性・身分 死者の数 非疫病死 全ての死の中の
疫病死の割合
― 259 ― 黒
死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
人﹂ で ある
︵若 干 名 は 疫病 以 外 の 理 由 の 死 去 か も し れ な い が︑ こ こ で は 便 宜 的 に 無 視 す る
︶︒ こ れ は 死 者 の 総 数 の
﹁ 四六 パー セン ト﹂ に及 ぶ︒ 夏と 冬か ら見 ると
︑一 四世 紀と 一 五 世紀 に ま たが る 一 六〇 年 間 に 死ん だ 男 性の ほ ぼ 半数 は︑ 実に 疫病 死に よる もの であ った のだ
︒ で は︑ 女性 はど うだ ろう か︒ 女性 につ いて は︑ 幸い
︑台 帳に 記載 する 時に
︑家 庭的 な身 分を 記載 する 習慣 があ った ので
︑そ の女 性が
﹁妻
﹂で あっ た か︑
﹁ 寡 婦﹂ であ っ た か︑ 未婚 で あ った か が 都 合良 く わ かる
︒総 数
﹁三 六 六人
﹂の 女性 の死 亡者 のう ち︑ 妻の 身分 で死 んだ 女 性 が﹁ 二 一六 人
﹂で あ った
︒そ の う ち疫 病 に よ らず に 死 んだ 女 性 は︑
﹁一 三三 人﹂ であ った
︒こ れは
﹁六 二パ ーセ ント
﹂で ある
︒男 性の 死亡 者の
﹁非 疫病 死者
﹂が 五四 パー セン トで あっ たの に対 して
﹁八 パー セン ト﹂ 高い 数 値︑ つ ま りペ ス ト に強 い 数 値が 出 て い る︒ 次に
︑疫 病 死 は﹁ 八三 人
﹂で あ り︑
﹁三 八パ ーセ ント
﹂で あり
︑男 性の 疫病 死の 割合
﹁四 六パ ーセ ント
﹂よ りも
﹁八 パー セン ト﹂ 低い
︒つ まり 疫病 に対 する 女性 の相 対的 な強 さが 認め られ る︒ 寡婦 に至 って は︑ 疫病 に対 する 強さ は顕 著で ある
︒寡 婦の 全死 者﹁ 七五 人﹂ のう ち︑ 疫病 で死 なな かっ た寡 婦は
﹁六 二名
﹂︵
﹁ 八三 パー セン ト︶ であ る︒ 寡婦
︑つ まり 高齢 の女 性は
︑お そら くほ とん ど疫 病に かか らず に︑ 天寿 を全 うし て
﹁高 齢 死﹂
︵ 当時 こ う 言っ た
︶し た り︑ ほか の 理 由 で死 亡 し たの で あ る︵ この 時代 の女 性の
﹁長 生き
﹂に つい てA
・カ ーマ イケ ルは 一五 世紀 のフ ィレ ンツ ェの 穀物 局の
﹃死 者台 帳﹄ から 実証 して い る⑶
︶︒ そ し て
︑わ ず か﹁ 一三 人
﹂の み が疫 病 死 と認 め ら れ る︒ これ は
︑寡 婦 全体 の
﹁一 七 パ ー セ ン ト
﹂と い う 際 だっ た疫 病死 の低 さで ある
︒独 身女 性の 場合 は︑ 概ね 妻の 割合 と近 いも のに なっ てい る︒ 私 が以 上で 述べ たこ とか ら︑ ベネ ディ クト ーの よう に幼 児と 女性 を同 列に 扱う こと は誤 りで ある こと がわ かる
︒実 際︑ この 観点 から
︑モ ーリ エン ヌ︵ サヴ ォア 伯領
︶の 農村 にあ った グル ニの 村の 人び との 運命 の一 覧を もう 一度 見て
黒 死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
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みる 価値 があ るだ ろう
︒ 全 村で 一一 軒︑ 男性 世帯 一〇 軒か らな るグ ルニ 村の 場合
︵表 22﹁ グ ルニ の村 の夫 と妻 の疫 病死 の比 較﹂
