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Vol.67 , No.2(2019)057楊 玉飛「明空撰『勝鬘経疏義私鈔』の注釈性格」

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Academic year: 2021

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全文

(1)

明空 『勝鬘経疏義私鈔』の注釈性格

楊  玉 飛

1

.はじめに

唐僧明空 『勝鬘経疏義私鈔』(以下『私鈔』と略す)は聖徳太子 とされる『勝 鬘経義疏』(以下『義疏』と略す)の注釈書,即ち注釈書の注釈書である.慈覚大 師円仁は入唐求法の間,五台山を巡礼する際に,『私鈔』を得て,日本に将来し た.その後,『私鈔』は中国で散逸した.「明空」という人は歴代の僧伝に記載さ れていないため,『私鈔』は中日学界で冷遇され,研究成果はわずかである1) それに,これらの研究は殆ど思想の側面からではなく,主に文献学の側面から検 討している.従って,本稿では,『私鈔』において明空はどのように『義疏』を 解釈しているのかという問題に一,二の思想的考察を加え,『私鈔』の注釈性格を 伺いたい. 2

.二種生死と四種生死

普通は,阿羅漢と辟支仏は各自の修行を積み重ね,煩悩を断じ,輪 を超える 聖人になるが,『勝鬘経』では,阿羅漢と辟支仏はいまだこの世の存在に対して 怖れがあり,生死の法を完全に尽くしておらず生死を超えておらず,また修行も 完全になしえていないからまだ断ずべき煩悩が残っており,真の涅槃からはほど 遠いとするのである.即ち, 阿羅漢と辟支仏とは怖畏有り.是の故に阿羅漢と辟支仏とは,餘の生法の盡きざる有り. 故に生有り,餘の梵行有りて成ぜざるが故に純ならず.事,究竟せざるが故に當に所作有 るべし.彼を度らざるが故に,當に所断有るべし.断ぜざるを以ての故に,涅槃界を去る こと遠し.(『勝鬘経』『大正蔵』vol. 12, p. 219下) 通常,阿羅漢と辟支仏は煩悩を断尽して輪 から脱出しており,再び三界内には 生まれてこないとされているのに,本経はなぜそれとは異なる立場を取っている

(2)

のか.藤井教公氏の解説によれば,彼ら二乗を救済して仏とならせようとする意 図から出たものなのである.彼ら二乗がこのまま再生しない限り,彼らはもはや 仏縁に触れる機会がない.それでは彼らは永遠に仏となることはできず,そうな るとすべての衆生を仏とならせるという経の一乗思想を貫きえなくなってしまう わけである2).つまり,本経の一乗思想に背かないよう,また二乗を救済するよ う,二乗を再生させる必要がある.そのため,生死を二種(分段生死と不思議変易 生死)に分けている. 二種の死有り.何等をか二と為す.謂く,分段死と不思議変易死となり.分段死とは,謂 く,虚偽の衆生なり.不思議変易死とは,謂く,阿羅漢と辟支仏と大力菩 との意生身に して,乃至は無上菩提を究竟するにいたるまでなり.(『勝鬘経』『大正蔵』vol. 12, p. 219下) 太子『義疏』では,この部分を解釈して,二種生死を四種生死に分け, 若し生死を辨ずれば,凡そ四種有り.一には,有漏の業を以て因と為し,四住地の煩惱を 縁と為して,感ずる所の果は身色に妙と麁との別有り.寿命に長と短との期有るを名づけ て分段生死と為す.二には,無漏の業を以て因と為し,無明住地の煩惱を縁と為して,感 ずる所の果は身に形色無く,命に期限無く,但だ明を以て闇に代え,念念に新易する者を 名づけて変易生死と為す.三には,有漏の勝善を以て因と為し,三界の餘習を縁と為し て,感ずる所の果は猶お形色有り,寿命にも限有りて,分段に同じきに似たり.念念に生 滅する,亦た変易に同じきを,名づけて二國中間の生死と為す.四には,初めて流來する 時は三界の外に在りて無漏の業無し.但だ闇惑の相傳を以て生死を受くるを,名づけて初 流來の生死と為す.(『勝鬘経義疏』『大正蔵』vol. 56, p. 10中) と述べている.つまり,分段生死・不思議変易生死に二国中間生死・初流来生死 が加えられているのである.勝なる善行を因とし,三界の余習を縁としている. 現れる果がまだ色・形が残っているので,分段生死と似ており,念念に生滅する ので,変易と同じである.従って,このような生死を二国中間生死と命名した. 最初に生じた時,まだ三界の外にあって,無漏の業がなく,過去の闇惑を相伝え てきたものを初流来生死と称した.それでは,『私鈔』はこの「四種生死」をど のように理解しているのか. 「三界中亦有聖人等」と言うは,三果・四向並に未だ界を出でず,故に三界の果報は相望 して粗妙と為し,人人の寿命は同じからず,長短は等しからず,変易の果報に三界の形色 無し.但だ心に明 有り,而して彼土に於いて,一乘智慧の增長を聞くことを得.明を以 て暗に代え,將に新を故に易するなり.

