序 不良債権と金融危機
池尾和人
今般の米国発の金融危機に際して,わが国の経験を米国をはじめとした世 界に伝えるべきだという主張がしばしばなされた.しかし,経験を他者に伝 えるためには,自らがその経験を教訓化できていなければならない.そうし た教訓化の必要性を自覚していたがゆえに,今回の研究プロジェクトが企 画・実施されたわけだが,残念ながら,いまの世界金融・経済危機には間に 合わなかった感がある.
その意味では,日本の経済学者(や一部の法学者・政治学者)は怠慢だっ たとの誹りを免れないかもしれないが,われわれが多大の犠牲を払って得た 経験を教訓化する作業は,遅々としているといえども着実に進展していると いえる.本書は,そうした教訓化作業の進捗状況に関する中間報告といえる のものであり,とくに銀行危機の原因と解決過程,およびその実体経済への 影響を取り上げている.
わが国が 1990 年代に経験した金融危機は,その本質において「銀行危機」 であった.それは,日本の金融システムが銀行優位の間接金融体制を中軸と したものにとどまり続けていたからである.そして,こうした金融システム のあり方と実体経済の変化との間のずれが,危機を準備したと見なされる面 がある.このかぎりでは,1980 年代における金融制度改革の挫折が 90 年代 の金融危機の遠因になったといえる.
そうした事情もあって,銀行は本業回帰を謳うようになり,貸出増大に もっぱら注力するようになる.けれども,伝統的な顧客からの資金需要は乏 しいものにとどまっていたので,結果的に「新たな顧客」を開拓することに なった.こうした新たな顧客は,主として金融保険・不動産・建設業に属す る企業群であった.80 年代後半以降の金融保険・不動産・建設業向けを除 いた銀行貸出は,経済成長率とほぼ同じテンポでしか増大していないが,金 融保険・不動産・建設業向けの貸出は,それをはるかに上回るテンポで増加 している1).
日本の銀行は,製造業に属する企業に対する審査能力は蓄積してきていた かもしれないが,この種の新たな顔ぶれの企業に対する審査能力は十分とは いいがたかった.そのために,不動産担保に過度に依存した貸出行動が見ら れるようになる.そして,不動産担保さえあれば,銀行から貸出を受けられ, その資金で不動産の購入が行えるということが,ある種の自作自演的な資産 価格の上昇スパイラルを作り出すことになる.
また,ここで地価の動向が銀行経営を左右するという関係が成立すること になる.この地価変動の原因と影響を探ったのが,第 1 章と第 2 章である. すなわち,「 地価変動に翻弄された日本経済」(櫻川昌哉・櫻川幸恵) は,最初に Schneider and Tornell の 2 部門モデルを改良することでバブル 予想によって非貿易財部門の拡大が起こるメカニズムと,総量規制によるバ ブル崩壊を説明している.続いて,BIS 規制,追い貸し,信用収縮の実証分 析を展開している.そして地価の下げ止まりと上昇が不良債権問題を解消し ていく原因となったことが明らかにされる.このように,バブル崩壊から景 気回復への期間は,地価の上昇と下落によって日本経済が翻弄された期間で あったことが明らかになる.
また,「 土地税制と地価の変動」(山崎福寿)は,固定資産税と土地譲 渡所得税ならびに関連する税制・制度が地価形成に対して与えた効果を検証 することを目的としている.第 1 に,固定資産税は地価変動を緩和する効果 があるが,実効税率の低さから実際には効果は期待できない.第 2 に,土地 譲渡所得税は買い換え特例によって緩和されているものの,地価を引き上げ,
その変動を大きくしている.第 3 に,1970 年代以降の東京の市街化区域に おける税制の影響(とくに長期営農継続農地制度)によって農地の売却が顕 著に抑制され地価上昇の原因となったことが明らかにされる.
不動産バブルの崩壊後は,日本の銀行部門は膨大な不良債権を抱え込むこ とになり,全般的な経営困難に陥る.しかし,この不良債権問題の解決には, 結果的に 10 年以上の長期間を要してしまうことになる.この原因について 第 3 章以下の諸章で検討が行われる.
「 銀行破綻と監督行政」(池尾和人)では,まず問題を抱えた銀行が大
量に出現してしまった後での最適な政策対応のあり方はいかなるものである かについての理論分析を行っている.すなわち,いったん発生した不良債権 問題に対して,監督が厳しければ銀行の問題隠蔽およびギャンブル的行動を うながすのに対して,緩い監督はモラルハザードを招く.このトレード・オ フのなかで,多くの銀行が不良債権問題を抱えた日本の場合,前者の問題が 後者の問題を凌駕し強い監督を困難としてしまった.
