ナバラ王国 カタルーニャ地方 スペイン
― 201 ― 黒
死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
バ ルセ ロナ の司 祭の 黒死 病に よる 死亡 率 一三 四四 年・ 一三 五〇 年の バル セロ ナの 司祭 職 六 一六 黒死 病で 空位 にな った 司祭 職
三 八〇 司祭 の疫 病期 の死 亡率
六〇 パー セン ト ペ
ルピ ニャ ン︵ 現フ ラン ス︶ の法 曹関 係者 の死 亡率 黒死 病前 に確 認さ れた 法曹 関係 者
一 二五 人 黒死 病後 に確 認さ れた 法曹 関係 者
四 五人 法曹 関係 者の 死亡 率 五八
〜六 八パ ーセ ント 第三
節 フラ ンス
││ 旧プ ロヴ ァン ス伯 領︑ 旧サ ヴォ ア伯 領そ の他
││
︵ 一︶ プロ ヴァ ンス 伯領
︵
pp.309−315.
︶ 一 四世 紀の プロ ヴァ ンス 伯領 の歴 史 人 口 学の 優 れ た研 究 は︑ ま ず︑ E・ バラ テ ィ エ がお こ な った
﹃世 帯 台 帳﹄
︵一 種の 財政 台帳
︶の 研究
︵一 九六 一年
︶が ある
⒇
︒そ れは 地図 4﹁ プロ ヴァ ンス 伯 領 にお け る 黒 死病 死 亡 率の わ か る共 同体
﹂に ある よう に︑ 対象 とす る一 六の 共同 体は プロ ヴァ ンス 伯領
︵プ ロヴ ァン ス地 方︶ にほ ぼ万 遍な く広 がっ てい る︒ この 台帳 は貧 民の 世帯 も含 めた すべ ての 世帯 が記 録さ れて いた が︑ ただ 全体 の﹁ 八パ ーセ ント
﹂に 相当 する 聖職
黒 死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
― 202 ―
地図4
プロヴァンス伯領における黒死病死亡率のわかる共同体
(
Be ne di ct ow, 309.
)― 203 ― 黒
死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
者・ 貴族 は原 則と して 免税 者と して 記録 から 除外 され てい た︒ この 特権 階級 の死 亡率 がか なり 低か った とい うこ とは あり そう なこ とだ が︑ 全体 の死 亡率 に影 響す るほ どの もの では ない だろ う︵
p.308.
︶︒ バ ラテ ィエ によ ると
︑一 四世 紀の 前半 のプ ロヴ ァン ス地 方︵ 地図 3﹁ プロ ヴァ ンス 伯領 にお ける 黒死 病死 亡 率の わ か る 地域
﹂︶ で は その 人 口 の四 分 の 一 か ら 三 分 の一 が
﹁都 市 共 同体
﹂で あ っ た と い う︒ す な わ ち︑ 共同 体は
︑ペ スト 前の 時期 にお いて
﹁一
〇〇
〇人
﹂の 住 民数 を 越 え ると
﹁都 市 共 同 体
﹂︑ そ れ 以 下 は
﹁農 村 共 同 体﹂ に 分 類 さ れ る
︒こ の﹁ 一
〇
〇
〇 人
﹂の 規 模 は︑ ペス ト前 の世 帯規 模で
﹁二 二〇
〜二 五〇 世帯
﹂に 相当 する
︵
p.310.
︶︒ 表 7﹁ 黒死 病前 後の プロ ヴァ ンス の都 市・ 村落 の世 帯数 の変 動﹂ は九 つの 都市 共同 体と 七 つの 農 村 共 同体 を 示 すも の で あ る︒ す な わ ち︑
﹁都 市﹂ は︑ エッ クス
︑グ ラー ス︑ アプ トゥ
︑リ エ︑ ヴァ ラ ン ソ ー ル
︑ム テ ィ エ
︑フ ォ ル カ ル キ エ︑ デ ィ ー ニ
表
7
黒死病前後のプロヴァンスの都市・村落の世帯数の変動(Benedictow, 311.)
