‑人間関係部門
隊 芳 中国社会保障の現状と問題点 一医療と年金の分析を通してー
地域文化学専攻一 位論文
豊 岡 卓之 加部 二生
井 阪 康 二
奈良盆地の前方後円墳と初期王権 の考古学的研究
上毛野地域における古墳文化の特
d性
生と死の仏教民俗
. 2007 年度大学院生の研究活動 ・
H・
H・ .. .
地域文化学専攻
‑ 古 聞 大 樹 論文
・古関大樹 「特論 近世初期の福堂村と湿地利用」
『能登川地区古文書調査報告8福堂町共有文書目録j 東近江市教育委員会、 2007年3月、p20‑24
・古関大樹「特論 福堂村・新田村境界絵図の史料 紹介
J r
能登川地区古文書調査報告9栗見新凹町共有 文書目録j東近江市教育委員会、 2∞
7年3月、 p49‑53・与謝町役場『加悦町史 資料編 第一巻』、2007 年3月
「第三章歴 史地理
J
p 424‑473「 付 図 歴 史地理」図3‑32
・東近江市 『能登川の歴史 別冊資料集 明治の古 地図』、2008年2月
「総論明治の古地図 ーその種類と性格一
J
p 12‑16「コラム l 愛知川の移動と旧能登川町
J
p 60‑62
「第二章 旧八幡村
J
p63‑105「コラム 2 山路村の溝田景観と条里地名
J
p 106‑108「第三章 旧栗見村
J
p 109‑140「附論滋賀県の明治前期作製の地籍図
J
p 141‑p 147 126・人間文化
‑ 溝 口 純 一 論文
‑溝口純一 「在地寺社の祈祷と地域社会の形成」 (栗東歴史民 俗 博 物 館 特 別 展 『 修 法 の 美 術 別尊 法と別尊受茶羅‑j2007年、 p83‑85)
学会報告
・報告題名「中世近江の漁業 在地神社との関わり から
」
‑2007年5月26日 大谷大学日本史の会5月例会
‑ 友 方 貴 英 論文
‑友 方 貴 英
1 1
福 堂 村 古 文 書 万 歳 鏡jについて」 (W能登川地区古文書調査報告書8 福堂町共有文書 目録j、東近江市教育委員会 市史編纂室編、2007 年3月、 p25‑28). 辻 川 哲 聞 論文
・辻川哲朗「堺市飯塚山遺跡出土菱形埴輪につい て」、 『埴輪論叢j6 (奥田尚先生還暦記念号)、埴輪 検討会、 2007年4月
・辻川哲朗「滋賀県」、 『日本考古学年報』第54集、 日本考古学協会、 2007年5月
・辻川哲朗「井辺八幡山古墳出土の須恵器「耳付杯」
の系譜について」、松藤和人編『考古学に学ぶ(皿
) J
人 ・ 間 ・ 文 ・ 化 ・ 通 ・ 信
(同志社大学考古学シリーズ IX)、同志社大学考古学 研究室、 2007年7月
・辻川背朗 ・守出めぐみ・藤村刻・山元温司「地域 別解説近江の横穴式石室」、 『研究集会 近畿の横 穴式石室』、横穴式石室研究会、 2007年7月
・辻川哲朗・清水邦彦・松出度・関真一 「井辺八怖 山古墳の再検討一造り出し埴輪群の配置復元を中心 に一」、『同志社大学歴史資料館 館報
J
10、同志社 大学歴史資料館、 2007年10月・辻川者朗「埴輪の赤彩一近畿地域の円筒埴輪を中 心に
‑J
、『明日をつなぐ道一高橋美久二先生追悼論 文集‑J
、京都考肯刊行会、 2007年 11月. 2007 年度教員活動報告 ・
〔 =地域文化学科 t
‑武
E
尚彦 (たけむらたかひこ)社会学、文化人類学、地 峨研究、1也減学2007年度末、我らのゼミから去りゆく院生は、渡辺 大記、武田淳、ムングンの3名、一挙に寂しくなる。 2008年1月末、ゼミで出版してきたフォーラム誌
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人と地域jも43号を数えた。近年急増した外国人留学生 に本音を語ってもらう号を出版すべく、現在準備中。
ゼミ生たちは皆、 地域の現場に出て調査研究活動に 多忙。2005年春から湖西の朽木村と交流を続けてきた 11期生たちは、近頃では高島市の依頼を受けて、地域 からの情報発信や広報活動そのものを担うまでになっ ている。2006年10月から推進してきた彦根橋本商庖街 の活性化に関する調査研究活動は、 2007年度になって 同商庖街協同組合より共同研究の依頼があり、地域・
