研究Ⅰ 運動前と運動中の Crushed ice 摂取に及ぼす
持久的パフォーマンスおよび体温調節応答の比較
3.1 背景と目的
過度の体温上昇は,特に暑熱環境下において運動パフォーマンスを低下させ,場合によってはヒトの
生命の維持にも影響をもたらす (Galloway & Maughan, 1997; Parkin et al., 1999).暑熱環境下における運動 パフォーマンスの低下は,Critical limiting temperature (CLT) への到達が要因のひとつであると多くの先行
研究で報告されている.したがって,暑熱環境下において高い運動パフォーマンスを発揮するためには,
深部体温を低く保ち,CLTへの到達を遅延させることが重要である.その方略のひとつとして,運動前
や運動中の冷却が提案されている (Burdon et al., 2012; Marino, 2002; Siegel & Laursen, 2012).
運動前冷却は,運動開始時に深部体温を低下させることによってCLTへの到達を遅延させ,運動時間 の延長等の持久的パフォーマンスの低下を抑制することが報告されている (Marino, 2002; Siegel and
Laursen, 2012).近年,運動前の体内冷却として水と結晶化した氷の懸濁液であるIce slurryの摂取が有効
であることが報告されている.Siegelら (2010) は,運動前に体重1 kg当り7.5 g (7.5 g/kgBM) のIce slurry
(−1℃) 摂取によって,運動開始時の直腸温が0.66 ± 0.14℃低下し,冷水 (4℃) 摂取に比べて疲労困憊ま
でのランニング時間が19 ± 6%延長したことを報告した.Ice slurryは固体から液体に相転移するのに非 常に大きな熱を吸収するため,同程度の温度の水よりも大きな冷却効果があると考察されている (Ihsan
et al., 2010; Siegel et al., 2010).しかし,Ice slurryの作製には専用の作製器が必要である.またSiegelと
Laursen (2012) が自ら述べているように,競技会等の応用現場では,その作製器の電源の確保,Ice slurry
の運搬の問題もある.Ice slurryに近い氷飲料として,氷を細かく砕いたCrushed iceが考えられる.Crushed
28
iceもIce slurryと同様に固体から液体に相転移するのに大きな熱を吸収すると考えられる.Crushed ice
を用いた研究は1編認められるが,この研究は水道水 (26℃) との比較であった.したがって,Crushed ice 摂取が冷水摂取よりも冷却効果があるかは不明である.
運動中の冷却すなわち,水分補給も暑熱環境下における体温上昇や持久的パフォーマンスの低下の抑
制に有効であると報告されている (Kay & Marino, 2000; Burdon et al., 2012).例えばMundelら (2006) は,
運動中の4℃の飲料摂取は,運動開始30分後から直腸温を19℃の飲料摂取より0.25℃低下させ,疲労困 憊に至るまでのサイクリング時間を11%延長させたと報告している.近年,運動中の氷飲料摂取に関し
ても研究が行われてきた.Stevensら (2013) は,運動中のIce slurryの摂取は32–34℃の温水摂取に比べ,
摂取開始30分後に胃腸内温度を有意に低下させ,10 kmのランニングタイムトライアルの時間を短縮さ せると報告した.
一方,運動前と運動中の水分補給を組み合わせた冷却方略の検討も示されている.Hasegawaら (2006) は,運動前の冷水浸水および運動中の 14–16℃の水摂取は運動前も運動中も冷却を行わなかった試行と 比較して運動開始時の直腸温を0.3℃低下させ,疲労困憊に至るまでのサイクリング運動を164秒間延長
させたことを報告した.上述した運動前のCrushed iceを用いた氷飲料が,冷水摂取より有効かどうかは
明らかではない.また,運動前と運動中に氷飲料を用いた体内方略は未だ検討されておらず,運動前と
運動中の氷飲料摂取が冷水摂取よりも持久的パフォーマンスの低下の抑制に有効かどうかは不明である.
これらのことから,研究Iでは運動前および運動中にCrushed iceを摂取し,その併用による持久的パ フォーマンスおよび体温調節応答に及ぼす影響を検討した.
3.2 方法
1) 被験者
被験者は,健常男性9名 (年齢;23 ± 4歳,身長;1.72 ± 0.06 m,体重;64.0 ± 9.6 kg,V●O2max;47.7 ±
8.7 mL/kg/min) であった.彼らは日常的に運動習慣のある被験者であったが,競技会や大会に出場する
ようなトレーニングは実施していなかった.また,いずれの被験者も非喫煙者であり,常用薬を服用し
ておらず,何ら心臓血管系および呼吸器系の疾病歴を有していなかった.彼らには本実験の目的,方法,
危険性等を十分に説明し,被験者全員から実験に参加することに同意を得た.本実験は,九州大学大学
院人間環境学研究院健康・スポーツ科学講座の倫理委員会により承認を受けて実施した (承認番号 201301).
