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一ー │

ドキュメント内 絵解きと縁起のフォークロア (ページ 72-79)

日立皇室人龍の口御維の絵相二幅、

E

[ ー ‑

(第三区)

E

関 厄 敷 ・

難 皮 運 除 石

{ (第四区)ーー一一一

一 ‑

南‑

主 計

妙‑ 法‑ E

下向道

図⑬ 玄乗寺における龍口寺の霊宝開帳

a

龍口寺霊宝開帳記jによって筆者作成、 .は絵 解き師及び案内人と楚の向き、→は111買路)

f日蓮聖人龍の口御難の絵相jの絵解き (r龍口寺霊宝開帳記j西尾市岩瀬文庫蔵)

72  図⑬

いた図の画中頭註に︑

︿

是より霊宝場のていなり

其絵解の詞を採てあらましの縁起を知らしむ

但し長文なるは略して其要を演ぶ

ふは

・ ・

・な り

︒﹂ と い う よ う な 絵 解 き 師

(絵解)

とし

て︑

﹁これにか︑れ玉

た ま

による

霊 宝 解説の詞章を略述 している

掛帽の右前には︑楚を持

って

第一

幅を指す持着の絵解き師が描かれている

[図

⑬]

︒﹁

御難の絵相

は︑捕かれ た人物の大きさから比較すると︑か・なり大きなもののようである

掛幅画の上部には︑龍ノ口法難のことが七

八匂二連の画讃として記され︑下部には画銘が記されている

高力種信はこれを次のように写し記している

前に画し龍の口の御難の絵相の賛︑つつし︑井に

筆 者 の名判左の如し

更人倫少有深思 記得乾坤宇

中裏延享三年丙寅九月良辰

殿神慮前後疑 館城妓佐古今奇

相州龍口之惣堂

奉納之 鎌倉大路渡達岐

染章

︑王

名越小庵報描出 底事相州罪正師

自非楊是最張賞

賜糸雨山

日光(花押)

日尊( 湊

花押

) 其

宝物の展観と絵解き 73 

剣折武乱免害新 江嶋騒動夜光現

前主此品

に 所E

2

にろ

じ名な判日

f

すす

i

あ り

74 

金吾兄弟欲棄身

熊王

一人

一保

湿

桟妬貴賎死海浜

致囲兵士赴龍口

忠言逆耳益成膜

課国主年月難偵

B?

この掛幅は︑延享三年

(一

七四 六

)

