えば, Nothは,世代交 代の時間間隔の 40年間を概数とみなすが,同時に,土師の統治期間で ある 7年や

1 0

年や

8

年などを実年数と考えて加算している14。即ち,

精度の異なる数字の加算結果の妥当性は乏しい。

また,Nothは, 異民族の支配期間と土師の統治期間を申命記史家が 直列的に配置したとも考え,同時性や重複を認めていない150他方,

エリの40年間やサムソンの20年間の同時性を認めている。もっとも,

Nothは, エリの物語が申命記史家よりも後代の人物による加筆であ り,サムソンの物語が申命記史書に属していたかどうか疑わしいと論

‑ 137‑

(7)

じている160

このような議論において実行された列王記上

6

1

節の

4 8 0

年とい う数字は,数学的計算に耐え得る数字なのであろうか。そうではなく て‑Nothは否定しているのだが 17数字に比轍的な意味が込められ ているとの可能性はないのだろうか。議論をさらに進める前に,士師 時代の年代決定に関連する考古学的考察を概観しておく。

( 2 )  

考古学的考察

ヨシュアの死後のカナン定住からサウル王即位までのいわゆる土師 時代の歴史的年代推定には,出エジプトの年代とソロモン王即位の年 代が重要な起算点となっている。これらの年代決定のために以下のよ

うな考古学的議論がなされてきた。

出エジプトの年代決定の手がかりとなるのは,出エジプト記1章8‑ 14節の記事である。

そのころ,ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支 配し,国民に警告した。『イスラエノレ人という民は,今や,我々に とってあまりに数多く,強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い,

これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば,敵側に付 いて我々と戦い,この国を取るかもしれない』。エジプト人はそこ で,イスラエノレの人々の上に強制労働の監督を置き,重労働を課

して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町,ピ トムとラメセスを建設した。しかし,虐待されればされるほど彼 らは増え広がったので,エジプト人はますますイスラエルの人々

‑138‑

(8)

士師時代の年代決定

を嫌悪し,イスラエルの人々を酷使し,粘土こね,れんが焼き,あ らゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼ら が従事した労働はいずれも過酷を極めた。(出 1:8‑14) 

ファラオの物資貯蔵の町,ピトムとラメセスの建設が,抑圧の始まり

でなく終わり,即ち,出エジプトの開始と関連していると考えられた。

特に,ラメセスの町は,セトス一世によって基が敷かれラメセス二世 によって主に建設され(そして名付けられた),エジプトの諸文献に出 てくる Pi‑Ramesseであると想定された18。また,月の運行に基づく 天文学的情報と歴史的情報からラメセス二世の即位は,紀元前1304 年もしくは 1290年であると解明されている19。また,いわゆる「イス

ラエル石碑 (IsraelStela) 

J

に記載されている語 Ysr'rをイ スラエル と同一視することにより,メレンプタハ(Merenptah)の治世の第5年 (紀元前 1220年頃)以前に,即ち, リビア人に対する戦勝記念以前に

イスラエ/レが西部ノTレスチナに存在していたと想定されているヘ以 上の考察から出エジプトは,紀元前1290年(もしくは紀元前 1304年)

より後であり,また,紀元前 1220年より前の出来事であると想定され る。

さらに,ソロモン王の即位の年代も考古学的に考察されている。天 文学的情報や歴史的情報から,今日,アッシリア史における紀元前891 年から 648年までのアッシリア王の治世年代 (eponymousyears) と 絶対年代との関係は信頼できるものとなっている21。問題は,アッシ

リアの歴史と旧約聖書の出来事との関連である。アッシリア王Shal‑ maneser 111による Qarqar(853 B.c.)の戦いの記録に,旧約聖書に

(9)

記されていないが,イスラエル王アハプとの交戦が記されている。他

方,アッシリア王Shalmaneserがその治世の 18年にイスラエル王の イエフから貢ぎ物を受け取った出来事も記録されている。イエフ朝貢 の年代は,アッシリア暦から紀元前841年と判明している22。即ち,

Qarqarの戦いのアハブ王の年と貢物を納めたイエフ王の年との聞の

年数は 12年となる。

他方,旧約聖書は,アハプ王とイエフ王との聞にアハズヤ王の 2年

間(王上22: 51)とヨラム王の 12年間(王下 3: 1)の治世を記録して いる。ところで,アッシリア,パピロニア,ペルシャにおける王位継 承の年は,accession yearと称され,新王の即位の翌年の一月を第1年 目として治世年を数える方式になっている。しかし,イスラエルでは,