2) 最大酸素摂取量 (V●O2max) の測定
本試行実験を開始する1週間前に,各被験者の最大酸素摂取量を測定した.
被験者は,2時間以上の絶食状態で測定30分前までに実験室に来室した.実験室に到着後,身長計付
き身体組成計 (TBF-210,タニタ社) を用いて身長および体重を測定した.V●O2maxの測定は,自転車エ ルゴメーター (Ergomedic 828E: Monark社) を用いて各被験者が90 Wから開始し,3分毎に30 Wずつ増
加させる漸増負荷試験法で,疲労困憊まで運動した (図3-1).
呼気ガス関連の指標は,呼気ガス分析器 (AE-310s,ミナト医科学社) を用いて 30 秒毎に測定した.
呼気ガス分析器は,各実験前に混合標準ガス (O2:15.1%; CO2:5.05%) によって較正した.心拍数 (HR) は,
心電図テレメータシステム (DS-3140,フクダ電子社) によって心電図を無線送信し,上記の呼気ガス分
析器にオンライン入力し,30秒毎に求めた.V●O2max の達成基準 (クライテリア) は,V●O2が (1) レベ
30
リングオフに達する,(2) 心拍数が最大心拍数 (220–年齢) の90%以上,(3) 呼吸交換比が1.05以上の3
つとした.このうち 2 つ以上のクライテリアに該当した時のみ値を採用した.被験者個人毎のV●O2max
と運動強度の一次回帰直線を算出し,60%V●O2max強度を求めた.
図3-1. 最大酸素摂取量の測定プロトコル
3) 実験プロトコル
本実験として,Crushed ice摂取 (ICE試行) と冷水摂取 (WATER試行) の2試行を,それぞれ別の日 にランダムで実施した.この2つの試行の手順は同じとした.各被験者は,実験前日より激しい運動や
アルコール,カフェイン,あるいは栄養サプリメント摂取が制限された.彼らは実験の6時間前に食事 を済ませ,2時間前に500 mLの水分を摂取し,それ以降は絶食した.彼らは日内変動を考慮し,同一人
は2つの試行を同時刻に行った.
実験室到着後,半袖シャツと短パンツに着替え,30 分間以上の安静後に身長および体重を測定した.
90 W
0 min 3 6 9 12
120
150
180
Exhaustion
Oxygen uptake, heart rate�
60 rpm (25℃, 50% rh)
その後,彼らはデジタル温湿度計 (PC-5000TRH,佐藤計量器製作所社) で室温および湿度を測定し,35℃,
相対湿度30%に調整された気象室に入室し,測定器具を装着した.直腸温は潤滑剤を塗り,あらかじめ 抵抗値が設定されたサーミスタカテーテル (φ5MAX,抵抗値 [25℃; 30kΩ],ITP010-11,日機装サーモ
社) を直腸内に10–15 cm挿入した.上腕部,胸部,大腿部の3点にあらかじめ抵抗値が設定された温度 電極 (φ3.2MAX,抵抗値 [25℃; 30kΩ],ITP082-24,日機装サーモ社) を装着し,その上を粘着性のあ
るポリ塩化樹脂の断熱剤 (Temperature insulation pad,日本光電工業社) で覆った.
被験者は 5 分間の安静をとり,その後に家庭用のミキサー (TM8100,テスコム社) で作成された
Crushed ice (0.5℃) もしくは冷水 (4℃) を5分間隔で1.25 g/kgBMずつ摂取した.飲料摂取終了後,自転
車エルゴメーター上で5 分間の安静後,60%V●O2max強度で疲労困憊に至るまでのサイクリング運動を 行った.被験者は2つの試行中,運動の15分,30分,45分にも同様の飲料を2.0 g/kgBM摂取した.疲
労困憊は,60 rpmの回転数を10秒以上保てなくなったと場合とした.運動終了後,汗を拭き取り,発汗 が停止してから再び体重を測定した (図3-2).
図3-2. 実験プロトコル
Tre, Tsk, HR!
30 20 15 10 5 0 35� 25
VO2 VO2
5 10 15 20 25 30 35 40 45 VO2
50 55 60 Exhaustion
60%VO2max cycling
RTS, RPE
Ice or Cold water ingestion (1.25 g/kgBM) Ice or Cold water ingestion (2.00 g/kgBM) RTS
HE, BM HE, BM
(35℃ 30 rh)
HE Height!
Tsk Skin temperature Tre Rectal temperature
HR Heart rate BM Body mass!
