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l 川喜

ドキュメント内 絵解きと縁起のフォークロア (ページ 48-58)

本堂

I~占

1

図⑤ 高力種信が描いた信行l徒における高回山開帳見取図 (r於信行院善光寺開帳jにより

筆者作成、種信は参詣の経路を破線で示している)

48 

屋があり﹁御縁起﹂という札が下がって案内さ れている︒ 信行院における高田山専修寺の開帳 (r於信行│淀善光寺開帳J東洋文庫蔵)

まず︑本堂の前の焼香場で冥加銭を投げて抹

香の焼香をする︒本堂の入口では︑﹁御内陣入

は十二銅で御座る︒﹂﹁これのうてハ︑内ぢんへ

ハとをれませぬよと声がかかり︑十二文で沈

香を求める

︒ ﹁

於信行院善光寺開帳﹄

に﹁

一 工 ハ

うどん﹂が見えるので︑拝観料はうどんと同じ

値だったことがわかる︒五角形の沈香の小袋を

切手として︑それを内陣入口で渡して拝観する

が︑参詣者が多く︑﹁サアどなたも︑御かわり

候成

れ︑

/

¥/¥︒﹂とかわるがわるの拝観と

追い立てられる︒内陣では一光三尊仏と呼ばれ

る善光寺式の阿弥陀三尊像を拝観する︒

内陣

縁起のメディア

は左から入り︑右に下向する︒

下向道では梓着の同行衆が﹁ゑんぎミかげハ︑

是から出ます︒﹂と言って高田山の略縁起と

光三尊仏の御影札を販売している

︒ ﹃

猿狼庵日

49 

記﹄には︑﹁御影十二銅︑縁起廿四銅三枚とぢ

帳︑略縁起六銅一枚︑数珠等を出す所有

り ︒

此御かげゑんぎ請参り︑所持﹂とあり︑高力種信はそれらを求めて

いる ︒

50 

下向道の延べ橋

(渡

り廊)

では

︑﹁

如 来さまの御さがりをいたずき候成︑御こ︑ろざしにはをよびませぬよと

︿

言って︑同行衆が御供物(御仏供)のお下がりを無料で頒けているので︑みなそれをいただく︒ 次に︑右の廊を渡って客殿の霊一宝場に行くと︑十二品目の宝物が陳列されている︒霊宝場では︑宝物の解説 が行われている︒高力種信はこれを﹁ゑどき﹂と呼称している︒

