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母親

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グラフ1−6「くつがなる」の歌唱(K児1歳8ヶ月と母親)

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K児

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グラフII−7(楽譜)K児の発声と母親の歌唱の対応(グラフ5の枠内を拡大)

【翻・】K児・歳1ケ購の歌唱「箱根裡」    ㊥繊八里・K児・歳1ケ月・母親

 K児は、安野光雅による『歌の絵本』を大変に気に入っていて、いつも見ている。この時も、母親が「(本が)

やっとでてきた、は囲い」と言いながらr歌の絵本』を持ってきてくれたのに対して、K児は歓声をあげている。

『歌の絵本』を見ていく中で、K児の大好きな「箱根八里」の頁が出てきて、嬉しくなって一人で歌いだしたの

がグラフ1−8に示した歌唱である。この歌唱では、前述の【事例2】【事例3】とは違って、K児がはじめに歌

いだし、後から母親が歌唱に加わっている。

 ここで注目されるのは、K児と母親との関わりである。それは、 K児が自分の大好きな本の中に大好きな「箱

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根八里」が出てきて嬉しくなって歌いだしたことを受けとめて、母親も一緒に歌いだしたことである。K児の喜 びを一緒に歌うことで共有したところに、歌唱を媒介とした音楽的コミュニケーションが成立している。それに よって、K児には、母親と一緒に歌うことが楽しい、楽しいから一緒に歌いたいという気持ちが一層高まったと

いえる。それは、息を飲むようなブレス(グラフH−8の〉印)をしながら一生懸命に歌っていることからわか

る。そこには、母親とテンポを合わせて一緒に歌おうとしているK児の様子がみられる。

{V:息を飲むようなブレス)

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  敏声.

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にこねのやまはてんかのけん.かんこくかんも ものな.らず ばんじ柔うのやませんじんのたに まえにそびえ しりえにさそう

グラフH−8 「箱根八里」の歌唱(K児2歳1ヶ月と母親)

譜例1−22K児の発声と母親の歌唱との対応(グラフ1−8の枠内を拡大)

   (実音)

 K児

母親

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著「』

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〜 かんこくかん も ものならず

2 考察

 奥忍によれば、子どもは1歳を過ぎる頃から、特定の歌を「うたってほしい」という気持ちを表し、その要求 に応えてまわりの者が歌うと、自分もそれに合わせて歌おうとする(奥1985:109)。親の語りかけや歌いかけ を通して、親と子は互いに心をかよわせ、声を出すことの楽しみを獲得していく(志村洋子1996:94)。また、

歌唱の発達は1歳のときにかなり進み、多くの子どもたちは1歳の後半においては、歌の短いパツセージだけを

歌うのではなく、比較的長い歌を歌う(ヘルムート・モーク1968、石井信生訳2002:2)。このような初期歌唱 は、当初、注意して聞かなければ気づかないくらいの微かな発声であったり、断片的・部分的な発声にすぎない。

しかし、歌唱の現れる箇所や歌われ方の状態をみると、それらの発声は、子どもが既に旋律やリズムを認識して

いることを示しているといってよいだろう。月齢が進むにしたがって、歌うための身体の各器官のコントロール ができるようになる。それにつれて、テンポ、リズム、音程等が現れ、徐々に歌唱の形をとるようになっていく のである。

 マクドナルド(McDonald, D.T.)とサイモンズ(Simons,正M.)は、乳幼児期の音楽的発達について「子どもた

ちは、5ヶ月〜8ヶ月にかけてみずから音楽に反応してリズミカルな動きを始める。1歳になるまでに、それま

で何カ月かにわたって自分に歌いかけられていた歌を区別することができるようになり、その歌を披露する際に 付随してでてくる活動と関連づけることができるようになる」と述べている。さらに、彼らは「赤ん坊は歌うこ とができる以前に、すでに『レパートリー』の獲得を始めているという仮説が成り立つかもしれない」と述べて いる(マクドナルド&サイモンズ、神原雅之訳1999:50〜51)。このようなマクドナルド等の仮説は、日本の子 どもの歌唱行動においてもあてはまるといえよう。

 このような音楽発達の背景として、養育者による音楽的働きかけに注目したい。子どもの初期歌唱の発達は、

身体の各器官のコントロール能力に大きく関わる。しかしそれとは別に、歌唱行動の各場面にみられる養育者の 子どもに対する関わりについて注目すべきではないだろうか。子どもの側からみるならば、周囲の環境や養育者 との相互関係の中で、様々な音楽的働きかけを子ども自身がどのように受けとめ、どのように表現しようとした のか、ということが重要である。

 ここで事例1のS児について検討する。母親は歌い出す前に「Sちゃん、お母ちゃんが『テトペッテンソン』

歌おうかなあ」と声かけを行っており、S児は「歌ってほしい」 「歌が始まるぞ」という期待の気持ちを表すか のように身体を揺らしていた。母親の歌唱は、S児の反応に応えるように始められた。この曲は、リズムモティ ーフの区切りが明確である。母親の歌唱では、フレーズの終わりにかけて音が徐々に大きくなっていた。そのフ

レーズの終わり直後にS児の「た一」という発声が繰り返しみられるのである。母親は、楽しそうに身体反応

しているS児の様子を受けとめながら、旋律を繰り返し、3番まで歌っている。

 次に、K児の事例について検討する。 K児の事例すべてにおいて、常に母親とのコミュニケーションがはっき りとみられる。事例では、①歌って欲しいというK児の気持ちを表す「げ」(歌詞の冒頭部分「げんこつやま」