32
4) 測定項目
測定は酸素摂取量,心拍数,直腸温,3点の皮膚温,温熱感覚 (Rating of thermal sensation: RTS),主観 的運動強度 (Rating of perceived exertion: RPE) および運動時間を行った.また,蓄熱量および発汗量を算
出した.運動中の酸素摂取量は運動開始 9–14 分,24–29 分と 39–44 分の各 5 分間で混合標準ガス
(O2:15.1%; CO2:5.05%) によって較正した呼気ガス分析器によって求めた.HRは心電図テレメータシス
テムによって無線送信し,30秒毎に記録した.直腸温 (Tre),上腕温 (Tar),胸部温 (Tch) および大腿温
(Tth) は実験を通して,5分毎にデータロガー(N542R,日機装サーモ社)に記録した.平均皮膚温 (T−sk)
は,Robertsら (1977) の3点法による [T−sk = 0.43 (Tch) + 0.25 (Tar) + 0.32 (Tth)] から算出した.平均体温 (T−b) は,HardyとDuBois (1938) の [T−b = 0.8 (Tre) + 0.2 (T−sk)] から算出した.蓄熱量 (heat storage) は,
Adamsら (1992) の [Heat storage = 0.965×BM×ΔT−b/ADを用いて算出し,単位はW/m2とした.0.965は 身体特有の蓄熱量であり,ADは身体の体表面積とした.体表面積はDu Bois and Du Bois (1989) の [AD = 71.84BM0.425×Height0.725] から算出した.推定発汗量 (Total sweat volume) は,[Total sweat volume = [運動 前体重−運動後体重+水分摂取量] から算出した.RTSは樫村 (1986) の9段階のスケール [1:とてもさ
むい,2:さむい,3:すずしい,4:すこしすずしい,5:あつくもさむくもない,6:すこしあたたかい,
7:あたたかい,8:あつい,9:とてもあつい] を用いて5分間隔で測定した.RPEはBorg (1973) のス
ケールを日本語訳した小野寺と宮下 (1976) の15段階スケール [7:非常に楽である,9:かなり楽であ る,11:楽である,13:ややきつい,15:きつい,17:かなりきつい,19:非常にきつい] を用いて,
運動開始後5分毎に測定した.
5) 統計処理
結果は,全て平均値±標準偏差で示した.酸素摂取量,心拍数,直腸温,平均皮膚温,RTS,RPEの変
化は繰り返しのある2要因 (飲料×時間) 分散分析 (Two-way repeated measures ANOVA) を用いた.疲労 困憊までの時間,推定発汗量,蓄熱量,疲労困憊時の生理学的指標の変化は繰り返しのある1 要因 (飲 料) 分散分析 (One-way repeated measures ANOVA) で検定した.39分から44分時の酸素摂取量は,4名
の被験者がWATER試行において45分に達する前に疲労困憊に達したため,分析を行わなかった.有 意な交互作用が認められた場合には,単純主効果の検定はBonferroni測定を用いた.また,有意水準は5%
未満とし,有意傾向は10%未満とした.全ての統計処理は,SPSSのバージョン18 (Statistical package for social science) を用いて行った.
3.3 結果
各試行内でのCrushed iceの総量は,運動前が480 ± 72 g,運動中316 ± 67 gであった.運動前の体重
はICE試行 (64.0 ± 9.7 kg) とWATER試行 (64.2 ± 9.4 kg) で有意な差は認められなかった.疲労困憊後
の体重は運動前よりも2試行とも有意に低下した (p < 0.05) が,ICE試行とWATER試行間で有意な差
は認められなかった.推定発汗量も2試行間で有意な差は認められなかった.
1) 疲労困憊までの時間
2試行における各被験者の疲労困憊までのサイクリング時間を図3-3に示した.
34
図3-3. 2 試行における各被験者の疲労困憊までのサイクリング時間
ICE試行 vs. WATER試行 (p < 0.05).
9名のうち8名の被験者がWATER試行に比べICE試行においてサイクリング時間を延長させた (p <
0.05).平均サイクリング時間はICE試行では50.0 ± 12.2分,WATER試行では42.2 ± 10.1分であった.
2) 体温調節応答 (直腸温,平均皮膚温)
2試行における直腸温 (A),平均皮膚温 (B) の経時変化を図3-4に示した.運動開始35分前から15
分前までの直腸温は2試行間で有意な差は認められなかった.しかし,運動開始10分前から,Crushed ice 摂取は冷水摂取以上に直腸温を低下させた (−0.37 ± 0.03℃ vs. −0.17 ± 0.02℃).その結果,運動開始10
分前からICE 試行の直腸温はWATER 試行と比べ有意に低い値を示し,運動開始時においては 0.32 ±
0.09℃低かった (p < 0.05).運動中に直腸温は上昇し続けたが,運動開始30分までICE試行はWATER
試行よりも有意に低かった (p < 0.05).運動開始から疲労困憊までの5分間の平均直腸温の上昇率は,ICE
試行とWATER試行で有意な差は認められなかった (0.23 ± 0.07℃/5分 vs. 0.22 ± 0.07℃/5分).疲労困憊 時の直腸温は,ICE試行とWATER試行でほぼ同じ値を示した (38.87 ± 0.38℃ vs. 38.93 ± 0.52℃).