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ドキュメント内 世親『法華論』訳註(2) (ページ 60-64)

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之 内 ・

5 2 N

∞ )

此驚怖者五種︒応知︒一者損驚怖︒謂小乗衆生

如所開声取以為実︒詩無大乗起知是心︒如来

説一

一一

一口

阿羅

漢果

究寛

浬繋

︒我

築寛

取如

是浬

繋︒

楚故羅漢不入浸繋如是驚怖︒ニ者多事欝

怖︒謂大乗衆生間菩薩道劫数長遠穣種苦行起

如是心︒仏道長遠︒我於無量無辺劫中行菩薩

行久受勤苦︒如是念故生欝怖心︒以是故起取

異乗 心如 是驚 怖︒ 一一 一者 顛倒 驚怖

︒謂 心分 別有

m m

我我所種種身︒見諸不善法如是驚怖︒四者心

悔驚

怖︒

謂大

徳舎

利弗

等起

如是

心一

一一

一口

︒我

不応

証如是小乗之法︒如是悔巴心郎自止︒即此心

悔名為驚怖︒此義応知︒五者証驚陣︒謂増上

嶋塁 戸間 之人 記知 是心

︒一 玉何 如来 証於 我等 如是

驚怖

北大文学研究科紀要

{書 き下 し文 }

此れ驚怖する者には五種あり︒応に知るべし︒

一には損の驚怖なり︒謂く︑小乗の衆生は所閣の芦の如く取って

って大乗を無みして是くの如き心を起こす︒如

来は説いて︑阿羅漢果は究寛の浬繋なり︒我は︑翠寛して是くの 以

て実 と為 し︑

如き浬繋を取ると︒の故に羅漢は浬繋に入らず︑是くの如きの

驚怖 なり

こには多事の驚怖なり︒謂く︑大乗の衆生は︑菩薩道は劫数長遠

59 

にして種種の苦行なるを開き︑是くの如き心を起こす︒仏道は長

遠なり︒我は︑無量無辺劫中に於いて世界口寵行を行じ︑久しく勤苦

を受く︒是くの如きく念ずるが故に︑驚怖の心生︑ず︒是れを以て

の故に異乗を取る心を起こす︒是くの如きの驚怖なり︒

一ニには顛倒の繁婦なり︒謂く︑心は我・我所・種種の身有るを分

別し︑諸の不善の法を見る︒是くの如き驚怖なり︒

四に は心 悔の 饗怖 なり

︒謂 く︑ 大穂 のふ 一口 利弗 等は 是く の知 き︑ むを

役親

﹃法 部十 論ト 訳注

ω

起こして一言わく︑﹁我は応に是くの如き小乗の法を修証すべから

ず︒是くの如く悔い巳って︑心は却ち自ら止む﹂と︒即ち此の心

悔を名づけて驚怖と為す︒此の義応に知るべし︒

五には証の驚怖なり︒謂く︑増上壊の声聞の入は︑是くの如きの

心を起こす︒﹁去伺が如来は我等会誌ける﹂と︒是くの如き驚怖な

れ ソ

︻ 現 代 語 訳 }

第一

には

そこなうことへの驚きと怖れである︒つまり小乗の衆生は︑開いた教えをそのままに(それを︺真実と

‑60‑

驚き侍れる者には五種類ある︒このことを知らなければならない︒

して理解し︑大乗を誘つてなきものとし︑次のような︑むを起こす︒如来は説いておっしゃる︒﹁阿羅漢果は究極の浬繋

である﹂と︒[だから︺自分は究極的には︑このような淫繋を獲得するのだと︒だから阿羅漢は︑浬般市に入ることがで

きない︒このような驚きと怖れのことであるο

第二には︑︹数の︺多いことへの驚きと姉れである︒つまり︑大乗の衆生は︑菩薩道とは劫の数は長く怒久であり︑様々

な苦行があることを開いて︑このような心を起こすのである︒﹁仏になるための道は︑長くはてしない︒私は︑基盤りし

れないの劫の中で菩寵行を修行し︑い問︑骨おり苦労を身に受ける﹂と︑このように考えるので驚き怖れる心が生

