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ドキュメント内 世親『法華論』訳註(2) (ページ 77-87)

山口円七

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76 

1 i  吋妙 法華

﹄方 便口 聞の 一節 (吋 大正 蔵い 七貰 上二

1

二五行自)とほぼ対応するが︑わずかに字句の巽河がある︒吋妙法薬﹄の該当鋼所は

次の通り︒﹁欲AW衆生関仏知見使得清浄放出現於世L

︒党 文﹃ 法華 経﹄ (穴

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ミ・

?と

には

︑﹁

知得

一清

Lに相当する諾は見られない︒

﹃妙法華﹄方便口出の一節(﹃大正蔵﹄七頁上二五行口出)とほぼ対応するが︑吋妙法華﹄の該当個所では﹁仏知見﹂を﹁仏之知見L

とす

る︒

﹃妙 法華

﹂方 使口 出( 叶大 正蔵

﹄七 頁よ 二五

1

一⁝ 六行 自) にそ のま まの 形で 存す る︒

﹃妙法薬品方使口出の一節(七頁上二六

1

二七行自)とほぼ対応するが︑吋妙法華﹄の該当個所では﹁仏知見﹂を﹁仏知見道﹂とする︒

﹁如 実修 行

L宣(理に従って正しく修行すること︒﹁遜修行Lとともに︑修道における綴欲をもたらす原因とされる︒

﹁発 菩提 心ず

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山広

告芦

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同己申Lの絡で︑さとりの智慧を得ようという士山を起こすこと︒ 5 1 1 6 1 i 7 1 1 8 1 1 