王の治世年数は,即位の次年ではなく王位継承の日をもって一年目と 数える nonaccessionyear systemを採用しているヘ即ち,イスラエ ル王の治世の実年数は,旧約聖書の記事の年数より l年少ないことに なる。それ故,アハズヤ王の実治世は 2年ではなく l年であり,ヨラ ム王の実治世は 12年ではなく 11年になる。それ故,アハズヤ王とヨ ラム王の治世を合わせた年数は 12年間になる。上述した Qarqarの戦 いのアハプ王の年と貢物を納めたイエフ王の年の間隔が丁度 12年間 であることを考え合わせるならば,偶然の結果ではあるが, Qarqarの 戦いはアハプ王の治世の最後の年の出来事であり, Shalmaneserに貢 物を納めたのはイエフ王の最初の年となる。

他方,旧約聖書は,イスラエル王国の初代ヤロプアム王からアハブ 王までの王たちの統治期間を記録している。それによると,ヤロブア ム王の治世が22年(王上14: 20),ナダブ王の治世が2年(15:25),パ

‑140‑

(10)

士師時代の年代決定

シャ王の治世が

2 4

( 1 5 : 3 3 )

,エラ王の治世が

2

( 1 6 :  8 )  

,ジムリ 王の治世が

7

( 1 6 :  1 5 )

,オムリ王の治世が

1 2

( 1 6 :  2 3 )

,アハブ 王の治世が

2 2

( 1 6:  2 9 )

である。治世の合計は

8 4

7

日であるが,

nonaccession year systemであることを考慮し,即位の年の総計 6年 をヲ

i

くと,治世の実総数は

7 8

7

日となる。即ち,ヤロブアム王の即 位は, Qarqar 

( 8 5 3  

B.c.)の戦いから計算すると紀元前

9 3 1

年になる。

さらに,ソロモンの治世

4 0

( 1 1:  4 2

,これは, accession  year  systemによる数字)を加えると,ソロモン王の即位の年は紀元前97l 年になる240 また,ダピデ王の治世の

4 0

年とサウル王の治世の

2

年を 加算すると,王国期の開始は,紀元前

1 0 1 3

年になる。他方,ソロモン

王即位の年を紀元前

9 6 1

年と想定するならば紀元前

1 0 0 3

年になる。

エリがイスラエルを裁いた期間の

4 0

年(サム上

4 : 1 8 )

を士師時代に

加算するか否かの問題はあるとしても,カナン定着からサウル王即位 までの期間は,長く見積もっても

2 8 7

年間

( 1 2 9 0

年一

1 0 0 3

年)であり,

列王記上

6

1

節の

4 8 0

年の記事とかなり隔たっている。即ち,土師 記に記されている異民族の支配期間や士師による統治期間をどのよう

に計算するか,また,列王記上

6

1

節の

4 8 0

年をどのように解釈す るかという課題は,依然として残されている。

( 3 )   4 8 0

年再考

列王記上

6

1

節の

4 8 0

年が,旧約聖書に記載されている年数の算 術計算結果と必ずしも一致せず,また,考古学的な考察から導かれた 歴史的実年数とも一致しないとするならば,我々は士師時代の年代を どのように解釈したらよいのだろうか。第一に想定しなければならな

141

(11)

いことは,土師記に記載されている異民族のイスラエル支配の期間と 士師たちの統治期間が直列的な時系列としての記録ではなく,同時代 の異なる嗣業地において生起した代表的な士師の物語の選択的記載で あるとの可能性を認めなければならないことである。下記の通り,士 師 た ち の 物 語 が 各 部 族 の 代 表 の 歴 史 と し て 収 載 さ れ た 可 能 性 も あ る250

士師の名前 Othni‑el  Ehud  Shamgar  Deborah  Gideon  Tola 

Jair 

Jephthah  Ibzan  Elon  Abdon  Samson 

所在地・関連部族

南ユダのデビル(1:11‑13) ベニヤミン族 (3: 15) 

(アシュル出身?)