この分析結果の興味深い点は,経済的に望ましい政策対応のあり方が政治 的にはもっとも受け入れられがたいものである可能性が高いことである.こ の点は,第 7 章と第 8 章の分析と関連している.また第 3 章の後半では,日 本では銀行破綻法制など制度的対応がまったく不備であったことが,不良債 権問題の長期化の原因となったことを指摘している.この制度面の不備につ いては,借り手側の企業に関する破綻法制の面が第 4 章で,貸し手の銀行に ついての破綻処理制度の面が第 5 章でそれぞれ分析される.
すなわち,「 借り手企業の破綻法制と銀行危機」(田中亘)では,1990 年代末以降に始まった借り手企業の破綻法制整備は,法的整理,債務の証券 化,私的整理ガイドラインの導入,債務免除を容易にする税制改正によって 大きく進展したことが確認される.この結果,破綻処理は円滑に実行できる ようになっている.それ以前の段階では,不良債権の開示・処理に関する制 度が不十分であり,銀行の側に破綻処理を進めるインセンティブ(誘因)が 存在しなかったことが,破綻法制整備を遅らせたと考えられる.
「 銀行の経営悪化と破綻処理」(深尾光洋)は,不良債権問題の発生は
が不備であったことが,処理を先送りした原因であると考えられるとする. だが,1998 年時点でこの問題はクリアされたにもかかわらず,当局は国営 化によって従来の経営陣以上にうまく破綻銀行を再建する自信を欠いていた ことが,さらに処理の先送りを許す原因になったものと思われる.
なお,「 生命保険会社の経営悪化」(植村信保)では,銀行と同様に経 営困難に陥った生命保険会社を取り上げて分析している.1990 年代,バブ ル崩壊のなかで生命保険会社の経営危機が起こり,中堅 7 社が破綻した.直 接の原因はバブル崩壊ではあるが,その背後には 80 年代における予定利率 引き上げ,契約者配当の引き上げ,中堅生保の規模拡大競争という経営リス ク引き上げ要因が作用している.さらに,個別企業の破綻事例を精査すると, ビジネスモデル,経営者,組織など個々の企業に固有の問題も大きな影響を もっていたことが明らかになる.
民主主義社会においては,実施可能な政策は政治的に許容可能なものに限 られる.換言すると,たとえ経済的観点からは合理的で適切な政策だと考え られるものであっても,世論の激しい反発が見込まれるようなものは,政治 的に許容されず,したがって実施することはできない.その例が,1990 年 代半ばまでの公的資金投入であったといえる.不良債権問題の解決のために は公的資金投入が必要なことは,比較的早くから指摘されていた2)にもか
かわらず,国民の反発を恐れて政治決断はなかなかなされなかった. しかし,危機がいっそう深まり,1997 8 年に大手金融機関の連続破綻と それにともなう実体経済面への困難の波及(貸し渋りによる資金繰りの逼迫 など)を経験した後は,国民の認識が大きく転換し,公的資金投入が政治的 に許容されるようになる.そうした転換はさらに進行し,その後は,より積 極的に公的資金投入を行って不良債権問題を早期に解決すべきだというのが, 世論の主流を占めるようになる.
そうした世論の動向に応えるかたちで,2002 年 9 月に竹中平蔵氏が金融 担当大臣に就任し,「金融再生プログラム(通称・竹中プラン)」を打ち出し て,より強硬な姿勢で不良債権問題の解決に取り組むこととなった.こうし
た過程を分析したのが,「 公的資金投入をめぐる政治過程――住専処理 から竹中プランまで」(久米郁男)である.
この第 7 章では,公的資金投入に対するマスコミ論調,世論の対応を見て いくなかで,政治的反発の強い政策がどのように実施されたかを検証してい る.その結果として,金融危機が本当に深刻であることを世論と政治アク ターが認識することが重要であることがわかる.さらに,公的資金投入をよ り大きな政策パッケージの一環として提示することが,実施を容易にするも のであることが明らかにされる.
竹中プランでは,2005 年 3 月末までに不良債権残高を半減させることを 目標として掲げていたが,その目標は見事に達成されることになる.こうし た「成功」は,いかなる理由によってもたらされたものであろうか.竹中プ ランは,その前任者であった柳沢伯夫氏の路線がソフトランディング的なも のであったのに対して,ハードランディング路線をとるものだと政治的には プレゼンテーションされていた.しかし,その実質は必ずしもそうではな かった.そのことは,2003 年 5 月のりそな銀行の処理を通じて明確になる.