︶︑ ほ とん どど の家 も幼 児や 子ど も がい るよ うで
︑そ れを 育て 養う 母親 がい たよ うで ある
︒そ れに もか か わら ず︑ 22表 から
︑妻 の死 につ いて は二 軒の 家に つい ての み言 及さ れ てい るに すぎ ない
︒一 方︑ 一家 の大 黒柱 の男 性︵ 世帯 主︶ の疫 病死 は 六軒 に及 んで いる
︒こ の例 は︑ 極め て小 規模 な村 であ って 全体 の傾 向 を代 表す るも ので ある かは
︑疑 問で ある が︑ こと によ ると
︑ペ スト に 対す る女 性の 強さ
︑男 性の 弱さ を示 して いる 典型 かも しれ ない
︒ベ ネ ディ クト ーが みず から 紹介 した この 村の 状況 から も彼 の基 本的 な考 え 方が やや 疑問 視さ れる
︒つ いで に言 うと
︑こ のグ ルニ の村 の実 態か ら見 ると
︑ベ ネデ ィク トー の考 える 世帯 規模
︑つ まり 黒死 病前 の四
・五 人︑ 黒死 病後 の四
・〇 人と いう 標準 想定 も疑 問視 され る︒ 第二
節 疑問
︵ 一︶ 残さ れた 地域 と共 同研 究の 必要 性 ベ ネデ ィク トー は︑ 彼の 著書 にお いて ひと りの 研究 者が でき る最 大の こと をお こな った よう に思 う︒ これ 以上 のも のを 望め ば︑ 出版 はも う一
〇年 ほど 遅れ たこ とだ ろう
︒ひ とり の人 間で これ だけ 広汎 にか つ詳 細に 考察 を展 開で きる
表
22
グルニの村の夫と妻の疫病死の比較●疫病死 ○生存
子ども
●●●
●○
●○
●
●
○
●●●
●○
○○○
― 妻
○
○
○
○
○
○
○
●
○
● 世帯主(夫)
●
●
―
○
●
●
●
○
●
○
1
2 3 4 5 6 7 8 9 10
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死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
もの かと
︑た だ驚 かざ るを 得な い︒ そこ には 長い 年月 の労 苦が あっ たに 違い ない
︒た とえ ば︑ 著書 のな かの
︑わ ずか 一頁 から 二頁 程度 の文 章で も立 派な 専攻 論文 のよ うな 高い 専門 性を もっ てお り︑ そこ には
︑あ りが ちな 啓蒙 的︑ 通俗 的な 概説 的要 素は ない
︒ し かし それ でも ひと りで でき るこ とは やは り限 界が ある
︒こ の著 作の 巻末 にあ る参 考文 献表 を見 ると
︑ま だ言 及さ れて いな い都 市で 黒死 病死 亡率 の特 定が 可能 に思 われ るよ うな 論文 がか なり 見受 けら れる
︒ま ず︑ ベル クド ルト の黒 死病 の名 著⑷
が 出版 され たド イツ の場 合︑ 自治 性の 高い 有力 な中 世都 市な ら
︑そ こ には き っ と 黒死 病 死 亡率 の 推 定に 役立 つ史 料が まだ ある よう に思 われ る︒ ブレ ーメ ンの 場合
︑都 市は
︑特 に黒 死病 の症 状で 死ん だ者 の数 をひ とり ずつ リス トに 記載 し︑ その 数は
﹁六 九六 六人
﹂に なっ たと いう
⑸
︒ド イ ツ では
︑ギ ル ド の 結束
・組 織 力 も強 く
︑そ の 関係 で史 料が あり そう であ る︒ また
︑ド イツ では
︑壮 大な
︽死 の勝 利︾ や︽ ダン ス・ マカ ブル
︾の よう な︑ ペス トへ の脅 威の 感情 から 直接 うま れた 一群 の傑 作が あり