ナアタリのケデシュ

( 4 :  6 )  

マナセのオフラ (6: 24) 

イサカル人・エフライム山地のシャミ ノ

レ (10 : 1) 

マナセ(ルベン?)のハボト・ヤイノレ (10 : 4) 

ガド(ギレアド)のトプ (11: 5)  ユダのべツレへム(12: 8)  ゼプルンの人(12: 11) 

エフライムのピルアトン(12: 15)  ダンのツォノレア (13:2) 

同時性や重複性を認めるならば,考古学的考察の示唆する

2 8 7

年間と

‑142‑

(12)

土師時代の年代決定 11 

旧約聖書の記事との年代的な調整は容易である。この問題に関する詳 細な考察はさらに稿を改めて行う必要がある。本論における焦眉の問 題は,列王記上6章I節の 480年の解釈である。

480年が算術計算の結果を示すものではないとするならば,象徴的 概数として記述された可能性が考えられる。 例えば,480年を40x12  の組み合わせとして考える可能性である260 J. Robinsonは,

I

へブノレ 人は荒野を放浪する r40年の間』というように(詩編95: 10), 40年 を1世代と数えた。だから, 480とは40x 12,すなわち,部族連合を 形成したそれぞれの部族の1世代なのである jと説明している27。確か に,荒野での 40年間は世代の交代に要した期間(民32:13)であった。 例えば,人口調査(出30: 14)や兵役(民1:3)においての対象者は 20歳以上の男子であり,また,満願の捧げ物の額は20歳から 60歳ま でが50シェケル(レピ27:7) と規定されている通り 20歳と60歳が 年齢の区切りになっている。即ち,壮年男子の1世代の年数が40年 間であることを暗示している。もし, 40という数を1世代の年数と想 定し得るならば,40 x 12の12の数の単位を部族連合を形成した部族,

即ち,12部族と解する想定は,単位相互の関係が整合せず,計算全体 の意味を無にしてしまう。むしろ, 12の単位を「世代

J

,即ち, 12世 代と想定することの方が40x12の計算に意味を与える。 480年によっ て,出エジプトから神殿建設までの期間が12世代であることが示唆 されているとの解釈である。

この解釈に従って, 12世代の内容について考察してみたい。 前提事 項として,列王記の著者が, 40年の期間を l世代と見積もったこと,ま た,創世記5章やマタイ福音書l章の系図のように異邦人の時代を含

‑143 ‑

(13)

まないイスラエルの世代連鎖が意図されたと考える。そうであるなら ば,明らかに,ダピデ王の 40年とモーセの荒野での 40年は,それぞ れ1世代と数え得る。また,エリの 40年も l世代と解される。さらに,

士師記2章10節「その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると,そ の後に,主を知らず,主がイスラエルにむわれた御業も知らない別の 世代が興った

J 2 8

は,ヨシュアの時代の l世代が過ぎ去ったことを伝

えていると考えられる。即ち,ヨシュアの時代も 1世代と数え得る。

それ故,以上までの合計が4世代なので,土師時代に充当できるのは 残りの8世代ということになる。異民族の支配の期間を無視してイス ラエルの指導者の時代を数えたと想定しているので,

O t h n i ‑ e l

の40 年 を 1世代,

Ehud

の80年 を 2世代,

D e b o r a h

の40年 を 1世代,

G i d e o n

の40年 を 1世代,

T o l a

J a i r

の45年 を 合 わ せ て 1世代,

J e p h t h a h

I b z a n

E l o n

Abdon

3 1

年を合わせて

1

世代,

Sam‑

s o n

の時代を

1

世代と考えての

8

世代が想定され得る。これは,計算 の一つの可能性である。いずれにせよ,考古学的な考察から導きださ れた士師の年代や士師記自体の記事の年代が列王記上 6章1節の 480年と矛盾すると,否定的解釈を施す必要はないと考える。

︑ 迂

l 拙論「士師記の構造と編集J

r E x e g e t i c a  

(聖書釈義研究).1(199912月) 7778

円1円1 つ『早平 Dつり-n以うNつ~~-.,~手 1117耳~1

うNつ~~f1'(.71 1句"口円ワロ'~~:;l

4 主人公被支配年数 土師統治年数 死の記述 Othni el  (3: 9) 

Ehud (:l: 15) 

自主(3: 8)  18年 (3:14) 

40 'lf'  (3: 11)  80 (3:30) 

うNつのぞれ~~1 (3: 11)  n1;i i1 (4: 1) 

‑144‑

(14)

