︑ ℃
・ 5
之 内 ・
5 2 N
∞ )
此驚怖者五種︒応知︒一者損驚怖︒謂小乗衆生
如所開声取以為実︒詩無大乗起知是心︒如来
説一
一一
一口
阿羅
漢果
究寛
浬繋
︒我
築寛
取如
是浬
繋︒
楚故羅漢不入浸繋如是驚怖︒ニ者多事欝
怖︒謂大乗衆生間菩薩道劫数長遠穣種苦行起
如是心︒仏道長遠︒我於無量無辺劫中行菩薩
行久受勤苦︒如是念故生欝怖心︒以是故起取
お お 幻
異乗 心如 是驚 怖︒ 一一 一者 顛倒 驚怖
︒謂 心分 別有
問
m m
却 主 犯
我我所種種身︒見諸不善法如是驚怖︒四者心
悔驚
怖︒
謂大
徳舎
利弗
等起
如是
心一
一一
一口
︒我
不応
修
却 訂 却
証如是小乗之法︒如是悔巴心郎自止︒即此心
悔名為驚怖︒此義応知︒五者証驚陣︒謂増上
嶋塁 戸間 之人 記知 是心
︒一 玉何 如来 証於 我等 如是
驚怖
北大文学研究科紀要 ︒
{書 き下 し文 }
此れ驚怖する者には五種あり︒応に知るべし︒
一には損の驚怖なり︒謂く︑小乗の衆生は所閣の芦の如く取って
って大乗を無みして是くの如き心を起こす︒如
来は説いて︑阿羅漢果は究寛の浬繋なり︒我は︑翠寛して是くの 以
て実 と為 し︑
如き浬繋を取ると︒の故に羅漢は浬繋に入らず︑是くの如きの
驚怖 なり
︒
こには多事の驚怖なり︒謂く︑大乗の衆生は︑菩薩道は劫数長遠
59
にして種種の苦行なるを開き︑是くの如き心を起こす︒仏道は長
遠なり︒我は︑無量無辺劫中に於いて世界口寵行を行じ︑久しく勤苦
を受く︒是くの如きく念ずるが故に︑驚怖の心生︑ず︒是れを以て
の故に異乗を取る心を起こす︒是くの如きの驚怖なり︒
一ニには顛倒の繁婦なり︒謂く︑心は我・我所・種種の身有るを分
別し︑諸の不善の法を見る︒是くの如き驚怖なり︒
四に は心 悔の 饗怖 なり
︒謂 く︑ 大穂 のふ 一口 利弗 等は 是く の知 き︑ むを
役親
﹃法 部十 論ト 訳注
ω
起こして一言わく︑﹁我は応に是くの如き小乗の法を修証すべから
ず︒是くの如く悔い巳って︑心は却ち自ら止む﹂と︒即ち此の心
悔を名づけて驚怖と為す︒此の義応に知るべし︒
五には証の驚怖なり︒謂く︑増上壊の声聞の入は︑是くの如きの
心を起こす︒﹁去伺が如来は我等会誌ける﹂と︒是くの如き驚怖な
︒
れ ソ
︻ 現 代 語 訳 }
第一
には
︑
そこなうことへの驚きと怖れである︒つまり小乗の衆生は︑開いた教えをそのままに(それを︺真実と
‑60‑
驚き侍れる者には五種類ある︒このことを知らなければならない︒
して理解し︑大乗を誘つてなきものとし︑次のような︑むを起こす︒如来は説いておっしゃる︒﹁阿羅漢果は究極の浬繋
である﹂と︒[だから︺自分は究極的には︑このような淫繋を獲得するのだと︒だから阿羅漢は︑浬般市に入ることがで
きない︒このような驚きと怖れのことであるο
第二には︑︹数の︺多いことへの驚きと姉れである︒つまり︑大乗の衆生は︑菩薩道とは劫の数は長く怒久であり︑様々
な苦行があることを開いて︑このような心を起こすのである︒﹁仏になるための道は︑長くはてしない︒私は︑基盤りし
れないの劫の中で菩寵行を修行し︑い問︑骨おり苦労を身に受ける﹂と︑このように考えるので驚き怖れる心が生
