• 検索結果がありません。

新屋鋪・向新屋鋪の比定

ドキュメント内 A4.Q3 (ページ 61-64)

【第4章】

2  新屋鋪・向新屋鋪の比定

    それでは、以上の資料を参考に、新屋鋪・向新屋鋪の区画比定と、復元模型の方針について 根拠を記す。

1)区画比定の基準

  新屋鋪(しんやしき)・新町

南    →  呼子川  昌輝橋(現在の昌輝橋は、位置が上流に移っているか)

北    →  入口門(現在の木屋の作業場から薬師道)     

東    →  薬師道から山側     西    →  旧海岸線

浜手門(小宮米穀店横の道)

      ※  新屋鋪の内、現在の稲田家から南側は「シンマチ」と呼ばれる。これは、『鯨鯢合戦』

によれば、西側海岸線に建っていた倉の一番南の田島納屋より南側は、舟引場となっ ており、明治以降に埋め立てられたことによる呼称と思われる。

船倉の転用材と思われる個人宅の梁

  向新屋鋪(むかいしんやしき)

    南    →  愛宕神社の山     北    →  呼子川

東    →  観光タクシー付近

    西    →  未詳(船座と呼ばれた山口造船所は、昭和初期まで中島酒店付近にあったが、近 世以来の位置かどうかは未確認)

2)新屋鋪の規模

  「東西二十五間  南北九十間」(鯨鯢合戦)

  東西の基準(旧海岸線―新屋鋪裏の道)

      南北(浜手門→呼子川) 

3)建物の種類・規模・位置

(西)田嶋納屋、六番倉、五番倉、四番倉、浜手門、

      稲田家(南)→小宮米穀脇の通路(北) 

(北)三番倉、二番倉、一番倉、

      薬師道から浜への道(北) 

(東北)前勘定場、便所、便所、風呂部屋、前作事御詰所、苧綯場、八番倉、

      前谷薬局→城谷菓子屋 

(東中)エビス、秋葉、イナリ、

      新道―広場―前田洋品店 

(東南)十四番倉、魚納屋、椎ノ皮煎じ竈       姉川花店(北)→小出(南) 

(南)船倉、鯨船引バ、舟引ヲロシ所

      船倉  橋→河口(間口2間×奥行4間の6区画)=21.6m        橋→上流(間口2間×奥行4間の5区画)=18.0m        鯨船引バ      船倉の前 

舟引オロシ所  稲田家(南)→  河口      4)建物の構造(『小川島鯨鯢合戦』による)

    ①倉

        石積み・土蔵作り、

      (屋根)瓦葺き    (軒)瓦葺き      ②前勘定場、出張所・苧綯場

        (屋根)瓦葺き    (軒)板葺き     ③船倉

      ・1区画(間口二間、奥行四間)船倉が棟続きで6区画と5区画の2棟が離れて建てられ ていた。

      ・入り口は開け放たれていた。換気のために横と裏に窓が設けられていた。

      ・屋根は瓦葺き。

    ④船座

        萱葺き  板壁  

5)新屋鋪・向新屋鋪の役割     ・前勘定場(前作事の事務所)

    ・前作事御詰所(唐津藩の監督者)

    ・網細工(すぐり、撚り、網細工、椎皮煎じ他)

・道具の保管(網、銛他)

    ・造船(船座)、修理、保管 6)備 考

・西側の倉は、海岸線にそって建てられていた(呼子村絵図、鯨鯢合戦)。

・西側の倉は、四棟が分かれて建てられていた(鯨鯢合戦)。

・浜手門は、三番倉に接していた(鯨鯢合戦)

・東側の建物は、現在の道路を基準として建てられ、西側は、海岸線に沿って建てられてい た。

・北側の倉は、浜手門への道と入口までの間の規模で建てられていた。

・便所、風呂部屋等の周辺は、山からの水の便が良かった。

・秋葉社の脇から裏道へ出ること出来た(鯨鯢合戦、呼子村絵図)。

・煎じ釜の側に番屋が建てられ、敷地内全体を見渡せるように建てられていた(鯨鯢合戦)。

・船倉の間から向新屋鋪への渡瀬の飛び石があった(鯨鯢合戦)。

(八幡崇経)

呼子村絵図にみる新屋鋪・向新屋鋪

(入口門、浜手門、新屋鋪をとりまく道などが記されている)

ドキュメント内 A4.Q3 (ページ 61-64)

関連したドキュメント