食文化・デザイン・人問看護の学生35人および教員9 名 (田中敬子、灘本知憲、黒閏末毒、吉田龍平、岡本 秀巳、宮本雅子、佐h木一泰、伊丹君和、武邑尚彦) が地域の人びとと協働で「空き庖舗を活用した地域活 性化活動
J
を展開することになった。空き庖舗を協働 で改装。これを「いこう館」と命名し、 11月3日の「えびす議jに合わせて開庖。食と癒しをテーマに、
近江牛ハンバーグ、足湯、手作りまんじゅうの販売、
駄菓子屋など様々なイベン トを企画実演。地域の大学 としてコンスタントに付き合い続けられる地域環境づ
‑辻川哲朗 「埴輪生産からみた須恵器工人一「淡輪 技法」の解釈と系譜をめぐって 」、『考古学研究
1
57‑3、考古学研究会、 2007年12月・辻川哲朗「古墳時代後期の近江と東海 埴輪と石 室を手がかりとしてー」、畑中英二編 『北脇遺跡発 掘調査報告書』、甲賀市教育委員会・財団法人滋賀 県文化財保護協会、 2008年3月 (入稿済)
・辻川哲朗 「近江・野洲郡内の古代東山道ルートに ついて 琵琶湖東岸地域における水陸ネットワーク の成立過程一j、『紀要.121、財団法人滋賀県文化財 保護協会、 2008年3月 (入稿済)
くりを目指して、健 康食の提供やコンピ ュータ教室の開催な ど、新たな企画を実 施中である。こんな 風だから、学部生・
院生合同で続けてき た 「耳の会jは月 1
のペースを守りきれず者干トーンダウンしている。 国外では、夏休みを利用してインドネシアの民俗 と宗教を訪ねるフィールドワークを10期生2人 (川 口愛、竹出絵利果)と行った。途中で8期生の坂田 悠介君が長期休暇をとって合流、ジャワ ・パリ ・ス ラウェシの島々を巡って地域の生活文化を観察し た。世界遺産ボロブドウール、神々の座を意味する デイエン高原、 2770mのブロモ山、いずれも神聖な 空間だ、ったが、何よりの圧巻は手塩にかけた水牛の 首を次々にはねるスラウェシ ・タナトラジャの葬儀 だった。タナトラジャ同様、ジョクジャカル夕、ス ラカル夕、ウジ、ユンパンダンなどの俗的都市的空間 にも聖なる空間がいくつも用意されていた。拝金主 義的世界を効率よく生きることの意味を考えさせら れた。しかし、 10数時間に及ぶパスの旅はやっぱり きつい。途上国が抱える現実の厳しさに、学生たち の世界観も大きく変わったようである。
地域では、県職員研修、湖北流域森林づくり委員会、
ため池山辺のエコトーン保全・再生検討委員会、栗東 市防犯町づくり審議会、長浜市防犯推進協議会、栗東 市文化体育振興事業問、愛知川町史執筆委員等々、
様々な活動に参画した。
年今倍加する忙しさ、加齢と共にある自分を実感す るこの頃だが、次代を担う学生たちに伝えるべきこと は何か? 望ましいのは環境を整えること、即ちは蒸 習こそが大切だろうが、先ずは私自身が学び続け、頑 迷固随に陥らぬよう、しかし頑固おやじを貫いてゆく
人間文化・127
ことも肝要かと考えている。
‑林
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導通(はやしひろみち)考古学今年度の調査・研究・教育も主に琵琶湖湖底遺跡 に重点を置くものだった。昨年度から本絡的に実態 究明に乗り出した、長浜市下坂浜千軒遺跡について 今年も集中して調査を行った。湖底での人の生活痕 跡を確認することを第一目標として、水草のまだ繁 茂しない早春から取り組むこととした。今年はスキ ューパダイビングの資格を持つ学生が前半で5人、 後半になると7人となり、効率的に調査を進めるこ とができた。沖合い約190m、水深約3 mの地点で 人工的な盛土の中央に円筒状の物体を埋め込み、四 周に角柱を巡らす遺構を確認し、 実測も行ったが、
詳細lの調査は次年度に持ち越しとなった。
また、同じく長浜市祇園町沖の、村が水没したと いう伝承を持つ西浜千軒遺跡について、初めて調査 を行った。かなり沖合まで遠浅が広がり、遺跡のニ オイが濃厚に漂っていたが、遠浅ゆえに著しく水草 が繁茂し、詳細は次年度以降に持ち越しとなった。