の「げ」)という発声に応えて母親が何回も繰り返して歌っていること、②おもちゃの自動車を全部並べること

ができた喜びを歌って表現したのを受けとめて、母親が「くつがなる」を歌いだしていること、③絵本の中に

大好きな歌(「箱根八里」)をみつけて嬉しくなって歌いだしたのに対して母親も一緒に歌に加わっている等、全 てにおいて子どもの反応を受けとめた母親の働きかけが認められる。言い換えれば、K児はそのような母親との 相互関係の中で、自分も歌い、歌唱を体験しているのである。

 S児やK児の事例にみられるように、養育者による音楽的働きかけが行われ、それに子どもが反応を示し、

その反応を受けとめて養育者が再び働きかける、そのこと自体が音楽的コミュニケーションである。子どもの発 達の視点からみると、「子どもをみて、その子どもが何を望み、どのような時に達成感を感じているのかをくみ 取って対応することが大切である」と小西行郎は述べている(小西2003:124)。これは、音楽的発達において

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も同様である。特に、事例3の「くつがなる」では、母親は子どもの喜びを敏感に受けとめて対応しており、い

わば小西の指摘についての音楽的具現である。また、事例4のK児の「箱根八里」の歌唱で注目されるのは、

母親はK児の歌いだした声の高さに合わせて歌いだしていると共に、K児の息を飲むようなブレスにみられる

ような子どもの息づかいを感じて一緒に歌おうとしていることである。このような母親の歌いかけは、実際に子 どもを目の前にし、子どもの発信を受けとめている養育者でなければできないことである。

 志村も述べているように、子どもの音楽の関わり方には、大人とは異なる面がある。子どもはメロディやリズ ムを身体全体で受けとめ、一緒に声を出して共に表現しながら音楽を聞いているのである(志村1996:28)。聞 きながら歌ったり、動いたりするような、子どもの音楽に対する関わりの最も自然な姿を音楽的行動の基盤とし て、子どもと養育者相互の活発な音楽的コミュニケーションが行われることが、子どもの音楽的発達にとって非 常に重要であると考える。

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H−4まとめ

  「こもりうた」は本来、様々な生活文化を背景にもつ歌であり、子どもに対する言葉かけ、語りかけの行為か ら生まれたものである。そのため「こもりうた」には、言葉との強い結びつきがみられる。その一方で、言葉に よる支配を離れることによって、「こもりうた」はリズム的にも旋律的にも多様なものとなっている。「こもり うた」は、子どもに対する言葉かけ、語りかけの延長線上の音楽的存在と位置づけられるものの、その一方で、

言葉とは別の音の世界を形作っているといえる。

  「こもりうた」においては、地域や歌い手個人の様式等による歌い回しの違いがあることも一つの特徴である。

個人様式とそれらに共通する様式との関係を明らかにするためには、より多くの事例研究が必要とされる。しか しながら、今回の音楽構造分析によって明らかになった音楽的特徴が、「こもりうた」独自の基本的な音楽的様 相を示していると考えられる。

 さて、今日では「こもりうた」などほとんど歌われなくなったのではないか、といわれることがある。確かに、

伝緯的な「こもりうた」の旋律を耳にすることは少ないかもしれない。しかし、そのことは「こもりうた」が歌 われなくなったことを意味するわけではない。育児の様々な場面で、養育者による歌いかけが行われているので ある。それらの歌は、現代日本社会における音楽の多様化、グローバル化に伴い、非常に多様なものとなってい る。とはいえ、養育者が子どもに語りかけたり、歌いかけたりする際には、そのほとんどが日本語で行われてい る。そこには、日本の伝統的な「こもりうた」にみられる音楽的特徴と共通する要素がみられる。「こもりうた」

のもつ音楽的特徴は、繰り返し行われる子どもと養育者相互の音楽的コミュニケーションを通して子どもに受容 され、次第に子どもに内在化されるのである。

 以上のようにして「こもりうた」は、 「音楽的母語」の形成につながるものとして、音楽教育的に意義深いも のといえる。したがって、学校音楽教育において「音楽的母語」を学習の出発点としたとき、 「こもりうた」は 最も自然な学習素材となりうると考える。「こもりうた」を通して、音楽文化をはじめ様々な視点から学ぶこと が可能ではないだろうか。

【注】

1)Mothereseは造語である。首唱者はアメリカの文化人類学者、チャールズ・ファーガソンで、1966年のこと  である(正高信男『0歳児がことばを獲得するとき行動学からのアプローチ』1993:101)。ただし、そのよ   うな言葉かけは、母親以外の人によっても行われることから、今日では育児語あるいは養育語と呼ばれてい  る(塚野州一2000:⑳)。

2)ファーガソンは、6つの異なる言語文化圏で母親の乳児への語りかけの比較検討を行っている。その結果、

 それぞれはお互いにまったく交渉がないにもかかわらず、いずれにおいても母親の語りかけには共通の特質  があることを発見した。ただし、その中に日本語は対象として含まれていない。

3)音数律とは、詩歌の句の音数とその組み合わせによって構成する韻律。日本の詩歌をささえる有力な韻律の

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