ずる︒だから︹菩薩乗ではなく︺他の乗(声聞乗︑縁覚乗)に執着する心を起こす︒このような驚きと怖れである︒

第一 一一 には

︑迷 いへ の驚 きと 怖れ であ る︒

つまり︑心は︑自己と自己の所有するもの︑様々な身体を区別加し︑様々な

正しくないことを認識する︒このような驚きと怖れである︒

第四には︑後梅の心の驚きと怖れである︒つまり︑徳のある舎利弗たちが︑このような心そ起こし

った

︒﹁ 私は

このような小乗の法門を修行し︑それによってきとることはしまい︒このように︑悔い終わると︑心はおのずと静まっ

たのであるLと︒このような心の後揮を驚きと怖れと名づけるのである︒この意義を知らなければならない︒

第五には︑欺かれることへの驚きと怖れである︒つまり︑思い上がった声開はこのような心を起こすのである︒﹁ど

うして如来は私たちを欺かれたのであろうかLと︒このような︑驚きと怖れである︒

22  21  20  19  18  17  16  15  14  13  12  11  10 

勃那摩提訳では︑﹁者﹂を﹁有﹂とする︒

勃那摩提訳には︑﹁謂小乗衆生﹂を欠く︒

勤那 摩援 訳で は︑

﹁起 如是 心﹂ を﹁ 市作 是告 一同

﹂と する

︒ 勃那 麻原 提訳 には

︑﹁ 浬繋

Lの後に﹁故﹂とある︒

勃那摩擦訳には︑﹁如是驚怖﹂を欠く︒

勃那摩援訳では︑﹁掴?を﹁以L

とす

る︒

勃那 臨時 提訳 には

︑﹁ 閉山 菩薩 道劫 数出 火遠 棋倒 穣苦 行﹂ を欠 く︒

勃那摩援訳では︑﹁起Lを﹁生L

とす

る︒

勤那摩援訳には︑﹁仏道長遼﹂を欠く︒

勤那 摩提 訳に は︑

﹁於

﹂の ん予 を欠 く︒

勤那摩擦訳には︑﹁中L

の{

子︑

宇佐

欠く

紡那摩提訳には︑﹁久受動苦﹂を欠く︒

勃那摩提訳には︑﹁如楚念故﹂を欠く︒

61 

北大文学研究科紀婆

世親﹃法華論﹄訳注

ω

43  42  41  40  39  38  37  36  35  34  33  32  31  30  29  28  27  26  25  24  23 

勅那態提訳には︑﹁以是故L

を欠

く︒

勅那摩提訳には︑﹁心﹂の後に﹁故﹂とある︒

勤那 摩提 訳に は︑

﹁如 回疋 驚怖

L

を欠

く︒

動那摩挺訳には︑﹁謂心L

を欠

く︒

戦那摩提訳には︑﹁有L

の字 を欠 く︒

勅那摩提訳には︑﹁穣種﹂を欠く︒

勅那摩提訳には︑﹁諸L

の{

子を

欠く

勅那麻原提訳には︑﹁法﹂の後に﹁放L

とあ

る︒

勅那摩提訳には︑﹁如是驚怖﹂を欠く︒

勃抑 的摩 提訳 には

︑﹁ 心

L

の字 を欠 く︒

勤那摩提訳には︑﹁海篤怖Lの後に﹁悔驚怖者﹂とある︒

勃那

摩提

訳に

は︑

﹁起

如回

疋心

苦一

L

を欠

く︒

勃那摩援訳には︑﹁修L

の字

を欠

く︒

勤那摩援訳には︑﹁之L

の{

子を

欠く

勃那摩援訳には︑﹁如是海巳心郎L

の字 を欠 く︒ 勅那 摩援 訳に は︑

﹁心

﹂の んき を欠 く︒ 勃那 麻原 提訳 には

︑﹁ 此義

L

を欠

く︒

紡那摩援訳には︑﹁之人﹂を欠く︒

勃那摩提訳では︑﹁起﹂を﹁作L

とす

る︒

紡那摩提訳には︑﹁等﹂の後に﹁故L

とあ

る︒

勅那摩提訳には︑﹁如是驚怖L

を欠

く︒

‑62‑

関授記

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