九月の法難会に奉納されたものである

︒彩色について︑﹁此会相(絵相)ハ︑

M︿

もっともじうず

極ざいしきにして

ふり沙子あり

尤 上 手 の 画 な り ょ と 注 さ れ て い る

︒﹃

龍口寺霊宝開帳記

﹄の中に描かれた

掛幅画は細密に彩色が施されており︑原本の彩色の様相をうかがうことができる

第一幅は鎌倉が描かれている

︒上段は鶴ケ岡八幡宮の下馬橋での社頭諌言の場面︑中段は市中引廻しの場面︑

下段は鎌倉殿中での光り物異変の場面である

第二幅は龍ノ口が描かれている

︒上段は龍ノ口より眺望した江の

島の光景

中段は日蓮頚座での龍ノ口明神よりの光り物異変の場面

下段は赦免の使者が金洗沢で対面する場面

一幅を三段に分け︑

掛幅ごとに場面の場所を固定して︑鎌倉と龍ノ口それぞれの場所における時間的流

である︒

れを上から下へと描いているのである

︒高力種信は︑

掛幅画に付して絵解きの詞章を記録している

絵相の見取

り図[図⑮

]と詞章とを番号で示して次に掲げる

︿

文永八年

月十二日

龍口御難のていなり

(第一幅)①初の所ハ︑

高祖大士鶴が岡へ御参詣ありて

法花経の行者にか様の難ある事ハと︑八幡宮へ御

︿

ふそくを仰らる﹀所なり︒②此所ハ︑もったいなくも高祖大士を御馬にのさせ︑鎌倉を引わたし︑龍の口へ

とけいごの武士あまたつきそひまいらするていなり︒

( 第 二幅

)③然れ

ども

︑ 天神ハ天変︑地神ハ地妖を現じ給ひ︑すでに御首をはねんとする時︑俄に震動おび

(

たりし光りもの飛来りて︑ふりあげし太万ハ段々に折︑けいごの武士ハこと

F ¥

く血を吐てたおる︒④此騒

艇にも︑町松ハつ﹀がましまさず︒御側にハ︑熊王丸︑金吾兄弟なげきかなしむていなり︒⑤此ふしぎによ

って御首がうてぬ由︑ちうしんとして鎌倉へ馬を飛して申上ける︒

(第

一一 幅)

⑥又

︑殿中にも光りものあらハれ︑空に大

音ありて︑正法の

行者をさらば︑子孫絶べしと呼ぶ︒

( 第 二幅

)⑦これに驚き︑御赦免状を龍の口に告らる

︒③其

使者と龍の

口よりちうしんの使と行合ひし所を︑今に行合川と号く︒

hu

( 赦

免状

)則その御赦免状とハこれなり

︒その文言に目︑御下知の赴︑

しゅでん必んやかたにおいてだいもつけともニれありちれんほふしちうすべからざるのよしなんでうしちらう舎もって

於 守 殿 御 館

︑ 大 物 粧 共 有 之

︑ 日 蓮 法 師 不 可 諒 之 由

︑ 以 南 条 七 郎

おふせいださる?ところくだhu

︿

被 仰 出 所 如 件

︑ 九 月 十 二 日 平 左 衛 門 尉 殿 信 濃 判 官 入 道 観 正

在判

と︑

一一一 ~~

(赦免状)

図 川 U

u

⑤ 

③ 

此御

︑つ つ

しがこれから出ます︒

この詞章は︑高力種信が﹁絵解の詞を採てあらましの縁起﹂

宝物の展観と絵解

を記したも

ので

あり

︑ 実際の絵解きの口演よりは省略されたものが記されている

︒あ

るいは︑開帳場で次々と入れ替わる参詣者に向けて行われた絵解きは︑こ のような略述の絵解きでもあったろう

︒霊宝場においては︑掛幅画も霊宝

7

図⑬

のひとつとして解説されたが︑それが説話画の場合は絵解きとなった︒

第一幅は鎌倉︑第二幅は龍ノ口が描かれているため︑物語の筋が鎌倉と龍ノ口とを往復するごとに︑両幅を往

復して絵解きされた︒絵解き順は︑

おおむね上から下へと移り︑鎌倉と龍ノ口を移動するときは︑両帽の聞を左

76 

右へ同じ段で移勤し︑さらに下へと移った︒

両幅の聞には︑龍ノ口法難の重要な

重宝

である﹁御赦免状﹂[7]