ずる︒だから︹菩薩乗ではなく︺他の乗(声聞乗︑縁覚乗)に執着する心を起こす︒このような驚きと怖れである︒
第一 一一 には
︑迷 いへ の驚 きと 怖れ であ る︒
つまり︑心は︑自己と自己の所有するもの︑様々な身体を区別加し︑様々な
正しくないことを認識する︒このような驚きと怖れである︒
第四には︑後梅の心の驚きと怖れである︒つまり︑徳のある舎利弗たちが︑このような心そ起こし
った
︒﹁ 私は
このような小乗の法門を修行し︑それによってきとることはしまい︒このように︑悔い終わると︑心はおのずと静まっ
たのであるLと︒このような心の後揮を驚きと怖れと名づけるのである︒この意義を知らなければならない︒
第五には︑欺かれることへの驚きと怖れである︒つまり︑思い上がった声開はこのような心を起こすのである︒﹁ど
うして如来は私たちを欺かれたのであろうかLと︒このような︑驚きと怖れである︒
22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
勃那摩提訳では︑﹁者﹂を﹁有﹂とする︒
勃那摩提訳には︑﹁謂小乗衆生﹂を欠く︒
勤那 摩援 訳で は︑
﹁起 如是 心﹂ を﹁ 市作 是告 一同
﹂と する
︒ 勃那 麻原 提訳 には
︑﹁ 浬繋
Lの後に﹁故﹂とある︒
勃那摩擦訳には︑﹁如是驚怖﹂を欠く︒
勃那摩援訳では︑﹁掴?を﹁以L
とす
る︒
勃那 臨時 提訳 には
︑﹁ 閉山 菩薩 道劫 数出 火遠 棋倒 穣苦 行﹂ を欠 く︒
勃那摩援訳では︑﹁起Lを﹁生L
とす
る︒
勤那摩援訳には︑﹁仏道長遼﹂を欠く︒
勤那 摩提 訳に は︑
﹁於
﹂の ん予 を欠 く︒
勤那摩擦訳には︑﹁中L
の{
子︑
宇佐
欠く
︒
紡那摩提訳には︑﹁久受動苦﹂を欠く︒
勃那摩提訳には︑﹁如楚念故﹂を欠く︒
61
北大文学研究科紀婆
世親﹃法華論﹄訳注
ω
43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23
勅那態提訳には︑﹁以是故L
を欠
く︒
勅那摩提訳には︑﹁心﹂の後に﹁故﹂とある︒
勤那 摩提 訳に は︑
﹁如 回疋 驚怖
L
を欠
く︒
動那摩挺訳には︑﹁謂心L
を欠
く︒
戦那摩提訳には︑﹁有L
の字 を欠 く︒
勅那摩提訳には︑﹁穣種﹂を欠く︒
勅那摩提訳には︑﹁諸L
の{
子を
欠く
︒
勅那麻原提訳には︑﹁法﹂の後に﹁放L
とあ
る︒
勅那摩提訳には︑﹁如是驚怖﹂を欠く︒
勃抑 的摩 提訳 には
︑﹁ 心
L
の字 を欠 く︒
勤那摩提訳には︑﹁海篤怖Lの後に﹁悔驚怖者﹂とある︒
勃那
摩提
訳に
は︑
﹁起
如回
疋心
苦一
悶
L
を欠
く︒
勃那摩援訳には︑﹁修L
の字
を欠
く︒
﹂
勤那摩援訳には︑﹁之L
の{
子を
欠く
︒
勃那摩援訳には︑﹁如是海巳心郎L
の字 を欠 く︒ 勅那 摩援 訳に は︑
﹁心
﹂の んき を欠 く︒ 勃那 麻原 提訳 には
︑﹁ 此義
L
を欠
く︒
紡那摩援訳には︑﹁之人﹂を欠く︒
勃那摩提訳では︑﹁起﹂を﹁作L
とす
る︒
紡那摩提訳には︑﹁等﹂の後に﹁故L
とあ
る︒
勅那摩提訳には︑﹁如是驚怖L
を欠
く︒
‑62‑
関授記
{テ
キス
ト︼
(匂
・斥
トミ
a℃ ・ 吋
myN
・ 吋 )