湖底追跡、の成因を究明していくため、以前から地 盤工学分野との共同研究を望んでいたが、 幸いにも 京都大学防災研究所の釜井俊孝教授と大阪市立大学 大学院理学研究科の原口強准教授との合同調査が実 現した。釜井教授は湖岸の陸地部での表面波探査に より、原口准教授は湖上からの音波探査によって地 下の地盤構造を把握し、考古学的調査成果と照合し てその成閃を究明しようとするものである。その最 初の調査を、米原市尚江千軒遺跡で行い、興味深い 結果が判明した。この共同研究のための予算は皆無 であったが、次年度以降は何とか予算を確保する努 力をしながら継続する予定である。
年度後半には、
J R
湖西線「西大津駅」が「大津 京駅」に改称される件で、「大津京」という表現が 適切かどうかという議論が特にマスコミを通して問 題になった。大津京調査に長らく関わってきた者と して、特に問題はないと読売新聞と毎日新聞の文化 欄に投稿し、テレビの報道番組でも自説を主張した が、少々困弊した。‑黒由来蕎(くろだすえひさ)地域学・人類学
4砂今年度のゼミ卒業生は6人。卒論にはこれまでの 半生が直接的に、あるいは背景として表現されてい る。家族に、友人に、未来の自分に伝えたいことを 書く過程で彼らは自己を対象化し大人になってい く。私たちのゼミでは卒論は自己の成長の物語であ る。
4砂私の活動は滋賀県内に集中、ホトラ山 ・焼畑・牛 耕関係の進展をみた。4月に今津町・椋UIIでホトラ 山の火入れの再現。湖西ではコナラ主体の肥草山を 128・人間文化
ホトラ山と l呼ぶ。戦後まもなくまで朽木・椋川の地 域にはおそらく千町歩以上のホトラ山があって、 4 月に集落ごとに一斉に火入れした。これをNHKの 協力で椋川の方たちと小規模に再現、燃えさかる炎 と煙のなかで多くのことを教えていただいた。昔は そのあと山菜を採り、夏にコナラの若枝(ホトラ) や草を刈って厩肥にし、固に入れた。成果は整理中 であるo
5月には県大牛「北国はるえ」にがんばってもら い水田を牛耕、秋に無農薬牛耕米の収穫になった。
来年度はこれを増やし、椋川米のトレードマークに 出来たらと思っている。ちなみにはるえと同僚のき かえは12月に 「椋川太郎
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椋川次郎」をそれぞれ 出産、親代わりの井上四郎太夫さんがとりあげた。6月中岡山地に残る千代田町で花田植え研修。飾 り手綱に挽き鞍・峨を立てた14頭の牛に代掻きをさ せ、田楽に合わせて早乙女が田植えする様は見応え があった。この牛の使い方は古いが効果的な蹄耕法 そのものであり、江戸期農書の絵を見ている感があ った。6月は火野山ネットと市民環境研究センター 共催で 「ファイヤーエコロジーの世界」という3回 の市民講座を京都で開催、また、霊長類学会大会実 行委員会として彦根で 「サルと暮らした自然の森」
の6連続講座をおこなった。
7月lオ本霊長類学会第22回学術大会を県大で開 催。竹下秀子大会委員長と明和政子さん、細馬宏通 さんたちのおかげで大会長の私の任務は軽く、無事 盛会に終わった。千々岩哲さんに主宰していただい た企画「滋賀県の猿害対策で見えてきたこと」は地 域貢献の点でも有意義だったと自負している。学会 後日野町でしゃくなげ学校と里山づくりを開始。
8月は焼畑の季節。椋)11では休耕地を焼いて大板、
福井の河内かぶら、余呉町では永井邦太郎さんと中 河内の方たちと斜度35度ほどの斜面で火入れ、伝統 の山かぶらを作付け。
9月稲刈り。無農薬水田の田草取りには僻易した が、草の繁茂で窒素が抜け、食味値86のすごい米が できた。11月の地区祭 「おつきん椋川」で焼畑作物 好評売り出し。余呉の山かぶらは作付けが遅れて小 振りだったが、摺墨山菜加工組合の評判の漬け物に。
山形の焼畑農家に教えてもらって作った焼畑蕪「柿 酢漬」は絶品で来年は商品化をめざしたい。サルやカ ラスを惹きつける里の果物処理にもなる。実践民俗 学である。その後も12月から茅葺き屋根用の茅刈り。 昔は11月始めに枯れていた茅が12月になっても枯れ ない。カヤネズミの子どもを見つけ、初冬の繁殖発 見例になった。自然のリズムが変わって来ている。
.共同研究
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