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:た張札が下がり︑﹁高田山絵縁起四幅﹂が掛けられている︒境内に仮設された絵伝小屋で︑善光寺縁起三福と
高田山縁起の一幅を含めた四幅の﹁高田如来伝﹂の御絵伝が︑僧四人で絵解きされる[図⑨]︒絵伝小屋の裏側に
は絵解き僧の休憩所があり︑休みをとりながらかわるがわる絵解きをした︒﹁どなたもお下にござりませ︒只今
{ 耳 加 )
御縁起がはじまります︒﹂と同行衆の案内があり︑﹁御めやうがを上られませ︒﹂と勧進柄杓が差し出される︒参
詣者は座って絵解きを聴聞する︒﹁猿狼庵日記﹂に記された御絵伝四幅の梗概と︑﹁於信行院善光寺開帳﹄に記さ
れた第一幅の梗概を示す︒省略や欠字があるので
︿ 聾 笹 } お う げ ん
︿ 由 米
} {
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) (
情 )
三尊仏︑しゃば応現のゆらいを画たるかけ物四幅︒始(第一幅)︑天竺月蓋長者の事より︑百さい国へ渡り︑
︿蝿
城 山 ) (
金 刺 )それより日本え舟にて渡し奉る所まで︒(第)二幅︑日本大和しきしまかなざしの宮にうつり玉ふ事より︑
︹ 温
的
) (
峰 雄
}
(聖 徳) 太子
︑(物部)守屋をたいじ給ふ事まで︑此内になにわ堀江にしずみ給ふ事あり︒②
(第 三幅 )本 田
︿
瞥 止
U寸
) (
感 得
}善光がぜんかうじ寺成就せし事迄︒⑮(第四幅)高田山の起より︑上人夢想︑よってかんとくの事︑専修寺
︿絵 解 き )
成就の事迄︒右僧衆替り/¥ゑどき有之候︒
)で 補っ てお く︒
(﹃
猿狼
庵日
記
﹄)
第
(幅
) 下のかたを(絵解きの)初とす︒
天欣 一二 月蓋 )長 者か (が )
願望によりて︑釈
尊︑ (目 連) を竜 宮
につかわし︑ゑんぶだごんを得給ひ︑二仏の光明にて一光三尊の如来出現まし/¥長者にあたえ給ふ︒此尊
聖(精)舎に帰りて︑唐土に飛行し給ひ︑唐土の聖明王尊歎し奉る︒又︑日本に渡すべき仏勅によって︑船
をもよおし︑本朝え渡す所までを画く︒
(﹃
於信
行院
善光
寺開
﹄帳)
き た ら う か と お り ゆ け 二
︑ さ ん ぞ ん ぷ つ
文化六年の開帳では︑信行院の本堂で開帳本尊を拝礼すると︑﹁北の廊下を通りて行ば︑愛にハ三尊仏のうつ
も
︿ ぞ う ま た た か だ に よ ら い で ん し ゃ う し ふ く ゑ で ん は い 主 げ か う み ち い づ と こ ろ た か だ
しの木像いませり︒又︑高田如来伝と称じて四幅の絵伝を拝せしめ︑絵ざしをなせり﹂﹁下向道へ出る所に高田
に よ ら い 阜 で ん し ふ
︿ と さ み つ の ぷ づ ぐ わ よ し さ き べ つ ろ く く わ ニ
︑ い だ
如来絵伝四幅あるハ︑土佐光信の図面なる由︑先にあらわせし別録に委しければ愛に出さず﹂(﹃
文化
六巳
於信
行
光寺如来絵伝﹂の絵解きは︑境内の仮小屋でなく本堂の端で行われていた︒安政六年の開帳では︑絵伝は﹁玄
縁起のメディア
院善光寺開帳﹄
)と
ある
︒ ここでいう別録とは︑安永六年の開帳図会の成稿本である︒文化六年の開帳では︑﹁善 関の真向ふに東西﹂にあり︑﹁僧絵解をなす﹂という(﹃
感興 没筆
﹄巻二十二)︒先の滑稽本﹃高田山開帳参案内図
会﹄で霊宝場から押し出されて絵伝場に出たのがこれである︒絵伝の絵解きは近くに寄って細かに描かれた絵を
見ながら︑静かに聴聞するものであり︑騒がしいところで遠くからではわからないという︒前述の
う9
﹁高田知来
続略縁起﹄は︑第四幅の高田山建立謹に相当し︑多く
の参詣者は略縁起を手にしながら絵解きを見覧聴聞し︑
60
容易に縁起を理解したのであろう︒
絵解きの場やそれに続く場では︑絵解きに関わる 刷り物が出されることがあった
︒
高力種信著の﹃開
「当麻長:茶羅」の絵Wfき(r開I限談話』名古屋市逢左文庫蔵)
帳談話﹄(名古屋市蓬左文庫蔵)には︑文政十二年
八二九)四月に︑名古屋南天道町清安寺における大和
当麻寺奥の院の開帳が描かれている︒その霊宝場の最
後では︑当麻目安茶羅の絵解きが行われている︒大きな
当麻旦受茶羅の右では︑﹁略縁起﹂であろうか︑参詣者
に向けて差し出し勧められている[図
⑩ ] ︒
それに続く
下向道では︑大憂茶羅で説かれた来迎阿弥陀が掲げら
れ︑左には大量茶羅の十分の一
の図
(彩色刊本)が掲
げられている[図︒]︒この縮刷の蔓茶羅図は︑その左
にあるように︑丸めて紐をかけたものが頒けられてい
た︒左下には︑それを指さして勧める案内人がおり︑
勧められて見入る人がいる︒同様のことは︑高力種信
著の
﹃龍口寺霊宝開帳記﹂(西尾市岩瀬文庫蔵)にも描
図⑮
かれている(本書I第三章三
節参
照)
︒これには︑文政
九年(一八
二六 )
五月の名古屋南寺町玄乗寺における相模龍口寺の開帳が描かれている︒その霊宝場には︑﹁日
蓮聖人龍の口御難の絵相﹂二幅が掛けられ︑日蓮の龍の口法難の霊験が絵解かれた(I第
三章
[図
⑬]
参
照)
︒二
幅の聞には﹁御赦免状﹂が置かれ︑絵解きの最後には︑﹁御難の絵相﹂に描かれた赦免状が眼前のものとして説
かれ︑赦免状の写し
(版 本か )
が頒布された︒また︑それに続く霊宝場では︑これも﹁御難の絵相﹂に描かれた
﹁敷皮の石﹂(目蓮聖人頚の座の石)が置かれ︑傍らでは﹁敷皮の石﹂の図(刊本か)や除難の御守が出された︒な
お龍口寺では︑文政五年(一八二二)三月の江戸深川浄心寺における開帳の折に︑﹁片瀬龍口
北大学狩野文庫蔵﹁仏寺小志叢﹄所収)を頒布している︒
高祖
略縁
起﹂
( 東
このように︑絵解きによって説かれた功徳や利益を授けるために︑
いた
︒参詣者にとって︑これは霊験ある御影