【第4章】
2 新屋鋪・向新屋鋪の比定
それでは、以上の資料を参考に、新屋鋪・向新屋鋪の区画比定と、復元模型の方針について 根拠を記す。
1)区画比定の基準
新屋鋪(しんやしき)・新町
南 → 呼子川 昌輝橋(現在の昌輝橋は、位置が上流に移っているか)
北 → 入口門(現在の木屋の作業場から薬師道)
東 → 薬師道から山側 西 → 旧海岸線
浜手門(小宮米穀店横の道)
※ 新屋鋪の内、現在の稲田家から南側は「シンマチ」と呼ばれる。これは、『鯨鯢合戦』
によれば、西側海岸線に建っていた倉の一番南の田島納屋より南側は、舟引場となっ ており、明治以降に埋め立てられたことによる呼称と思われる。
船倉の転用材と思われる個人宅の梁
向新屋鋪(むかいしんやしき)
南 → 愛宕神社の山 北 → 呼子川
東 → 観光タクシー付近
西 → 未詳(船座と呼ばれた山口造船所は、昭和初期まで中島酒店付近にあったが、近 世以来の位置かどうかは未確認)
2)新屋鋪の規模
「東西二十五間 南北九十間」(鯨鯢合戦)
東西の基準(旧海岸線―新屋鋪裏の道)
南北(浜手門→呼子川)
3)建物の種類・規模・位置
(西)田嶋納屋、六番倉、五番倉、四番倉、浜手門、
稲田家(南)→小宮米穀脇の通路(北)
(北)三番倉、二番倉、一番倉、
薬師道から浜への道(北)
(東北)前勘定場、便所、便所、風呂部屋、前作事御詰所、苧綯場、八番倉、
前谷薬局→城谷菓子屋
(東中)エビス、秋葉、イナリ、
新道―広場―前田洋品店
(東南)十四番倉、魚納屋、椎ノ皮煎じ竈 姉川花店(北)→小出(南)
(南)船倉、鯨船引バ、舟引ヲロシ所
船倉 橋→河口(間口2間×奥行4間の6区画)=21.6m 橋→上流(間口2間×奥行4間の5区画)=18.0m 鯨船引バ 船倉の前
舟引オロシ所 稲田家(南)→ 河口 4)建物の構造(『小川島鯨鯢合戦』による)
①倉
石積み・土蔵作り、
(屋根)瓦葺き (軒)瓦葺き ②前勘定場、出張所・苧綯場
(屋根)瓦葺き (軒)板葺き ③船倉
・1区画(間口二間、奥行四間)船倉が棟続きで6区画と5区画の2棟が離れて建てられ ていた。
・入り口は開け放たれていた。換気のために横と裏に窓が設けられていた。
・屋根は瓦葺き。
④船座
萱葺き 板壁
5)新屋鋪・向新屋鋪の役割 ・前勘定場(前作事の事務所)
・前作事御詰所(唐津藩の監督者)
・網細工(すぐり、撚り、網細工、椎皮煎じ他)
・道具の保管(網、銛他)
・造船(船座)、修理、保管 6)備 考
・西側の倉は、海岸線にそって建てられていた(呼子村絵図、鯨鯢合戦)。
・西側の倉は、四棟が分かれて建てられていた(鯨鯢合戦)。
・浜手門は、三番倉に接していた(鯨鯢合戦)
・東側の建物は、現在の道路を基準として建てられ、西側は、海岸線に沿って建てられてい た。
・北側の倉は、浜手門への道と入口までの間の規模で建てられていた。
・便所、風呂部屋等の周辺は、山からの水の便が良かった。
・秋葉社の脇から裏道へ出ること出来た(鯨鯢合戦、呼子村絵図)。
・煎じ釜の側に番屋が建てられ、敷地内全体を見渡せるように建てられていた(鯨鯢合戦)。
・船倉の間から向新屋鋪への渡瀬の飛び石があった(鯨鯢合戦)。
(八幡崇経)
呼子村絵図にみる新屋鋪・向新屋鋪
(入口門、浜手門、新屋鋪をとりまく道などが記されている)