%
45.5 45.5 52.0 69.0 66.0 67.0 53.0 41.5 29.0 48.0 70.0 55.5 72.5 72.5 46.0 24.0 52.0 1356 810 1355
444
260 1354
213 226 204 1352
75 49
3664 1350 738
281 1349
213 12 11 40 1345 1486
926
144 40 110 40 92 122 1340
1360 680 660 622 600 444 300
29 7655
都市・村エックス グラース アプトゥ リエ
ヴァランソール ムティエ フォルカルキエ ディーニュ リアン シガル コンセグードゥ ロケステロン サンタンドレ サン・ポール カンゾン エスパロン
計
黒 死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
― 204 ―
ュ︑ リ アン で あ り︑
﹁ 農村
﹂は
︑シ ガ ル︑ コ ン セ グ ー ド ゥ
︑ロ ケ ス テ ロ ン
︑サ ン タ ン ド レ
・ダ ミ ラ︑ サ ン・ ポ ー ル︑ カン ゾン
︑エ スパ ロン
・ド ゥ・ ヴェ ルド ンで あっ た︒ エ ック スは
︑ほ ぼ﹁ 六〇
〇〇 人﹂
︑ グラ ース は ほ ぼ﹁ 五四
〇
〇 人﹂ の住 民 か らな る 中 都 市で あ っ た︒ この 二 つ を除 いて ほか は小 規模 であ った
︒一 方︑ 農村 共同 体に つい ては
︑一 番大 きな もの で︑ わず か約
﹁六 五〇 人﹂ のシ ガル であ った
︒農 村共 同体 のい くつ かは
︑お そら く﹁ 二〇
〇人
﹂を 下回 って いた
︒都 市︵ 町︶ の人 口は
︑プ ロヴ ァン ス地 方の ペス ト前 の総 世帯 数﹁ 一万 八〇
〇〇 世帯
﹂の うち
﹁七
〇〇
〇世 帯﹂ 以上
︑す なわ ち﹁ 三九 パー セン ト﹂ を占 めて いる
︵
p.310.
︶︒ プ ロヴ ァン スに おい て農 村世 帯は 人口 の四 分の 三を 構成 して いる が︑ 表7 のな かの 七つ の農 村共 同体 は︑ ペス ト前 に 登録 さ れ た プロ ヴ ァ ンス 伯 領 の全 農 村 世 帯﹁ 四万 五
〇
〇〇 世 帯﹂ の う ちの わ ず か
﹁一
・三 パ ー セ ン ト
﹂に す ぎ な い︒ しか し︑ これ は一 三四
〇年 代と 一三 五〇 年代 の様 々な 場所 での 記録 を反 映し てい るの で︑ 全体 的傾 向を よく 反映 して いる とい える
︒た とえ ば︑ その ひと つと して
︑黒 死病 によ る世 帯減 少率 が都 市と 農村 にお いて よく 似た 数値 で認 めら れる
︒す なわ ち︑ 都市 世帯 で﹁ 五二 パー セン ト﹂
︑ 農村 世帯 で﹁ 五二
・五 パー セン ト﹂ であ る︒ し かし
︑実 際に は黒 死病 によ る減 少は もっ と激 し か っ たこ と が 考え ら れ る︒ とい う の は︑ 九 都市 の う ち七 都 市 は︑
﹁ 一三 五 二 年〜 一 三五 七 年﹂ の 世帯 数 で あり
︑ま た
︑七 つ の 農村 の う ち
︑四 つ の 農 村 は
﹁一 三 五 二 年〜 一 三 五 五 年﹂ の世 帯数 であ り︑ いず れも 黒死 病直 後の もの では ない
︒一 三四 八年 には 猛威 を振 った 黒死 病の 後︑ 新た な結 婚の ラッ シュ や︑ 農村 部か ら都 市部 への 移住 が多 くあ り︑ 都市 部で 世帯 数が 増加 した こと が考 えら れる
︒こ の都 市の 世帯 の増 加は
︑控 えめ に見 ても 年率
﹁約 一パ ー セ ン ト﹂
︑農 村 部 は﹁
〇・ 七五 パ ー セン ト
﹂あ っ た と見 な さ れる
︒こ う し たこ
― 205 ― 黒
死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
とか ら見 て︑ 実際 には 黒死 病直 後に は都 市で は﹁ 三二
〇〇 世帯
﹂︑ 農 村で は﹁ 二六 五世 帯﹂
︑合 わせ てお よそ
﹁三 四六 五 世帯
﹂で あ っ た だろ う
︒こ う して そ の 数を 黒 死 病 前の 世 帯 数と 比 べ る と︑ 黒死 病 に よる 世 帯 数の 減 少 は 農 村 部 で
﹁ 五四 パー セン ト﹂
︑都 市部 では
﹁五 五パ ーセ ント
﹂と なる
︵
pp.310−312.
