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を有するととである︒絞って︑何れの係約も結局に於ては一躍をたすものといふべく︑租界問題にしても同一利
それらの代表として南京篠約を事ぐるに止める︒盆を各因共同に均寝し得るとと主たるが故に︑
(註
)
南京
保約
第二
俸は
次の
如し
︒
第二
傍 諸国皇帝陛下ハ突国臣民カ其ノ家族従者ヲ携でア庚束︑度門︑福州︑持波及上海ノ市町二於テ商業二従事
dスタ魚迫害又ハ拘束ヲ蒙ルヨトナグ居住スルヲ得ジム︿キヨトヲ約ス 又︑大プリテン愛関女王陛下ハ監督官又ハ乱事館ヲ任命
V
テ前記各市町二居住セジメ該地方ノ清国官憲ト右商人 トノ問ノ通信ハ/仲介者タラジメ下‑一定ムU
如キ清国政府ノ税金及料金カ遇賞二英国臣民ニ依リ約付セラル︑様監
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ム
督セU
シム
︿
V γ
南京篠約に於て︑租界問題上注目すべきととは次の諸賠である︒
一︑庚束︑医門︑一服州︑存波及び上海の五港を開放したとと︒右のうち上海を除く他の四港は一五一七年ポル
トガル人の来航以来既に外国貿易のために開かれてゐたが︑
それらは保約に基かざる恩恵的許容に過ぎなかっ
た︒然るに︑南京総約はとれ等に封し何等の﹁迫害又ハ拘束ヲ家ルコトナク﹂(三
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可
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丘三
)
通商並に居住の権利を︑封等の地位に於て︑外図人に許奥した︒︿第二候第一項﹀
二︑叙事の駐在︒英国臣民に封し︑五地に於ける通商︑居住を承認せるため︑その保護を職務とする英国領事
の駐在を規定した︒(第二保信二項)
植民の概念規定及植民地の意義・内容
〆 五
支那関係保約集, p. 238.
15)
商 業 と 摂 涜
一五
三︑支那側特許商制度の底立︒先に述べた如く︑庚束十三行時代︑出
8mm
可m H O B
の存在によって外図商人が蒙
った不便と不利益とは甚だしきものがあったJ何等の﹁迫害又ハ拘束ヲ家ルコトナクL通商を行ふの原則が確立
された以上︑かLる制度が腔止さるべきは官然であって︑第五僚はとの趣旨を規定してゐる︒(註)¥
第五保清国政府ハ炭来二於テ通商‑一従事セル英国商人ヲジテ専ヲ蛍該目的ノタメニ話国政府ヨリ免許ア符ぷ
'U
﹁行
﹂ 商人(公行)トノミ取引スルヨトヲ強制ジタリジカ荷図皇帝ρ英図商人ノ居住スヘキ一切ノ港二於一ア帰来右ノ慣行ヲ鹿
四 ︿ 註 ﹀
V任意一一何人トモ詔商取引二従事スルヲ許スヘキヨトヲ約ス又靖国皇帝陛下ハ英国臣民ヨ可多額ノ負債ヲ起ジ支排無
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F能力トナリ
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右﹁行﹂商人(会行)中ノ或者ノ債務ノ信洋銀三百寓弗ヲ英国政府三文抑ブヨトヲ約スV
一八四二年の南京保約に於ては︑外国人の居住︑通商権を規定してゐるが︑その居住︑通商を震すべき場
所或は之を定むる方法に就て規定なきため︑右五港の市︑府内すべてを意味するが如くにも解程され︑地域︑範
固に闘し賂来粉議を生やる庭があったので︑翌年の迫加僚約第六係︑第七僚に於て︑ζの黙に闘し弐の如く規定
して
ゐる
︒(
詰)
(註
) 第六保
開カルへキ五港ニ居住又ハ木往スル英図商人共他ノ者戸商業上ノ如
F
ナMN口宜ヲ以テスル宅地方官憲カ英国領事ト協議ノ上指定スへキ一定短庇離ノ地域ヲ超ヱテ周閏ノ地方二入込ムへカラサルモノトス
第七保永久和親保約ハ突図臣民及其家扶ヲジテ民束︑一間州︑底門︑幹波及上海ノ市町二於テ妨碍又ハ拘束ヲ受グル
ヨトナグ居住セジムルヨトヲ規定セリ故‑一左ノ如グ決定ス印チ地方官三領事一一週
v γ
一ア土地及家屋(其借賃又ハ代償ハ
(以 下略 ) 何
ν
ノ側ニ封v γ
テ屯苛酷ナラサ
w w椋人民ノ間‑一行ρuvu
割令
‑一 埠
UJ
テ正官衡平ニ按排セヲ山ニキ
〆トス)ヲ用意
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v v
置グへ
v v建築又ハ貸奥セラタル家屋ノ設ハ年々領事ヨリ右地方官一一之ヲ報告スヘグ地方官ハ右報告7ν
各自 ノ総 督一 一
支那関係保約集, p. 23fl.