︑ま た︑ それ に関 して 優 れ た研 究 が あ る⑹
︒ イタ リ ア の場 合
︑ヴ ェ ネツ ィア は史 料が 豊富 に存 在し てい るよ うに 思わ れる
︒ヴ ェネ ツィ アは
︑そ のじ めじ めし た不 衛生 な風 土か らし ばし ばペ スト の温 床と なっ たの で│
│ト ーマ ス・ マン も﹃ ヴェ ニス に死 す﹄ でコ レラ の蔓 延す るこ の町 を描 写し てい る│
│ペ スト を語 らず して ヴェ ネツ ィア の歴 史は 語れ ない であ ろう
⑺
︒ヴ ェネ ツィ ア の 芸術 と 宗 教 を代 表 す るサ ン
・ロ ッ コの 大信 心会 は︑ ペス ト除 けを 祈願 した 信心 会で ある
︒ま た︑ サン
・セ バス ティ アヌ スも 同じ よう にペ スト 除け の聖 人で ある が︑ 私は この 町に
︑こ の聖 人に 祈願 した 美術 作品 を探 して みた が
︑何 と 二五 点 も 見 つけ る こ とが で き た⑻
︒ ヴェ ネツ ィア の歴 史に おい て︑ ペス トは
︑そ れが 猛威 を振 るわ なか った 時で も︑ ペス トの 脅威 の意 識は 人び との ここ ろの なか で︑ 通奏 低音 のよ うに ずっ と不 気味 に鳴 り響 いて いた
︒今 もカ ナル
・グ ラン デ︵ 大運 河︶ から 見え る教 会に はペ
黒 死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
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スト 除け を祈 願し たも のも ある
︒パ ッラ ーデ ィ オ も その 関 係 の建 築 物 を残 し て い る︵ レデ ン ト ーレ 教 会︶
︒ また
︑ヴ ェネ ツィ ア以 外の 場合
︑た とえ ばピ スト イア につ いて は︑ ハー リヒ ーの ほか に︑ コム ーネ によ るシ リー ズの 研究 があ る⑼
︒ オル ヴィ エー トに つ い ては
︑カ ル パ ンテ ィ エ の 優れ た 研 究が あ る⑽
︒ イ タリ ア に つ いて は
︑ベ ネ ディ ク ト ーが 地域 研究 の成 果を 言及 して いな い南 イタ リア でも 若干 の成 果が あり
⑾
︑今 後 の 関心 が 高 ま るこ と が 期待 さ れ る︒ おそ らく 東欧 も同 様で あろ う︒ ベ ネデ ィク トー が示 した 歴史 人口 学の 手法 を今 後他 の地 域に 応用 発展 させ て黒 死病 の実 態が いっ そう 広く 把握 され るこ とが 期待 でき る︒ イス ラー ム世 界︵ マム ルー ク朝
︶も 従来 から 死亡 率﹁ 三分 の一 説﹂ で通 って いる よう だが
︑こ れを 機に 再点 検さ れる かも しれ ない
︒ い ずれ にし ても ヨー ロッ パ全 体の 死亡 率の 特定 とな ると
︑や はり ひと りの 研究 者で は力 の限 界が ある
︒共 同研 究を 組織 して いく こと で対 処す べき であ ろう
︒そ うす れば
︑そ れを 機に 新し い史 料の 発見 の可 能性 もま た高 まる こと であ ろう
︒
︵ 二︶
﹁標 準想 定﹂ の想 定の 問題 ベ ネデ ィク トー が︑ 人口 把握 にお いて 一種 の﹁ てこ
﹂と して 応用 す る﹁ 標準 想 定﹂
standard assumption
は︑ 検 証さ れる べき 課題 であ る︒ 今後
︑そ れが 正当 に想 定し うる もの か︑ 想定 しう るな らば
︑地 域の 実態 をい っそ う精 緻に 把握 して きめ 細か い基 準を 設定 して いく べき であ ろう