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き下

し文

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令 住 者

︒ 知 経 企 口 利 弗 但 以 一 仏 乗 故 為 衆 生 説 法故

﹁住まわしむる﹂とは︑経の如く﹁舎利弗よ︑但だ

仏 乗 の み を 以

7 7  

て の 故 に 衆 生 の 為 に 説 法 す る

﹂ が 故 な り

︻現

代語

訳︼

(第四に︑教え

とどまらせるとは︑経において﹁舎利弗よ︑

た だ ひ と つ

︑ 仏 の 乗 り 物 を も っ て し て

︑ 衆 生 の た め に法を説くのである﹂とあるように︒

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劫那

摩提

訳で

は︑

﹁盛

岡山

初弗

Lの後に﹁如米しを加える︒

勃那摩擦訳には︑﹁故L

の{

子を

欠く

北大文学研究科紀要

役親﹃法禁論﹄訳注

ω

凶)六つの与授記のうちの第阪である︒

四)﹃妙法禁﹄方便口問(﹃大正蔵﹄七頁中一一行自)にそのままの形で存する︒党文﹃法禁経﹄には︑岳山同

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白 門出 門

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可 削

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MUtHととある︒

依 法

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依法者︒如経舎利弗過去諸仏以無量無数方

便・種種警聡・因縁・念観・方龍説法︒回疋法

皆為 一仏 乗故 如是 等故

︒一 一一 日警 職者 如依 牛故

得有乳・酪・生酔・熟蘇及以醍醐︒此五味中

醍醐第一︒小乗不知其猶如乳︒大乗為最猶如

離醐︒此仏側所明大乗無上︒諸声関等亦間大乗

無上義故︒戸開向者︒此中一不現諸仏知来法身

之性向︒諸凡夫・声聞之人・辞支仏等︒法身

平等無差別故︒此義皆是警輪一万現因縁之義如

前所

説︒

{書

き下

し文

依法とは︑経の如く﹁舎利弗よ︑過去の諸仏は無量無数の方便・

種種の警織・国縁・念観の方便を以て法を説きたまう︒

‑78‑

の法 は 皆 ︑

一仏乗の為の故なりLと︑是くの如き等の故なり︒

﹁警職﹂と一言うは︑牛に依るが故に︑乳・酪・生酔・熟蘇及以︑醍

醐を有するを得るが如し︒此の五味中醍醐は第一なり︒小乗は如

からず︒其れ猶し︑乳の如し︒大乗を最と為す︒猶し︑醍醐の知

し︒此の轍えの明かす所は大乗の無上なり︒の声聞等は亦た大

一乗の無上義と同じなるが故なり︒声聞と同じとは︑此の中に謡仏・

知来の法身の性は︑の凡夫・声間の人・辞支仏等に向︑ず︒法身

は平等にして無差別なるが故なり︒此の義は皆な是の警喰もて国

縁の義を示現す︒前の所説の如し︒

︻現

代語

訳︼

に︑教えが︺真理を拠り所としているというのは︑経において﹁舎利弗よ︑過去の多くの仏たちも︑量り知れ

ない無数の教化の手段と種種の血管轍ゃいわれや思惟の対象といった教化の手段によって︑法を説かれた︒この法はみ

一つの仏のおしえの乗り物(一仏乗)のためのものである﹂とあるように︑そのようであるからである︒

︹経

の山

市で

︺﹁

壁一

一戸

喰﹂

と一

一一

一口

われ

てい

るの

は︑

に依拠して︑牛乳と酪と生献と熟酔そして醍醐が存在するというよう

な場合である︒この五つの状態の中では醍醐が第一のものである︒小乗はそのようなものではない︒それ

』 ま

未だ牛乳の状態にあるが如きものである︒(大乗は最上のものであり︑すでに醍醸の状態にあるが如きものであ

る︒この喰えは大乗がこの上ないものであるということを明らかするものである︒芦間たちもまた︑大一乗がこの上な

いものとされることと同じであるからである︒声聞と同じというのは︑この(小乗の声聞たちの]中にあっても︑多

くの仏や如来たちの法身の本質は︑諸々の凡夫や声聞の人や辞支仏等たちと同じであるということである︒法身につ

79 

いてはみな等しく向じであって違いがないからである︒以上については︑この響喰によっていわれの意義を示

して いる が︑

それは前に説いた通りである︒

叩川山

六種

の与

授記

のう

ちの

第五

であ

る︒

勃那

摩提

訳に

は︑

﹁故

﹂の

{子

を欠

く︒

勃那

麻原

提訳

には

︑﹁

得﹂

の字

を欠

く︒

勃那

摩提

訳で

は︑

﹁及

L

を欠

く︒

北大文学研究科紀要

世親﹃法禁論﹄訳注

ω

U

n ω

i  5 3  3   

動那摩提訳では︑﹁醍醐為第一︒Lとなっている︒

紡那摩提訳では︑﹁小乗如乳︒﹂となっている︒

勅那摩提訳では︑﹁大乗如健闘機故︒﹂となっている︒

紡那摩提訳では︑﹁此開設喰問?となっている︒

動那燦提訳には︑﹁義﹂のん予を欠く︒

L

動那摩提訳には︑﹁現L

勅那摩捷訳には︑﹁之人﹂を欠く︒

勅那摩援訳では︑﹁此響機一示現鴎縁如向説︒﹂となっている︒

六つの与授記のうちの第五である︒

便(

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五行自)の文句とほぼ一致するが︑﹃妙法華﹄には﹁念観Lの誇はない︒また︑党文﹃法

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石山富

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同 町

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ふ)﹁念観Lに相当するのは待出窓ぴ出口出という語と思われる︒また︑よ仙禁論﹄が引用する経文には﹁方

使﹂という諾が二度現れるが︑焚本では己目)身出}内山口出向}吉という一誌は一度しか現れない︒文脈から見て︑後の﹁方便﹂という語は党本

} }

便

Lという語は党本の同ぴ区宮吾待問と対応するかも知れない︒

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一一

一一

口念

観者

︒小

乗諦

中人

無我

等︒

大乗

諦中

真如

実 際 法 界 法 性

︒ 及 人 無 我 法 無 我 等 種 種 観 故︒ 一一 言方 使者

︒於 小乗 中観 陰界 入︒ 厭苦 離苦

得解脱故︒於大乗中諸︒波羅蜜以西摂法摂取

自身 抽出 身︒ 利益 対治 法故

︻ 現 代 語 訳 ︼

︻ 書 き 下 し 文

﹁念

L

一一

一一

向う

は︑

小乗

の諦

の中

の人

無我

等︑

大乗

の諦

の中

の真

如・

実際・法界・法性及び人無我・法無我等の種種の観なるが故なり︒

﹁方 便﹂ と一 言う は︑ 小乗 の中 に於 いて は絵 界入 を観 じ︑ 苦を 一献 い苦

を離れ解脱を得るが故なり︒大乗の中に於いては諸の波羅蜜にし

て︑四摂法を以て自身と他身の利益と対治の法を摂取するが故な

81  (経 の中 で︺ っ思 惟の 対象

れているのは︑小乗にとっての真理の中では人無我などで︑大乗にとっての真理

であ

る︒

の中では真如や実際や法界や法性そして人無我や法無我といった様々な対象(観)

︹経 の中 で]

﹁教 化の 手段 しと 吾一 口わ れて いる のは

︑小 乗の 中で は

離 と

︹十八︺界を観察すること

一︺

処と

導き入れの手だて である︒苦しみを厭い︑苦しみから離れて解説を得るからである︒(一方︺大乗の中では波羅蜜である︒四つの

(四摂法)によって自分と他人とを利益するものと対治するものを摂め取るからである︒

8 3 羽 山 山

動部

摩提

訳に

は︑

﹁詮

口﹂

の字

を欠

く︒

動那

摩提

訳で

は︑

﹁於

小乗

務中

﹂と

する

北大文学研究科紀要

投毅吋法華論﹄訳注

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4 i 2 

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4 4 

a n同1 L勅那摩提訳では︑﹁於大乗諦中

動那機提訳では︑﹁真如法界実際L

勅那摩提訳には︑﹁及L

勅那摩援訳には︑﹁於﹂の字を欠く︒

勅那摩援訳では︑﹁於大乗中修諸波羅蜜L

勅那摩援訳には︑﹁以L

{ 遮

テキ

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( 勅 ︑

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2 )

遮者如経舎利弗十方世界中尚無ニ一栄何況有

三︒ 如是 等故

︒無 二乗 者︒ 謂無 一一 乗所 得混 繋︒

唯有如来証大菩提︒出九寛満足一切智慧名大混

一 繋

乗 非

者 草

O

依 塑 皇 室

説 義 仏 害

応 浬

当 繋

益 法

号吋

f ム

乗 故

︹書 き下 し文 }

82 

遮とは︑経の如く﹁舎利弗よ︑十方世界中に尚二乗無し︒何に況

や三有らんや﹂と︑是くの如き等の故なり︒

﹁ニ

乗無

Lとは謂く︑二乗所得の浬繋無し︒唯だ如来のみ大菩提

を証すること有りて︑究覚して一切智慧を満足するを大混繋と名

の声賠・辞支仏等は浬撲の法有るに非ず︒唯だ一仏乗の故

なり

﹁一仏乗﹂とは四種の義に依りて説く︒応当に善く知るべし︒

ドキュメント内 世親『法華論』訳註(2) (ページ 77-87)

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