Shamgar (331)  Deborah (4: 4) 

Dideon (611)  otha(9: 7)  Tol(10: 1)  Jair (10:3)  Jphthah(11: 1 Ibzan (128) Elon (1211 Abdo(12: 13)  Samso(13: 24)  Micah (171) thDanites (181) thBenjaminites (191

20 (4:3) 

7 (61)  3 (9:22) 

18 (10:8) 

40 (11) 

士師時代の年代決定 1

40 (5:51)  n~ (4: 22)]  40 (8:28)  [1'1~与別総19'9 (833)  (9 : 54f.) 23年(10:2)  l'1~:j (102)  22 (103) [

hf

略立静:j(10: 5)  6年(12:7)  J;I:;J:l'1~:j (12: 7)  7 (12:9 !華字~ l'1~:j (12: 10 10 (12:11)  J1与狩l'1~:j (12: 12) 

8 (1214) )1平11l'1~:j (1215)  20 (15: 20 16: 31)  il'1i (1630)

5 M.ノーWI日約聖書の歴史文学.! (日本基督教団出版局, 1988年)107111 

6 前掲書,115124 7 拙論,前掲書 8 前掲害,5264頁。

Nothは,ヨシュア記1410節の記事,

r

御覧ください。主がモーセにこ の約束をなさって以来四十五年, イスラエノレがなお荒れ野を旅した 主は 約束どおりわたしを生き永らえさせてくださいました…」の5年間が,申命 記とヨシュア記を相互に結びつける期間だと考える。前燭書,5664

10  Noth リシテ人の支配期間40年(士13:1)がサムエル(ザム上7: 7ff)  によって終結したと想定している。前掲書, 5760

11  Noth 実際の歴史経過の年代ではなく,申命記史家の年代学的体系を解 明するのが目であるとの理由で,サウノレの統?色期間2年間として計算 する。前掲誉,61頁。

12 首

r i

掲書, 62

13 S.]. DeVries, 1 Kings, Worc1 Biblical Comentary, no1(Waco, Texas: 

orcl Book1985), 9394., G. Rice, 1 Kis(Granc1 Rapic1s: Eerclmans.  1990), 4849 

14  oth,前掲書,56 15 前掲害,5556 16  前掲書,59.60

1

r

この数字の背後に隠されているかも知れない,多かれ少なかれ神秘的な

(15)

『意味

J

については,もはや確実には解明され得ないし,そもそもこの数字 にそのような意味が込められているという積極的根拠は,まったく存在し ない。」前掲書, 54頁。

18  K. A. Kitchen, Aηcient Orieηt aηd Old Testament (Downers Grove, II :  Inter Varsity Press, 1966), 57 ‑60. [キッチン『古代オリエトと旧約聖書J

(いのちのことば社, 1979) 77頁。]

19  Ibid 

  . .

20  Ibid. 59‑60. 

21  E. R. Thiele, The AstenousNumbers 0/ the Hebrew Kings: New  Revised Edition (Grand Rapids: Zonclervan, 1983), 69. 

22  Ibicl., 76  23  Ibicl., 43‑44 

24  ソロモン王の即位を紀元前961年と想定する説は,ヨセフスなどの歴史資 京ヰによっている。 D.N. FreedmanThe Chronology of Israel and the  Ancient Near East," in The Bible and the Ancient Near East, ed. G. E.  Wright (N.Y.DoubleDay, 1961), 209‑210., W. F.オー/Pライ j考古 学とイスラエルの宗教j (日本基督教団出版局, 1973年)304 [4J 25  鍋谷尭爾,

r

土師記H新聖書注解』旧約第2巻(いのちのことば社,1977年), 

101‑102

26  DeVriesは,4x12x10の可能性を示唆しているが,それぞれの数字の意味 には言及していない。DeV ries, Ibicl., 93 

27  ].ロビンソン『列王紀Jケンブリッジ注解(新教出版社,1982年)67頁。

28  1'l;l;コげら緑酒中~~l'I1iiiJ j;可ケ均ロ~1

]iiγ1111了氏う「回野口沖101.:1jj1P':l 切っtÇ:与 π申平「ザ怒 π智l11þiJ-口付ロ~1 And all that generation also were gatherecl  to their fathers; 

and there arose another generation after them, who did not know the LORD  or the work which he hacl clone for Israel.  (RSV) 

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参照

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