16)
円4
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担問 申ス へ
γ但
家屋ノ致u v
ρ商人ノ来往ニ準
γテ多寡アW︿キニ鑑ミ之ヲ限定スルヨトヲ得ス
即ち︑外国人の居住地域は支那側地方官官一応と英国領事との協議により︑
一定
地域
を定
め︑
以て外因人の使用に
供するととtふたしたのである︒但し︑乙の這加保約は主(の後一八五八年の天津僚約により修正且それに網羅的に
規定
(詰
)さ
れた
Lめ
に︑
同僚約第一僚により辰楽された︒
(註
)
江誌(南京)保約二於テ開放セラレタU
庚束︑度門︑稿州︑韓設︑上海ノ市邑ユ加フ
W二英国臣民ハ牛荘︑
登州(芝宋)︑芸湾︑湖州(泊頭)︑及現州(海南)ノ市邑及港‑一来往スルヨトヲ得へ
v γ
第十一候
右ノ者ハ随意一一何人トモ交易V
又其ノ舵舶ト貨物トヲ以テ自由ニ来往スルヨトヲ許容セラ
U
右ノ者ハ前記市邑及治‑一'於一アモ己ユ貿易ノ魚開放セラレタW港二一於テ享有スWト同一ノ特権︑利盆及免除ヲ享有スへ
グ共ノ中ニハ居住ノ枯利︑家屋買入又ハ貸借ノ樫利︑取地借入ノ樫利抵寺院︑病院及墓地建設ノ特樫ヲ合ム屯ノトス
治共ノ他ノ場所二於テ家屋︑倉庫︑寺院︑病院又ハ埋葬地ヲ建築又ハ開設セムト欽スル英国臣民ハ人民間
00 ‑一行ハル︑割合二従じ衡平ニ且何νノ側二封ジテ宅苛酷トナラサル様所要土地又ハ建物‑一付テノ契約ヲナスへジ
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命︑体支荒地保約第二十二僚︑第二十三僚にも同様の趣旨が規定されてゐる︒
第十二保
之等の地域は後年︑現在見山るLが如音大友る繁柴を一不し︑支那主権の制限︑外国行政権の扶柏と相侠って︑
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現在の租界を形成するに至った
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第二︑天津僚約ハ一八五八年)︑北京保約(一八六
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年)及長髪賊の飢(一八五Ol
一八
︒六
四年
)
南京保約に次いで租旧作登山述史上記録すべきものは右の諸事件である︒
植民の概念規定及植民地の意義・内容
五
支那闘係候約集, p. 241.
支那関係保約集, p. 253.
同上書, p. 520.
植 田 提 雄 : 前掲書, p. 13‑15.
19) 20)
商 業 と 紅 涜
一五 四
天津僚約では︑先に述べた如く︑南京保約に於ける租界に閲する保頭が修正旦網羅的に規定されたが︑更に租
界設建史上注目すべき諸事項が規定された︒
一︑大使︑公伎の首府駐在権︒南京僚約に於て既に領事の駐派擦を認めたが︑倫外図との遇商関係は宮態を院
し得や鎖国的傾向甚しかりしため︑北京に大使︑公使を派遣し全図的に通商関係の統轄を期するととLした︒と
れにより列図は支那と封等の立場に於て園交︑通商関係を調整し得るととL
なっ
た︒
(第
二一
保)
二︑内地放行構︒従来︑外園人の支那内地投行は許されなかったが︑本保約により初めて娯楽のため若くは商
業上の目的のため︑太・閤領事の後給せる族企伶を以て内地の何庭にも放行す序構利を得た︒但し︑開港場より旦程
Aq
︼百支里(三十三哩)を超えや期間五日を超えたい小放行には放家の必要がたい︒(第九保)
三︑長江遡航模︒英図商船は揚子江を遡って貿易を得す権利を得た︒渓口まで遡るを得るが︑港の教は三ケ所
桔田捷堆:在支列図権益概詑, p. 130.
に限られた︒長江の解放によって︑支那開園の置は且ゃった