)
を通じて︑清図政府より直接に譲渡せられたるものたり︒
二︑その権限は︑道路︑警察及自治行政の目的のためにする徴税等︑間単純たる自治行政事項を超ゆべからや︒
三︑外図人に現震に顧侍されざる支部人は支那町に於けると同様︑完全に支那官患の支配下にあるべし︒
四︑各閣領事は依然︑行政を行ひ自国民を支配すぺし︒自治行政首局は単に公共の安寧を害する犯人を逮捕し︑
ibic1. p. 498‑500.
¥Villoughby : 4.5)
事情に従ひ︑支那官憲又は官該領事に告後すべしョ
五︑自治行政圏憶には支那人を加え︑支那人住民に影響を及ぼすべき計書に就ては︑之を諮問しその承認を経べ
pり
右の租界行政原則によれば︑租問介に於ける行政権の内容は︑道路︑警察︑衛生︑教育等単純なる自治行政たる し っ
に過ぎたい︒その範国内に於ては支那主権に封︑する制限たるととは明かであるが︑租界首局は何等領土擢を有す
るものではないから︑去も支那領土擦を制限するものではない3
第 三 項
租 界 の 回 牧
先の欧洲大戦後務評として起り来った民放主義︑国民主義の風潮は︑支那に著るしき刺戟を興え︑不平等僚約
撤陸運動となって現れたcその運動の一︑として租界団牧問題がある︒
その回収の方法には大凡弐の二があり得る日
二武力的回収︒之は図際上の原則
l
ー凡そ図家は如何なる場合に於ても︑は︑相手閣の同意・泣き限り之を菟るLを得たいとの原則であって︑ 一旦負ひたる保約上の義務
K
就て
一八七一年一月のロンドン議定書(註﹀に於て
一九二七年漢口︑九江︑一史確認さるーーを無税じて︑支那がその質力一間伎によって︑租界を回牧したる場合で︑
円4
4t
k一九二九年鋲江の英図和田介回収は之に依るわ
植民の概怠規定一北植民地の意義・内容
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支那国際保約集,(漢仁1・ゴL江.鎮江英租界還附
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日 主 同 札
3再出
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円 ︒
山 雄
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川 固 定 訟 植 協 4fi)
47)‑
ミ 商 業 と 諮 済
一六 六
(詰
)
保約ノ設カニ関スル宣言
一八七一年一月十七日﹁ロンドシ﹂合議ニテ採謀
本日曾議ニ参集セル北濁逸園︑填地利︑洪牙利図︑突古利回︑伊大利回︑露西盟国及土耳古図ノ全樫委員ハ何
Vノ
国宅和親的協商二ヨル締約国ノ同意ヲ以テスルニ非
ν ρ 保約上'ノ約束ヲ克ν
又ハ
yノ傍現ヲ箆吏スルヲ得サルヨト
口04吐カ図際法ノ主要ナW原則ナルヲ認ム
二︑協定的回牧︒之は関係雨図聞の協定に基いて回収される場合であるσしかし︑事質上相互的協定に暴ける
場合は例外的に少く︑多くはその回牧過程の賓際に印して考ふれば直接的な武力行使に基かたい賠で一の場合と
異るも相手閣の意思を無視し支那側の一方的意思表示に基いて回収されたあ黙に於ては同一であるつ
A
︑濁・填租界の回牧先の欧洲大戦印一九一七年三月十四日支那は猫抱一との図交断絶を宣言し︑之と同時に同日附大総統令を以て︑
天津︑漢口・に於ける狗漁一租界を回収した︒次いで同年八月十四日には︑支那は濁逸に封して宣戦の布台をなし︑
之と同時に再び大総統令を裂して︑汁訟に濁逸租回介に加ふるに天岸に於ける填園租界をも併せて回収した︒而して
とれらの事賓は大戦後締結された一九一九年六月のベルサイユ封濁講和俊約第二二二保及同年九月のザンゼルマ
ン封填講和保約第一一六僚により確認され加︒
B
︑露図租界の回牧一九一七年のプロレタリア革命以来︑露閣内部の政治的混乱に乗じ︑支那は一九二
O
年九月二十三日附大総統保約集, p. 1.