︶︒ 次 に︑ 世帯 数か ら人 口を 割り 出さ なく ては なら ない
︒こ の際 に︑ 黒死 病に よっ て引 き起 こさ れた 平均 世帯 規模 の減 少を 考慮 に入 れな けれ ばな らな い︒ すな わち
︑標 準想 定に よる と︑ 世帯 規模 の平 均は
︑黒 死病 によ って 農村 で﹁ 四・ 五人
﹂か ら﹁ 四人
﹂に 減少 し︑ 都市 にお いて は﹁ 四人
﹂か ら﹁ 三・ 五人
﹂に 減少 した
︒こ の結 果︑ 全人 口は
︑黒 死病 直前 の﹁ 三万 九五
〇人
﹂か ら黒 死病 猖獗 直後 の﹁ 一万 二二 六〇 人﹂ に減 少し たこ とに なる
︒す なわ ち︑ プロ ヴァ ンス 地方 は︑ およ そ都 市部 で﹁ 六〇
・五 パー セン ト﹂ の減 少︑ 農村 部で
﹁五 九パ ーセ ント
﹂の 減少 であ る︵
p.312.
︶︒ これ まで 黒死 病に よっ ても たら され た死 亡率 は︑ 都市 の方 が農 村よ り高 かっ たと 推論 され てき たが
︑こ れに は何 も根 拠が ない こと がわ かる
︒ そ の ほ か︑ 黒 死病 後 の﹁ 見 えざ る 貧 民﹂ の問 題
︑一 三 四
〇年 代 の 増減 を 考 慮し て
︑最 終 的 に 納 税 世 帯 の 減 少 率 が
﹁ 五四
・五 パー セン ト﹂
︑納 税人 口の 死亡 率が
﹁六
〇パ ーセ ント
﹂で あり
︑総 人口 死亡 率も
﹁六
〇パ ーセ ント
﹂と 判断 され る︵
p.337.
︶ プ
ロヴ ァン ス伯 領の 九つ の都 市共 同体 と七 つの 農村 共同 体の 黒死 病に よる 総人 口死 亡率 黒死 病直 前の 人口 三 万〇 九五
〇人 黒死 病直 後の 人口 一 万二 二六
〇人
黒 死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
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調 整 後 の 総 人 口 の 黒 死 病 死 亡 率 六
〇 パ ー セ ン ト︵ 都 市 六
〇・ 五 パ ー セ ン ト︑ 農村
五 九パ ーセ ント
︶
︵ 二︶ サヴ ォア 伯領
︵現 フラ ンス 領の 部分
︶ ウジ ヌ村 の五 教区 の場 合 プ ロヴ ァン ス地 方の 北に
︑現 在フ ラン スに 属す る﹁ サヴ ォア
﹂が ある
︒一 四世 紀 には 神聖 ロー マ帝 国の 内の
﹁サ ヴォ ア伯 領﹂ であ った
︒し かし それ は独 立し た﹁ サ ヴォ ア国
﹂と して 機能 した
︒こ の地 域に は上 質の 史料 とし て注 目さ れる 人口 財政 台 帳が 残さ れ︑ それ につ いて R・ ブロ ンデ ィと B・ デモ とR
・ル ガリ によ る優 れた 共 同研 究︵ 一九 八四 年︶ があ る
︒ この 地 域は と て も広 く
︑現 在 の スイ ス の ヴァ レ ー 州︑ イタ リア のピ エモ ンテ 州と ヴァ ッレ
・ダ オス タ州 のそ れぞ れの 一部 をも 含む 地 域で あっ た︒ まず
︑シ ャン ベリ ー︵ 現フ ラン ス・ サヴ ォア 県︶ の北 東六
〇キ ロメ ー トル に位 置す る ウジ ヌ 村 か ら五 つ の 教区
︵全 部 で 七つ 教 区 が ある
︶︑ す な わち ウ ジ ヌ教 区︑ コン ス教 区︑ マー リー ン教 区︑ ケー ジュ 教区
︑エ リ教 区を 取り 上げ る︵ 表 8﹁ ウ ジ ヌ 村 の 五 教 区 の 上 納 金 支 払 い 世 帯 数 の 減 少
││ 一 三 三 一〜 一 三 五 三 年
││
﹂︶
︒ ウ ジヌ 村に は納 税世 帯主 を記 録す る﹁ 上納 金報 告書
﹂が あり
︑そ れは 黒死 病前 の
表
8
ウジヌ村の5
教区の上納金支払い世帯数の減少(1331〜1353年)(Benedictow, 319.)