﹁御絵伝弘の小屋﹂で御絵伝の絵解きを聴聞する︒ 宝物をすべて拝観すると︑玄関から外に出て︑

霊宝場から善光寺如来絵伝の絵伝場に至る様子を︑文政九年の滑稽本

︿

うに描かれている︒折助と都鹿斎が開帳に参詣して本

尊一

光三尊仏を拝礼すると︑

講中﹁御拝が済

みま

した

ら︑

霊宝へ御つめ被成へ︒﹂

︿

かいさんしやう

︿

ゑどき﹁聖徳太子十六歳の御木像ハ︑御開山聖人の御作︑阿弥陀如来ハ︑宅間法眼の筆なり︒﹂

講中﹁次の霊宝ヘ御廻り被成ませ︒﹂

︿

たい

E ぜ い

とろくさい﹁愛ハ御絵解もはじまらん︒﹂下札に十一面観世音︑弘法大師之御筆

︑札

を見 て居 る所 へ参 りの 大勢 お

しこむ︒﹁これハたまらん︑次へ出ましゃう︒﹂

おりすけ﹁ゃれ/¥︑ういことに逢って出た所がこ︑もびっしりさ︒﹂

でん

とろくさい﹁これハ御絵伝で︑遠目にハわかりかねる︒﹂

&

おっつけ講中﹁殿方も御下に御ざれ︑追付御ゑんぎがはじまります︒﹂

ゑどき﹁そも/¥︑此四幅の絵伝ハ一光三尊の如来︑応現の由来を画きあらはしたる所にして︑

光信が筆なり︒﹂

参り の人 音

︑ じ

ゃ ら

(︒ ﹄﹃高田山開帳参案内図会

では

次のよ

佐 将 監

&

講中﹁殿方も御静に被成へ︒﹂

︿

おりすけ﹁これでハ御絵解も口のいごくを見ておるのさ︒﹂

と︑あまりの参詣人の多さに︑登場人物の都鹿斎と折助は霊宝や絵伝の絵解きの拝観はせず︑先年の開帳で聞い

た善光寺如来絵伝の絵解きの内容を語りながら︑境内の見世物の見物に向かう趣向となっている︒

四 高田 山の開帳における略

縁 起 の 変

ここで縁起が読み上げられたかどうか

&J

t ︑

︿

は記されていない︒しかし︑文化三年(一八O

六)

﹃紀州那智山開帳

﹄[

叩]

には

︑﹁内々陣へハ玄関にて切手を

︿

受て入なり︒那智山の僧衆一巻の縁起をひらきて高声に是をよむ︒其文談ハ板行の略縁起に同じければ愛にあら 高田山

の開

帳で

は︑

信行院の本堂で本尊の略縁起が販売されていたが︑

わさず︒﹂とある︒開帳では︑本尊を前にして略縁起が読み上げられ︑それが売られていたのである︒

高田山専修寺からは年代を異にして数種類の略縁起が板行された︒そのうち現在確認できる最古のものは︑享

保十四年

( 一

七二

九)

﹃古

一向

田山

略縁

﹄[

日]である︒その前半には︑親驚が元仁二年(一

一 一

一一

五)