︒た とえ ば︑
﹁ 世帯 規模
﹂な どの 場合
︑黒 死病 前の 世帯 規模 にせ よ︑ 以後 の﹁ 縮小 化﹂ され た世 帯規 模に せよ
︑ア ルプ スの 北と 南︑ 山間 部と 地中 海沿 岸地 域︑ その 他の 地理 的︑ 文化 的状
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死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
況に よっ てか なり 差が 出る と思 われ る︒ 一律 に同 じ設 定で はな く︑ 事例 を数 多く 集積 し︑ そこ から いく つも の類 型を 設け てそ れに よっ て対 応す べき であ るよ うに 思わ れる
︒お そら くこ れに つい て︑ 今後 より きめ 細か い﹁ 標準 想定
﹂を 提起 する 研究 者が あら われ るこ とだ ろう
︒ま た︑ 中世 にお いて
﹁都 市﹂ と﹁ 農村
﹂の 違い は微 妙で ある
︒ベ ネデ ィク トー が総 人口 を見 積も る場 合︑ その 共 同 体 を﹁ 都市
﹂と 認 定 する か
︑﹁ 農 村﹂ と認 定 す る かに よ っ て︑ 世帯 規 模 の基 準が 大き く異 なり
︑総 人口 の人 数の 算出 にも かな りの 違い をも たら す︒ 一四 世紀 のト スカ ーナ 地方 のよ うな 都市 の性 格の 非常 に高 い地 域と
︑ア ルプ スの 北の 地域 のそ れほ ど﹁ 都市
﹂の 性格 の強 くな い﹁ 都市
﹂と では
︑か なり の差 がで てく るだ ろう
︒こ の意 味か らも
︑地 域に よっ て精 緻な 基準 が設 定さ れる べき であ ろう
︒ ま た︑ 彼が いつ も遠 慮が ちに
︑控 えめ に提 起す る︑ 黒死 病後 の﹁ 世帯 の縮 小﹂
︵ 各世 帯﹁
〇・ 五人
﹂分 減少
︶﹂ が妥 当な のか
︑一 律に その よう に扱 える もの なの か︑ もっ と遠 慮な く差 し引 くべ きな のか
︑数 多く の事 例の 集積 が鍵 とな ろう
︒ ピ スト イア の公 証人 セル
・パ オロ の記 録を 利用 した リー ヴィ
・バ ッチ によ ると
︑ピ スト イア のサ ン・ ヴィ ター レ教 区 の黒 死 病 に よる 世 帯 の縮 小 の 度合 い が わ か る⑿
︒ そ れ に よ る と︑ 一 三 四 八 年 の 疫 病 で 死 者 を 出 し た 家 は
﹁一 一
〇 戸﹂ であ った
︒疫 病に よっ て︑ ひと りの 死者 を 出 し た家 族 が﹁ 四 二パ ー セ ント
﹂︑ 二 人 の 死者 を 出 した 家 族 が﹁ 三五 パー セン ト﹂
︑ 三人 の死 者を 出し た家 族が
﹁一 五 パ ー セン ト
﹂︑ 四 人の 死 者 を出 し た 家 族が
﹁四 パ ー セン ト
﹂︑ 五 人の 死者 を出 した 家族 が﹁ 一パ ーセ ント
﹂︑ 六 人が
﹁二 パ ー セン ト
﹂で あ った
︵残 念 な がら こ の 教 区の す べ ての 家 族 の数 が不 明で ある が︑ おそ らく ほと んど の 世 帯 に死 者 が 出た で あ ろう
︶︒ こ れ に よる と
︑世 帯 の縮 小 率 は﹁
〇・ 五人
﹂ど ころ のも ので はな かっ たで あろ う︒ こう し た 疑 問は
︑黒 死 病 直後 の
﹁農 村 から 都 市 へ の移 動 率﹂ や﹁ 結 婚ラ ッ シ ュ﹂
黒 死 病 で ど れ だ け の 人 が 死 ん だ か
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