減少率
(%)
53 45 73 36 48 51
世帯数1353 156
17 32 111 84 400
世帯数1331 333
31 120 174 163 821
教区ウジヌ コンス マランス ケージュ エリ
計
― 207 ― 黒
死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
一三 三一 年の もの と黒 死病 後の 一三 五三 年の もの とが ある
︒両 者の 間に は一 二年 もの 開き があ り︑ 人口 の増 減が あっ たは ずな ので
︑そ のま まで は比 較で きな いが
︑黒 死 病 の 死亡 率 の 大ざ っ ぱ な推 定 は 可 能で あ る︒ 表8 に 示す よ う に︑ 領 主 に 上 納 金 を 支 払 っ て い る 教 区 の 世 帯 数 は こ の 間 に﹁ 五 一 パ ー セ ン ト﹂ 減 少 し た
︵一 九 七 五 年 の B・ デ モ の 研 究︶
︵
p.315.
︶︒ 黒 死病 死亡 率を 割り 出す ため には
︑﹁ 黒 死病 直 前 の世 帯 数﹂ と﹁ 黒 死病 直 後 の世 帯 数﹂ が 確 認で き な けれ ば な らな い︒ 現在 得ら れて いる
︑か なり 離れ た年 代の 二つ の史 料か ら︑ その 両者 の世 帯数 を推 定す るに は︑ 次の 調整 が必 要で ある
︒ま ず︑ 一三 三一 年か ら黒 死病 直前 まで の人 口推 移︵ 増減
︶を 考え
︑黒 死病 直前 に存 在し たと 考え られ る世 帯数 を割 り出 すこ と︑ 次に
︑黒 死病 直後 の人 口を 割り 出す ため に︑ 黒死 病直 後か ら一 三五 三年 に至 るま での 人口 推移 を考 え︑ 黒死 病直 後に 存在 した と考 えら れる 世帯 数を 割り 出す こと であ る︒ 一 三三 一年 から 黒死 病直 前ま でに あっ たか もし れな い人 口の 増減 の問 題に つい ては
︑こ の史 料を 扱っ た研 究者 デモ は問 題に して いな いが
︑サ ヴォ ア伯 領の 地域 研究 を お こ なっ た ほ かの 研 究 者は
︑皆 一 様 に︑ 増 減を 問 題 にし て い る︒ いず れに して も︑ この 地域 は畜 産業 がお こな われ てい たの で︑ 黒死 病前 の飢 饉に よる 食糧 不足 をそ れに よっ て補 うこ とが でき
︑人 口減 に歯 止め がか かっ たこ とだ ろう
︒結 局︑ 黒死 病直 前の 世帯 数は 一三 三一 年の もの と同 じと 見る
︒ 次 に︑ 黒死 病直 後か ら一 三五 三年 まで の五 年間 につ いて は︑ どの 地域 につ いて も特 徴的 であ る結 婚等 によ る世 帯数 の増 加を 考慮 し︑ 標準 想定 を適 用し て
︑世 帯 数 は五 年 間︑ 毎 年﹁
〇・ 七五 パ ー セン ト
﹂の 増 加 があ っ た と仮 定 す る︒ そこ で得 られ た世 帯数 の増 加分 は﹁ 一五 世帯
﹂で あり
︑一 三五 三年 の時 点の
﹁四
〇〇 世帯
﹂か ら﹁ 一五 世帯
﹂を 差し 引い て﹁ 三八 五世 帯﹂
︵ 黒死 病直 後の 世帯 数︶ が得 られ る︒ この よう に見 ると
︑黒 死病 によ る世 帯数 の減 少率 は︑
﹁五
黒 死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
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