明治中期の操業の実態
(1)「日誌史料」の概要
「明治二十六季度 日記 沖場係」
「明治廿九年度 日誌 漁監部」
「明治参拾年度 日誌 漁監部」
唐津市教育委員会(旧呼子町教育委員会)所蔵
沖場からの毎日の届出内容をもとにまとめた日誌
内部記録という性格から考えても、その実態を直接 的に示す貴重な史料
記述内容
日付︑天気・風向︑沖立時刻鯨の見立時刻︑発見山見︑鯨種・頭数︑
捕獲経過︑捕獲の有無︑
捕獲鯨の雌雄・大きさ︑沖届者その他︵祭事・儀礼︑従業員の動向等︶
(2)網掛突取による捕獲と銃殺の試行
「午後三時頃平瀬番見立にて母子長須水ノ浦に 請、舩々押出たる処、出魚の模様にて直附廻とな り、沖へ漕当たれば都合やよかりけん向替へ淀へ 遊泳す。此時舩々より充分駆逐したれは、をり瀬 見当位迄にて右へとりたり。双海参り沖へ漕出た るにて、振込時分好と張麾にて網張広たるに、無 程壱水戸弐重皮見事冠たり。突留、持双に掛たる は後五時頃なり。子弐年位にて、何方へ脱泳した るや行衛不相分候。
長須鯨 壱頭 拾三尋
右午後五時於沖網代致捕獲候。」(明治29年度2月21日)
(2)網掛突取による捕獲と
銃殺の試行
「午後一時頃、平瀬水ノ浦相見立にて二本 長須中苫を揚、舩々押出たる処、出廻之模 様に相見へ、駆逐すれども網代不寄、網張 掛たるも張切を脱泳し、附廻となり、沖網代 へも網張懸たれども、是又張切を脱泳し、終 に下の方へ捨る。」 (明治30年度12月29日)
(2)網掛突取による捕獲と
銃殺の試行
明治30年度日誌の記述
=平戸式捕鯨銃の試行開始
「午後二時頃平瀬番見立にて坐頭壱本・・・
舩々駆逐すれども耳不聞、終に津板下りた れば納屋舩より押附発砲したれども、乗失に て当り不申、如馬渡嶋捨る。」
(明治30年度12月23日)
第3回鯨セミナー資料(安永浩氏:佐賀県立名護屋城博物館学芸員)
7
(2)網掛突取による捕獲と
銃殺の試行
明治29年度日誌の記述
火薬の使用、「投したる」「投用」という表現
「・・・長須子持・・・透さす兼て用意の火薬を 投したる処、案の如く水中にて爆発し、続て 又壱本投したるに同様相発し、然る処鯨は 愕然胆を潰したると相見へ後と戻り・・・」
(明治29年度1月1日)
(2)網掛突取による捕獲と
銃殺の試行
ポスカン銃(ボンブランス手投銛)の使用か
銛の柄の部分にボンブランス(破裂銛)の発射装 置を付けたもの。銛が刺さった上で接射される。
平戸では明治15年より本格導入されたが、捕鯨 銃におされ次第に使用されなくなった。
(2)網掛突取による捕獲と
銃殺の試行
(3)捕獲鯨種と捕獲率
4.0 6.4
5.2 捕獲率(%)
10 14
15 捕獲頭数
247 220
288 通鯨見立頭数
30年度 29年度
年 度 26季度
12.1 6.0 7.1 14.4 13.3 10.7 23.2 捕獲率 14.3
25 12 18 31 34 20 44 捕獲 33
206 200 254 216 256 187 190 通鯨 230
1859 1858 1856 1852 1851 1849 1848 年 度 1847
□日誌史料から算出した捕獲頭数と捕獲率
【参考】幕末期の中尾組の捕獲頭数と捕獲率
(3)捕獲鯨種と捕獲率
□日誌史料から算出した鯨種別捕獲率
(%)
10.0 25.0
船出回数ベース 8.1
6.8 17.0
5.6 見立回数ベース
5.2 22.8
3.7 見立頭数ベース
全鯨種 ザトウ
ナガス 鯨 種
(4)祭礼・神事・供養
祭礼(儀礼) ・・・例)出組式
「本日吉辰に付、未明より於事務所出組之 規式挙行し、午前十一時より浪座士山見一 同臨席にて祝宴開、鯨謡七歌三国一之占 取にて十二時二十分出舩。吉例ニ依舞々 式畢て、田嶋神社へ一同弁天社へ壱艘参 拝にて、後二時後芽出度着島。地山には 双苫にて沖立之式執行したる。」
(明治30年度12月1日)
第3回鯨セミナー資料(安永浩氏:佐賀県立名護屋城博物館学芸員)
8
「組仕出中尾氏座鋪ニテ祝席ノ図 波座士等太鼓ヲ打テ 鯨歌ウタフ体」 (『小川島鯨鯢合戦』)
「組仕タシ中尾氏館ノ下ニ三タビマハリ仕形ノ体」
(『小川島鯨鯢合戦』)
(4)祭礼・神事・供養
神事
例1)田島神社への参拝
例2)浮嶽神社への参拝
「加部島田島神社へ総波坐士中より、漁事不調 子に付、臨時参籠立願の旨願出にて、協議の上 左の品々相渡候。
酒弐斗御初穂拾銭・・・」(明治29年度12月30日)
「好天気に付、冬参籠の浮嶽神社へ、壱番親父 社員代理にて手代元三郎参拝の末、後三時頃
帰社になる。」(明治30年度2月1日) 浮嶽神社に奉納された鯨髭
(4)祭礼・神事・供養
供養 ・・・例)亡者供養
「明過より西念寺僧を以、大泊り水ノ浦平 瀬の於三ヶ所に亡者供養致執行候。」
(明治29年度1月14日)
「願海寺、沖場不調子に付、亡者供養執 行相成候。」 (明治30年度1月29日)
(5)神集島の鯨大敷網
「神集嶋に於鰯鯨捕獲有之たる由に候」
(明治29年度2月3日)
「唐津行小川舩の帰途、神集島へ獲鯨至したるも のにはあらざりしやとの風説を為す。其真否判明 ならす。」(明治29年度3月9日)
「神集島大敷網十日引揚之処、日延にて本日引 揚相成たる由、届出になる。」(明治30年度3月7日)
第3回鯨セミナー資料(安永浩氏:佐賀県立名護屋城博物館学芸員)
9
神集島大敷網漁場
(農商務省水産局『水産調査 報告』明治34年より)
(5)神集島の鯨大敷網
鯨敷網中建立のエビス像(明治28年2月建立、神集島黒瀬)
第3回鯨セミナー資料(安永浩氏:佐賀県立名護屋城博物館学芸員)
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 1
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 3
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 5
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 7
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 9
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 11
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 13
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 15
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 17
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 19
A4_4 06.6.22 4:06 PM ページ 21
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 23
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 25
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 27
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 29
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 31
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 33
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 35
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 37
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 39
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 41
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 43
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 45
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 47
A4_4 06.6.22 4:07 PM ページ 49
A4_4 06.6.22 4:08 PM ページ 51
A4_4 06.6.22 4:08 PM ページ 53
A4_4 06.6.22 4:08 PM ページ 55
A4_4 06.6.22 4:08 PM ページ 57
A4_4 06.6.22 4:08 PM ページ 59
A4_4 06.6.22 4:08 PM ページ 61