に下

野に

至つ

て草庵を結び︑善光寺如来を夢想感得して如来堂を建立して高田山専修寺を草創したという一光三尊仏の縁起が

記されている︒それに続く後半には︑親鷲が京都にもどった後の高田山専修寺を︑二世真仏・三世顕智が継承し︑

親鷲の霊廟を築いたが︑十世真慧が文明年間(一四六九1一四八七)に下野の高田山専修寺を本寺として残しな

がら︑高旧派本山は伊勢の一身田に移してその地に専修寺を建立した︑という真宗高田派の起立と沿革が記され

ている︒その本文は十丁で︑本文中に﹁今開帳せしむる本尊是也﹂とあり︑巻末に宝物として親鷲真筆の書物や

こうみよう親鷲の遺骨を拝観させる旨の注記がある︒特に︑京都六角堂で救世観音から授かった告命を記したという﹃親鷲

縁起のメディア l

夢想記﹄は﹁聖人真筆﹂とさ

れ ︑

真宗吉岡田派の秘伝で容易に他見を許さな

いが

﹁ 当

世の人多く此御夢想記有か

無かの間に猶予せるがゆへ﹂特別に拝観させるという︒親鷺が六角堂で受けた夢告の真実性を示すものとして︑

は近世には親鷺の真筆とされていた︒この夢想記は︑もとは真仏が記した﹃経釈文聞書﹄に収め

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﹁親鷲夢想記﹂

られていたものだが︑そこに付された付護には︑享保十四年の京都での出開帳に際して︑同書から夢想記だけを

切り取って掛け物に仕立てたと記されている

[ 日 ︒

したがって︑

﹃ 高

田山略縁起﹄もこの京都出開帳に際して作

成されたものであった︒

安永六年の開帳の時に︑名古屋の儒学者中村習斎

( 一

七一八1一七九九)もこの開帳に参詣して略縁起を求め

た︒それが名古屋市蓬左文庫蔵中村文庫に収められている﹃下野高田山御縁起﹄である︒その本文は三丁である

ので︑﹃猿狼庵日記﹄にいう﹁縁起廿四銅三枚とぢ帳﹂に相当する︒表紙には﹁安永六年丙七月︑於巾下信行院

披露︑別ニ宝物目録壱枚﹂と朱書があり︑十

二の

﹁宝物品﹂を墨書した紙片を付している︒

巻末

には

﹁安

︑水

六﹂

と刻記があり︑この年の開帳に際して板行された略縁起であった

︒ ﹁

下野高

田山

御縁起﹄は︑本文三丁の﹃高田

如来続略縁起﹄

[ 日

と同文であり︑同版または改版の関係にある

︒ ﹃

高田如来続略縁起﹂は︑先の十丁の﹃高田

山略縁起﹂から︑前半部の高旧山専修寺の草創と一光三尊仏の縁起の部分にあたる三丁分だけを抜き取って簡略

化し︑﹁続略縁起﹂と改題して別個の略縁起として製作したものである︒つまり︑寺院の草創・縁起・沿革・宝

物を記すやや厚みのある総合縁起は︑開帳を契機として︑内容を開帳本尊に焦点をしぼり︑開帳専用の三枚綴じ

の略縁起に改変されたのである︒これによって開帳本尊の前で︑広く民衆が求めやすい安価な略縁起となった︒

安政六年

( 一

八五

九 )二

月の名古屋での出開帳では︑細野要斎が信行院に参詣し︑﹁天拝一光三尊仏︑中央一

尺二三寸︑両努は一尺許︑縁起別冊あり︑玄関の傍にて御影及縁起・霊験記等を売る︑霊験記は表紙をつく︑

冊弐百文なりと云︒﹂と記している

(﹃ 感興

漫筆

二十 二) [目

︒略縁起のほかに大部の霊験記も売られていたらし

安政六年の出開帳で頒けられた略縁起が︑天拝一三尊仏略縁起﹄である[日これは本文五丁で表紙を付﹃光︒ 。

し︑内容は﹃高田如来続略縁起﹄とほぼ同文であるが︑その三丁分の本文は四丁にわたり︑親鷲が一光三尊仏を

感得する絵図一丁が加わっている

︒﹃ 天

拝一光三尊仏略縁起﹄には︑﹁安政六年巳未三月廿一日より浅草唯念寺ニ

おいて開帳有之﹂と墨書がある

︒ ﹃

武江年表﹄には︑下谷唯念寺で高田山専修寺の五十日間の開帳があったとあ

る︒﹁天拝﹂とは一光三尊仏を宮中に参内させて出開帳し︑そこで天皇

の拝

礼を受けたことを指している︒

その

初例は延享二年

( 一

七四

)の桜町天皇の拝礼であるので︑安永六年の開帳の時の峨には﹁天拝一光三尊仏

﹂と

見える︒その後も︑安永六年に後桃園天皇と先に退位した後桜町上皇

が ︑

天保

十三年に文化六年に光格天皇が︑

仁孝天皇が拝礼した︒そのため︑安政六年の﹃天拝一光三尊仏略縁起﹂

では

﹃ 高

田如来続略縁起﹂

︿

h u

hu

/

¥

︿

﹁辱も世々の天子王の冠を傾け礼拝なしたまふ尊像︑なれパ︑各宿善深厚のしからしむ の本文を記

した後に︑巻末には︑

︿

る処と歓喜の思ひをなし参詣恭敬専要なり﹂という文言が加えられている︒こうして開帳本尊

の略

縁起

は︑

天皇

が拝礼した事実を加えることで他寺院の開帳仏にはない差異を強調し権威を高めた︒

いわ

ば開

帳に

おけ

るや

フラ

ド化をなしとげたのであり︑天皇との関係は近代の出版物になるとさらに強調された昆

] ︒

物の

﹁エ

トキ

安永六年の高田山開帳では十二品目の霊宝が陳列された

︒﹃ 猿

推庵日記﹄

によ

ってその品目を示し︑()

内に

は︑それに相当する現在の真宗高田派本山専修寺(三重県

津市

)所蔵の宝物を注記する︒

﹃親鷲聖人御絵伝

﹄(

﹃善

信聖

人親

鷲伝

絵 ﹄

︹高

田本

親驚

伝絵

︺巻

国指定重要文化財)・﹁唯信紗﹄(親驚筆

国指

~起のメディア

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