置かれ︑掛幅の絵解きの最後には︑画中で絵解きされた赦免状が︑形ある現実のモノとして解説された

︒赦免状

に幕が掛けてあるのは︑霊宝を珍重するためばかりでなく︑絵解きの最後に感動をよびおこすためでもあ

ったろ

ぅ︒絵解きのあとには︑

その拝礼の記念として赦免状の写しが頒布された

さらに次の間では︑同じく法難の遺品重宝である敷皮の石の拝礼があり︑その功徳が語

られた︒

︿

当寺第一の霊宝敷皮の石と申ハ

これなり︒

高祖大士龍口に於て︑御首をうち奉らんと︑此石の上に居まい

悼んよけかいつんおん

らせしが

︑ さ ま /

ノのふしぎ奇瑞のあるによって¥

︑ 危 難 を 免 さ せ 給

ふ︒これによって︑厄難除関連の御

&

守りとも称する霊宝な

り︑

剣難 除の {寸 ハ

これか

ら出ます

L E

¥

L

此石に身をふる︑者ハ︑剣難を免る︑と

ひて︑参詣の人々所持の数珠をかの石にす

つけ

して信仰する輩多し

亦︑此石の形を判

(板)行に図して売る︒ 身の守と

﹃御難の絵相﹄の絵解きによって説かれた日蓮の事跡や寺の

縁起 は︑ 描かれた絵や語

られた物語の中にあった︒

しかし︑絵解きの後で︑掛け布の下から立ち現れたのは︑絵や物語の中から抜け出してきた赦免状の現物であっ

た︒これは物語世界の具現である︒次の間では日蓮が座っていたという敷皮の石が展観され︑日蓮の奇跡の物語

は︑これらの現物がその証拠となって︑真実性をもって人々に受け入れられた

︒物語は︑絵によって平面の具象

となり︑霊宝によって立体の具現となったのである

敷皮の石に触れると剣難除け

[8]

になるという信仰によ

って︑剣難除けの守りや敷皮の石の影

札が頒布され︑現世利益の信仰が広め

られた︒さらには︑開帳の主目的で

ある勧進冥加を加

えることに役割をはたしたのである

︒現在の龍口寺には︑このような掛幅は所蔵されておらず︑

かつて存在したという記録や伝承も残されていないという︒明治期には﹃龍口御難縁起﹄[9]が龍口寺から刊行

されたが︑現在ではわずかに境内の五宝塔の浮彫り彫刻[叩]に龍ノ口法難の場面が見られるだけである︒

﹃日蓮聖

人龍の口御難の絵相

﹂の成立

﹁御難の絵相﹂の成立を検討するために︑それ以前の絵をともなった日蓮伝との比較を行ってみよう︒日蓮伝

における最初の絵詞伝は︑鎌倉妙法寺の日澄

( 一

四四

01

一 五

一O

)

によって製作された﹃日蓮聖人註画讃﹄(以

下﹃

註画

﹄ )

である︒これは︑日蓮の伝記を五巻三十二項目に分かち︑絵と漢文の絵詞で成る絵巻である︒原撰

木は現存せず︑天文五年

( 一

五三

六)

に安立院日政が原本に改変を加えて製作したものが︑京都本因寺に現存す

る(

漢文

) ︒

他に︑本因寺本系と

して

︑岡山妙見寺本(

漢文

)・伊豆実成寺本(

漢文

)・池上本門寺本(

和文

)・鎌倉

安国論寺本(漢文)がある︒また︑本国寺本とは別本系として︑京都妙顕寺本(

和文

)・雑司谷本納寺本(

和文

)・

千葉鏡忍寺本(

漢文

)がある[日

︒ ﹃

註画讃﹂は︑近世になると漢文体と和文体のものが刊行され︑とくに和文体

のものは挿絵を増やし︑画主文従の仮名草子として︑寛永期

(一

六二

四j一

六四

)ごろに刊行された[目︒後代

の版本となった絵入りの日蓮伝は︑すべて寛永期版本の﹃註画讃﹂によっている

[ 目 ︒

本国寺本絵巻と寛︑水期版

本とを比較すると︑章段が相違し︑絵柄も似ておらず︑むしろ︑版本の方が日澄原撰本系の本文によっているも

のとみられる日

] ︒

龍口寺の﹃御難

の絵

相﹂と絵巻や版本の﹃註画讃﹄諸本との絵柄を比較すると︑﹃御難の絵相﹂は本国寺本系

たつのくち︿び絵巻の巻第三﹁第十七龍口頚座﹂の一連の絵に酷似している︒両者を対応させると次のようになる

( ﹃

御難

の絵

相﹄

の番

号は

図⑮

に対

応し

てい

) ︒

宝物の展観と絵解 77 

ドキュメント内 絵解きと縁起のフォークロア (ページ 72-79)

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