(3)

無名は此の二死の文を釋して云く: 三界に受生するを名づけて虚偽衆生と為す.行の報に 定期有り,期盡せば則ち終なるを名づけて分段死なり.彼の三聖とは則ち然らざるなり. 諸漏を滅除し,報身を捨離し,衆妙の行を借りて,以て其の体を成ず.體は行に由りて成 ず.安に無終を得んや.但だ潛往冥來,其の際を測ること莫し.猶お心の代謝の故に意生 身と名づくるなり.其の修の短に隨い,不善にして終有るに非ざるが故に変易死と名づく るなり.死而して滅せず,豈に思議なるべけんや?(『卍続蔵経』vol. 30, p. 694下) 無名とは,無名氏であり,『私鈔』の記載によれば,明空の前代の人である.『私 鈔』の中で,無名氏の説を75回も引用し,引用文の総文字数は6000余に上る. ここで注意すべきことは,明空はほかの注釈家の解釈を一切引用することなく, もっぱら無名氏の説を引用するのみである.それに,明空は無名氏の説を全部肯 定しているので,無名氏の説を明空自身の説と見ても差し支えないであろう. 従って,ここで無名氏の説をも提示した.明空と無名氏の解釈から見れば,『私 鈔』はただ『勝鬘経』の二種生死を簡単に説明しているのみで,内容には『義 疏』の解釈とは大差がないようである.要するに,『私鈔』は『義疏』の注釈書 であると雖も,『義疏』の二国中間生死と初流来生死とに全く言及していないの で,『義疏』の四種生死説を取っていないと推測することができる. 3

.無情有性と無情無性

中国仏教では,仏性の普遍性について,大体三つの観点がある.即ち,第一 に,部分の衆生に仏性あり,第二に,一切衆生に悉く仏性あり,第三に,無情に 性あり3).「仏性」思想は中国仏教において,大体「一分不成」から「無情有性」 へという発展ルートが見える.「無情有性」説は「仏性」思想の発展途上に現れ た概念で,仏教で重大な理論問題である.「無情有性」の起源について,竺道生 の「生公説法,頑石点頭」の公案に るが,最初に系統的に「無情有性」説を提 出したのは三論宗の嘉祥大師吉蔵である4).その後天台宗の湛然が彼の著作『金 剛錍』に「三界唯心」説,「一念三千」説,「三因仏性」説,「真如遍在」説等か ら「無情有性」説を集大成した.それでは,『義疏』と『私鈔』は「仏性」をど のように見ているのかを見てみよう. 『義疏』の中で,「仏性」の有無について,以下のように述べている. 生死は即ち是れ顛倒なり.如来蔵は即ち是れ真実なり.今一切衆生に皆真実の性有るを明 かす.若し此の性無くんば則ち一化便ち尽きて草木と殊ならず.此の性有るに由るが故に