前掲書, p. 40‑41.
安井郁編:
植 田 捷 雄 : 48)
49)
令を以て︑一蕗図正営政府承認あるまでの暫行的措置として︑一時在支露国公使館及領事館の閉鎖並に公使及領事
の待遇停止を宣言した︒との結果露園租界の行政監督者たる露国領事の権限を治滅するととLなったLめ︑租界
の公共的性質上監督者なさを理由として租界の治安維持上から︑支那政府は露園正首政府樹立の際は直に之を露
図権限内に移すべきを僚件として一時代行管理するととLなった︒之は法理上租界の回収にあら守して︑租界行
政の僚件附一時代行に他なら・なかった︒その後︑露園正営政府の成立と共に一九二四年五月三十一日北京に於て
調印された支那共和図とソヴエlト佐倉主義共和図聯邦との問の協定により雨図々交は快復されたが︑との時弊
長露図はその図策上︑宮帝政時代の遺策を棄てるため︑右協定第十僚(註)により蓄帝政時代の擢益一切の放棄を
宣言
した
︒
(註
) 支那 園︑ y聯邦問諸問題解決ノタメノ大綱協定 ソグエ
lト一位合同主義共和国聯邦政府ハ霊西亜帝国政府カ各種ノ協約︑保約︑協定等ニヨ可取得セル支那国
n u
M hυ
内‑ 一於 ケ
UN一切ノ利権二関スW特殊擢利及特槌ヲ放棄スWヨトヲ約ス 第 十 保
との僚項の誼用により︑租界は営然に放棄さるもλ
に至
り︑
'と
Lに完全に支那の手に回牧するに至った︒
c
︑白耳義租界の回牧一九二九年八月三十一日︑白支間に天津自国租界還付協定が成立した︒之は前二者とは具り︑租借園たる白図の
自致的意思に基くものである︒印︑同協定には﹁白耳義図政府ハ白支雨図間一一現存スル親善関係ヲ輩国ニセンカ
植民の概念規定及植民地の意義・内容
一六 七
支那関係保約集, p. 501.
植田捷雄: 前掲書, p. 45‑46.
50) 51)
商 業 と 経 済
一六 八
山げメェ・::::天津一一於ケル白耳義租界ヲ自愛的一一旦無代償‑一テ中華民園園民政府‑一還付センコトヲ希望スル:::
:・﹂の文一言が書かれてゐる︒右は草に支那の主権を牟重ずる意思から出たのではたく︑白園租界は開設以来二十
有徐年を経るも借入口謬パ'空地多く︑その利用債値乏しく︑白園にとり経皆上の負捲少からざりし理由によおo
現存租界は次の如し︒
(註
)
所 在 地 上
海
~:
海 天
津 天
津 天
津
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津 漠 漠
口 口
民
京
民
東 度
門 r:~
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区
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F毎
日
商
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一 八 六 三 年
六︑ 七八 八︑ 九三
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三 ︑ 0 0 一︑ 三九 八 一︑ 一三 四︑ 六0 0 三九 一ニ
︑三 九
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三九八二三二ハ
一四 一︑
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九三
偽 国 租 界
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i¥ i、可ハ / 、 四 一 一 九 年 年 年
英 国 租 界 偽 図 租 界 日 本 租 界
一 八 九 八 年 { 弟 伊
祖利
聞 大租 界 界
一九O
二 年 八 九 六 年 〆 一 八 九 八 年
一O
丸︑ 二八 八
}二四︑一六ニ
日 本 租 界 実 図 租 界
一 八 六 一 年 一 八 六 一 年
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悌 園 租 界
一一
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一八
共 同 租 界
一九O
二 年 日 本 杭 界
問 ︒ ︑
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一 八 九 六 年 英 樹 粍
一九O
四 年 界
一一
三一
︑
000
支那関係傑約集.p. 590.
植 田 捷 堆 : 前掲書.p. 50.
同 上:在支列国樫盆概詑.p. 34.