「 不良債権処理政策の経緯と論点」(西村吉正)は,こうした事実をむ
しろ肯定的に評価するかたちの分析を提示している.すなわち,日本の不良 債権処理が遅れた原因として,「ソフトランディング路線が問題を先送りし たことが処理の遅れの原因であり,ハードランディング路線への転換によっ て処理が急速に進んだ」とする意見が有力である.だが,初期のソフトラン ディング路線が成功しなかった理由は,海外投資家が日本政府の資本調達能 力に疑念を抱いていたことである.そして,金融再生プログラムは公的資金 投入によるソフトランディング路線への転換として機能し,金融システム安 定化を実現したと評価できるとする.
良債権を解消させた最大の貢献者である可能性は否定しがたいからである. そこで,「 長期不況と金融政策・為替レート・銀行信用」(深尾光洋) は,不良債権問題が深刻化し,ついに解決されるまでの時期におけるマクロ 金融の動きを総括している.その基本的な着目点は,日本経済が 1990 年代 に長期不況に陥った原因は 95 年ごろからの(GDP デフレータでの)デフ レーションの発生と持続であり,それが金融政策の有効性を失わせた原因で あるというところにある.金融政策の目的は安定した経済成長の追求にあり, 物価安定はその手段である.つまり,インフレ目標それ自体は経済安定の必 要条件ではあっても十分条件ではない.金融政策は,物価安定の範囲内で, その他の目標実現のために運営されるべきであるということになる.
続く 2 つの章は,不良債権問題が実体経済に及ぼした影響について実証的 に考察している.資産価格の変動は,直接的には所得再分配効果をもつだけ である.すなわち,資産を売却した者の得た利益(損失)はそれを購入した 者の被った損失(利益)に等しく,社会全体で見ればゼロ・サムにしかなら ないはずである.にもかかわらず,バブルの発生が実体経済に悪影響を及ぼ すことになるのは,少なくとも 2 つの理由が考えられる.
1 つは,社会全体で見ればゼロ・サムであるとしても,資産価格の変動が 規模の大きなものであれば,結果的に生じる所得(あるいは冨)の再分配も 大規模なものになる.そして,資産を著しく毀損した者は,資本市場が不完 全であれば,差し出せる担保が少なくなる等の理由から資金調達が制約され ることになる.あるいは,倒産にともなって混乱が生じる等からコストが発 生する場合には,倒産を回避しようとする強いインセンティブが生じ,それ によって実物活動面での決定に歪みがもたらされる可能性がある.
誤ったメッセージ(信号)を企業や家計に送ることによって,(あるいは, 資産価格のバブルをもたらした過度に強気の成長期待といったものが直接に 作用して)実体経済面での歪みを作り出すことになるという点である.たと えば,わが国の場合には,民間設備投資の GDP にしめるシェアが,1980 年 代の前半には 13%前後であったものが,90 年度には 19.34%まで拡大して いる.これによって,過剰資本ストックが形成されることになった.
一般に資本ストックには,汎用性が乏しく特定の用途にしか使用できない ものが多い.その場合,需要構造との適合性を失ってしまった資本ストック については,物理的減耗(physical depreciation)はまったく起こっていな かったとしても,経済的には意義がなくなっているという意味で,非物理的 減耗(moral depreciation)が起こっていると把握しなければならない.
「11 不良債権で失われた資本と産出」(櫻川昌哉・渡部善次)においては, こうした観点から,処理された不良債権は経済的減耗として資本ストックか ら除却すべきであると主張される.これを実際に行うと,1990 年以降の資 本係数は横ばいあるいは低下していることがわかる.この結果,こうした処 理をしないデータから算出された TFP は 38%過小評価されていることがわ かる.さらに,この不良債権を適切に再配分していた場合には,GDP 成長 率は最大 1.2%上昇することを示すことができる.
これらの分析から,不良債権の発生が日本経済に及ぼした悪影響の大きさ は改めて確認される.
最後に,日本が深刻な金融危機にあった 1997 年には,アジアにおいても 通貨危機が発生し,大きな混乱がもたらされた.このアジア通貨危機の経験 を踏まえたうえで,今後のアジア域内での資本移動のあり方を検討したのが, 「12 バブルとアジアの資本移動変化」(吉野直行・飯島高雄)である.そこ