(4)

相続して断ぜず,終に大明を得.故に生死は如来蔵に依ると云う.(『勝鬘経義疏』『大正蔵』 vol. 56, p. 18上) つまり,一切の衆生には皆真実の性(仏性)がある.仏性があるからこそ,修行 を積み重ね,煩悩を断じて,最終的にさとりを開くことができる.もし仏性がな ければ,草と木とは変わりはなく,さとりを開くことができない.換言すれば, 衆生と草木,有情と無情の根本的な区別は仏性の有無である.『義疏』では,明 らかに「無情無性」と主張している.明空はこの部分をどのように解釈している のか.『私鈔』では, 第七顛倒真実章. 相続不断終得大明 とは,迷と悟とは皆蔵に依るなり.(『卍続蔵経』 vol. 30, p. 694下) 明空は「相続不断終得大明」に対して,ただ「迷いと悟り皆如来蔵による」とい う簡単な解釈を出しているのみである.さとりを開くには,仏性の有無とは無関 係で,主に如来蔵に依るか依らないかということに関係している.無情に仏性が あるか否かに関しては,明空は明言していない.いや,明言していないからこ そ,『義疏』の「無情無性」説を避ける傾向が見えるのではないか.明空が天台 出身であることを考慮すれば,彼のこの態度は湛然の「無情有性」説から影響を 得た可能性が高い. 4

.おわりに

『私鈔』において明空はどのように『義疏』を解釈しているのかという問題に 若干の考察を加えた.(1)『義疏』は『勝鬘経』の「二種生死」を「四種生死」と 解釈しているが,『私鈔』は『義疏』の「四種生死」の二種(分段生死・変易生死) だけを認め,残りの二種に全く言及していない.換言すれば,『私鈔』は『義疏』 の「四種生死」を一応否定しているが,明言していない.(2)『義疏』は「無情有 性」を否定して,「無情無性」と主張している.『私鈔』は「無情」が無性なのか, 有性なのかを明言していないが,その迷悟の を如来蔵に依るか,依らないかと 述べた以上,『義疏』との相違を伺うことができよう. 要するに,『私鈔』は『義疏』の複注であるが,ただ『義疏』を更に詳しく説 明するのではなく,『義疏』の見解と異なるところもある.しかし,『義疏』の解 釈を激しく批判しているのではなく,こっそりと『義疏』の解釈を変えようとし

(5)

ている意図が伺えるが,太子『義疏』を尊敬するため,明確に提示していなかっ たかと筆者は推測する. 1)近年,文献学から『私鈔』に対する成果がいくつかあるが,思想的考察はまだされて いない.例えば,王2016,吉田2013等. 2)藤井1982, 32. 3)兪2006, 258. 4)張2010, 81–82. 〈参考文献〉 王勇 2016「东亚佛书之环流―以『胜鬘经』为例―」『山东社会科学』8: 68–74. 吉田慈順 2013「『勝鬘経疏義私鈔』の研究―思想背景の検討を中心に―」『龍谷大学仏 教学研究室年報』17: 1–11. 藤井教公 1982「『勝鬘経』の世界―中国如来蔵思想史研究の手がかり―」『横浜市立大 学論叢人文科学系列』34(1): 25–49. 張愛林 2010「中国佛教的 无情有性 说」『西南大学学报』36(6): 81–84. 兪学明 2006「 无情有性 说及其天台宗思想体系中的地位再探」『佛学研究』1: 258–269. (本論文は中国国家社科基金青年項目「『勝鬘経』と中国如来蔵思想の展開研究」(18CZJ002) の成果の一部分である) 〈キーワード〉 明空,『勝鬘経疏義私鈔』,四種生死,無情有性 (宜春学院宗教文化研究中心講師,文博)

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