5ヨJ 53)
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蘇
日 本 租 界
一八九七年
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一八九八年
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日 本 租 界
一九
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第 五 歎 委 任 統 治 地
一五
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一四 三︑
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委任統治制度は図際聯盟規約第二十二僚によって始めて成立せるものである︒世界大戦の結果︑ドイツ及トル
コの統治を離れたる領土に泊用さるL制度である︒郎ち﹁今次ノ戦争ノ結果従前支配シタル図ノ統治ヲ離レタル
人民ノ幅枇及後達ヲ計ルハ文明ノ一柳車ナル使命ナルコト﹂に基吉︑ 殖民地及領土一一シテ近代世界ノ激甚ナル生存競争欣態ノ下一一未タ自立シ得サル人民ノ居住スルモノニ封シテハ該
それらの地域に封しては﹁該人民一一釘スル後
見ノ任務ヲ先進圏一一シテ資源︑経験叉ハ地理的位置一一一凶リ最モコノ責任ヲ引受クルェ誼シ且之ヲ受諾スルモノ一一
委任シ之ヲシテ聯盟一一代リ受任閣トシテ右後見ノ任務ヲ行ハシムル﹂制度である︒
異ヲ設クルコト﹂を要するため︑共の三種に分つ︒ 而し壬︑委任の性質に就ては﹁人民ノ設建ノ程度︑領土ノ地理的地位︑経済欣態其ノ他ノ類似ノ事情ニ従ヒ差
A式委任統治は﹁従前トルコ帝閤ニ届シグル或部族?一に釣するもので︑﹁猫立図トシテ俄承認ヲ受ケ得ル護連ノ
杭民の概念規定及植民地の意義・内容
一六
九
僚約集.p. 2GO.
安井郁編:
商 業 と 抱 済
一七
C
程度
一一
達シ
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ソノ
自立
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ル時
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一五
ル迄
施政
上受
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ノ助
一一
一一
口及
援助
ヲ受
クヘ
キモ
ノ﹂
とせ
らる
︒
B
式委任統治は中央アフリカの人民に封するもので﹁受任問一一於テ共ノ地域ノ施政ノ貴一一任スヘキ﹂ものである︒而
して
︑
C
式委任統治は西南アフリカ及太平洋諸島に封し︑﹁受任図領土ノ構成部分トシテ共ノ図法ノ下二地政ヲ行フヲ以テ最善トス﹂るものである︒今︑とれらの委任統治地が植民地なる概念に包容され得るやに関しては︑
A
式委任統治地は濁立閣として俄承認を受け得る程度なれども未だ自立し得ざるが故に︑一般的施政上受任図の授
助を受くべきものとせらる︒委任統治は保護図関係とはもとより園際法上の法理を異にすれども︑少くとも行政
ヱヂプト等の如き保護閣に類似ししかも
に関
する
限り
︑
A
式委任統治拙はチユエス︑モロツコ或は奮時の韓圏︑濁立の程度の之等より低き地位を有するものといはねばならぬ︒故に之を目して植民政策上より考察すぺき何も
のも有せや︑といふは形式論としても不営である︒而して
B
式委任統治はアフリカに焚けるドイツの∞n y g a
号 室
︒
の歴史的後機者たるのみたらや叉之と類似の制度であり︑
C
式委任統治地は受任図が図際法上その領土擦を取得したるものではたいが︑統治の形式に於ては狭義属領と全然同一の地位を有するものであるから︑委任統治地は
三種ともすべて形式的概念に於ける植民地であると言ふを得や切o
我園は昭和八年三月二十七日︑聯盟股退の意思表示を聯限事務局に通告した︒閤際聯盟規約第一一保第三項に依
れば脆退は二ヶ年の輪以台を以て行はるLものであるから︑
! i
右期間中は依然聯盟図としての権利及義務を有す
る︒
向︑
その珠台が股退の放果を生やるためには︑股返せんとする聯盟関の一切の図際上及聯盟規約上の義務が
前掲書.p. 22‑23.
矢内原忠雄:
2)